戦争War時代Age
第三章「竜馬が征く!」


 一九四〇年一二月九日。
 気持ちの良い朝陽が大日本帝国広島県呉市を照らす。
 だが陽光とは正反対に、ラジオから流れてくるニュースは暗いものであった。
「昨日、一二月八日。アメリカ合衆国はカナダ近海を航行中であった英独艦隊を奇襲攻撃。さらに米軍はカナダ領への侵攻を開始しました。内閣総理大臣幣原 喜重郎はオルレアン同盟の規約に従い、帝国の対米戦争開始を宣言いたしました。帝国臣民の皆様は軽挙妄動を慎み、この世界の一大事を一刻も早く終わらせるように………」
 その時、呉市内に居を構える殿でん家は朝食の準備の最中にあった。
 殿家の主人である殿 芳郎はちゃぶ台に並べられていく朝食の美味そうな香りを前にしても渋面を浮かべていた。そして芳郎はポツリとつぶやいた。
「戦争か………」
 齢五〇を超える殿 芳郎は呉の海軍工廠に務めており、初の国産戦艦である薩摩級二番艦安芸の建造に関わったことがあるほどの熟練工で、以後数多くの海軍用艦艇を造り上げてきた。彼が造ってきたのは軍艦であり、軍艦とは戦うことを目的とした船ではある。だがそれでも芳郎は軍艦が傷つき、そして海底に沈むというのは絶えられないほどに苦痛だと考えていた。軍艦が本来の目的として使われる戦争というイベントが始まって、芳郎の表情が晴れるはずはなかった。
「裕子、もう朝食の用意は終わるから、竜馬さんを起こしてらっしゃい」
 芳郎の妻である殿 房枝は穏やかな表情と声で娘の裕子に言った。裕子は「はい、はい」とまだ部屋で寝ている居候を起こしに立ち上がった。
 房枝は夫の心中が穏やかならざることを充分に知っていたが、だからといってヘタに気を使うことも過ちであることを知っていた。だから彼女は常に同じ表情―優しい、慈母のような表情を崩そうとしなかった。房枝の無言の気遣いを知った芳郎は、ようやく表情を常のものに戻した。
「………そういえば房枝。言い忘れていたな」
「何ですか?」
 房枝はご飯をよそった茶碗を夫に手渡す。
「おはよう。………気が昂ぶっているとその程度のことも見落とすらしい」
「はい。おはようございます」



