『その若さで陸軍中佐に昇進。同盟軍総司令部の参謀の一人として戦局を見極める立場。………それで足りないというか?』
 それに対する返答は明確だった。
『少なくとも、そこで終わるつもりはありません』
 結城 繁治の質問に対する滝沢 紳司の返答だ。滝沢 紳司。帝国陸軍の若き俊英。しかしその才能はさらなる権力を燃料としている………。結城 繁治が危惧するのはその点にあった。
 今はアメリカ合衆国を相手に世界大戦を戦っている最中なのだ。この大戦は互いの国力のすべてを投じる総力戦となる。総力戦とはすべてを戦いのために用いなければならない非情な戦いだ。その戦いで、己の権力欲を満たそうとする滝沢 紳司………。
「………戻ったら、ひとつ説教しないといけないな」
 結城はそう呟くとアイマスクで自分の視界を閉ざし、輸送機に改造されたランカスターに設けられた座席に背を預けて静かな寝息を立て始めた。合衆国軍の動きが不活発であったとはいえ、オルレアン同盟カナダ方面軍司令部の勤務は忙しい。休める時に休んでおくというのも指揮官の義務であった。
「………おや、マンシュタイン大将、何を読んでいるのですか?」
 王室陸軍のバーナード・ロウ・モントゴメリー大将も一眠りしようとしたが、その前に隣に座るドイツから派遣されたエーリッヒ・フォン・マンシュタイン大将が眼を輝かせながら本を読みふけっていることに気づいて声をかけた。
「………ん? 失礼、モントゴメリー大将、何か言いましたか?」
「ずいぶんとその本に夢中なようですね。何を読んでいるのです?」
「ああ、これは失礼。この本は………」
 マンシュタインはブックカバーを外し、本の表紙をモントゴメリーに見せた。モントゴメリーは表紙を一目見ただけで作者を言い当てた。
「『Terre des hommes』………『人間の土地』、なるほど、サンテックスですか」
 マンシュタインは「ヤー」と頷きながら尋ね返した。
「モントゴメリー大将もサンテックスはお好きですか?」
 本の表紙を一目見ただけで作者を言い当てるのだ。当然、モントゴメリー大将もこの本を読み、そして作者を愛しているのだろう。同好の士を見つけた人間特有の弾んだ声のマンシュタインに対し、モントゴメリーはそっけなかった。
「ま、彼の著作を読むことは我々の義務ですから」
「ほむ………」
 なんだ、彼はサンテックスファンじゃないのか………残念だ。
「ところで、マンシュタイン大将が今読んでいるページの厚みから察すると、サンテックスがリビアの砂漠で遭難したあたりでは?」
 モントゴメリーの言葉にマンシュタインは目を丸くした。モントゴメリーの指摘は正しく、そしてページの厚さだけでどのあたりを読んでいるかが判別できるということは、モントゴメリーも相当回数読み返している証拠なのだ。結局………。
「何だ、モントゴメリー大将も好きなんですね、サンテックス」
 まったく、好きなものを好きだと素直に言えないのかねぇ、英国紳士という奴は。マンシュタインは心の中で肩をすくめながらも、戦友としてではなく、同じ趣味の人間同士の会話を始めた。
 サンテックス。
 これはあくまで読者がつけた愛称だ。本名はアントワーヌ・ド・サンテクジュペリという。そう、郵便配送の飛行機乗りとしての経験を活かし、「夜間飛行」や「人間の土地」などの名作を記したフランスの作家である。
 イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、日本が所属するオルレアン同盟圏内でサンテクジュペリは広く読み語られている作家で、マンシュタインやモントゴメリーたちは彼の取材を受ける立場であった。
 そして後方で二人の大将がサンテクジュペリ談義に花を咲かせている間、輸送機型ランカスターのコクピットで操縦桿を握るイタリア人操縦士のトッピー中尉は右上方で何かが光ったのを見た。
「ん? なぁ、ラナ。今、何か光らなかったか?」
 トッピー中尉に肩を突付かれたラナ曹長はひどい南部訛りで応えた。
「あ〜ん? トッピー、ワシにゃあ何にも見えへんで?」
「でも、確かに………あれだ! あれだよ、ラナ!!」
 トッピーが指差す先には戦闘機が見える。戦闘機は機首をこちらに向け、見る間に距離を詰めていく。トッピーの顔が青ざめていくのとは対照的に、ラナは年長者の威厳を見せるべく落ち着き払った声でトッピーに教えた。
「トッピー、ちゃんと見ぃや。あら、フランスの戦闘機や、味方やで」
「何だ、味方か………敵かと思って冷や冷やしたよ」
「ありゃデカチン………もといドボチンのD520やな」
 本当はドボワチンなのだが、トッピーはそれを指摘しなかった。トッピーの関心は別に向いていた。
「なぁ、ラナ。あの戦闘機、妙に近寄ってきてないか?」
「ワシらの護衛やろ。何せこの輸送機には同盟軍のお偉いサンがようけ乗ってんねや。これが落ちたらどえらい騒ぎになるやろうしな」
「それにしては軌道が妙じゃないか? 護衛ってのは、もっとこう………」
 トッピーが言葉を続けようとした時、トッピーが思わず絶句してしまう音が耳に届いた。
 空をつんざく、あの甲高い音は機銃の発射音。その機銃を発射しているのは、このランカスターに接近していたドボワチンD520だった!
「ト、トトトトトト、トッピー! こら、一体どないしたんや!?」
「そ、そそそそそ、そんなこといわれても………」
 ガンガンガンガンガン
 D520がランカスターのすぐ上空を横切っていく。D520が放った機銃弾が次々とランカスターに突き刺さる。友軍の戦闘機だと油断していたのが不幸に結びついている。トッピーも、ラナも思考停止に陥っていた。
 二人を現実に引き戻したのは、より直接的な悲劇だった。
 四基あるランカスターのエンジンの内、右端の一基が咳き込むように震えたかと思うと、そのまま鼓動を止めてしまったのだった。
「アカン、エンジンが一基停止しよった!」
「ラナ、とにかくアイツの攻撃をかわすんだ!」
「せやかて、こっちはノロマで非武装の輸送機、相手は戦闘機やで! かわすなんか無理や!!」
「無理でも、やるしかないんだ!」
「おい、これは一体どうしたんだ!?」
 モントゴメリーたちがランカスターの操縦席へ怒鳴り込んでくる。マンシュタインは「武器はないのか!?」と尋ねてきた。
「状況はよくわかりませんが、友軍の戦闘機が襲ってきているんです!」
「友軍!? どこのバカだ! おい、こっちが友軍であることは知らせたんだろうな?」
「せや、せや! 無線や!」
 モントゴメリーの怒鳴り声で無線の存在を思い出したラナは無線機に向かって怒鳴る。
「コラァ、どういうつもりや! ワシらは味方や! 今すぐ攻撃やめて、謝らんかい!!」
 ラナの感情をむき出しにした怒鳴り声にマンシュタインは毒を抜かれた表情を見せた。ラナの怒鳴り声に対する返事は機銃の発砲音だった。
「うわ!?」
「おい、高度が………下がっているぞ! 機首を上げろ!」
「せやかてエンジンが止まってしもたさかい、パワーが足りへんのや………」
「何だと!?」
 顔面を蒼くしながら怒鳴り声の応酬を続ける皆を余所に、結城 繁治だけは一人別のことを考えていた。
 ………滝沢、これがお前の戦争なのか?
 結城は唇を強くかみ締めた。口内に鉄の味が広がる。そして三度銃撃が浴びせられる。



