戦争War時代Age
第二章「ビスマルク、征く!」


 一九四〇年一二月八日。
 ニューファンドランド島北東二〇〇浬海域。
「敵機直上! 急降下〜!」
 合衆国海軍最新鋭艦上爆撃機SBD ドーントレスがダイブブレーキを開き、金切り声をあげながら英戦艦プリンス・オブ・ウェールズに逆落としに突っ込んでくる。
 体当たりを敢行するのではないかと思えるほどの凄まじい降下であった。だが激突寸前でドーントレスは黒い糞のようなモノを投下し、急上昇でプリンス・オブ・ウェールズから急速に離れていった。
 黒い糞ばくだんはプリンス・オブ・ウェールズの甲板を突き破って炸裂。水兵の居住区をズタズタに引き裂いた。
 高角砲と副砲を兼ねる五.二五インチ砲が必死に弾幕を形成しようとするが、砲の旋回速度は明らかにドーントレスの速さについていけていなかった。
 プリンス・オブ・ウェールズに座乗するトーマス・フィリップスは、艦橋で額に滲む汗を拭うことすら忘れて状況を見入っていた。いや、見ているしかできていなかった。
「クソッ………こんなことに………」
「左舷より雷撃機、来ます!」
 左の方からTBD デバステーターが迫ってきていたのである。それを見たプリンス・オブ・ウェールズ艦長ジョン・リーチは咄嗟に叫んだ。
「面舵一杯!」
 プリンス・オブ・ウェールズの舵輪が勢いよく回転し、右に曲がる。左から来ていたデバステーターの投下した魚雷はプリンス・オブ・ウェールズの左舷ギリギリを通過していった。
 雷撃の難は逃れることができた。リーチは一時の安堵を確信し、緊張をほぐすために深く呼吸を行った。だがプリンス・オブ・ウェールズは危機を脱してなどいなかった。
「右舷より雷撃機!」
「何!?」
「取り舵、取り舵だ! 急げ!!」
「違う! 艦長、面舵を切り続けるべきだ!!」
 フィリップスは瞬間的にリーチの指示が過ちであることを悟り、叫んだ。だが操舵手は艦長の命令に従っていた。右への慣性が残っているプリンス・オブ・ウェールズがすぐさま左に曲がれるはずがない。プリンス・オブ・ウェールズはその時、右にも左にも曲がらず、直進している状態であった。
 結果的にプリンス・オブ・ウェールズは右舷より来ていたデバステーター四機の放った魚雷を四本すべてを受け止めることとなった。
「うわわ!?」
 天地をひっくり返そうかというほどの揺れがフィリップスたちに襲い掛かる。
「被害報告!」
 揺れで転んだ際に左こめかみの辺りを切ったのだろう。顔面の左半分を紅く染めながらリーチは叫んだ。
「機関室、浸水!」
「何!?」
「出しうる速力は? 何ノット出せるのだ!?」
「八ノット出せれば運がいい方です!」
「八ノット!?」
 プリンス・オブ・ウェールズは二七.五ノットの最大速力を誇る。それが八ノット………。もはや動けないと同意義ではないか、航空機相手には!
「そうだ………。フッドやレパルスは無事なのか?」
 フィリップスはプリンス・オブ・ウェールズと同様に苦戦を強いられているであろう僚艦のことを思い出し、尋ねた。
「レパルスは魚雷三本を受け、主砲が半分使用不可能になったそうですが、速力は二八ノットと未だに健在。フッドに至っては………」
 僚艦の状況を伝える通信兵が、誇らしげにフッドを指差した。
「フッドは被弾ゼロ! 無傷のまま健在であります!!」
 フッドは巧みな操艦でドーントレスとデバステーターの攻撃をかわし続けていた。それはまるで闘牛士の如し。突っ込んでくる合衆国海軍機をヒラリヒラリとかわし続けていた。
 フッドが健在であることを知ったフィリップスは咄嗟に決断した。
「フッドに連絡。健在な残存兵力を率いてカナダを目指せ、そう伝えるんだ」
「提督!?」
「おそらく、これが最善だ。もはやプリンス・オブ・ウェールズとレパルスは戦えん。戦えん旗艦を気にして、戦える艦まで浪費させる必要は無いのだ」
「わ、わかりました。では提督、提督はフッドに旗艦を移してください」
「いや、その時間すら惜しい。フッドのラルフ・カー大佐に、彼の判断で動くように伝えておいてくれ」
「提督!」
 リーチはフィリップスの言葉に目を大きく見開いた。
「あの米軍機のいうように、私にはこの時代を生きる資格はないのかもしれない………。この事態の責任を取るためにも、プリンス・オブ・ウェールズから離れはしないさ」
「提督………」
「我々はかのネルソン提督の後継者だ。義務を果たすまで、戦い続けるぞ!」
「………はい!」



