長崎県佐世保市は江戸時代までは地方の一漁村にすぎなかった。
 それが帝国海軍の根拠地の一つとして機能するようになったのは明治時代における海軍建軍以降のことである。
 現在、佐世保では世界最大最強の戦艦である大和型の二番艦を急ピッチで建造中で、佐世保軍港は防諜のために厳重な警戒態勢が敷かれていた。
 その佐世保の軍港に、八隻の駆逐艦を連れた二隻の航空母艦が入港した。
 エンクローズドバウと呼ばれる艦首と飛行甲板の間が密閉された形状をした二隻の航空母艦は、赤城や瑞鶴といった帝国海軍が保有する既存の空母と比べれば異様であった。
 一九四一年八月二日。この日、二隻の空母が帝国海軍に編入された。二隻の空母の名は「剛龍」と「捷龍」という。

戦争War時代Age
第一〇章「地獄艦隊」

 一九四一年八月四日午後一一時三分。
 アメリカ合衆国首都ワシントン。
 ………部屋にこだまするのは机を人差し指で突付く音だった。
 アメリカ合衆国大統領イーニアス・ガーディナーはホワイトハウス国家安全保障会議室の机を突付きながら口を開けた。
「停滞しているね」
 大統領の言葉に身を強張らせたのはヘンリー・スティムソン陸軍長官であった。
「開戦から半年以上も経ちながら、戦線は膠着状態にある。一年以内にカナダを制圧し、大西洋と太平洋の両面で攻勢に出たかったんだがなぁ………」
「それは………まことに申し訳ありません、大統領」
 スティムソンはハンカチで額の汗を拭いながら立ち上がった。大統領は続きを促す。
「ですが、同盟軍の戦力は確実に減少しています。対する我が方の戦力は膨れ上がっています。カナダの制圧は、時間の問題であり………」
「今日できることが、明日もできると思っていやしないだろうね、スティムソン長官?」
「え………?」
「時間は無限じゃないってことだ」
 ガーディナーは傍らの国務長官アルヴァル・ソルサに視線を送る。ソルサはすぐさま会議の参加者全員に新聞を配布した。新聞の日付は八月五日、つまり明日の朝刊ということだ。
「これは明日発売されるワシントンポストだが、彼らの調査によるとこの戦争に対する支持率が下降の傾向にあるそうだ。理由は言えるよね、スティムソン長官?」
「………戦果が、見えないから、ですか」
「その通り。陸軍の努力は私だって認めている。だが、目に見える結果が出ない努力というのは評価されない物なんだよ」
「はっ………」
 スティムソンのハンカチは汗で重くなる。しぼれば汗が滴り落ちるのではないだろうか。
「と、いうわけで我々は戦果を欲している。この戦争に勝っているのだと確信できる、大いなる前進の証が欲しい」
 そこでガーディナーは視線をスティムソンの対岸に移した。そこに腰を降ろす男は海軍長官のウィリアム・フランクリン・ノックスだ。
「ノックス長官、海軍のスケジュールを前倒しにできるかな?」
「わかりました。キング作戦部長に伝えておきましょう」
 ガーディナーはノックスの返事に満足気に頷いた。海軍作戦部長のアーネスト・キング大将は気難しい男として有名だが、彼の優秀さは気難しさよりさらに高名だ。ガーディナーは海軍の作戦を彼に一任することにしていた。
「作戦の詳細は海軍に一任する。………期待しているよ」
 ガーディナーは口元を緩ませて言った。柔らかな口調と表情だったが、眼だけは確固たる決意の光を放っていた。ありとあらゆる犠牲を厭わず、目的にのみまい進しようとする光であった。