「こちら『星の王子様』………目標は墜落を開始した」
 結城たちが乗る輸送機に攻撃を仕掛けたD520の操縦桿を握るのは中年に差し掛かり始めた男だった。
 男は少し危なっかしい手つきでD520の高度を上げる。D520は速度を引き換えにしながら高度を増やしていく。
 速度と高度。この二点が空戦の要となる。無論、この二点だけで決まるわけではないが、巨大な要因であるのは事実だ。速く、高く飛ぶ戦闘機を撃墜するのは容易ではなく、速さと高さを喪失しないよう操縦桿を操ることができる者が空戦の勝者、すなわち撃墜王として生き残ることができる。
 そういう意味で、この中年間際の男の操縦は落第だった。高度を気にするあまり上昇角度を深くしすぎて速度を著しく失っている。戦闘機同士の戦いでこのような軌道を行えば、瞬く間もなく撃墜されてしまうだろう。
 男の名はアントワーヌ・ド・サンテクジュペリ。自ら戦闘機の操縦桿を握る「空戦たたかう作家」。
 空を愛し、スリルを愛し、そして祖国フランスを愛する作家殿はアメリカ合衆国との戦争が開始されると操縦士としての経歴と、流行作家の名声を利用してカナダで戦闘機に乗ることにした。それは本人の希望であり、周囲の者は眉をひそめて翻意を迫った。
 しかし作家は(誰が聞いても真っ当な意見である)周囲の注意に耳を貸さず、戦場の空に舞うことを選んだ。
 だが、作家の願いはもろくも崩れ去ろうとしていたのが現状だった。サンテクジュペリの操縦はぶっちゃけ下手であり、彼はカナダ防空の任務についてから三ヶ月で四機も壊していた。しかも壊した原因が空戦での被弾等ではなく、操縦ミスによる失速や着陸の失敗であったためにサンテクジュペリに飛ぶことを許可していた連中まで眉をひそめるようになっていたのだった。
 そんなサンテクジュペリに再起の機会を与えた者がいた。
『指定された日、指定されたコースに無人標的機を飛ばす。君がもしそれを撃墜できれば、戦闘機に乗り続けることを許可しよう。ただし、失敗した場合は………』
 サンテクジュペリは続きも聞かず、その提案に乗った。怪しげな提案であることは百も承知であったが、しかしサンテクジュペリのようなスリルジャンキーにとって戦闘機の操縦桿を握れなくなるというのは死にも勝る屈辱であった。それこそ戦闘機に乗れるならばメフィストフェレスに魂を差し出しても構わないくらいだ。
『こちら『ナポレオンU』。『星の王子様』、目標が墜落を開始したというのは撃墜したということか?』
 無線から聞こえる「取引相手」の声。その声はサンテクジュペリの戦果を疑うものであった。
「エンジンが二基も停止して高度を落としている。いずれ地面に落ちる」
『了解した。では、おめでとう『星の王子様』。君には今後もカナダ防空の任についてもらう………(ド・ゴール大佐殿、急いで報告したいことが………)』
 サンテクジュペリはここで初めてあることに気がついた。今、この無線の向こうには二人いる。一人は私の取引相手であるシャルル・ド・ゴール大佐だ。今、無線に出ていたのも彼だ。
 だが、無線がかすかに拾った声。あの声は誰だ? 生粋のフランス人が発するフランス語ではない、訛りの強いフランス語だったように思えたが………。
 サンテクジュペリはこの時、初めて自分の選択に後悔の感情を抱いたと後世に出版された自伝で語っている。
 それが真実であるのか、それとも事後だからこそ好き勝手に自己弁護しているのか。今となっては本人にもわからなくなっている。だが、確実に断言できるのは、サンテクジュペリがド・ゴールの計画に一枚かんでいたということ。そしてサンテクジュペリは結城 繁治が乗る輸送機を撃墜したということだけだった。



