葬戦史R
第八章「フィリピンの残滓」


 一九四二年一月二七日。
「上陸!!」
 小隊長の毅然とした声と共に歩兵たちが次々と上陸していく。
 そう、帝国陸軍によるフィリピン上陸作戦が開始されたのである。
 総指揮官は本間 雅晴中将。
 総兵力は八個師団にまで達する。
 いかにフィリピンが広大な島であったとしても、その兵力は過剰のそしりを免れることはできない。
 この日米戦が、太平洋を主戦場とするであろうことは誰の目にも明らかだ。
 陸軍の出番があるのは、日本本土、もしくはアメリカ本土にまで戦火が拡大したときであろう。
 だから陸軍は、今までの近代化が正しかったのかの判断を下すためにフィリピンにありとあらゆる新兵器を送り込んでいた。それゆえの八個師団であった。



 フィリピン上陸から三日後。
 マニラまで後二〇キロの道路にて。
「おい、調子はどうだ?」
 帝国陸軍中佐竜崎 英策の声色をどう表現すれば適確だろうか? おそらく「病人に体調を訊く時の声色」あたりが適確だろうか。
「はい、何とか稼動はできると思いますが、一応調べておきます」
「『なんとか』か。まいったな」
 ふぅ、と竜崎は嘆息する。油と泥で全身を汚した整備兵が弁解だとわかっていながらも、こう口にした。
「仕方ありませんよ。いかに帝国が工業化したとしても、こいつは一筋縄では運用できませんから」
 竜崎は帝国陸軍の戦車兵である。
 だから、彼が先ほどから気遣っているのは、もちろんながら戦車である。
 ところで、海軍は軍艦のことを「浮かべる鋼鉄の城」と喧伝している。それだけの風格と威容は備えているからだ。
 では戦車はどのように形容すべきか?
 その解答の一つを竜崎は口にした。
「『鋼鉄の猛獣』は飼いならすのに一苦労だな」
 その言葉に整備兵は苦笑しながら手を動かし続けた。



 ここで「この世界」での帝国陸軍の戦車について述べよう。
 工業化したとはいえども(いや、だからこそ)、帝国の主要輸出品は兵器であった。
 その最大の顧客はすぐ近くで泥沼の内戦を続けている中国であった。
 そして帝国が肩入れしている国民党の敵、共産党はソ連の支援を受けている。
 ………結論だけを述べよう。帝国の戦車は酷評された。当時、中国に輸出していた九七式戦車はソ連のBT−7にコテンパンにやられていたのだ。
 帝国陸軍の技術者は大いに慌てた。
 帝国陸軍が大いに期待していた九七式中戦車が、いとも簡単にBT−7に破れるのだ。これは帝国の国防上、あってはならないことだ。もっとも九七式中戦車惨敗を戦車だけのせいにするのも問題であろう。国民党軍の歩兵中心のドクトリンによって九七式中戦車の足がかなり引っ張られていたという事実もあるのだから。
 とにかく帝国はドイツからとある技術者を迎え入れて新型戦車の開発に乗り出した。
 その技術者の名、それは「フェルディナント・ポルシェ」であった。
 そしてポルシェ博士と帝国の技術者たちの作り上げた最新鋭戦車。
 それこそが竜崎中佐の駆る戦車である。
 帝国陸軍二式重戦車「虎王」。それがその戦車の名である。
 虎王の性能はすばらしかった。
 正面装甲は一〇〇ミリにも達し、いかなる距離からでもソ連戦車の砲撃を弾く。
 そして主砲の九〇ミリ砲は、元高射砲だけに絶大な初速を誇り、その牙はあらゆる戦車を噛み砕く。それは矛盾の具現であった。
 おまけに機動性の方も完璧である。
 最大速度自体は三八キロとやや遅めではあるが、新型の電気推進方式のおかげで細やかな速度調節が可能であった。早い話が瞬く間に最高速度にまで達することができるというわけだ。
 これを見た帝国陸軍のとある将軍様は興奮した面持ちでこう評した。
「これぞ戦車だ!!」と。



