飛行機とは翼で風を受け、揚力を発生させて飛ぶ。
 その揚力を生み出すための推力を、当時の飛行機はプロペラをエンジンによって回転させることで作り出していた。プロペラと翼は飛行機にとって最大の特徴 といってよく、どれほど絵が下手な者でもこの二点さえ表現できれば飛行機を描いているのだと他人にわからせることができた。
 だが、その常識はこの日、もろくも崩れ去ろうとしていた。
 一九三九年八月二七日。とても日差しの強い、夏の日のことだった。
 飛行場をフライパスする一機の飛行機。その飛行機には翼こそあったが、先述の飛行機にとって最大の特徴であるプロペラが存在しなかった。代わりにその飛行機は炎の尾を引いて飛んでいた。
「やったな、ハンス君」
 五〇歳前後の男がまだ若い学者風の青年に向かって口を開いた。
「ありがとうございます、社長!」
 男も青年も、歓喜で体や声を震わせている。
 男の名はエルンスト・ハインケル。ドイツの航空機メーカーであるハインケル社の社長を務めている。
 傍らの青年はハンス・フォン・オーハイン。若干二八歳ながら、天賦の才を誇るハインケル社自慢の技術屋だ。
 二人は苦労が報われた者のみが見せる、嬉しさと優しさに満ちた眼を空へ向けた。いや、正確には空を斬り裂くように飛行を続ける飛行機にだ。
 ハインケル He178。世界初のジェット飛行機。オーハインが設計したジェットエンジンに、ハインケルが出資して作り上げた世界を変える翼。
 ハインケルも、オーハインも、二人ともHe178が戦闘機として量産され、ドイツの空を覆いつくす光景を想像し、その光景が確実なものだと信じていた。
 しかし、そのHe178のコクピットで操縦桿を握るエーリッヒ・ワルシッツの意見は異なっていた。
「………遅すぎる」
 ワルシッツはテストパイロットとして様々な最新鋭機の操縦桿を握っている。それらと比べてHe178の性能はあまりに平凡すぎた。いくらジェット機の開 発が革命的技術であったとしても、いや、だからこそ平凡な性能では困る。はっきり言ってジェット機の信頼性はプロペラ機に比べて低すぎる。新しい技術は信 頼性が低いのが常なのだ。にも関わらず、信頼がおける既存の技術とどっこいの性能というのは………。
「技術屋の自己満足に国が乗るわけがないんだぞ」
 下で歓喜を爆発させている二人はそれがわかっているのだろうか?
 ………わかるまい。ハインケルは経営者というより技術屋なのだ。オーハインにいたっては何をかいわんやだ。ワルシッツはそう遠くないうちに、あの二人に残念なお知らせ・・・・・・・が届くだろうことを知っていた。
 ワルシッツは無線のスイッチをONにすると、飛行場へ着陸することを告げた。
 いいさ、短い間であったとしても、夢を見させておいてやるべきだろう。彼らが作り上げたHe178が画期的であることは確かなのだから。
 ワルシッツはハインケルとオーハインを気遣い、He178の操縦性が想像以上に素直であったことを褒めるコメントを残した。最高速度や運動性が平凡か、水準以下なものであることについては何も語らなかった。
 それはワルシッツなりの優しさだったのだが………ワルシッツは完全に間違えていた。ワルシッツはこの二人がHe178に傾けていた情熱を推し量り損ねていた。