「報告したいこと? どうしたのかね、タキザワ中佐」
 サンテクジュペリから見て「無線の向こう側」にいたシャルル・ド・ゴールは高名な作家との通話を邪魔した協力者に眉をひそめて返事した。
 自分たちの計画………オルレアン同盟カナダ方面軍総司令部の主要人物を謀殺し、自分たちが代理として後釜に座る計画はサンテクジュペリの放った凶弾によって達成されようとしている。ド・ゴールたちに踊らされているとは知らない哀れな道化師サンテクジュペリと通話を続けたくなるのも無理はないだろう。だからこそド・ゴールは無線越しの通話を邪魔してきた滝沢 紳司中佐によい顔を返さなかった。
「大佐殿、バンクーバーからの電文です」
「バンクーバー? どれどれ………んなッ!?」
 滝沢から電文を渡されたド・ゴールは思わずのけぞった。長身が強風に揺れる柳のようだ。
「タキザワ中佐、これは本当なのか………?」
「まさか冗談でこのような電文を打ちはしないでしょうね」
 青ざめた面持ちのド・ゴールとは対照的に、滝沢の顔は野心の炎でギラついていた。
「合衆国陸軍がバンクーバーに対して大攻勢をしかけただと………? 奴らの戦力、そこまで蓄えられていたのか?」
 ド・ゴールは合衆国陸軍の配置状況を把握しきれていなかった。まさか冬の終わりを待たずに合衆国が攻勢に出るとは予想していなかった。まだ攻勢開始まで余裕があるものだと思っていたのに………ん?
 そこでド・ゴールはあることに気付いた。自分の判断はすべて彼から提供された情報に依って導き出されている。当然、情報提供者も自分と同じ結論であるはずだ。
 にも関わらず、どうして彼は不敵な笑みを浮かべているのだ………?
「タキザワ中佐、まさか君は………?」
「ド・ゴール大佐殿、何か? 大佐殿、これはチャンスですよ。ここで合衆国陸軍を叩いてしまえば我々の立場は安泰。大佐殿も念願のナポレオンの再来となるわけですよ」
 滝沢がド・ゴールに微笑む、否、冷笑を向ける。ド・ゴールは背中に冷たい汗が流れていくのを知覚した。
 滝沢が提供してきた偽情報を基に今回の計画を立案していたド・ゴールだったが、しかし彼は引き返すことができなくなっていた。目の前の野心家はド・ゴールの退路を本人が知らないところで完全に断ち切っていたのだ。
 強制的にルビコンを渡らされていたド・ゴールは、この瞬間から滝沢の傀儡に堕ちた。
 そして滝沢はバンクーバーに押し寄せる合衆国陸軍を排除し、自らの地位を確立しようとしている。滝沢 紳司、一世一代の大舞台が幕を開けたのだ。
 時に一九四二年二月五日。未だ厳しい冬の雪空が続くカナダの大地での出来事である。