 一方、その頃。
 大日本帝国統合作戦本部は組織の再編に追われていた。
 先の中部太平洋海戦によって帝国海軍の勢力図に変化が起こり、その変化を反映させるための組織再編が行われたからだ。
 連合艦隊司令長官は山本 五十六から古賀 峯一が務めることになり、航空派一本ではなく、通信、砲術、水雷、潜水、航空………すべての兵科が力をあわせて共同作戦を執ることを目標とされるようになった。
「それは達成されていて当たり前のことで、目標とするのは恥ずかしいことだがね」
 統合作戦本部長である遠田 邦彦大将はそう言ったが、それでも以前よりは戦いやすい組織になったことは間違いないといえる。
 だが、この悪しき世の中において万人が幸せになる組織再編というのはない。この組織再編で貧乏くじを引いた者だって確かに存在するのだ。
 南雲 忠一中将の後任として第一航空艦隊を任されることになった小沢 治三郎中将も貧乏くじを引いた一人だ。
 小沢 治三郎は帝国海軍の空母機動部隊戦術の基礎を作り上げた男である。一艦隊に一隻という分散配置が常識とされていた時代にあって、彼は空母の集中運用を提唱。その案が帝国海軍機動部隊のテーゼとして受け入れられているのだ。
 能力的には第一航空艦隊を任されて然るべき人材であったが、まだ若く、年功序列の面から不適当とされて第一航空艦隊は空母機動部隊戦術をまったく知らない南雲 忠一の下で運用されていたのだった。
 だが、海軍の伝統である年功序列は中部太平洋海戦での敗北で払拭された。統合作戦本部が海戦後に規定した戦時特別人事は年功序列の破壊が明記されていたのだった。(ただしこれはあくまで「戦時特例」であり、平時では年功序列やむなし、という一種の妥協が示されている)
 そんな小沢が、貧乏くじだと嘆くのには訳がある。第一航空艦隊の幕僚が問題だったのだ。
 第一航空艦隊の参謀長は草鹿 龍之介少将から大西 瀧治郎少将に変更となったが、それはいい。問題は航空参謀として残留する事になったあの男のことだ。
「長官、大変です!」
 二〇代にさしかかったばかりの若い兵が慌てて小沢の許へ駆けてくる。小沢は「またか………」と言いたげな、渋い表情で尋ねた。
「一体、どうしたというのだ?」
「航空参謀が、航空参謀が!」
 小沢の予想は当ったが、しかしそれを喜ぶ気にはなれない。当たり前だ。自分が預かるようになった艦隊で不協和音がかき鳴らされるのは不愉快で当然なのだから。



