艦これショートショート
Corbelleria


 深海棲艦との生存を賭けた戦いが三年目の夏を迎えた頃、人類側はソロモン海方面への大規模作戦である第二次SN作戦を発動。
 日本の鎮守府が保有する多くの艦娘が同作戦のためソロモン海域に投入されることとなった。
 さて、日本本土から見て南西にある、昭南港はカレー洋方面への玄関口として機能しており、春先に行われた第十一号作戦ではこの地から出撃した艦娘たちが勝利の凱歌を奏でた地であった。
 しかし今の第二次作戦は日本本土から見て南東にあるソロモン海域を焦点としているため、昭南港には少数の艦娘が警戒として配備されている状況であった。
 だが、戦争とは最前線だけで行われるわけではない。そう、なにもソロモン海域を砲炎で焦がすだけが戦争ではない。商船が安全に航海できるよう通商を護衛することも戦争であるし、第二次SN作戦で直接関わることのない遠方の要衝を護ることだって立派な作戦であり、戦争である。
 今回の話はこの最前線から遠く離れたカレー洋の玄関口である港を舞台とする。



 この日、昭南港は朝から雨が降っていた。赤道に近い位置にある昭南港は乾季と雨季が存在し、八月は乾季に属するはずなのだが、朝からの雨は昼前になっても降り続けていた。
「珍しい雨ね」
 第十一号作戦時に昭南港に設けられた司令部施設。その一部を引き続き使用することで昭南港駐留の艦娘たちは生活をしていたが、本来は応接用の広い部屋で窓から外の雨を眺めていた艦娘がぽつりと呟いた。そう、乾季でスコール以外の長雨が降るとは非常に珍しいことなのだ。
 艶やかで長い黒髪につけられた軍艦であった頃の艦橋を模した髪飾りがアクセントになった艦娘。窓から珍しい雨を眺めている美女の名前は扶桑という。
「この雨じゃ出かける気分がなくなるよね」
 そういって笑うのは最上だった。ボーイッシュなボクっ娘の重巡洋艦娘は椅子に腰かけながら背もたれを使って背筋を伸ばす。
 一方、大きな長方形型の木製テーブルの上では扁平なガラス玉がまるで星のように散りばめられていた。そしてテーブルに取り付いた二人の駆逐艦娘の暁と雷、そして軽空母の飛鷹がガラス玉を指で弾いて飛ばして遊んでいた。文章で書くと大層なことをしているように思えるかもしれないが、それはおはじきと呼ばれる遊戯だった。
 カチャリと音をたててドアノブが回り、そして扉が開く。部屋で待機していた五人の艦娘の視線が扉を開いた主に向けられる。部屋に入ってきたのはウェーブがかかった黒髪を短く切りそろえた眼鏡の艦娘だった。彼女はイタリアで建造された戦艦ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦四番艦ローマの艦娘であった。この昭南港が根拠地として発動された第十一号作戦の末に日本の鎮守府に合流した艦娘であり、今のこの昭南港駐留艦隊の旗艦を任されている艦娘だ。
「本土からの定時連絡だったんでしょ? なにか新しい報せはあった?」
 テーブルで暁と雷とおはじきで遊んでいた飛鷹が顔を上げてローマに尋ねる。
「第二次SN作戦は順調に推移し、ソロモン海域の敵飛行場を撃滅するのも時間の問題だとの報せがきています」
 ローマの言葉に部屋が興奮に包まれたのがわかる。麗しい乙女の姿を持って誕生した艦娘も、その本質は軍艦。戦うことにためらいはないし、味方の勝利は二番目に望ましい情報だった。もちろん一番目は自分の力で勝利を得ることなのは言うまでもない。
「あと、これは現在確認中の情報ですが………」
 そう前置いてからローマが別の情報を話し始める。
「西方海域、つまりこのカレー洋で再び深海棲艦集結の兆候が現れているとのことです」
 第十一号作戦で徹底的に叩いたカレー洋の深海棲艦。にも関わらず、再びの戦力集結の報が出てくるとは………。
「深海棲艦は昨年のAL/MI作戦時の再現をたくらんでいるということね」
 扶桑の言葉になるほどと頷きつつもざわめき始める日本の艦娘たち。ローマは伝聞でしか知らないが、日本海軍が全力でAL、MI方面へ出撃した昨年の作戦では主力が留守の間隙をつこうと深海棲艦が急襲してきたことがあったのだ。奴らはそれを再現しようとしているのか………。
 ローマは話を続ける前にコホンと一度咳払いした。それにあわせて日本の艦娘たちもざわめくことを止めた。
「また、カレー洋の深海棲艦についてはイタリアの艦娘たちで偵察を行うよう要請し、イタリア側もそれを受けています。『私たち』昭南港の艦隊はここに戦力を誇示し続けることで深海棲艦に対する牽制を続けることになります」
 ローマはそう言って本土からの定時連絡の周知を終えた。そしてその場は一旦解散ということになったが、朝からの雨がまだ降り続けていることもあり、誰も部屋から離れようとはしなかった。
「あら、これは………?」
 ローマがテーブルの上に広げられているおはじき用の扁平なガラス玉に気付く。
 触ってもいいかしら?