戦争War時代Age
第一三章「炎の定め」



 一九四二年二月二五日午後一二時ちょうどに合衆国陸軍西海岸方面軍が計画立案したバンクーバー攻略作戦「TR」が発動された。
 作戦名の「TR」は「Tomorrow Research」の頭文字から取ったとされており、カナダにとって太平洋側最大の都市であるバンクーバーを攻略できるかどうかがこの戦争の今後(=Tomorrow)を量る目安(=Research)となるという意味を持っているという。
 この作戦の第一段階として、カナダ国境付近に建設されていた大日本帝国陸軍の警戒陣地の攻略が命ぜられた。
 故に、結城 光洋少佐が率いる歩兵第六八〇大隊が守る陣地も合衆国陸軍の猛攻に曝されていたのだった。
 ヒュルルル………ドズゥン!
 鼓膜だけでなく脳みそまで揺るがしかねないほどの轟音と、腹の中をかきまぜる衝撃。歩兵第六八〇大隊がこもる陣地に対する砲撃が開始されて二〇分………砲撃はやむことなく続いていた。
 重砲の砲弾が着弾する度に地下壕の天井から土埃が落ちてくる。それを雪のようだと思ってしまうのは余裕がある証拠か、それとも無意識の逃避の証か。結城 光洋は鉄製のコーヒーカップの中に入った土埃を指ですくいとり、冷めたコーヒーを一気にあおった。
「ここは一トン爆弾の直撃にも耐えるほどのベトンに守られてはいるが………警戒陣地のすべてがそうだってわけじゃないんだよな?」
「機関銃の陣地などは穴を掘っただけの簡単な塹壕ですからね。壕の中にいれば破片でやられることはありませんが、直撃を受けると危険です」
 光洋の声に応えたのは、彼の副官である南 燃大尉だった。南はベテラン特有の落ち着き払った態度と声で続ける。
「そう、逆に言えば直撃でも受けない限り重砲で死ぬことはありません。………問題はこの砲撃がやんだ時です」
「敵はこの砲撃に紛れて部隊を前進させているんだな?」
「それは斥候の報告で確認もできています。戦車と歩兵による陣地攻略を行ってくるでしょう」
「一式の備蓄は充分だが、今回の敵もそれは考慮してくるだろうな」
 歩兵第六八〇大隊は以前、合衆国陸軍の戦車隊の攻撃を携帯型対戦車噴進砲、パンツァー・ファウスト(日本名:一式噴進砲。通称『一式』)で撃退している。歩兵が戦車を撃破しうる兵器を手にした衝撃は大きく、合衆国陸軍戦車隊の活動は一時期途絶えていたこともあった。
 しかしあれから年月が流れ、合衆国陸軍も弱点の研究を行っているはずだ。特に有効射程距離が三〇メートル程度しかないという欠点は絶対に考慮されているだろう。戦車だけを前進させるのではなく、歩兵と共同で攻めてくるのは確実だろう。
「だが、俺たちにだって今回は戦車隊の援護があるんだ。一式だけに頼るわけじゃない。いけるさ」
 噂をすれば何とやら。結城が話題にあげていた人物が顔を現した。
「ん? 何だ、みんなして私を見て………?」
 彼、溝口 元気少佐は光洋と同じ第五師団に所属する戦車第七大隊の大隊長を務める男だ。この砲撃の最中にトイレに行ってくるという豪胆さと一重になったマイペースな男で、陸軍士官学校では目だった存在ではなかった。しかし同師団戦車第六連隊の島田 豊作少佐と共に戦車による夜襲という戦史上例をみない奇策を成功させる等、カナダ上陸以来数々の武勲を重ねている。結城 光洋は溝口を全面的に信頼しており、戦車部隊の運用については彼に任せておけば間違いはないと考えている。
 溝口は糸のように細い眼に疑問符を浮かべながら席に着く。
「作戦の確認ですが、この陣地で敵の攻撃を吸収します。溝口少佐の戦車大隊は陣地攻撃を行う合衆国陸軍に側面から突撃を行ってもらいます」
「OK。ただし突撃の際、結城少佐から歩兵中隊を借りますね」
「もちろんです。歩兵の援護なしの戦車は驚くほど脆いですからね」
「いやはや、結城少佐は話が早いから助かる」
 溝口は「あっぱれ」と書かれた扇子を広げて自分を扇ぐ。三回ほど扇いでからパチンと扇子を閉じ、糸目をくわっと見開いた。
「………砲声が、やみましたな」
「よし、ここからが本番だ! 溝口少佐、お互い最善を尽くしましょう」
 光洋の言葉に溝口はニコリと笑顔を返す。そして風と共に喊声が運ばれてくる。合衆国陸軍の突撃が開始された証拠である………。



