艦娘たちのレイテ決戦編
第一章「西村艦隊:矜持」

 日が水平線の向こうに落ちて数時間も経てば辺りは真っ暗になる。
 暗い空で輝く月と星は光源とするには弱く、頼りない。この時間帯を人が「夜」と名付けてから幾星霜、人は夜に不安を感じて生きてきた。
 だから夜を明るく照らすため、人は照明を作ってきた。たき火からろうそくの明かりになり、そしてガス灯から電灯に代わり、電灯も白熱電球から蛍光灯を経てLED照明へと進化を続けていた。
 暗い夜を克服するという命題には人類の文明の軌跡を見出すことができるかもしれない。
 そういう意味で、今の僕たちは人類の文明から逆行している存在なのかもしれない。
 大きな艤装を背負い、海面を滑るように進む七つの人影。艦娘と呼ばれる、少女の姿で軍艦の力を持つ存在の一人、駆逐艦時雨は自嘲気味に笑った。なぜなら今の時雨は一切の照明を点灯しないまま、暗い夜の海を航行していたからだ。
 今、時雨は扶桑、山城、最上、満潮、朝雲、山雲と合わせた七人の艦娘で第一遊撃部隊第三部隊、通称「西村艦隊」を編成し、フィリピン近海のスールー海からボホール海に入ろうとしていた。
 今から半世紀以上も前、時雨は同じ編成でこのボホール海を抜けてスリガオ海峡に向かう途上にあった。もちろん、艦娘としての時雨ではない。艦艇だったころの時雨としてだ。
 彼女がまだ艦艇であった頃、西村 祥治を司令長官とする第一遊撃部隊第三部隊はスリガオ海峡を抜けようとした。しかしスリガオ海峡にて待ち伏せていた敵、オルデンドルフ少将率いる艦隊と戦った。
 まず最初に海峡の島影から魚雷艇が接近し、西村艦隊に攻撃を加えてきた。幸い、この攻撃は駆逐艦隊によって妨げられた。
 しかしその後は地獄であった。
 海峡で待ち受けていたオルデンドルフ艦隊の戦力は戦艦六隻、巡洋艦八隻、駆逐艦二六隻、魚雷艇三九隻を数え、その火力のすべてが西村艦隊に向けられたのだ。
 合衆国海軍第五四駆逐隊の果敢で苛烈な雷撃によって扶桑が被雷、さらに山雲、満潮も続けて被雷。この時点で西村艦隊は戦力の半分を失ったのであった。
 そして戦艦部隊、真珠湾攻撃で一度沈みながらも浮揚され、近代化改修を施された戦艦部隊がレーダーで山城を捉えて砲撃を開始。山城も第一、第二砲塔で反撃を試みるが寡兵は大軍に届かず、最後を迎えることになった。
 朝雲は艦首を失いながらも戦場からの離脱をはかろうとするが、合衆国海軍の追撃をかわすことができず沈没。
 最上は合衆国海軍の追撃からは逃れ、後方の志摩艦隊と合流することに成功するも、日本に帰ることは叶わず曙によって雷撃処分となった。
 唯一、時雨のみが敵機の空襲を受けながらもブルネイに逃げ延びることができたのだった。
 それが戦史に「スリガオ海峡海戦」として記録される戦いの顛末である。
 今再び、艦娘の姿となった第一遊撃部隊第三部隊はスリガオ海峡を目指して進む。果たしてこの航海の果てに待つのはかつてと同じ結末か、それとも………?



