ある冬の日の昼。太陽が真南に昇ろうとするころ。
 四人の小学生のグループが、仲良く家路についていた。
「今度の冬休みにお前、どこか行く予定あるか?」
 見るからに活発そうな男の子が、唐突に口を開いた。
「え? 今度の冬休み?」
 大人しそうな男の子は、友人の唐突な話の切り出しに戸惑った様子だ。
「そう。どっか行く予定は無いのかよ?」
「うぅん………まだ決まってないよ」
「レイカんチは?」
「うちもまだ決まってないみたい」
「そっか。じゃ、高橋ん家はどっか行くのか?」
 活発な男の子は、最後にすぐ傍にいた女の子に振った。
 高橋と呼ばれた女の子の髪は肩にかかる程度に伸ばされており、よく切りそろえられていて、そして黒いぬばたまの色。
 高橋は大人しい少女であった。いつも人より一歩遅れた所を、おずおずと歩いている。そんな少女であった。
 彼女は消え入りそうなほど小さな声で、「お祖父ちゃんが、ウチ来るの」と答えた。
 たったそれだけのことを言うだけで恥ずかしがり、小さくなる。
 活発な男の子は高橋のそんな所が嫌いではなかった。
 自分でもわからないほどほのかに頬を染めながら、活発な男の子は話を前に進めた。
「ヘヘェーン。実は俺んチ、明日からスキー行くんだぜ! 一週間ほど」
 活発な男の子が、立てた親指を自分に向けながら、言った。
「スキー? 私、やったことないわ。面白いの?」
 レイカが興味津々に尋ねた。
「当たり前さ。上級コースとか滑ると凄く楽しいぜ」
「いいなぁ………僕も行きたいよぉ」
「ヘヘヘ。ま、お土産は買ってきてやるから安心しろよ」
「………ねぇ、あっちゃん」
 今まで黙ってみんなの話を聞いていた高橋が口を開いた。なお、「あっちゃん」とは活発な男の子のことである。
「ん?」
「………スキー、何で行くの?」
「あぁ、お父さんの車! お父さん、最近新しい車買ったんだぜ。凄く速い車なんだ!」
 あっちゃんが自慢げに話す。
 しかし対照的に高橋の顔は青ざめていった。
「車………」
「あぁ、そういえば高橋、車苦手だっけ」
「秋の遠足の時も、ずっと気分が悪いっていってたもんね」
「まぁ、俺は車好きだから大丈夫さ。心配してくれてありがとな」
「あ、コイツ赤くなってる〜!」
「やっぱりあっちゃんは高橋さんのこと好きなんだ〜!!」
「バ、そ、そんなんじゃねぇよ!!」
 はやし立てる二人と否定するあっちゃん。しかしあっちゃんの顔は否定すればするほど赤く染まり、説得力は薄れていくばかりであった。
「あ、あの………」
 高橋は三人の騒がしさから少し阻害された形となった。元が大人しい少女だけに、彼女は三人の話の間に入り込むことができなかった。
 そしてその日はそのままあっちゃんが、すぐに家に帰って支度をするんだ、ということで解散となった。
 あっちゃんが旅行に出かけているのは一週間ほど。
 誰もが一週間後の再開を楽しみにしていた。
 この物語の主人公である高橋 木葉を除いては。


