艦これショートショート
「誇りの双腕」

 ………深海棲艦との戦いが始まって二年目の終わりが近づき、三年目が見え始めた頃。
 トラック諸島に攻め寄せた深海棲艦の攻勢をはねかえした艦娘たちは、極寒の北の海、アルフォンシーノ海域に出撃していた。
 吐く息が凍りかねないほどの冷気の中、蒼い海に白い航跡を残して六人の艦娘たちが往く。
 縦一文字に並ぶ単縦陣形の中央部に位置していた軽空母の艦娘が懐から円筒を取り出し、左手で思いっきり円筒を開いてみせる。彼女が手にしていたのは航空甲板を巻物状にしたものだった。
 そして左手から紫色したゆらめく力を放つ。霊力とも呪力とも称される艦娘の力で巻物は手を振れずとも宙に浮かぶ。
 次いで彼女は開いた右の手で十字の形に切りそろえられた真っ白いお札を吹雪のように散らす。北の風が散らせたお札を吹き飛ばす………否、彼女の力によってお札は吹き飛ばされるのではなく、明確な方向性をもって風を捕まえていく。そして十字のお札は航空甲板を蹴って大空を舞う航空機へと姿を変えていく!
 軽空母の艦娘、隼鷹。彼女が得意とする陰陽師式航空機発艦法は大胆であり、それでいて荘厳。隼鷹の後に続いていた正規空母の天城は思わず息をのんだ。
 しかし天城はさらに後ろから肩を叩かれ、現実に戻らされる。天城の肩を叩いたのは彼女の姉である雲龍だった。
 雲龍は静かに、だが力強く錫杖に似た杖を振るう。錫杖が振れる度、杖の先にくくりつけられた航空甲板が旗のように翻る。それは軍艦であった頃に活躍の場を与えられなかった雲龍ここに在りを示す旗印なのだろうか。
「ハッ!」
 雲龍が気合を吐くと同時に海がざわめき、波がたち始める。隼鷹が放つ力と同種の力が雲龍からも放たれているのだ。そして雲龍の白い髪に碧色の角が現れる。数多の実戦を乗り越え、ついに達した雲龍の極み。それが龍を思わせる角として視覚化されているのだろうか。
「天城、貴方も………」
「は、はい!」
 隼鷹、雲龍に続いて天城も発艦を開始する。天城は姉である雲龍と似た、杖の先に航空甲板をくくりつけ、そこから式神を艦載機に変えて飛ばす方式だ。しかし雲龍の杖が錫杖だったのに対し、天城の杖は長柄の神楽鈴となっているのが違いだった。
 天城が神楽鈴を揺らし、リンリンと鈴の音が極寒の海に響き渡る。鈴の音に導かれるように、天城の持つ白木のお札入れから十字に切りそろえられたお札が航空甲板に向かって飛んでいく。そして天城が神楽鈴をずいと前に向けて伸ばし、航空甲板を水平に向ける。
 天城の力で制御されたお札が航空甲板を駆けていく。天城の力で甲板上に建てられた鳥居をくぐる度、お札は紙から神へと姿を変えていく!
