戦争War時代Age
第一章「開戦」


 一九三九年六月二一日。
 ノーフォーク沖一五〇浬海域。
 真っ青な大洋を斬り裂く幾つもの航跡。鋼鉄の軍艦が徒党を組み、海原を征く。
 艦隊の中心にあったのは申し訳程度の艦上構造物しか持たない、のっぺりとした艦であった。
 CV−6 エンタープライズ。それがその軍艦の名前であった。アメリカ合衆国海軍の空母で、ヨークタウン級の二番艦である。全長二四六メートルで二万トン近い排水量を誇り、搭載機数は八〇機を超える。大型空母としては平均的な性能の艦だといえる。
 そのエンタープライズは今、搭載機を発艦させたり着艦させたりしていた。つまり、訓練の最中だということだ。
 その艦隊はエンタープライズの他にもヨークタウンとホーネット、ワスプと合計四隻の空母を保有していたが、そのことごとくが搭載機の訓練に勤しんでいた。
 この艦隊の名前は第一六任務部隊。先月に編成がなったばかりの、出来立てほやほやの任務部隊タスクフォースである。
 エンタープライズの艦橋にある提督用のシートに深々と腰かけているのはウィリアム・ハルゼー中将。第一六任務部隊の司令官であった。
 ハルゼーは空母サラトガの艦長などを歴任してきた男であるが、サラトガの艦長に任命された際、「空母の艦長になるんなら飛行機を動かせないとダメだ!」と五〇近い年齢にも関わらず、初めて操縦桿を握り、見事にパイロットのライセンスを勝ち取ったというエピソードを持っていた。合衆国海軍はハルゼーの積極果敢な性格を買い、第一六任務部隊創設の際にハルゼーを大佐から中将に昇格させて新設の任務部隊を任せることにしたのだった。
 ハルゼーはシートに腰かけて艦橋の窓からエンタープライズの甲板を見やる。エレベーターから飛行甲板に上がってきたのはF2A バッファロー。まるでビア樽のような太い胴体を持った垢抜けない合衆国海軍の主力艦上戦闘機であった。
 バッファローがサイクロンエンジンの唸りを残して甲板を発つ。ハルゼーはそれを無言で眺めながら、心のうちで呟いた。
(俺がイキナリ空母任務部隊の指揮官に任命された、か………)
 俺、ウィリアム・ハルゼーは自分でいうのも何だが、平時の指揮官には向かない。俺の過剰なまでの血気が必要となるのは戦時だけだ。平時には必要はない。
(と、いうことは………)
 あの噂は本当なのだろうか? ハルゼーは軍部でまことしやかに囁かれている噂に思いを馳せる。
 合衆国は近い将来、世界を相手に戦争をする。それが噂の内容であった。そしてそれを裏付けるかのように、合衆国は軍拡に勤しんでいた。
(世界を相手に戦争、か………)
 それはとんでもないことだ。それくらい、思慮が浅いと自らも認めているハルゼーでも分かる。だがハルゼーは胸の内に、自分でもよくわからない感情が芽生えつつあることを感じていた。
(軍人て奴は………)
 ハルゼーは自嘲気味に苦笑した。
 その時、通信士官よりの報告がハルゼーを揺り動かした。



 ハルゼー率いる第一六任務部隊を見つめる目があった。
 それは海面ギリギリから第一六任務部隊を見つめていた。潜水艦の潜望鏡。それが第一六任務部隊を見つめる目の正体であった。
「空母が四隻………か? どうやら演習しているな」
 イギリス海軍の潜水艦トルーパー艦長は潜望鏡を下ろし、深度を深く取るように命令し、副長から紙コップに入った紅茶を受け取った。
「上の空母艦隊をやり過ごしてからだな、報告の無電は」
「空母四隻を含む艦隊ですか………」
「ニューファンドランド島の基地を出発して一月近いが、艦隊規模のに接触するのは何度目だったかな、副長?」
 艦長は紅茶を美味そうにすすりながら尋ねた。副長は艦長が紅茶をすすり終えるのを待ってから言った。
「五度目になりますね。最初は戦艦部隊、次も戦艦部隊、その次は空母部隊、この間も戦艦部隊。そして今日は空母部隊でしたね」
「最初のと次のはおそらく同じ艦隊だろうが、他は多分違うな」
「艦長の推測が当たっているなら、東海岸だけでかなりの数の戦艦と空母、そして補助艦艇がひしめいていますね」
「うむ。合衆国の軍拡は驚異的である。このことを早く知らせてやりたいが………」
 艦長はトルーパーの天井を………いや、その先を見据えて言った。
「上の連中、今度も見逃してくれるかな?」