 時に一九八〇年一二月二三日のことであった。

軍神の御剣J-SIDE
第四話「運命の子」


 世界初の、海を埋め立てた人工島に作られた空港である関西国際空港。
 その世界初の二四時間発着可能な空港に一機のジャンボジェットが降り立った。
(あの飛行機にお祖父ちゃんたちが乗っているんだ)
 木葉は空港の展望場から巨人旅客機の着陸を眺めながら、久しぶりの再会に胸を膨らませた。
 ところで祖父母である高橋 柳也、裏葉夫妻と木葉とは直接の血のつながりは無いそうだった。しかし木葉の母である神奈はこの高橋夫妻の養子となり、高橋 神奈となっていた。故に木葉の祖父母である。
 そしてたとえ血の繋がりが無くとも、木葉は優しい祖父母が好きであった。
 手続き等で二〇分ほど時を流してから、木葉はゲート奥に大好きな祖父母を見つけた。
「おぉ、木葉ちゃん。しばらくお邪魔するよ」
 柳也はそう言って木葉の頭を優しく撫でてくれた。すでに年齢は八〇を超え、さすがに老いを感じさせているが、それでもボケることもなく、しっかりと自立していた。
「久しぶりじゃ、柳也殿!」
 すでに一児の母であるにも関わらず、昔の、そう、高橋夫妻の養子として健やかに育っていたあの頃のように、高橋夫妻に手を振ったのは木葉の母である神奈であった。
 さるやんごとない血筋を引くせいなのかどうかはわからないが、彼女は独特の口調をしており、それは未だに改まらない――いや、改めようともしない。
「神奈さまもお変わりないですね」
 柳也の背後から、すっと登場したのは柳也の妻である裏葉であった。彼女は柳也と対して年は変わらないはずなのだが………
(………何でお祖母ちゃんはお祖父ちゃんより一回り以上は若く見えるんだろう?)
 木葉などはそう思って首をひねるものであった。だが高橋家で長い間暮らしてきた神奈にとって、その件は疑問にならなかった。彼女にとっては「そういうもの」なのだろう。
「まぁ、ゆっくりしていけ。歓迎するのじゃ」
 そう言って神奈はニコリと笑った。子供の頃からまったく変わらない、純粋でキレイな笑みであった。



 高橋 柳也・裏葉夫妻の名前は大日本帝国の政治史において見受けることができた。
 といっても当時野党であった政友会所属であるために、大日本帝国史に残るようなハデな功績は無い。
 ただ彼の行動でもっとも著名なのは日米戦争初頭に発生した「浦賀水道タンカー撃沈事件」であった。
 詳細の解説は他の機会に譲るが、とにかく柳也はこの事件の調査を率先して行い、運輸省と海運業者との癒着を暴いた。
 時期が時期なだけに「挙国一致体制に歪を作るつもりか!」と非難されたことも一度ではなかったが、彼はそんな声にもめげずに悪を暴ききった。
 その一件で彼は戦時下という非常時でも野党の姿勢を貫き通した。その後も与党の非はどんな些細なことでも見逃さなかった。もっとも彼は与党の非以上に身内の非に厳しかったという一面も持っていたが。
 そして裏葉は柳也の妻として、献身的に彼を支え続けた。故に一部の女性解放運動者からは叩かれていた事もあるが、彼女の存在が柳也の政治家の職務遂行に大きな役割を果たしていたのは確実であった。彼女の存在無くば大日本帝国の民主主義の精神は腐臭を放っていたかもしれなかった。彼女は決して表には出ない、まさに影の功労者であった。
 そして日米戦争後、二人は同戦争の激戦地であったマリアナ諸島に移り住んだ。
 日本軍の徹底した艦砲射撃で黙示録的光景となっていたマリアナ諸島。二人がわざわざそこに移り住んだのは、そこが二人の三人の息子の魂の眠る場所であるからだった………