 四時間後。
 第一六任務部隊旗艦エンタープライズ艦橋。
「第三次攻撃隊より連絡。プリンス・オブ・ウェールズ及びレパルスの撃沈を確認したそうです」
 第三次攻撃隊からの通信文を読み上げる参謀。その主旨が伝わった時、参謀の言葉が途切れる前に第一六任務部隊の司令官は喜色を爆発させた。
「ぶわははは! やった、やったぞ! 俺が、俺様が、世界で始めて航空機による戦艦撃沈を成し遂げたんだ!!」
「おめでとうございます、提督」
「戦艦の時代に引導を渡した闘将ハルゼーの誕生ですね」
「提督、第四次攻撃隊を出しましょう! 残存戦力を一網打尽にしましょう!!」
 豪快に笑うハルゼーとハルゼーをはやし立てる参謀たち。だがハルゼーは参謀たちに言った。
「いや、我々の攻撃は第三次までとする」
「え………どうしてです?」
「爆弾と魚雷は無限にあるわけではないし………」
 ハルゼーはニューファンドランド島近海の海図に指をなぞらせる。
「この海域にいる艦隊は我々だけではないからだ」



「生き残ったのは巡洋艦六隻と駆逐艦一〇隻………、そして我がフッドだけか」
 空襲にさらされ続けていたプリンス・オブ・ウェールズ、そしてレパルスを置き去りとして英国カナダ派遣艦隊はある程度の戦力を逃がすことに成功していた。
 だがフッド艦長ラルフ・カーの気持ちはそんなことで晴れはしなかった。
「フィリップス提督………」
 プリンス・オブ・ウェールズは最終的に魚雷八本、爆弾一四発を受け、力尽きた巨象のように横倒しとなって沈んだという。レパルスは魚雷六本、爆弾一七発を受けて船体を二つに裂かれて沈んだ。今から三時間前のことである。
 だがカーに感傷に浸っている暇など無かった。カーは拳を硬く握り締めて命令した。
「航海長、すまんが海図を見せてくれ」
 カーは航海長に海図を広げさせ、英国海軍カナダ派遣艦隊の位置を記させた。
「………後続のドイツ艦隊と合流しよう」
 海図を眺めること三〇秒あまり。カーはフッドの主要メンバーを見回しながら言った。
「この戦力では心許なさすぎる。後続のドイツ艦隊と合流し、戦力を立て直そう」
 オルレアン同盟の成立より此の方、ヨーロッパ諸国は艦隊を組んでも差支えがないように合同訓練を幾度も行っている。オルレアン同盟への加入と同時に再建が開始されたドイツ海軍に至っては、オルレアン同盟諸国との合同訓練が海軍再建の大きなきっかけとなるほどであった。故に英国艦隊とドイツ艦隊の合流は容易である。
「了解。では進路を後方に向けま………」
 航海長がカーの命令を復唱しようとした時、フッドは幾重もの水柱に包み込まれた。先ほどの空襲で一発の被弾もなかったフッドの強運は健在で、その水柱はフッドに何の障害も残さなかった。だが、先の空襲での急降下爆撃とは比べ物にもならぬほどに大きな水柱によってかき乱された水流はフッドを容赦なく揺らした。
「な、何だ!?」
「右舷方向に敵艦隊………戦艦です! 戦艦部隊です!!」
「何だと!?」
 カーは双眼鏡を覗き込む。水平線の彼方より姿を現す巨大な影。それはまさしく大海獣せんかんであった。
「籠マスト………? いや、違う。新世代ニュージェネレーション戦艦か!!」
 その艦影はワシントン条約の失効以後に急速な軍拡を開始し始めたアメリカ合衆国海軍が、量産性を重視して設計したと聞くノースカロライナ級戦艦であろう。カーは情報局から聞いていた情報を頭の引き出しから取り出して、再確認する。
 主砲は四〇センチ三連装砲塔を三基装備しており、合計で九門となる。全長は四〇センチ砲クラスの戦艦としては小型で、二一〇メートルを切るほどらしい。速力は二七ノットと条約以前の物と比べて七ノット近い向上を見せている。このノースカロライナ級は条約明けの、新時代の戦艦と呼ぶに相応しい性能を誇っていた。条約以前のフッドで勝てる相手ではない。おまけに………。