 市井の者の中には軍人にある種の幻想を抱いている者がいる。
 軍人は、皆が清廉潔白であり、銃後の民間人を護るために命を懸けている。そう言った考えが幻想であるというのは酷な言い方かもしれない。それをまっすぐ守り通そうとする者だって存在するのだから。
 しかし全員がそうであるかという視点で見れば、やはり幻想と言わざるをえないだろう。
 そう、第一航空艦隊旗艦である空母瑞鶴の格納庫の隅で、一人の男にリンチを加えている三人の男たちを見ていると………軍人の身の潔白を信じる気にはなれなかった。
 一等兵曹のつま先が中佐の腹部に食い込む。苦悶の表情を浮かべる暇すら与えられず、中佐の顔面に上等水兵の拳が叩きつけられる。倒れこんだ中佐の背中を容赦なく踏みつける上等兵曹………。
 それにしても異様な光景であった。リンチを受けている方が、リンチをする側より階級が上なのだ。軍隊という閉鎖された組織において、逆のパターンは(残念ながら)往々に見聞する。しかしこの光景は………異様の一言だった。
 リンチを受ける中佐は第一航空艦隊の航空参謀、源田 実であった。
 かつては帝国海軍の航空派と呼ばれる一派の急先鋒として活躍していた男だ。中部太平洋海戦の際には第一航空艦隊司令長官である南雲 忠一を差し置いて作 戦の立案から実行まで関わり、「南雲艦隊ならぬ源田艦隊」と自ら称していたのだが………海軍航空派の時代は中部太平洋海戦での失敗で終わりが告げられた。
 源田 実は第一航空艦隊航空参謀に留任することが決定されていたが、かつてのような尊敬が得られるはずがなく、それどころか源田艦隊時代に虐げられていた他種兵科の兵たちからの復讐を受けることになっていた。今のリンチもその復讐の一幕だ。
 リンチが空母の格納庫で行われているにも関わらず、瑞鶴の航空機搭乗員たちはそれを止めようとしなかった。源田の傲慢は同じ航空屋からも反感をかってお り、陰では「G参謀」などと呼ばれていた。別段、リンチに加わろうとも思わないが、止めようとはもっと思わない。それが瑞鶴の航空機搭乗員の出した結論で あった。
 今や源田 実は第一航空艦隊の不協和音であり、誰も味方する者がいなかった。だからこそ今日も源田は部下のリンチを受けるのであった。
 ………ツン。
「てめぇ、何が航空機の時代だ! 俺たちの対空砲がなければ瑞鶴だって危なかったんだぞ! だのに俺たちの訓練予算まで分捕りやがって!!」
 上等兵曹の踏みつけが繰り返される。一発、二発、三発………。その度に源田の体が陸で跳ねる魚のように震える。
 ………カツン。
「そうだ! 俺なんかコイツの気分が悪いからって殴られたんだぞ!!」
 上等水兵も源田を踏みつけるのに加わる。
 源田は自分の感覚が遠くなっていくのを自覚していた。ああ、今の俺はどん底の闇の中だ………。光は、何処へ?
 カツン。
 軍靴の踵が瑞鶴の床を踏みしめる音が聞こえる。リンチに夢中になるあまり、周囲を警戒していなかった三人は足音の方へ、滑稽なほど素早く振り向いた。
 足音の主は闇をまとっていた。そう評してしまうほどに男がまとうロングコートは黒かった。いや、ロングコートだけではない。雰囲気は見えないのが当然で あるが、しかし男のまとう雰囲気はドス黒く淀んでいるのがわかった。何があるのか、じっと俯いたまま男は源田たちの元へゆっくりと歩いてきた。
「な、何だよ、お前………?」
 不気味な男の乱入に震える声が抑えられない。だが上等兵曹の声を受けても男は顔を上げない。
「き、気味が悪いな、ははは………」
 内心の動揺を隠すために笑い声をあげる一等兵曹。その歪んだ笑い声が男の琴線に触れる。男が顔をガッと上げる。そこから読み取れるのは純然たる怒りであった。
「おい………。今、誰か俺のことを笑ったか?」
「へ? ………!?」
 男は上等水兵の首を掴んだ。そして万力のような力で一片のためらいもなく締め上げる。上等水兵は悟った。コイツは本気で俺を絞め殺すつもりだ!
「た、たすけ………」
 喉が絞め潰される前に、悲鳴に近い声で助けを求める上等水兵。呆気に取られていた一等兵曹が、動きを取り戻す。
「野郎、何しやがる!」
 一等兵曹が男の手をほどこうと手を伸ばす。だが男の手に触れるよりも早く、男の脚が一等兵曹を蹴り飛ばしていた。
「お前、砲術屋か?」
 男はゆっくりと視線を上等兵曹へ向ける。上等水兵に対する怒りは失ったのか、首を絞め上げていた手はあっさりと離された。しかし上等水兵の首には手形のネックレスが残っていた。
「え? そ、そうだが………」
「お前はいいよなァ………どうせ、俺なんか………!」
 男の肩が震える。男の内心で怒りの感情が煮えたぎっているのがよくわかる。ロングコートをまとい、沸騰した怒りで暴走する人間蒸気機関は上等兵曹の顎をハイキックで砕いた。
「おい、お前ら!」
 ようやく姿を現した小沢 治三郎が源田へのリンチをやめさせるために怒声を上げる。
「そこで何をして………本当に、何をしている!?」
 だが予想していた物と違う光景に、小沢の怒声は不発となってしまった。瑞鶴の格納庫で倒れる四人の男。一人は源田 実で、三人は源田をリンチしていた兵たち………では、ただ一人立ち続けるこの男は何者だ? どこかで見たような背中だが、まさか………?
「小沢か………久しぶりだな」
 男は声だけで小沢のことがわかった。そして小沢に振り返り、顔を見せる。
「山本長官………!」
 ロングコートの男の正体は前連合艦隊司令長官だった山本 五十六であった。しかしその風体は小沢が知っている山本 五十六像とは徹底的にかけ離れていた。
 小沢が知る山本は、明るく冗談が好きで、航空派と呼ばれる派閥を「完全調和」の名の下にまとめあげていた尊敬すべき人物であった。だが、右袖が千切れ落 ちたボロボロのロングコートをまとい、全身から負の感情を滲ませている今の山本 五十六にかつての面影はどこにもなかった。小沢は震える声で尋ねる。
「そ、その格好は一体………?」
 山本は小沢の質問には答えず、リンチを受けてボロ雑巾のようになった源田の許に足を向けた。
「や、山本長官、航空派の長だった貴方が、どうしてそんな姿を………」
 山本の変わり果てた姿に、源田は思わず尋ねた。小沢の問いかけを無視した山本であったが、源田の質問には返事をした。
「源田、航空も砲術ないんだよ………」
 山本 五十六が必ず再起し、自分を栄光の道へ引き戻してくれる。そう信じ、それを密かに支えとしていた源田は、派閥の長であることを捨てたと言い放つ山本の言葉でリンチよりもはるかに酷く打ちのめされた。殴られて腫れた瞼から涙をこぼす。
「源田、お前はいいよな………。俺なんか涙もとうに涸れ果てた」
 山本はそう言うと源田に立ち上がるよう手を差し伸べる。
「う、うるさい! お前に、お前なんかに何がわかる………!」
 源田は山本の手を振り払い、逆に山本を突き倒す。仰向けに倒れた山本は、ゴロリとうつぶせに寝転がると格納庫の床に頬を摺り寄せる。
「クク………。源田、地べたを這いずり回ってこそ見える光ってのがあるんだよ」
「光………?」
 山本の言葉に源田の表情が変わる。山本は源田の変化を見て顔を歪める………。いや、山本は笑みを浮かべていた。地獄の深淵を思わせる壮絶な笑顔のまま立ち上がり、山本は源田に言った。
「いい顔になったな、源田。どうだ、俺と一緒に地獄へ堕ちるか?」
 小沢は確かに見た。源田の顔が、雰囲気が、山本と同色に染まりつつあるのを。源田は吐き捨てるように応える。
「地獄? これ以上の地獄がどこにあるっていうのさ?」
 その言葉を待っていたかとばかりに山本は源田の肩に手を回し、耳元でそっと囁いた。
「源田、俺の弟になれ」
「………プッ、ククク、ハハハハハ、ヒャハハハ!」
 源田は狂気すら滲ませて大笑いを始める。小沢たちは山本と源田の二人を見守る事しかできなかった。
「ヒャハハ! アンタだけだ、山本長官! 俺に振り向いてくれたのは!!」
「相棒、お前ならそう言うと信じていたよ」
 山本はここで初めて小沢に一枚の書類を手渡した。それは辞令であった。源田 実中佐を新設する航空艦隊の航空参謀として迎えるという内容が書かれた辞令。呆気にとられる小沢を尻目に、山本は源田を伴って第一航空艦隊を後にした。
「いくぜ、相棒………」
「アニキとなら、どこだって………」



