軍神の御剣
第三八章「INORI 〜To war dead〜」


 一九八三年九月一八日午前一一時三三分。
 陸上戦艦 コリヤーク艦尾のPA部隊格納庫にて。
「これは………」
『ソード・オブ・マルス』のアーサー・ハズバンドは自らの愛機であるX−1 ガンフリーダムを見上げながら呟いた。
「ガンフリーダムのフライヤーシステムの翼にも色々と搭載できるのではないかと思ってね。コリヤークの在庫をあさったのさ」
 ガンフリーダムの開発者の一人でもあり、大日本帝国陸軍装甲阻止力研究所――通称「甲止力研究所」職員である田幡 繁が寝不足でしょぼしょぼする眼を必死で開きながら言った。
 アーサーの目の前のガンフリーダムはフライヤーシステムという翼にAT−2対戦車ミサイルやS−80ロケットポッドなどの兵装が追加されていた。GガンとGキャノンだけでも非常に高い火力をマークしているにも関わらず、さらに武装を増やすというのであった。
「エリィさんに続いてハーベイさんまでカルネアデスにやられたんです。どれほど備えても過剰とは言われませんよ」
「タバタさん………」
「アーサー君。カルネアデスに対抗できるのは君とガンフリーダムしかいない」
「ええ………」
「でもね、死んではいけません。絶対に、生きて帰ってください」
「タバタさん………僕は………」
「人のプライバシーに踏み入るのは趣味ではないのですが、私はずっとアーサー・ハズバンドという名前に引っかかっていたのです。そしてようやく思い出した。貴方は………『申し子』だったんですね」
「……………」
『申し子』。人が戦いに優れた兵士を生み出そうと、人の遺伝子に手を加えることで誕生した最強の存在。
 アーサーは田幡に笑いかけた。寂しそうな笑顔であった。
「いえ………僕は消耗品として生み出されています。死ぬことは怖くない。刺し違えてもカルネアデスを止めてみせます。だからガンフリーダム、壊しても怒らないで下さいね」
「冗談じゃないですよ。ガンフリーダムは僕の最高傑作です。絶対に壊さないで下さい。その意味………わかりますね?」
「………何が何でも生きて帰れと?」
「貴方には、自分ではわかっていないだけで、本当は帰るべきところが沢山あるはずですよ。たとえばアーヴィ学園とかね」
「………ナナス先生は、僕を許してくださるでしょうか? 先生の言葉を無視して傭兵となった僕を」
「きっと許してくださるでしょう。さて………私の戦いはこれで終わりました。後は、マーシャさんたちの出番ですね」
 田幡はそう言うと大きくあくびした。
「あれ? タバタ………こんなトコにいたのかい?」
 田幡の婚約者であるマーシャ・マクドガルの声。
「そろそろ………アタシたちはもう一度行くことになるよ」
「ええ、わかっています。………どうかご無事で」
「アタシは死なないさ。安心しな」
 そう言って田幡の肩を叩くマーシャ。しかしエリィに続いてハーベイを失ったショックは決して小さくはないのだろう。彼女の肩は少し恐怖に震えていた。
「………ヘヘヘ。どうにも、ね………震えてきちゃうよ」
「………ここで抱きしめるのは容易いですが、止めておきましょう」
「意地が悪いねぇ。そんなことされちゃ意地でも生きて帰りたくなるよ」
 マーシャはそう言って笑った。震えはもう消えていた。
「さ、アーサー! 出撃の準備はできてるかい?」
「ええ、僕なら大丈夫です」
「そうかい? じゃ、行くとするかい!!」
 マーシャはそう言うと愛機である四〇式装甲巨兵 侍のコクピットへ飛び込んだ。アーサーもガンフリーダムのコクピットに乗り込んでいた。
 見ればエリック・プレザンスも、ネーストル・ゼーベイアもすでに出撃の準備はできているらしい。ハーベイ亡き後の『ソード・オブ・マルス』隊長代行を務めることになったエリック・プレザンスがコリヤークのハッチを開けるように言ってきた。
「………必ず、帰ってきて下さいよ、皆さん」
 田幡がそう呟く中、『ソード・オブ・マルス』は再び地獄の戦場へと飛び出して行った。