 再び水柱が立ち昇り、フッドは激しく揺さぶられた。
「二隻目か………」
 こちらの方が質でも劣るのに、数で二倍の差をつけられては勝ち目など考えるだけ無駄というものだ。カーは躊躇わなかった。
「回頭一八〇度。フッドが唯一、敵新型戦艦に勝っている速力を最大に発揮するんだ」
 フッドの最大速力は二九ノットである。二ノットの差はわずかでしかないが、カーはそれに望みを託すしかなかった。
 カーは全身から冷や汗を滲ませながら、確たる姿を持たない実力者かみさまに語りかける。
「大丈夫………。このフッドは強運の艦だ。さっきの空襲だって、一度の被弾もなかったんだ。きっと大丈夫ですよね、神様………」
 しかし一九世紀末の哲学者ニーチェがいうように、やはり神は死んでいたらしい。ノースカロライナ級戦艦の放った一弾がフッドの砲塔を直撃。魔弾はフッド砲塔の天蓋を貫き、弾薬庫で信管を作動させ………。
 フッドが光に包まれたかと思われた次の瞬間、英国海軍の象徴とまで言われたフッドの秀麗な姿はバラバラに砕け散っていた。天蓋を貫き、弾薬庫で炸裂した四〇センチ砲弾は、フッドの三八センチ砲弾を次々と誘爆させたのだった。内側からの猛烈な衝撃にフッドの艦体は耐えることができなかった。これは典型的な爆沈であった。



「英国カナダ派遣艦隊が全滅しただと!?」
 カナダに送られるはずだった輸送船団の護衛として付き添っていたドイツ艦隊のギュンター・リュッチェンス中将は本国からの報告に素っ頓狂な声をあげた。
「はい。どうやら合衆国海軍はハナから空襲の間に戦艦部隊を前進させ、空襲の取りこぼしを戦艦で駆逐する作戦だったようです」
 ドイツ艦隊旗艦戦艦ビスマルク艦長エルンスト・リンデマン大佐の報告を聞いたリュッチェンスは恐る恐る尋ねた。
「空襲から逃れることができたフッドは………、フッドがまったく敵わなかったのか?」
「どうやらフッドは一撃で爆沈した模様。反撃の暇もなかったとか」
「何ということだ………」
 信じられないとビスマルク艦橋の天井を仰ぐリュッチェンス。
「提督、同盟本部は本輸送艦隊のカナダ行きを一旦中止し、体制を立て直してから再度行うことにしたそうです」
 オルレアン同盟の決定を読み上げるリンデマン。リュッチェンスは無表情でそれを聞き、そして言った。
「体制を立て直す。それはよかろう………。だが」
 リュッチェンスは腕を組んで続けた。
「フッドを粉砕した敵戦艦部隊は我々に向かい続けているそうではないか」
 リュッチェンスの言葉を聞いたリンデマンはシニカルに口元を吊り上げた。
「その通りです。我がビスマルクの速力は二九ノットですが………」
「輸送船団全体の速力はせいぜい二二ノットでしかない………。これでは追いつかれてしまい、全滅するだけだ」
「では、いかがなさいます、提督?」
「………もうじき日が暮れる。太陽さえ落ちれば空襲はできなくなる。と、なれば今迫ってきている戦艦部隊。これをある程度足止めできれば輸送船団は無事に逃げ切れるだろうな」
「我々の戦力は戦艦一隻と重巡洋艦プリンツ・オイゲン、そして駆逐艦六隻だけですよ」
「それでも足止めにはなる」
 リュッチェンスはもはや議論の余地は無い、と結論を口にした。
「我々はここで敵戦艦部隊に挑み、輸送船団が逃げ切れる時間を作る。戦艦と重巡が一隻ずつしかいないような艦隊ならたとえ全滅しても、輸送船団の陸軍精鋭四個師団さえ無事ならお釣りが来るだろう」
 リュッチェンスは面白くなさそうな、憮然とした表情で言った。
「それに、こんな最新鋭旧式戦艦なぞここで踏ん張りでもしなければ活躍の機会は無いだろうしな」