 ………第一遊撃部隊第三部隊、西村艦隊の出撃より二週間前のこと。
 鎮守府に設置された作戦会議室から扶桑型戦艦の艦娘、扶桑と山城が出てきた。まるで黒い絹糸のように綺麗な髪の姉妹であるが、姉の扶桑が背中を隠すほどに長く伸ばしているのに対して山城は肩に触れる程度に留めていた。それは山城が敬愛する姉を立てるためであろうか。
「次の大規模作戦に向けて」という名目で二人が呼び出されたのが二時間前。そして会議を終えて出てきた扶桑と山城は、興奮と不安がない交ぜになった表情であった。二人は鎮守府の廊下を歩いて自室に戻ろうとした。しかし心の中で揺れるカクテルが二人の歩調を速めていた。
「姉様………」
 先に口を開いたのは山城だった。
「敵、深海棲艦がフィリピンに侵出………となれば『あの海峡』にも深海棲艦が現れるでしょう」
 作戦会議室にて受けた説明を反すうするように山城は声に出した。扶桑は山城の声に頷いた。
「そうね、山城。だから私たちも呼ばれた………」
「ならば第一遊撃部隊第三部隊を再び結成し、今度こそスリガオ海峡を抜けてレイテ湾に突入してみせましょう!」
「そう、ね………」
 扶桑は山城の言葉に頷きながらも不安の表情を濃くした。作戦会議の場で長門が言った言葉が扶桑の胸の奥に残っていたのだ。
『長きに渡る深海棲艦との戦いで、一定のパターンが見えてきた。つまり深海棲艦が出現した海域に因縁がある者が鍵となるということだ。たとえば昨年秋に行われた作戦ではこの長門や酒匂、プリンツ・オイゲンによって深海海月姫に痛打を与えることができた』
 会議を始めるにあたり、長門は扶桑、山城を始めとし、大和や瑞鶴、その他居並ぶ諸艦娘たちにそう言って音頭を取った。
 そう、深海棲艦と艦娘は裏と表、陰と陽であるように考えられている。
 長門が例としてあげた昨年秋の「艦隊作戦第三法」では軍艦時代にクロスロード作戦によってビキニ環礁に沈んだ長門、酒匂、プリンツ・オイゲンらが中核となって深海海月姫と呼ばれた深海棲艦を討ち、サラトガを救出することができた。
 その実例を踏まえた上で長門は続けた。
『ならば此度の深海棲艦フィリピン侵出において鍵となるのはかつての捷一号作戦に参加した者たちであろう。同作戦ではこの長門も参加していたので勿論だが、それ以外の者も含め、各員、一層の奮励努力を期待する』
 Z旗に込められた思いで言葉を結ぶ長門。軍艦であった頃から連合艦隊旗艦を長く務めてきた長門はこの手の訓示をさせれば右に出るものはいなかった。
 ………その長門の言葉が扶桑の胸の奥に残っていた。扶桑は自分でも整理がつかないまま、心の向くままに言葉をつむいだ。
「………もしもあの海峡に深海棲艦がいるのなら、それはきっと私たちなのでしょうね」
 今まで戦ってきた深海棲艦は皆、悔恨を口にしていた。あの海にその思いを抱く者がいるのなら、それが合衆国海軍の艦であるはずがない。彼女たちは立派に務めを果たしたのだから。
 だからあの海に深海棲艦が現れたのならば、それは私たちしかありえないのだ。扶桑はそれを理解していた。
 そんな扶桑の言葉に山城がギョッとした表情を見せた。扶桑はなおも言葉を続ける。
「あの海で、暗い夜の海で深海に墜ちた私はどんな顔をしているのかしら………。私はそれを見るのが怖いわ………」
「姉様………な、ならば!」
 山城が扶桑の手を取り、すがるように応えた。
「この山城が必ずあの海峡の先へ姉様をお連れします! あの海になにが待ち受けていようとも、この山城が薙ぎ払ってみせましょう!!」
 山城の鬼気迫る決意の言葉。扶桑は自分の言葉が妹を不安にさせてしまったことにようやく気がついた。
「………ありがとう、山城。だけど私も貴方に頼り切るつもりもないわ。二人であの海峡を越えていきましょう」
「はい………!」
「あーあ、そこで盛り上がられちゃうとボクたちが出る幕がなくなっちゃうなー」
 扶桑型姉妹をからかうような声。その声の主は航空巡洋艦の艦娘、最上のものだった。
「あの海峡は扶桑たち二人で越えるんじゃない、みんなで越えるもの、そうじゃないかな?」
 そう言って最上は四人の駆逐艦の艦娘を扶桑型姉妹の前に連れ出した。満潮、朝雲、山雲、そして時雨………。あの時、あの海峡で散った徒花、第一遊撃部隊第三部隊、西村艦隊の面々がそろっていた。扶桑と山城は互いの顔を見合わせ、そして頷きあった。それだけで二人の心は通じ合っているのを感じた。
 そうね、今の私たちは艦娘。今までも軍艦の時にできなかったことを数多く成し遂げてきた。なら、今度もそれを行うだけよ。



 そして時系列は夜の海へ戻る。
 今、第一遊撃部隊第三部隊、西村艦隊の先頭を進むのは駆逐艦の満潮だった。そのすぐ後ろに朝雲が続き、少し左右に開いて右に山雲、左に時雨が続く。駆逐艦たちが形成する輪形陣の後方に艦隊旗艦の山城を先頭に扶桑、最上が単縦陣で続いていた。
 この輪形陣と単縦陣を組み合わせた陣形は警戒陣と呼ばれていた。
 思えばあの時、軍艦であった時にもこの陣形でこの海を進んでいたわね。
 山城がそう思った時、彼女の鼓膜を揺るがす音が轟いた。それが砲声であることは考えるまでもないことだった。
「敵はどこ?」
 山城の問いに答えたのは艦隊の先頭を行く満潮だった。
「PT小鬼! 左の方から来てる!!」
 艦娘の山城は四一センチ砲を三連装、連装で混載した航空戦艦の改二として大改装を受けていた。その際に増設された電探が夜の闇の中で蠢くモノを捉えた。
 PT小鬼。小さな、赤ん坊のような大きさの深海棲艦。だがこの小さな鬼は、四〇ノット以上の快速を誇る!
