それはあまりに唐突な幕切れであった。
ある日、空から無数の星が降り注いだのだった。核弾頭を搭載した弾道弾ミサイルという名の流星が。
何が原因でそうなったのか………。今となってはわかるはずがない。
ただ言えることは、その日に人類の文明は終焉を迎えたということだけだった。
それこそが伝説の「大破壊」。
天を突き刺さんばかりにそびえ立っていたビルも、人の心の憩いの場であった公園も。
何もかもが壊された。



だが………人類は死滅してはいなかった!
わずかに残った人類は、大破壊に呼応するかのようにして姿を現したモンスターの影に怯えながらも、それでも生きることを止めようとはしなかった。
そんな人類の中でも特に逞しく生きようとする者がいた。
人を脅かすモンスターを倒し、その日の飯を食らう存在。
モンスターハンター。
人は逞しき彼らをそう称し、そして尊敬の眼差しを向けるのであった。

メタルマックス外伝
鋼の聖女
FULL METAL MARY

第一話「ボーイ・ミーツ・ガール」



 ………見渡す限りの荒野の只中に僕たちはいた。
 空には雲一つなく、照りつける日差しは遠くの景色を虚ろに揺らめかせる。
 強すぎる日差しを浴びて足元の砂は熱く焼けていた。僕の頬を伝わり落ちた汗が焼けた砂にジュッと弾ける。
 見渡す限りの荒野の中に、二台の車両と二人の人間がいた。二台の車両はそれぞれ銃火器を搭載しており、禍々しい雰囲気を放っていた。
「ヨハン、日なたにいると疲れるだけだぞ」
 ポリタンク容器に入っている水をコップに注ぎながら父さんは僕に言った。
 父さんの名はクレメント。一四歳の時にモンスターハンターの道を志して以来二〇年、両手両足の指の数より多くの賞金首を倒してきたベテランハンターだ。
「ほら、水だ」
 父さんはコップに注いだ水を僕に手渡す。僕は水を口に少しだけ含むとコップを父さんに返した。口の中を常に湿らせる程度の水分補給が一番疲労を伴わない適量である事を僕は知っていた。
 僕の名はヨハンで歳は一二歳と一一ヵ月になる。生まれた瞬間からハンターとして戦っていた父さんと旅を続けてきたために、年齢にそぐわないほど実戦経験を積んだ少年だと自負している。
「今日で三日になるけど………出ないね、父さん」
 僕は日差しよけのために開いているパラソルが作り出した影の中に入りながら言った。父さんは「運に恵まれなかったな」と肩をすくめながら僕の飲み残した水を飲んだ。
 今、僕たちはこの荒野に出没するというモンスターを倒すべくキャンプを張っている。モンスターなんてどこにでも出没するご時世だが、僕たちが倒そうとしているのはあまりの強力さ故に特別に多額の賞金がかけられたお尋ね者のモンスターであった。そのお尋ね者のモンスターを一体倒すだけで並のモンスターでは百体でも及ばないほどの大金が入手できたりする。