「天城航空隊発艦、始め!」
 天城の命を受け、甲板から飛び立ったのは零式艦上戦闘機五二型丙だった。烈風が実用化されている現在において、零戦は旧式との見方は免れない。だが、彼女の零戦はただの零戦ではない。第六〇一航空隊の精鋭が操る零戦であり、精鋭が駆る零戦は決して戦力が劣る旧式機ではない。恐るべき相手なのだ。
 隼鷹、雲龍、天城の三空母から艦戦が発進し、艦隊の上空を周回する中、続いて艦爆が発進し、最後に艦攻が発進する。一番身の軽い戦闘機が最初に飛び、次いで爆弾を抱えた艦爆が、そして最後に巨大な魚雷を抱えた艦攻が発艦する。それは彼女たちが軍艦だったころから続く航空甲板の使い方であった。
「今日も元気だ、航空隊発艦、てか?」
 上空をゆっくりと旋回する隼鷹所属の烈風を見ながら一人呟いたのは重巡洋艦の艦娘、摩耶だった。両の腕に二〇.三センチ連装砲塔を装備する姉御肌の艦娘は、目線があった烈風の妖精さんが従えている犬にウインクする。烈風コクピット内で犬が摩耶のウインクに反応して暴れたのか、その烈風は少し飛行がふらついた。
「フフ………」
 烈風のふらつきを見た摩耶がクスリと笑う。艦娘が装備する艤装には妖精さんと呼ばれる小さな物言わぬ存在が宿っていた。妖精さんは艦娘にとって戦いを助けてくれる相棒であり、そして同じ死地を踏破する戦友であった。
「もう、航空隊の邪魔をしちゃダメですよ」
 摩耶の「おいた」を咎めたのは艦隊旗艦を務めている軽巡洋艦の艦娘、大淀だった。大きな水偵格納庫を背負う大淀は軽巡でありながら通信設備が充実しており、艦隊旗艦を任されている。
「あ、発艦が終わったみたいですよ」
 艦娘の出撃は六隻で一艦隊が定石である。摩耶、大淀、隼鷹、雲龍、天城、最後の一人である鳥海が摩耶と同じく腕に装備している二〇.三センチ連装砲で空を指し示した。
「どうやら敵機もこちらに向かってきているようです。天城さんの彩雲から無電がありました」
「攻撃隊は敵艦隊を目指す、でいいんだよな?」
 隼鷹の確認に大淀が頷いた。大淀の傍らにいた鳥海が三空母に尋ねる。
「直援機は何機出せますか?」
「アタシと雲龍の烈風が一〇ずつ、天城の零戦が一七だな」
 大淀と鳥海が視線を交わす。長らく作戦任務立案に関わってきた大淀と、どんな時でも冷静で沈着な頭脳を持つ鳥海。作戦方針は口に出すまでもなく決まる。
「烈風隊は敵艦戦を優先、艦隊上空の制空権を確保してください。零戦隊は艦爆、艦攻の撃墜をお願いします。そして直援機を突破してきた敵機は………」
「アタシの出番だな!?」
 大淀の台詞を摩耶が奪う。台詞を奪われて目を開いた大淀の表情と楽しげな摩耶の表情を見た隼鷹が思わず噴出してしまう。そして摩耶の背中を叩いて発破をかける。
「ヨッ、対空番長! 今日も頼んだぜ!!」



 攻撃隊発艦から一時の間を置いて大淀の対空電探が敵影を捉える。
「きました! 対空戦闘準備!!」
「だけど、まずは私たちの出番」
 雲龍が錫杖を敵機に指し向け、艦隊上空の烈風隊を向ける。
 深海棲艦の空母が使用する艦載機は見るものに違和感という名の恐怖を植えつける、一言で言って「異形」のものだ。異形の化身に対し、人間が作り出した機能美の化身が挑む。
「烈風、吹きなさい。貴方の思うまま、やりたいように。深海棲艦に貴方を阻むことなんてできないわ」
 雲龍が高度を取り、深海棲艦の大編隊に向かって突き進む烈風に向けて呟く。そしてそれからの展開は雲龍の言う通りとなった。
 太陽を背に、高高度から真っ逆さまに降下してくる烈風が両翼あわせて四丁の二〇ミリ機関砲を深海棲艦の艦載機の大群に浴びせていく。大口径機関砲の重量と放たれた速度が運動エネルギーとなって異形の化身を喰らい、穿つ。だが大口径機関砲弾の恐ろしさは運動エネルギーの威力だけではない。大口径機関砲弾は炸薬を内蔵しており、艦載機の内側から爆ぜるのだ。この一撃を受けた深海棲艦の艦載機は文字通りバラバラになって堕ちていく。
 烈風の強襲に爆弾や魚雷を搭載していない、戦闘機タイプの艦載機が機首を翻して烈風を追いかけようとする。
「大空は貴方のものよ」
 だが、烈風と深海棲艦の艦載機との距離は縮まらない。烈風は二〇〇〇馬力の大馬力発動機を搭載した戦闘機だ。深海棲艦の艦載機とはパワーが違う。そして深海棲艦の戦闘機は烈風を追うことに夢中になるあまり、艦爆タイプや艦攻タイプと放されていることに気付くべきだった。
 戦闘機タイプが烈風を追いかけて離れた隙を突き、天城から発艦した零戦部隊が艦爆タイプと艦攻タイプに襲い掛かったのだ! 重く、そして強力な爆弾。それは艦娘に対して放たれたのならば脅威となりえただろう。だが、零戦に追い立てられる身からすればそれは自身の生存を邪魔する余計な重石でしかない。
 零戦隊が一〇〇〇馬力級戦闘機としては異様なほどの上昇速度で下から深海棲艦の艦爆タイプと艦攻タイプを接近していく。両翼二丁の二〇ミリ機関砲、同じく二丁の一三ミリ機銃、そして機首にも一丁の一三ミリ機銃を搭載した零戦五二型丙は日本戦闘機でも稀有な重武装機だ。それが鈍重な艦爆と艦攻に襲いかかる。瞬く間に深海棲艦の艦載機は数を減らしていく。
 しかしそれでも深海棲艦の艦載機は艦娘たちを目指して突き進んでくる。そして彼らがある一線を越えた段階で烈風、零戦の直援機の追撃がピタリとやむ。艦娘たちが手を引いたことを不気味に思うような知能や心を深海棲艦の艦載機が持っているのかは知らないが、もしそう思ったとしても、もはや彼らに残された選択肢は直進のみだった。
 そしてその直進の行き着く先は、地獄への一本道さ!