「潜水艦か………。ここはどの辺りだっけか?」
 ハルゼーの問いに参謀はすかさず答えた。
「ここはノーフォークから一五〇浬です」
「さすがにここじゃ領海内と宣言はできまい。手は出すな」
 ハルゼーの言葉を聞いた通信士官はすぐさまその旨を無電に載せようとする。だがハルゼーはそれに待ったをかけた。
「だが、大人しく帰す義理もない。駆逐艦部隊に潜水艦追撃の訓練として、追い掛け回すように言ってやれ。繰り返して言うが、手は出すなよ」
「アイアイサー」
 ハルゼーはシートに座りなおすと何かを待ちわびる表情を一瞬だけ浮かべた。
 ハルゼーは麾下の駆逐艦部隊に敵潜水艦を挑発するように命令したのだった。もしもこの挑発に(迂闊にも)引っかかっり、潜水艦が駆逐艦部隊に攻撃でもしかけたなら、ハルゼーは遠慮なく全戦力をぶつけるつもりであった。そうなれば………戦争の始まりだ。ハルゼーはこの、戦争を招くかもしれない挑発命令に言い知れぬ快感を感じていた。禁忌に触れることはある種の快感をもたらすのだ。
「さて………どうするかな?」
 ハルゼーの呟き声は小さく、誰にも聞かれなかったが、その響きは祭を前にした子供のように弾んでいた。
 だが、潜水艦トルーパーはハルゼーの挑発に乗ることはなかった。ハルゼーの心をときめかせる祭の始まりは、もう少し後のことになるのであった。



 一九四〇年九月四日。
 カナダ連邦首都オタワ。
「お久しぶりです、首相」
 カナダ連邦首相ウィリアム・キングは大英帝国より訪れてきた首相に頭を下げた。キングの言葉を慇懃に受け止めたのは一九四〇年五月に大英帝国首相となったウィンストン・チャーチルであった。
 チャーチルは愛用の葉巻、ダンヒル社のロミオ・アンド・ジュリエットを取り出し、カッターで吸い口を切るとおもむろに咥えて火をつけた。濃厚な紫煙がチャーチルの肺を満たす。
「キング首相、首相の提案は同盟の会議の結果、採用となりました」
 チャーチルは紫煙を吐きながら言った。
「おお、それはありがたい」
 キングは安心の表情を浮かべ、息を吐いた。
「アメリカの戦時体制はほぼ整い終えた………。一刻も早く、カナダに同盟の主力部隊を揃えて頂かなければいけません」
「キング首相の懸念はもっともですからね。今年の暮れには一〇個師団が常駐することとなるでしょう」
 チャーチルはそう言うと、吸い終えた葉巻を灰皿に押し付けた。
「夏が………近いですね」
「夏?」
 今は九月である。カナダ人が最も愛する秋の季節だというのに………チャーチルは何を言おうとしてるのだろうか。
「何、暦の春ではありません………。戦争の夏ですよ」
 チャーチルは心底待ち遠しいと言わんばかりの表情で呟いた。