 どうぞ。
「へぇ………」
 扁平でざらざらした透明なガラス玉の中に青や黄色の色が波模様になって封じられている。部屋の照明を屈折させたガラス玉はきらきらとしていて見た目にもキレイだった。
「キレイね。ガラス?」
「これはおはじきって言ってね、日本の子供たちの遊びとして古くからあるのよ。こうやって、ね………」
 飛鷹はそういってガラス玉の一つの前に自分の左手を持っていき、中指を親指で抑えながら力を込め………そして親指の抑えを離す。白魚のようにたとえられる飛鷹の綺麗な中指が勢いよく伸びていき、ガラス玉を弾く。弾かれたガラス玉は別のガラス玉にぶつかり、別なガラス玉をさらに弾いてテーブルの下に突き落とした。
「おはじきを弾いてテーブルから落としたら勝ちっていう遊び。ま、決まったルールなんかないから今の私たちはそうやって遊んでいるってことだけどね」
「イタリアにも似たような遊びがあるわ。ビリヤといってね、今みたいに指でガラス玉を弾くの。こういう平たいガラスじゃなくて、球のだったけど」
 ローマの言葉に暁と雷が興味津々でイタリアの遊びについていろいろと質問していく。ローマも最初は子供たち特有の遠慮のない質問の連発に少し戸惑っていたものの、すぐに落ち着きを取り戻して質問に答えていく。彼女の姉、リットリオ改めイタリアがこの光景を見たなら人見知りの気が強い妹も問題なく日本の艦娘たちと溶け込めたようだと微笑むことだろう。



「そういえばイタリアの駆逐艦も元気な娘が多いのかしら?」
 カレー洋に深海棲艦の兆候が現れたことで昭南港も慌しくなりだしてから数日後、ローマと扶桑は昭南港の司令室で内地から来た輸送船が運んできた物資リストのチェックを行っていたのだが、その時に不意に扶桑がローマに尋ねたのだった。
 不意に訊かれた方のローマはどう応えたものか思案顔を見せる。
「ああ、ごめんなさい。別に深い意味はないの。ただ、ふと気になったのよ」
 扶桑の言葉にローマは一度眼鏡を外し、布でレンズを拭きながら応え始める。
「………そうね。私も里心がつくとイヤだったから、あまり他のイタリアの艦娘の話はしてなかったわね。だけど、イタリアも日本も基本的には同じよ。子供はいつも元気で、私たち大人を照らす太陽みたいな存在」
「なるほど………。フフ、日本とイタリアという国の差より前に、子供という大きな共通点があったわね」
 扶桑はそう言って微笑み、ローマも拭き終えた眼鏡をかけなおしてニッコリと笑う。
 そんな時だった。司令室のドアが激しく開かれ、最上が慌てた様子で姿を見せる。
「大変だ、ローマ! カレー洋で深海棲艦の偵察を行っていたイタリア艦隊が逆襲を受けたらしい!!」
「!?」
 最上の言葉にローマが血の気が引いた顔で物資リストを落とす。机の上からこぼれた紙がゆらりゆらりと舞う。
「それでイタリア艦隊は撤退したそうなんだけど、傷が深い駆逐艦が一人、本国まで持ちそうにないからドックで入渠させて欲しいって。それで二番ドックに入渠してもらったんだ」
 青ざめた表情のローマを見た扶桑が最上の報告に対し、ローマの代わりに指示を出す。
「提督には私から報せておくわ。最上、あなたはドックの妖精たちをすぐに集めて頂戴。そのイタリア駆逐艦、必ず救うのよ」
「わかったよ!」
 扶桑の言葉にきびすを返してドックに向かう最上。扶桑は床に落ちたリストを拾ってローマに言った。
「ここは私がやっておくわ。あなたはドックに向かってあげなさい」
「え、でも………」
「見知らぬ港で入渠するとしても、知った顔がいた方が安心できるものよ。 ………私もよく入渠してた経験上、そういうものよ」
 最後につけられた諧謔に笑っていいものか判断に迷ったローマだったが、その前の提案については素直に返すことが出来た。
「グラッチェ(Grazie)」
 そう言い残してローマは司令室を走り出る。
 ドックに駆けつけたローマの鼻腔をくすぐったのは重油の臭いと鉄が焼けた臭い、そして血の臭いだった。
