一九四一年九月二七日午前二時八分。
 アメリカ合衆国バージニア州ノーフォーク。
 世界最大の海軍基地であるこの街の、そこかしこを眠りが支配している時間になってもフランク・フレッチャーは眠れないでいた。
 空母サラトガを中核とする第一七任務部隊を率いるフレッチャー中将は、本来ならばとうに眠りについていなければならない時間であることを承知していたが、しかし彼のまぶたはケンカ別れでもしたのか、上下寄り添うことを拒絶していた。
 しかたなしにフレッチャーはサラトガに設けられた私室で本を読んでいた。現在の合衆国大統領であり、すなわち合衆国海軍を統べる男であるイーニアス・ガーディナーの著作だ。フレッチャーは将官特権として無料でこの本を贈られたのだが、実際に読むのは初めてだった。
 なにせガーディナー大統領が出版した本は経済や社会の問題についてメスを入れた内容なのだ。おじもそうだったが、根っからの海軍軍人であるフレッチャー にとって経済や社会の問題は専門外であるだけでなく、興味もわかないテーマであった。だから本を贈られた手前、私室の本棚に置いてはいたものの開いたこと は一度もない。
 そんな彼があえてこの本を開いていたのは、人智を超えた感覚が鳴らしていた警告だったのかもしれない。フレッチャーは後にそう語っている。
 フレッチャーがガーディナーの本の一四二ページ目を開いた時だった。突然、世界が震えだした。否、世界が震えたのではない。この、サラトガが震えているのだ。
 そして耳をつんざき、腹をうちすえるかのような轟音がこだまする。フレッチャーが自覚できるほどの速さでサラトガが傾きつつあった。
「何事だ!?」
 艦橋へつながっている艦内通話の受話器を取ったフレッチャーに対する応答は一五秒後だった。
「提督? 敵襲です!」
 まだ若い声がフレッチャーの耳に届く。確かこの声は信号員のジョニー一等水兵だったか。
「敵だと! オルレアン同盟軍か!?」
 馬鹿げた質問だとフレッチャーは我ながら思った。今現在、合衆国が戦争しているのは、英仏独伊日が加盟するオルレアン同盟だけじゃないか。
「………えぇい、今すぐ艦橋に向かう!」
 フレッチャーは眠気が完全に吹き飛んだ頭を振り、軍服の上着の袖に腕を通しながらサラトガ艦内の通路を駆ける。そしてサラトガの艦橋にたどり着いたフ レッチャーの眼に飛び込んできたのは、第一七任務部隊に所属する空母レキシントンのすぐそばに巨大な水柱が立ち上るという光景だった。
「潜水艦………? この、ノーフォークに侵入したというのか!?」
 フレッチャーは信じられないとばかりに呟く。
 だが、すべては事実だった。
 ドイツ海軍に所属する潜水艦U−47は深夜、単独でノーフォークへ侵入。サラトガ、レキシントン、ホーネットの三空母に魚雷を命中させたのだ。さらに全 世界の度肝を抜いたのは、この大胆な夜襲を実現させたU−47が、無傷のままカナダ領ニューファンドランド島へ帰還を果たしたということだ。
 U−47の艦長であるギュンター・プーリン少佐はオルレアン同盟軍が誇る英雄として一夜にして勇名をとどろかせた。
 だが、それだけで終わらなかった。すべては………U−47のノーフォーク強襲に端を発する。一連の出来事は巨大なうねりとなって、遠く太平洋までをもかき乱すことになる。
 そうなるであろうことを断片的に知る者はいたが、すべてを熟知する者は「神」と呼ばれる不在の三人称だけである。