「でぇえい!」
 摩耶が両腕にはめた二〇.三センチ連装砲の引き金を引き、摩耶の視界が砲火で真っ赤に染まる。砲声に負けないほどに大きな気迫と共に放たれた二〇.三センチ砲弾が深海棲艦の艦載機の眼前で炸裂し、火の雨に見舞われる。摩耶の放った対空用砲弾、三式弾が絶妙のタイミングで炸裂した証だった。摩耶が両腕に装備している二〇.三センチ連装砲の妖精さんは平時には気だるそうに砲塔の上で寝そべっているが、戦場での照準を外したことがない。摩耶にとって自慢の相棒であった。
 炎の塊となって飛ぶことと生きることを諦めた深海棲艦の艦載機が多数、重力に引かれて堕ちていく………。
「運がなかったなぁ、お前ら………アタシがいる限り、空襲なんて成立しないぜ」
 摩耶が肉食獣を思わせる凄みのある笑顔を浮かべ、深海棲艦の艦載機たちの敗北を宣言する。それは決してハッタリなどではない。それが可能なだけの実力を摩耶は備えているのだ。隼鷹がいう「対空番長」の名は伊達じゃないのだ。
 摩耶が両肩の高角砲で弾幕を形成する。対空電探によって制御された弾幕は正確に深海棲艦の艦載機を絡め取っていく。形成の不利を深海棲艦の艦載機も感じたのだろう、爆弾や魚雷を投棄してこの場を離脱する個体が現れ始める。今回の航空戦は艦娘側の圧勝の証であった。
「攻撃隊より入電! 敵艦隊の空母ヲ級を一隻小破、軽巡ヘ級、駆逐ニ級一隻ずつ撃沈です!!」
 大淀が攻撃隊の戦果を艦隊に報せる。アルフォンシーノ海域奥の敵深海棲艦は空母ヲ級二隻、戦艦ル級一隻を軸にする艦隊であることは彩雲から報告を受けている。つまり、敵の主軸は未だ健在だといってよい。今回、大淀たちに与えられた任務はアルフォンシーノの敵艦隊の殲滅である。つまり、航空戦だけでは任務を達成しきれていないのだ。
「ならば前進あるのみ。敵艦隊にトドメをさしましょう」
 鳥海の提言に大淀が首肯する。そして六人の艦娘たちは単縦陣を維持したまま、敵艦隊に向けて進撃を続ける。



 途中で攻撃隊を収容し、整備員の妖精さんたちが式神からお札に戻った艦載機の整備と補給を行う中、大淀たちは深海棲艦の主力部隊と接敵する。烈風の庇護の下、流星や彗星、天山の攻撃で黒煙を巻き上げている深海棲艦はまるで狼煙をあげているかのように遠くからも見えていた。
「敵艦隊見ゆ。砲戦、用意――」
 大淀の声に彼女が左手に持つ一五.五センチ三連装砲の妖精さんがビシリと敬礼してから砲塔の上にぴょんと飛び乗ってみせた。そして妖精さんの補助を受け、三つの砲身が獲物を求めて動き出す。
「全砲門、よーく狙って………てーッ!」
 大淀が引き金を引き、主砲が爆炎と共に砲弾を発射する。九二〇メートル毎秒にも達する高初速砲弾が航空戦で小破していた空母ヲ級をめがけて放たれたのだった。だが、大淀の狙ったヲ級の前に立ちはだかる黒い影、戦艦ル級がヲ級を護る盾となったのだった。傑作艦砲として名を残す一五.五センチ砲だが、戦艦の装甲を撃つにはやはり威力不足であった。
「へぇ、あのル級、自分を盾にしてヲ級をかばおうってんだな」
 先の航空戦で多くを撃墜したとはいえ、艦載機が全滅したわけではない。ル級は深海棲艦の盾となり、ヲ級の艦載機の再出撃まで粘るのが見て取れた。隼鷹は己の身を晒してでも二隻のヲ級を護ろうとするル級に感心した声色をみせた。