 今回、僕たちが狙っているのはキャメル・クルーザーと呼ばれる巨大なラクダの形をした完全自立型陸上巡洋艦のモンスターである。こぶの部分にVLSのサイロを搭載し、この荒野を荒らしまわっているモンスターだ。このキャメル・クルーザーが出没するのは町と町をまっすぐ線で結べる箇所、すなわち最短距離の途上であった。このキャメル・クルーザーを避けるためにトレーダーと呼ばれる流浪の商人たちはわざわざ遠回りをして商売をしなければならなかった。そのために燃料費や手間賃が割り増しになって物資の円滑な流通を阻害していた。だからこそこのキャメル・クルーザーに高額の賞金がかけられたのである。
 しかしキャメル・クルーザーを求めて荒野に入って三日、キャメル・クルーザーの影すら僕たちは見ることができないでいた。
「今日中に見つけられなかったら一旦町に戻らんとなぁ。水も食料も乏しくなってきた」
 父さんはそう言うと首に提げていた双眼鏡で遠くを覗き込んだ。そしてグルリと一回りしていたが、北北西の方向に視線が移った時、視線を移動させる事をやめた。父さんの視線を釘付けにする「何か」が北北西にあるのだろう。僕も双眼鏡を構えて北北西を見た。双眼鏡を通して僕の目に飛び込んできたのは砂塵を巻き上げて荒野を走る巨影だった。
「行くぞ、ヨハン!」
 父さんは僕の背中をポンと叩くとすぐ脇に停車させていた自らの愛車であるアイアン・ナイトに飛び乗った。僕も張っていたキャンプをたたむこともせずに自分の戦車であるリトル・ユニコーンに乗った。
 リトル・ユニコーンのCユニットの電源スイッチをパチンと弾く。リトル・ユニコーンの頭脳であるCユニットのウォズニアクSIの回路に電流が走り、ウォズニアクSIが起動する。ウォズニアクSIは僕の代わりにリトル・ユニコーンの各部点検を瞬時に済ませる。十数秒の合間を置いて、結果は問題なしオール・グリーンと判断された。ウォズニアクSIはいつでも出撃可能だとモニターを通じて僕に知らせる。
『ヨハン、先に行くぞ!』
 父さんは無線越しに僕にそういうとアイアン・ナイトを走らせ始めた。父さんのアイアン・ナイトに搭載されているエミーというCユニットの性能は僕のウォズニアクSIのそれをはるかに凌駕している。父さんのアイアン・ナイトの方が先に走り始めるのは当然の摂理だろう。アイアン・ナイトはキャタピラで地面を力強く叩きながら北北西に主砲を向けて前進し始める。
 僕も父さんに遅れまい、と操縦桿をしっかと握り締める。使い古した革の手袋は僕の手によく馴染んでいる。そして僕はアクセルに足をかけ、グッと押し込んだ。リトル・ユニコーンの心臓部であるチヨノフターボエンジンが鼓動を速め、リトル・ユニコーンの車軸を回転させる。その力はリトル・ユニコーンの転輪を動かし、キャタピラも動かす。その結果、僕のリトル・ユニコーンは前へと進み始めるのだ。
 父さんのアイアン・ナイトと僕のリトル・ユニコーン。二台の戦車が北北西を目指して進むのだった。