 戦艦ビスマルク。
 再軍備を開始したドイツ第三帝国が初めて建造した戦艦で、現在の所世界最大の戦艦である。
 だがビスマルクはリュッチェンスの言葉にもあるように、最新鋭の旧式戦艦であった。
 ビスマルクはドイツ第二帝国、つまり先の第一次世界大戦の際のドイツ海軍の戦訓を元に建造された戦艦であった。二〇年以上前のコンセプトで建造された戦艦が、一九四〇年に通用するはずはなかった。
 なお、オルレアン同盟の成立で、ドイツ海軍は英国海軍や帝国海軍などの技術、ノウハウを手にすることが出来ている。しかしビスマルクはその時、すでに建造が開始されていたのでオルレアン同盟の恩恵を受けることはできなかったのだった。オルレアン同盟の恩恵を受けた戦艦として建造されたのはビスマルク級二番艦となるはずだったティルピッツ以降となっている。ティルピッツはほぼ新規設計といっても過言がないほどに設計が修正され、一九四〇年で戦うのに過不足ない艦として仕上がっていた。
 それだけに………戦艦ビスマルクの地位が微妙なモノになるのは当然であった。
 ドイツ海軍はこのビスマルクを新品の旧式戦艦とみなし、通商破壊や通商護衛などを行わせるつもりだったのだ。だからこそ、ビスマルクは輸送船団の護衛を行っているのであった。



