戦争War時代Age
序章「星条旗、孤立」


永遠の繁栄

第一次世界大戦以降から一九二九年までの、未曾有の好景気に見舞われていたアメリカを指す言葉

 
 
 
 
 ………そりゃ、すンごいことだったさ。ほんの一ヶ月、いや二週間前には「永遠の繁栄」がどーたら言ってたのに、あの木曜日、クソ忌々しい一九二九年一〇月二四日の木曜日を境に経済がガタガタになりやがったのさ!
 一二月には俺っちの務めていた会社は倒産。俺はカカァとガキ二匹を抱えてたんだが、しばらくは何をするでもなく、なけなしの蓄えで細々と食ってくしかなかったのさ。
 え? 職安には行かなかったのかって?
 行ったさ! でも俺っちより若く、そして学歴の高い連中ですら働き口を探して長蛇の列だぜ。慈善事業で会社経営してるなら俺っちみたいなのでも雇ってくれたかもしれないが………会社の経営者ってのはそんな甘ちゃんじゃねーしな。
 だから俺っちはかーちゃんの冷たい視線を背中で受け止めながら、待ったのさ。
 何を待ったかって?
 決まってる!
 救世主サマの登場をさ!
 そしたらホントに現れたんだから、世の中ってのは上手くできてるもんだよな。あん時ばかしは普段信じもしない神様に感謝して、「これからは真面目に日曜の礼拝に行こう」って思ったもんさ。

一九三〇年代半ば
ボーイング社の工場で爆撃機生産に従事する中年男性の証言より




一九三〇年二月

「ああ………それにしても金が欲しい………」
 アメリカ合衆国最大の経済都市ニューヨーク。
 ニューヨークの場末の酒場のカウンターで、温くなったバドワイザーを片手に誰かが大きな声でぼやいていた。
「畜生〜、金さえあれば………金さえあればよぉ〜」
 この酒場では安酒しか飲ませてくれないが、安酒といえどもアルコールはある。そのわずかなアルコールをたっぷりと蓄積させて、顔を赤く染め上げた男はカウンターに突っ伏して耳障りないびきを奏でだした。
 だが、男を疎ましげに思うことはあれども、この酒場にいる者は誰も男を否定しようとはしなかった。
 男の言葉は酒場のみんなの本音なのだった。己の本音を否定できる人間などこの世にいるはずがなかった。
「………だいたいよぉ〜」
 さきほどの男が夢の世界に旅立ったかと思うと、別の男が今度は愚痴をこぼし始めた。この酒場は常に大恐慌で会社を、職を、すべてを失った者たちの不満で満ちていた。
 だが、カウンターの隅に腰を下ろしている男だけは違った雰囲気を持っていた。彼だけは目を爛々と輝かせていたのだった。
 瞳に力強い意志の炎を灯している男はウィスキーの水割りを三杯ほど空けると、代金を残して席を立った。
 男は酒場の近くの駐車場に待たせておいた車の後部席に乗り込んだ。
「いかがでしたか、イーニアス様?」
 運転手は男―イーニアスの表情をバックミラーで伺いながら尋ねた。
「誰もがこの閉塞を打ち破りたがっている。だが、その力を持つ者は限られている………」
 イーニアスは自信に満ち溢れる表情で言った。
「俺は、力を持たぬ人々の願いを背に、前に進んでみせるさ」
 イーニアスの力強い言葉を聞いた運転手は、アクセルに足をかけ、車を走らせた。イーニアス・ガーディナーの望む未来へ………。





イーニアス・ガーディナー

 アメリカ合衆国第三二代大統領。
 民主党の代表として、税金を使った雇用拡大政策を唱え、若干四二歳で大統領選を勝ち抜いた。見た目は非常に若々しく、覇気があり、大統領選中は三十路なりたてにしか見えないとまで言われていた。また見た目だけでなく、確かなカリスマ性も備えており、彼の演説は人々の心を捉えて放さなかった。事実、大統領選は九割近い得票率を集め、圧倒的な勝利を収めている。
 彼の提唱した政策は、政府の金を使った公共事業の増大で、それに伴う雇用確保が基本であった。その政策に従って、ノーフォークとサンディエゴの港は拡大された。この二つの港はアメリカ海軍にとって東西の拠点であり、両港の拡大は海軍の拡張を意味していた。
 そして拡大された両港の完成と同時期に、海軍を縛っていた鎖であるワシントン条約は失効。ガーディナーの提唱する新時代大艦隊整備計画「ニュー・ダニエルズ計画」を阻むものは何も無かった。
 国際社会はアメリカの急速な軍拡に暗い影を感じており、再三に渡って軍拡を中止するように申し出たが、ガーディナーは聞く耳を持たなかった。
 そのため、ヨーロッパ諸国はこれまでの歴史を覆す大決断に出たのであった。