「ローマさん! こっちこっち!!」
 昭南港の二番ドックを指差して雷がローマを手招きする。呼気を整える間も惜しんで走り続けたローマが見たのは、傷だらけでドックに横たわる小さな子供の姿だった。よく日に焼けた小麦色の肌のあちこちに火傷の痕があり、肉を斬るほどの傷もあちこちに見えている。
「艤装はボロボロだったけど、かろうじて修理そのものはできそうよ、もちろん傷も含めて。少なくとも、ドックの妖精たちはそう言ってたわ。でもすぐに修理完了とはいかないって言われたわ」
 飛鷹の言葉にローマは一瞬安心した表情を見せたが、少女の傷は痛ましく、「安心」というには程遠い状態だった。
『リベ………なんてこと』
 ローマが震える声で母国イタリアの言葉を呟き、伸ばした手でドックに横たわる少女の頬を撫ぜる。その感触に目を覚ましたのか、リベと呼ばれた少女がわずかに目を開き、弱く細い声で言葉を発する。
『ローマ、さん………』
『リベ………イタリア艦隊は、どうなったの?』
『………ごめんなさい。空襲を受けた後、たくさんの深海棲艦に囲まれて………』
『そう、それでここに来たのね』
『はい………そうだ、ローマさん、これ』
 傷だらけの少女がくしゃくしゃになった紙を懐から取り出してローマに手渡す。大急ぎで書きなぐられた字だったが、ローマはその字をよく知っている。
『ヴィットリオ・ヴェネトさんがローマさんにって………』
『姉さんが? ………とにかく、リベ、あなたが無事でよかったわ。今はたっぷり休んで、その傷を癒しなさい』
『はい………』
 ローマに優しく撫でられた少女は穏やかな寝息をたててまどろみ始める。ローマは飛鷹に向き直って言った。
「この子はマエストラーレ級駆逐艦三番艦のリベッチオというの。本当はすごく元気でかわいい子なのだけど………」
 ローマの手が拳を作り、そして固く握られる。それを見た飛鷹がローマに尋ねる。
「どうするの? 出撃、する?」
 飛鷹の質問に対し、ローマは目をきつく閉じて応えた。
「………いいえ。私たちの任務は、あくまでこの昭南港の防衛よ。ここで出撃して、万が一にでも敗北したらこの昭南港はもちろん、ソロモン海域の主力部隊だって危機を迎えるわ。私たちの任務はここ、昭南港を保持しつづけ、主力部隊の後方の安全を確保することなのだから………」
 ローマの声はまるで自分に言い聞かせているようだった。いや、実際にそうしているのだろう。日本の鎮守府に所属する今のローマは日本海軍の戦略を第一に考えている。それは立派な決断だ。
(………だけど、あなたの心は納得しきれていないじゃない、ローマ)
 ローマの握られた拳に爪が食い込んでいるのを見た飛鷹は心の中でそう呟いた。



 その日、ローマはリベッチオの入渠するドックの前で夜を明かそうとしていた。
 リベッチオはドックに小さな体を横たえたまま、時折苦しそうに咳き込んでいた。ローマは両の手を合わせ、彼女の信ずる神に小さな駆逐艦の無事を祈っていた。
 そんな中でも………いや、そんな中だからこそか、ローマの聴覚が自分に近づいてくる音を捉えた。その音は金属同士が擦れ合うような音だった。
「誰ッ!?」
 すっくと立ち上がり、音の方へ握った拳を向けるローマ。音の正体が何者かは知らないが、ドックで眠る駆逐艦を狙う者ならば容赦はしない。固く握られた拳はその決意の表れだった。
「………いい気迫ね」
 夜の闇の中からぬっと現れたのは巨大な砲だった。改二の改装を受けた際に搭載された試製四一センチ三連装砲。長門型と同じ口径の砲を、長門型より一門多く装備した砲塔を持つ艦娘。それはこの昭南港ではただ一人だ。
「扶桑………?」
 巨大な艤装と対照的に細くて華奢な肢体の黒い髪の美女。それは扶桑だった。いや、扶桑だけではない。最上も、飛鷹も、暁も、雷も………皆が艤装を装備した状態でローマの前に整列したのだった。
「こ、これはどういうこと? どうして完全装備で………?」