「二時方向に機関銃陣地! 榴弾用意………ファイア!!」
 鋼鉄の箱の上に載せられた「蓋」がゆっくりと動き、蓋から伸びる棒が上下左右に揺れる。M3中戦車の三七ミリ砲から放たれた榴弾が塹壕の中へと飛び込んでいく。ズシンと地面がわずかに揺れ、塹壕へ向かって突撃を続ける合衆国陸軍の歩兵を狙っていた軽機関銃が空に舞い上がって大地に突き刺さる。それは機関銃手の墓標となったはずだったが、しかしM3中戦車は墓標を踏み潰した。
 M3中戦車の中隊を率いるクレイトン・エイブラムス大尉が戦車長を兼任するM3は帝国陸軍が守る陣地の火点に的確な攻撃を加えていた。彼の中隊が射撃を行う度に鉄の暴風が日本人を殺傷していく。
 エイブラムスの愛車であるM3中戦車は砲塔に三七ミリ砲を、車体に直接七六ミリ砲を搭載するという、かつて流行の兆しがあった多砲塔戦車の流れが色濃い戦車である。多砲塔戦車はメリットよりデメリットの方が多かったのですでに廃れてしまっていたが、イーニアス・ガーディナー大統領の軍拡政策で多砲塔戦車流行の時代に戦車を大量に揃えてしまった合衆国陸軍は、M4中戦車の大量生産を続けている一九四二年でもM3中戦車を数の上では主力としていた。
 しかしこの多砲塔戦車の流れ、陣地攻略という一点だけで考えるならばメリットが多い。戦車を相手するには荷が重い三七ミリ砲も、榴弾で歩兵を攻撃すれば戦果をあげられるし、車体に固定されているため射角が制限される七六ミリ砲も敵陣を正面にすえる陣地攻略戦では問題にならないためだ。
 故にエイブラムスはM3中戦車に乗り込んで帝国陸軍の防御陣地に砲撃を浴びせているのだ。対する帝国陸軍の反撃は小規模。対戦車砲は先ほどまで続いていた重砲の砲撃から逃れるために退避させているのだろう。M3中戦車に対して対戦車砲の砲撃が見舞われることはなかった。
 ヒュルルル………ズドン!
 帝国陸軍の迫撃砲陣地が曲射弾道で砲弾を放り込んでくる。連続して炸裂する迫撃砲弾が塹壕へ向かっていた歩兵分隊をなぎ払う。えぇい、迫撃砲陣地は潰せていなかったか! 七六ミリ砲で狙うにしても少し遠い位置だ。エイブラムスは突撃を命じたくなる己を必死に律していた。
 今、エイブラムスのM3中戦車中隊は防御陣地の手前四〇メートルのあたりで停止して砲撃を行っている。これは戦術の通り、帝国陸軍が装備している一式噴進砲を警戒してのことだ。あの和製バズーカはM4中戦車であっても一撃で屠ることができるが、しかしロケットの燃焼効率の劣悪さゆえに射程距離に難があることをエイブラムスたちは知っている。故に陣地から距離を置き、歩兵の浸透襲撃を助けることに徹しているのだ。敵陣の前面が制圧できれば二陣、三陣とパイの皮でも向くかのように奥へ進んでいく計画だ。迫撃砲陣地は事前の重砲による砲撃で極力潰しておく予定だったが………潰しきれなかった場合、歩兵は迫撃砲の砲撃を覚悟で進んでもらうしかない。
 冷たいようだが、これは戦争なのだ。エイブラムスは自分にそう言い聞かせることで、「迫撃砲陣地へ突撃!」と命じたくなる自分を縛っていた。
 だが、彼の代わりに迫撃砲陣地へ突撃を敢行した者がいた。エイブラムスは上空から轟いてくる唸りに視線を空へと向けた。
「蛇のお出ましか!」