 一九四〇年九月一八日。
 大日本帝国首都東京。
 まだできたての、真新しい鉄筋コンクリートの建物が霞ヶ関にそびえたっていた。
 陽光に正対し、煌く真鍮製の看板には「統合作戦本部」の文字。そう、ここは大日本帝国が陸軍と海軍の上位に位置する組織として新たに編成した統合作戦本部のビルなのであった。
 統合作戦本部とはいわば常設の大本営という位置付けであったが、その管理は天皇ではなく内閣に任されていた。
 統合作戦本部の設置の直接の原因は、一九三六年二月二六日、「2・26事件」と呼ばれる陸軍青年将校の暴走が原因であった。
「帝国を救う道は同盟に加入することではなく、大陸に侵出することである!」。そう叫んだ青年将校は首相官邸など、東京の主要機関を襲撃。同盟脱退と大陸への侵出を政府に申し出たのであった。
 詳細は割愛するが、このクーデターに誰よりも遺憾の意を表明したのは軍の統帥権を独占する存在、天皇であった。昭和帝は決起した青年将校を激しく非難し、自ら近衛兵を率いて鎮圧に乗り出すとまで言い出したのだった。
 軍の最高責任者である天皇の支持を取り付けることが出来なかった青年将校たちは間もなく鎮圧され、事件自体は三日も経たないうちに終結となったのであった。だが、2・26事件に端を発する事態は、それからが始まりだった。
 事件の調査を行った警視庁は青年将校の生き残りから、「同盟への加入によって、我々軍部には同盟軍の一員として出動する可能性が出た。これは統帥権の干犯になるのではないか」との証言を得ることになる。
 この証言を聞いた天皇は、「軍に多大な権力を与えては暴発するだけだ」と先人の定めた決まりを嘆き、その過ちを正すことにした。
 そして一九三六年八月一五日。昭和帝は自ら神秘のベールの奥から前へ出た。
 NHKのラジオ放送にて軍の管理を内閣に委ねると宣言したのであった。
 この衝撃は非常に大きく、大日本帝国の軍部を激しく揺さぶった。だが、天皇自身が2・26事件に憤慨しており、自らその策を言い出したのだとあっては反対する術はなかった。
 そして既存の陸軍と海軍の上に立つ組織として、統合作戦本部が作り出されたのであった。
 統合作戦本部の人員は陸海軍の佐官以上で構成され、陸海軍の統率を引き受けるのであった。
 その統合作戦本部ビルの八階。最上階に統合作戦本部長の執務室が置かれていた。
 統合作戦本部長遠田 邦彦陸軍大将は漆黒の受話器を手に、執務室の窓にかかるブラインドの隙間を広げて陽光の眩しさに目を細めた。
「そうですか………。カナダに一〇個師団を常駐させることにしましたか」
 遠田は電話の向こうの相手の言葉に頷きながら、しかし逆接の接続詞を先頭に尋ねた。
「ですがあまりに多い戦力は、かえってアメリカを刺激するのでは?」
 遠田はブラインドの隙間を広げるのをやめた。元の間隔に戻ったブラインドによって、残暑の強い日差しは遮られ、執務室はうっすらと暗くなる。
「………それこそが望み? ふっ、さすがですね。生ぬるいヒューマニズムなどクソ食らえですか」
 電話越しの声が遠田の言葉に対し、愉快そうに響く。
「ははは。確かに、私に言われたくはないでしょうな。では、首相………帝国もそれなりの準備にかからせてもらいますよ」
 遠田は受話器をそっと置き、ブザーを押して、下で待機している従卒にコーヒーを運ぶように言った。コーヒーを待つ間、遠田はしみじみと呟いた。
「夏が待ち遠しい、か………。困った首相様だ」
 もっとも、私も同じ「困った人種」であるが。
 遠田は従卒が運んできたコーヒーを一口すすり、自嘲気味に口元を緩めた。