戦争War時代Age
一一章「今にも落ちてきそうな空の下で」


 一九四一年一一月時点でのアメリカ合衆国海軍太平洋艦隊司令長官ハズバンド・キンメル大将の評価はよくなかった。
 太平洋艦隊の長として太平洋艦隊の各艦艇をうまく取りまとめているという好意的な評価も存在しているが、しかし一九四一年の春先に日本海軍に真珠湾空襲を許してしまい、真珠湾の港湾施設を半年もの間、使用不能にしてしまった凡庸な将という評価の方が体勢を占めていた。
 キンメル自身も当然その評価を快く思っておらず、彼は真珠湾復興に力を注ぎ、自らの汚名を返上するリターン・マッチの開催時期を一刻でも早めようと努力 していた。また、カナダを攻めている陸軍の不調もキンメルには好意的に働いていた。イーニアス・ガーディナー大統領は国民にアピールできる「目に見える戦 果」を欲していると聞く。キンメルはそこで日本海軍の漸減を目的とした「オペレーション・ミキサー」の許可を求めた。
 キンメルが自ら太平洋艦隊を率いて日本海軍の重要拠点であるトラック諸島を襲い、トラック防衛に現れた日本艦隊を撃破する。トラック諸島の占領自体は陸上兵力の不足から行わない。要はキンメル艦隊はミキサーとなり、日本海軍の兵力をすりつぶすという作戦だ。
 その単純かつ明快な作戦は即座に認可され、キンメルはその準備に勤しんでいた。しかし………
「話が違うじゃないですか!」
 そのキンメルが声を荒げ、握り締めた拳を机に叩きつける。叩きつけられた拳は赤く腫れていたが、興奮していたキンメルの感覚はそれを感じさせなかった。
「キンメル大将、すべては九月末のノーフォーク強襲が原因なのだ」
 鼻息を荒くするキンメルとは対照的に、冷ややかな眼光を向けているのはアーネスト・キング大将。合衆国艦隊司令長官と海軍作戦部長を兼務する、合衆国海 軍のトップの一人であり、キンメルの直接の上司でもある。キングが有能な軍人ではあるものの、冷徹で容赦を知らず、少しでも気に食わない人間に出会うと敵 意をむき出しにするだけでなく、敵意を矛状に尖らせて攻撃してくるという男であった。敵とみなした相手の名誉を殺してでも奪い取るという、あまりの冷酷さ 故に「氷の剣アイスソード」と影では呼ばれている。
 キンメルはそんなキングの恐ろしさを充分に知っているが、それでも怒気がキンメルの背中を押し続けていた。
「ノーフォークに潜水艦が潜入し、空母を何隻か傷つけられたことは聞いています! ですが、どうして太平洋艦隊所属の空母を取られなければならないのですか!!」
「今、大西洋はハルゼー艦隊とフレッチャー艦隊の二個艦隊で抑えている。その理由、わかるな?」
「ヨーロッパ大陸からの増援がカナダに到着しないためですね?」
「左様。今は多少のかげりが見えるとはいえ、七つの海を支配したロイヤルネイビーを抑えるためには空母が八隻は必要なのだ」
「だが、我々、太平洋艦隊も日本海軍と戦わなければならない! 日本海軍はあの東郷 平八郎が鍛え上げた世界屈指の海軍なのだ!!」
 キンメルは激しい口調でキングに詰め寄る。一歩も退くつもりはない。
「しかし日本海軍は春の中部太平洋海戦で空母戦力を減少させている。現有戦力で充分にやれる………それが我々の判断だ」
 キングはそう言うと手を振った。これ以上の議論は無駄であるというアピールであり、キンメルは歯噛みするしかできなかった。