 扶桑たちの意図が見抜けずうろたえた声を出すローマ。ローマの困惑を見た飛鷹がローマに告げる。
「ローマ、私たちはあなたに道を二つ選んでもらいに来たわ」
「道、ですって………?」
「一つはこの昭南港に艦隊戦力を誇示し続けることで深海棲艦の侵攻を警戒し続けること」
 それはローマが飛鷹に語った作戦案だ。そしてそれは鎮守府からの命令でもある………。
「もう一つは戦力が集結途上にある敵艦隊に対して強襲をかけ、敵の橋頭堡ごと撃滅すること」
「………それは!」
 現在、この昭南港にいる艦娘はローマ、扶桑、最上、飛鷹、暁、雷の六名だ。もしも自分たちが敵艦隊に敗北した場合、深海棲艦は無人の野を行くように昭南港から日本本土を狙うだろう。ローマはそのリスクを口にしようとした。だが、彼女の脳裏によぎったのはドックで苦しそうにするリベッチオの姿だった。
 常日頃から戦艦のように大きく、そして強くなりたいという願望を口にしていた小さな太陽。その邪気のない笑顔を傷つけた深海棲艦に対する復仇の思いがローマの胸をよぎる。
 だが、それはあくまで自分の感情、私怨にすぎない。今の私は日本海軍の指揮下で戦う艦娘。私怨でリスクを取るわけには………。
 悩むローマに扶桑が言った。
「………ローマ、この件についての提督からの伝言があるわ。『君の心はすでに答えを得ている。後は、正直に生きろ』って」
 私の心。軍艦ではない、艦娘だからこそある心。その心に正直に、か………。
 扶桑から聞かされた言葉がローマを縛っていた鎖を断ち、未来を見えなくしていた霧を払い、つまり悩ませていたすべてから解き放たれていくのが自覚できた。そして解き放たれた心はローマの全身に力をみなぎらせていく。
「………フン。そこまで言われちゃ仕方ないわね。でも、出るからには絶対に勝つわ。あなたたち、いいわね?」
 しがらみから解放され、晴れやかになった心を悟られまいと憎まれ口を叩きつつ、チャキリと眼鏡のズレを直したローマが勝利を宣言する。そして一糸乱れぬ敬礼を五つ分、ローマに向けられる。



 ………カレー洋の真っ青な海に拡がる黒。
 この黒色こそがカレー洋に集結しつつある深海棲艦東洋艦隊であった。
 その一群の中にアルビノの女体と漆黒の艤装を纏った深海棲艦がいた。その周囲をたゆたう浮遊要塞がまるで人魂を連想させる。彼女は人類と艦娘たちに装甲空母姫と呼ばれる存在だった。そしてこの装甲空母姫の艦載機こそがリベッチオを始めとするイタリア艦隊に痛撃を与えた深海棲艦東洋艦隊の航空兵力の主力を担う存在だった。
 その装甲空母姫の視線は東に向けられていた。西からやってきたイタリア艦隊は返り討ちにした。そして次は東の昭南港の日本艦隊を討つ。装甲空母姫はより上位の存在である「旗艦」からの命令で東に向けて偵察機を放っていたのだった。
 だが、それが装甲空母姫にとって致命的なミスとなった。装甲空母姫のレーダーが北から迫る何かに反応する。
 艦娘どもの偵察機? いや、それはありえない。艦娘どもが高速偵察機と呼んでいる彩雲でもここまでの速度は出ないはずだ。なぜならその反応は一秒で八〇〇メートル以上近づいてきているからだ。
「!?」
 次の瞬間、装甲空母姫の周囲に巨大な水の柱が何本も立ち昇った。巨大な質量が高速で海面に激突した時のエネルギーが巻き上げた水の柱。それは重力に引かれて滝に変わるだろう。しかし水柱が滝に変わるより早く、装甲空母姫の体に「何か」が一つ、衝突する。
 海面を打てば巨大な水の柱を作るほどの運動エネルギーが装甲空母姫の艤装にぶつかり、彼女の名にもある「装甲」を貫いていく。だが彼女の「装甲」は「何か」の衝突に完全に貫かれることはなかった。古来より多くの逸話を残してきた矛と盾の戦い。今回は盾の勝ち………否、否である。装甲空母姫の装甲は「何か」に貫き通されることなく、その「何か」を体内に留めてしまったのが最大の不運だったのだ。「何か」は信管を作動させ、内部の炸薬の化学反応を誘発し………。
 グォウ!