 リベル人民共和国首都リベリオン。
「クリフォードを捕らえるんだ! 奴が、奴が本当に俺たちをだましていたのか聞く必要がある!!」
 国連を制圧したハンス・ヨアヒム・マルセイユの演説を聴いたリベル政府軍の将兵が首相官邸目指して走る。
 しかし首相官邸はすでにもぬけの殻となっていた。
 クリフォードが逃げたという事実に政府軍少佐の襟章をつけた男が激怒する。
「クリフォード! 逃げたというのか………逃げたということは、やましいことがあるというのか………探せ! 何としても探し出して………ん?」
 少佐は急に自分が日陰の中に立たされたことを不審に思って顔を上にあげた。
 少佐たちのすぐそばにPAが立っていた。ソ連からリベルに派遣されているソビエト人民義勇隊のP−80であった。
「お、お前たちもクリフォードを探しに来たのか!?」
 だが少佐の問いかけに対する返答は銃声であった。
 P−80がS−60Pを放って首相官邸を囲んでいた部隊を掃射する。S−60Pの五七ミリ弾に対し人は無力であった。
「バカなぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 少佐の断末魔の叫びだけがリベリオンにこだました。



「まだそのような切り札を残していたとはな、ギュゼッペ技術中佐………」
 リベル人民共和国首相にして『アドミニスター』にリベルを売った現人鬼であるアルバート・クリフォードはリベル市内中央のリベル政府軍総司令部にいた。彼はそこでヘルムート・フォン・ギュゼッペと腹心の兵士数十人と篭城していた。
「昔、私が作り上げた『申し子』のデータを使って作り上げた『ツァーレンシュヴァスタン』………まさかこんなことで役に立つとは思っていませんでしたよ」
 ギュゼッペは皮肉めいた笑みを浮かべた。「塞翁が馬」とでも言いたいのだろう。
 アメリカからソ連に亡命してからもギュゼッペは『申し子』の研究を続けていた。しかし彼は『申し子』はコスト対効果が見合わないことに気付き、『申し子』の研究を止めて洗脳を主体とした『カルネアデス』計画の方へ力を注ぐようになっていた。その時のなごりが『ツァーレンシュヴァスタン』。ギュゼッペによって生み出された六人の少女たちによるギュゼッペ直属の部隊であった。
「しかし………これからどうするのだ、ギュゼッペ技術中佐。リベル解放戦線の傭兵どもも全軍がこちらに向かっているそうじゃないか」
「さて………一点突破しかありますまい?」
「一点突破………」
「その通り。カルネアデスはまだ動きます。パイロットも一人だけですが残っている………ならば何も心配はいりませんよ。クリフォード閣下は準備を急いでください。私は後で合流します故に」
「そ、そうか………では後は任せたぞ」
 クリフォードはそう言い残すといそいそと部屋を後にした。司令部に止めてある車で脱出するつもりなのだろう。
「………ゼクス」
 ギュゼッペはブラウンの髪をポニーテールにまとめた、切れ長の目を持つ少女に声をかけた。ゼクスと呼ばれた少女はギュゼッペに絶対の忠誠をたたえた眼差しで振り返った。
「お前はクリフォードを始末しろ。もはや奴はただの荷物だ」
「了解」
「それからお前はできる限り敵を引きつけろ。私の生み出した『申し子』の力を見せてやれ」
「了解、マスター………」
 ギュゼッペは言葉にこそ出さなかったが、ゼクスに「死ぬまで戦え」と命じたのであった。しかしゼクスはその非常な命令にも眉一つ動かさなかった。ただ淡々とその命令に従う。
「ギュゼッペ!!」
 扉が乱暴に開け放たれる。
 足音も乱暴にギュゼッペの元へ歩み寄ってきたのはハーグ・クーであった。ギュゼッペによる洗脳処置を受けた『ネメシス』隊の隊長だった男。今では『ネメシス』隊唯一の生き残りの男。
「俺に、俺にカルネアデスをくれ! サムソンにグレプ、エレメーイの仇を打つ!!」
 その眼を復讐に血走らせるハーグ。彼には元々傭兵たちへの怨念を根幹とした洗脳が施されていたが、サムソン、グレプ、エレメーイの戦死がその怨念をさらに強めたようであった。
「………元よりそのつもりだったよ。地下にカルネアデスは隠してある。自由に使え」
 ギュゼッペはハーグがまだ戦うことができると知るとすぐさまカルネアデスの使用を許可した。
「ヘヘヘ………サムソン、グレプ、エレメーイ、今、今行くからな………」
 ハーグはギュゼッペの許しを得るとすぐさま部屋を飛び出して地下格納庫のカルネアデスへ向かった。
「………洗脳しすぎたか? すでに正気ではないとはな」
 カルネアデスにはパイロットの脳波で機体を操作する『カルネアデスシステム』を搭載している。しかしそれはパイロットの精神に多大な負担を強いることが判明していた。サムソンは『カルネアデスシステム』の負荷に耐えることができず狂死していた。ハーグがカルネアデスで出撃するということは、ハーグも狂死するということになろう。
 しかし『ツァーレンシュヴァスタン』も『ネメシス』隊もギュゼッペにとってはただの手駒に過ぎない。人としてみていないからこそ、どこまでも非情に扱うことができるのであった………