 ハンター親子の父、クレメントの戦車はアイアン・ナイトと呼ばれているが、それは愛称である。アイアン・ナイトのシャシー自体はタイプ61と呼ばれる大破壊の前よりさらに前の時代に使われていた戦車らしい。だがクレメントがこのタイプ61を見つけ、乗り始めてもう一〇年近い。損傷と修理と改造を繰り返すうちにタイプ61の面影は次第に薄れ、もはや傍目にはアイアン・ナイトとしか呼びようがないくらいに別物となっていた。当初は九〇ミリだった主砲も一二五ミリキャノン砲となり、副砲も一二.七ミリ.機銃だったのを一五ミリ機銃に付け替えている。何よりエンジンがV48ハルクという三八トンもの最大積載量を誇る大出力エンジンに換えられているのが最大の変化だろうか。
 アイアン・ナイトは大出力エンジンであるV48ハルクの生み出すパワーで転輪を高速に回転させ、北北西の彼方に見えた砂塵を目指していた。
 鉄の騎士を追うのはハンター親子の息子であるヨハンのリトル・ユニコーン。リトル・ユニコーンはモスキートとモンスターハンターに呼ばれるシャシーの戦車であった。大破壊の前にはヴィーゼル空挺戦闘車とも呼ばれていたらしいが、今の世界ではモスキートの方が通りはいい。その理由は不明であるが、そちらの方が通りがいいと言う事実は確かであった。
 リトル・ユニコーンはモスキートの特徴である小ぶりの砲塔に五五ミリ砲と七.七ミリ機銃を搭載し、チヨノフターボを心臓として動いている。アイアン・ナイトから比べたら何とも細くか弱い主砲であるが、軽戦車ならではの小回りのよさと最高速力の高さはリトル・ユニコーンの名に相応しかった。
 クレメントたちがキャメル・クルーザーと交戦状態に入ったのは北北西を目指して一五分ほど経過した時であった。クレメントらが追撃を開始してからすぐに交戦状態となったのは、自分に向かってまっすぐ突っ込んできている存在があることに気付いたキャメル・クルーザーが進路を自分に向かってくる敵に向けたからだった。
 そして先手を打ったのはキャメル・クルーザーだった。こぶから対地ミサイルをキャメル・クルーザーは放つ。対地ミサイルの射程はアイアン・ナイトの一二五ミリキャノン砲よりも長かった。当然、リトル・ユニコーンの五五ミリ砲でも届くはずがない。
 だがキャメル・クルーザーの放った対地ミサイルは、アイアン・ナイトの全身に張り巡らされている装甲タイルをはがすだけのダメージしか与えられなかった。ミサイルの爆発が起こした炎と爆煙を意ともせずに突き進むアイアン・ナイト。
「ふん、キャメル・クルーザーはどうやって動いているのかハンターオフィスの情報ではわからなかったが、ありゃホバー船て奴だな」
 クレメントはモニターにキャメル・クルーザーの拡大映像を映し出させて観察する。二つのこぶに擬装されたVLS発射菅の装甲は一番厚いんだろうな。ラクダの顔になっている艦首は近づく敵に噛み付いてくるのではなかろうか。よく見れば尻尾はガトリング砲になっているぞ………。クレメントはキャメル・クルーザーの構造をおおまかではあるが理解した。
 しかしクレメントはキャメル・クルーザーの観察に意識を集中させすぎてしまった。キャメル・クルーザーが放った第二弾は先ほど放たれた通常弾頭ではなかった。
「うおッ!?」
 第二弾もアイアン・ナイトに傷をつけることはなかったが、しかしアイアン・ナイトの足を封じることに成功していた。キャメル・クルーザーが放った第二弾の弾頭は凝固寸前のセメントが中に込められたセメント弾であったのだ。アイアン・ナイトの目前で自爆したセメント弾頭付ミサイルはアイアン・ナイトの各部にセメントを塗りつけ、ミサイル爆発の熱によって瞬間的に固まってアイアン・ナイトの転輪の回転を封じたのだった。こうなってはアイアン・ナイトは身動きが取れなくなってしまう。