 装甲空母姫の艤装の中に残っていた「何か」、三八センチ砲弾が爆発し、装甲空母姫を内部から破壊していく。それでも装甲空母姫はまだ生きていた。だが、彼女のレーダーは確かに捉えていた。先ほど撃ち込まれた砲弾の第二射の存在を。
 第二射は装甲空母姫に三発命中し、合計して四発の三八センチ砲弾を撃ち込まれた装甲空母姫が爆炎の中、海底に沈んでいこうとしていた。
 ………何故だ? 何が起きたのだ? 装甲空母姫はそこで初めて視線を北へ向けた。北の水平線、その彼方から接近する小さな六つの影。それは昭南港にいるはずの日本艦隊の姿だった。
 どうして、どうして奴らは私の位置を知っている!?
「バカナ………バカナ、バカナ! バカナ!! バカナ!!!」
 装甲空母姫があげる呪詛の声は彼女を包む炎が彼女の弾薬庫を爆発させる音と衝撃によってかき消された。装甲空母姫、爆沈である。



「すっごーい! ローマさん、本当に水平線の向こうの敵を沈めちゃった!!」
 一方で装甲空母姫を一撃で沈めた側、日本艦隊では駆逐艦の雷が超遠距離射撃を成功させたローマの腕を絶賛していた。
「私の砲は最大仰角三五度、最大四四〇〇〇メートル先まで届くわ。もっとも最大射程での砲撃戦なんて軍艦の頃は夢物語だと思っていたけど………」
 そう言いながらローマが空を見やる。そこにはローマから発進した零式水上観測機の姿があった。軍艦と観測機による弾着観測射撃では観測結果に不安があり命中率の向上は期待できなかった。しかし艦娘と妖精が操縦する観測機による弾着観測射撃はレーダー照準以上の精度を発揮できるようになっている。日本の艦娘たちが編み出した艦娘ならではの戦い方であった。
「日本式の改修、まあまあってとこね」
「で、ローマ。次はどうするの?」
 飛鷹の質問にローマは懐から紙切れを出して見やる。その紙は重傷を負ったリベッチオがローマに渡してくれたヴィットリオ・ヴェネトからの伝言、その正体はイタリア艦隊が偵察した深海棲艦東洋艦隊の配置図だった。
 ローマはその配置図を元に昭南港を出てから北上し、カレー洋の島を沿うように南下することで深海棲艦の索敵網をくぐりぬけ、超遠距離射撃で装甲空母姫を仕留めたのだった。これで航空戦力の中心を失った深海棲艦は索敵機による目と攻撃機による侵攻能力の両方を喪失したといっていいだろう。だがそれだけで終わるつもりはない。
「もちろんここから西進して敵旗艦を倒すわ」
 ローマを先頭に六人の艦娘たちは西を目指して黒をかきわけインド洋の青に白い航跡を刻んでいく。



 装甲空母姫を撃破した後、深海棲艦の輸送船団も蹴散らしたローマたちはついに深海棲艦東洋艦隊の最奥にたどり着いたのだった。
 海はすでに青の色を失い、まるで血を思わせる赤に染まり、周辺の空気も黒く澱んでいる。
「まったく、いつものこととはいえ、不愉快な雰囲気ね」
 扶桑の呟きを聞いたからというわけではないのだろうが、周囲にクスクスという笑い声が木霊しはじめる。
 身魂を凍りつかせかねないほどの恐ろしい笑い声を発しながら海面に黒が集まっていく。コールタールのようにドロリとした暗黒が隆起し、人の形と異形に集まっていく………!
「フフフ………」
 人の形に集まった黒は額から二本の角が伸びた美女のような鬼の姿になり、
「グルルル………」
 異形に集まった黒はおぞましい怪物の姿となる。この美女の本体と異形の艤装のコンビこそ、過去幾度となく艦娘たちの前に立ちはだかった強敵、戦艦棲姫だった。
 戦艦棲姫の美女の側がゆっくりと手を掲げ、そして一気に振り下ろす。それを合図に戦艦棲姫の異形の側が口から黒の塊を吐き出す!