 さて、フィリピンに上陸した八個師団のうちの一つに帝国陸軍第九師団がある。竜崎が率いる第一一戦車大隊はこの第九師団に属している。
 その第九師団の師団長の近藤 白虎少将は無類の酒好きで鳴らしており、フィリピンにも日本酒の一升瓶を何本も持ち込んでいた。本来ならば戦場で飲酒など御法度なのだが、満州事変、そして国共内戦で「義勇兵」を率いて参戦していたというこの御仁に正面切って文句を言うものはいない。
 ちなみに彼は無類の女好きでもあるが、占領地の女を陵辱するような真似はしない。彼は最低限の節度をわきまえていた。
「ふぅむ」
 近藤はこの日、何度目かのため息をついた。彼はこの戦場に悩みを抱いていた。
 戦況が思わしくないから?
 否、否。
 戦況は帝国有利で推移している。虎王を装備する戦車部隊が、虎王不調のために進軍が遅れているが、それを除けばいささか拍子抜けするくらいにだ。
 では近藤はどこに不満があるのだろうか?
 それは彼の得意とする戦術と、このフィリピンで彼に課せられた任務とが異なっているためだった。
 彼は兵力を少数に分散させての小刻みな奇襲戦術を得意としている。それはどちらかというと防衛戦向きの戦い方であり、攻めが主体となるフィリピン戦ではあまり役に立たない才能であった。
 彼はそのどちらかというと後ろ向きな、自らの才幹を誇りにしており、「防衛戦と撤退戦をやらせれば帝国陸軍随一」と自認しているくらいである。
 勿論、攻勢においても非凡な才能を持ってはいるが、防衛線を好む彼にとってのフィリピン戦とは不満に満ちたものでしかなかった。
 だから、後世の戦史研究家に「帝国陸軍の盾」とまで称される近藤 白虎少将にとってフィリピンとは退屈な戦場でしかなかった。
 だが、そんな近藤の耳に、中国で流行歌の代わりに聞いていた懐かしい音が聞こえた。それは銃声と呼ばれる戦場音楽であった。近藤の行動は素早かった。即座に部下に報告させる。
 そして二分後、近藤は唇の表面を舐めながら、無線機に手を伸ばすのだった。



 虎王を見た帝国陸軍のとある将軍様は興奮して虎王をこう評した。
「これぞ戦車だ!!」
 本当にこれが戦車だとしたら戦車というのは悪夢のような代物ということになるな。
 竜崎はそう思っている。
 虎王の性能は確かに素晴らしい。だが、ポルシェ博士はこれを前線で使うことを考えていたのだろうか?
 大小様々に文句をつけたい所だったが、あえて一つに絞るならば、虎王の売りの一つである電気推進が最大の曲者であった。これは機構が複雑なだけにしょっちゅう故障していた。
 おまけに虎王は重い。
 自重が六〇トンにも達するような戦車を、フィリピンのようなジャングルでどうしろというのだろうか?
 現に二時間前にはその重さゆえに泥にはまり、抜け出せなくなる寸前にまでいきかけたのだ。だから竜崎は整備兵に異常がないか確かめさせているのだ。
「畜生、こんなことならドイツの四号戦車をライセンス生産したほうがマシだったんじゃないか?」
「中佐、『それは言わないお約束』ですよ」
 そう言いながらも整備兵の腕は緻密かつ迅速に動き、竜崎の虎王に異常がないかを調べている。そのために竜崎が率いる第一一戦車大隊は立ち往生を余儀なくされ、進軍は予定から順調に遅れていた。竜崎は湿度が高く、蒸し暑いフィリピンの気候と故障続発の虎王に対する苛立ちが抑えきれないまでに蓄積されつつあることを自覚していた。
 その時であった。竜崎が耳にかけている携帯型無線機に通信が入る。
『第一一戦車大隊、聞こえるか!?』
 無線から聞こえる声は近藤少将であった。竜崎は声の調子からただ事ではないことが起きている事を瞬時に悟り、内心で身構えながら何事ですかと尋ねた。
『米軍が我が軍の最前線を迂回した! 奴らの戦車部隊が司令部に迫ってきている。第一一戦車大隊は司令部の歩兵部隊と協力して迎撃に当たってくれ!!』
「前線を迂回………? そんなことができるんですか?」
 竜崎は首を傾げたが、しかし実際に起こっている現実を否定するほど自分勝手な理想に溺れたりはしない。竜崎は虎王の整備を続けている整備兵に視線を送った。竜崎の視線を受けた整備兵は口に出しては何も言わず、ただ一度だけ大きく頷いた。それが合図だった。
「よし、総員搭乗! 我が第一一戦車大隊はこれより米軍に突撃をかけるぞ!!」
 竜崎は矢継ぎ早に指示を飛ばしながら、内心では胸が弾むのを感じていた。彼は自分の苛立ちを叩きつけるべき相手に恵まれたのだった。米軍には悪いが、俺の怒りを発散させる的になってもらうぜ………。
 舌なめずりしながら出撃準備を進めさせる竜崎を見た部下たちは、彼の豪胆に感心し、目の前に迫る戦闘の緊張に縛られることはなかった。
「おい、ちょっと待て!」
 竜崎は工具をまとめて交代しようとする整備中隊の中隊長を呼び止めると胸元から何かを投げ渡した。
「お守りだ! 持っていけ!!」
 整備兵は竜崎と竜崎が投げ渡した「お守り」とを交互に見比べていたが、竜崎はお守りを投げ渡した時点で整備兵に対する興味を失っていた。彼は虎王の砲塔にあるハッチから上半身を出して、虎王を前進させる。それに続く虎王の群れ。欠点が多く、整備兵泣かせの厄介な戦車であるが、しかし大挙して進軍する姿は圧倒的な存在感であった。まさに威風堂々である。



