………それはフィリピンの戦いでの出来事でした。
 我々、第六八〇歩兵大隊が敵、合衆国陸軍の反撃を受けて周囲を包囲されてしまったことがありました。
 それはフィリピン近海の制海権を奪われ、補給が途絶えた合衆国陸軍というイタチの、最後の余力を振り絞った反撃でした。
 友軍は包囲された我々を救うべく攻撃を繰り返しましたが、救出を急ぐあまり戦術が上手くかみ合わず、四度の攻撃はすべて失敗に終わっていました。
 周囲総てが敵という絶体絶命の中にあって、我らが大隊長は独り悠然と構えていました。米軍の度重なる攻撃に対し、矢よりも早く、計算機よりも正確に指示を飛ばす大隊長の姿。それは軍神の寵愛を一身に受けているよう………。
 いや、それは違いますね。
 だってあの人は軍神に勝利を請うのではなくて、軍神から当然のように勝利を奪っていたのですから。
 あの人の下で戦う限り、私が死ぬ事はない。少なくとも、無駄死にはない………。だから私はこの戦争中、戦闘が怖いということは一度もありませんでしたね。

民明書房刊「第二次世界大戦を振り返って〜終戦一〇周年記念インタビュー」より 元第六八〇歩兵大隊伍長の回想

戦争War時代Age
第九章「カナダの戦い<2>」



 カナダにとって太平洋側最大の都市であるバンクーバーはアメリカとの国境に近い街だ。アメリカとの国境に近いだけあって、激しい攻撃に晒されるだろう。オルレアン同盟軍はそう考え、英国陸軍七個師団をバンクーバー方面軍として防衛に当たらせていた。
 しかしバンクーバー方面に攻め寄せたアメリカ軍は二〇個師団に及んだ。英陸軍の三倍弱の戦力である。攻める側は防衛する側の三倍の戦力をそろえるのが妥当だと言われる戦場にあって、オルレアン同盟軍の苦戦は免れなかった。
 一九四一年五月一八日午前九時二七分。バンクーバー市内に設けられた帝国陸軍第二五軍臨時司令部。
「概要ですが、このバンクーバー戦線はこのように推移していました」
 山下 奉文中将を始めとする大日本帝国陸軍第二五軍首脳部に説明を行うのは滝沢 紳司少佐であった。大日本帝国海軍中将結城 繁治の幕僚としてカナダに派遣された滝沢は、五大湖戦線の指揮で忙しくてモントリオールを離れられない結城 繁治に代わって山下中将らを迎え、現状を説明しているのだった。
 一八四センチの長身にがっしりとした体を持った滝沢 紳司は自信に満ち溢れており、まるで炎のような覇気は人の目を引く。しかし滝沢の眼は氷のように冷たく、そして鋭い。
「大多数の敵を相手に、どのように戦っていたのかについては、冒頭で配布しました英軍の戦闘詳報をご覧下さい」
「うむ」
 滝沢の勧めに従って第二五軍の首脳部は百ページ単位の冊子を開いた。さて、問題はこれからだ。この凶報を伝えなければならないのが自分であることを呪いたくなる。だが、他の者に任せるわけにもいかないだろう。それが滝沢 紳司の仕事なのだから。
「さて、ここで一つ残念な報告があります………」