「!?」
 ローマたち六人の艦娘は異形が吐き出した黒の塊を避ける。だが、戦艦棲姫の吐き出した黒は攻撃ではなかった。吐き出された黒はそれぞれ形を作り、軽母ヌ級、重巡ネ級、重巡リ級、駆逐ロ級二体に姿を変えていく。
「なるほど、『せんかんせいきはなかまをよんだ!』ってヤツかい?」
 最上が緊張をほぐすために軽口を叩く。
「だとしたら早く倒さないといけないわね、これ以上仲間を呼ばれても困るもん」
 最上の言葉に乗ったのは暁だった。一人前のレディーを自称する駆逐艦は死闘を前にしても怯んだ様子はない。
「みんなは雑魚を頼むわ」
 ローマが一同の一歩前に立ち、戦艦棲姫を睨みつける。
「私はリベの分もコイツにはお返しをしないといけないんでね」
「わかったわ。こんな奴ら、すぐに蹴散らしてくるわね!」
 雷の言葉を合図にして五人の艦娘が五体の深海棲艦との砲撃戦を始める。そんな中、ローマは戦艦棲姫に向かって舵を切る。戦艦棲姫も異形の艤装が舌なめずりしながらローマに砲を向ける。
「攻撃を開始する。主砲、撃て!!」
 ローマの命に従い、ローマが背負う艤装の砲塔が旋回し、砲身が獲物を狙う蛇のようにうごめく。
 轟ッ!
 ローマを包む爆炎、辺りをつんざく砲声。ローマの主砲、三八センチ五〇口径砲三連装砲塔三基、合計九門が一斉に射撃を開始したのであった。軍艦のローマならば一発あたりの砲弾重量は八八四キログラム、それを八五〇メートル毎秒の初速で発射していた。艦娘のローマは同じ威力の一撃を人間サイズで放つことが出来る。その破壊力は装甲空母姫相手に実証済みだ。
 艦娘が深海棲艦に対する切札となりえる理由の一端がそこにはあった。
 高初速で放たれた九発の砲弾が戦艦棲姫に降り注ぐ。だが、戦艦棲姫はその攻撃を回避する素振りすら見せず、大口径砲弾をその身で受けた。
 激しく立ち昇る水柱。しかしローマは見逃さなかった。戦艦棲姫の異形の艤装の丸太のように巨大な豪腕によって三八センチ砲弾が弾かれて海に落ちていくのを。そう、あの水柱はローマの砲撃が挟叉した結果できたのではない。ローマの砲撃が戦艦棲姫の装甲によって弾かれて水柱になっていたのだ。
「フフフ………コノ程度カシラァ?」
 戦艦棲姫の美女の側がローマを嘲笑おうとする………だが、その次の瞬間、戦艦棲姫の美女の顔から余裕が消え、異形の豪腕が美女の前を塞ぎ彼女の姿を隠す。
 チュイン………!
 戦艦棲姫がみせた余裕。その一瞬の隙をついてローマが副砲の速射砲を放ったのだった。残念ながら戦艦棲姫がその姿を艤装の奥に隠したために鋼鉄よりも堅い異形の肉壁に阻まれてしまったが、もしも美女の側に命中していたならダメージを負っていたことだろう。
「なに余裕ぶっているのかしら? 私が、イタリア艦娘が御しやすい相手だとでも? 救いようのないバカね」
 ローマの挑発を聞いた戦艦棲姫が心の底から嬉しそうに叫ぶ。
「タノシイ! タノシイワァ!!」
 戦艦棲姫の一六インチ砲がローマに向けられ………。
「ナンドデモ………シズメテ……アゲル!!」
 今度は戦艦棲姫の一六インチ砲が轟音をあげる。艦娘を黒く染める漆黒の魔弾が六発、ローマに向けて放たれた!
「!」
 ローマの機関が限界まで圧力を増し、ローマの速度が見る間に増速していく。一つ、二つ、三つ、戦艦棲姫の放った一六インチ砲弾が立てる水柱の中を縫うように進むローマ。
「チッ!」
 だが、避けきれないと判断した一発をローマは装甲で受けようとする。ローマの主砲の防盾に戦艦棲姫の砲弾が突き刺さり………そして防盾を貫くことができなかった一六インチ砲弾が海面に滑り落ち、水柱を立てる。
 ローマと戦艦棲姫。互いに砲撃を交わしたが、双方共に主砲で装甲を貫くことができなかった。ならば条件は互角であるか?