「ク、クソッ!」
 クレメントはアクセルを強く踏みしめるがV48ハルクの超絶パワーを持ってしてもセメントを強引にははがせなかった。外に出てツルハシでセメントを砕いて転輪を自由にする必要があった。だがキャメル・クルーザーと対峙している状態で戦車を出るなど命知らずにも程があろう。
 しかしキャメル・クルーザーに砲撃が浴びせられる。爆発は小さなものであったが、それは確実にキャメル・クルーザーにダメージを与えていた。
『大丈夫、父さん?』
 無線機から息子の声が聞こえる。ヨハンはクレメントとキャメル・クルーザーが戦っている合間にキャメル・クルーザーに接近して砲撃を浴びせたのだった。
「無理はするな! お前リトル・ユニコーンの五五ミリ砲じゃ奴に致命傷を与えることはできん!!」
『わかってるって、父さん!』
 アイアン・ナイトのCユニット エミーはリトル・ユニコーンのウォズニアクSIから受信したデータを表示する。それを見たクレメントは相貌を崩して言った。
「まったく、頼りになる息子だよ。パパは幸せだぞ」
 セメント弾で固められたのは転輪だけで、砲塔より上は健在であったのでクレメントは主砲の発射スイッチを押した。一二五ミリキャノンが咆哮を上げて巨大な砲弾を放つ。それはキャメル・クルーザーには命中しなかったがアイアン・ナイトという脅威が未だ健在である事を示すには充分であった。キャメル・クルーザーは五五ミリ砲で立ち向かってくるリトル・ユニコーンよりもアイアン・ナイトを先に潰すことに決めた。アイアン・ナイトに次々とミサイルが降り注ぐ。アイアン・ナイトは動けないので防御に徹するが、アイアン・ナイトの装甲タイルは瞬く間に削り取られていく。
 戦況はキャメル・クルーザー優勢かと思われたが、キャメル・クルーザーは唐突にグラリと姿勢を傾けることになった。まっすぐ進めなくなったキャメル・クルーザーはふらふらとU字の航跡を描く。そうなった原因はリトル・ユニコーンの執拗な砲撃でキャメル・クルーザーの左舷側のエアクッションが破かれたためだった。バランスを崩してふらふらと進むキャメル・クルーザーの進路の先にはアイアン・ナイトの一二五ミリキャノン砲が向けられていた。そしてその未来位置は一二五ミリキャノン砲の射程距離に入っている。ヨハンは父を囮とすることでキャメル・クルーザーの進路を強引に定めさせたのだった。それがヨハンが送信した作戦案データの中身である。
「ま、アバヨと言ってやるよ」
 クレメントはそう言うと主砲発射スイッチをそっと押した。一二五ミリ砲が再び轟き、よく狙い定められた一二五ミリ砲弾はキャメル・クルーザーの眉間に深く突き刺さった。ラクダ型の頭部に制御システムを抱えていたキャメル・クルーザーはその一撃で活動を停止する。決着がついたのだった。
『やったね、父さん!』
「ああ、お前のおかげだよ、ヨハン」
 とりあえずキャメル・クルーザーを撃破したことの証拠としてキャメル・クルーザーの目玉でも頂いて、そして開きっぱなしのキャンプを閉じて………。そしたらヨハンの頭を撫でてやろう。自分の胸に抱き寄せながら髪がクシャクシャになるまで撫でてやろう。
 それがクレメントが父親として息子に与えられる最高の褒美だった。
 ピーピー
 不意にクレメントのBSコントローラーが電子音を鳴らす。BSコントローラーは大破壊を免れた衛星を使ったポケットコンピュータで、現在地の特定や通信、メモなどの記録まで幅広い用途を誇るモンスターハンターの必需品であった。クレメントは荷物袋に入れっぱなしのBSコントローラーを取り出すと、その液晶画面に目を向けて目を優しく細めた。
「懐かしいな………」