 猛禽が獲物としている他生物に対して絶対有利なのは、猛禽が獲物より速く、距離を自由に選択できることにある。それはすなわち「飛ぶ」ということに他ならない。猛禽は空を飛ぶからこそ獲物に対して絶対的な有利を確保しているのだ。
 人間は飛行機を駆ることで猛禽になれた。特に彼は一際凶暴な猛禽である。
 合衆国陸軍航空隊に所属するハンス・ウルリッヒ・ルーデル中尉は興奮で乾いた唇を舌なめずり。愛機P39 エアラコブラの操縦桿を静かに押し倒し、スロットルを巧みに開閉することで狂気に取り付かれたとしか思えない機動を制御していた。
 ルーデルのエアラコブラは名の如く、まるで蛇のように低空を這って飛ぶ。そして歩兵部隊に対して砲撃を続ける迫撃砲陣地に気付かれることなく忍び寄り、爆弾という名の牙を突きたてた。爆弾は正常に作動し、帝国陸軍の迫撃砲陣地は沈黙を強制される。
「ハハッ、ジャップめ、ザマーミロ!!」
 ルーデルは行きがけの駄賃だとばかりにP39の機銃で帝国陸軍の陣地を縫っていく。その機動は暴虐でありながら、しかも正確。陣地内は混乱を深めていく………。
 だが、それ以上の傍若無人は許さぬとばかりに帝国海軍航空隊の零戦がルーデルのエアラコブラを狙って、文字通り飛んでくる。P39 エアラコブラは低空性能にこそ優れているものの、空戦をこなすには難ありとして戦闘攻撃機として採用された経緯を持つ。それを知ってか知らずか、帝国海軍の零戦乗りはP39のことを形状と簡単に撃墜できることから「カツオブシ」と呼んでバカにしていた。
「カツオブシ」が取るべき手段は逃げの一手だ。もっとも高度と速度で優れる零戦を相手に逃げ通すのは至難の業であるが………。
 しかしルーデルはここであえて操縦桿を引き、スロットルを目一杯開放してみせた。低空性能に優れるアリソンエンジンが叫び声をあげ、エアラコブラは速度を落とすことなく高度を上げていく。
 零戦からしてみれば「バカな!?」と言いたいところであろうが、ルーデルにとっては「バカ」なことでもなんでもない。それは当たり前のことだった。
「落ちろ!」
 たちまち零戦より高度を上げたルーデルのエアラコブラが機銃弾を叩き込む。一二.七ミリ弾に尾翼を射抜かれた零戦はバランスを崩し、グラリと大きく揺れた。低高度まで下がっていた零戦はバランスを立て直すことができず、そのまま地面に激突して爆発した。
「チッ、今ので機銃弾が無くなっちまったか………」
 劣勢から一転、零戦を撃墜してみせたルーデルだったが、しかし彼はそれを誇りはせず、口からこぼれたのは零戦相手に機銃弾を浪費してしまったことを悔しがる台詞だった。
 ハンス・ウルリッヒ・ルーデル。彼は合衆国が誇る最強の猛禽であり、猛禽は地上のノロマな獲物を狩ることに命を賭けていた。