 殿 裕子は今年で二〇歳になる。
 性別は勿論、女性。容姿は標準より上………というよりはるかに上。呉の街を歩いているとすれ違いざまに彼女に振り返る男性は数多の数に上る。
 しかし彼女は未だに結婚はおろか縁談の話すらなかった。
 それは彼女が………。
「コラ、起きろ、このいそーろー!」
 裕子は呑気に部屋で高いびきをたてていた山木 竜馬をサッカーボールか何かのように蹴り飛ばした。布団にしがみついて眠っていた山木だが、ゴロゴロと畳の床を転がった末に壁に激突して眼を覚ました。
「なななな、何だっての!?」
 夢の世界の住人であったのに、いきなり床を転がることを強要させられて現実世界に引き戻されたのだ。山木の驚きは尋常ではなかった。
「もう七時よ。朝ごはんできてるから早く起きなさいよ」
「起こすならもっと普通に起こせ! 人を蹴飛ばすんじゃない!」
「じゃあ聞くけど、竜馬は今まで普通に起こされて起きたことがあったかしら?」
 山木は口を尖らせて裕子を非難するが、裕子は気にする風でもなく言い返した。
「う………だ、だがそれは昨日までの話。今日は起きたかもしれねーじゃんかよ」
 裕子の言葉は図星であった。殿家に居候を始めて五年以上になるが、山木は裕子に「起きろ」と呼びかけられただけで目を覚ましたことは一度もなかった。
「はいはい。絵空事並べてる暇があったら早くご飯食べましょう」
 裕子は山木の不平を聞き流し、背中を向けるとさっさと食卓の方に戻っていってしまった。
「ったく、裕造・・め。最近、ますます男らしくなってねーか」
 裕子は男顔負けなくらいに腕っ節が強く、山木は彼女のことを裕造・・と呼んでいた。
 山木はまだ眠気が残る頭を振って、こびりついていた眠気を払うと重かった腰を上げた。
「おう、おはよう、竜馬君」
 芳郎はようやく目を覚ました居候に今朝付の朝刊を手渡した。
「ども。おはようございます、おやっさん」
「おはようございます、竜馬さん」
 房枝から茶碗一杯に盛られたご飯と赤だしの味噌汁をもらい、山木は箸を手に嬉しそうに言った。
「いっただきま〜す」
 殿家の素朴だが、温かさが詰まった朝食を山木は実に美味しそうに口に運ぶ。作り手が幸せになれる。そんな食べ方を山木はするのであった。
 山木が食卓についた時、開戦を伝えていたニュース番組は伝えるべき内容のほとんどを喋り終えており、番組は音楽を流すものに変わっていた。山木にはよくわからないが、何でもカラやん・・・・とかいう有名な指揮者が演奏の指揮を取っているらしい。にしてもカラやん・・・・とはえらく日本人に親しみやすいあだ名の人だなぁ。山木は味噌汁をすすりながらそんなことを考えていた。
 山木が味噌汁を飲み終え、茶碗にわずかに残った残敵ごはんの掃討を行おうとした時、廊下でジリリリと音が鳴った。殿 房江がそっと立ち上がって廊下の向こうに消える。
 音が鳴り止んで少しの瞬間を挟み、房江が戻ってきた。房江は「竜馬さんに電話ですよ。海軍さんから」とだけ伝えた。
 裕子は「朝飯くらいゆっくり食わせろってんだ」と愚痴りながら電話に向かう山木を横目にしながらししゃもをパクリと噛んだ。
 一分にも満たない短い通話。どうやら山木も向こうの用件がわかっていたようだ。山木はすぐに電話を終えて食卓に座り、残っていたご飯をすべて平らげてから言った。
「どーも出撃みたいッスね」
「そうか………。どこに行くか………聞かん方がいいな?」
 山木はいつもの調子で「そうッスね。一応、軍機って奴なもんで」と芳郎に頭を下げた。
「んじゃま準備しますわ。っても軍服着るだけですけどね」
「竜馬君、気をつけてな」
「危ないことをしちゃダメよ?」
「おやっさん、おばさん………。こういう時はもっと勇壮に送り出さないと」
 山木は殿夫妻に微笑んだ。そしてすっくと立ち上がると裕子の頭を軽くはたいた。
「んじゃ行ってくるぜ。俺が帰ってくるまでに少しは女らしくなってんだな、裕造・・
「アタシは生まれた時から女です! アンタの方こそ戦地で少しは男らしくなってきなさいよ!!」
「はははは。お互いに楽しみにしてよーじゃないの、再会を」
 山木は愉快そうに笑うと自室の方へ向かって歩き出した。
「裕子、いいの? 竜馬さんにちゃんと挨拶しておかないで?」
 房江はそう言って裕子を見やる。しかし裕子は房枝の気遣わしげな視線を笑い飛ばした。
「何でアタシがアイツの心配しなきゃいけないのよ………。それに、あのバカは戦艦の砲撃でも死にはしないわよ」
 芳郎はあくまで強がろうとするじゃじゃ馬娘の髪を優しく撫でてやった。
 一九四〇年一二月九日。
 帝国海軍は主力艦ではなく巡洋艦、駆逐艦といった補助艦艇に出撃命令を下した。その行き先は………。



