戦争War時代Age
五章「連合艦隊ついに起つ」


 水平線の向こうから、眩しい陽光を放ちながら太陽が昇り始める。
 それは一九四一年にとって初めての日の出。
 いわゆる初日の出であった。
 空には雲一つなく、太陽の光は平等に地平を照らす。
 広島県呉市に居を構える殿家にも初日の出の清らかな光が差し込んでいた。
 茶の間で大の字に寝転がっていた山木 竜馬はその光の眩しさに目を覚ました。そして右を見て、左を見て。ぼんやりとした記憶を覚醒させる。
 昨晩は年末最後の日ということもあって、おやっさんと酒を酌み交わしていたんだっけ。二人で銚子を一〇本空けた所までは覚えているが………床に転がる一升瓶の数を見るに、その記憶よりはるかに大量の酒を飲んだらしかった。おやっさんはちゃぶ台に突っ伏していびきをかいていた。
 山木は喉の渇きを覚え、水でも飲もうと台所へ向かう。
「あら、竜馬さん」
 台所ではおやっさんこと殿 芳郎最愛の妻である殿 房江が雑煮を温めていた。
「あ、おはようございます」
「うふふ。今日は特別な日なんだから、おはようじゃなくてこう言うのよ」
 房江はそう言って微笑むと竜馬に向き直って頭を下げた。
「あけましておめでとうございます」
「あ、はい。あけましておめでとうございます」
 山木もペコペコと頭を下げる。
「ふふ。もう少しでお雑煮、温まるわ。………それとも喉が渇いたのかしら?」
「ええ、後者の方でして」
 山木は房江から水をもらうと一気に飲み干して喉の渇きを潤した。
「お母さん、何か手伝うことある?」
 そう言って台所に顔を出したのは殿家の一人娘、殿 裕子であった。今日の裕子は正月ということもあって、晴れ着に身を包んでいた。男勝りでいつも動きやすい洋服を着ている裕子だが、晴れ着を身にすると元の美しさが際立っていた。山木は呆けたように裕子を見つめていたが、ハッと我に返ると口を開いた。
「古人曰く、『孫にも衣装』だな」
「ムッ。ちょっと竜馬、それどういう意味よ」
 裕子は口を尖らせて山木に突っかかる。薄く化粧が施された裕子の顔が山木の眼前に迫る。裕子は元々から端整な顔立ちをしていたが、それは化粧でより引き立てられていた。山木は血液の多くが顔面に集中していくのを感じた。山木は照れ隠しにそっと視線を逸らして憎まれ口を叩く。
「な、何だよ、孫にも衣装って言葉すら知らねーのか? 辞書でも引いたらどうだ?」
「竜馬さん、『孫』じゃなくて『馬子』ですよ。ちなみに馬子というのは馬に人や荷物を運ばせるのを職業とする人で、馬方や馬追いとも呼ばれるわね」
「いや、お母さん………ツッコミ所はそこじゃないでしょ」
「じゃあどこがツッコミ所なんだよ」
「アタシのどこが馬子なのかって所よ! このうら若き乙女に、何てこと言うの!!」
「まー、年齢が若いのは認めてやっが、おめーのどこが乙女なんだよ、裕造・・
 山木が裕造・・と呼んだ瞬間、裕子の掌底が山木の顎を捉えた。裕子の掌底は山木の脳をシェイカーのように揺さぶって、脳震盪を起こさせた。
 だーから……そーいうことすっから乙女じゃ………ねぇって………の…………。
 裕子の掌底は一撃で山木を夢の世界へ退場させたのだった。
「あらあら。今年もにぎやかになりそうね」
 房江はのほほんと呟いた。もっとも山木 竜馬は海軍軍人で、今は戦争中である。山木がいつ出撃し、そして本当に戻ってこられるのか………。その保障は神ならぬ身には断言できるはずがなかった。