「随分と簡単にリベリオン市内に突入できたな………」
『ソード・オブ・マルス』はすでにリベリオン市内へ足を踏み入れていた。市内はマルセイユの演説による混乱で防衛部隊の迎撃は一度たりとも無かった。
『………しかしエリィやランカスター隊長を殺った奴はまだ残っている。あれはギュゼッペ技術中佐の私兵だそうじゃないか。ならば必ず出てくる』
 ネーストルの声が無線より聞こえる。
「そうだな………油断はできそうにないな」
 エリックはそう答えた。
 カルネアデスとかいったな………エリィとハーベイの落とし前は絶対につけさせてもらわなきゃな。



 陸上戦艦 コリヤーク艦橋。
「『ソード・オブ・マルス』が市内へ入ったそうです」
「政府軍の部隊もクリフォードを探しているからな。混乱で俺たちの迎撃どころじゃないってことか」
 ヨシフ・キヤ・マモトがオペレーターの言葉を受けて呟いた。
「さて、それじゃ俺たちも行くか」
「何!? おい、どこに行くつもりだ?」
 マモトの言葉にコリヤーク艦長のマクシーム・フョードロブナは眼を剥いた。
「ギュゼッペの野郎に一泡吹かせにさ!」
 マモトはそう言うとAK74を手に取った。木製の銃床が使われた初期生産のAK74であった。
「マモト………」
「後のことは任せるぜ、フョードロブナ!」
 マモトはフョードロブナの返事も待たずにコリヤーク艦橋を駆け出た。彼に従うは参謀のスチョーパにクロパトキン、ウィッテの三名であった。数は少ないが、実戦経験は豊富。ギュゼッペに一泡吹かせるというのならばこれ以上の人選はあるまい。
「マモト! 死ぬなよ! お前が死んだら………アンナ嬢が悲しむんだからな!!」
 フョードロブナは、もうマモトには聞こえないとわかっていても言わずにはいれなかった。アンナはコリヤークの炊事場でコリヤーク乗員のための食事を作るという彼女にしかできない戦いを繰り広げている。マモトはアンナがいない隙にコリヤークを出たのであった。彼女の前で出て行こうとすれば、必ずアンナが止めようとするからである。フョードロブナにはそれが卑怯な逃避に思えた。