「隼鷹さん、第二次攻撃隊の発艦は?」
「アタシはまだもう少しかかりそうだ………雲龍と天城は?」
 熟練艦載機整備員がいればすでに発艦可能となっていただろうが、熟練艦載機整備員は鎮守府内でも少数しか配備されていない。故に隼鷹も雲龍も天城も彼らを持っていなかった。
「申し訳ありません、天城ももう少しかかります」
「私も………」
 第二次攻撃隊が発進させられればル級を沈めることも不可能ではないだろう。だが、それまで待っていればヲ級の艦載機も発進可能となっている可能性が高いか………。眼鏡のブリッジを中指で持ち上げながら大淀が次の一手を模索する。
 だが、大淀の考えが定まるよりも早く、艦娘が隊列を離れて飛び出していった。それは摩耶であり、そして鳥海も後に続いていた。
「摩耶さん!? 鳥海さんまで………」
 摩耶が大淀の長考に煮えきらずに飛び出す可能性は考えていた。だが、鳥海までそれに続くとは大淀の予想を大きく越えていた。
「大淀さんは援護をお願いします。ここは私と、姉さんで仕切ります!」
 大淀たちから離れ、摩耶と鳥海がバラバラにル級に向かって最高速度で突っ込んでいく。いや、摩耶と鳥海は決して血気にだけ逸って突撃をしているのではない。二人はル級に砲撃を交互に浴びせ、ル級の照準が二人を捉えないようにしているのだ。鳥海の計算と、それを正確に汲み取って成し遂げる摩耶。同日に就役したことから双子のように言われる二人はまさしく以心伝心の関係であった。
 そしてル級に対して十分に接近した鳥海がついに魚雷を放つ。魚雷の直撃を受ければ戦艦といえども無事ではすまない。ヲ級を護ろうとするル級という盾を外すには一番有効な手だ。鳥海の放った魚雷はル級の進路、速力から計算した未来位置をめがけて進んでいく。大淀は摩耶と鳥海の間に入ろうとしていた駆逐ニ級を砲撃で仕留めながら、鳥海の策の勝利を確信した。
 だが、ここで会心の笑みを浮かべたのはル級であった。ル級は両の手に装備した、大きな盾のような艤装を思いっきり振りかぶり、そして海面に叩きつける!
「え!?」
 ル級の行動の意味が理解できず、困惑の声をあげる大淀。海に艤装を叩きつけたル級が水飛沫の中に隠れ、飛沫が引いて再び姿を見せたル級の速力は目に見えて落ちていた。そう、ル級は艤装を抵抗にして速力を強引に落としてみせたのだ。急速に失われた速力によってル級の未来位置は変わり、鳥海の放った魚雷は命中が絶望的となる………。ル級は奇策を持って、鳥海の策を上回ってみせたのだ。
「バーカ、んなわけねぇだろ………」
 不意にル級の聴覚が捉えた声。それが摩耶の声であるとル級が知った時、ル級の後頭部に強烈な衝撃が走った。
「アタシの妹の作戦が、お前なんかに上回れるわけねぇだろが!!」
 ル級の背面近くまで侵出していた摩耶が軽やかに身を跳躍し、ル級の後頭部めがけて回し蹴りを浴びせたのだった。それはアントニオ猪木が考案した蹴り技で延髄斬りと呼ばれる技に類似していた。が、艦娘が深海棲艦相手に全力で放つ延髄斬りはまさに「必殺」の技だった。巡洋艦の砲ではロクなダメージを受けていなかったル級が、後頭部の衝撃で白目を剥いて崩れ落ちようとする。
 が! ル級にも戦艦としてのプライドがある。接近してきた巡洋艦の肉体言語で屈するわけにはいかない。ル級が歯をくいしばり、失いかけた意識を意地で繋いでみせる!!