「奇襲は成功したようだな」
 アメリカ陸軍の戦車連隊を率いるクラーク大佐はM3 リーのハッチから顔を出し、左右を双眼鏡で確認しながら呟いた。
 クラーク大佐率いる戦車大隊は帝国陸軍の最前列の部隊と交戦することなく、帝国陸軍の司令部のすぐ近くにまで迫ってきていた。
 まるでクラーク大佐の戦車連隊が雨後のたけのこのように、そこいらから生えてきたかのような錯覚すら覚える。この魔術のカラクリはクラークの努力の賜物であった。
 クラークはフィリピンのジャングルを綿密に調査することでM3 リーが通行できそうなポイントはないか、もしくは通行できそうな道を切り開けそうな場所を探り、密かに隠し通路を作っていたのだった。その隠し通路作成に取り掛かったのがクラークがフィリピンに赴任してきた瞬間からで、それは四年も前のことであった。つまり、クラークは生真面目な軍人であり、彼の真面目な勤務姿勢がこの奇襲を成功に導いたのだった。
 ジャップが知りえぬ通路を辿っての奇襲攻撃。これが成功すればジャップの進撃速度は緩み、さらに巧くいけばこちらの反撃によってジャップが壊走していくことすらありうるかもしれない。そうなればクラークの名は軍事史上に燦然と輝くことだろう。クラークは輝かしい未来を信じて前進を続ける。
 そう、確かに帝国陸軍はクラークの作戦をまったく知らなかった。クラークの奇襲は完全に成功していたのだ。だが、帝国陸軍にとっては幸運で、クラークにとっては不幸なことに、帝国陸軍の第一一戦車大隊は虎王の稼働率の低さ故に行軍が遅れていたのだった。クラークは本来の予定通りならば絶対に出会わなかったであろう第一一戦車大隊と鉢合わせしてしまったのである。
 敵の戦車と出会うことはないと思っていたクラークは第一一戦車大隊の登場に一瞬だけ浮き足立ったが、しかしクラークの叱咤によってすぐさま落ち着きを取り戻した。なぜならクラークが率いるのは戦車連隊であり、目の前に現れた敵戦車部隊は大隊規模だったからだ。数の上で我が方が圧倒的に有利であり、数の優位は並大抵のことでは覆せない。それは軍人にとっての常識であった。
 だが、クラークにとっては重ねて不幸なことに、虎王は常識をはるかに超えた戦車なのだった。



