軍神の御剣・J−SIDE
第一話「日本の日常1983」


 一九八三年四月三日。
 大日本帝国首都大阪。
 大阪の冬はそれほど厳しくない。雪が降ることなど稀でしかない。
 冬が厳しくないと春のありがたみが薄くなるのではないだろうか?
 そうなってもおかしくはないだろうが、それでも春というのは嬉しい。たとえ夏の次に春が訪れても人々はその訪れを祝うだろう。
 その日、大阪の桜は全域で満開。さらに曜日は日曜。
 この日の大阪はあちこちで花見客の群れが観測できた。



 大阪の某所にある喫茶店「猫の目」。
 この喫茶店は美人三姉妹が経営していることで(一部の通の間では)有名であった。
 この喫茶店の窓からも満開の桜が拝める。
「いやぁ、見事な桜ですねぇ、瀬良さん」
 これこそが風流だ、とでもいいたげに窓の外の桜を眺める男。
 男の髪は金色で、目は青かった。
 彼の名前はバルタザール・サフト。国籍はドイツ人。
 まったくよく言うよ………
 バルタザールに正対する席でコーヒーをすすりながら日本人、瀬良 洋平は内心で呟いた。
 瀬良はバルタザールの正体を知っている。
 そもそもバルタザールは本名ではない。本名はマカール・コタヴィッチ。本当の国籍はソビエト社会主義共和国連邦。
 窓の外の桜を、呑気な表情で見ているバルタザールの本当の正体。
 それはソ連が日本に送り込んだスパイであった。
 スパイの任務は単純明快。
 要は「敵国に侵入して情報を盗み取れ」である。
 マカールは日本の情報を探るためにソ連からはるばるこっちの国にやってきたのだ。しかし外見から彼がスパイだと判断できる者などいやしないだろう。マカールはどう見ても日本かぶれの変な外人にしか見えず、ジェームズ・ボンドのような切れ者には見えないのだ。どう見ても痴れ者であった。
 だがこういう猫の皮をダース単位で着込んでいる奴こそが真のスパイなんだろうな。
 瀬良はそう思わざるを得ない。
 瀬良の職業は公僕である。より正確には大日本帝国統合作戦本部第一三課勤務。
 第一三課。またの名を『アポステル13』。
 かつての日米戦争の際に海軍軍令部に設置された情報収集機関である。日米戦後、新たに新設された統合作戦本部に新たに組み込まれ、そのまま現在に至る大日本帝国が誇る究極の情報機関である。
 ただし今の瀬良は第一三課勤務の他にもう一つ仕事がある。
 それはソ連のスパイであるマカールに情報を提供すること。瀬良は二重スパイなのだ。
「ところでサフト」
 瀬良はマカールが背に置いている荷物に興味を魅かれた。それは紙袋で、中にはどうも五〇センチ×三〇センチ×一〇センチほどの直方体の箱が入っているようだった。
「ん? あぁ、これですか?」
 マカールは自慢げに紙袋から箱を取り出す。
 その箱には「DX」やら「超合金」やらの文字。要するにおもちゃであった。
「今日発売だったんですよ。これがおもちゃ屋の最後の一つでした。いや、危なかった。危うく買えない所でしたよ」
 それは今、この大日本帝国で絶大な人気を誇っている子供向けテレビ番組の主人公たちが乗り込むロボットのおもちゃであった。
 その番組は俗に「戦隊モノ」と呼ばれている分類である。そしてその番組名は………
「ちょっと待て。お前、一応はロシア人だろ?」
 誰にも聞こえないような小さな声でマカールに囁く瀬良。
「いやいや面白さに国境はありません。これは事実です」
 マカールが買ってきていたロボットの名前は「大日本ロボット」。
 今、大日本帝国では「愛國戦隊 大日本」という番組が流行っている。
 内容?
 五人の愛国者「大日本」が世界を共産化しようとたくらむ悪の組織「レッドベア」と戦う。そんな内容。
 元々は政府のプロパガンダ放送の一環として製作されたそうだが………プロパガンダとしては最低の出来であった。あまりに露骨すぎるのだ、プロパガンダの内容が。
 だが露骨過ぎるが故に話は単純明快。おまけに作り手が天才としかいいようのない才能の持ち主。確かアンノとか言ったっけか? ソイツが「露骨なプロパガンダ」を「誰でも楽しめる一級の娯楽作品」に仕立て上げたのだった。