「よ、よし! すぐさま車を出すんだ!!」
 司令部の地下にトラックを見つけたクリフォードは側近に運転席へ座るように命じた。
「ですがまだギュゼッペ技術中佐が………」
「バカモノ! 私はギュゼッペを囮にして逃げると言っているんだ! ギュゼッペを待つのは死ぬのを待つのと同意義なんだぞ!!」
 クリフォードはギュゼッペを見捨てることを悪びれもせずに言い放った。側近の男は自分もクリフォードの形勢が悪くなれば見捨てられるのだろうと感じつつもその命令に従った。自分が裏切られるかもしれないという不安はあるが、かといって何もせずに破滅を待つつもりはなかった。なまじクリフォードに協力してきただけに、側近の男には逃げるしか道が残されていなかった。
「では、出します!!」
 側近は誰に言うでもなく宣言するとトラックのエンジンを始動させた。エンジンは快調。敵に見つからなければ簡単に国境を越えることができよう。リベリオン市内は混乱の最中にあるのだ。混乱に乗じればうまく逃げおおせる可能性は高かった。
 しかし彼らを狙う眼があった。『ツァーレンシュヴァスタン』のゼクスであった。彼女はアンチ・マテリアル・ライフルを持ち出し、クリフォードたちを狙っていた。
 そして定まる照準。
 ゼクスは何の感情も抱かずに引き金を引いた。
 アサルトライフルと比べて破格の衝撃。
 放たれた大口径弾はトラックのエンジンルームを撃ち抜き、トラックを派手に爆破させるはずだった。
 しかし………
 ゼクスの放った銃弾は鋼鉄の手によって阻まれた。
「何!?」
 クリフォードの乗るトラックをかばったのはP−80であった。右肩に獅子の紋章が描かれたP−80。P−80はGSh−6−30Pを構え、ゼクスの隠れる方へ向けて………
 一瞬の一連射。しかしそれだけでゼクスの体は細切れになり、原型を完全に失った。
『クリフォード閣下、早くお逃げ下さい! ここは私が何とかします!!』
『クリムゾン・レオ』隊長のレオンハルト・ウィンストンの声がクリフォードの耳に届く。
「ウィ、ウィンストン少佐!?」
『私は………このリベルに忠誠を誓った軍人です。だから閣下をお守りする!!』
 レオンハルトが固く宣言する。しかしどこかその決意は虚ろな感じがした。
「おお………お前こそ真のリベル軍人だ! 後は頼むぞ!!」
 クリフォードはそう言い残すとトラックを走らせた。
「………これで、これでいい………」
 独り残されたレオンハルトはP−80のコクピットで呟いた。その呟きを聞いた者は彼自身しかいなかった。



「クー大尉!? カルネアデスに乗るのは危険です! サムソン少尉の二の舞になりますよ!!」
 ギュゼッペ配下の技術陣にも正常な良心を持つ者はいた。彼らはカルネアデスに乗り込もうとするハーグに必死に翻意を迫っていた。
 しかしハーグの返答は拳であった。ハーグはカルネアデスに乗り込むことを止めようとする技術者を殴り倒したのであった。
「た、大尉………」
 ハーグに鼻を強打されて、鼻の骨を折られた技術者が噴出し続ける鼻血を必死に抑えながら、なおもハーグを止めようとする。しかしハーグにとって技術者たちの優しさは、自分の復讐を遮ろうとする悪意にしか感じることができなかった。
「どけェ!!」
 ハーグは自分のズボンの裾を掴んでいた技術者を蹴飛ばした。最後までハーグを止めようとしていた技術者は気を失ったのだろう。動かなくなった。
 ハーグはカルネアデスのコクピットに乗り込む。
「カルネアデス………お前の力、俺に示せ………復讐を遂げるために必要な力を俺に与えるんだ………」
 ハーグはサバイバルナイフを懐から取り出すと自分の左掌にナイフを突き立てた。左掌から飛び散るハーグの鮮血。ハーグはまるでその血をカルネアデスに飲ませるかのように滴らせる。
「さぁ、これでお前は俺と一心同体になったはずだ………行くぞ!!」
 ハーグはいきなり『カルネアデスシステム』をONにし、カルネアデスと一つになる。
 そしてカルネアデスはリベリオン市内にて仁王立ち。
「傭兵………引導を渡してやるぞ!!」



「カルネアデス! 来たか………」
 リベリオン市内に突入した時からカルネアデスが立ち塞がるであろうことはわかっていた。だからカルネアデスの姿を見つけてもエリックは驚きもしなかった。ただ当然の事実として受け止めたのであった。
「奴が最後にして最強の敵だ! あれを撃墜して………この戦争を終わらせるぞ!!」
 エリックが無線に向かって怒鳴る。そしてスロットルを一気に開く。アルトアイゼン・リーゼの背部大出力ブースターから激しい炎が噴出し、アルトアイゼン・リーゼの巨躯を引っ張る。
「行くぞ!!」