 一九四〇年一二月八日。
 太陽は水平線の下に隠れ、黒の帳が辺りを包んでいた。空には弱々しくおぼろげに輝く月と星。まるで幻想のような光景であった。
 しかし幻想とは程遠い、破壊のために生み出された鉄の艦隊がその下で海を切り裂いていた。
 艦隊旗艦であるノースカロライナ級戦艦三番艦サウスダコタに座乗するウィリアム・パイ中将は興奮冷めやらぬ様子で艦橋に佇んでいた。
 夕刻にイギリス海軍が誇りとしている戦艦フッドを轟沈せしめ、残った巡洋艦、駆逐艦を残さず食らいつくしたにも関わらず、パイの戦闘欲求は未だに収まっていなかった。
「フッドはイギリスの誇りといえども所詮は旧式………。このサウスダコタの敵ではないのは揺るがぬ真理であり、事実そうなった」
 パイは自分にしか聞こえないほど小さな声で呟いた。
「だがビスマルクは条約明けに建造された、最新鋭戦艦………。かの偉大な『鉄血宰相』こそがサウスダコタの相手に相応しい」
 ビスマルクが時代遅れのコンセプトで建造された戦艦であることはオルレアン同盟内でも最重要機密とされていた。そのためにパイがビスマルクが先ほど撃沈したフッドと似たり寄ったりな存在であることを知る由もなく………。パイは自ら座乗する戦艦サウスダコタとノースカロライナ級四番艦であるインディアナが強敵と雌雄を決さんとする姿を想像して打ち震えるばかりであった。
 そんなことをしているうちに時計の針は進み、時計の針が九時ちょうどを指した時、見張り員の叫び声がパイの鼓膜を振るわせた。
「北東の方角に敵艦発見! 距離………二〇〇〇〇!」
「いよいよ来たか!」
 パイは拳を硬く握り締め、サウスダコタ艦長チャールズ・ウォーラム大佐に言った。
「艦長、敵はビスマルクだ。油断せず、定石通りにいこう」
「アイアイサー」
 ウォーラムは自慢のバリトンの声で操舵手に言った。
「聞いての通りだ。もう少し距離が詰まったら取り舵を切れ。ドイツ艦隊にT字を描くぞ」
「了解!」
「後続のインディアナにもそのように伝えろ。巡洋艦は水雷戦隊と協力し、敵水雷戦隊の排除。機会があるならビスマルクに雷撃を行うように伝えろ」
 パイは通信兵にそう言うと、指揮官用のシートに背を預けて腕を組んだ。ウォーラムはパイに話しかけた。
「ドイツ艦隊は総勢で一〇隻程度しかありません。にも関わらず、彼らは戦いを挑むとは………」
「ドイツ艦隊の目論見はわかっている。彼らは輸送艦隊を護るために、必死の決意で我々を食い止めるつもりなのだろう」
「………必死の敵ほど恐ろしいものはありませんな」
「その通りだ。だからこそ、我々は全力で彼らの挑戦を受けるのだよ」
 灯火管制の中であるために、サウスダコタ艦橋内は暗い。しかし、サウスダコタは唐突かつ瞬間的に真っ白い光に包まれた。
 サウスダコタの、合計九門の四〇センチ砲が咆哮を開始したのであった。
「さぁて、鉄血宰相………。どうでる?」
 砲戦距離は一三〇〇〇。しかし夜の帳が視界を遮る中での砲戦である。サウスダコタの放った砲弾は水柱を立てるだけだった。
「夜では弾着観測機も飛ばせない………。提督、探照灯を照射してみましょうか?」
「いや、それではこちらが的になるだけだ。それに命中率が低下するのは向こうとて同様。気にする必要はない。砲術長にはじっくり腰をすえて撃て、と伝えろ」
「ロジャー………うっ!?」
 ウォーラムは瞳孔を突き刺さんばかりの光を受けて、眉をひそめた。
「何だ、この光は………!?」
「ビスマルクだ………。ビスマルクが探照灯照射を開始しました!」
「何!? 戦力はこちらが圧倒的優勢なんだぞ! わざわざ的になりに来たというのか………?」
 ビスマルクの探照灯照射によってあらわとなるサウスダコタの船体。ドイツ艦隊の砲弾がサウスダコタに降り注ぎ………サウスダコタの装甲を激しく打ち付けた。
「砲術長、かまわん。吹っ飛ばせ! 無謀な探照灯照射がどういう結果を生むか………身をもって教えてやるのだ!!」
 ウォーラムの檄が飛び、サウスダコタは咆哮を続ける。
 だが、米艦隊の砲撃は一発も探照灯照射を続けるビスマルクに当たりはしなかった。逆にビスマルクの放つ砲弾はサウスダコタをしたたかに打ち付ける………。
 海戦は、誰もが予想しなかった展開になりつつあった。



「撃て! 撃ち続けろ! 米艦隊が、我々のからくり・・・・に気がつくまでに最大限のダメージを与えるのだ!!」
 リンデマンは艦橋でビスマルクの三八センチ砲に負けぬ勢いで吼える。
 リュッチェンスは己の仕掛けた罠が上手く機能していることに安堵の息を漏らした。
 ドイツ艦隊の先陣を切っているのは、実はビスマルクではない。先陣を切り、探照灯照射を続ける艦。それは重巡プリンツ・オイゲンであった。
 リュッチェンスはビスマルクとプリンツ・オイゲンの外見が類似していることに着目し、あえてプリンツ・オイゲンを先頭とし、探照灯照射を行わせたのだった。プリンツ・オイゲンは探照灯照射によって自らの位置を暴露することになるが、プリンツ・オイゲンはビスマルクより小さい重巡だ。故に米艦隊は距離感を掴みそこね、ビスマルクを狙って放った砲弾はプリンツ・オイゲンに命中しない。本物のビスマルクは闇の中に隠れて、プリンツ・オイゲンを狙って砲撃を続ける米艦隊を狙い続けるのであった。
「だが………」
 リュッチェンスは唇を噛んだ。
「こんなこと、所詮は子供だましにすぎん………。すぐさま米艦隊も気付くだろう」
 そう、本当の勝負はそこから始まるのだ。それまでに………それまでに、米艦隊の戦艦に致命傷とまでいかなくてもいい。多少以上のダメージを与えておきたい。リュッチェンスは強く、強く願い続けていた。