 おそらくその答えはNoであろう。戦艦棲姫がローマの三八センチ砲弾を易々と弾いたのに対し、ローマは戦艦棲姫の一六インチ砲弾を一発弾いただけで防盾に歪みが発生していた。それを横目にローマが口を開く。
「『何度でも沈めてあげる』? HA! 私を沈めたければこんな普通の砲弾じゃなくって、あの『バケモノ』でも持ってくるのね」
「クチダケハ……タッシャネ」
 戦艦棲姫の三連装、二基の一六インチ砲が再びローマを狙い、そして吼える。
「サテ………イツマデタエラレルカシラ?」
 しかしローマは今度は回避しようとはせず、唇の端を吊り上げて自らの三八センチ砲を放つ。
「!?」
 戦艦棲姫の放った一六インチ砲弾。その照準は過たずローマを捉えていたはずだ。だが砲弾はローマに命中するどころか、空中で謎の爆発を起こす。
「ナニ………?」
 謎の爆発を起こした一六インチ砲弾とは対照的に、ローマの放った三八センチ砲弾が三発、戦艦棲姫を強かに打つ。
 戦艦棲姫は何が起きているのか理解できず、しかし三度一六インチ砲を放つ。そしてローマも三度目の砲撃を行い………再び空中で砲弾が爆発し、巨大な炎の花が咲く。
「マサカ………」
 謎の空中爆発を繰り返す一六インチ砲弾。そして決まって三発だけ戦艦棲姫に襲いかかる三八センチ砲弾。それを見た戦艦棲姫がなにかに気付く。一方のローマは涼しい顔で懐からハンカチを取り出し、砲煙で汚れた眼鏡を拭う。
「どうしたの? ご自慢の砲撃も当たらなければ意味がないわね」
 拭き終えた眼鏡をかけなおしてローマが冷たく言い放つ。その眼光に戦艦棲姫の背筋に冷たいものが走る。
 そう、戦艦棲姫の砲撃を見てからローマが撃った三八センチ砲弾は戦艦棲姫の一六インチ砲弾を狙って放たれていたのだった。砲撃を砲撃で撃ち落す………? そのような神業が、艦娘「ごとき」にできるというのか!? そして戦艦棲姫の一六インチ砲は三連装砲が二基の合計六門。対するローマの三八センチ砲は三連装砲が三基の合計九門。九引く六の三発が戦艦棲姫を打つのはそういう理由だったのか!
「フン………戦艦棲姫、あなたはまだ気付いてないようだから教えてあげるわ」
 ゆっくりと右腕を伸ばしていき、戦艦棲姫を指差すローマ。戦艦棲姫はローマの指先を視線の先に突きつけられて思わず後ずさる。
「あなたはいくつも間違いを犯した。まず一つはAL/MI作戦の時と同じ作戦をとったこと。私たちは元からそれを警戒して昭南港に待機していたのに………」
「ウゥ………」
「二つ目はイタリア艦隊に手を出したこと。それが私を怒らせた………」
 ローマがゆっくりと戦艦棲姫に歩み寄っていく。
「そして最後。躊躇う背中を押してくれる素晴らしい仲間が私にいることを知らなかったこと。あなたたち深海棲艦は、そのCorbelleriaによってここで私たちに討たれるの。さぁ、覚悟はいいかしら?」
 Corbelleria。イタリア語で愚行、または失態を意味する単語。
 戦艦棲姫は完全にローマの気迫に気圧されていた。歩み寄るローマに対し、戦艦棲姫の感覚は全身に警報を発していた。だが、自分は深海棲艦東洋艦隊を指揮する旗艦である。敵を前に退くことなど許されない。
「ウ、ウオアアアアアア!」
 戦艦棲姫の艤装が一際大きな声で猛り、美女をその背に載せてローマに向かって突進していく。一六インチ砲弾を三八センチ砲弾で迎撃するというのなら、それが不可能なほどに接近して直接叩き込む! それが戦艦棲姫の考えた最終手段だった。
 ローマは一歩も退くことなく、一欠けらも臆することなく、戦艦棲姫の異形の接近を迎えたのだった。
「グルロラララララララ………!」
 戦艦棲姫の異形の豪腕がローマの艤装に手を伸ばし、それをガッシと掴む。まず右手が、次に左手がローマの艦首を模した艤装の先端部を万力のような強さで掴み、次いでローマを宙に持ち上げる。満載排水量が四五〇〇〇トンにも達するローマを易々と持ち上げるとは、戦艦棲姫の艤装は正しく怪獣であった。だが、それでもローマは涼しげな表情のままだった。
「本当にバカね。接近すればなんとかできると思ったの? それは私だってそうなのよ?」
 ローマの合計九門の三八センチ砲が同時に吼える。至近距離というよりは砲口を押し付けるようにして撃ちこまれた三八センチ砲弾が戦艦棲姫の異形を痛烈に打ちのめす。そう、戦艦棲姫自慢の装甲が何の役にも立たないデッドゾーンに戦艦棲姫は自ら飛び込んでいったのだ。
 三八センチ砲弾九発を撃ち込まれて苦しそうに悶える戦艦棲姫の異形。しかしそれでもローマの艤装を掴む手は放そうとしていなかった。我が命に代えてもローマを道連れにするという決意がそこには現れていた。
 ガチャン………ッ!