参考
民明書房刊「戦争時代の歩き方」





一九三五年一月六日
大英帝国首都ロンドン

 その日のロンドンは深い霧に包まれていた。まるで濃厚なスープのような霧は人の視界を奪うに充分………。
「そのような日だからこそ………」
 ワイングラスを片手に、初老の男は謡うように続けた。
「密会には相応しい。そうは思いませんかな?」
 男―デビッド・ロイド=ジョージ元英国首相の言葉に応えたのはアルベール・ルブラン仏大統領であった。
「ははは。確かに、列強の政府首脳が密会するに相応しい雰囲気ですな」
 ルブランは周囲を見回しながらツマミのチーズを口に放り込み、ワインを流し込んだ。
 その場にいたのは元英国首相ロイド=ジョージ、仏大統領アルベール・ルブラン、独総統アドルフ・ヒトラー、伊統領ベニト・ムッソリーニ、そして大日本帝国元外務大臣松岡 洋右という堂々たる面子であった。
「で、ロイド=ジョージ元首相殿。今回の召集は何故のことか、説明していただけるか?」
 アメリカとソ連を除く列強の政府首脳が集まって、ただグダグダと酒を交わすだけだというのなら、私は今すぐに帰らせていただく。
 生真面目な表情と口調で言ったのは昨年の九月にドイツの大統領兼首相となり、その役職を総統と変名させた男―アドルフ・ヒトラーであった。
「ヒトラー総統。真面目なのはいいが、少しは肩の力を抜くことを覚えた方がいい。年中無休でそうやって気張っていては、体が持たんよ」
 そう言ってヒトラーをなだめたのはイタリアの統領ベニト・ムッソリーニであった。自らの歩む道の先人としてムッソリーニを尊敬しているヒトラーは、「ドゥーチェがそう仰るなら………」と矛を収め、清水が注がれたグラスを手に取った。総統は酒を一切嗜まないのであった。
「まぁ、ヒトラー総統はその真面目さ故にドイツ国民の信頼を集め、ドイツを立ち直らせつつあるのです。いやはや、大した手腕ですよ」
 大日本帝国の特命全権大使としてこの場に参加する松岡 洋右の言葉を、ヒトラーはまんざらでもない様子で聞いていた。自らの行いを人から手放しで褒められて、悪い気分になるはずがない。
「まぁ、これ以上この調子で進め、みなが酩酊してしまっては元も子もないのは事実。では、話を前に進ませていただきます」
 ロイド=ジョージがパチンと指を弾き鳴らすと、彼の執事と思われる男が一同の前に姿を現した。執事は列強の首脳たちに冊子を配り歩いた。
「これは一昨年以降のアメリカ合衆国の経済推移です。まぁ、一通りご覧になって頂きたい」
 ロイド=ジョージは冊子を読むことを勧めた。
「ふむん」
「アメリカはあの大恐慌に対し、政府資金を使った公共事業による雇用拡大で対応することにしたのか………」
「それだけではありません。農作物の過剰生産分を政府が買い取り、農作物の価格を安定化させました」
 ヒトラーの呟きをロイド=ジョージは補足して言った。
「外交方針もこれまで以上のモンロー主義………自国の安定のみを優先させておりますな」
 ゆえに貿易の相手が減って、こちらは困った限りだ。アメリカは一番金を持っているっていうのに。ムッソリーニは冗談めかして肩をすくめた。
「しかし………」
 ルブランは冊子をペラペラと捲りながら言った。
「その公共事業がノーフォークとサンディエゴの港を拡張することとは………」
「一応、ホワイトハウスは商船建造のためだと言ってますが………そんな方便を正直に信じるほど、我々は甘くない」
「ノーフォークとサンディエゴはアメリカ海軍にとって東西の重要拠点。その拡張はすなわち………」
「そう。アメリカは来年末に失効するワシントン条約の後を見据えているのです」
 ワシントン条約。
 絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約………ではない。海軍の主力艦、つまり戦艦の新規建造と保有数を制限した条約のことである。この条約のおかげで各国は狂気ともいえた建艦競争を中断させることに成功し、各国の財務官僚の胸を撫で下ろさせたのだった。
「ワシントン条約の後は何をしようと勝手なのは事実。彼らはダニエルズ・プランを再開させるつもりなのでしょう」
 ダニエルズ・プラン。
 一九一六年に議会承認されたアメリカ海軍の大艦隊整備計画である。戦艦一〇隻、巡洋戦艦六隻を中心とする一五五隻、合計八〇万トンにも及ぶ艦隊を、三年で整備するという計画であった。だが、この計画はワシントン条約の為に中止となっていた。
「う、むぅ………」
「だが軍隊など拡張すればするほど財政を圧迫するのではないのですか? 現に建艦競争が財政を圧迫したからこそのワシントン条約でしょう?」