 エルンスト・ハインケルの許にHe178不採用の通知が届いた時、ハインケルの怒りはすさまじいというレベルを超えていた。もしも怒りを計るメーターがハインケルについていたなら、そのメーターは振り切れるどころか何十回転としていたことだろう。
 ハインケルはハインケル社の社長室にある机に拳を何度も叩きつけ、机の上の物をすべて払い落とし、そして壁に椅子を投げつけた。ドイツ職人が腕によりを かけて作った木の椅子が壁にぶつかってバラバラになる。その衝撃で壁の上部にかけていたドイツの山並みを描いた風景画が床に落ちる。
「何故だ………何故、総統は私を理解してくださらぬ………!!」
 ハインケルは眼を血走らせながら叫ぶ。その声は上記の内容を発しているはずなのだが、怒りのあまりに言葉になっていなかった。まるで野獣が遠吠えするかのような、人間離れした怒声をハインケルは発していた。
 ハインケルの自信作が不採用になったのは今回が初めてというわけではない。以前、ハインケル社が送り出した戦闘機He100の時もそうだった。あの時はライバルのメッサーシュミット社が作り出したBf109に負けた。
 ドイツ空軍は見る目がない、節穴の軍隊だ………!
 一度ならず二度も自信作を否定されたハインケルは打ちのめされていた。もうこの世のすべてが自分を否定しているのだとすら思えていた。
「あの、社長………」
 そんなハインケルに恐る恐る声をかける社員。ハインケルは人を殺せるほどの眼光を社員に向けた。
「ヒッ!?」
「何だ………?」
「あ、あの、お客様がお見えで………」
「………今は、一人にしてほしい。申し訳ないが、帰ってもらってくれ………」
 ハインケルは力なく床にひざをついた。社員がかけるべき言葉に迷っていた時、不意に声が響いた。
『反骨精神がウリのハインケル博士とは思えぬほどの落胆っぷりだな』
 その言葉はドイツ語ではなかった。ハインケルはそれが英語であることを悟った。それもアメリカ合衆国で使われる英語だ。いまや同盟国であるイギリスで使われるキングス・イングリッシュではない。
 アメリカといえば敵国候補じゃないか。このドイツに一体何をしに………?
「アメリカ人………? 客というのは貴方か?」
「ヤボール」
 ハインケルに声をかけたアメリカ人はドイツ語で答えた。どうやらドイツ語も堪能なようだ。ハインケルはかまわずドイツ語で続ける。
「案内を待たずに社長室に来るとは………アメリカ人は礼儀がなってないな」
「確かに、無礼だな。しかし理解ならある」
「何………?」
 アメリカ人はハインケルに手を差し伸べて言った。
「我々は、あなた方が作られたジェット機、He178を正しく評価している」
 アメリカ人はハインケルの手を取り、立ち上がらせてから名刺を取り出してハインケルに手渡した。
「私はアルヴァル・ソルサ。アメリカ合衆国の国務長官を務める者だといえばわかるか?」
「国務長官だと!?」
「単刀直入に言おう。ハインケル、我々はあなたが欲しい。貴社の持つ技術力を理解なき祖国のためでなく、理解ある他国で役立ててみないか?」
「……………」
 ハインケルは言葉もなく、受け取った名刺とソルサの顔を見比べるばかりだ。ソルサはあえて何も言わず、「よい返答を期待している」とだけ告げると、来た時と同様に前触れなく姿を消した。
 それから二ヵ月後。ハインケル社はアメリカ合衆国のグラマン社に吸収合併され、ドイツ政府が引き止めるのを聞かず、ハインケル社の一同は新大陸へと渡っていった。
 グラマン・ハインケル社(通称はグラマン社のまま)の誕生から半年後。ニューファンドランド沖海戦が勃発し、第二次世界大戦が始まった。グラマン・ハインケル社は戦争の全期間を通じて合衆国海軍の艦上戦闘機を作り続けることとなる………。