「キャハハ………クスクスクス………」
 無邪気だが、夜の海で聞くには不気味すぎる笑い声を発しながら迫るPT小鬼の群れ。山城の四一センチ砲の砲塔旋回速度ではこの小さな暗殺者を捕捉できない!
「敵艦はっけ〜ん。撃ち方〜、、はじめ〜」
 ともすればふざけているのかと思われても仕方ないほどに気の抜けた声。しかしその声色と裏腹に、その狙いは正確無比だった。駆逐艦、山雲の砲撃がPT小鬼を数体、吹き飛ばす。
 それでもPT小鬼は大物、山城や扶桑を目指して突き進もうとする。だが、そうはさせじと山雲が背負う艤装の見張り台に乗っていた熟練見張り員が残ったPT小鬼を指し示す。その指示を受けて対空用の機関砲が水平射で機関砲弾を雨のように浴びせる。深海棲艦の駆逐イ級であっても対空用の機関砲で倒すことは難しいだろう。しかしPT小鬼の耐久力、装甲は共に駆逐イ級よりも低く、そして脆いものだった。
「イ゛ッ! イ゛イ゛ッ!!」
 筆舌しがたい悲鳴のような声をあげてPT小鬼が波間に消えていく。山雲の活躍だけでなく、満潮や朝雲、時雨たちはPT小鬼群を退けることに成功していた。
 まるで波のように押し寄せてきたPT小鬼群だったが、奇襲に失敗したことを悟って、やはり波のように退いていった。西村艦隊の艦娘たちもPT小鬼を深追いすることなく、砲を納めた。砲火がなくなり、辺りは再び闇に覆われる。
「みんな、大丈夫………? 誰か、怪我した子はいない?」
 扶桑が心配そうな声で尋ねる。
「大丈夫! PT小鬼なんかに負けるものですか!」
 朝雲が興奮さめやらぬ様子で応える。その言葉に偽りはなく、PT小鬼の襲撃を受けながら第一遊撃部隊第三部隊、西村艦隊は無傷であった。
「しかしPT小鬼が出てきたってことは………」
 そう、今、西村艦隊の面々はスリガオ海峡の入り口に入ろうとしていたのだ。PT小鬼たちは海峡の島影からの奇襲を狙ったのだが、精強な駆逐艦に阻まれた形になる。
 ………まさかここまであの時と同じことになるなんて。だとしたら次がどうなるか。彼女はそれを知っていた。
 山城は心の片隅でそんなことを思いながら口を開いた。
「みんな、聞いて頂戴。1YB第三部隊西村艦隊は、これよりスリガオ海峡に突入する」
 そして懐から白く細長い布を取り出した。
「恐らくこの先には敵の待ち伏せがあることでしょう。その結果、私も傷つき、倒れることもあるでしょう」
 山城の声に悲壮感の色は、ない。ただただ、静かな決意で彼女は布を頭に巻き始める。それはこれより死地に潜ろうとする自らを鼓舞するための決意の鉢巻であった。
「しかし、各艦は我に省みずに前進し、敵を攻撃すべし。天佑を確信し、全軍突撃せよ」
 扶桑も、最上も、時雨も、満潮も、山雲も、朝雲も………西村艦隊の全員が山城に倣って白い鉢巻をつけながら山城の言葉を聞いていた。
「我、レイテ湾に向け突撃。敵を撃滅する。暁の水平線に勝利を――」
 そこまで言い切って、山城は一人一人、その姿を目に焼き付けるように見てから最後の命令を発した。
「続け!」
 山城を先頭に西村艦隊は単縦陣に再編成され、そしてスリガオ海峡へ突入していく。



 スリガオ海峡に入った西村艦隊は深海棲艦の水雷戦隊の強襲を受けていた。
「邪魔だ………どけえぇぇぇぇぇッ!!」
 夜の海をつんざくように、山城の怒号が木霊する。山城改二は連装砲塔、三連装砲塔共に二基ずつ、合計一〇門の四一センチ砲を搭載している。裂帛の気合と共に斉射で放たれた四一センチ砲弾の一発が駆逐ナ級に突き刺さり、球のように丸い体をした駆逐ナ級がまるでバットでしたたかに打ちつけられたボールのように吹っ飛んでいく。
 まずは水雷戦隊による雷撃がくる………それもあの時と同じ。だけど、同じだからこそ対処できる。電探の反応と砲火の煌めきで見える様子によると別の駆逐艦は最上と姉様が雷撃の射点につく前に砲撃で撃破し、再度突入してきたPT小鬼群も時雨たちが対処してくれている。
 西村艦隊は未だ健在。誰一人、欠けることなくここまで来たのだ。だから姿を見せなさい、戦艦部隊! 一度沈みながらも再び立ち上がってきた英雄の姿を、もう一度私と姉様に見せなさい!!