「カルネアデス、戦闘を開始しました。相手は………マモトの部隊のようです」
「そうか。カルネアデスがリベリオンを引っ掻き回す内に、我々も脱出するぞ」
 ギュゼッペは自分の研究内容をまとめた書類だけが収められているカバンだけを持って司令部を後にしようとする。
『ツァーレンシュヴァスタン』の少女たちがギュゼッペの後に続こうとする。しかしギュゼッペは彼女たちに対し、冷ややかに言い放った。
「お前たちはここで私の撤収を助けろ。死ぬまで、な」
「………了解」
 少女たちは短く答えた。そしてそのまま市内各所へ散らばる。各所で破壊工作を行い、敵の目をそちらに向けさせるのであった。
「さて、行くぞ」
 ギュゼッペたちもリベリオンから脱出するために行動を開始した。



「傭兵どもォォォ!!」
 ハーグの咆哮。
 そしてカルネアデスの鋭い爪先がランスロットの装甲を引き裂く。
「ネーストル!!」
「………不覚。脱出させてもらう」
 ネーストルはカルネアデスの爪によってランスロットがもはや使い物にならなくなったと判断し、ランスロットのコクピットから飛び出した。
「皆殺しだ! 皆殺しにしてやる!!」
 カルネアデスの荷電粒子キャノンの砲口がネーストルを狙う。陸上戦艦の装甲ですら一たまりの無い大出力ビームが放てるのだ。生身の人間では掠めただけで消し飛ぶ。
「させるか!!」
 フライヤーシステムによって空を自在に舞うことができるガンフリーダムを駆るアーサーがハーグに待ったをかける。フライヤーシステムの翼に搭載されているロケット弾がカルネアデスに向けられ、雨のように降り注ぐ。
 しかしカルネアデスの動きは巨体とは正反対に機敏である。ロケット弾の連射ですらその姿を捉えることはできなかった。
「邪魔………するなぁ!!」
 カルネアデスの放ったビームがガンフリーダムを掠める。その一撃はガンフリーダムの左腕とフライヤーシステムの左翼を焦がした。
「しまっ………」
 左翼を焦がされたために左翼の強度が落ち、揚力のバランスを失うガンフリーダム。ガンフリーダムはそのままリベリオンのビルへ墜落してしまった。
「アーサー!!」
 エリックがアーサーに呼びかける。しかし返答は無い。
「!?」
 さらにアーサーを気遣っている合間にカルネアデスがアルトアイゼン・リーゼに肉薄していた!!
「チッ!!」
 咄嗟に肩のアヴァランチ・クレイモアを放とうとするエリック。しかしパイロットの脳波と連動しているカルネアデスの動きはエリックの二歩先を行っていた。
 カルネアデスの爪がアルトアイゼン・リーゼの頭部を刺し貫いた。まるで血のように噴出すオイルがカルネアデスを化粧する。
「エリック!!」
 マーシャがエリックを助けようとカルネアデスにM510の銃口を向ける。
 しかしカルネアデスはアルトアイゼン・リーゼをM510の銃口の前にかざす。
「!?」
 マーシャがカルネアデスの意図に気付いた時、その時はすでにM510の散弾が放たれた後であった。M510の散弾がカルネアデスの盾代わりされたアルトアイゼン・リーゼに襲い掛かり、アルトアイゼン・リーゼは着弾の衝撃でガクガクと震えた。
「し、しまった………」
「フヘハハハハハ! 後は、お前だけだ!!」
 カルネアデスがマーシャの侍に襲い掛かる!!