戦争War時代Age
第一二章「カナダの戦い<3>」


 一九四二年になってもカナダ戦線の状況に変化は訪れなかった。
 と、いうよりは合衆国陸軍は一九四一年春の攻勢に失敗した時点で活動を停止。以降は中隊規模の小競り合いが発生したくらいで、大規模な部隊運用を一度も行わなかった。
 しかしそれは地上に限ってのこと。空の上では連日死闘が行われていた。
 開戦初日からオルレアン同盟カナダ方面軍司令部が置かれているモントリオールは合衆国陸軍が誇る重爆撃機B17 フライング・フォートレスの空襲を受け ていた。しかし開戦初頭の時期は合衆国領からモントリオールまでB17の護衛が可能な戦闘機がなく、B17単独でモントリオール空襲を行わなければならな かった。モントリオール防空の任にあたっていた王室空軍はスピットファイアのみで編成された最精鋭部隊であったが、肝心のスピットファイアが七.七ミリ機 銃しか武装していない初期型のMkTであったため、「空の要塞」を自称するB17の撃墜は滅多に発生しなかった(もっともB17は出撃の度に穴だらけにさ れ、一度出撃すれば即廃棄せざるをえないという有様であったが)。
 そこで同盟軍は二〇ミリ機関砲を装備するBf109で編成されたドイツ空軍にモントリオールの防空を任せることとした。なお、スピットファイアは代わり に最前線でP40 ウォーホークやP39 エアラコブラと対戦闘機戦闘に駆り出されている。この配置転換は大当たりで、Bf109の二〇ミリ機関砲で B17は相次いで撃墜。前線でもスピットファイアの、まるで辺りを覆いつくすかのような七.七ミリ機銃弾のシャワーで合衆国戦闘機乗りを数多く死傷させ た。
 この配置転換以降、モントリオール空襲の頻度が激減し、モントリオールを補給拠点として同盟軍は戦力を維持していた。合衆国陸軍の地上部隊がおとなしかったのもこのためだ。
 だが、その優位も一九四一年末には崩れ去った。
 合衆国陸軍航空隊はP38 ライトニングと呼ばれる新型双発長距離戦闘機を実用化し、稲妻P38に モントリオールを空襲する要塞の護衛を行わせたのだ。P38は二つのエンジンを持ち、最高速度に優れた一撃離脱を得意とする重戦闘機だ。モントリオールの 空を守るBf109もP38と同タイプの重戦闘機であり、そしてBf109はP38よりも遅かった。Bf109の迎撃はP38によって阻まれ、B17はモ ントリオールに数多くの爆弾を降り注いだ。
 モントリオールの補給能力低下は日に日に顕著になっていく………。一九四二年は大規模攻勢が確実に再開されるであろう。
 一九四一年までの常識で、一九四二年の戦況を推し量ることはできない。それがオルレアン同盟軍の共通認識となっていた。