 水平線の向こうで何かが光った。そして山城の電探が超音速で向かってくる物体を探知した。その物体とは砲弾であり、そしてそれが放たれた方向に敵艦隊の旗艦がいるのだ。満潮が探照灯を灯し、光のビームを向け………闇の夜にその姿が照らし曝される。
 西村艦隊に砲撃を放った相手は五体の戦艦ル級と、塔のようにそびえる鉄と肉の黒い艤装とそこで仲睦まじく寄り添う白と黒の二人の女性だった。艶やかな黒い絹糸のような髪を白い方は長く伸ばし、黒い方は肩にかかる程度で切りそろえているのが見えた。
「あ、あれって………」
「………あら〜」
 満潮が照らし出した敵艦隊旗艦の姿に困惑の声をあげる朝雲に山雲。声にこそ出さなかったが、西村艦隊の誰もが扶桑と山城と深海棲艦とを見比べていた。
 鬼のような角がはえているものの、深海棲艦の旗艦は扶桑と山城に瓜二つであった。
「………不幸だわ」
 山城の口の端から思わずこぼれる言葉。それはあまり運がよい方ではないと自嘲する彼女の口癖でもある。だが、その言葉にここまでの呪いをこめたのは初めてだった。
「山城、大丈夫? 砲戦よ」
 そんな山城に扶桑はいつも通りに声をかけた。
 たとえ相手が自分たちと瓜二つであったとしても、相手は深海棲艦であり、自分たちは艦娘である。対峙するからには戦うだけだ。西村艦隊の面々は扶桑の言葉をそう受け取り、各自も砲を敵戦艦部隊へと向ける。
 しかし山城だけは感じ取っていた。扶桑姉様は怒っている。それもただごとではないレベルで。
 山城は敬愛する姉を激怒させた敵、後に海峡夜棲姫と名付けられるようになる深海に墜ちた姉妹を睨みつけた。だが相手は山城の視線に気付く素振りすら見せず、ただ白い姉に幸せそうにはにかみながら黒い妹が寄り添うだけであった。まるで、世界に自分たちしかいないようだった。
「ふん、失礼な奴さ」
 そう言って西村艦隊の隊列から飛び出す人影が一つ。白露型駆逐艦二番艦、時雨であった。時雨はジグザグと蛇行しながら海峡夜棲姫を撃つべく前進する。
 当然、海峡夜棲姫に続く戦艦ル級の群れが時雨の突撃を阻むべく砲を向ける。
「艦隊、時雨を援護するわよ!」
 だが、当然ながら山城たちはル級の砲撃を阻止しようとする。山城改二が搭載する二基ずつの四一センチ連装砲塔、三連装砲塔が機械音をあげて旋回し、砲身も獲物を狙って鎌首を持ち上げる蛇のように動く。………神話に名高き八岐大蛇でも蛇の頭は八つしかないのに、今の自分には一〇門も砲がある。実に頼もしい限りではないか。山城はそんなことを頭の片隅で考えながら照準をル級にあわせる。
「主砲、よく狙って………ってぇー!」
 戦艦の艦娘の中でも特に巨大であるといわれる扶桑型艦娘の艤装だが、その巨大な鋼鉄を包み隠すほどの発砲炎が夜の海に咲く。放たれた砲弾は遠方、一万五〇〇〇メートル先のル級を包み込むように落ちていく。一本、二本、三本、と巨大な水柱が立ち昇る。
 艦娘や深海棲艦は大きさこそ人間の女性と同じ大きさであるが、しかし彼女たちの艤装が持つ破壊力は軍艦だった時代のものと変わらない。
 つまり山城改二が装備する四一センチ砲なら重量一〇二〇キログラムの砲弾を初速七九〇メートル毎秒で撃ちだしたものと同じ威力を誇るのだ。人間大の大きさでこの破壊力を有し、決戦距離でその直撃に耐えることができる防御力を持つ。深海棲艦が既存海軍を過去のものにし、艦娘だけが対抗戦力となったのはそのあたりの事情が大きい。
 閑話休題。
 山城の放った一〇発の四一センチ砲弾はル級を包むように着弾した。闇の帳が降りた夜の海で、山城は水柱を電子の眼、つまり電探で観測していた。砲弾が敵を包み込むように落着する。それは「挟叉」と呼ばれる状態であることを意味していた。この場合、山城の砲撃の諸元入力は正しいことを意味する。あとは命中弾が出るまで運の問題だ。そしてそれを解決する方法として、試行回数を上げるのみである。要するに、撃ち続けていればそのうち当たるということだ。
 グォウ!