 西太平洋カロリン諸島の一部でもあるトラック諸島は、大小合わせて二四八もの島々で構成された世界最大規模のサンゴ礁である。
 その立地故に日本海軍にとって太平洋における一大拠点であると認識されている。そしてトラック諸島は拠点となりえるだけの条件が整っていた。なにせ空母 が全速航行しながら艦載機を発着させられるほどの環礁だ。たいした土木工事を必要とせずに拠点として使えるのは、日本海軍の関係者でなくとも運命めいたも のを感じずにはいられない。
 そのトラック諸島に一九三九年末ごろからある施設が建設され始めた。木造の小屋と天空をにらむ巨大な皿。イギリスからの技術給与によって実用化された電 探施設である。実はこの電探施設に使われているアンテナは日本人の八木 秀次と宇田 新太郎の研究の成果だったりするのだが、当の日本はイギリスからこの 技術のことを聞くまで八木・宇田の両名の名前を誰も知らなかったというエピソードがある。
 そんな閑話は置いておくとして、トラック諸島に建設されたレーダーは二四時間休むことなく空に対するにらみをきかせている。トラック諸島は太平洋上にお ける一大拠点であり、ここを狙う不届きな敵を早期発見し、的確な迎撃を行うためだ。当時のトラック諸島には第一一航空艦隊という基地航空部隊総計二五〇機 以上常駐していた。空母に換算すると四隻以上に匹敵する戦力であり、航空隊の指揮を執る塚原 二四三中将は「トラックは難攻不落」と豪語していた。
 しかし昔の人はこう言ったものだ。
「おごれる者は久しからず」
 塚原がおごれる者だったと責めるのは酷な話かもしれない。「トラックは難攻不落」という発言は内地の銃後に向けた宣伝に対して語ったものであり、塚原自 身がそう信じていたわけではないのだから。おまけに当時の塚原はマラリアを発症し、真っ当な指揮が取れないという状態であった。第一一航空艦隊参謀長の大 西 瀧治郎少将は航空畑を生きてきた軍人であり、第一一航空艦隊を任せるに足る人物であったが、しかし「塚原の部隊を預かる代理」という意識があったのも 事実だ。塚原の後を告ぐ指揮官は草鹿 仁一中将が内定しており、明後日にはトラックに到着するはずだった。
 つまり一九四一年一二月八日のトラック諸島に駐留する第一一航空艦隊は司令官が不在で、参謀長が代わりに部隊を粛々と運営していたということになる。も ちろん、第一一航空艦隊上層部にだけ責任を押し付けるのは間違いであろう。何せこの前日から、春島に設置されていた電探施設の一つが不調を訴えていたのだ から。
 防衛部隊の指揮系統の混乱と電探施設の不調。
 この二つの障害がトラック諸島の運命を分けた。
 一九四一年一二月八日。合衆国海軍の空母機動部隊がトラック諸島を空襲。春島と夏島に設置されていた飛行場が爆撃によって使用不能に陥ってしまったのだ。



 一九四一年一二月八日午前九時五六分。トラック諸島南西沖一二〇浬。
「アニキ、トラックが空襲を受けたってさ」
 第六航空艦隊旗艦空母剛龍艦橋。トラックからの無電を記した紙を片手に、第六航空艦隊航空参謀の源田 実中佐がトラック空襲を告げた。
 源田と、その源田が話しかけている相手の二人は異様な格好をしていた。海軍軍人の制服といえば純白の二種軍装か紺色の一種軍装を思い浮かべるだろうが、 この二人はまったく異色の黒い改造軍服を身につけていた。左の袖がちぎれた黒いロングコートを身につける源田。そして源田が「アニキ」と慕う第六航空艦隊 司令長官山本 五十六中将は右の袖がちぎれた黒いロングコートを着ていた。
 かつて連合艦隊司令長官を務めながらも中部太平洋海戦での失敗ですべての栄光を失ってしまった山本と源田。この二人が率いるのが第六航空艦隊、通称「地獄艦隊」である。
「……………」
 山本は両腕を組んだまま剛龍の昼戦艦橋で水平線の彼方を見据えるだけだった。じっとしたまま動かない山本に源田が続ける。
「アニキ、空襲の規模から敵は空母四隻を中心とした艦隊だって。トラックの残存航空兵力は零戦二三機、一式陸攻三二機で………」
 不意に山本は右手を上げ、源田の言葉をさえぎった。驚く源田に山本が言った。
「相棒、お前まさかトラックの連中をアテにしているんじゃないだろうな?」
「う、うん………トラックの航空兵力とあわせれば空母三隻分の数になるじゃないか。三対四なら何とか戦えるよ、アニキ」
「相棒、誰かを頼りにしていると足元をすくわれるぞ」
 山本は源田の吐息が顔にかかるほど近寄り、源田にささやく。
「いいか、俺たち闇の住人に救いなんてこない。闇の世界に光なんてささない。俺たちは、俺たちの手で光を掴まなきゃいけないんだ………」
 山本はそういうと踵を返し、剛龍艦内へ入る。源田は山本の背中をぼぅと熱に浮かされたように見守っていたが、自分が一人になると慌てて背中を追いかけた。