 ルーデルの近接航空支援で迫撃砲陣地を沈黙させた合衆国陸軍の歩兵たちは歩兵第六八〇大隊が守備する陣地へと侵入を開始した。
 着剣した九九式歩兵銃やオルレアン同盟軍内で広く使われるMP−38短機関銃を手に合衆国陸軍を迎え撃つ日本人たちは勇敢だった。あちこちで怒号と、悲鳴と、命が断たれる音が連続する。
 しかし基本的に戦車による砲撃支援を受けられる合衆国陸軍の方が優勢であった。対する帝国陸軍は迫撃砲陣地を潰された影響から満足な支援を受けることができなくなっていた。
「一式噴進砲は戦車を狙い打つためだけのものじゃないぞ! 塹壕に侵入した敵にも遠慮なく使え!!」
 結城 光洋の指示を受けて帝国陸軍が件の一式噴進砲を塹壕内で使い始めた辺りから戦況は混沌の一途を辿っていく。混沌としているだけにどちらにも等しく勝機がある。
 だが、乱れた勝機を強引に袂へ引き寄せたのは帝国陸軍の戦車第七大隊だった。
「進め! 南軍の将軍を追い返すんだ!!」
 溝口が吼え、溝口が乗る戦車も砲声を轟かせる。放たれた魔弾は「リー」と呼ばれるM3中戦車の装甲を側面から貫いた。履帯を軋ませて戦車第七大隊が突撃を開始する。
 戦車第七大隊は合衆国陸軍の砲撃が終了した時点で密かに出撃し、陣地を大きく迂回、エイブラムス率いる戦車中隊の側面から姿を現したのだった。おまけに戦車第七大隊が装備していたのはドイツ製の三号戦車J型だ。
「一一時方向のM3中戦車を狙う………射ぃッ!」
 溝口が戦車長として指揮を執る三号戦車J型が放った五〇ミリ弾はエイブラムスの乗るM3中戦車の三〇センチ隣に突き刺さる。重砲の事前砲撃で耕されて柔らかくなっていた陣地前の地面は水柱ならぬ土柱をたてる。
「外した………いや、外されたか!」
 溝口の一撃が空振りに終わったのはエイブラムスの適切な指揮のおかげだった。エイブラムスは自分が狙われていると悟るや、すぐさま操縦手に後退を命じたのだ。位置を変更したおかげで溝口車の砲撃を回避できた。しかしエイブラムスのM3中戦車は側面をさらしているために七六ミリ砲が使えない………。
 エイブラムスは左右のキャタピラを互いに逆方向へ動かすことで素早く方向を変える超信地旋回を命じかけたが………しかし超信地旋回を行って移動することをやめた場合のリスクを危惧した。よってエイブラムスが命じたのは副砲である三七ミリ砲による砲撃だった。
 しかし基本装甲厚を増している三号戦車J型に副砲による攻撃は通じない………。エイブラムスの優秀な部下はそのことを指摘したが、エイブラムスは異なる意見を持っていた。
「徹甲弾を撃つ必要はない、榴弾を撃て!」
 エイブラムスも三七ミリ徹甲弾で三号戦車J型を撃破できると最初から思っていなかった。彼の狙いは榴弾によるパーツの破壊である。三七ミリ榴弾の破片でキャタピラが切れたり、射撃装置に異常が生じる可能性は、三七ミリ徹甲弾で三号戦車J型の装甲を撃ち抜くよりも高い。それがエイブラムスの結論である。
 エイブラムスには自分の考えを部下に説明する暇がなかった。だから自分の考えた結論だけを命令として発した。部下は怪訝な表情ながらもエイブラムスに従う。我らが戦車長殿の命令はいつも正しかった。今回もきっと正しい、俺の命は戦車長殿の命令で救われる。部下の眼はそう語っていた。エイブラムスは心の中で部下の献身に感謝した。
 M3中戦車が放った榴弾は溝口の三号戦車J型のシャシーに命中し、榴弾の破片があちこちを叩く不気味な音が溝口たちの耳に轟いた。まるで太鼓の中に閉じ込められたかのような錯覚。いや、事実を的確に比喩した感想か? しかし溝口は恐怖をおくびにも出さなかった。己の恐怖心を克服し、部下に対して超然とした態度を示す。これが指揮官にとって義務なのだ。
「佐倉、次はよく狙って撃て!」
 溝口は額の汗をぬぐいたい衝動を振り払うかのように大きな声で命じる。溝口の三号戦車J型で砲手を務める佐倉軍曹は「はい!」と戦場にいるとは思えないほど朗らかな声を返した。そして佐倉の指が五〇ミリ砲発射の引き金をグイと引っ張った!
 エイブラムスは背中をバットで殴られたかのような衝撃に激しく揺さぶられ、鼻を装甲に打ち付けてしまった。垂れてきた鼻血を無視してエイブラムスが怒鳴る。
「どこをやられた!?」
「戦車長、エンジンです! 火が………!!」
 エイブラムスは鼻血が垂れていることも忘れて、大慌てで怒鳴り返した。
「総員、脱出!!」
 エイブラムスのM3中戦車を撃破した溝口の三号戦車J型。それは溝口たち戦車第七大隊の戦闘を象徴する光景だった。溝口率いる戦車第七大隊が側面からの突撃を開始して一〇分でエイブラムスのM3中戦車中隊は半分以下にまで数を減らしたのが何よりの証拠だ。陣地攻略の要であったM3中戦車の支援を受けられなくなった合衆国陸軍の歩兵部隊は帝国陸軍の反撃で劣勢に立たされることとなった。
 だが、切り札を隠していたのは帝国陸軍だけではなかった。合衆国陸軍もまた切り札を温存していたのだ。いや、そもそも「予備兵力」という名の切り札は合衆国陸軍の方が多く持っているのだ。戦車第七大隊の反攻で苦戦するエイブラムス中隊への援軍としてM4中戦車が現れたのは当然の展開だといえた。
「戦車長、四時方向からM4! ………畜生、撃ってきてます!!」
「全速前進!!」
 溝口の指示と同時に前へ進む三号戦車J型。三七ミリ砲弾とは比べ物にならないほど巨大な土くれが溝口車のすぐそばで破裂する。
 M4中戦車の性能は三号戦車J型を圧倒している。それは前からわかっていたことだ。どれだけ改造を施そうとも、三号戦車が元では対戦車戦闘には不十分なのだ………。戦車第七大隊はM4中戦車の攻撃を受けて後退を余儀なくされる。揺らいでいた勝機はもはや合衆国がガッチリ抑えていた。奪い返すことは不可能に近いだろう。
「クソッ、南、信号弾だ! 『赤』を撃て!!」
 M4中戦車が第二陣として登場した時点で結城 光洋は陣地防衛を諦めていた。陣地防衛を中止し、後退を意味する赤色の信号弾がたちまち打ち上げられる。
「南、俺たちは撤退の準備をするぞ!」
 一方、信号弾が放つ赤い光に顔を照らされながら、溝口は眉間にしわを寄せていた。
「この戦車では………奴らには勝てない」
 それは事実であり、信じられない事実だった。溝口が日本国内で運用していた戦車。それは三号戦車にまったく及ばない、稚拙な性能しか持たなかった。だからカナダに渡ってきた溝口が一番驚いたのはドイツ製戦車の「高性能」だったのだが………。溝口は自分が井戸の中の蛙だと痛感させられていた。
「煙幕を展開、歩兵部隊の後退を援護するぞ」
 溝口は己の未熟を悔やみながらそう言った。だが、彼の眼はまだ生き生きとしている。この屈辱を必ずや果たさん。この思いがある限り、溝口の戦意に衰えはなかった。