 山城が放った第二の斉射。この際に放たれた一〇発の四一センチ砲弾のうち二発が戦艦ル級に命中した。命中した四一センチ砲弾の一発目は戦艦ル級の装甲に深くめりこみ、しかし貫通することはなく、装甲で食い止められてしまった。だがル級に命中した二発目の砲弾、これが一発目とほぼ同じ箇所に命中したのはル級にとって最悪の不幸であった。一発目の命中弾でえぐられていたル級の装甲は二発目の命中弾に対して装甲としての機能を果たせず、柔らかなわき腹への貫徹を許してしまった。
「グハッ!」
 戦艦ル級がどす黒い、タールのような血を吐いて膝を折って伏せる。なおも立ち上がろうとするが、山城が命中させた四一センチ砲弾によって腹に大きな穴を開けられては再び立ち上がることはできなかった。もはや浮く力すら失い、脚から腰、体、頭と沈んでいくル級。それでも「自分はまだ戦える」とばかりに突き上げられた右手で持つ艤装が砲撃を放つ、放つが照準すら西村艦隊がどこにいるのかすらわからないまま撃った砲弾は見当違いの海に落ちるだけだった。
 二斉射でル級を一体撃沈。艦砲射撃の命中率なんて昼の砲戦でも五パーセントもあればよい方なのだから、夜戦でこれはラッキーヒットだったと言える。否、違う。艦娘として再び生を受け、山城は訓練と出撃を数え切れないほどに繰り返してきた。故にその錬度は軍艦、艦娘全時代通してでも今が最高潮に達しているのだという自負がある。これは決してラッキーヒットでなく、実力で起こした戦果なのだ。
「………とはいえ、力が溢れてくるのを感じるわね」
 山城はそう呟いて右手で連装砲塔をそっと撫でる。
 艦娘は人間サイズで軍艦の力を持ち、そして「心」も持っている。その「心」が昂ぶれば実力以上の力を発揮することもできる。艦娘としてスリガオ海峡に挑む今、山城のみならず第一遊撃部隊第三部隊、西村艦隊全艦の「心」が滾っているのだろう。
 その証として、航空巡洋艦である最上の二〇センチ砲で戦艦ル級の装甲を撃ち抜き、さらにル級を一体、敵艦隊から落伍させつつあった。
 西村艦隊は五隻の戦艦ル級との砲戦を制しつつあり、深海棲艦の艦隊は前進する時雨を阻むことに失敗していた。そこで初めて海峡夜棲姫が時雨に視線を向けた。山城によく似た黒い鬼の娘がぞっとするほど酷薄な笑顔を浮かべて告げる。
「ココ…ハ…トオレナイシ……。……トオサナイ……ヨ……ッ!」
 海峡夜棲姫が戦闘の意志を顕わにしたことによるものなのか、黒い鉄と肉の艤装の隙間から蒼白い彼岸花が咲き始める。
「いいや、通してもらう。ここは、譲れない」
 海峡夜棲姫が放つおぞましい恐怖に欠片もひるむことなく、時雨が海峡夜棲姫に襲いかかる。時雨改二が背中に装備する砲はアームを展開して射線を確保し、手に持つ砲と合わせて砲撃を放ち、さらに脚部に装着している魚雷発射管も全弾一気に撃ちつくす。
「ムダ…ヨ……ッ!」
 時雨の放つ砲弾は所詮駆逐艦の豆鉄砲。海峡夜棲姫は砲弾を艤装の装甲で弾く。そして魚雷に対しては………海峡夜棲姫の姉妹が腰かけていた部分、巨大な歯をむき出しにした異形の肉塊がその身を起こし、そして巨体を海に叩きつける!