「本部長、何を考えているんです?」
 大日本帝国統合作戦本部八階にある統合作戦本部長執務室。
 統合作戦本部で勤務する西村 有道少佐が遠田 邦彦統合作戦本部長に尋ねた。遠田は軍服のポケットからタバコを取り出すと一本咥え、火をつける。そして紫煙を吐き出しながら応えた。
「俺は落語に出てくるご隠居さんじゃないんだ。質問をするなら、質問の内容も言ってくれないか?」
 西村はあえて主題をぼかした質問をすることで遠田の注意を引くことを狙っていたが、遠田は西村の狙い通りに反応してくれた。西村はそこにわずかな満足を感じつつ質問の内容を口にする。
「今度、新設される第六航空艦隊のことですよ。特に主力の剛龍と捷龍です」
「ふむ」
「上は第六航空艦隊司令長官の山本 五十六中将・・から、下は兵卒にいたるまで、全員が訳ありの奴らばかりじゃないですか」
「まぁ、帝国海軍ってのは大きな組織だからな。脛に傷を持った負け組をかき集めれば空母の一隻や二隻くらい動かせるさ」
「ですが、剛龍と捷龍は英国から借りた空母ですよ? それを負け組に与えると言うのは………」
 西村のいうように、剛龍と捷龍は日本製ではない。元々は王室海軍の空母であり、王室海軍時代の名称はインドミタブルとヴィクトリアスという。
 オルレアン同盟内では海軍のパワーバランスが不釣合いである事が度々問題とされていた。大西洋では世界最強を自負する王室海軍を始め、ドイツ海軍やフラ ンス海軍などヨーロッパ諸国の堂々たる艨艟が鎮座しているのに対し、太平洋方面を受け持つのは日本一国………。日本一国の工業力だけで太平洋を護りきるの は困難だと判断されたのだった。
 そこで英国は王室海軍の最新鋭艦を帝国海軍に売却することで帝国海軍の補強を図ってくれたのだった。その第一陣として帝国海軍に編入される事が決定され たのがインドミタブルとヴィクトリアスであり、シンガポールでの改装工事の末に剛龍と捷龍として生まれ変わったのだった。
 なお、シンガポールでの改装工事は内装や機関を日本製の物に換装することを主としていたが、同時に艦橋と煙突もつけかえることになっている。改装後の剛 龍、捷龍は艦橋上部から右舷上部に煙突が突き出す形となっており、インドミタブルやヴィクトリアスの面影をほとんど残さないようになっている。
「先方の了解は取ってある。それに………」
「それに?」
「どうせ死ぬのは日本人だけ。英国人が知ったことじゃないってことさ」
「……………」
「露骨に吐き気をこらえるような表情はよせ。軍隊ってのは、特に軍隊の上層部ってのはそういう所なんだ。馴れろとはいわんが、我慢はしろ」
 遠田はそう言うと吸いかけのタバコを灰皿に押し付けた。浅く水が張ってある灰皿に押し付けられたタバコの火がジュッと音をたてて消える。西村にはそれが剛龍と捷龍の乗員たちの命のともし火のように思えた。