 木葉の母である神奈の辞書にストーブという文字は無かった。
 暖房器具は、居間に古ぼけた火鉢が一台あるのみ。
 しかし火鉢の灰の下の炭火による暖は優しく私たちを暖めてくれる。電化製品頼みの都会人には絶対にわからない暖かさがそこにはあった。
 そして木葉はこの火鉢が好きであった。
「お餅を焼くのじゃ♪」
 そう言うと神奈は火鉢の上に網を載せ、そして網の上に餅を置く。それがこの日の高橋家の三時のおやつであった。炭火によって膨れ上がる餅は見ていて楽しい。木葉は海苔と醤油をそれぞれの手に持ちながら、餅がよい具合に膨れ上がるのを待つ。神奈は料理どころか家事全般がからっきしダメであり、木葉の父と木葉自身がフォローしてやらなければならなかった。
「では神奈さま、晩御飯は何になさいますか?」
「鍋じゃ! みんなで食べれる鍋がいい!」
「はい。では、お任せあれ」
(………久しぶりにおばあちゃんの料理が食べれるのは嬉しいけど。お母さん、ちょっとは料理覚えた方が………)
 自分たちがいなかったら母はマトモに日常を送ることもできないなぁ。そんなことを考える木葉であった。
「そういえばお父さんはいつから冬休みだい?」
「………あさって」
「そうか。お父さんもお仕事があるもんなぁ」
 柳也はそう言うと木葉の頭を撫でた。
 木葉がふと窓の外を見ると、雪がちらつき始めていた。
「あぁ、そういえば今日からしばらく雪と飛行機のアナウンスも言ってたなぁ………どれくらい降るんだったかな?」
 柳也はそう言うと腰を上げ、テレビをつける。
 型が古いというのもあるのだが、木葉の父はテレビのリモコンというものに疑問を抱いていた。健康な身体を持つのだから、チャンネルくらいは自分で換えに行かなければならないとすら思っていた。
 しかしあいにくなことにその時間帯では天気予報は放送されていなかった。
「ありゃ? 天気予報はやってないのかな?」
 柳也は次々とチャンネルを換える。
 するとあるチャンネルは交通事故のニュースを報じていた。
 何でも雪道で、スピードを出していた車がスリップし、ガードレールに激しく衝突したのだそうだ。
「………あら、怖いねぇ」
 柳也はチャンネルをそのままにした。ニュースの最後には天気予報がある。そういう打算に基づいて。
『………そしてこの車を運転していた西野 靖弘さん、妻の美津代さん、長男の敦君がほぼ即死状態で死亡………』
 特に美人というわけでもない、特徴の無い顔をした女性アナウンサーが淡々と事実を語る。
 そして木葉は犠牲者の名前を知っていた。
「………あっちゃん………」
 西野 敦。敦だからあっちゃん。
 木葉の顔は真っ青であった。
「ん? どうしたんだ、木葉ちゃん………」
 柳也が、急に青ざめて震えだした木葉の異変に気付き、心配そうに声をかけた。
 しかしその声は木葉には聞こえていなかった。
 木葉はショックのあまり、気を失い、床に倒れたのだった。



 ………木葉は不思議な夢を見ていた。
 木葉は確かに大阪の大地に立っていた。見慣れた町並みとは大きくかけ離れているが、そこは大阪のはずだった。
 だってあそこに倒れているのは通天閣だもの。
 しかしここが大阪だとすると、この周囲の異常は何なのだろう。
 木葉はそう思いながら周囲を見回した。
 木葉の周囲は瓦礫と、炎と………鋼鉄の巨人であった。鋼鉄の巨人は銃火をきらめかせながら、何の罪も無い人間たちを撃ち殺していた。
「や………」
 炎に照り返される鋼鉄の巨人。その姿は………
 木葉は恐怖にすくみながらも叫ばざるをえなかった。
「やめてェーッ!!」
 木葉の叫びに一瞬であるが鋼鉄の巨人の動きが止まった。木葉は巨人が自分の言葉を聞いてくれたのだと思い、安堵の息を吐いた。
 しかしそれは誤解であった。
 鋼鉄の巨人は照準を木葉に変えただけであった。鋼鉄の巨人が、握り締めていた巨大なマシンガンを木葉に向ける。
 鋼鉄の巨人の眼と思われる部位が不気味に光る。
 そして続いて銃口が火を噴き………



「………キャアアアーッ!!」
 木葉は自分の悲鳴によって目を覚ました。そして彼女は自分が布団の中で寝ていることに気付く。額には水で冷やされたタオルが載せられていた。
「あぁ、よかった………心配したんじゃぞ、木葉ぁ」
 神奈が木葉を優しく抱きしめた。母の胸の中は温かかった。あの地獄のような光景とは対照的だった。
「お母さん………?」
 木葉は神奈の手に、まるでその手が実像であることを確かめるかのように、慎重に触れた。そして確かに触れることができた。
 木葉はあれが夢であると初めて実感できた。そして安心感から神奈の胸で泣きじゃくった。
 しかし彼女の中の、冷静な部分はこう警鐘を鳴らしていた。
 あの光景は夢ではない。
 かといって現実でもない。
 ただ近い将来の像なのだ、と………