「ちゅーか何なんだよ、オイ」
 運ばれてきたコーヒーを一口すすって、男は満面に不平を浮かべて言った。男の前にいるのは二人の男。二人は顔立ちに類似点が、非常に多かった。
「どーして久しぶりの休暇を、おめーらと過ごさなきゃいけないんだよ!」
 うがー、と呻いて男は立ちあがった。店内の客という客が男に視線を送る。「五月蝿いぞ、この野郎」と言いたげだ。
「山木、他の人の迷惑だろうが」
 周囲の視線が痛い。自分に向けられたわけでもないが、痛いモノは痛い。そういうニュアンスをこめて結城 光洋は独りで騒ぐ男―山木 竜馬をたしなめた。
ゴガツバエうるさい! オレにとって三ヵ月ぶりくらいの陸上なんだぞ。それまでずっと海の上で訓練、訓練にあけくれてたんだぞ」
 山木は唇を尖らせて言った。
「なのに何でせっかくの休暇に野郎ばっかでこーしー飲まなきゃいけないんだよぉ! オレっちとしては、おにゃのこと遊びたいんだよ〜!!」
 山木は頭を抱えて机に突っ伏してオイオイと泣きじゃくる。無論、本気で泣きはしない。そういうポーズをしているだけだ。それを見た結城は呆れ顔で言った。
「ったく、久しぶりに会ったけど、全然成長しないんだな、アンタ。大体、俺たちといるのがイヤならさっさと行きゃいいじゃないか、どっか」
 山木は「その相手がいりゃ悩みはしねーっちゅーの!」と自慢げに応えた。
 結城 光洋はこの騒ぎの中でも自分の調子を崩さず、紅茶の香りと味を楽しみ続けているもう一人に言った。
「アニキ、海軍は大丈夫なのか? こんなのが中佐だなんて」
 もう一人、結城 仁は弟に応えた。
「まぁ、海の上ではしっかりやってるらしいから、いいんじゃないの?」
 結城 仁は紅茶の香りを楽しんでから一口。
「それに、俺もマイペースさには自信あるけど、海軍中佐だしね」
「ちゅーかな、光洋」
 山木はムクリと起き上がると光洋を指差して言った。
「おめは少佐じゃねーか。だったらもう少しオレを敬えよ。オレ様、中佐なんだから」
「少佐は少佐でも陸軍少佐。組織が違うんだから文句言われる筋じゃないね」
「今じゃ海軍も陸軍も統合作戦本部の傘下だろーが!」
 山木はカップに残っていたコーヒーをすべて飲み干すと、カップを高らかと掲げた。
「マスター、おかわり」
「………で、アニキたちが揃って休暇とはどういうことだい?」
 光洋は真面目な表情で二人に尋ねた。
「オレの衣笠はメンテだ。ドックでしばらくオヤスミってわけだ」
 山木は帝国海軍重巡洋艦衣笠の副長を務めているのだった。
「俺は今度起工されることになる新造艦に関わるように言われたからだな」
「なるほど。この時期にメンテに新造艦ねぇ………。ここんとこ、キナ臭いと言われ続けてるけど、いよいよ来るのかな?」
「さぁねぇ。それはガーディナー大統領に聞くしかないんじゃないのぉ」
 仁はのんびりした表情で紅茶を飲み干した。
「ちょちょちょ」
 山木は仁の肩を連打する。
「新造艦て何それ? え? おめ、もしかしてカンチョになるってか?」
「ああ。四一年の人事で大佐に昇格だってさ」
「マジでぇ!? んじゃおめと同期のオレ様にも昇格の話、来るかも………。いやー、大佐かー」
 いよいよオレ様も一国一城の主ってわけだ。自分が純白の二種軍装で艦長として艦橋に腕を組んで仁王立ちする姿を思い浮かべ、山木は歓喜に打ち震える。ちなみに山木が感動に震えた時、想像の中の山木の背後でデカい波が打ち寄せた。ザッパーンというSEが山木の耳を確かに打った。
「しかしアニキ、その話………誰に聞いたんだ?」
 もしかして………。光洋は嫌な予感を感じながらも訊いた。
「もしかして、オヤジからか?」
「ああ。その通り」
 ご名答。仁は弟の推理が当たったことを褒めた。だが弟の方は機嫌を悪くして言った。
「チッ。あのオヤジめ、いよいよ本格始動ってわけか………」
「オヤジ? 結城んチのオヤジといえば………」
「そうだ。あの忌々しい、『鬼畜王』だ」
 光洋の苦虫を噛み潰した表情を見た仁は苦笑を浮かべた。
「相変わらずだな、光洋」
「アニキこそあの現人鬼あらひとおにをよく許せるな。あんなのが大手を振って出世街道ってのを駆け上がるから、世界に災いは尽きないのさ!」
「しっかし、まぁ………」
 山木は頭をポリポリと掻きながら、おかわりしたコーヒーに口をつけた。
「どーしてそこまで嫌うのかねぇ。ま、オレにゃかんけー無いけどさ」