 一方、バンクーバーの港では輸送船から荷物を降ろす作業が急ピッチで進められている。
 明日には前線に向かい、消耗した英軍に変わってバンクーバー戦線を支える事になるだろう。
 第二五軍の編成は以下の通りである。
 第五師団、近衛師団、第一八師団、第三戦車団、独立工兵三個連隊、砲兵三個連隊。総勢三五〇〇〇人の大部隊だ。
 統合作戦本部は第二五軍によるカナダ・バンクーバー戦線の援護に大きな期待を寄せており、第五師団という陸軍建軍以来の精鋭師団を中心に、第五師団、近衛師団という(日本ではまだ珍しい)機械化師団を派遣している。
 当然ながら装備も帝国陸軍では最新鋭の物が揃えられており、「帝国陸軍最強」と市井の新聞では喧伝されていた。
「荷物の降ろし作業はどれくらいで終わりそうだ?」
 第五師団に属する歩兵第六八〇大隊を率いる結城 光洋少佐は、二本の足から伝わってくる大地を踏みしめる感触を楽しみながら尋ねた。荒れる北太平洋を越えてカナダに上陸を果たしたものの、結城 光洋は海上では常に吐き続けていたのだった。おかげですっかりフネが嫌いになってしまった。
「遅くとも夕刻までには終わります」
 結城の副官である南 燃大尉が間髪入れずに答えた。結城は腕時計を見やる。現在の時刻は一一時五六分。結城は満足気に頷くと、意地の悪い表情で言った。
「荷降ろし作業が終われば宴会だと伝えておいてくれ。美味い料理とキレイなお姉ちゃんとでガッツリ楽しもうってな」
 結城の下品な物言いに南は思わず苦笑をこぼす。
「久しぶりだな、結城」
 結城と南の背中から、結城の名を呼ぶ声がした。聞き覚えのある声に結城が振り返ると、そこには懐かしい顔がいた。
「紳司!」
 声の主が滝沢 紳司少佐だと知った結城は、嬉しそうに滝沢の名前を呼んだ。即座に駆け寄って滝沢の肩を叩く。
「お前もカナダに来てたんだな! どこの部隊に所属してるんだ?」
 親しげに肩を叩く結城の手を払いながら滝沢は言った。
「開戦前からカナダ入りさ。統合作戦本部の命令で、今は同盟軍の最高司令部の幕僚の一人ってわけだ」
「へぇ、そいつはすげえじゃん。ああ、コイツは滝沢 紳司で、俺と同期の桜なんだ」
「そうでしたか。自分は第六八〇歩兵大隊で大隊長殿の副官を務めさせていただいております、南 燃大尉であります」
 そう言って南は敬礼。滝沢はそれに対してぞんざいに返して話を続ける。
「ま、その幕僚の権限って奴で第二五軍の編成を調べてたらお前の名前を見つけたんでな」
 滝沢はそう言うとバンクーバー市街の方を指差して言った。
「どうだ、昼飯でも食いにいかないか?」
「何だ? 美味い店でも知ってるのか?」
「最高司令部があるモントリオール市内ならいくつか知ってるが………バンクーバーは俺も初めてだから、足で探す事になるな」
「ふむ………」
 結城は南に向き直る。
「ちょっと俺は紳司と一緒に飯を食ってくる。荷降ろしもキリのいい所で昼飯にしてくれ」
「了解しました」
 南は律儀に敬礼して二人を見送る。
 しかし………。南は一つ気になることがあった。大隊長殿の友人である滝沢 紳司少佐の眼のことだ。あの眼差しの内に野心が燃えているのを見た。
 南は兵からの叩き上げで大尉まで昇進した自他共に認めるベテランだ。あのような眼差しをした上官は何人か見たことがあるが、全員に共通していたことがある。
 それは………。