 一九四〇年一二月一二日午後一時四五分。
「よし、上陸開始!!」
 帝国陸軍少佐結城 光洋の号令と共に彼が率いる第二〇四歩兵大隊が海岸目掛けてボートを進める。一番恐れていた海岸からの攻撃は………無い。
「海軍さんはいい仕事をしてくれたようですな」
 結城を補佐する南 もえる大尉が結城に言った。南はふと後ろを振り返る。水平線の先には帝国海軍の巡洋艦隊が控えていた。帝国海軍巡洋艦隊の砲撃で海岸線に控えていた敵陣地は完全に沈黙したのであった。
「山木もマグレで中佐になったわけじゃないってことかな」
「はっ? 大隊長、何か仰いましたか?」
 結城の独り言に対し南は聞き返した。結城は「いや、何でもない」と応えて目の前に迫ってくる大地を睨みすえた。
 フィリピン諸島最大の大きさを誇るルソン島。
 今、帝国陸軍はルソン島への上陸を果たそうとしていた。



「陸軍は上陸を終えたそうです。『適切な砲撃に感謝する』とのことです」
 帝国海軍第六戦隊に所属する重巡洋艦衣笠。艦長沢 正雄大佐は背を伸ばしながら言った。
「やれやれ………。巡洋艦だけの砲撃で大丈夫かと心配したが、大丈夫だったな」
 真っ白い二種軍装をラフに着こなした身を包んだ山木が沢に応えた。
「重巡洋艦の主砲は戦艦のそれよりはるかに小さいですが、それでも陸軍から見たら重砲よりもはるかに大きいですからね。陸さんから見たら戦艦がむしろ異常といえるんじゃないですかね」
「うむ。くろがねの浮かべる城とはよく言ったものだよ。しかし、まだ兜の緒を緩めるわけにはいかんぞ」
 沢がそう言った時、艦橋に主計科の兵が入ってきた。昼前に海岸線への砲撃を開始したため、昼食がまだだったので、主計科が砲撃中に作っておいたおにぎりとおしんこ、そしてお茶を配布しに来たのであった。沢は塩だけで味付けされた、素っ気ない握り飯を頬張りながらフィリピン近海の海図の前に立って視線を落とす。
「フィリピンというのは本当に嫌な位置にある島だ。そうは思わないか、副長?」
 沢の言葉を受けた山木だが、山木はその真意を汲み取れずに眼を瞬かせた。
「………と、いいますと?」
「このフィリピンを潜水艦の拠点として、アメリカは通商破壊作戦を展開できるということさ。オルレアン同盟加入のおかげで中東の豊富な油を使えるようになったはいいが、油を運ぶタンカーはフィリピン近海を通過する必要があるからな」
「なるほど………。しかし艦長」
 山木は自分のおにぎりを二口で食べ終えると沢に言った。
「ならばそれほど重要なフィリピンをGFの全力で叩かないのです? GF主力が来たら、フィリピンなんかすぺぺのぺでしょ?」
 沢は山木の独特の言い回しに苦笑しながら言った。
「じゃあ聞くが、副長。君は同じ刃物だからといって、日本刀で魚を捌くかね?」
「え………? そりゃ捌きませんけど」
「GFの主力は強力なのは確かだ。それを使えば君の言うとおり、すぺぺのぺでフィリピンを取れるだろう。だが、日本刀の本来の使い方ではあるまい。なぜなら、フィリピンには巡洋艦などの補助艦艇しかなく、米軍の主力艦はハワイに停泊中であるということが確認できているんだからね」
「はぁ、なるほど………」
「副長は軍政や軍令には興味はないのか? 今のことくらいはわかっておかないといかんぞ」
「いや、あの、俺は艦長ってのをやってみたくて海軍の門を叩いたモンですから………」
「ははは。うん、そういう考えがあるなら構わん。むしろそれは大歓迎だ。立派な海の漢になれよ、山木!」
 沢はそう言って山木の肩を強く叩いた。山木もそれに応えるようにビシッと敬礼。
 こうして第六戦隊はフィリピンの海岸線傍から離れていったのだった。そんな第六戦隊を見据える眼が海中から出ていたことに気付いた者は誰一人いなかった………。