 同時刻。合衆国海軍第一六任務部隊旗艦重巡洋艦ミネアポリス艦橋。
 旗艦こそ重巡であるが、第一六任務部隊はエセックス級空母三隻とインディペンデンス級軽空母一隻で構成された立派な機動部隊である。トラック空襲を行ったのは、この第一六任務部隊であった。
「長官、空襲は成功です。トラック諸島の航空兵力はほぼ壊滅状態とのことです。おめでとうございます」
 参謀長のレイモンド・スプルーアンス少将がキンメルに吉報を知らせる。だが、キンメルはそれを吉報とは思わなかった。
「参謀長、めでたいものか。こんなものは作戦の出だしにすぎん。ここで躓いていては最終的成功など望めるものか………。で、トラックに日本艦隊はいなかったんだな?」
「はい。駆逐艦や軽巡洋艦のような小艦隊が確認されただけです」
 キンメルは右手をあごに添えて考えるポーズ。
「トラックには空母二隻が常駐していると聞いていたが、訓練で外出中なのか?」
「おそらくは。しかしそうなるとこの空母がどう動くかが心配ですね」
 スプルーアンスは自分の懸念をキンメルに伝える。
「日本の本土にはまだ四隻以上の空母が確認されています。これらが全部出動してきた場合、我が方の空母四隻だけでは不利を否めません」
「その場合は後退するだけだ。日本海軍の重要拠点に痛撃を加えただけでも充分だろう」
 キンメルは苦虫を噛み潰した表情でスプルーアンスに応えた。………ノーフォークに回された最新鋭空母エセックス級四隻があれば日本本土からの増援もまとめて相手にできたのだが。
 スプルーアンスには上官の焦りが手に取るようにわかった。そしてその焦りが逆にスプルーアンスにとって不安の材料となる。
 キンメル長官は今年の春にやられた真珠湾空襲による悪評を気にしすぎている………。故に汚名返上のために今回のオペレーション・ミキサーを実行に移し た。だが、その計画も当初予定していた兵力が得られず、トラック救援に向かってきた日本艦隊を迎撃するには心もとない戦力だ………。トラック常駐だという 空母二隻の動向次第ではまずい事になるかもしれないな。
 スプルーアンスは汗がにじんできた額を軍服の袖でぬぐい、帽子を被りなおした。
「天にまします我らの父よ、キンメル長官と我ら第一六任務部隊に祝福を………」



 一九四一年一二月八日午前一〇時四二分。
 高貴なる主力艦を護るべく建造された「眞鐵の随人」こと対空巡洋艦吉野は第六航空艦隊に配属されていた。夏ごろに竣工したばかりの二番艦九頭竜も同じだ。
 対空巡洋艦吉野は主砲を持たず、対空戦闘用の長一〇センチ砲を二四門、スウェーデンのボフォース社からライセンスを購入して生産している四〇ミリ機関砲 六八門もの兵装を全長一八七メートルの細長い船体に載せていた。基本的に同型艦である九頭竜も似たような外観をもっているが、しかし九頭竜は長一〇センチ 砲が一八門と少なくなっていた。これは三連装の砲塔を二つ撤去し、その開いたスペースに別の兵器を搭載したためだ。それが何かであるかは後で記すが、この 違いが吉野と九頭竜を見分ける最大のポイントであった。
「偵察機の発艦が始まりましたね」
 九頭竜副長の瀬良 一郎中佐が目の前の景色を口にする。九頭竜艦長の熊田 明彦大佐は、その苗字の通りの熊のように大きな体の腹を叩く。それは熊田にとって緊張をほぐし、全力で事にあたれるようにするおまじないであった。
「空母二隻で空母四隻を相手に戦う、か………。瀬良、お前はどう考えている?」
「そうですね………。私なら無謀な戦いだと思うでしょう」
 自他共に認める普通人である瀬良は欧米人のように肩をすくめる。
「でも、艦長はそう考えないのでしょう?」
 瀬良の眼差しは熊田の思いを正しく理解していた。熊田は「相棒」と呼ぶに相応しい副長に向けてニコリと破顔した。
「瀬良、お前も使えるようになってきたな」
「ま、艦長とのつきあいも長いですからね。阿吽の呼吸とまではいいませんが、あいうえおの呼吸くらいはわかりますよ」
「ははは、何だそりゃ」
 熊田が大きな体をゆすって笑う。戦いを前にした一時の平穏。九頭竜の艦首は死闘へ向けて、波を切って進み続けていた。