 辺境の地にあるカンビレの村は人口数十人程度の小さな集落だった。
 その小さな集落をクレメントとヨハンは訪れた。村の入り口に戦車を停めて二人は歩いて村の中心部を目指す。
「昔はもっと人がいたんだけどな」
 クレメントは辺りを見回しながら呟いた。
「父さんはこの村を知ってるの?」
 旅慣れている父は滅多なことでは珍しがらないのだが、今の父は確実にこのカンビレの村に興味を惹かれていた。そのことが気になったヨハンは尋ねてみることにした。
「ああ、ヨハンは知らなかったか? 父さんはこの村で生まれたんだ」
「え、そうなの?」
「一応、お前が生まれてからも帰ってきたことがあるんだけど………。それでももう一〇年以上前のことだからヨハンが覚えていないのも当然か」
 ここが父の生まれた場所なのか。そう思うとヨハンもこの寂れた村に興味がわいてきた。
 だが思い出の中のカンビレの村と今のカンビレの村ではまったくと言っていいほど異なっているのだろう。クレメントの眼はどこまでも寂しげだった。
 二人は一〇分ほど歩いて村の中心に出た。そこには井戸があったが、その井戸から水気は感じられなかった。
「なるほど。井戸の水が涸れちまったのか」
 井戸につるべ桶を落とし、そしてすくいあげようとしてみたが桶には一滴も水が入らなかった。クレメントは溜息混じりに髪を掻いた。
「水がなければ人間は生きていけない。みんな他の場所に移っていったのか」
「その通り。今もこの村に留まっているのは他の村に行くことができない老人ばかりということじゃ」
 クレメントとヨハンの背中から聞こえる声。ヨハンはとっさに身構えたが、クレメントはその声に覚えがあったので安心しきった顔で振り向いた。二人に声をかけたのは真っ白い髪の老人であった。足腰が悪いのか杖をついているが、意識はまだまだはっきりしているようだ。眼には確かな知性の光が見える。
「久しぶりじゃな、クレメント」
「こちらこそお久しぶりです、博士」
 父は老人の手を取るとしっかと握って再会を喜び合った。
「ところでそっちの子はヨハン君か?」
「ええ、もうすぐ一三歳になります」
 父が「博士」と呼んだ老人はヨハンの顔をまじまじと見ながら感嘆の声を漏らした。
「ほー。前に会った時はあんな小さかったのにな」
 老人は「まぁ、ここで立ち話も何だ」と言うと二人を自分の家へと案内したのだった。