 後退を開始した歩兵第六八〇大隊をみすみす逃がすほど合衆国陸軍はお人よしではない。撤退戦というのは指揮官の本質が問われる戦なのだ………。
 光洋はみぞおち辺りが重くなるのを自覚した。だが、やるしかない。撤退を成功させることは、この陣地の指揮官として君臨してきた者の責任なのだから。
「この声が聞こえているか? 俺だ、結城 光洋少佐だ!」
 光洋は陣地全域のあちこちに設置されているスピーカーを使って撤退命令を周知させる。無論、それは合衆国陸軍にも聞かれてしまったが、日本語が連中に理解できているとは思えない。何せ世界地図で見れば極東の僻地の言語なのだ。そんなマニアックな言語を習得している者は少ないはず………。
「南、『幕』の準備は?」
「できています。ですが、戦車の存在がやっかいですね」
「戦車については『支援』でどうにかする! その要請はさっきした!」
 光洋はそう言いながら拳銃の銃口を一方へ向ける。そして引き金を三回絞る。
 タン、タン、タン!
 光洋が放った銃弾はすべて命中し、合衆国陸軍の一等兵が額と胸と腕を撃ち抜かれて崩れ落ちる。今や陣地最奥の司令部すら戦場となっていた。
 この陣地にはカナダ上陸以来、歩兵第六八〇大隊がずっと配置されていた。愛着がわいた訳ではないが、しかし陣地放棄に思うところがないわけではない。
 光洋が依頼した「支援」。後方の師団司令部直轄の砲兵部隊が展開した砲兵弾幕が陣地に降り注ぐ。陣地の中に砲弾が落ちてこない限り歩兵に危険は及ばないが、しかし陣地攻略の支援を行っていたM4中戦車は砲兵弾幕に邪魔されて後退を余儀なくされた。戦車の支援を受けられなくなった合衆国陸軍歩兵部隊の侵攻がわずかであるが鈍る。光洋はそれを好機として全軍の撤退を命令し、トドメとばかりに陣地の弾薬庫を爆破させた。
 何せ迫撃砲陣地から対戦車砲、さらには和製バズーカまで備えていた陣地の弾薬庫である。それが人為的に爆破された場合の破壊力は圧倒的であった。迷路のような塹壕をしらみつぶしに制圧しようとしていた合衆国陸軍の歩兵は、爆破によって生じた火炎流に飲み込まれる。絶叫を上げる間もなく炎に包まれたショックで死んだ者は不運だったが、しかし幸運でもあった。悲鳴を上げるために口を開けたために喉を焼き尽くされて苦しみもだえる者や火達磨になった者、崩れ落ちた塹壕に生き埋めにされた者など阿鼻叫喚の地獄絵図がそこでは繰り広げられていたからだ。
 結城 光洋少佐が率いる歩兵第六八〇大隊は兵力の過半を生かしたまま、バンクーバーへの後退を成功させた。後退の際の手際は見事というしかなかったが、それが慰めになることはなかった。
 なぜならば歩兵第六八〇大隊の陣地が攻略されたということは、合衆国がバンクーバー制圧に王手をかけたということなのだから。
 戦火は、ついにバンクーバーまで覆いつくそうとしていた。


次回予告

 ついにバンクーバーに迫る合衆国軍。
 オルレアン同盟軍の実験を握る滝沢 紳司は徹底抗戦を命じる。
 一方で、バンクーバー攻略の指揮を執るパットンが攻撃開始を命令する………!

次回、戦争War時代Age
第一四章「市街戦」


最悪の事態は空から迫る


第一二章「カナダの戦い<3>」

第一四章「市街戦」

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