 ここで神の視点、すなわち第三者の視点に移させていただく。よって、物語としてではなく、海戦の記録としての文章が続くことになる。
 結論からいえば、先に敵艦隊を発見したのはキンメル率いる第一六任務部隊であった。一九四一年一二月八日午後一二時一八分のことだ。しかし先に敵を発見 したことは何のアドバンテージにもならなかった。なぜならば第一六任務部隊も第六航空艦隊の放った偵察機に発見されてしまったからだ。第一六任務部隊が第 六航空艦隊の偵察機に発見されたのが午後一二時三二分であった。
 多少のズレはあるが、日米お互いがほぼ同時刻に敵を発見したことになる。
「攻撃隊発進準備!」
 キンメルがそう命令したのは午後一二時二〇分のことだったが、発進準備を推し進めさせながら、キンメルは決断を迫られていた。それはズバリ攻撃隊の規模に関してである。
 こちらも日本艦隊も攻撃隊を出撃させ、攻撃を仕掛けるのは確かだ。問題は、こちらの戦果を最大にして、敵の戦果を最低にする配分を探さなければならないという点である。
「長官、何もこちらも同時に攻撃を仕掛ける必要はありません」
 そう言ったのはスプルーアンスだった。
「今は防御に徹し、日本艦隊の攻撃隊を凌いでから攻撃を仕掛ければいいのです。そうすればいわゆる『ずっと俺のターン』となります!」
 スプルーアンスの意見は理にかなった話である。しかしキンメルは首肯しなかった。いや、首肯できなかったというべきか。
 今回のオペレーション・ミキサー最大の目的は何か。それは日本艦隊を漸減すること………ではない。先の真珠湾攻撃以降、傷がついたキンメルの名誉を挽回 することこそが最大最終の目的なのだ(もちろんそのことは口外はしない。キンメルの胸のうちだけが知る真実だ)。それを踏まえるなら、参謀長の意見を採り 入れるわけにはいかない。参謀長の意見を採用すれば、手柄は参謀長の手に渡ることになる。それはオペレーション・ミキサーの「失敗」を意味する………。
「長官?」
 スプルーアンスが気遣わしげな目を向ける。キンメルはスプルーアンスの気遣いが逆に不快だった。
「参謀長………」
「はっ?」
「私はいつ君の意見を求めた?」
 キンメルは一言一言を発するたびに後悔しながらも、続けざるを得なかった。出かかった台詞を飲み込めるほど今のキンメルは冷静ではなかった。
「参謀は司令官の補佐を行うのが任務だ。私が、いつ貴様の意見を求めた!?」
「う………」
 キンメルの激昂にスプルーアンスは面食らった。普段のキンメルならばこんな頭ごなしに部下を怒鳴り散らす真似はしない。キンメルはすべての海軍軍人の模範ともいえる紳士的な男で有名だったのだから。
 ………やはりそういうことか。スプルーアンスは内心で首を横に振る。
「………申し訳ありません、長官。自分が軽率でありました」
 スプルーアンスはあっさりと自分の非を認め、キンメルに頭を下げる。スプルーアンスはそれでこの場を収めるつもりだった。だが、スプルーアンスの考えは 浅はかであった。部下の方が清い態度を示した場合、上司の立つ瀬は狭くなる一方ではないか。キンメルはスプルーアンスに対して一瞬、困惑した表情を浮かべ たが困惑を口には出さなかった。
「………もういい。貴官の補佐が必要な場合は私から言う」
 キンメルはこうして参謀を頼ることを自ら放棄した。