 戦車大隊で戦車連隊に戦闘を仕掛ける。
 司令部が奇襲される危機に陥り、日本軍はやけっぱちになって突進してきたのだ。
「きっと奴らはそう思っているだろうな………」
 竜崎は誰に言うでもなくそう呟いた。そして大きな声で命令する。
「全車、突撃! 虎に挑む無謀な将軍M3 リーを喰らいつくしてやれ!!」
 虎王自慢であり、ネックでもある電気推進がここでは正しく報われた。クラーク戦車連隊の砲撃は虎王たちの、想像の斜め上をいく急速発進によってすべてが外れてしまった。
 変わりに虎王の九〇ミリはクラーク戦車連隊に正確に降り注いだ。その命中率は何と九八パーセントを超えていた。その砲撃の正確さは、後の戦史研究家に「日本の熟練兵は必中の精神コマンドが使えるに違いない」と言わしめるほどであった。そして九〇ミリ砲弾はM3 リーの装甲を易々と貫く。南北戦争に活躍した将軍の皮膚では虎の牙に耐えられるはずがなかった。
「二時方向のリーを撃て! それから機関銃で歩兵を牽制しろ!!」
 竜崎の指示が次々と下される。それに従って、竜崎の期待以上の働きを見せる戦車兵たち。竜崎の乗る虎王はこの戦車戦だけで九両ものM3 リーを撃破することになる。
「な、なんだ、あの戦車は………!? バケモノめ!!」
 一方でクラークは恐慌状態にあった。数で圧倒的に勝るはずの自分たちが瞬く間に、加速度的に敗北の坂を転がり落ちていくのだ。クラークには辛すぎる現実であった。
「そ、そうだ、歩兵部隊! 歩兵部隊は何をしている!!」
 自分たち戦車連隊に随伴してきていた歩兵大隊のことを思い出したクラークであったが、少し思い出すのが遅すぎた。もう少し早い段階で思い出していたなら、クラーク戦車連隊が惨敗していく様を見せ付けられて茫然自失とした歩兵大隊に喝を入れ、虎王の群れに多少のダメージを与えることができたであろう。しかし、すべては遅すぎた。クラークが指示を出した時、日本軍の司令部直轄の歩兵部隊が戦場に到着。アメリカの歩兵大隊を機関銃と迫撃砲、擲弾筒によって無力化することに成功していた。近藤は最高のタイミングで歩兵部隊を戦場に投入することに成功したのだった。これは偶然の賜物ではない。近藤は敵が迫りつつある司令部で独り落ち着き払って歩兵部隊投入のタイミングを窺ってたのだから。
「そんな………そんなバカな!」
 万策尽き果てたことを知ったクラークだったが、彼は後退することも出来なかった。なぜならここは敵陣ド真ん中。迂回してきたルートも日本軍にすでに抑えられた今、彼に出来るのは降伏の二文字を選択することだけであった。



「ご無事でしたか、中佐」
 先ほどの整備兵が竜崎の虎王に近寄ってくる。竜崎の乗る虎王は何発か着弾し、装甲に若干の凹みがみられるくらいで、装甲が貫通することは一度もなかった。いや、竜崎の乗る虎王だけではない。第一一戦車大隊の全車両が健在であった。もっとも激戦の末にキャタピラを切られて自走不可能になった虎王や、エンジンが故障した虎王は結構な数になったが。
「おう、大丈夫だぞ」
 竜崎は分泌されたアドレナリンの残照を楽しみつつ、そう応じた。整備兵は虎王の装甲板を撫でながら言った。
「にしてもすごいですね、虎王は………」
「まぁ、飼いならすのに苦労させられるがな」
 タバコを咥えながら竜崎はニコリと笑った。茶目っ気のあるいい笑顔だった。
 言葉もなく、ただ虎王を見つめる整備兵。しかし何かを思い出したようだ。
「あ、そうだ。これ、返しておきますよ」
 それは戦闘開始前にギリギリまで粘ってくれた整備兵に投げ渡しておいた竜崎の「お守り」であった。
「あぁ、それか。別に持ってても構わないぞ」
「そうはいきませんよ。これは中佐のお守りなんですから」
 竜崎は咥えていたタバコをフィリピンの大地に投げ捨てる。そして軍靴の下で踏みにじって火を消す。
「そうかい?」
「ところで、何が入っているのですか?どうやら紙の類のようですが・・・・・・」
 無言のままに「お守り」を取り出す竜崎。
 それは絵だった。
 やたらと大きな目が目立つ少女の絵。
 長い黒髪。
 セーラー服に身を纏い、おてんばそうな表情で微笑んでいる。
 そして顔には眼鏡。
「………何ですか、これ?」
 整備兵は呆れた声で訊く。
「ん? 俺の描いた理想の女性像だよ」
 竜崎は邪気のない表情でそう言ってのけた。
「どうした? 君にはこの魅力がわからんか?」
「え、いや、まぁ、その………」
「残念だな。海軍の山本大佐はわかってくれたのだがなぁ」
 竜崎は遠い海のどこかで従軍しているであろう友の姿を思い浮かべて目を細めた。竜崎と山本、陸海軍の鼻つまみ者同士ウマがあうらしく、時折酒を酌み交わしながら己の萌えについて夜通し語り合うのだ。それが二人の友情の証であるという。友情の形は様々であろうが、しかし歪な形もあるものだ。