 異形の肉塊がその身を海に叩きつけた衝撃で戦艦の砲弾が落着した時と比べても遜色がないほど巨大な水柱が立ち昇る。そしてその水柱によって海面下はぐちゃぐちゃにかき回され、時雨が放った魚雷は方位を乱されて海峡夜棲姫とは全然違う場所へ進んでいく、つまり力ずくで狙いを外されたのであった。
「ココハ……ジゴクナノヨ………」
 海峡夜棲姫が勝ち誇った声を発しながら主砲で時雨を狙う。砲身が時雨を指し示し、そして発砲するまでの刹那、短い一瞬のはずだが永遠にも思えるほど濃密な時間。だが時雨はその間にも次の手を考え、そして行動に移していた。時雨は全速力で航行しながら身を屈め、伸ばした手が水面に触れる。
 その次の瞬間、海峡夜棲姫の主砲が、六基の一四インチ連装砲が発砲を開始した。砲を水平に向けるほどの至近距離での発砲である。駆逐艦である時雨が直撃を受ければ一たまりもないだろう。
「時雨ッ!」
「………大丈夫さ、山城。僕はまだ沈まない!」
 直撃こそ避けたものの、至近弾の衝撃だけで時雨は両肩の艤装が中破していた。しかしそれでも時雨の戦意はいささかも欠けず、海面を蹴って海峡夜棲姫に飛びついた。
「ナニ………?」
「………山城はね、確かに扶桑のことが大好きさ。だけど、鎮守府のみんなのことも等しく気にかけてくれているんだ。なのに君たちは自分たちのことしか気にしないというのなら………」
 時雨は左手に持った魚雷、海峡夜棲姫の艤装が起こした波によって進路をそらされた魚雷、海峡夜棲姫の砲撃を受ける寸前に海中から拾っていた魚雷の一本を逆手に持って振り上げる。
「君たちには失望したよ」
 そう静かに宣告すると、時雨は魚雷を海峡夜棲姫に振り下ろした。だが、その魚雷は海峡夜棲姫に刺さらない。黒衣を纏った、山城によく似た海峡夜棲姫の妹の方が右手の鋭い爪で時雨の持つ魚雷を切り裂いたからだ。
「くっ………」
 ならばと咄嗟に右手の砲で海峡夜棲姫を撃とうとする時雨。しかし、海峡夜棲姫はそれ以上時雨と取っ組み合っての戦いを続けるつもりはなかった。海峡夜棲姫の妹の方が時雨の腹に足を突き出し、そして全力を込めて足を踏み込んだ。
「うわぁッ!?」
 海峡夜棲姫の全力で蹴り出された時雨は海面を水切りの石のように跳ねながら飛ばされる。そんな時雨を抱き止めたのは山城であった。
「時雨、大丈夫!?」
「………ごめん、山城。いけると思ったんだけど………」
 時雨の言葉に山城は返事はせず、ただ彼女の肩を軽く叩いた。それだけでお互い言いたいことはすべて通じていた。
「山城、ル級はすべて片付けたわ! だけど駆逐隊は魚雷、撃っちゃったから次発装填に時間がかかるわ」
 朝雲の報告に山城と扶桑は目を交わし、そして頷きあった。
「了解。ならば砲戦で決着をつけるわ!」
 山城と扶桑が砲を海峡夜棲姫に向け、海峡夜棲姫も合計一〇門の一四インチ砲を山城、扶桑に向けてくる。
 そして砲火が交わる。
 砲撃、弾着、諸元修正。理路整然とされた殺意のプロセス。戦艦同士の砲撃戦においてもっとも大切なのは諸元を導く出す数学の力だ。
 山城、扶桑の四一センチ砲弾が、海峡夜棲姫の一四インチ砲弾が、スリガオ海峡の海に巨大な水柱を立て、そして鋼鉄をしたたかに叩く。二対一の砲撃戦でありながら、海峡夜棲姫は逆に山城と扶桑を圧倒するほどであった。
 海峡夜棲姫が放った一二射目、海峡夜棲姫の一四インチ砲弾が扶桑の四一センチ三連装砲塔に落ち、砲塔の天蓋を撃ち抜き、砲塔の中で炸裂する。
「きゃあああああ!」
「姉様!?」
 だが、不幸中の幸いか、海峡夜棲姫の一四インチ砲弾が扶桑の四一センチ三連装砲塔の天蓋を撃ち抜いた時、砲塔内の砲弾は発射した後で空になっており、また砲塔内の装備妖精が咄嗟に弾薬庫を閉鎖したことで最悪の事態、つまり弾薬庫誘爆は避けられた。だが、被弾した砲塔内の装備妖精は全滅し、砲塔も破壊されており、三連装砲塔の一基がこれ以上の発砲が不可能となったのは一目瞭然であった。
「や、山城………! 突破するのよ!!」
「は、はい………!」
 歯を食いしばって被弾の痛みを耐える扶桑の言葉を受け、山城は敬愛する姉を省みることなく砲撃を続ける。海峡夜棲姫はすでに山城、扶桑両戦艦から七発の四一センチ砲弾を受けていた。しかしそれでも海峡夜棲姫の主砲は健在であったし、速力も衰えた様子はなかった。