 だからローマは腹部のコルセットにつながる艤装の接続部を解除し、戦艦棲姫の艤装の上に自分だけ降り立った。
「ナニ………!?」
 戦場で艤装を外し、「娘」の部分だけで深海棲艦に向かってくるだと………?
 ローマは左手のひらの上に「何か」を載せた状態で、右の手の中指を丸めて親指で抑える構えを見せた。そして中指に力を込め、親指を離す。張り詰めた中指が親指の抑えを離れ、勢いよく飛び出して左の手のひらの上に置かれていた「何か」を激しく叩く。
「!?」
 戦艦棲姫の美女の方の額に「何か」、九一式徹甲弾が突き刺さり、彼女の頭を打ち抜いた。頭を抜かれた美女は力なく海に落ちていき、二度と浮上してこなかった。ローマは左の手のひらに載せた徹甲弾をおはじき、またはビリヤのように弾いて発射し、戦艦棲姫にトドメを刺したのだった。
 美女の方を失った異形も急速に力を失っていき、あれほど固く掴んでいた艤装が太い腕から零れ落ちていく。娘、ローマは崩れ落ちる戦艦棲姫の艤装を蹴って跳び、海に落ちようとする艤装に空中でドッキングし、艦娘ローマとして再び海面に立ち、ポツリと呟いた。
「E il Corbelleria(ホント、愚かな行動ね)」
 あれほど濃くカレー洋の海を覆っていた黒が消え、海は瞬く間に青色を取り戻していく。
「遅くなってごめん!」
 最上が、飛鷹が、暁が、雷が、そして扶桑がローマの元に戻ってくる。みんな細かい傷は受けているものの、中破、大破したものはいないようだった。
「………って、なんだ、もう終わっちゃったのか?」
 ローマは軍艦時代の艦橋を模したヘッドドレスを外す。青い海を照らす太陽と穏やかに凪いだ海でローマは再び集った皆に対して深々と頭を下げる。
「今回は本当にありがとう。この勝利はみんながいてくれたからよ。本当に感謝してる………」
 ローマの謝意に対して日本艦娘を代表して声をかけたのは扶桑だった。
「お礼なんていいのよ。だって私たちは『仲間』なのだから」
 扶桑の言葉にニッコリと笑って同意する他の四人。それに対してローマが返事しようとした時、空腹を告げる音がローマの腹から響いた。イタリア戦艦は航続距離が短いという欠点があるが、まさかこんな時に発揮されるなんて………!
 ローマは顔だけでなく耳まで真っ赤にするほど恥ずかしそうな表情を見せる。
「ウフフ。じゃあ、帰ってご飯にしましょうか」
「そうね。リベッチオちゃんも栄養をつけて、早く治ってもらわないといけないしね」
「じゃあご飯つくるの、私も手伝うわ!」
「それにしてもすごい音だったわね」
「あー、ボクもお腹ぺこぺこだよー」
 ………素敵な仲間たちと共に勝利をカレー洋に刻み込んだローマの戦いの物語はこれにて幕を閉じる。
 昭南港のドックで修理を行ったリベッチオは再度イタリアに戻すよりもローマたちと共に太平洋戦線に投入した方がよいという上の判断によって日本の鎮守府の一員となることが後に決定される。
 はたしてリベッチオがローマのように素晴らしい仲間を得て、暁の水平線に勝利を刻むことができるかはわからない。
 だが、これだけはいえるだろう。軍艦の力と美しい心を持った艦娘ならば、必ず悪を討ち、世界中の海に平和を取り戻すことができるだろう。


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