「何故だ………なぜ当たらん!」
 いつまでも当たらない米艦隊の砲撃に、パイは苛立ちに任せて帽子を床に投げた。
「提督、落ち着いてください」
 ウォーラムは何の罪もないのに当たられた哀れな帽子を拾い、埃を払ってパイに渡した。
「艦長! 落ち着いている場合か! もうサウスダコタは七発も被弾しているのだぞ! サウスダコタが四〇センチ砲防御を施しているとはいえ、これ以上の被弾は許容できん!!」
「わかっています。だからこそ、だからこそ冷静になる必要があるのです」
 ウォーラムはそう言ってパイをたしなめつつ、前方で探照灯照射を続ける艦をじっと見据えた。
「………おっと」
 サウスダコタは八発目の被弾。その揺れにウォーラムはバランスを崩しかけたが、常人以上の平衡感覚で床に這いつくばることはなかった。そして探照灯照射を続ける艦が発砲………。それを見た瞬間、ウォーラムは天啓を受けたかのごとく閃いた。
「なるほど………そういうことか」
「何? 何かわかったのか?」
「ええ。我々は………はめられたのですよ」
「何………?」
 怪訝な表情のパイを尻目にウォーラムは砲術長に伝えた。
「砲術長、前方の探照灯照射を行っているのはビスマルクではない。報告されている巡洋艦だ。ビスマルクは、その後方にいる! 目標を敵二番艦に変更せよ!!」



「む………」
 リュッチェンスは戦いの流れが変わったことに真っ先に気付いた。
「どうやら………我々のからくりがバレてしまったようですね」
 リンデマンがリュッチェンスに言った。
「これからが本当の勝負、ですね」
「そういうことになるな………」
「敵水雷戦隊、プリンツ・オイゲンに迫っています!!」
 見張り員の報告にリュッチェンスは嘆息した。ドイツ艦隊の駆逐艦は敵水雷戦隊の足止めに向かわせたのだが………。土台、駆逐艦六隻で敵の水雷戦隊を食い止めろと言うほうが無茶だったのだ。
「プリンツ・オイゲン………我々もすぐ逝く」
 米艦隊の水雷戦隊の放った魚雷はプリンツ・オイゲンの横腹を食い破り、プリンツ・オイゲンは五本の水柱を立てて、ガクリと速力を落とした。重巡に五本の被雷。致命傷なのは誰の目にも明らかだ。
 だがプリンツ・オイゲンは機関室が完全に浸水し、電力のすべてを失うその瞬間まで探照灯照射を止めなかった。総員対艦を発令するはずの艦長が真っ先に死に、総員退艦を発令し損ねたのか………それとも探照灯員が自発的に行ったのか。どちらにせよその最期は壮絶であった。
 リュッチェンスは炎に包まれ、艦尾から沈んでいくプリンツ・オイゲンを敬礼で見送った。