 一九四二年二月三日。
 カナダにとって太平洋側で最大の都市バンクーバー。
 そのバンクーバーを守るのは帝国陸軍第二五軍と王室陸軍第三軍団の総計一二万一〇〇〇名の大部隊だ。
 結城 光洋少佐率いる歩兵第六八〇大隊はバンクーバーとアメリカ合衆国ワシントン州との境に警戒陣地を敷き、合衆国陸軍の攻勢に備えていた。
「鬼はそぉ〜と!」
 結城 光洋がよく通るテノールの声で豆を放り投げる。そう、二月三日は節分だ。結城は炒った豆を陣地の各所で撒き歩いていた。戦争という非常時を、日本 から遠く離れたカナダで過ごしている歩兵第六八〇大隊の面々は、日本の風習に故郷を懐かしみながら大隊長と共に豆を撒き、今年も一年健康に過ごせるように と八百万の神に願っていた。
 そんな中、カナダの寒空にけたたましくこだまするエンジン音。アメリカ合衆国陸軍のP38だ。本来は戦闘機のP38だが、ある程度の爆弾も搭載できることから近接航空支援機としても使われている。
「みんな、伏せてろよ!」
 結城の声をかきけすように落ちてくる爆弾。それは歩兵第六八〇大隊の陣地の近くに落ちたが、誰も殺さず、負傷させることもなかった。損害といえば結城たちが撒こうとしていた豆に土砂を被せたくらいだろう。
「畜生、風流のない奴らめ! ワビサビってものを覚えやがれ!!」
 P38がフライパスしたのを確認してから結城が空に向かって毒づく。
「大隊長殿、伏せて!」
 歩兵第六八〇大隊の副官を務める南 燃大尉が結城の肩を引っ張って倒れさせる。結城がつい先ほどまで立っていた場所にキャリバー50と呼ばれる一二.七ミリ機銃弾が何発も突き刺さる。先ほどフライパスしていったP38とはまた別のP38が機銃掃射を行ったのだ。
「み、南、感謝………」
「大隊長殿、もう少し慎重に行動してください」
 南は苦笑いを浮かべて言った。南の言葉をさえぎるかのように、歩兵第六八〇大隊が布陣する警戒陣地に配備されている対空砲が発砲を開始した。奇襲を許し てしまった手落ちからか、対空砲の砲火はどこか焦りを滲ませていた。しかし高射砲の弾幕は高速で飛行するP38を捉えられない。
「あの野郎、よくもやってくれたな!」
 結城が近くに置いてあった九九式小銃を手にとって、機銃掃射を行ったP38に狙いを定めて放つ。三八式歩兵銃に比べて大きな銃声が轟き、九二式重機関銃でも使われる七.七ミリ小銃弾が発射される。
 九九式小銃の初期型には対空照尺がついていたが、結城はもちろん歩兵第六八〇大隊の誰もが小銃で航空機を撃墜することも、命中弾が出せるとすら思っていない。結城が空に向かって発砲したのは一種の気まぐれだ。
 しかし大方の予想に反してP38の主翼から黒い煙が立ち昇り始めたかと思うと、急激に失速して高度を下げる。いや、これはもはや墜落していると言ってよかった。
「え? ええ!?」
 撃った本人ですら信じられないのだから、周囲の驚きはもっとすごかった。「大隊長殿、すげー!」とあどけなさの残る少年兵が手を叩いてはやしたてる。その少年兵の被る鉄帽にゆっくりと拳固を見舞ったのは南だった。南は空を指差して言った。
「バカ、落ち着いてあれを見ろ!」
 南が指差す先には濃緑の翼で風を斬り裂くジェラルミンの猛禽の姿があった。主翼と胴体にはほこらしげに赤の円が描かれている。
「ああ、戦闘機だ!」
「ありゃ、海軍サンのゼロ戦だ!!」
「おい、高射砲! 射撃やめ、射撃やめーッ!!」
 帝国海軍の主力戦闘機である零式艦上戦闘機、通称ゼロ戦がP38を撃墜したのであった。最高速度こそ速いが、旋回時の動きは鈍重なP38に対してゼロ戦はひらりひらりと空を舞う。翼端からこぼれる飛行機雲は、P38ににじりよる蛇を思わせる。
 ダッ
 機銃の発射音としては異様なまでに短いスタッカート。おそらく三〇発も発射されていないだろう。しかしP38は大空でバラバラに砕け散る。対重爆用といわれている二〇ミリ機関砲が命中したのだろう。
「おおー」
 歩兵第六八〇大隊の誰もがゼロ戦の神業に魅入っていた。



「こちらサカ。ベルンの竜騎士を二騎、倒した。他は? 近くにいるか?」
 一方で、歩兵第六八〇大隊を襲っていたP38を瞬く間に撃墜した男はゼロ戦のコクピットで一人呟いた。一人乗り戦闘機であるゼロ戦で、彼の呟きに応えるものは常識的に考えているはずがないのだが………ところがどっこい、いるのである。
『こちらロルカ。竜は駆逐された。ゲルに戻れ』
 ゼロ戦の操縦桿を握る男の名は坂井 三郎。後に「大空のサムライ」として世界中で有名となる撃墜王だ。
 サムライはゼロ戦の無線のスイッチを切ってから、大きくため息をついた。
 オルレアン同盟に加盟したことで日本の無線技術は格段に向上した。ゼロ戦の無線で基地と交信できているのが何よりの恩恵だ。基地の航空管制を受けて戦う というのは、圧倒的な有利を意味している。航空管制による状況把握と、坂井の並外れた腕前。この二つが組み合わされば、どんな敵でも恐ろしくない。坂井は そう思っている。
 しかし、この符丁はどうにかならんのか?
 先ほどの交信でいうならば、サカというのが坂井を意味する。ベルンはアメリカで、竜騎士は戦闘機………。何じゃ、この厨房………もとい中坊、中学生のセ ンスは。坂井は当時二六歳。分別のある大人なのだ。大人の目から見ると、この符丁のセンスは背中がむずがゆくなってしまう。同じ二〇四飛行隊に所属してい る大田 敏夫一飛曹はこの手のセンスを好んでいる節があるが、アレだけはわからん。
「アメ公に傍受されちゃいかんというのはわかるが………もう少し何とかならんかねぇ」
 大空ではサムライだが、根っこは常識人である坂井 三郎はもう一度だけため息を吐くと、翼を翻して基地へ戻ることにした。