 しかし摩耶の興味はすでにル級にはなかった。ル級に無防備な背中を見せ、摩耶はヲ級に向かって突き進んでいこうとする。その背中に向けてル級の一六インチ砲が向けられる。
 私は戦艦! 重巡ごときに舐められたままで終わって、たま……る………か?
 次の瞬間、ル級の視界がグルリと回り、天と海が逆転する。いや、逆転したのは視界じゃない。脚が天を向き、頭が海に叩きつけられる。摩耶の延髄斬りをかろうじて耐え切ったル級であったが、今度は鳥海がル級に触れるほど接近し、ル級の腕を取って背負い投げたのだった。
「私の計算通りね」
 固い地面ではなく、海面に叩きつけられる程度で深海棲艦は死ぬことはない。だが、無防備にはなる。そして無防備となったル級に向けて鳥海の二〇.三センチ砲が咆哮する。戦艦の装甲が役をなさないほどの至近距離で放たれる二〇.三センチ砲弾がル級の身体を貫き、破壊していく。ル級は末期の呪詛すら残せず、海中に没していった………。ル級という盾をなくした深海棲艦は艦娘側の攻勢を支えることができなくなり、総崩れとなる。
「凄い………」
 摩耶と鳥海が連携でル級を仕留める光景に思わず天城が感嘆の声を漏らす。
「ま、アタシたちは艦娘。軍艦じゃない。だからああいう戦い方もできるってな」
「な、なるほど………」



 ………砲声という名の戦場音楽がやみ、アルフォンシーノの海に静寂が戻る。
 戦闘に勝利した艦娘たちは凱歌を上げることはなく、海面に皿のようにした眼を向けていた。
「………彩雲より入電、東の海域に箱を発見したそうです!」
 天城の報告を受け、東に移動した艦娘たちが発見したのは小さな箱だった。誰もがゴクリと息を飲み、代表として天城が箱を丁寧に開いていく。
 そうして開かれた箱の中に入っていたのは菱餅であった。そう、あの桃の節句で飾られる菱餅である。
「こちら旗艦大淀。菱餅を発見しました。………ええ、はい。これで一〇個になりましたね」
 大淀が安心した声で鎮守府に対して打電する中、摩耶が「はぁ〜」と大きく息を吐いた。二〇.三センチ連装砲の妖精さんが砲塔から摩耶の頭の上にぴょこんと飛び移り、ねぎらうように頭を撫でてくれる。
「………ったく、やっと一〇個かよ。だいたい、なんで菱餅なんか集めてたんだ? コンビニで買えばいいんじゃねぇの?」
「私は妖精さんたちがひな祭りをやりたかったからと聞いたわ」
 摩耶の疑問に答えたのは雲龍だった。
「この菱餅も妖精さんが作ったのでしょうか?」
 天城が入手したばかりの菱餅に恐る恐る触れる。ただの菱餅にしか見えないし、触った感触もただの菱餅なのだが………。
「あー、なんか余った菱餅は資源とかネジとかに変えられるってきいたなぁ。それを考えると妖精さんが作ったって話も信じられるかもなー」
 ネジ!? この菱餅、ネジ入ってるの!? ………そんな硬い感触はなかったけどなぁ。天城が目を白黒させて菱餅を見やる。
 摩耶が頭の上の妖精さんを優しく手にとって自分の目線の前に移す。
「この菱餅、お前らが作ったのか? それを深海棲艦に奪われたからアタシたちに取り戻して欲しかったのか?」
 摩耶の手の中で二〇.三センチ連装砲の妖精さんは楽しげに敬礼してみせた。摩耶の質問に答えているのか、いないのか………。その答えは誰にもわからなかった。
 深海棲艦の存在も謎が多いが、それと同じかそれ以上に艦娘の装備に宿る妖精さんたちにも謎は多かった。
「ま、いいや。トラック防衛戦の後夜祭とでも思えば、まぁ、楽しかったか」
 摩耶が再び頭の上に妖精さんを乗せて自分の中の結論を述べる。鳥海も隼鷹も天城も雲龍も、その言葉に異論はない様子だった………。
「で、大淀はまだ報告してるのか?」
 大淀の方に振り返った摩耶に、大淀は「ちょうどいい」と前置いてから摩耶に鎮守府からの連絡を伝えた。
「摩耶さん、おめでとうございます。司令部からの緊急入電で、改二の設計プランがまとまったそうですよ。来週には着手可能だそうです」
「………へ?」
 改二。艦娘に今以上の強力な艤装を持たせることで戦力の強化を図るものだ。この艦隊でも隼鷹がその改造を受け、その強さを惜しみなく発揮している。
 当然、強力な艤装に振り回されないだけの高い水準の錬度も求められるが、しかし改二はすべての艦娘にとって憧れであり、いつかはたどり着きたい目標だといえた。
 その改二がアタシに………?