 老人の家はコンクリート製でしっかりとした造りをしていた。大破壊の災厄を逃れた建物を家として使っているのだろう。だが何よりヨハンの目を引いたのは玄関前に「ミトロファン研究所」と掲げられていたことだった。
「ミトロファン研究所………?」
 老人は二人にソファーに座るように勧めた。ソファーはスプリングがヘタレていたが、戦車の硬いシートに比べれば雲泥の差であった。
「ああ、そういえば自己紹介がまだじゃったな」
 老人は二人に茶を出しながら気付いた。
「儂の名前はミトロファン。大破壊前の文明の研究をしておる」
「博士の研究のおかげで使えるようになった兵器は沢山ある。そしてその研究を広く世に広めたんだ。立派な科学者だよ」
 クレメントはそう言って補足した。
「まぁ、もう半ば引退状態じゃがね。ここいらじゃ研究材料になりそうなジャンクもない」
 ミトロファンはそう言うと寂しげに目を細めた。
「ところでメールの件ですが………」
 クレメントが話の本題に入ろうとする。クレメントのBSコントローラーにメールを送ったのはこのミトロファン博士なのだった。
「うむ。実はな、護衛をして欲しいんじゃ」
「護衛? そりゃまた一体………?」
「息子から連絡があってな」
「息子………? リカルドさんからですか!」
「息子」という単語を聞いたクレメントは思わず身を乗り出して尋ねた。ミトロファンは「うむ」と頷いた。
「リカルドさんが生きていたのか………」
 クレメントは乗り出していた身を引き、ソファーに座りなおしてその名を再び呟いた。
「父さん、リカルドさんって?」
「儂の息子で、クレメントにとってはハンターになるきっかけとなった男といった所かの」
 ミトロファンはそう言って笑った。
「補足すると、ハンターとして多くのモンスターを倒し、メカニックとしてそれ以上の戦車を修理した伝説的なモンスターハンターさ」
「へぇ………」
「ただ何年か前から完全に消息がわからなくなってて、ハンターオフィスでも死んだものと判断したと聞いていたが………」
「ふむ。ハンターオフィスでもそういわれておったのか」
「博士はご存じなかったのですか?」
「あの親不孝者は儂にも連絡を寄越さずに世界中をブラブラしておるからな」
 ミトロファンはそう言って肩をすくめた。
「そんな息子が最近、儂にメールしてきたんじゃ。『娘を連れて、ノーザン・ガーデンの町に来て欲しい』とな」
 ノーザン・ガーデン。このカンビレの村からはるか遠い北方の町だ。なるほど、護衛が欲しいのは当然だろう。クレメントはミトロファンがメールを送ってきたのも当然だと頷いた。
「本当なら儂が行けばいいのじゃが、年のせいか最近は杖が無いと歩くこともままならん。これじゃノーザン・ガーデンまで行くことは不可能なんでなぁ」
「なるほど。それで私たちに………」
 合点がいった様子で頷くクレメント。しかし一つだけ気にかかることがあった。
「ところで、博士。娘とは………?」
「ああ、知らんかったのか? マリィ、マリィや」
 ミトロファンは奥の台所を向いてマリィと呼んだ。少し間をおいて台所から姿を現したのはヨハンと同じくらいの年頃の少女だった。少女が手に持つ盆には甘い香りを漂わせるクッキーが盛り付けられた皿が載せられていた。
「ごめんなさい、クッキーを焼いていましたので」
 少女は出てくるのが少し遅れたことを謝るとクッキーが載っている皿をテーブルに置いた。
「さ、どうぞ」
「この子はリカルドの娘でマリィという。マリィ、こちらはリカルドの古い友人のクレメントさんとその息子のヨハン君だ。挨拶なさい」
「マリィと言います。よろしくお願いしますね」
 身を傾けた際に長い髪がふわっと揺れて、クッキーとはまた別の甘い香りがヨハンの鼻をくすぐった。美をつかさどる神の恩恵を一身に集めたかのように少女の顔立ちやスタイルは素晴らしかった。
「………あの、どうかしましたか?」
 マリィがヨハンの方を向いておずおずと尋ねた。自分でも気付かないうちにヨハンは少女の顔をじっと見つめていたようだ。少女にそう言われて初めて気付いたヨハンは顔を真っ赤にしてクッキーを一つ口に放り込んだ。
「ほぉ、こりゃ美味い」
 そう言ったのは先に一つ食べていたクレメントだった。マリィの焼いたクッキーは確かに絶品と評していい味だった。クッキーをかじりながらクレメントはミトロファンとノーザン・ガーデンまでの道程を話し合う。だがヨハンには父と博士の会話は耳に入っていなかった。ヨハンは博士のすぐ隣に腰掛けたマリィという少女が気になって仕方なかったからだ。
「………では出発は明日ということで、って、ヨハン。話、聞いてるのか?」
 ぼぅとしているヨハンを肘で小突くクレメント。そこでヨハンはようやく正気に戻ったのだった。
「あ、え、いや………?」
「いや、じゃないだろ」
「まぁ、そう言うな。わしが言うのも何じゃがマリィは美人じゃからぼぅと見つめたくなるよなぁ、ヨハン」
 博士はそう言って呵呵と笑う。マリィは恥ずかしそうに「からかわないで下さい、おじいさま」と博士に言った。ヨハンは図星の指摘をされてぐうの音もでなかった。
「ったく、しょうがないな。じゃあ要点だけ話すぞ、ヨハン」
 クレメントは苦笑しながらヨハンに言った。
 リカルドさんはマリィを北のノーザン・ガーデンの町へ連れてくるようにと言ってきた。自分たちはマリィを護衛しながら、一緒にノーザン・ガーデンに向かう。出発は明日の日の出と共に行く。
「では、今日のうちに準備を進めるかの」
 博士はマリィにそう言うと一緒に荷物をまとめようとする。ヨハンはクレメントに背中を押された。「手伝ってこい」という父の意思表示だった。
「あの、僕も手伝います」
 はっきり明瞭に伝えたつもりだったが、ヨハンの声は裏返って、さらにどもっていた。クレメントは息子の初心な姿を自分の若い頃と重ねて苦笑をこぼさずにはいられなかった。