 もっとも瀬良の眼には「愛國戦隊 大日本」は充分なプロパガンダとして映るが。あれだけ露骨に国粋主義を前面に押し出しているのだ。あれは一種の反政府プロパガンダに繋がるともいえる。もっとも瀬良の考えすぎなのかもしれないが。
 まぁ、それはあくまで閑話にすぎない。
 今、ここでは「愛國戦隊 大日本」という番組が、大日本帝国で爆発的にウケていると理解していただければそれでいい。
「いや、日本は素晴らしいですな。私の祖国ではこんな素晴らしい作品は作れません。尊敬します」
 そりゃあんたの国でそんな作品作ったらシベリア行きの誓約書を書くようなもんだ。
「………今までいろんなスパイを見てきたが、そんな大胆なカバーをしてる奴は始めてみたよ」
 カバーというのは自分がスパイであることを隠すための擬装のことである。
「いや、私は純粋に面白いと思いますがね?」
「………言ってろ」
 瀬良は呆れ気味に煙草を取り出し、咥えて火をつける。
 紫煙が瀬良の肺を満たす。
「じゃ、そろそろビジネスの話といきましょうか、サフト」
「ヤボール」
 本当は全然知らないドイツ語で返事するマカール。
「甲止力研究所は知ってるな?」
「ヤーヤー。ヤパンの陸軍の装備を開発してる所ですね?」
「そう。そこが今度アメリカのアルタネイティブ社と合同でPA開発にあたるらしい」
「ふぅん」
 素っ気無い返事を返すマカール。彼の興味は自分が買ってきた「DX超合金 大日本ロボ」に向けられていた。
「今日はそれだけだ」
「………で、瀬良」
「?」
「その情報は何月号の球に載るんですか?」
 マカールがそう言った瞬間の瀬良の表情は見物であった。
 球とは大日本帝国の軍事雑誌の名前である。
「な、何を………」
「隠す必要はないですよ。私、すべて知ってましたから」
 瀬良は背中と衣服が冷や汗で張り付く感覚を覚えた。
「まぁ、貴方にとっては二重スパイごっこですからね。お小遣い稼ぎの」
「…………」
「いやいや、気持ちはわかりますよ、瀬良さん。ヘルスのおねーちゃんと交際を深めるのはお金がかかるのでしょう?」
「そ、そこまで知って………」
「はぁ。私も一応は情報扱う職業ですんで」
 瀬良はガクリと肩を落とす。
「………俺をどうするんだ?」
「コンクリ積めて大阪湾に沈めて欲しいですか?」
 瀬良の表情が強張るのをマカールは楽しそうに見ていた。
「冗談ですよ、瀬良。安心して下さい。貴方にはちゃんと情報提供料を払いますから」
 マカールはそう言った。その言葉を聞いた瞬間、瀬良の表情に血の気が戻る。
「し、しかし何故だ………」
 すぐに市井に漏らされる情報であると知っているのにいつも通りに金を支払うとマカールは言う。瀬良にはわからなかった。
「貴方と私は友達ですから。それに貴方に金を支払うのは私じゃありません。私のじゃなければどうなっても別にいいです………おっと今の発言は祖国にはナイショですよ?」
 マカールは瀬良に自ら失言を提出する。瀬良はその気になればマカールをソ連に売り、自分の立場の安全を図ることもできるようになった。
「………なるほど。貴方と私は真の友達になれたってわけか」
「ま、そういうことです。私は日本という異国にいる身。友達は一人でも多く欲しいですから」
「ヘッ………アンタにゃ敵わないな」
「まぁ、昔から言うじゃないですか。『トモダチなら当たり前〜』って」
 マカールのよくわからない言葉でその日の会合が締めくくられた。
 こうして二人は喫茶店「猫の目」を出る。
 二人にとって日常とはそういうモノだった。
 だがそう遠くない時に彼らは歴史を揺るがす事件に否応無しに巻き込まれることとなる。
 春風はそんなこと関係なく………大日本帝国に優しく、撫でるかのように吹いていた。


第二話「天空の城」

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