艦これショートショート
「One Day」


 雲一つない夏の青い空と、静かに凪いだ青い海………。
 此方から水平線の彼方まで青に包まれた大洋と天空の狭間。
 青い世界にわずかに残る白い筋。それは船の艦首が海を切り拓いて残される航跡。
 だが、この航跡を残す「モノ」たちは、我々がよく知る船とは異なる姿形をしていた。
 先頭を進むのは長身で妙齢の美人。艶やかな黒くて長い髪が海風と、彼女自身の前進が混ざり合い、まるで旗のようだ。彼女の名は「長門」。日本海軍が保有していた戦艦と同じ名を持ち、そして同じ力を持った艦娘(かんむす)である。
 艦娘。軍艦の記憶と力を持った少女たち。
 長門を先頭に、少女たちによる艦隊が海原を往く。
「敵艦隊、見つけたよぉッ!」
 長門の後ろに続く少女の一人が指をパチンと弾きながら声をあげる。敵艦隊発見を報せたのは紫色に染められた髪を整髪料でアバンギャルドに固めた艦娘だった。彼女の名は「隼鷹」。商船から空母に改造されるという、残酷な運命に振り回されながらも戦い続けた殊勲艦の艦娘だ。
「敵の編成はわかるか?」
 長門の質問に隼鷹は少しだけ間を開けてから応えた。
「………リ級が一隻、チ級が二隻、後は駆逐艦てなトコだねぇ」
 そしていたずらっぽい表情と口調で付け足す。
「ざぁんねん、戦艦はいないよ〜」
 隼鷹の言動に長門は目を閉じて少しだけ唇を緩ませた。目の前の敵が期待から外れているという苦さと、発見した敵が連れてくるであろう「本命」に対する期待感の混ざった表情だった。
「まぁ、いいさ。………まずは敵の哨戒線を噛み砕く! 全艦、前進!!」
 長門の凛とした声が轟き、艦隊が一気に緊張に包まれる。
「よっし、気合入れていくぜ!!」
 長門の気迫に鼓舞される形で、右の拳と左の掌をパチンとぶつけ合ったのは重巡 摩耶だった。明朗で快活な摩耶は迫りくる敵艦隊に興奮が隠せない様子だった。
「隼鷹、攻撃隊の発艦準備はいい?」
 相方の隼鷹と共に、発見した敵艦隊に対して攻撃隊を送り込もうとしているのは軽空母 飛鷹だ。隼鷹の「もっちろんさ〜」という返事を聞き、飛鷹は隼鷹と共に左腕を水平に伸ばす。
 そして飛鷹は左手に持った巻物を広げ、隼鷹は巫女服を模した左腕の袖を大きく広げる。巻物にせよ、袖にせよ、広げられた先には空母の甲板を模した模様が描かれていた。そして彼女たちが右手に持った飛行機型に切り揃えられた呪符を甲板の上に沿える。呪符をつまんでいた右手を離し、呪符が自然落下する時、二人の少女が呪文を唱える。
「「誅戮凶悪! 急々如律令!!」」
 二人の少女の呪文によって、呪符は見る間に姿を変え、濃緑の翼を持った航空機に変わり、大空に向かって飛翔していく。それは零式艦上戦闘機五二型の姿であった! そして次の呪符は彗星に、天山に姿形を変えていく。
「ヒュ〜! 何度見てもカッコイイね」
 次々と呪符を零戦や彗星、天山に変えていく二人の軽空母陰陽師の発艦を横目に摩耶が口笛を吹く。
「まー、赤城や加賀みたいな弓道部とは違った凄みがあるよね〜」
 摩耶にそろえて口を開いたのは駆逐艦の望月だった。ただ、隼鷹と飛鷹の発艦を見て盛り上がる摩耶とは違い、望月は「空爆だけで終わったら楽でいいのに」と考えている違いがあったが。
「こーら、もっちー。また楽しようと考えてるでしょ?」
 そんな望月の思いを察して望月のおでこをピンと指で弾いたのは重雷装巡洋艦 北上だった。
「痛っ。………いいじゃんかよー。楽して勝つのが一番じゃん。どうせ私や北上の砲撃じゃたいしたことできないってば」
 弾かれたデコを撫でながら口を尖らせる望月。望月の反論に北上は頭をかきながら応えた。
「まー、私は基本雷撃だし」
「………雷撃、最後にやったのいつだっけ?」
「桜はまだ咲いてたかなぁ………」
 北上がそう言って肩を落とした時、遠い向こうの方で何かが激しく弾ける轟音が轟いた。隼鷹と飛鷹が放った艦載機による空爆の轟音だった。………こりゃ、今日も雷撃の出番はないのかもね。
「いや、そうでもないぞ」
 落胆する北上の肩を叩いたのは長門だった。そして反対の手で水平線の向こうを指差す。その先には未だ健在な姿を見せる敵艦隊の姿だった。
 長門たちは砲戦に入る………。



 静かに目を閉じ、両腕を組んだまま、長門は背負った砲撃ユニットの砲身を上げ下げする。柔らかな少女の肢体とは正反対の、鋼鉄の塊の砲撃ユニット。だが、長門にとっては指先と同じように自分の意志で自由自在に動かすことができる、自分の一部なのだ。
 提督の命令で装備した、三二号対水上電探は正常に稼動し、長門に肉眼以上の視界を与えてくれている。目を閉じて神経を研ぎ澄まし、そして電探で敵の位置と距離を探る。目視で砲撃を行っていた時代とは違う、新時代の砲撃か………いや、雑念は払おう。今は、この狙いを、定め………。
 グオゥ!!