 一二月八日午後一二時五二分。
「こいつは驚いた」
 対空巡洋艦吉野艦橋で剛龍、捷龍から攻撃隊が発艦していくのを眺めていた結城 仁大佐はあまり驚いてない様子で驚きを口にした。
「驚いた? 何にです?」
 吉野砲術長の網城 雄介少佐が尋ねる。まだ合衆国艦隊の攻撃隊は確認されていないため、網城は吉野の艦橋にいた。
「あの攻撃隊の数さ。一二〇………いや、一四〇機はいるか? しかも大半が艦攻、艦爆じゃないか」
 剛龍と捷龍の搭載機数は各八六機だとされている。それが一四〇機近い攻撃機を送り出す。それはあまりに異様な光景だった。少なくとも空母機動部隊の戦術を研究し、その研究を土台に対空戦闘を編み出しつつある結城 仁にとってはあまりに異様な光景だった。
「攻撃機を重視した攻撃的編成だとは聞いていたが………山本サン、吉野型をそれほどまでに評価しているのか?」
 いや、それはないだろう。吉野と九頭竜は水準から見れば圧倒的な火力を持った対空巡洋艦だが、しかし二隻だけで状況が劇的に変わるはずがない。それにも関わらず艦隊用の直援機まで攻撃隊に随伴させるか、最初から戦闘機ではなく艦攻や艦爆を搭載させた理由………。
「噂に違わぬ地獄艦隊ぶりって奴か………」
 結城は唾を吐きたい衝動に駆られた。生還を望まず、ただ敵に噛み付くだけの艦隊。噛み付いた牙が敵を殺すのが先か、敵に絞め殺されるのが先か………。
 結城は頭を振って思考を切り替える。いいさ、生きることが素晴らしいと思えないというのなら、この結城 仁が教えてやるまでだ。生きるっていうことが、どれだけ美味しいことかを。
 艦長の表情がいつになく険しくなったのを確認した網城は、人知れず唾をゴクリと飲み込んだ。この戦い、ただならぬモノとなるに違いない。
 それは予感ではなく、確信であった。そして確信は事実となる。



「何だ、この攻撃は!?」
 一二月八日午後二時二三分。
 第一六任務部隊は「地獄艦隊」が送り込んだ雲霞の如き死神たちの列に襲われていた。
 直援のF4Fワイルドキャット八〇機はすでに残存機数が三〇を割り込むという散々たる有様。F4Fの防衛網を抜けた敵攻撃機は第一六任務部隊に次々と襲い掛かっていた。
「なぜだ? 敵空母は二隻………攻撃隊に振り向けられるのは多く見積もっても一〇〇機程度じゃないのか!?」
 キンメルの認識では空母一隻につき攻撃隊四〇機、直援三〇機という見積もりであった。事実、キンメルはその見積もりに従っており、日本艦隊に送り込んだ 攻撃隊の総数は一五〇機だった。なお、これは軽空母インディペンデンスの搭載機が含まれていないように思われるが、第一六任務部隊はトラック空襲の際の対 空砲と(若干数しかあがらなかったが)戦闘機の迎撃機を受けたために機数が減少しているためだ。
 しかし日本艦隊はキンメルの予想を裏切った。奴らは二隻の空母しか擁さないにも関わらず、キンメルが送り込んだ攻撃隊と変わらぬ数の攻撃隊を送り込んできたのだった。
 日本人は空母の格納庫を広く活用できる魔法でも使っているのか? 生と名誉を得るためにオペレーション・ミキサーを立案したキンメルに、山本 五十六と 地獄艦隊の意図が推し量れるはずがない。たとえ直接聞く機会があったとしても、絶対に理解できず「クレイジー!」と叫ぶだけだろう。
「駆逐艦ジョン・A・ボール被弾!」
「軽巡デトロイトより発光信号! ………『グッバイ』!!」
「敵機、なおも接近!!」
 おまけに日本人どもの技量の高さはキンメルの想像をはるかに超えていた。いや、日本人の技量が並外れたものであることは中部太平洋海戦で日本の機動部隊 と戦ったマーク・ミッチャーからも報告を受けてはいた。先月に誤って階段から滑り落ちて足を骨折し、今回の出撃から外れたミッチャー中将は「日本人の技量 は我々の水準でいうAクラスが普通に思えてしまうほどに平均値が高い」。確かそう言っていたはずだ。それを上手く活かせなかったのは私、ハズバンド・キン メルの非であろうか?
 しかし艦爆が行う急降下爆撃の命中率が八割を超えているというのが想像できるか? その半分でも高すぎるくらいだというのに………目の前の日本人たちは 神としかいいようのない技量で第一六任務部隊に爆弾を命中させていた。まるで爆弾が体の一部であるかのような正確極まりない投弾………。できることならス カウトしてやりたいくらいだ。
 その時、キンメルが座乗する重巡ミネアポリスに一機の九九式艦上爆撃機が襲い掛かった………。