 次男に毛嫌いされている男は統合作戦本部の遠田の許を訪れていた。
 結城 繁治。実の息子から現人鬼と呼ばれる男は、今年で五四歳になる海軍中将であった。背恰好は常人と変わらない、平均身長と平均体重を少しも上回らず下回らない。容姿だって少しも秀でていない。見た目にはどこにでもいる白髪交じりの初老の男であった。
「お久しぶりですね、遠田さん」
 結城は遠田にくだけた形で敬礼。遠田は微笑みながらそれに応えた。
「ええ、久しぶりです」
 遠田は結城にソファーに座るように勧めた。結城はそれに腰かけると、ポケットからタバコを取り出して火を灯した。遠田もタバコを咥え、火をつけて言った。
「さて、結城中将。貴方にはカナダに飛んでもらうことになるでしょう」
「カナダ? また遠いですね」
「貴方の才能が必要なのは、こんな後方ではない。前線において、貴方の才は必要となる」
「ですが、私は海軍ですよ? カナダに行くべきは陸軍では?」
「すぐれた戦略家に陸も海も無い。戦略家の見据える先は所属に関係なく同じのはず………ちがいますか?」
 ……………。結城は遠田を見つめながら、黙々とタバコを吹かし続ける。遠田も同じくであった。
「わかりました。行きましょう」
「どうも」
「ただし」
 結城は吸い終えたタバコを灰皿の上に置き、用意されていたコーヒーのカップを手にすると灰皿の上にコーヒーをぶちまけた。まだ赤々と火が灯っていたタバコはコーヒーの黒によって呑みこまれて「ジュッ」という断末魔を残す。
「一人でいいから、優秀な助手を連れて行きたい」
「貴方がそういうのはわかっていましたよ」
 遠田はブザーを押し、「滝沢少佐を呼んでくれ」と言った。
 二分にも満たない間の後、ドアがノックされた。
「入れ」
 遠田の声を聞いてからドアが開け放たれ、一人の男がズカズカと確かな足取りで入ってきた。男はきびきびとした動作で敬礼。
「自分は帝国陸軍少佐滝沢 紳司であります」
「そうか。よろしく頼むぞ」
「こちらこそよろしくお願いします。噂に名高い鬼畜王のお手前………間近で見させていただきます」
「では来月中にはカナダで待機していてくれ。細かいことは後で伝えさせる」
「了解」
 統合作戦本部長の言葉に結城と滝沢は敬礼。
 結城と滝沢は翌週にはカナダ行きの定期便に乗り込んで、日本を発つ事となる………。