 木葉は夜には布団からでることができた。
 ただ食欲がすぐれなかったので、裏葉の手料理を少ししか食べれなかったのが木葉にも、裏葉にも残念であった。
 そしてその日の夕食の後、裏葉は木葉を散歩に連れ出した。
 雪はすでに止み、空には星々のきらめきが見えていた。
 吸い込まれそうなくらいに綺麗な夜空であった。
「………木葉」
 裏葉は重々しい口調で切り出した。
「貴方は今年で一〇歳になりました。まだ少し早いかもしれませんが、自分の運命を知ってもよいでしょう」
「運命………?」
 運命。
 絵物語ならともかくとして、平凡な生活を送る木葉には縁の無い言葉のはずだった。
 何故お祖母ちゃんはそんな言葉を使うのだろう?
「そう、これは運命です」
 裏葉はそう断じて続ける。
「………今日、貴方のお友達が事故死しましたね」
「はい………」
「貴方はその子に何かしらの忠告をした………違うかしら?」
「……………」
 木葉は言葉も無く頷いた。
 確かにあっちゃんに気をつけて、と言った。でもそのことを知っているのはあの四人だけのはず………
「私は、この世界のすべてを知っていますから」
 裏葉はサラリと告げた。
「え………何を………」
「そして貴方にもその能力はあるはずです」
「……………」
 木葉は何も言えなかった。
 確かにあっちゃんの未来に不安を覚えたのは事実だった。だけど………
「今までは暮らしやすいように、暗示をかけておいたのですが………」
 裏葉は悲しそうな眼をした。
「暗示の鎖が解け、すべてを知るようになったのでしょうね」
「暗示の鎖………」
「そうです。そして説けた理由も私にはわかります」
「……………」
「今まで、私たちと同じ能力を持つ人は沢山いました。そしてみんな、この世界の終末を知っていました」
 世界の終末。
 木葉の脳裏にあの地獄が甦る。
「ですが言ってしまえばその終末は、今までの能力者には無関係でした。何故ならばその日まで生きていないから………」
「……………」
「………木葉。私は貴方に同情します。おそらくは貴方が最後の能力者となるでしょう………能力者は各時代に一人か二人程度しか存在しないものですから」
「……………」
 悪い予感に打ち震える木葉。
 しかし裏葉は冷たく言い放った。
「木葉、貴方の見た夢は、おそらくは事実でしょう。私も、自分の知ることの、ことごとくが現実になるのを見てきましたから。その経験上、私たちの見てきた終末も事実になるでしょう」
「………お祖母ちゃん、その未来、変えれないの?」
「………今までの例で言えば、不可能です。日米戦争も、二度にわたる国共内戦も、ベトナム戦争も………さらにいえば三人の息子たちも。すべてわかっていながら止めれませんでしたから」
「そんな………」
「でもね、木葉。一つ昔話をしてあげましょう」
「?」
 裏葉は夜空を見上げる。
「昔、日本とアメリカが戦争をしていた頃………私のお友達に李 紅蘭という方がいました。知ってますか?」
 コクリ。
 木葉も話には聞いたことがある。女優 李 紅蘭。大日本帝国が誇る女優でありながら、その終わりは決して幸福なものではなかったと聞いていた。
「彼女の愛した人は、避けようの無い未来と対峙した時も一歩も逃げようとしませんでした。彼は最後まで大和に残り、そして帰りませんでした」
「……………」
「逃げるのは簡単でしょう。でも無益な抵抗でも、何もしないよりははるかにマシだと私は思います」
 たとえそれがどれほど残酷な運命でも。
「……………」
 木葉は口を開くものの、言葉が紡げなかった。
 一体私に何ができるのだろう。
 すべてを知りながら、何一つ変えることができない私に。
 そう思うと木葉の喉は言葉を紡ぐことを拒否した。
「あ、それからね、木葉」
「?」
「貴方一人で抱え込む必要もないですよ。たとえばお祖父さん。あの人は未来が見えることを含めて私を愛してくださいました。そういうこともありますよ」
「……………」
「まぁ、私が言いたかったことは以上です、木葉。後は自分で決めなさい」
「私………」
「容易に結論が出るものでもないでしょう。それはわかっています。だから木葉、貴方もゆっくりと考えなさい」
 裏葉はそう言って、自嘲気味に笑った。
「貴方には、生きるには短くても、考えるには十分なほどの時間が残されていますから」


第三話「太平洋を分かつ者」

第五話「人が人を超えた時」

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