 滝沢は港まで車で来ていた。助手席に結城を乗せ、自ら運転席に座った滝沢は鍵を差し込んでエンジンを始動させる。
「紳司、この車は………」
「ああ、アメリカのフォード社のものだな」
 滝沢はゆっくりと車を走らせ始めながら言った。
「アメリカとの戦争開始で徴発された車だが、カナダはアメリカの隣国だけあってアメリカ車が多いぞ。モントリオールの司令部で使っている車も六割はアメ車さ」
「なるほど。で、どこで飯を食うんだ?」
「と、いうよりは何を食べたいか、だな………」
 信号が赤になったのでブレーキを踏む滝沢。フォード社製の車は前進することをやめる。
 その時だった。滝沢の車のボンネットの上に一羽の鳥が止まった。赤い毛並みの小鳥は、ボンネットの上で翼を休めている。
「待ってー! エイプリル、待ってってばー!!」
 一人の少女が鳥かごを片手に滝沢の車めがけて走ってくる。年は一〇歳にも満たないくらいで、パタパタと可愛らしい足音が聞こえている。ボンネットの上の赤い鳥は、少女が駆け寄るのを見つけると再び羽を広げて近くの木の上に飛び上がった。それを見た少女は泣きそうな顔で「あっ」と呟いた。
「どうやら………飼ってる鳥が逃げたらしいな」
 結城は状況を口にすると、おもむろにシートベルトを外し始める。
「おい、どうするつもりだ?」
「かわいそうだろう。手伝ってやるのさ」
「お人よしめ」という滝沢の声を背中で聞いて、結城 光洋は車を降りる。そして少女の頭を優しく撫でてやりながら尋ねた。
「あの鳥、お嬢ちゃんのかい?」
 少女は目の端に涙を溜めながら頷いた。
「ママに昨日買ってもらったばかりなの………」
「そっか………。お兄ちゃんも手伝ってやるから、泣いちゃダメだよ」
 結城はそう言って、木の上に止まっている鳥を捕獲するために行動を開始する。結城は木に手をやって、登って鳥を捕まえようとする。だが、鳥はそんな結城を見て木のさらに上の方へ飛び立つ。
「コラ、待て!」
 結城はなおも木を登って追いかけようとするが、ズボンのすそを誰かに掴まれたので中断を強要された。
「紳司………」
「何やってんだ、結城。あんなことしちゃ逃げるばかりだろうが」
 追いかけられるからこそ、鳥は逃げるんだ。滝沢はそう言うと、肩肘を張らないリラックスした面持ちで鳥の鳴き真似を始める。滝沢が鳴き真似を始めてわずか二分一二秒で鳥は逃げることをやめ、滝沢の左腕に止まった。滝沢は手のひらで鳥を優しく包み込んでやり、少女の鳥かごに収める。
「あ、ありがとう、お兄ちゃん!」
「凄いな、紳司」
 少女と結城の二人からまっすぐな称賛を受けた滝沢は、照れくさそうにそっぽを向く。結城は、滝沢が日本でも鳥を飼っていたことを思い出す。なるほど、手馴れたわけだ。
「ふん………。おい、結城、さっさと昼飯食いに行くぞ」
「なんだよ、紳司。照れるなよ〜」
「誰が照れているか」
「お前が以外に誰がいるんだよ」
 滝沢はもう一度鼻を鳴らすと再び運転席に腰かける。少女は鳥を捕まえてもらったせめてものお礼として、満面の笑みを浮かべて滝沢の車に手を振っていた。滝沢はどこか洒落た雰囲気で少女に向かって一瞬だけ敬礼すると、そのまま車を発進させた。



 結局、結城と滝沢の二人が入った店はバンクーバー市内の日本料理屋であった。
「カナダで日本食………アボガドの寿司とか出るんじゃないのか?」
 海外の日本食レストランはハズレが多い。そう聞いている結城は心配そうだったが、滝沢は気にしていないようだ。
「バンクーバーは日本からの移民が多い街だ。そうヘンなものは出ないだろう」
 そういえばこの店のある通りですれ違う人々は東洋系が多かったな。結城はここが所謂日本人街であることを悟る。
「なら、大丈夫か」
 結城はそう呟き、滝沢に続いて店の奥の座敷に案内される。
 ……………。
 海外で日本人が経営する日本料理屋というのは安心できる。特に、ここのような日本人街での日本料理屋は、海外で頑張る日本人を勇気付ける料理を出してくれる。日本を離れ、はるかカナダで戦う事になる結城 光洋にとっては思いが溢れそうになる。
「………ところで結城」
 日本でもそうそう口に出来ないほど美味なエビの天ぷらを頬張りながら滝沢が結城に尋ねる。
「お前さんの親父さんだが、やはり凄い人だな」
 滝沢の話題が自分の父親のことだと知った結城 光洋は露骨に顔をしかめてみせた。なんとわかりやすい反応だろう。滝沢は内心のさざめきを外には漏らさず、自然な表情と口調で続ける。
「おい、どうしたんだ、そんな嫌そうな顔をして」
「………あまり親父の話はしたくないんだ、すまない」
「ふむ………。俺が群馬の農家の出なのは知ってるよな?」
「ああ」
「俺の家は貧しくて、俺はそれが嫌で陸軍に入った。陸軍に入れば能力次第でどこまでもいけると考えたからだ」
 滝沢は茶を飲んで喉を潤してから言った。
「そんな俺からしたら、お前の家、軍人の名門である結城家ってのは羨ましい存在で、親父さんなんか自慢になると思うがね」
 結城 光洋の親父、つまり結城 繁治は海軍中将である。名門軍人の家系だからといって中将まで上り詰める者は少ない。結城 繁治は能力も、家柄も、すべてが非の打ちようのない人物ということになるが………。
「アイツは、ただの人殺しさ」
 しかし結城 光洋の方は父親を嫌っていた。いや、これは「嫌う」というより「憎む」といっていいだろう。
 さて、一体この親子の間には何があるんだろうな。滝沢 紳司は唇をなめる。
 以前、結城 繁治はこう言った。「アイツは軍人には向かん。だが、私へのあてつけで軍人を続けようとする………」と。その理由は、きっと結城親子にとって弱点となるはずだ。
 俺は必ずその結城家の暗部を暴いてみせる。そして結城家を踏み台とし、俺はさらなる高みへと飛び上がるのだ。
 貧しい農家出身であるが故に滝沢 紳司の上昇志向は人一倍強い。滝沢は瞳の奥で野心を燃やす。その野心が敵を焼くか、それとも自分自身を焼くか。それはわからない。