 フィリピン沖で第六戦隊は第一六戦隊、第四水雷戦隊、第五水雷戦隊を主力とする第三艦隊に合流する。第三艦隊は第六戦隊の重巡四隻と第一六戦隊の重巡足柄を主力とし、軽巡三隻に駆逐艦二〇隻を擁する艦隊であった。
 旗艦足柄に座乗するのは高橋 伊望中将であった。ロンドン軍縮会議にも参加した古参の将で、その豊富な経験を買われての抜擢であった。
「天気は晴朗、波も穏やか………。これで戦争さえなければ最高の日なのだがな」
 高橋の呟きに足柄艦長の一宮 義之大佐が拳を固く握り締めて言った。
「なればこそ、米国の罪は大きいということです。一刻も早く米国に正義の鉄槌を………」
 正義の鉄槌を下すべき。一宮がそう言おうとした時、足柄は激しい衝撃に揺さぶられた。まるで荒波の海に浮かぶ木の葉のように。
 高橋は床に額を打ちつけ、血を流しながらも尋ねた。
「何事だ!?」
「雷撃です! どうやら、この海域に潜水艦が潜んでいる模様!!」
「雷撃………? 潜水艦だとぉ!?」
 あの衝撃の中でも絶妙のバランス感覚で仁王のように立ち続けていた一宮が声を荒げた。
「見張り員に聴音手は何をしていたかぁ!」
「艦長、今はそんなことを言っている場合では………」
 それが高橋の最期の言葉となった。足柄に二発目の魚雷が突き刺さり、それは足柄の弾薬庫に火を灯したのだった。足柄は真っ二つに裂かれ、瞬く間に海底へと沈んでいった。生存者などその存在を考えるだけで徒労感を感じるほどの典型的轟沈であった。



「潜水艦………よりによって旗艦を沈めるなんて………」
 衣笠の山木は歯噛みして悔しがった。だが沢は山木より一歩先を見据えていた。
「通信長、艦隊全艦に連絡しろ。この海域は敵潜水艦で溢れかえっているとな」
 沢の言葉に山木たち、衣笠艦橋にいた全員が目を剥いた。
「ほ、本当なんですか!?」
 山木が足元と沢を交互に見て尋ねた。
「第三艦隊は巡洋艦と駆逐艦、いわば潜水艦にとって天敵である艦種ばかりだ。だのに潜水艦が挑んでくると言うことは、向こうに勝算があるからだ。もっともわかりやすい必勝の策。それは数を揃えることさ」
「あ………」
「それにフィリピンは潜水艦の基地として機能していた要所だ。だからこそ我々が真っ先に攻略に向かったんだ」
「艦長、右舷より雷跡四本!」
 見張り員の報告に沢は間髪いれずに指示を出した。
「面舵一杯!」
「面舵!? それでは敵魚雷に向かうことに………」
「いいから早くしろ!!」
 面舵を指示した沢に山木が反論しようとするが、沢は問答無用の剣幕で怒鳴った。舵輪を航海長自らが握り、面舵に回す。衣笠のことを知り尽くしている航海長の舵取りは巧みで、衣笠は最小の半径で右に曲がり、敵潜水艦の放った魚雷に正対した。
「こ、後方に雷跡四本! ………いや、本艦に当たるコースではない!!」
 見張り員の報告に沢はニヤリと笑って山木たちにタネを明かした。
「敵潜水艦は一隻だけじゃないんだ。最初の雷撃はむしろオトリ。この衣笠を絶好の雷撃ポイントに誘導するためのオトリなのさ。もしも取り舵を切っていたら、あの魚雷はかわすことができなかったろうね」
「な、なるほど………」
「さて、後は………正対している魚雷に当たらないことを祈るばかりさ。敵の本命を回避する代わりにオトリに当たる可能性を増やしてしまったからね」
 しかし衣笠は魚雷と魚雷の間をすり抜けることに成功。敵潜水艦のしかけた罠を見事に潜り抜けたのだった。
「スゲェ………さっすが艦長!」
「ははは。褒めても何も出ないぞ、副長」
 だが第三艦隊に沢 正雄は一人しかいなかった。重巡 青葉は雷撃を回避しきれずに大きな水柱を立てる。
「青葉が………」
 沢が艦長を務める衣笠は青葉級重巡洋艦二番艦である。己の指揮する艦と同型の青葉が沈んでいく様を見せられて、黙っているほどに沢も臆病ではなかった。
「総員、青葉の仇は絶対に討つぞ!!」
 沢の呼びかけに山木を初めとした衣笠の全搭乗員が一丸となって「おう!」と応えたのだった。