 次の瞬間、長門は八発の炎に包まれる。彼女の背負う砲撃ユニット、四基の四一センチ連装砲塔が一斉に発砲した証である。そして放たれた砲弾は、彼方から迫り来る敵、すなわち深海棲艦のすぐ傍に次々と落着していく。
 はるか遠方に向けて放たれたにも関わらず、望月の肉眼で確認できるほど巨大な水柱がそそり立ち、水柱が重力に引かれて濁流となりて深海棲艦たちに降り注ぐ。八本の水柱に囲まれた憐れな駆逐ニ級は、上から襲ってくる膨大な量の水に圧され、海中へと引きずり込まれていき………そして浮かんでくることはなかった。先ずは撃沈一である。
 それに対して反撃を試みてきたのは二隻の雷巡チ級だった。いや、その反撃の矛先は長門ではなく、自分たちを空爆した隼鷹と飛鷹に向けられていた。北上と同じく重雷装巡洋艦に分類されるチ級の砲撃では戦艦長門の装甲を撃ち抜くことはできない。だから装甲の薄い軽空母を狙うというのは間違いではない。
 だが、二隻のチ級の前に立ちふさがる一つの艦影。両手に二〇センチ連装砲をグローブのようにはめた重巡摩耶だった。
「ここは通行止めだ。お前たちの行き先は………海底だッ!」
 摩耶は二つの脚で海上をスケートのように滑り、チ級に向けて砲を放つ。長門の四一センチ砲に比べると砲声も軽く、威力も低い………。しかし摩耶の砲撃は長門のそれに比べると一発一発の間隔が短いのだ。
「でぇーい!!」
 摩耶の左拳にはめられた二〇センチ連装砲から放たれた砲弾を、チ級の一隻は身をよじって回避する。摩耶はさらに踏み込んで右の拳からも放つ! その一撃もチ級は身をかがめて回避する。だが、身をかがめて視線を低くしたチ級が次に見たのは真っ白い衝撃だった。摩耶の連撃を回避するために姿勢を下げたチ級の顔面にめり込んだのは摩耶の膝だった。ほどよくしまった摩耶の脚から繰り出される飛び膝蹴りがチ級の顔面に撃ち付けられ、チ級は仰向けになって海面に崩れ落ちる。………そしてカチャリと音をたてて装填を完了させた左手の二〇センチ連装砲。
「ぶっ殺す!」
 仰向けに倒れたチ級の腹部に左拳を叩きつけるようにして放つ!
 チ級のあげる筆舌不可能な断末魔! 飛び散っていくチ級だった「モノ」。摩耶の至近距離での一撃はチ級の体内に格納されていた魚雷を誘爆させ、ド派手に爆発轟沈していく。見よ、炎の中で左手を掲げて勝ちを名乗る少女の姿を。この神々しさすら漂う艦娘こそ、海上に降臨した戦乙女(ワルキューレ)!