 キンメル艦隊が地獄艦隊の放った刺客に苦戦していた頃、第六航空艦隊自身も苦戦していた。
 いや、キンメルは予想外の苦戦であったが、山本 五十六の苦戦はある意味で予定通りだった。
 わずか二〇機の直援機しか残さなかった第六航空艦隊は一五〇機もの敵攻撃隊に果敢に挑んでいた。二〇機の零戦隊は最初の一分間で三四機の敵機を撃墜するという信じられない戦果を示したが、しかし交戦開始から二分目で数に押され始め、開始五分目には数に飲み込まれていた。
「アニキ、敵機が迫ってくるよ………」
 太陽を背にして迫るSBDドーントレス。その青い翼が南洋の強い日差しを反射して山本たちの目に突き刺さる。山本は心底不愉快そうに顔をしかめ、喉の奥から呪詛を漏らす。
「相棒、どうせ俺たちは日向を歩けない………」
「そうだね、アニキ。太陽なんか………穢してやる!」
 源田の言葉を合図に第六航空艦隊の対空砲火が一斉に発射された。高角砲が放つ砲弾は空中で炸裂し、黒い花弁を周囲に散らす。第六航空艦隊の対空砲火で太陽は黒く塗りつぶされていく………。



 太陽を黒く塗りつぶしてしまうほど、激しい対空砲火を撃ち続けているのはやはりというか吉野と九頭竜であった。
「「高角砲は上を、機銃は下を狙え! 雷撃機を優先で落とすようにしろ!!」」
 結城と熊田の命令はそっくりそのまま同じであった。二人とも同じ結論に達し、同じ目的を果たすために戦っているのだ。
 特に雷撃機を狙う、ボフォース社から買った四〇ミリ機関砲の威力はすさまじく、この一撃を受けたTBDデバステーターは機体を粉々に砕かれ、掠めただけで翼端がちぎれとぶほどであった。
 だが特に記すべきなのは九頭竜の戦果だ。九頭竜は長一〇センチ砲の砲塔を二つはずしているとすでに記しているが、その余剰スペースに搭載された対空用噴 進弾の威力は圧巻であった。二八連装のランチャーから炎を残して飛び立つ噴進弾は弾道があまり安定しているとは言いがたかったが、しかし敵機の傍で正確に 炸裂するためにこの戦いで一番多くの敵機を撃墜した兵器となった。
 このカラクリはイギリスからもたらされた新型信管の賜物だ。信管自身に電探を仕込み、敵機との距離を計測して一定距離以上近寄ると炸裂するという新型信 管はVT(Variable-Time)信管とイギリスでは称されているらしいが、日本では「近接信管」と訳されることになっている。この新型信管は未だ 試作段階で、砲弾発射の衝撃に耐えられないという重大欠点が残されていたが、砲に比べて発射時の初速が遅い=衝撃が小さい噴進弾に搭載することは可能で あったため、九頭竜に試験的に搭載されたのだった。次々と噴進弾を発射する九頭竜は合衆国海軍のパイロットからすれば、神話世界に登場するドラゴンのよう に雄々しく、巨大な敵に思えたのだろう。この戦い以降、九頭竜は合衆国パイロットの間で「偉大なる赤竜」と呼ばれ恐れられることとなる………。
 しかし吉野と九頭竜の奮戦をもってしても合衆国海軍の進撃は食い止められなかった。
 剛龍に取り付いたドーントレスが爆弾を投下する。五〇〇ポンド爆弾は剛龍の甲板に突き刺さり、グオゥと炎を巻き上げ、すべてをなぎ払う衝撃が巻き起こる。それを見ていた結城は張り詰めた表情をさらに強張らせる。