 合衆国海軍潜水艦部隊の襲撃を受け、旗艦足柄と青葉を撃沈させられた第三艦隊であったが、その立ち直りは早かった。
 青葉沈没から二〇分後には周辺の海域から潜水艦を掃除しつくしたほどであった。
 だが合衆国潜水艦部隊も果敢であり、駆逐艦相手に一歩も退かず、軽巡球磨と駆逐艦四隻を道連れとしたのであった。
「潜水艦八隻を撃沈か………。だがこちらも重巡二隻に軽巡一隻、駆逐艦四隻を失ってしまったか………」
 沢が激闘を感じさせないほどに穏やかに凪ぐようになった波間をボンヤリと眺めながら呟いた。
 沢はふと波間の彼方に何かが光ったのを感じた。そのことを見張り員に尋ねようとした時、見張り員の方が先に怒鳴った。
「二時方向に敵艦隊! 畜生、アメリカのアジア艦隊か!!」
「な………」
 見張り員の報告に表情をこわばらせる山木たち。しかし沢は素早く次の指示を打った。
「とにかく砲雷撃戦の用意だ。………今や彼我の戦力は同数か我が方が劣勢とまでなって、さらに潜水艦狩りのために隊列はバラバラになったままだ。辛い戦いになるぞ、これは………」



 合衆国海軍アジア艦隊の旗艦はバルチモア級重巡洋艦のキャンベラであった。
 イーニアス・ガーディナー大統領の提唱した新時代大艦隊整備計画「ニュー・ダニエルズ計画」の一角で建造された重巡洋艦で、主砲は在来の重巡と遜色のない八インチ砲(二〇センチ砲)が九門であるが、船体が大型化したために副砲としての五インチ(一二.七センチ)両用砲が増加、対空機関砲も増設されている。
 そのキャンベラを先頭に続くのはバルチモア級重巡洋艦より一回り小さな巡洋艦二隻であった。
 この二隻は軽巡洋艦クリーブランド級である。軽巡洋艦で、バルチモアより小さいといえども第三艦隊の主力であった青葉級重巡洋艦とほぼ同サイズの大きさを誇っていた。六インチ(一五センチ)砲を一二門も備えており、総合的な火力は重巡洋艦と比しても同等、いや、それ以上であるとも言われていた。
 この三隻の巡洋艦を主軸としてアジア艦隊は第三艦隊に襲いかかったのであった。
 旗艦をやられ、さらに合衆国の潜水艦の攻撃で隊列を乱していた第三艦隊は個艦単位での反撃を行わざるを得なかった。
 この砲撃戦で最初に被弾したのは重巡洋艦加古であった。加古に突き刺さった六インチ砲弾を放ったのはクリーブランド級巡洋艦バーミングハムであった。六インチ砲弾は加古の第二砲塔の装甲を穿ちぬくことはできなかったが、跳ねた砲弾は加古の高角砲と対空機銃を薙ぎ払い、その場を鉄くず置き場へと変貌させたのだった。
 加古もお返しだとばかりに二〇センチ砲を轟かせる。だが加古の反撃は虚しく水柱を立てるのみであった。
 手負いの加古に追い討ちをかけたのはキャンベラであった。キャンベラの八インチ砲弾は加古の第三砲塔の付け根に命中し、バーベットを歪ませ砲塔の旋回を不可能とした。加古は砲戦能力の三分の一をいきなり失ったのだった。
「加古を援護する! 取り舵!!」
 沢の号令が飛ぶ。しかしそうはさせじとクリーブランド級巡洋艦サンタ・フェの六インチ砲が衣笠を狙う。
 衣笠はサンタ・フェを先に排除する必要に迫られたのだった。
 衣笠とサンタ・フェの戦いで先に命中弾をだしたのは衣笠であった。衣笠の二〇センチ砲弾がサンタ・フェの横腹をえぐる。だがその反撃も素早かった。サンタ・フェの放った六インチ砲弾が衣笠の艦尾に命中したのであった。
「被害報告!」
 沢は被弾で揺れた衣笠艦橋にありながら二本の足で立ち続けていた。艦橋にいた者たちはその姿を眩しそうに見つめていた。
「艦尾に火災発生! 消火班を出します!」
「火災か………早く消すようにしてくれよ」
 弾薬庫に引火でもされてはかなわん………。
「艦長」
 山木が沢に申し出る。
「俺が消火班の指揮を執ってきましょうか?」
 火を一刻も早く消さなければならない時、一番必要とされるのは火を恐れないほどに高い士気であろう。自他共に認める直進的性格の山木は確かにうってつけの人材ではあった。
「よし、わかった。頼むぞ、副長」
「宜候」
 山木は茶目っ気を多分に含めて艦橋を駆け出た。