「やったじゃん、摩耶! 帰ったらお祝いしようぜ、飲もうぜ!!」
「隼鷹さんはそれでなくても飲んでるけど………おめでとう」
「おめでとう、姉さん!」
 次々に艦隊の面々から浴びせられる祝福の言葉。摩耶はそれをこそばゆそうな面持ちで受けた。
「あ、いや、まぁ、その………」
 摩耶は顔を真っ赤にして人差し指で頬をポリポリかきながら応えた。
「あ、ありがと、な………」
 しかし摩耶の頭の上で二〇.三センチ連装砲の妖精さんは異なる表情を浮かべていた。その表情の色を言葉で説明するとすれば、「困惑」であったが………妖精さんの表情に注目している艦娘はその場にはいなかった。



 鎮守府に戻ってからも摩耶は様々な艦娘から祝福の言葉を受けていた。
 特に二人の姉、高雄と愛宕の喜びようは凄まじく、摩耶が「改二になるのはアタシで、アネキたちじゃねぇぞー」とツッコミを入れるほどだった。もちろん、これは「妹の改二が自分のことのように嬉しい」という姉として当然の喜びようだった。
 そのような感じで様々な艦娘に祝福される摩耶を見て、鳥海は姉の人望の深さを再確認するのだった。
「………あら?」
 そんな中、鳥海が摩耶に祝福以外の感情を向けている存在がいることに気付き、その者にそっと手を伸ばした。
「あなたたち………もしかして姉さんの連装砲の妖精さん?」
 鳥海は「今の時期に摩耶に複雑な心境を抱いている」可能性から計算して妖精さんの正体を言い当てた。妖精さんは鳥海の言葉に頷いて答えた。
 摩耶の右手と左手、それぞれの二〇.三センチ連装砲の妖精さん二人を手のひらに載せて鳥海が自分の顔の前に二人を持ち上げる。
「どうしたの? なんだかあまり機嫌がよくなさそうだけど………?」
 鳥海の言葉に二人の妖精さんは初めてバツが悪そうな表情を浮かべた。どうやら自分たちの表情に気付いてなかったらしい。
「そっか。姉さんが改二になって、装備が新しくなると自分たちが使われなくなるかもしれないものね」
 二人の妖精さんが図星を突かれた表情を浮かべる。
 だが、無理もない話か、とも鳥海は思う。私たち重巡にとって二〇.三センチ連装砲は最適の装備だ。改二になった妙高型や衣笠、航空巡洋艦になった三隈などはより強力になった改良型を装備するが、それでも多くの重巡艦娘は二〇.三センチ連装砲で数多の激戦を勝ち抜いてきた。そして艦娘として最古参に近い摩耶の連装砲はそれだけ苦難と栄光を共に分かち合ってきたのだ。
 それが今回の改二で別たれるのが寂しいのだ。
 鳥海は二人の妖精さんの気持ちを理解した。しかしそれに対してどうすればよいのか。その答えは持ち合わせていなかった。鳥海の計算能力でも答えが導けない問題がこの世には存在するのだった。
「………仕方がない、なんていうつもりはないわ。だけどこれは貴方たちの気持ちの問題。姉さんとこれからどうするのか、しっかりと答えを出さなきゃいけないわね」
 鳥海は自分でも筋が悪いことを言ったと自覚したが、しかしこれ以外でかけられる言葉が見つからなかったのだった。
 姉さん、貴方はこんなにも妖精さんに好かれているのですね。鳥海は自慢の姉と、その姉を慕う妖精さんのことを思って小さな涙をこぼした。
「ん? 鳥海、何やってんだ?」
 不意に後ろからかけられた声に鳥海はビクッと背筋を伸ばした。その声の主は噂の姉だった。
「あ、悪ぃ、驚かせちまったか?」
「す、すいません、ちょっとぼんやりしてて………」
 摩耶は鳥海の手の中に妖精さんがいることに気付いて声をかける。
「これ、うちの妖精さんじゃないか」
「え? ………一目でわかるんですね、姉さん」