 一九四〇年一二月八日。
 ニューファンドランド島北東二〇〇浬海域。
 ユニオンジャックを誇らしげに掲げる大戦艦を先頭に、数十隻の艦隊が南西を目指して航行していた。
 大英帝国カナダ派遣艦隊であった。
 旗艦は新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズ。新型三六センチ砲を合計一〇門搭載する、王室海軍ロイヤルネイビー最新にして最強の戦艦キング・ジョージ五世級三番艦である。本来ならば、一九四一年に竣工するはずだった本艦であるが、突貫工事の末に四〇年九月に完成させることができ、大童でカナダ派遣艦隊の旗艦としたのであった。
 そのまっさらな戦艦に座乗するはトーマス・フィリップス大将であった。
「この出来立てほやほやのプリンス・オブ・ウェールズを派遣するのだ。アメリカも我が国………いや、オルレアン同盟が如何に本気であるかを思い知って、矛を収めてくれるといいんだがな」
 フィリップスの呟きに、プリンス・オブ・ウェールズ艦長のジョン・リーチ大佐が言った。
「大丈夫ですよ、提督。我が艦隊はプリンス・オブ・ウェールズだけではありませんし」
 リーチ艦長はプリンス・オブ・ウェールズに続く艦隊のことを言っていた。
 巡洋戦艦レパルスとフッド。ヨークなどに代表される巡洋艦。そして海を走る豹の如き駆逐艦………。
 だがオルレアン同盟の派遣する艦隊はそれだけではない。英国艦隊より数十浬後方には陸軍部隊を載せた輸送艦隊と戦艦ビスマルクを始めとするドイツ艦隊も続いていた。
 牽制としてはこれ以上無いくらいに強力な戦力であった。
「大丈夫。大丈夫ですって」
 フィリップスはリーチの言葉に頷き返した。
 だが、見張り員の悲痛の報告がフィリップスたちの耳を叩いた。
「み、南の方角に敵機! 急速に我が艦隊に接近しています!!」
「何だと!?」
 フィリップスは首に提げていた双眼鏡を手にとって覗き見る。フィリップスの目には双眼鏡を使っても尚黒いごま粒にしか見えなかったが、この艦隊に向かってくるからには敵機なのだろう。
「リーチ艦長、第一種戦闘態勢だ。他艦にも伝えさせろ、急げ!」
「は、はい!」
「………いや、待て。まだ撃たせるな」
 フィリップスはしばしの沈黙の後にリーチたちを止めた。
「まだ、戦争は始まっておらんのだ………。あの編隊と話、できないか?」
「提督………。おい、できるのか?」
 リーチは通信兵に尋ねた。通信兵は面食らった様子で答えた。
「え? は、はぁ、おそらくは」
「なら、試してくれないか」
「は、はい………。どうぞ」
 通信兵から手渡されたマイクをフィリップスはしっかと握り締め、口を開いた。
「私は王室海軍のトーマス・フィリップス中将だ。我が艦隊はカナダへの航行訓練の最中だ。君たちは一体………」
 フィリップスの言葉は途中で遮られた。フィリップスが言い終える前に、相手が返してきたのだ、笑い声で。
『ハハハ………ハーハッハッハッハッハッ』
「な、何だというのだね………」
『甘ちゃんめ。貴様に、この時代を生きる資格は無いってことだ!』
「なっ………!? どういう………」
「敵編隊、散開しました!」
 見張り員の叫びに一同は視線を敵編隊に移す。もう敵編隊は肉眼でも捉えることができるほどに接近していた。
「か、艦長! 撃て! 今すぐに………」
 フィリップスが慌ててリーチに指令を出す。慌てすぎたため、フィリップスはマイクが入ったままだと気付いていなかった。再びスピーカーが非情な声を拾った。
『滑稽だな、王室海軍!』
 その声を皮切りに、敵機が次々とカナダ派遣艦隊に襲い掛かる。その敵機は眩しいほどに白い星を胴体と翼に描いていた。それは………合衆国海軍所属であることを示す星であった。



 一九四一年一二月八日。
 アメリカ合衆国・カナダ連邦国境。
 その日の国境付近は雪が降っていた。
 だが、降っていたのは雪だけではなかった。真っ黒い、禍々しい鉄の塊も降り注いでいたのだった。
 二時間以上も鉄が降り注いだ後、アメリカ側の国境から、降り積もった雪の大地を無限軌道で叩きながら、鋼の猛牛が姿を現した。
 この日、誰もがいつかは来ると感じていた日がついに訪れたのであった。
 アメリカ合衆国、カナダ連邦侵攻。そして、オルレアン同盟への宣戦布告………。
 誰もが狂う時代はこうして始まったのであった。


次回予告

 アメリカ合衆国海軍の空母から飛び立った航空機部隊はカナダ派遣艦隊を鎧袖一触とした。
 さらに北上を開始する合衆国戦艦部隊………。
 圧倒的な数と性能を誇る合衆国海軍の精鋭を相手に、最も新しい老兵が挑む!
 

次回、戦争War時代Age
第二章「ビスマルク、征く!」


本当に悪いのは生れ落ちた時代だけなのか?


序章「星条旗、孤立」

第二章「ビスマルク、征く!」

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