「恐るべきは捨て身で戦う姿勢だな………」
 ウォーラムは誰に言うでもなくポツリと漏らした。
 パイは六隻のドイツ駆逐艦と砲火を交えた麾下の水雷戦隊の損害の多さに愕然としていた。
 たった六隻の駆逐艦を全滅させるために巡洋艦二隻、駆逐艦四隻が犠牲となったのであった。そうなった原因は単純だ。米艦隊は魚雷を温存していたのに対し、独艦隊は惜しげもなく用いた。だがそれだけですます事ができる問題でもなかった。
「水雷戦隊に探照灯照射を行わせるんだ。今度はこちらが行う番だ」
 パイの指示で米水雷戦隊の探照灯のビームがビスマルクの艦体を彩る。
「撃てーッ! 小癪な鉄血宰相を粉砕してしまえ!!」
 サウスダコタ、インディアナの合計一八門の四〇センチ砲が轟き、ビスマルクをしたたかに叩く。ビスマルクは三八センチ砲戦艦。戦艦の防御力は基本的に、自分の主砲弾に決戦距離で耐え抜くことにある。ならば三八センチ砲よりさらに一ランク大きな四〇センチ砲弾の直撃には耐えられないのが道理………。
 だが、ビスマルクは四〇センチ砲弾のことごとくを弾き返していた。探照灯の灯りから覗くビスマルクは、雄々しく、そして堂々とそびえ立っていた。



「大丈夫です! この距離なら、この距離ならビスマルクは四〇センチ砲の直撃にも耐え切ることができます!!」
 リンデマンはビスマルクが四〇センチ砲の直撃を受けてもたいした被害を受けていないことを聞き、歓喜を爆発させた。
 ビスマルクの設計が旧い思想に基づいていることは先述した。その旧い設計思想故に、ビスマルクは水平線防御が甘く、遠距離砲弾の落着には脆いという欠点を抱えていた。だが、リュッチェンスはその問題を夜戦に持ち込むことで解決した。夜戦ならば遠距離砲戦を行うことは事実上不可能であるからだ。だがそれでも懸念はあった。ビスマルクの垂直防御が四〇センチ砲に対し、どこまで通用するかである。リュッチェンスは先代ドイツ海軍が信じ、そして現代ドイツ海軍がそのまま鵜呑みに踏襲した思想に賭けてみることにした。ドイツ海軍に綿々と受け継がれてきた思想。それは「防御力第一」という考えであった。たとえ戦闘力が劣っても、防御力さえ優れていればいい、というドイツ海軍特有の歪な思想であったが、それは今回に関して言えば正しく報われる結果となった。
 ビスマルクの装甲は現在の距離、砲戦距離一二〇〇〇メートルならば四〇センチ砲弾の直撃に耐えることができることが実証されたのだ。これでビスマルクはもう少し粘ることができるだろう。
「よし、現在の距離を維持しつつ、可能な限り米艦隊をひきつけるぞ!!」
 リュッチェンスの指示が飛び、ビスマルクは一丸となってサウスダコタとインディアナに立ち向かう。
 だが、それはビスマルク乗員にとって本当に幸せなことだったのだろうか?
 繰り返すが、ビスマルクの主砲は三八センチ口径である。四〇センチ砲を搭載し、四〇センチ砲に耐えるように設計されたノースカロライナ級戦艦に通用することはない。
 距離を詰めれば主砲弾の威力は上がり、三八センチ砲でもサウスダコタにダメージを与えることができるかもしれない。だがそれより速く、サウスダコタの主砲弾はビスマルクの装甲を貫くだろう。
 つまりビスマルクは現状を維持し続けることしかできないのだ。死を先延ばしにすることはできても、死を回避することはできないのであった。
 緩慢な死に向かって進み続けるビスマルク………。
 それを止めることはもう誰にも出来なかった。