 彼は輪廻転生を信じていた。故に彼には彼の信じる前世がある。
 彼は自らの前世を偉大なる軍人だと称していた。偉大なる軍人とは、カルタゴのハンニバル将軍だ。
 彼の現世での名はパットン。アメリカ陸軍少将ジョージ・パットンである。
「イギリス人は実にしぶといな」
 パットンは愛用のコルト・ガバメント拳銃をホルスターから抜き、指でクルクル回転させながら言った。
「ですがイギリス陸軍の消耗はもはや限界寸前。次の攻撃で戦線は崩壊する事でしょう」
 幕僚がパットンの言葉に追従する。無論、無条件の追従ではない。幕僚の一人が付け加える。
「ですがバンクーバーに日本軍が上陸しています。おそらく英軍は後退し、日本軍が新たに戦線を支えることになるでしょう」
「その通りだ。だが、同時にこのような情報もある」
 パットンは暗号を解読した電文を掲げて見せた。
「この情報が真実であるならば、日本軍は戦車を持たないらしい」
「元々、戦車はカナダで生産された物を使う予定だったと聞いています」
「そうだ。戦車は重いからな。限られた輸送船を有効活用する一種の苦肉の策だな」
「しかも重砲を始めとする重装備までカナダで調達する予定だった」
「モントリオールからの鉄道輸送で送られる予定だったと聞いているが………我が陸軍航空隊はいい仕事をしてくれたな」
 パットンは肉食獣が草食獣を目の前にしたかのような凄味のある笑みを浮かべる。
「モントリオールからの鉄道輸送はB17の爆撃によって遅れが生じている………。日本軍は戦車を始めとする重装備を受領できないでいる」
 パットンはコルト・ガバメントの銃口を天に向け、引き金を引いた。乾いた銃声が響く。
「今こそ攻勢のチャンスだ。我が第一機甲軍団の恐ろしさを黄色いサルどもに教育してやるのだ!!」



「………というやりとりがあったんだろうな」
 結城 光洋はそう言って勝手な想像話を締めくくった。いくらアメリカ人が拳銃大好きでも、作戦会議中に拳銃をいじり、あまつさえ天に向けてぶっ放すはずがない。しかし拡声器によって拡大され、陣地の各所に行き渡った結城のホラ話は第六八〇歩兵大隊の将兵の心を捉えた。あちこちの塹壕から笑い声が聞こえてくる。
 結城は内心でほっと安堵の息を漏らした。第六八〇歩兵大隊は戦闘が近いという緊張感の中でも一定の余裕を保ち続けている事がわかったからだ。緊張でガチガチになっている場合、結城のホラ話でも笑い声一つでなかったりする。要するに他人の話を聞く余裕がなくなっているためだ。
 だが、まだ大丈夫。みんな、緊張に飲み込まれてはいない。
 結城は防衛を担当する第二警戒陣地の戦闘指揮所から双眼鏡で彼方を見つめる。まだゴマ粒のように小さいが、それは確実に迫りつつあった。
 アメリカ合衆国陸軍第一機甲軍団。アメリカ陸軍の猛将パットンが率いる機甲部隊だ。結城たち第六八〇歩兵大隊がこもる第二警戒陣地より前にある第一警戒陣地はすでに突破されている。第一警戒陣地は突破される事が前提の、敵軍の戦力を確かめるための陣地である。突破された事自体は驚くに値しない。だが、突破までにかかった時間の短さは異常だった。一つの陣地をわずか一時間半で蹂躙してみせたのだ、敵部隊は。いくら第一警戒陣地の部隊がある程度交戦しただけで後退するように命令されていたとはいえ、その短さは異常だった。
 敵の突破力の源はわかっている。先の大戦、欧州大戦とも第一次世界大戦とも呼ばれている戦争で登場した新兵器の最新型、つまり最新型の戦車のおかげである。米軍はM3リー中戦車だけでなく新型のM4シャーマン中戦車を前線に送りつつある。パットンの第一機甲軍団には優先的にM4が配備されていると聞いている。アメリカの最新鋭戦車か………。
 対する帝国陸軍第二五軍の戦車は一個中隊程度しか確保できていない。先のホラ話でも触れたが、モントリオールで生産された戦車を運ぶ鉄道がB17の爆撃を受けて壊滅。バンクーバーに送られるはずだった戦車や野戦重砲の七割が到着していないという異常事態になっていた。滝沢 紳司はそのことを第二五軍に説明するためにバンクーバー入りしたのだという。
 無論、戦車や野戦重砲なしでも戦える目処はついている。そうでなかったらこんなところで戦っているものか。………とはいえ、その「目処」が本当に通用するのかという疑問はある。
「えぇい」
 結城は唇を噛み締める。戦場で待つ時間は何と長いことだろう。米軍め、来るならさっさと来い! 戦いが始まれば、気を揉む暇すらなくなるのだ。こうして悶々としているのであれば、戦闘が始まった方が楽だ。この時の結城はそう信じていた。
 しかしいざ実戦が始まると………待つ時間の方が恋しくなっていた。喉元すぎれば何とやら。人間の身勝手な考えであるが………それを責めることはできないだろう。