「鳥海、いくらアタシの妖精さんが強いからって、あげないぞ」
 摩耶は鳥海の手のひらの中にいる妖精さんたちの頬を突きながら続ける。
「お前も艦娘なら自分の妖精さんは自分で鍛えるんだぜ。な、お前らもそう思うだろ?」
 摩耶に頬をぷにぷにと突かれていた妖精さんたちが嬉しそうに敬礼してみせた。



 そしてついに摩耶が改二の改装を受ける日がきたのだった。
 すべての装備を預け、工廠の門をくぐっていく摩耶の足取りは軽く、それを見送る艦娘たちの視線は羨望と祝福が入り混じったものとなっていた。
 その後方で鳥海が摩耶の二〇.三センチ連装砲の妖精さんと共に摩耶の背中を見送っていた。
「………ついに、始まりましたね」
 鳥海が右と左、それぞれの肩に乗る妖精さんに向けて呟く。妖精さんは摩耶の背中に敬礼をみせていた。それは鳥海が見てきた敬礼の中でも屈指の美しさを誇っていた。
 たとえ改二になり、新たな武装が追加されたとしても、自分たちはもう摩耶を怨まない。むしろ摩耶の右腕、左腕として摩耶をここまで育てたことを誇りに、後進を育ててみせる。そんな決意がこめられた敬礼であった。
「………それがあなたたちの答えなのですね」
 鳥海は静かに呟くと肩に妖精さんたちを乗せたまま、摩耶の改装が終わるのを一緒に見守り続けることにしたのだった。
 そして数刻の後、工廠の扉が再び開き、一人の艦娘が新たな姿を白日の下にさらしていく。
 高雄と愛宕、二人の姉をイメージした衣装と帽子。
 しかし艤装は二人のイメージとは異なり、右の腕と腰から左半身に伸びるユニットに集中する形となっている。
 左右のユニットは右の方が軍艦時代の艦橋の意匠を色濃く残しており、軍艦時代の特色だった機銃の集中配置が成されている。また艦橋の後部にはぽっかりとバーベットが空いていた。
 対する左のユニットは軍艦の船体をモチーフにしており、これまた砲塔のバーベットが空いたままとなっている。
 ん? バーベットが空いている?
 摩耶の改二を一目見ようと集まっていた艦娘たちがその姿に疑問を抱く。バーベットとは砲塔の基部であり、それが空いたままということは摩耶の改二はまだ砲塔の取り付けが終わっていないということではないか。
 動揺が隠せない艦娘たちをよそに、摩耶は左右を見回して何かを探す風であった。
「お、いたいた!」
 摩耶はそう言うと足早に鳥海に向かって駆け寄ってくる。いや、鳥海に向けてではない。摩耶が探していたのは鳥海の肩にいる「相棒」であった。
「アタシの改二、どうもここに砲がつくみたいなんだ。だから、お前たちに来て欲しくってさ。空けたままにしてもらったんだよ!」
 摩耶の言葉に二人の妖精さんの表情がパァと輝くのを鳥海は見た。改二になっても、まだ摩耶と一緒に戦える! 摩耶と勝利と栄光を重ねることが出来る!!
 二人の妖精さんが鳥海の肩から摩耶にめがけて跳ぶ。しかし助走距離が足りず、妖精さんは地面に落ちそうになる――ッ!
 しかし摩耶が妖精さんを優しく受け止め、そして新たな艤装の上に載せてあげる。こうして摩耶の改二は最後のパーツが揃い、完成を迎えたのだった。
 姉の粋な決定に目を細めていた鳥海が姉の右手、艦橋部分に集中された機銃座に新たな妖精さんが宿っていることに気付く。
「………まあ!」
 摩耶の改二によって新たに生まれた妖精さんは、妖精さんサイズになった摩耶本人のようだった。小さな摩耶が長年の相棒たちに対してペコリと頭を下げ、長年の相棒たちも心から嬉しそうに飛び跳ねて摩耶改二の完成を祝うのだった。


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