「ミスター・松岡の疑問はごもっともです。ですが、こう考えることも出来ませんか?」
「「?」」
 ロイド=ジョージの言葉に怪訝な表情で顔を見合わせる総統と統領。
「その大艦隊は、我々を狙うためにある」
「バカな! アメリカは世界との戦争を望んでいると仰るか!」
 ヒトラーはロイド=ジョージの懸念を鼻で笑い飛ばそうとして失敗した。ロイド=ジョージが配布した資料の中に、とんでもないページがあったからだ。
「こ、これは………」
「アメリカ海軍の新兵採用の数です。昨年度は例年の倍、いや三倍の数を採用としました。おそらく、今年もこの調子で続くでしょう」
「どういうことだ?」
「戦争が始まった際、海軍が一番欲しいのは何ですか?」
「む………そりゃぁ、軍艦ではないのか?」
「軍艦は確かに欲しいでしょう。ですがそれは海軍じゃあ二番目です」
 チッチッチッとロイド=ジョージは立てた人差し指を左右に振った。
「じゃあ一番は何です?」
 松岡の問いかけに対し、ロイド=ジョージは自分を指し示してニコリと笑った。一同は狐につままれた表情でロイド=ジョージを見る。
「人ですよ、人。人員の補充が一番難しいのです」
「む?」
「軍艦は沈められても新たに建造すればいい。新規建造の軍艦は、沈んだ軍艦より強力になるでしょう。ですが、乗組員はそうはいきません。熟練した乗組員を作るのは膨大な時間が必要となるのです」
「な、なるほど………」
「私は断言します。アメリカは、準戦時体制に移行している」
「……………」
 誰もが言葉もなく立ち尽くすのみであった。
 頃合だな。ロイド=ジョージはそう心の内で呟いてヒトラーに言った。
「そこでヒトラー総統にお願いがあります」
「私に? 何でしょう?」
「ドイツは再軍備を宣言していただきたい」
「な!?」
 ロイド=ジョージの言葉に目を剥いたのはルブランであった。
「ルブラン大統領。アメリカが本気だというのは充分に理解していただいたはずですが?」
「む………だが………その………」
 ルブランは横目でヒトラーをチラチラと盗み見ながら口ごもる。
「それにドイツはすでに再軍備の準備に入っていますから。放っておいても三月には宣言するでしょう」
「なッ!?」
 今度はヒトラーが目を剥く番であった。
「じょ、冗談は止めていただきたいですな、ロイド=ジョージ元首相!」
「我が英国の諜報部を舐めてもらっては困りますな」
 ヒトラーが慌てて否定するが、ロイド=ジョージはにこやかな笑みを浮かべるだけだった。
「我が大英帝国はドイツの再軍備を認めます。いや、むしろ協力すら惜しまない。アメリカの不穏な動き、それを牽制するために我々ヨーロッパは一つにならなければならないのです。そのためにもドイツの再軍備は必要です」
「反アメリカ連合………。ロイド=ジョージ殿はこれをつくろうというのか」
「左様です、統領。我々で協力しあい、アメリカに負けない国力を持った連合を組織するのです」
 ロイド=ジョージは一同を見渡して、もう一度言った。
「これは最初で最後のチャンスでしょう。さて、いかがなさいますかな?」
「………私はロイド=ジョージ殿の話に乗ってみようと思う」
 最初にそう言ったのはムッソリーニであった。
「この連合は軍事上の同盟だけではないのでしょうな、ロイド=ジョージ殿?」
「無論だ。調整は必要だが、経済的な協力関係も大々的に行いたい」
「ならば我がイタリアは否定する要素がありませんな」
 ムッソリーニはロイド=ジョージと硬く手を握りあった。
「我がドイツも参加させていただこう」
 ロイド=ジョージとムッソリーニが握り合う手に、自分の手を添えたのはヒトラーであった。合法的に、しかもイギリスの協力付で念願の再軍備が行えるのだ。否定するはずがない。
「連合の成立………。歴史が大いに動くことになるでしょうな」
 松岡もその話に乗った。
「これだけで後世の歴史書に名を残したも同然でしょう」
「………そうなってはフランスも参加せざるをえないでしょうな」
 ルブランもヒトラーに続いて手を添えた。
「さて、では詳細は後に打ち合わせるということで」
 ロイド=ジョージのその言葉でその会はお開きとなった。
 ………………………
 …………………
 ……………
 ………
 …
 そして一九三五年三月一六日。
 イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、日本の五カ国が対等に手を取り合うことが宣言され、その宣言が行われた場所から「オルレアン同盟」と呼ばれることとなる。
 アメリカに匹敵する、オルレアン同盟という一大勢力が誕生した瞬間であった。