 一九四一年の正月三が日が終わり、山木 竜馬は海軍軍人としての責務に戻ることとなった。
 フィリピン沖での戦功が認められて大佐に昇進した山木は新造戦艦の艦長に任命された。
 その新造戦艦の名は大和という。
 在来の戦艦とは次元を画する四六センチもの巨砲を九門も搭載した堅牢無比の戦艦。山木の男の子としての本能は、一目でこの戦艦を気に入らせたのだった。
 だが帝国海軍上層部はこの最強と称するに相応しい戦艦をもてあましていた。いや、正確には疎んじていた。
 現在の連合艦隊司令長官は山本 五十六大将で、この長官は帝国海軍でも屈指の航空主兵論者として知られていた。
 航空主兵―すなわち航空機は戦艦を撃沈しうるということはニューファンドランド沖海戦にて敵であるアメリカ海軍の手で証明されている。不意を討たれたとはいえプリンス・オブ・ウェールズを始めとする英国艦隊は本気で抵抗したはずである。しかし戦艦は航空機の突入を阻むことができず、撃沈されてしまったのだった。この事実は世界中の海軍の意識を変えさせる、革命的なインパクトを持っていた。
 ニューファンドランド沖海戦の翌日、山本 五十六GF連合艦隊長官は早くも統合作戦本部にGF幕僚の刷新を申し出た。統合作戦本部はGFの人事刷新の願い出に当初は難色を示していたが、山本 五十六が「この申し出が聞き入れられないならば、私はGF長官の席を降りる」と言い始めた辺りから次第にGF側が優勢になりつつあった。ニューファンドランド沖海戦の一戦で、これからの海軍の主力は空母であることが実証されたのに、海軍の航空派の長老が辞職をほのめかすのである。山本は自分がいなければ海軍の航空派が一つにまとまらないことを知った上で、自らの辞職をほのめかして統合作戦本部に脅しをかけたのである。本来なら陸海軍を統率する立場にあるはずの統合作戦本部だが、今回だけは海軍の我が侭を聞かざるを得なかった。統合作戦本部で海軍の人事を担当していた中原 義正少将は山本のことを「山師」と激しくなじったという。
 ともかく海軍実戦部隊である連合艦隊司令部の人事は航空派一色で染め上げられたのだった。
 航空派は航空機を運ぶ空母と空母を護衛する駆逐艦、軽巡洋艦には理解を示していたが、戦艦は時代遅れの兵器としてバカにしている傾向があった。その感情は、航空派の最大敵手であった戦艦を主力とする艦隊派への意趣返しの感が強かった。
 戦艦部隊は三〇ノットの快速を誇る金剛級を除いて新設された第三艦隊にまとめられたのだった。旗艦は大和で、長門や陸奥、日向、伊勢といった堂々たる名前が連なっていた。そして艦隊司令長官は艦隊派として知られる宇垣 纏中将(長官就任時に昇進)であった。戦艦を率いる者として、彼以上の適任はいないはずだった。
 しかし航空派が海軍内最大派閥となった今、第三艦隊は冷遇される日々であった。



 一九四一年一月二七日。
 東京にある統合作戦本部ビル最上階である八階にある統合作戦本部長室。
「本部長、よろしいのですか?」
 統合作戦本部の西村 有道少佐が遠田 邦彦統合作戦本部長に報告書を手渡しながら尋ねた。
「何がだね?」
 遠田は大衆的タバコである櫻を一本咥え、火をつけながら西村に続きを促した。遠田にとってタバコはニコチンの補給さえできれば何でもいいのだ。だから安物でも構いやしない。
「海軍の航空派の増長ですよ。知ってますか? 先日、統合作戦本部の補給部燃料課に訪れた海軍の佐官のこと」
 遠田は一息で櫻一本を吸い終えると吸殻を灰皿に押し付けた。
「『戦艦などに燃料をやる必要はないから、空母機動部隊に予算をもっと回せ』ですよ。たかだか佐官が統合作戦本部の方針にケチをつけてきている」
 統合作戦本部は陸海軍の上部組織で、両軍の統轄を行うのが役目である。だのに海軍が統合作戦本部に傲然と口出ししてきたのだ。
「燃料課課長の大井 篤中佐は激怒してましたよ。『海上護衛の何たるかがわかっていなかった艦隊派もいけ好かなかったが、今の航空派はもっといけ好かん!』って」
 遠田は濃厚な紫煙を吐き出して言った。
「平家にあらずは人にあらず。航空派にあらずは海軍にあらずって感じだな」
 遠田の言葉に西村は呆れた表情を見せた。
「いくら航空機の優勢が証明されたといっても、戦艦の使い道が消えたわけじゃないってのに」
 ニューファンドランド沖海戦で熾烈な砲撃戦を交わしたビスマルクはそれを実証している。
「まぁ、口で言っても奴らは聞かんだろ。一度、ガツーンと頭を打ってもらうしかないな」
「頭を打つって………誰に打ってもらうんです?」
「適任がいるだろう、太平洋の向こう側に」
 くつくつと笑う遠田の表情を見た西村は背筋が凍りつくのを感じた。あの表情は、悪魔そのものだ!
「と、いうわけで西村君」
 西村は自分が迂闊だったことを悟った。海軍航空派の横暴に腹を立てていたのは自分だけではなかった。統合作戦本部の長が海軍航空派の増徴に無心であるはずがなかったのだ。西村は自分から悪魔の謀略に足を踏み込んでいたのだと数分前の自分の発言に後悔する。
「一緒に航空派に立場を思い知らせてやろうか」
 こうして西村は自ら悪魔の片棒を担ぐハメになったのだった。