「………これがリベリオンの光景か」
 ランスロットを脱出したネーストルは『ソード・オブ・マルス』の邪魔にならないように極力戦場から遠ざかっていた。故に『ソード・オブ・マルス』の窮状を知らなかった。
 ネーストルは『アフリカの星』入社の際に支給されたコルト・ガバメントを片手にリベリオン市内を歩き回っていた。そこでクリフォードでも発見できたなら儲けモノという思いからであった。
 しかしリベリオンの混乱はネーストルの経験してきたどの戦場よりも酷いものであった。
『アフリカの星』社長であるハンス・ヨアヒム・マルセイユの国連での演説。そのためにリベリオンでは同じ政府軍同士ですら二つに分かれて争っていた。それに逃げ惑う市民と混乱に乗じて様々な物を強奪しようとするお調子者たちも加わり、誰が味方なのかすら判別が難しかった。
「まさに魔女の婆さん大釜だな」
 ネーストルはポツリと呟いた。
 そしてネーストルは市内でも一際大きな建物にたどり着いた。白い塗装が施され、誇らしげに描かれた赤い十字架のマーク。そこはリベリオン中央病院であった。
「病院………か」
 ネーストルは病魔に侵された妻ナジェージダを救うために西側に亡命し、その治療費を稼ぐために傭兵をしていた。彼は妻を救うために必死であったが、それ故に多くを犠牲としていた。
「……………」
 しかし病院は閑散としていた。戦場となった瞬間に病院にいた者は皆逃げたのだろう………
 ネーストルはそう思ったが、病院の床にうっすらと堆積されている埃を見た瞬間、それが間違いであると知った。
「………すでにこの病院は使われていないのか」
 建物が古くなり、新しい建物に引っ越したのだろうか。それともリベルに病院は無かったのだろうか。
 この国の状態を考えれば、後者が自然か。
 そう思うとネーストルは唇を強くかみ締めた。己の利益のために戦争を引き起こしていた『アドミニスター』が憎かった。
「………誰だ!?」
 ネーストルは捨てられた病院内で人の気配を感じた。コルト・ガバメントをしっかりと握り、気配に近づこうとする。
「!?」
 気配はネーストルの視界に入るか入らないかの寸前で動いた。まるで隼のように俊敏な動きでネーストルに近寄るとネーストルの腹部にしたたかな一撃を加える。
「ぐ………おお!!」
 腹部に受けた一撃によってネーストルのあばら骨が砕ける。だが身長が二メートルを超える、熊のような体格のネーストルは一撃では倒れなかった。咄嗟に敵の腕を取ると、腕を固めて拘束した。
「……………」
 そしてネーストルは自分を襲った敵の正体が少女であることを知る。処女雪のような色をした長い髪の少女。アンナと同年代といったところか?
 敵の幼さに呆気に取られるネーストル。そのために拘束が緩まり、ネーストルの拘束から脱した少女はネーストルの顎先に向けて掌底を放つ。
 しかしネーストルは辛うじて掌底をかわし、再び彼女を押さえつける。
「くっ………」
 少女は力の限り抵抗しようとする。華奢な体つきのどこにこれだけの力があるのかと尋ねたくなるほどの力であった。しかしネーストルの常人離れした力はそれを上回る。
「子供が………子供が何故こんな所に!?」
「ノイン!!」
 ネーストルの背後から別の少女の声。金色の髪を三つ網にまとめた少女はAK74をその手に持っていた。
「クッ!!」
 ネーストルは仕方なく少女を押さえ込むことを止め、その場から逃げることにする。AK74は火を噴かなかった。AK74を持って乱入してきた少女は、ネーストルが押さえていたノインというらしい少女の許へ一目散に駆けて行ったのだった。
 ネーストルは極力気配を消し、彼女たちの声が聞こえる場所へ潜む。
「フェンフ………」
 ノインと呼ばれた少女はAK74を持って乱入した少女を見て安心したような声を出した。AK74の少女はフェンフというらしい。
「ノイン、もう大丈夫だからね。さ、早く行きましょう。ここを爆破するんでしょう?」
「うん………」
 そして二人は任務を完遂するべく走り出した。
「……………」
 ネーストルも二人の後を追って走り出した。



 一方、その頃。病院の前。
「ここにギュゼッペの配下の者が入っていったそうだぞ! 探してクリフォードがどこにいるのか吐かせるんだ!!」
 ソビエト人民義勇隊の部隊章をつけた小隊が病院内に侵入する。その手にはAK74が握り締められている………