 一九四一年八月七日。
「………ふぅ」
 対空巡洋艦吉野艦長の結城 仁はまた溜息をついた。
 吉野は太平洋を横断し、カナダに帝国陸軍を上陸させる大輸送作戦に従事した後、日本本土に無事帰還している。日本本土帰還後は竣工したばかりの秋月級駆逐艦と艦隊防空を担う戦隊を組み、日本海で対空陣形の研究と実践、訓練に明け暮れる毎日であった。
「………ふぅ」
 吉野艦橋に据えられている艦長用シートに腰を降ろしながらも心ここにあらずといった表情で溜息を吐き続ける結城 仁。砲術長の網城 雄介少佐が砲戦指揮 所にいるのは一つの幸いだった。艦長のダラけた姿勢を見たら、あの生真面目な砲術長はカミナリを何発も落としていただろうから。
「しかし、艦長どうしちまったんだ?」
 ヒソヒソと小声で水兵たちが囁きあう。
「何でもこの間の休暇で家に帰った時に息子さんを抱き上げたそうなんだが、息子さんが自分が思っていた以上に重くなってたらしい」
「艦長の子供ってまだ一歳かそこらだろ? そりゃ日々どころか時間単位で成長してるもんなぁ」
「息子の成長を傍で見守る事ができない自分の境遇ってのは、父親にとっては辛いものなのかもしれんね」
「まぁ、俺たちには関係ない話だよなぁ。何せカノジョもいないヤモメ暮らしだし………」
「……………」
「あれ? お、お前、どうしてそこで黙ってんだ!?」
 水兵の囁き声は、実は結城 仁にも聞こえていた。だがそれを聞きとがめるつもりはなかった。何せそれは事実だからだ。
 ………息子の成長を傍で見守る事ができないのは辛い。しかしそれよりも辛いのはこれからのことだ。
 この戦争は何年も続く大戦争となるだろう。当然、多くの命が失われていく。命が失われた時、後に残るのは何だろうか?
「………ふぅ」
 後に残るのは、きっと失われた者への哀しさと………奪った者への恨みだ。恨みはさらなる戦いを招く火種となるだろう。
 ………恨み、憎しみの連鎖。そんなしこりを残さないような形でこの戦争が終わるといい。結城 仁はそう思っていた。自分の息子が戦争なんか知らずに生活できるような世界になればいい………。
「………ん?」
 結城は水平線の向こうで何かが煌くのを見たような気がして、散漫になっていた意識を視覚に集中させる。だが、結城が眼を凝らすよりも早く見張り員の声が響いた。
「右舷前方に友軍艦艇! 発光信号を送ってきています!!」
「発光信号の内容は?」
「『ワレ クズリュウ コレヨリ キカント コウドウヲ トモニスル』です!」
「九頭竜、来たか………」



 吉野型対空巡洋艦二番艦の名前は九頭竜という。
 吉野型の二番艦であるのだから基本的には吉野と比べて変化はないはずなのだが、しかし九頭竜の場合は吉野と明らかに異なっている点があった。
 九頭竜は、吉野では機銃が設置されている場所の数箇所に、長方形型のランチャーが設置されていた。それは近接防御用火器として期待されている噴進砲の発射基であった。
「おう、吉野が見えてきたな」
 九頭竜艦橋で指揮を取るのは熊田 明彦大佐であった。その名の通り、熊のように大きな体を誇っており、かつて「キングコング」とあだ名される原 忠一の 下で働いていた時は「帝国海軍大怪獣総進撃」などとよくからかわれたものだ。また、熊田は外見だけでなく、心も大きく豪快なことで知られている。
「おい、吉野にもう一つ発光信号を送ってくれ」
「宜候! 内容はいかが致しましょう?」
 熊田は後の戦史に必ず刻まれる名文を口にする。
「九頭竜と吉野ある限り、天は我らのもの」
 後に合衆国海軍航空隊から「偉大なる赤竜」と恐れられることになる九頭竜は、この日連合艦隊の編成に正式に加えられたのだった。


次回予告

 予定よりも早く太平洋方面での攻勢を開始した合衆国海軍。
 対する帝国海軍は全力をあげて、その攻勢を阻止しようとする。
 雲一つない空の下で、男たちの命が交錯する。

次回、戦争War時代Age
第一一章「今にも落ちてきそうな空の下で」
優しさ、ここにはいらない


第九章「カナダの戦い<2>」

第一一章「今にも落ちてきそうな空の下で」

書庫に戻る
 

inserted by FC2 system