 広島県呉市。
 日本最大の軍港の街 呉に巨大な城塞が多数停泊していた。大日本帝国海軍が誇る戦艦群である。
 その中でも一際目立つのが前述の大和であった。
 今の大和は慣熟訓練を終え、半舷上陸という状態で次の訓練に備えていた。艦橋には艦長である山木 竜馬を始めとして副長、砲術長、機関長が集まっていた。
「あー、それにしても」
 大和副長を務める福田 実中佐が太平洋の方角を眺めながらぼやいた。
「噂はホンマなんですかねぇ。戦艦部隊を集結させた第三艦隊は航空派から嫌われとって一生冷や飯食わされ続けるっちゅー噂は」
 福田副長は大阪出身で、人情家で人懐っこい性格をしていた。
「でも今は戦争中でございますよ? 総力を結してアメリカ海軍と当たらなければ勝てないと思いますが………」
 機関長の増島 直樹少佐はどこで習ったのか独特の言葉遣いをする傾向がある。まだ年若いが、希代の才能を持っていたために大和機関長に大抜擢されたのだった。
「んなもん航空派の奴らがわかっとるかいな。アイツら今まで艦隊派にバカにされとったから、その仕返しでオレらを冷遇しとるだけやで」
「俺たちは大和で艦隊戦を勝つためにここに集まってるんだぜ! それがこの待遇………。アッタマきちまうよな!」
 大和副長の岸 恭介中佐が顔を怒りで真っ赤に染めて言った。自他共に認める猿顔がますます猿じみた。そして岸は山木に言った。
「艦長、今度統合作戦本部に文句言いにいこうぜ!」
「何の相談をしている?」
 山木たち四人の背後から重々しい声が響く。声の主は第三艦隊司令長官である宇垣 纏中将であった。元連合艦隊参謀長だったが、連合艦隊司令部が航空派一色で塗りつぶされた際に第三艦隊に派遣されたのであった。
「あ、長官………」
「我々は実戦部隊だ。我々は戦術のことだけ考えておればよい。それより上のこと、戦略のことは統合作戦本部が考えてくれる」
 宇垣は正論を口にし、四人を諭す。しかし四人はその言葉に納得できない様子だった。
「せやけど………なぁ、直樹」
「そうでございます。第三艦隊の現状はその言葉では納得できないでございます」
 福田と増島の二人が不服の思いを言葉に変えた。さらに山木が宇垣に言った。
「そもそも長官、今の言葉に長官自身が納得されているのでしょうか?」
「何………?」
「自分自身をすら納得させることが出来ない嘘は、他人を不快にさせるだけですよ」
 宇垣は「黄金仮面」と揶揄されることがある。その心は彼が仮面をつけたかのように無表情な男であるからだった。山木の言葉を受けても宇垣は眉一つ動かさなかった。
「くだらんことを考えている暇があるなら訓練計画でも練っておけ。いいな」
 宇垣は無表情にそう告げると四人の前から立ち去った。
「チェッ、宇垣長官は砲術の大家とか聞いてたけど、全然そうは思えないぜ」
「ありゃアレやな。GF司令部におった時に航空派に牙抜かれたんちゃうか」
「やれやれ………長官が乗り気じゃないなら統合作戦本部行っても無駄だな」
 山木が頭を掻きながら呟いた。
 一方で山木たちの言葉を背に受けながら、宇垣は内心で忸怩たる思いであった。
 自分自身すら納得させることができない嘘。山木の指摘は正鵠を射ていた。宇垣はあの四人組よりもはるかに今の第三艦隊の境遇を嘆き、怒りを覚えていた。
 だが何ができようか? 海軍に奉職して以来数十年。軍隊という縦社会の構造は宇垣 纏から反抗の牙を奪い去っていた。上からの命令ならば宇垣はどのような命令でも聞くようになっていた。
 だから宇垣は不満を持ちつつも、それを内心に押し留めることしかできなかった。