 だが海峡夜棲姫の艤装も無傷ではなかった。当然、被弾するたびにボロボロになっていく。
「時雨、あれ、見てる………? それとも私の目の錯覚なの………?」
 魚雷の次発装填を進めながら、満潮は探照灯で海峡夜棲姫を照らし、山城と扶桑を援護していた。だが、どうだ。海峡夜棲姫が被弾するたび、海峡夜棲姫の白い衣をまとった方、扶桑によく似た姉の方の姿が………。
「あ、ああ、僕にも見えているよ。深海の扶桑の姿が、まるで………」
 そして山城の放った四一センチ砲弾がついに海峡夜棲姫の砲塔を撃ち崩した。まるで塔のようにそびえたっていた海峡夜棲姫の艤装、その頂点に備え付けられていた一四インチ連装砲塔が四一センチ砲弾の直撃によって崩壊し、塔ごと倒れていく。そして崩れ落ちる塔と同時に海峡夜棲姫の姉の方、扶桑によく似た真っ白い美女の姿が幽霊のように消えていった。まるで、最初からそんな存在はいなかったかのように、あっさりと消えていったのだ。



 山城の四一センチ砲弾に艤装を破壊され、一人だけになった海峡夜棲姫はそれでも戦意を失ってはいなかった。
「トオサナイッ…テ…イッテルノニ……。
 …………。シニタイ……ノォッ!」
 四一センチ砲弾が炸裂し、負傷したのだろうか。海峡夜棲姫は左手でわき腹を抑えながら、しかし右手は山城に向けられていた。そして生き残った一四インチ砲で砲弾をなおも放つ。
 一方で、山城も海峡夜棲姫との砲戦で一四インチ砲弾をすでに何発も受けている。一四インチ砲弾の破片が山城の美しい頬を切り、真っ赤な血が彼女の顔を彩る。体力も、集中力もとうに限界を超え、肩で息をしていた。
 だが、それでも山城は海峡夜棲姫に対して砲撃を続けていた。鬼気迫る彼女の気迫に海峡夜棲姫は思わず引きつった声で叫んだ。
「マップタツニ……ナリタイノォ!?」
 海峡夜棲姫の一四インチ砲が咆哮する。その一四インチ砲弾は山城の肉体に向かい、毎秒七七〇メートルの速度で突き進む。だが、山城はその一弾に対し、固く握られた拳を叩きつけた。そして思いっきり拳を振り抜いた。山城の拳が一四インチ砲弾を砕き、破壊する。古代より繰り返された矛と盾の関係において、山城の盾は矛を防ぐどころか破壊したのだった。
 山城は海峡夜棲姫を睨み、そして四一センチ砲を放つ。四一センチ砲弾の巻き上げる水柱が海峡夜棲姫を包む。
「ヤメテ………」
 海峡夜棲姫の口から思わずこぼれる弱気の言葉。だが山城はその弱気を意にも介せず砲撃を続ける。四一センチ砲弾が中破した海峡夜棲姫を叩く。
「ヤメテッテ、オネガイシテルノニィッ!!」
「貴様ァッ!」
 海峡夜棲姫の声に涙の色が滲んだ時、山城は四一センチ砲の砲声よりも大きな怒声をあげた。その声の大きさは海峡夜棲姫だけでなく、山城をよく知るはずの時雨を始めとする西村艦隊の面々や、さらに言えば姉である扶桑ですら呆気に取られるほどに怒りに満ちていた。
「敵に、許しを請うなァッ!!」
 私は、軍艦であった山城は、このスリガオ海峡で沈んだ。それに対する無念、後悔の思いならある。だけど、私は敵に許しを請うような真似だけはしなかった! それが私の矜持だったのだ!!
「それを、貴様ァッ!!」
 憤怒の表情で山城が四一センチ砲の次弾の装填を進めていく。彼女はこの一撃で戦いを終わらせるつもりであった。
「山城、危ない! 左よ!!」
 だが、咄嗟に聞こえた扶桑の声に山城が進路を変えた時、山城が今までいた場所に無数の砲弾が落ちてきた。
「何………!?」
 思いがけない方向からの攻撃に驚く山城。 だが山城だけでなく、海峡夜棲姫もまた山城と同じくらいに驚いた表情を見せていた。………ということは援軍としても、意図したものではないということかしら?
 山城を狙った砲撃が放たれた方向はスリガオ海峡の陸地方向であった。満潮がとっさに探照灯を陸地へ向ける。
「……ワタシガ…オアイテ…シマス………」
 探照灯の光に照らし出されたのは白い繭のような艤装にその身を埋めた深海棲艦の姿であった。防空埋護姫。後にそう識別されるようになる深海棲艦が海峡夜棲姫と西村艦隊との戦いに乱入してきたのであった!