 艦橋を出て艦尾まで駆けつけた山木は消火班の陣頭で消化の指揮を執っていた。
 勿論、その間もサンタ・フェの放つ砲弾は飛んできており、衣笠のすぐそばに水柱をたてたり、時には衣笠に命中して衣笠を大きく揺さぶった。それでも山木は恐怖を克服する………というより恐怖を忘れるほどの熱心さで火災の炎と立ち向かっていた。
「副長、あれ見て!」
 水兵の指差す先に目をやった山木は、衣笠を狙っていたサンタ・フェが激しい炎に包まれて落城するのを目撃した。幾度も浴びせられた二〇センチ砲弾はサンタ・フェの浮力を確実に奪っていたのだった。
「やったぜ!」
 山木はゆっくりと横倒しに沈んでいくサンタ・フェを見て思わずガッツポーズ。そして艦尾の火災も今まさに鎮火しようとしていた。
「これで巡洋艦の数は三対三から三対二になるな………。何とか勝てそうかな」
 山木がそう呟いた時、巡洋艦バーミングハムの放った一弾が衣笠の艦橋に命中したのであった。
「え………?」
 艦橋に張られていた防弾ガラスも六インチ砲弾相手には何の意味もなさない。キラキラと光を反射しながら雪のように舞い散るばかりであった。山木は幻想的ですらある光景を呆然としながら眺めるだけであった。艦橋に大きな穴が開き、その破片が山木の頬を掠めて赤い痕を残す。山木はその血を拭おうともせず、立ちつくすばかりであった。だが数瞬の間を置いて我に返った山木は大慌てで艦橋に向かって走り出したのであった。
 六インチ砲弾が跳ね回った衣笠艦橋は、山木の知る光景とはまったく違ったモノになっていた。艦橋に戻った山木は自分が異世界に迷い込んだのではないかと錯覚したほどであった。
「艦長! 艦長、ご無事ですか!? 艦長!!」
 山木が呼びかけても返事はない。いや、そもそも人影すらどこにもなかった。壁面に本来なら人の体内にあるべきモノや人の輪郭を形成していたモノがぶちまけられており、六インチ砲弾が人を殺すのに如何に過剰なまでの破壊力を持っているかが伺えた。
「………クッ」
 山木は床に膝をつき、嗚咽を漏らす。
「か、艦長………」
 沢の求心力、そして判断力………。沢 正雄という一個人のすべてが今の帝国海軍にとって欠かせない宝物であったはずなのに。
 消火班を率いるために艦橋を出ており、おかげで自分の命は助かった山木であったが、自らの幸運を喜ぶよりも先に沢を喪ったことを嘆く気持ちの方が大きかった。そしてそういった山木の心情は一方向に向かって濁流となって動き始めた。
「野郎………絶対に許さねぇからな!」
 山木は水平線上の合衆国アジア艦隊をキッと睨みすえる。山木は伝声管に向かって怒鳴る。
「俺だ、副長の山木だ!」
 山木の声が伝声管を通して衣笠全艦に響き渡る。
「さっきの被弾で………艦長は死んじまった。繰り返す、艦長は、さっきの被弾で死んじまった!」
 山木の口から尊敬する艦長の死を知らされた衣笠の乗員は口々に動揺を言の葉にのせる。だがその動揺は山木の一喝で退場を命じられた。
「うろたえるな! 衣笠の指揮は、俺が継ぐ! 艦長には絶対に及びはしない俺だが、それでも艦長の仇だけは必ずとってやるつもりだ………そうでなけりゃ、そうでなきゃ艦長に顔向けできねぇからな!!」
「副長………」
「お前ら、艦長の弔い合戦だ! 靖国で、艦長に大手を振って会えるよう、一歩も退くんじゃねぇぞ!!」
 山木の言葉は衣笠全乗組員の心を打った。余計な飾りなど一切無い、山木の魂から直接漏れ出た本音の言葉であった。この言葉に魂が震えなければ漢ではない。
 衣笠の士気は爆発的に上昇し、この乱戦に更なる熱気を持って飛び込んでいくのであった。
 後の名艦長山木 竜馬の戦争はこうして始まったのであった。