 摩耶は次いでもう一隻のチ級を追撃しようとするが、それは不要であったことを知る。もう一隻のチ級は、狙っていたはずの隼鷹と飛鷹が放った艦載機にまとわりつかれ、逃げ場を失おうとしていたからだ。
 零戦が機銃を放ち、チ級を縫う。
「邪怪禁呪。悪業を成す精魅」
 彗星が天から急降下で落ちてくる。
「天地万物の正義を持ちて微塵とせむ」
 天山が海上を這うように進み、魚雷を投下する………。
「「禁!!」」
 隼鷹と飛鷹がそう断じ、呪言と共に放たれた爆弾と魚雷がもう一隻のチ級を爆砕する。
「どう? 改造空母だって、甘くないでしょ?」
「ま、結構いけてんだろ、あたしたち?」
 爆炎を背に、二人の商船改造空母艦娘が微笑む………。
 一方的に戦闘を進めていた長門、摩耶、隼鷹、飛鷹とは異なり、こちらでは北上と望月が重巡リ級と駆逐ニ級を相手に苦戦を強いられていた。
「あ〜、もう、こっち来るなよ、めんどくせぇー」
 望月が愚痴りつつ、手にした一二.七センチ単装砲を放つ。しかし一二.七センチ砲では重巡に分類されるリ級の装甲に傷をつけることすらできなかった。
 駆逐艦に分類されるニ級などは黒い異形の怪物の姿をしている。だが深海棲艦は強く、大きくなっていくごとに少女の姿に近づいていく。リ級ほどになると、姿形は艦娘のそれとほぼ変わらないまでに少女であった。ただし、病的なまでの白い肌と、ドス黒い装甲を不気味と共に纏っており、その姿は見るものに戦慄を覚えさせる………。
 重巡リ級は巨大で奇妙な篭手を両手に持っている。それは装備というよりは深海棲艦であるリ級の体の一部であり、その証拠に篭手の先端には鮫を連想させる鋭い牙がビッシリと生え、獲物に食らいつかんとしていた。
「ショオアアァァァァァァ………ッ!!」
 リ級の篭手の先端、口の部分が奇妙なうめき声を発しながら、棒状のものを口の中から瞬時に生やす。もちろんただの棒ではない。それはリ級が装備する八インチ砲の砲身だった!
「だー、もう! いたいけな幼女をいじめて楽しいかーッ!!」
 望月が毒づきながら、しかし彼女の足は力強く海面を強く蹴り、そして横に向かって跳ぶ。そのコンマ数秒後、リ級の放った八インチ砲弾が望月のいた場所に向けて放たれ、空を切った砲弾が水柱を立てる。
「まったく………当たって死んだらどーする! ちょっと北上ー! 助けてよー!!」
「やー、ゴメンゴメンゴ。私も敵に狙われててさー」
 北上は一四センチ単装砲で迫りくる駆逐二級と戦っていた。しかし駆逐二級を振り払うには速力が、駆逐二級を撃沈するには砲撃力が不足していた………。
「もう、巡洋艦が駆逐艦相手に苦戦しないでよ〜!!」
「だって私、重雷装艦だもん。私はやっぱ基本、雷撃よね〜」
「長門ー! こっち、ピンチー!! 魚雷、使うよーッ!!」
 望月が悲鳴交じりの声をあげる。
「いや、それにはおよばん」
 静かな、しかし確かな宣言。その声と共に発せられた強烈な殺気に対し、リ級は咄嗟に両手の篭手を合わせ、自らの肢体を隠すほどの大きな盾を形成する。
 だが、リ級の咄嗟の行動は何の意味もなかった。超遠距離から飛来した四一センチ砲弾がリ級の大盾にぶつかり、そして防御ごとリ級を撃ち抜いた。戦艦、さらに世界のビッグ7とまで称えられた超弩級戦艦 長門の砲撃はあらゆる防御を撃ち抜く強力な矛であった。此度の矛盾、矛側の圧倒的勝利である………。
「切り札は最後までとっておけ。よいな!?」
 両腕を組み、仁王立ちの姿勢を崩さない長門。その凛とした声と、勇ましき力。
「長門ー! こっちも助けて〜!!」
「望月、私は装填中だ。助けてやれ」
 長門の姿に見惚れていた望月だが、その言葉で我に返る。そしてクルリと軽快に針路を変え、北上に迫る二級の横合いから砲撃を浴びせる。
 長門のそれに比べれば、あまりに貧弱でか細い砲声。しかし駆逐艦程度の装甲なら、この一刺しで充分。この一撃は毒蜂の一刺しだと思え!