 フィリピンに展開するアメリカ陸軍を率いるのは極東軍司令官ダグラス・マッカーサー元帥であった。彼は元帥であるが、これはフィリピン陸軍の元帥であり、アメリカ陸軍としては一度退役したこともあって中将待遇であるが、彼は元帥と呼ばれることを好んでいた。マッカーサーは機を見るに敏な男であり、機を見ることに特化した天性の才能のおかげで、陸軍大学校を出ることなく最年少でアメリカ陸軍参謀総長に就任したこともあった。
 そんな彼が今のフィリピンに希望を見出すことは絶対になかった。クラーク大佐の立案した奇襲計画に一縷の望みを託してみたものの、日本軍にクラーク大佐の部隊は包囲殲滅され、クラーク自身も捕虜になったという。
「閣下、準備が整いました」
 マッカーサーが信頼する側近のチャールズ・ウィロビーがマッカーサーを呼んだ。マッカーサーは自らの代名詞として愛用しているコーンパイプを咥えたまま、鷹揚に頷いた。マッカーサーはウィロビーに道案内させながら足を進める。その先にあったのは滑走路であり、滑走路の端には一機の輸送機が停止していた。
「では、私はフィリピンの苦境を大統領に直接知らせ、そして増援をつれて戻ってくるI shall return
 マッカーサーは「I shall return」を必要以上に強調しながら、マッカーサーの後を請けてフィリピンのアメリカ軍を指揮する将軍たちに言った。彼らの上辺はともかく、内心は「自分たちを見捨てて本国へ逃げ帰る臆病者」に対する弾劾で一杯であった。
 マッカーサーはせっかくの名言が部下の心をそう強くは打たなかったことを残念に思いながらも、後ろ髪を引かれる素振りを見せずに輸送機に乗り込んだ。
 そして輸送機は発動機を回転させ、滑走路を滑るように加速し、フィリピンの空を後にした。それを見届けながら、後を任されたアメリカ軍の将軍はとある無線を飛ばしていたという………。



「そこ」に彼らがいたのは偶然か必然か。未だに日米双方がこの件の真相を最高機密扱いにしているため、真相は明らかではない。
 我々にわかっているのは、マッカーサーが乗る輸送機の進路と制空任務を帯びていた翔虎隊の進路が重なっていることと、そして翔虎隊を率いるタイガージョーこと虎頭 丞が「部下を見捨てて逃げようとするスットコドッコイに正義の鉄槌を下してやる!」と吼えたことのみである。
 結果だけを述べるなら、翔虎隊はわずか数十秒でマッカーサーの乗る輸送機を撃墜した。翼をもぎ取られた輸送機はきりもみ状態になって落下、フィリピンのジャングルに堕ち、大きな火球となったという。生存者などいるはずがなかった。
 そしてフィリピンは、大方の予想よりも遥かに早く陥落した。
 帝国陸軍航空隊第一三戦隊「翔虎隊」の活躍によってマッカーサーが墜死したからだ。
 部下を見捨てて自らは脱出しようとして、その際に敵に撃墜されて死んだというマッカーサーののあまりに無様な死に様は、米軍の戦意も一緒に葬ってしまったのだった。
 戦意が萎えに萎えた米軍は間を置かずに降伏。
 こうして一九四二年二月三日。
 大日本帝国はフィリピン諸島の完全占領を宣言したのだった。



 同日。
 アメリカ合衆国の議会で、フランクリン・ルーズヴェルトは獅子吼していた。
「我々は確かにフィリピンを失いました。しかし、これは我々の敗北を意味しているわけではない! フィリピンはあまりにジャパンに近すぎた。そう、あの真珠湾を爆破しておきながら、『自分たちは無実だ』などとおこがましく宣言するような恥知らずの国に! いかに勇敢な合衆国軍といえども、孤立無援な状況ではマトモな抵抗はできない。しかし! だが、しかし!!」
 ルーズヴェルトの熱弁は続く。彼の言葉を聞く者は皆、熱病に侵されていった。一人のカリスマにすべてを預けてみたくなる熱病に。識者はそれをファシズムの温床として忌み嫌うのだが、しかし識者は世の中で少数派なのが常だ。
「我々、合衆国はジャパン侵攻のための拠点を手にすることに成功しました。そこは『太平洋のジブラルタル』とまで言われている戦略的要所であり、ここを占拠できたからには、早晩にジャパニーズを屈服させることができるでしょう!」
 ルーズヴェルトは自らの言葉が全員に染み渡るのを待ってから言葉を続けた。
「その拠点の名は、『トラック諸島』です!!」
 ルーズヴェルトの演説は、数千万倍の拍手で迎えられた。ルーズヴェルト率いるアメリカ合衆国は、日本との戦争を早々に切り上げるつもりは欠片もなかった。彼らは日本が滅びるまで銃口を下げるつもりはないのだった………。


第七章「夜の帳の中で」

第九章「ホーリー・デイ」

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