 アメリカ合衆国とオルレアン同盟軍には一つの共通事項があった。
 それは互いに様々な人種がいることである。肌の色だけでなく、民族的にも様々な種類がある。
 しかし合衆国軍と同盟軍で決定的に異なる点がある。
 合衆国は一つの国であるのに対し、オルレアン同盟はイギリス、ドイツ、フランス、イタリア、日本と多数の国家が集まった多国籍軍であることだ。
 国家は今のところ、最大規模の意思決定機関といっていいだろう。オルレアン同盟は多国籍軍であるが故に、各国の思惑が深く絡んでしまうという欠点があった………。
 フランス陸軍がカナダに派遣した第四機甲師団の幕僚を務めるシャルル・ド・ゴール大佐は佐官でありながら「大将軍」と呼ばれている。それは彼の立派な体 格と、尊大な態度に起因している。主に陰口の類で使われる「大将軍」のあだ名だが、当のド・ゴール自身は気に入っており自らそう名乗ることもある。
 ………要は自尊心過剰なのだろうな。
 大日本帝国からカナダに派遣されている滝沢 紳司中佐(一九四一年末で中佐に昇進)は内心でド・ゴールを値踏みする。
 滝沢の目から見てド・ゴールの自尊心は過剰であった。ド・ゴールは 自分が思っているほど素晴らしい人物ではない。彼は自分を「ナポレオンの再来」であると信じているようだ。滝沢はナポレオンを詳しくは知らない。しかしナ ポレオンの名前は知っている。ド・ゴールが後世の誰もが知る軍人になれるかといえば………「ノン」であろう。せいぜい尊大な自尊心で自分を大きく見せ、大 衆を煽動する政治家程度しか務まらないだろう。
 そんなことはおくびにも出さず、滝沢はド・ゴールに書類を手渡した。
「これが先日の会議で定まったことです」
「ふむ………バンクーバーの放棄か」
 ド・ゴールは滝沢から受け取った書類に目を通し、その概要を一言で表した。
「はい。元々、バンクーバーの価値が輝くのは太平洋の制海権を奪取し、太平洋からの輸送ルートが確立した場合のみとされていますからね」
 一九四一年春の真珠湾攻撃でハワイが使用不能になったため、日本は第二五軍をバンクーバーに上陸させた。しかしあれはあくまで一時的な、一度きりの奇計である。現に真珠湾は港湾機能を取り戻し、先のトラック沖海戦の敗北を経ても太平洋は合衆国海軍の物だった。
「戦わずしてバンクーバーのような大都市を明け渡すとは………信じがたい」
 ド・ゴールは高い鼻を振り回すかのように首を横に振った。そして苦虫を噛み潰した表情で続ける。
「まぁ、イギリスやドイツの発言が取り上げられるモントリオールの現状ではそれもやむなしなのだろうな。イギリスの海軍はともかく陸軍は二流、ドイツは先の大戦で我がフランスに敗北した敗戦国! どちらも我が栄光ある大陸軍グランダルメには決して及ばぬ!!」
「その通りです。我が帝国陸軍も、元はといえばフランスの大陸軍を参考に作られております。フランスこそが陸の王者なのです」
 滝沢の追従にド・ゴールは高い鼻をさらに伸ばす。
「そうだ、その通りだ。だのに忌々しいペタン元帥め、イギリスとドイツのケツを舐めることしかしない………」
「今、このカナダに必要なのはバンクーバー放棄の決定ではありませんよね」
「うむ! タキザワ中佐、君の言うとおりだ! 今、このカナダに必要なのは、『ナポレオンの再来』たるこの我、シャルル・ド・ゴールなのだ!!」
 ド・ゴールが唾を飛ばしながら熱弁を振るう。熱弁に油を引き、一定の方向へと誘導させているのは滝沢だが………ド・ゴールは頬を紅潮させるばかりでそれに気づかなかった。滝沢は内心の笑いが抑えきれず、つい口元を緩めてしまう。
「ん? どうしたのだ、タキザワ中佐?」
「いえ、ド・ゴール『大将軍』のご協力が得られるならば同盟軍は百人力………否、百万力だと思ったのです」
「なるほど。心強さに安堵したわけだな。任せたまえ、タキザワ中佐。私が合衆国陸軍など蹴散らしてやるわ!」
 滝沢は吹き出しそうになる自分の口を、精神力で必死に抑えて話題を変えた。
「では『大将軍』、我々の計画ですが………」