 翌朝。カンビレの村の入り口前に停められた二台の戦車の前で一向は出発の最終準備を整えていた。
「リトル・ユニコーンは小型の軽車両だが、俺のアイアン・ナイトよりはスペースに余裕がある。マリィちゃんはそっちに乗ってくれ」
 クレメントはマリィの荷物をリトル・ユニコーン後部の兵器搭載区画兼戦闘室に積み込みながら言った。その搭載場所はモスキートが元は空挺部隊の武器運搬車としての側面が強かったことの証であった。それを聞いてマリィはペコリとヨハンに頭を下げた。
「よろしくお願いしますね、ヨハンさん」
「あ、はい、こちらこそよろしくお願いします………あ、それから僕のことは呼び捨てでいいッスよ。さん付けなんかで呼ばれたら背中がかゆくなっちゃうから」
 ヨハンはそう言うとリトル・ユニコーンのシャシーの上に昇り、手を伸ばしてマリィも引っ張り上げた。そしてハッチを開けてモスキートの操縦席に入り込む。
 軽戦車と分類されるモスキートであるが、それでも三メートル半もの大きさを誇り、人間と比べたらとてつもなく大きく見える。しかし操縦席は外見が与える印象とはまるで正反対で、二人がやっと座れる程度であった。
「………戦車って、狭いんですね」
 マリィが思わず呟く。ヨハンは「あはは」と苦笑を浮かべながらウォズニアクSIを起動する。
「父さんの戦車はもっと狭いんですよ」
「え? リトル・ユニコーンよりもっと大きく見えたのに?」
 アイアン・ナイトのシャシーであるタイプ61は全長八メートル以上とモスキートと比べて倍以上の大きさを誇る。しかしヨハンはこのリトル・ユニコーンより狭いと言う。それは何故か。
「父さんのアイアン・ナイトは余剰空間を砲弾の弾薬庫にしてるんです。おかげで一人乗りがやっとの広さしかないけど、予備弾から徹甲弾やナパーム弾、その他もろもろの特殊砲弾を合計で一〇〇発以上余分に搭載できるようになってるんだ」
「そんなに弾薬を積んでるなんて………。さすがハンターさんですね」
 自分の知らない世界のことを聞いた時ほど興味がひかれる事はないだろう。今のマリィはまさにそれであった。
『さ、そろそろ行くぞ』
 クレメントの声を聞いてヨハンはエンジンを始動させた。今日もチヨノフターボは快調で、モスキートにパワーを与えてくれていた。
 マリィはモスキートの砲塔から顔を出し、見送りに来た祖父に手を振った。
「お父様の用事が終わったら、また帰ってきますね」
「おー、それよりも気をつけていくんだよ」
 ミトロファンはそう言って手を振り返してきた。
 そしてアイアン・ナイトを先頭に、二両の戦車はカンビレの村を離れ、北を目指して進み始めたのだった。
 一面の荒野に砂塵という名の航跡を残し、彼らは北へと進む。
 彼らの表情に暗い要素は何も無い。それは先に待ち受ける運命を知らぬから?
 否、否である。
 たとえ目の前に眼もくらむほど高く険しい障壁が存在していたとしても、それは彼らに一抹の暗い影を落とすこともできないだろう。
 乾いた大地に生きる彼らにとって、目に映るのは希望という名の朝陽ばかりだから。
 それがこの時代に生きる人間の特徴であった。


資料

名前 アイアン・ナイト
シャシー タイプ61(六一式戦車)
主砲 一二五ミリキャノン
副砲 一五ミリ機銃
SE ナシ
エンジン V48ハルク
Cユニット エミー

名前 リトル・ユニコーン
シャシー モスキート
主砲 五五ミリ砲
副砲 七.七ミリ機銃
SE ナシ
エンジン チヨノフターボ
Cユニット ウォズニアクSI


次回予告

 ………子供の頃のコンプレックスて言やぁ、小さかったことさ。肉体的にも、精神的にも。
 だけどな、ヨハン。背伸びしてばっかだと足元すくわれちまうんだぜ、気をつけるんだな。

次回、「子供」


第二話「子供」


書庫に戻る

 

inserted by FC2 system