「やはりジャップはB17の爆撃のせいで重装備が行き届いていないらしいな」
 合衆国陸軍第一機甲軍団に所属する第九一三戦車中隊を率いるジェイムズ・シャーマン大尉はM4 シャーマン中戦車の砲塔から上半身をむき出しにしながら双眼鏡を構えて呟いた。ずんぐりとしたM4中戦車の全高は二.六七メートルと高い。故に砲塔上に身を出すと良好な視界が確保される。無論、これは敵の狙撃兵に狙われる危険性もはらんでいるが………戦車にとって最大の弱点である視界を確保できるのだから、それくらいの危険は許容範囲内だとされている。
「各小隊は先ほどの陣地同様、小隊長の判断で臨機応変に動け。繰り返す事になるが、我々の任務は塹壕に引きこもるジャップの機関銃から友軍の歩兵を守り抜き、塹壕を突破することにある。各自の奮戦を期待する。以上」
 シャーマン大尉の声が第九一三戦車中隊の部下たちに無線によって届けられる。第九一三戦車中隊は周辺の歩兵部隊の盾となるべく先行して敵陣、帝国陸軍第六八〇歩兵大隊が守護する第二警戒陣地へと接近する。
 シャーマン大尉は軍服の袖で額に滲む汗を拭った。先ほどの陣地では対戦車砲や野戦重砲といった重火器の反撃はなかった。だから戦車部隊は難なく敵陣を踏み散らし、歩兵は塹壕を制圧する事に成功した。だが、先ほどの成功が今度も続くとは限らない。何せ敵陣を踏み越えていく度にバンクーバーmオルレアン同盟にとっての重要拠点に近付いていくのだ。先の陣地にない装備が配備されている可能性は多いにある。
「過去の事例はあくまで過去のもの。未来にその事例が当てはまる保証はない………」
 しかしそれでもシャーマン大尉は過去の事例が今回にも当てはまる事を期待していた。神様、お願いしますよ。
 天の上の存在に祈りを捧げるシャーマン大尉のM4中戦車が、ふいにグラリと揺れる。ジャップの野戦重砲か!? シャーマン大尉の男性自身が恐怖で縮む。だが、シャーマン大尉の意識は冷静に状況を判断していた。シャーマン大尉は砲塔上に乗り出していた身を砲塔内に収めながら言った。
「安心しろ、今のは迫撃砲弾が近くに落ちただけだ。迫撃砲では戦車はやられん!」
 エンジングリルなどに直撃した場合は無事ではないが、シャーマン大尉はそのことは伏せていた。部下を安心させることが今は必要なのだ。部下を不安にさせる真実は隠さなければならない。シャーマン大尉率いる第九一三戦車中隊は旺盛な士気を保ったまま、前進を続けていた。