 一九四二年二月五日。
 モントリオール郊外に設けられた飛行場。戦闘機だけでなくランカスターのような重爆撃機すら運用可能な、カナダでも有数の規模を誇る大飛行場だ。
 その大飛行場に一機のランカスター改造の輸送機が発進体勢を整えていた。
 輸送機に乗り込んでいるのは英軍のバーナード・モントゴメリー大将、独軍のエーリッヒ・フォン・マンシュタイン大将がすでに乗り込んでいる。
 大日本帝国から派遣されている結城 繁治中将もこの輸送機に乗り込む予定だ。
 輸送機の行き先はカナダの首都オワタ………もといオタワ。バンクーバー放棄についてカナダ政府と話し合うため、オルレアン同盟軍の首脳部が移動するのだ。
「最近、ド・ゴール大佐とよくつるんでいるそうだな?」
 輸送機に乗り込むまさに寸前、結城は不意に滝沢にそう尋ねた。滝沢は眉一つ動かさずに嘘をついた。
「はて………何のことでしょう?」
「とぼけるな。………満足だろ?」
 結城は滝沢の目を見据えながら続けた。
「その若さで陸軍中佐に昇進。同盟軍総司令部の参謀の一人として戦局を見極める立場。………それで足りないというか?」
「………少なくとも、そこで終わるつもりはありません」
 滝沢は野心を、権力への渇望を隠そうともしなかった。結城はため息を吐く。
「そのためには権力闘争に身を投じることとなる。魑魅魍魎が蠢く、恐るべき戦いだぞ、それは」
「なるほど。権力闘争に勝ち抜いてきた結城中将のお言葉は、さすがに説得力がありますね」
「……………」
 結城は滝沢の敬礼を背中で受け、エンジンの高鳴りが激しさを増す輸送機に乗り込んだ。
「ユウキ中将、タキザワと何を話したのかね?」
 マンシュタインが最後に輸送機に乗り込んだ結城に尋ねた。結城はそれには応えず、座席に腰掛けると一人ごちた。
「………だがな、権力闘争の勝者はあらかじめ定められているのだ。残酷だがね」
 結城 繁治の日本語の呟きはイギリス人とドイツ人には理解できなかった。
 エンジンの唸りは最高潮を向かえ、改造ランカスターはオタワを目指して飛翔を開始した。
 だが、このランカスターはオタワに到着しなかった。
 途中、P38と遭遇したランカスターは撃墜されたからだ。大慌てで改造ランカスター墜落の現場に向かった救助隊が見た物は、ランカスターの残骸と辺りに漂う死臭だけだったという。
 この瞬間、バンクーバーの命運が定まった。バンクーバー放棄の方針は、モントゴメリーらの後を受けた新総司令部の意向で覆されたのだ。
 カナダ戦線に一石を投じるバンクーバー決戦は、こうして幕を開くのだった………。


次回予告

 野心に燃える青年は、自らの野望を成就させるために戦う。
 戦火は街を焼き尽くし、自らをも焼いてしまうのか。

次回、戦争War時代Age
第一三章「炎の定め」


お前の今日は、明日につながっているか?


戦争時代―War Age― 第一一章「今にも落ちてきそうな空の下で」

第一三章「炎の定め」

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