「これで………よし」
 フェンフは病院を爆破するための爆薬をセットし終え、一仕事終えた喜びを味わっていた。
 生まれてからずっと、ギュゼッペの手駒として戦うことを義務付けられている彼女たち『ツァーレンシュヴァスタン』。彼女たちが唯一知るのは任務を終えた時の喜びのみであった。
「タイマーは五分後。ノイン、早く脱出………」
「待て」
「!?」
 フェンフがAK74を構えるより早くコルト・ガバメントが吼えた。フェンフの持つAK74は弾かれ、床に転がる。
「あ………」
 自分たちを邪魔したのがまたネーストルだと知ったノインが小さく驚きの声をあげた。
「病院を爆破することは許されない。病院は………標的にしてはいかん」
「な、何で?」
 ノインが不思議そうに尋ねた。
「ここが何をするところか知らぬわけではあるまい」
「そんなこと関係ない! 私たちはマスターが脱出しやすいために、敵の目を別の場所へ向けさせる必要があるんだ!!」
 AK74を弾かれた気恥ずかしさもあるのだろうか。フェンフがネーストルに向かって怒鳴った。
「マスター? そうか、マモト大佐から聞いたことがある。君たちは『ツァーレンシュヴァスタン』か」
 ネーストルは眉をひそめた。これが戦争のためだけに生み出された少女たちか。
「ギュゼッペはもう逃げたか………で、君たちはその後、どうするのだ?」
 二人の少女は顔を見合わせる。ネーストルの持つガバメントの銃口が次第に下がり始めている。もう少し下がればネーストルを倒し、ガバメントを奪うなりAK74を拾うなりの反撃が可能になる。彼女たちはもう少しネーストルとの会話に付き合うことにした。
「私たちは………マスターを護るために戦うように命令されている」
「………つまりそれは死ぬまで戦えというのか?」
「そうだ」
 カラン
 ガバメントが床に落ちる。しかし二人の少女は動くことができなかった。
「な、お前………」
 ネーストルは両目から涙を流していた。彼女たちが久しく忘れていたものだ。
「死ぬまで………死ぬまで戦えというのか」
「……………」
「人が………まさかそこまでできるなんて思わなかった………」
「お前………何故泣くんだ?」
 フェンフにはネーストルの行動がわからない。涙という存在すら久しく忘れていた彼女たちに、ネーストルの嘆きがわかるはずがなかった。
「………子供が戦争で戦うなど狂っている。私はそう思う。だから悲しいのだ」
「でも私たちは兵器として………」
 ノインがおずおずといった体で言った。
「兵器! 呼吸をする兵器などこの世にあるものか!!」
「お前………じゃあ、お前は私たちが、年相応の少女として生きることができると?」
 死を見ず、銃声を聞かず、硝煙の香りもかがず、ただ平穏な日々を、平凡に生きることが、兵器として生み出された命にできると!?
「………俺にはできたぞ」
「え? 貴方もマスターに!?」
「ノイン! そんなわけがない! コイツはどうみても三〇代だ! コイツがマスターに生み出された命であるはずがない!!」
「………俺も兵器同然だった時があったのさ」
 ネーストルは床に腰を下ろし、そっと目を閉じ、昔の自分に思いを馳せる。
「俺は幼い時に両親を無くし、祖国の軍の門戸を叩いた。生きるためにはそれしかなかったからだ。そして俺は成長し、祖国に命を捧げる兵器となった。己の命など気にもかけない。ただ祖国に仇なす敵を討つだけの戦闘機械。それが俺だった………」
 同じだ。スタートこそ違えども、私たちと同じ境遇でこの人は生きてきたんだ! ノインは唇を振るわせた。この人の話を聞けば、私たちも兵器ではなく人になれるのかもしれない。
「あの………何がキッカケで貴方は変われたのですか?」
 フェンフも黙ってネーストルの答を待っていた。
「出会えたのさ。我が妻、ナジェージダに。ナジェージダは私に安らぎの何たるかを教えてくれた。彼女は………私に人の心を取り戻させてくれた」
 ネーストルは少し遠くを見る。その瞳は本当に穏やかであった。その瞳を見ただけで、ネーストルが如何にナジェージダという女を大事にしているかがわかる。