「山城、新手は私たちで受け持ちます! 貴方は決着をつけなさい!!」
 扶桑が最上や駆逐隊を連れて防空埋護姫へ向かう。防空埋護姫が必死の形相で四インチ砲を西村艦隊へと向ける。だが、扶桑の四一センチ砲が、最上の二〇センチ砲が、そして装填が完了した最上と駆逐隊の酸素魚雷が防空埋護姫に撃ちこまれる。
「ありがとう、姉様………」
 山城は装填が完了した四一センチ砲を海峡夜棲姫へと向ける。山城が海峡夜棲姫に向ける眼差しは、先ほどまでとは打って変わった、安心したような眼差しだった。
「安心したわ、もう一人の私。貴方もちゃんと仲間に慕われているじゃない。………なら、今度はもっと周囲に目を向けなさい。姉様の幻影ばかり追いかけていないで………」
 私は艦娘たちの鎮守府で、大切な仲間たちに支えられ、改二となってこの海に帰ってきた。その絆に負けないモノがそちらにもあるのなら、私の攻撃を受け止めてごらんなさい。
 ドオゥン!
 山城の放った四一センチ砲弾が海峡夜棲姫の胸に突き刺さる。海峡夜棲姫はその目から熱い涙をこぼしながら口を開いた。
「ソウナノデスネ……。アナタタチハ……ソレデモ…コノサキニ ススモウトイウノデスネ………」
「ええ。それが私の、いいえ、私たちのやりたい事だから」
「ナラ、アナタタチハ…進んで……この先に待つモノヘ………」
 海峡夜棲姫は満足げに頷くと防空埋護姫へ手を振り、そして深く頭を下げた。ふがいない自分を助けるために駆けつけてくれた仲間に対する、それが礼儀であった。防空埋護姫は海峡夜棲姫の礼を見て攻撃の手を止めた。
「マモレナカッタ………ワタシハ……マタ………!」
 海峡夜棲姫は防空埋護姫の悔恨の声を聞き、そうではないと首を振って応えた。
「私は満足したの。さあ、貴方も鎖を放ち、自由な海へと………帰りなさい」
 海峡夜棲姫の声を聞いてハッとした表情を浮かべる防空埋護姫。そして防空埋護姫の体が温かい光に包まれていく………。
「エッ…? ウデ…ガ、ジユウ…ニ。もど…れ、もどれる…カエレる、のね? 私、もういちど…自由に……海を、駆けて………!」
 そして防空埋護姫は艦娘の姿へと変わっていく。
「あの子は………涼月!」
 艦娘、涼月の再生を見届けてから海峡夜棲姫も姿を消していく。だが彼女は艦娘にならなかった。すでに目の前に艦娘として生きる自分がいるのだ、海峡夜棲姫が再生することはなかった。
 しかしそれでも不安も不満もない。私にこんなにも熱い砲弾を撃ち込んだ艦娘がいる。それだけで十分だ。
 ………海峡夜棲姫が消え、スリガオ海峡に静寂と闇が戻ってくる。
「涼月は艦娘になったばかりだ。この先に連れていくのは厳しいと思うから、志摩艦隊に保護を依頼するね」
 最上はそう言って西村艦隊に少し遅れてスリガオ海峡に向かっている志摩艦隊に涼月をたくすことを無電で報せた。
「山城、大丈夫?」
 海峡夜棲姫を打ち倒した山城を労うように近寄る扶桑。山城も疲れて憔悴した顔だったが、しかしやり遂げた想いもある。だが、まだ彼女たちの任務は終わっていなかった。なぜなら「スリガオ海峡を抜ける」のはあくまで最終目標である「レイテ湾への突入」の前の一障害にすぎなかったからだ。
「私なら大丈夫です、姉様………みんなは大丈夫?」
 山城の問いに扶桑も、最上も、時雨も、満潮も、朝雲も、山雲も、誰もが傷ついていたが、しかし意気は軒昂で頷いてみせた。それを見てから西村艦隊の旗艦山城は次の命令を下した。
「西村艦隊はスリガオ海峡を突破。いよいよレイテ湾に突入し、栗田艦隊を援護します。全艦、我に続け!」
 そして西村艦隊七人の艦娘は夜の海に航跡を伸ばしながら北上を再開したのであった。


次回予告

「私たち機動部隊がこうやって比島沖北部に遊弋してたら、相手からしたら気が気じゃないの。
 だから敵機動部隊は憂いを断つためにも私たちを潰しに来るわ」
「へぇ、よくできた作戦ですねぇ」
「………本当、よくできた作戦よ。ムカつくくらいに、ね」

艦娘たちのレイテ決戦編

第二章「小沢艦隊:鶴の一矢」


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