 一九四〇年一二月一三日。
 ドイツ第三帝国首都ベルリン。
「………諸君、新大陸の横暴極まりない奇襲攻撃によって、我が盟邦大英帝国の戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、レパルスが失われ、さらに英国の誇りであるフッドまでもが二度と陽の光が当たらぬ暗黒の海底へと引きずり込まれた」
 壇上の男は眼を血走らせ、汗を飛ばしながら演説を続ける。
「だが、それは新大陸の者どもが強かったからそうなったのではない! 奴らが、卑怯だったからだ!!」
 演説を続ける男、アドルフ・ヒトラー第三帝国総統は拳を固く握り締めた。
「奇襲攻撃を受けず、正面から堂々と戦いを挑んだ戦艦ビスマルクはそれを実証している! ドイツ艦隊を率いたギュンター・リュッチェンス元帥・・は倍以上の戦力を持つ米艦隊と戦い、自らの命を散らしながらも敵にも多大な損害を与えることに成功したのだ! 倍以上の敵を相手に、こうまで善戦できることなど軍事上はありえないことである! だが、それが実現してしまったのだ! 何故だ? 何故、彼らが善戦できたのか!?」
 ヒトラーの問いかけに対し、演説を聴きに集まった数十万の観衆が一斉に応えた。
「奴らが卑怯だからだ!」
「そうだ! 卑怯者だ!!」
「新大陸のならず者に鉄槌を!」
「正義の鉄槌を!!」
 ヒトラーは両手で観衆の興奮を制した。会場が静まり返ったことを確認してからヒトラーは言った。
「鉄槌。正義の鉄槌は必ずや彼らに下るであろう! 我々、オルレアン同盟は新大陸の暴虐を決して許しはしない!!」
「オオオオオオオ!!」
「そこで諸君らに報告したいことがある。新大陸のならず者の艦隊を蹴散らすことを約束された、新戦艦の建造を行うことを!」
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
「その新戦艦一番艦の名前はすでに決定している。その名は、ビスマルク! 先のニューファンドランド沖海戦の英雄の名を持つ大戦艦、ビスマルク二世である!!」
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
 ヒトラーの宣言に会場は大いに沸いた。
 大戦艦ビスマルク二世………。
 歴史上、もっとも多くの人々に期待される新戦艦の建造は、こうして開始されたのであった。


ニューファンドランド沖海戦

 一九四〇年一二月八日、第二次世界大戦の始まりを告げることになった一連の戦いの総称。
 大きく分けて三つのパートに区分できる。
 一つはウィリアム・ハルゼー中将(当時)率いる第一六任務部隊による英国カナダ派遣艦隊空襲。これによって史上初の航空機による戦艦の撃沈が為され、英国艦隊のプリンス・オブ・ウェールズとレパルスが撃沈された。
 二つ目は英国残存艦隊とウィリアム・パイ中将(当時)率いる第一二任務部隊の砲戦である。フッドが一撃で爆沈し、巡洋戦艦が時代遅れのシロモノであると再確認された。
 そして最後は第一二任務部隊とギュンター・リュッチェンス中将(当時)率いるドイツ艦隊との夜間砲撃戦である。リュッチェンス中将の巧みな策略とビスマルクの頑強性が遺憾なく発揮され、米艦隊はサウスダコタ中破、インディアナ小破という倍以上の戦力で襲い掛かったとは思えないほどの大損害を被った。


 ドイツ艦隊の奮闘のおかげで輸送船団は無事にヨーロッパまで退くことができた。輸送船団殲滅という任務にこそ失敗したが、輸送船団を追い払うという目標には成功できたのでこの海戦は米軍の圧勝だといえる。
 だが奇襲攻撃で開始したため、国際社会上での米国の立場は微妙なものとなり、またオルレアン同盟が提唱する「米国悪鬼」のスローガンをもっともらしくしてしまうことになってしまった。
 しかし何よりこの海戦が与えた最大の影響は、ドイツが大戦艦ビスマルク二世の建造を開始したことであろう。
 このビスマルク二世は後の戦線に大きな影響を与えるのであった。


次回予告

 合衆国海軍大西洋艦隊の猛攻によって東海岸の制海権は合衆国の物となった。
 それに対して不気味な沈黙を続ける合衆国太平洋艦隊。
 その動きを警戒するあまりに主力を欠いたままフィリピン攻略を開始する帝国海軍。
 巡洋艦までしか動かさない帝国海軍に、合衆国アジア艦隊が襲い掛かる!

次回、戦争War時代Age
第三章「竜馬が征く!」


次回は竜馬と地獄に付き合ってもらう


第一章「開戦」

第三章「竜馬が征く!」

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