フィリピン沖海戦

 一九四〇年一二月一二日に起こった大日本帝国海軍とアメリカ合衆国海軍による海戦の総称。
 合衆国海軍太平洋艦隊は主力をハワイに置き、それを動かそうともしなかった。
 そのために大日本帝国海軍も主力を動かすことは出来ず、フィリピンの攻略は補助艦艇を主力として行わざるを得なかった。
 後知恵ではあるが、その帝国海軍の慎重こそが合衆国海軍の狙いであったのは周知の通りだ。
 合衆国は日本の暗号解読に成功しており、日本海軍の動向は完璧に把握していたと言う。そのために潜水艦を的確に配置でき、合衆国潜水艦部隊の集団雷撃で旗艦足柄を始めとする艦隊の主戦力を沈められた帝国海軍第三艦隊は、本来ならば寡兵であるはずの合衆国アジア艦隊とほぼ同戦力で隊列の乱れたまま戦うことを強要された。
 作戦面での帝国海軍は後手に回ってばかりであった。
 しかしその逆境をひっくり返したのは重巡洋艦 衣笠の吶喊であった。艦長である沢 正雄大佐(死後中将に特進)を失っていた衣笠であったが、副長の山木 竜馬の激励によって復活を遂げ、アジア艦隊旗艦バルチモアを雷撃で撃沈し、さらに駆逐艦三隻をたいらげて第三艦隊の窮地を救ったのであった。
 衣笠の奮闘によって何とか持ち直した第三艦隊はアジア艦隊を駆逐することに成功したが、それでも重巡足柄、青葉、古鷹(砲撃戦で沈没)、軽巡球磨、駆逐艦七隻を失うこととなる。
 この緒戦での補助艦艇の大量喪失は後の戦況に大きな影響を残すことになるが、帝国海軍は山木 竜馬を表に出すことでその批判から逃れることには成功した。


次回予告

 国境を越え、轍を残してカナダの大地を進む合衆国陸軍。
 その戦力と物量はオルレアン同盟軍を大きく上回っている。
 同盟はこの戦況に対抗するため、最高のスタッフを揃えた!

次回、戦争War時代Age
第四章「カナダの戦い<1>」


純白の雪原に紅い華


第二章「ビスマルク、征く!」

第四章「カナダの戦い<1>」

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