「敵戦車部隊接近しています!」
 南の声に焦りの色が見える。第六八〇歩兵大隊に対戦車砲は一門もない。あるのは迫撃砲までだ。迫撃砲で戦車を撃破するには、大いなる幸運に頼らなければならない………。
「大隊長殿、アレの使用許可を………」
 大隊本部付の曹長が結城に懇願する。しかし結城はあえて非情に宣言した。
「まだだ! アレはギリギリまで隠す必要がある!」
「し、しかし………」
 すでに敵戦車部隊の先頭車両は第六八〇歩兵大隊の塹壕に向かって戦車砲を放ち始めている。戦車砲が炸裂するたびに土が吹き飛び、中には赤い肉片も混じっている。
 それでも結城は待つ必要があった。敵戦車部隊のすべてが射程に入るまで、彼は「アレ」を使うつもりはなかった。
「大隊長殿!」
 南が前線を指差しながら叫んだ。前線では敵戦車のすべてが塹壕に砲撃を加えている。結城が待ち望んだタイミングというわけだ。
「よし、信号弾を上げろ! 赤色だ!」



「撃て! 撃って撃って撃ちまくれ!!」
 シャーマン大尉の声がM4中戦車の主砲発砲音に負けないくらいに轟いていた。故に彼は第六八〇歩兵大隊が発射した信号弾に気付いていなかった。
 たとえそれに気付いていたとしても、何もできなかっただろうが………シャーマン大尉は躁状態のまま死んだ。シャーマン大尉が座乗するM4中戦車は塹壕から尾を引いて飛んできた「アレ」の直撃を受けたのだ。右側面に突き刺さった「アレ」はM4中戦車の車内で炸裂し、中の砲弾をハデに誘爆させた。シャーマン大尉は細切れのひき肉となって果てた。
 シャーマン大尉を襲った惨劇は、第九一三戦車中隊全体に広がっていた。第六八〇歩兵大隊が潜む塹壕の各所から白い煙を残して「アレ」、ロケット弾が飛んできたのだった。ロケット弾はM4中戦車の正面装甲ですら易々とぶち抜くほどの破壊力を持っていた。瞬く間に第九一三戦車中隊は三割以上の戦車を破壊される。シャーマン大尉が戦死したため、後退命令が遅れたのは致命的だった。ロケット弾の第二撃によってさらに四両のM4中戦車が破壊される。第九一三戦車中隊は大混乱とあった。恐慌を引き起こしたといっていい。塹壕から一センチでも離れるため、M4中戦車は恥も外聞もなく後退しようとする。だが、M4中戦車は合衆国陸軍の歩兵部隊の前にいたのだ。後退するのに歩兵が邪魔となってしまう。合衆国陸軍はどうしていいのかわからず、押すも引くもできなくなっていた。
 それを見逃すほど第六八〇歩兵大隊はお人よしではなかった。結城 光洋少佐直々の突撃命令が下り、日本人が塹壕から次々と飛び出してくる。塹壕からの機関銃の援護を受けた日本人の突撃は合衆国陸軍の歩兵を次々と死体に変えていく。
 逆説的であるが、歩兵の数が減ったために行動の自由を取り戻したM4中戦車は………塹壕から飛び出した日本人が持っていた携帯型対戦車噴進砲によってあっさりと仕留められていく。重装備を持たない日本軍にとって戦局打開の切り札の正体はこの携帯型対戦車噴進砲であった。ドイツで考案されたこの兵器は「パンツァー・ファウスト」という名前を持っており、帝国陸軍でも一式噴進砲として採用されている。第二五軍は日本国内にある全ての一式噴進砲をカナダに持ってきていた。これでカナダで生産された戦車や重砲を受領するまでの時間を稼ぐのが狙いだった。
 だが、アメリカ合衆国は初めて目にする対戦車噴進砲を前に完全に浮き足立っていた。この混乱が収まるのは、自軍の惨状を聞きつけたパットンが司令部直属の戦車部隊を率いて救援作戦を開始するまで続き、第一機甲軍団はバンクーバー行きの第一歩で躓く結果となった。
 しかたなしにパットンは短期決戦を捨てて持久戦の構えを見せ、バンクーバー戦線は一応の安定が保たれる事になるが………それが大いなる悲劇のプレリュードにすぎないことを知る者は、現在では誰一人としていなかった。
 他ならぬ悲劇の当事者の一人である結城 光洋ですら、カナダでの初陣が圧勝で飾る事をできたことを喜ぶだけであった。


次回予告

 すべてを失い、男たちは闇のどん底へ突き落とされた。
 じべたを這いずり回る男たちは、光を見つけることができるのだろうか。
 栄光という名の光を………。

次回、戦争War時代Age
第一〇章「地獄艦隊」
闇の世界で不気味に笑う。


第八章「眞鐵の随人」

第一〇章「地獄艦隊」

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