「俺にもできたのだ………君たちにできないはずがない。そうだろう?」
「……………」
「……………」
 ノインとフェンフは互いの顔を見合わせる。二人とも自分が進みたい道を、自分の力で見つけたのであった。しかしその道は今まで歩いてきた道とはあまりに違う。だから決心がつかなかった。
 そしてその迷いが彼女たちから、遺伝子レベルで刻まれているはずの戦闘本能を奪っていた。
「見つけたぞ! 『ツァーレンシュヴァスタン』!!」
 ソビエト人民義勇隊の将兵がなだれ込む。
「!?」
 フェンフは自分の手にAK74があることを思い出し、咄嗟にその銃口を闖入者に向けようとする。しかしAK74は火を噴かなかった。フェンフともあろう者が銃のセーフティーを解除することを忘れていたのだった。
 しかしそんな事情などソビエト人民義勇隊にはわからない。『ツァーレンシュヴァスタン』の二人が抵抗する意思を持っていると判断した彼らは銃口を彼女たちへと向ける。
「待て! 彼女たちは………」
 ネーストルの叫び声がソビエト人民義勇隊の耳に入るよりも早くAK74の銃声が轟く。
「あ、ああ………」
 ノインは自分の死を覚悟した。咄嗟に目を閉じてフェンフの手を握る。自分を妹として扱ってくれたフェンフ。彼女と共に死ねるなら………まだ幾らか慰めにはなると思えた。
 しかしいつまで経ってもノインの体には傷一つつかなかった。
 恐る恐る目を開けるノイン。
 その瞳には………ノインとフェンフを庇い、AK74の銃弾を一身に浴びたネーストルの姿が映った。
「………クッ」
 ネーストルは銃創及び口から血を吐き出しながらもまだ生きていた。驚愕に身動きを封じられたソビエト人民義勇隊を外に、ネーストルは自分が落としたガバメント拳銃をゆっくりとした動作で拾い………
 そして目にも止まらぬ速さで連射し、ソビエト人民義勇隊を全員射殺した。
「お、お前………」
 数十発もの銃弾を受けたネーストルの体にとってガバメント発射の衝撃は致命的であった。ネーストルの脚が崩れ、熊のように大きな体が少女たちの目線よりも下に下がる。
「だ、大丈夫ですか!?」
 ノインが無駄と知りつつもネーストルに声をかける。
「………人を気遣う兵器など………いないよなぁ」
 ネーストルは痛みと全身の血が抜けていくために生じる寒さに震えながらもノインたちに笑ってみせた。そして仰向けに横たわる。
「バカ! 何で、何で私たちなんかを庇ったんだ!!」
 フェンフがネーストルの体を揺さぶる。
「お前には………お前にはナジェージダとかいう女がいるんだろう!? なのに………バカ!!」
「………構わんさ。ナジェージダなら………俺の行動を許してくれるさ………」
「え?」
「………幸せに………なるんだ………いいね?」
 ネーストルの言葉に涙顔で頷く二人。
 次第にぼやけ始めるネーストルの視界。まるで世界が融け始めるかのようであった。
 しかしネーストルは歪む視野の中で、唯一確かなものを見た。
 彼が愛し、彼を愛してくれた女性。最愛の妻 ナジェージダ。
 ナジェージダはネーストルに笑いかけてくれた。それは彼女がネーストルを許してくれる証だとネーストルは知っていた。
「ナジェージダ………また………会お……………」
 ネーストルの体から急速に力が抜け落ちる。
 愛のためにすべてを捨てた男の人生は、愛を知らない悲しい少女を救って潰えた。



 同じ頃。
 中華民国上海中央病院。
「先生………脈拍、戻りません」
「諦めるな。マッサージを続けろ。電気ショックも用意しろ」
「ダメです! 蘇生しません!!」
「いいから! 諦めるんじゃない!!」
 ベッドに横たわる美しい女性。そしてその周囲で慌てふためく医師団。
 女性の脈はすでに途絶えていた。医師団の必死の蘇生にも反応することは無かった。
 ベッドに横たわる女性、ナジェージダ・ゼーベイアは遂に病気から回復すること無く逝った………


第三七章「U.N. is gained control of」

終章「Sword of Peace」

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