 五〇〇ポンド爆弾が命中した瞬間、山本と源田は床に伏せて爆発と衝撃をやりすごしていた。必死に目をつぶり、爆発と衝撃が終わるのを待つ。それは永遠に感じられるほど永い一瞬。
 だが、源田は確かに感じた。目を硬く閉じたまま伏せる一瞬の間に、闇の中でも確かに輝く光の存在を。
 あの日、第一航空艦隊でくすぶっていた自分を、アニキが救い出してくれたあの日、アニキは俺に言ってくれた。
「地べたを這いずり回ってこそ見える光ってのがあるんだよ」
 その光とはこのことではないだろうか。
 そうだ。この光、その名は………。
「!!!?」
 源田がゆっくりと目を開け、体を起こす。右手、ある。左手も、ある。五体のどこも怪我をしていない。それを確認した源田はこの世界で唯一信じられるアニ キの無事を確認しようとした。アニキは………源田よりも早く立ち上がっていた。源田が目を開けたことに気づいた山本はそっと手を伸ばした。
「大丈夫か、相棒?」
「あ、ああ………」
 山本の手を借りて立ち上がる源田。
「そうだ、アニキ………剛龍は無事なんだろうか?」
「ふ………このフネは俺たちにとって三途の川の渡し舟だ。五〇〇ポンド爆弾くらいでは傷一つつかないさ」
 山本はそういうと剛龍の甲板を指差した。剛龍の甲板はまったく健在で、爆弾が命中したことも感じさせない………。いや、よく目を凝らしてみれば、確かに 炎が焦がした跡が見受けられるではないか。しかし被害らしきものはそれだけであり、剛龍の戦闘力は欠片も失われていなかった。
「すげぇ、すげぇよ! アニキ!!」
「ふ………」
「そうだ、アニキ!」
「ん………?」
「こんな時に何だけど、俺、さっき見たんだ! 闇の中で見える光………」
 源田は早口で山本にまくしたてる。
「アニキが言ってた光が、俺にも見えたんだ! さっき、爆弾を避けるために伏せてたら、俺、見えたんだ!!」
「………相棒、今は戦いに集中しろ」
 山本は源田の言葉を遮り、視線を源田から戦場に向ける。そうだ、この死地を越えなければ光も何もない。源田は両足を踏ん張り、星のマークがついた青い怪鳥たちをにらみつける。
 地獄艦隊の戦いはまだまだ続くのだ。


第一次トラック沖海戦

 一九四一年一二月八日に生起した日米両海軍による海戦の総称。
 合衆国海軍は日本海軍の漸減を狙ったオペレーション・ミキサーを立案し、太平洋艦隊司令長官ハズバンド・キンメル直率の第一六任務部隊にトラック諸島を空襲させた。
 だが当時、トラック諸島に駐留していた第六航空艦隊が痛烈な反撃を浴びせ、第一六任務部隊は空母エセックス、イントレピッドが大破(両艦共に自沈処分)、軽空母インディペンデンスが沈没し、さらにはキンメル大将戦死という大損害を受ける。
 合衆国海軍は「確かに空母二隻と軽空母一隻を失ったが、我が方は敵空母二隻を撃沈し、トラック諸島の航空兵力を壊滅させたのだからおあいこである」と主張したが、実際には第六航空艦隊の剛龍と捷龍は中破の状態で健在であった。
 この認識の差は合衆国海軍が剛龍と捷龍が装甲空母として建造されたインドミタブル級空母の改造艦であることを知らなかったということに起因している。
 結果として空母を一隻も失うことなく、逆に三隻を沈めた日本海軍は中部太平洋海戦以降不利に傾きつつあった太平洋の制海権を五分の状態に戻すことに成功したこととなる。


次回予告

 北京で蝶が羽ばたけば、ニューヨークで雨が降るという。
 では、カナダで散った蝶は世界にどのような影響を与えるのだろうか?
 様々な思惑が練りこまれた坩堝は七つの色を見せる。

次回、戦争War時代Age
第一二章「カナダの戦い<3>」


鬼は人のために戦い、人は自分のために戦う


第一〇章「地獄艦隊」

第一二章「カナダの戦い<3>」

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