「グギョオルルルル!」
 望月という蜂の一刺し、いや、六刺しを受けた駆逐二級の動きが鈍る。ガクリと落ちた速力に、北上の一四センチ単装砲の狙いが定まり………。
「グロロロロ………」
 一四センチ砲弾が二級の頭部(だと思われている)赤い発光部位を撃ち抜く。二級はそれからピクリとも動かなくなり、浮力を失って海中へと没していった。
「よくやった。見事だぞ、望月、北上!」
 長門が二人の連携を褒める。………まったく、強くて、厳しくて、カッコよくて、おまけに優しいなんて、惚れちゃうじゃないの! 望月は胸中の思いを口にしないよう意識して、あえて長門に向けて気だるそうに手を振った。



 だが、勝利の空気はわずか数瞬で一変した。
 摩耶の二一号対空電探が、隼鷹、飛鷹の偵察機が別の艦隊を発見したのである。その数は、編成は………。
「敵艦隊、空母二、重巡一………いや、戦艦もいる!」
「敵艦隊、艦載機を出してる!!」
「隼鷹、飛鷹。艦載機は出せるか?」
 長門の質問に答えるより早く、二人の軽空母は艦載機を発進させていた。戦闘機を優先して発進させ、敵空母の艦載機を近寄らせないようにする。これが今の二人にとって最優先の仕事であった。長門の質問に答える暇もないほどに。
 毒虫のようにグロテスクな深海棲艦の艦載機が青い空に黒点を零す。それに立ち向かうは濃緑の猛禽、零戦五二型! 零戦はフワリフワリと旋回しつつ、一瞬の隙を突いて深海棲艦の艦爆や艦攻に襲い掛かる。もちろん、深海棲艦の戦闘機も零戦を近寄らせないために向かってくる。隼鷹と飛鷹の零戦たちは同数の敵機を撃墜するが、しかし敵の数はそれでも圧倒的だった。
「こりゃ、敵に正規空母がいるな」
 摩耶が誰にいうでもなく呟く。正規空母二隻? そりゃ軽空母二隻のうちじゃ押し負けるよ………。
「はー、帰りたい………」
 望月が思わず吐いた愚痴を聞いた摩耶が陽気に応える。
「安心しろ、みんな無事に帰れるよ。空襲なんか怖くもない。なんせアタシがいるんだからね」
 自信の根拠、摩耶自身かよ………。しかし摩耶は戦場で研鑽を重ね、対空能力を大幅に向上させる改造を受けている。空襲なんか怖くない。そう、豪語するだけの力が摩耶にはあった。
「悪い虫は………ぶっ潰す!」
 摩耶が対空射撃を開始する。さすがに「空襲なんか怖くない」と豪語するだけのことはあり、摩耶の張る弾幕で瞬く間に両手の指より多い数の敵機が砲火の中に潰れていく。
 摩耶の弾幕を逃れた敵機も存在したが、長門の対空砲火に絡め取られていく。摩耶の対空砲火が二一号対空電探によってある程度指向された弾幕であったのに対し、長門のそれは摩耶より多い機銃の砲門にモノを言わせた多い尽くす弾幕であった。海面から空に向けて発せられる鋼鉄の雨が敵機を撃墜していく………。
 最終的に艦隊に接近できた攻撃隊は二〇機足らず。敵機が投下した爆弾が摩耶の装甲を少し焦がす程度に終わったのだった。
 空襲を凌いだ長門たちだったが、むしろここからが本番だ。水平線の向こうから高速で迫り来る影六つ。
 先の空襲をしかけてきた空母ヲ級二隻、重巡リ級一隻、軽巡ト級二隻。そして戦艦タ級が一隻。特にタ級は金色のオーラを放っている。それは艦娘たちが「フラッグシップ」と呼んでいる、特殊な希少種であり、通常の同クラスより頭抜けた力を持っている難敵であった。先日も赤城がフラッグシップリ級の攻撃で大破させられ、長時間のドック入りとなった。重巡のフラッグシップでそれほどの力の向上があるというのに、戦艦のフラッグシップとなればその脅威度の高さが伺えよう………。
「全艦、この長門に続け!」
 両腕を組んだ姿勢のまま、長門が吼える。そして長門を先頭に、深海棲艦の艦隊へ向かって突き進む艦娘たち。当然、深海棲艦の砲撃は長門に集中することになる………。
 戦艦タ級が静かに左手を肩まで挙げる。すると彼女の影がすっと立ち昇り、影の黒が強まる。立ち昇った影の中から現れたのは砲塔だった。一六インチ連装砲塔。その数は三基。合計六門の一六インチ砲が一斉に射撃を開始する! 放たれた砲弾はまっすぐに長門に向かっていき………。
 ブッピガン!