 一九四一年二月一〇日。
 ハワイ諸島最大の島オアフ島。
 合衆国海軍太平洋艦隊司令部。
「何ですと………我が太平洋艦隊から空母を引き抜くと!?」
 太平洋艦隊司令長官ハズバンド・キンメル大将は合衆国海軍艦隊司令長官兼海軍作戦部長であるアーネスト・キング元帥からの電話に目を剥いた。
「我が太平洋艦隊の空母は現状で八隻しかありません。それをさらに引き抜くとおっしゃいますか!」
『イギリスが再びカナダへの増援を派遣しようとしている。今度はロイヤルネイビーが全力で護衛してくるだろう。大西洋艦隊の増強は必然ではないかね?』
「それは………そうですが………」
 キングの正論にキンメルは言葉を失いかけたが、気を取り直してキンメルは反論した。
「繰り返しますが、太平洋艦隊の空母は八隻しかありません。それも正規空母と軽空母を合わせて八隻です。これをさらに引き抜くとなっては、インペリアルネイビーとの戦力バランスが崩れてしまいますが………」
 キンメルの反論を最後まで聞かず、キングは言葉を挟んだ。
『半年だ。半年後にはサンジエゴでエセックスシリーズの第二期セカンドシーズンが次々と竣工する。半年だけ耐えて欲しい』
「半年………」
『それにジャップの国力ではハワイを占領できんよ。補給線が長くなりすぎて、ハワイをとっても自滅するだけ………違うかね?』
「それは………確かにそうです」
『なら半年くらい太平洋を奴らの手に渡してやっても構わないだろう? 逆に戦力バランスが崩れたからとクレの穴倉から出てきたジャップを討つことを考えてもいいくらいだろう。こちらにはミッドウェーという前線基地がある。ミッドウェーという決して沈まない空母を上手く活かせばジャップの艦隊など怖くはないはずだ』
「しかし………」
 やはりそれだけでは貴重な戦力を手放したがらないか。キングは用意しておいた次のカードを開示してみせた。
『わかった。太平洋艦隊から旧式空母二隻を引き抜く代わりに大西洋艦隊の新鋭高速戦艦を二隻そちらに送ろう。そして陸軍に話をつけて航空隊を増やしてもらおう。それではダメかね?』
「高速戦艦!? アイオワ級をこちらに頂けるのですか!」
 アイオワ級は三三ノットの快速を誇る合衆国最新鋭の戦艦である。
 さらに陸軍の航空隊が増派されるならば侵攻はできないだろうが防衛ならできるだろう。半年の持久は充分に可能であるとキンメルは判断した。
「………了解しました。ではサラトガとレキシントンをそちらに送ります。それでよろしいか?」
『うむ。ではお願いする』
 キングはそう言い残すと受話器を降ろしたらしい。キンメルの聴覚はツーツーという音しか拾わなくなった。
 こうして合衆国海軍は戦力を大きく動かし始めた。そのことは合衆国内に潜ませているスパイの報告だけでなく、通信量の増大からも察することができるほどだったという。



 一九四一年二月一三日。
 統合作戦本部ビル六階の大会議室に遠田 邦彦を始めとする統合作戦本部の要人と山本 五十六を始めとする連合艦隊の司令部幕僚が集まっていた。
「………米海軍の空母戦力が動いた今こそが攻勢の機会だとGFは主張するのだね?」
 遠田は連合艦隊司令部が提出した作戦計画案にざっと目を通して尋ねた。
「攻勢ではありません。大攻勢・・・です」
 どうでもいいことに訂正を差し入れたのは連合艦隊主席参謀黒島 亀人大佐であった。軍人というよりは宗教家の眼をした参謀だった。
「あ、そ」
 遠田は右小指で耳垢をほじくりながら興味なさげにあしらった。それを見た黒島は顔を真っ赤にする。頭髪をすべて剃った黒島が顔面を怒りに染めるのは茹でダコを連想させた。この場に同席していた西村 有道少佐は今晩はタコの刺身で一杯やろう、と内心で思った。
「太平洋艦隊の空母が二隻も大西洋に移動になったのは確かだ。だがそれだけに米軍はハワイという要塞で篭城するぞ。対策はあるのか?」
 遠田は自分の想像以上に大きな耳垢がでてきたことに目を丸くしながら連合艦隊の面々に言った。畜生、この会議が終わったらちゃんと耳掃除しよう。
「それに関してはこちらに策があります」
 山本が遠田に連合艦隊が立案した計画案を披露した。
「まぁ、いいだろう」
 遠田は面倒くさそうに鼻の頭を掻いて言った。
「どうせこの作戦が認められなければ辞表を出すんだろ? それくらいに自信があるならやればいいさ」
 その時の遠田の表情は直視できなかった。彼は人間ではなく、魔王だったのだ。後に連合艦隊司令部側で参加したある参謀は取材に来たジャーナリストにそう語ったという。
 遠田たち統合作戦本部側の心中はさておき連合艦隊は自ら立案した作戦で出撃を開始した。
 目指すは中部太平洋。
 目的は合衆国太平洋艦隊であった。


次回予告

 帝国海軍と合衆国海軍。
 太平洋の両端に位置する両国家が、太平洋の覇権を賭けて激突する。
 落ちる爆弾。
 燃える甲板。
 消えゆく命。
 激闘の彼方で悪魔が微笑む。

次回、戦争War時代Age
第六章「万華鏡」
それは目まぐるしく変わる戦場景色


第四章「カナダの戦い<1>」

第六章「万華鏡」

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