 一九三五年三月二四日。
 オルレアン同盟の誕生から一週間余り。
 当事者たち以外にとっては青天の霹靂としかいいようのない、あまりに唐突な一大同盟の誕生は世界中を驚愕させた。
 アメリカ合衆国首都ワシントン。
 アメリカ合衆国という巨大船の船長である大統領が住まうホワイトハウスでは、大統領とアメリカ号の航海士たち―ブレーントラストが昼食会という名目の会議を開いていた。
「できる男はよく食う男」。過去、遊説中にそう称したこともある合衆国大統領 イーニアス・ガーディナーは昼間からハイカロリーなステーキにナイフを入れていた。
 イーニアス・ガーディナー。若干四二歳で大統領となって二年。肉体的にも精神的にも活力に満ちていた。
「さて、先週に誕生したオルレアン同盟だが………国務長官、君はどう見るかね?」
 ガーディナーが最も頼みにしているパートナーが国務長官のアルヴァル・ソルサである。ソルサは菜食主義者で、常に小食。体の芯までカリスマでできていて、人を引っ張っていくリーダー体質のガーディナーとは対照的に、ソルサは痩身で数字と論理を恋人としているタイプの男であった。
「落ち目なかつての宗主国、ワインと美味な料理しか自慢のない国、先の戦争から立ち直りきれていない国、脳みその隋までラテンの国、産業革命に一〇〇年遅れた国………。これらが一つになって、ようやく我がアメリカと同じ程度だ」
 ソルサの忌憚の無さすぎる辛辣な批評に一同は思わず失笑を漏らす。ソルサはみなが何故笑ったのか理解できない様子だったが、変わらぬ口調で続けた。
「問題は、無い。我々の方がはるかに優勢だ」
「その根拠は?」
 ガーディナーが一口サイズに切り取った肉片を口に運びながら尋ねた。ソルサは「無作法だぞ、イーニアス」とたしなめながらも応えた。
「同盟といっても国同士の集まり。つまらぬしがらみが邪魔をして、連携を欠くのは目に見えている。その点、アメリカは一つの国だ。指揮系統に問題などない」
「ふむん。それは一理あるな。じゃあ、同盟の足並みが揃わぬうちに戦争をしかけた方がいいのかな?」
 ガーディナーの言葉に海軍長官クラウド・スワンソンと陸軍長官ジョージ・デルンが同時に目を剥いた。
「「だ、大統領! それはお待ちください!!」」
 合衆国海軍と陸軍の長の声は同時に発された。そして二大組織の長は大統領に、未だに戦争準備は完了していないので開戦はもう少し先に延ばすように懇願した。
 二人が必死に大統領を説得している間、ソルサは何食わぬ顔で野菜スープとパンだけの昼食を簡潔に済ませ、優雅に食後のコーヒーの香りを楽しんでいた。だがあまりに二人が必死すぎたので、見るに見かねてソルサはガーディナーに言った。
「イーニアス。君は大統領だ。実行する気も無いことを口にするのは慎んだ方がいい」
「「え?」」
 陸海の長が目を丸くして顔を見合わせる。「助け舟は出した。後はよしなに、な」と言わんばかりにソルサはコーヒーをすすった。
「ははは。さすがはアルヴァだな。私のことをよくわかっている」
 ガーディナーはご機嫌の表情でソルサをニックネームで呼んだ。
「陸海軍はこのまま戦力の増強を続けてくれ。この大恐慌で大量にあぶれた若い労働力を今のうちに一騎当千の歴戦の兵にしたてあげるんだ、いいね?」
「「イエッサー!」」
「もう一度だけ確認しておく。開戦予定は一九四一年だ。これを期日として、陸海軍は増強に努めるように」
 そう言うとガーディナーは食べかけのステーキの肉にフォークを突き立て、高らかに宣言した。
「我がアメリカは世界を相手に戦い、そして勝利し、千年王国を築くのだ………いや、我が国は民主主義だから千年共和国かな? とにかく、もう二度とアメリカ国民が苦しまなくてすむ世界にするんだ!」


次回予告

 風雲急を告げるアメリカ合衆国!
 アメリカに隣接し、イギリスとの係わり合いが深いカナダ連邦はオルレアン同盟軍の駐留を求めた。
 その要請を受諾したオルレアン同盟は英戦艦 プリンス・オブ・ウェールズを旗艦とする艦隊と陸上部隊四個師団を派遣することを決定した。

 だが、それこそがイーニアス・ガーディナーの望みであった!

次回、戦争War時代Age
第一章「開戦」


誰もが狂った時代にようこそ


第一章「開戦」

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