 長門はタ級の放った六発の砲弾を回避しようとしなかった。彼女のすぐれた動体視力と電探による測定、そして戦いの年期が五発分は命中しないことを知っていたから。そして残りの一発を彼女は素手で受け止めたから!
 深海棲艦の放つ砲弾は汚染されており、命中後にまるで肉食の魚のように牙を剥いて艦娘の肢体に食い破ろうとする。だが長門はその砲弾を受け止め、そして拳に力を込め………砲弾を握りつぶしてみせた!
 フラッグシップのタ級が放った砲弾を片手で受け止め、そして握りつぶす。「お前如きの攻撃など効きはしない」という、無言のパフォーマンスに深海棲艦は怖気づき、艦娘たちの士気がさらに上がる。
「敵戦艦は私に任せておけ。お前たちは他を頼む」
 再度腕を組んだ長門はそう告げるとタ級に向けてまっすぐ進んでいく。タ級も長門の意図を悟り、深海棲艦の艦列を離れて長門に向かってくる!
「フ………待ちに待った艦隊決戦か。胸が熱いな」
 そう、前の生では遂に叶わなかった望み。長門の砲撃ユニットがタ級に向けて砲を定める。
 ドワォ!
 合計八門の四一センチ砲が天と海を震わせ、焦がす。長門という魔竜の咆哮がタ級に襲いかかる!
「!?」
 タ級に四一センチ砲弾が一発命中し、タ級は着弾の衝撃で大きくのけぞる。だが、より大きく、より色濃い金色のオーラを噴出しながら、タ級はその一撃から復帰してみせる。それは戦艦の維持か、フラッグシップという特殊性の矜持か。
 そして次は自分の番だとばかりに、今度は両手を肩まで上げ、影の中から一六インチ砲を召喚する。そう、左手から六門の一六インチ砲を、そして右手からさらに六門の一六インチ砲を。タ級は一六インチ連装砲塔を六基備えた戦艦だったのだ!
 無言のまま、しかし明確な殺意を長門に向け、タ級は全力全開の砲撃を長門に浴びせる。一二発の一六インチ砲弾が長門に向かって襲い来る!



「ちょっと! アレ、ヤバいんじゃないの!?」
 長門とタ級の殴り合いを横目にしていた望月だが、タ級の全力を見てさすがに声をあげてしまう。
「もっちー、今は自分のことに集中しな!」
 その声を強い口調で抑えたのは北上だった。
「でも………」
「長門なら大丈夫。あの人を沈めたかったら、砲撃なんかじゃムリなんだから!」
「え………?」
「詳しくは後! いくよ、もっちー! 一、二の………三!!」
 北上の合図で望月と北上は同時に魚雷を放つ。右手と左手、二〇射線ずつの魚雷発射管を持つ(自称)スーパー北上と、望月の魚雷が空母ヲ級に向けて放たれる!
 二隻の空母ヲ級は残存の艦載機を海に体当たりさせてでも魚雷の侵攻を阻止しようとするが、しかし航跡をほとんど残さない酸素魚雷の位置を精確に把握できない時点でそれは無駄な行いだ。まるで砂場で一粒の砂金を探すかの如き愚行。
 そして二隻の空母ヲ級を襲う強烈な衝撃。北上と望月の放った魚雷が深海棲艦の空母二隻を吹っ飛ばしたのだ。二隻の空母ヲ級が何十メートルも浮き上がるほどの衝撃。なるほど、魚雷とはまさに一撃必殺の切り札であった。
「空母は仕留めたか………。じゃ、お前も逝くか」
 空母を雷撃で仕留められる。重巡として最大級の屈辱を与えられたリ級に対し、冷ややかに摩耶が告げる。
 摩耶は静かに腰を落とし、そして裂帛の気合と共に拳をかち上げる。
「でりゃー!」
 摩耶の二〇センチ連装砲アッパーがリ級の顎を砕き、そしてリ級が天高く吹っ飛ばされ………。
 ドシャアッ!!!
 偶然………いや、摩耶が狙ったのだろう、吹き飛んだリ級と空母ヲ級が顔面から海面に激突したのは完全に同タイミングであった。



 長門の体にタ級の放った一六インチ砲弾が突き刺さる。
 長門が感じたのは痛み、というよりは熱さだといってよかった。空気との摩擦、強力な運動エネルギーの塊であった砲弾が命中して熱エネルギーに変えられた。熱さの原因は様々に考えられる。
 だが、長門が思い浮かべた熱さに対する感想は、「たいしたことない」であった。
 そう、あの時の「熱さ」に比べれば、この程度の被弾などどうということはない。
 一九四五年夏。何もかもを失った。数多の戦没艦の中で生き残ってしまった無念が胸中で煮えたぎる「熱さ」。
 そして翌年の七月二五日。あの時の「熱さ」に比べれば、この被弾の何とぬるいことか!
「フ………効かぬな。この程度では、沈んでやれぬよ」
 タ級の攻撃を受けても長門の突進は止まらない。ならばもう一度浴びせるまで。タ級が再度砲を長門へ向ける………いや、それよりも早く、長門の砲撃がタ級の影を捉える!
「影、影か………。そうだな、影は消えるものだ。旭日の光の前ではな!」
 タ級の左手が形成していた影の砲塔が四一センチ砲弾に貫かれて破壊される。残った右側の六門だけでも………。
 長門とタ級の距離は、すでに手を伸ばせば届くほどに近い。その時、長門は初めて組んでいた両腕を解き、構えをみせた。彼女の見せた本気の構え。それは足を大きく広げ、そして腰を静かに落とし、右拳を胸元に引いた構えだった。長門が右拳での正拳突きでの決着を狙っているのは誰の目にも明らかだった。
 そんなバレバレの一手なら、突き出された拳をかわし、そして残った六門の砲撃を食らわせるまで。それがタ級が一瞬で思い描いた勝利の方程式だった。集中しろ。意識を研ぎ澄ませ。忌々しい艦娘の指先一つの動作も見逃すな。その渾身の一撃をかわし、反撃で沈めるのだ………。
「………行くぞ」
 タ級からすれば愚直なまでの正直さで、「これから攻撃を開始する」ことを告げる長門。なんという立派な愚かさ! その心がけ故に、この艦娘は最期を向かえ………。
 ヒュ………ッ!
 長門の足の親指から始まる関節の連動。それは足の親指から足首に、足首から膝に、膝から股関節に、股関節から腰に、腰から肩に、肩から肘に、肘から拳に伝播していき、そして拳が突き出される。
 長門はその拳を突き出す際に発生する関節のメカニズム、そのすべてを前への加速に向けていた。ただ、ただ速く拳を突き出す。その一念が奇跡を生む。
 パァン………ッ!
 拳が突き出され、タ級の腹部に直撃してから聞こえる音。長門の拳が音の壁を破る音。これぞ近代体育の究極系というべきマッハ突きである。
 長門の一撃をかわしてから反撃の一太刀を浴びせるというタ級の目論見は完全に崩れ去った。音の壁を突き崩すほどの正拳突きを、どのようにして回避できようか。そして音の壁を突き崩すほどの正拳突きを、どのようにして耐えられようか。
「………ァ、ァアアア」
 タ級が何か言葉を発する。いや、それは何の意図も載せられてない、純粋な敗北の宣言だったのかもしれない。タ級はそのまま海面に崩れ落ち、海中へ向けてゆっくりと沈んでいった。
 沈んでいくタ級に背を向けながら、長門の黒髪が風で揺れる。戦闘で髪が少し煤けてしまったが、しかしそれでも彼女の髪は綺麗で艶やかだった………。
「長門ー! 大丈夫か!?」
 残敵を蹴散らした望月たちが長門に向かって近づいていく。望月も、北上も、摩耶も、隼鷹も、飛鷹も、誰もが少しずつ損傷を被っているが、しかし健在であった。敵を蹴散らした大勝利よりも、誰も失わなかった。そのことが長門にとっては嬉しかった。………ずっと、皆が失われていくのを見てきたからだろうか。
「どうしたの? もしかしてどこか痛いのか!?」
 心配げに長門を見上げる望月の頬をそっと撫でて、長門は初めて笑顔を見せた。
「………いや、大丈夫だ。さぁ、帰ろうか」
 戦闘時の険しい表情とはまったく異なる、優しくて柔らかな笑顔だった。
 この日、長門を含む六隻の艦娘は、戦艦空母を含む敵深海棲艦多数を撃沈。
 喪失艦はナシ。
 ドロップも、ナシ………。


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