軍神の御剣
第三六章「The Fate of Blaze」


 一九八三年九月一六日午前六時三四分。
 陸上戦艦コリヤーク食堂。
 コリヤークの主だった面々は食堂の大テーブルに集められ、朝食を取っていた。主だった面々とはコリヤーク艦長のマクシーム・フョードロブナ、元・ソビエト人民義勇隊司令のヨシフ・キヤ・マモト、同じく元・ソビエト人民義勇隊参謀長のスチョーパ、そして『ソード・オブ・マルス』のハーベイ・ランカスター、エリック・プレザンス、ネーストル・ゼーベイア、マーシャ・マクドガル、アーサー・ハズバンド。後は整備班を代表してエレナ・ライマールと田幡 繁が呼ばれていた。
「みんな、朝食を取りながらで構わんから聞いてくれ」
 パンと野菜スープが載せられたトレイを机に置き、ヨシフ・キヤ・マモトが一同を見渡しながら重々しく口を開いた。
「後数時間………後数時間でコリヤークはリベリオンを視界に納めることとなる。リベル政府もそれは承知して、幾重もの防御線が形成されているであろうことは想像に難くない」
 誰もが朝食に手をつけようともせず、マモトの話に聞き入っていた。
「しかし………しかしこれですべてが終わる………これが最後の決戦である。スマンが………みんなの命、俺に預けて欲しい」
「……………」
 皆、固い決意を秘めた眼でマモトに頷いた。
「………さて、では冷めない内に頂こうか。アンナの料理は最高だぞ」
 そう言って少しだけ表情を緩ませるマモト。それが合図となって、決戦を前にした最後の朝食は開始された。



「………なるほど。確かに美味いな」
 ネーストルがスープを一口すすっただけで表情を明るくした。その日の朝食はマモトが保護する少女、アンナが調理したものであった。アンナの作ったスープに大した材料は使われていない。にもかかわらず、そのスープの温かさは死地に赴かんとする彼らの心に安らぎを与えていた。
「だろう? アンナの料理は絶品だよ」
 まるで自分のことのように表情を揺るませるマモト。
「ぜひともこのスープをまた飲みたいですね」
「まったくですね。それもみんなで飲みたいですよ」
 アーサーの言葉に全面的に賛同する田幡。
「ねぇ、アンナちゃん。戦争が終わったらこのスープの作り方、私にも教えてくれないかな?」
「あぁ、アンナ! アタシにも教えてくれないか?」
 エレナとマーシャがアンナに言った。アンナは自分の料理がそこまで賞賛されていることが恥ずかしいのだろう。耳まで真っ赤にしながら二人に料理を教えることを約束していた。
「エリックさん、大丈夫ですか?」
「スチョーパさん………俺なら大丈夫さ。エリィに約束したから、ね」
 先の戦いで恋人であるエリシエル・スノウフリアを再起不能にされたエリックを気遣うスチョーパ。しかしエリックはもう振り返ることをやめていた。今は前だけを見つめ、エリィと交わした約束――必ずリベルに平和をもたらす――を果たそうとしていた。
「………とても決戦前の雰囲気とは思えない、か」
 そう独り呟いたのはフョードロブナであった。確かにすべてを終わらせる決戦を控えた部隊とは思えないほどに場は和んでいた。
 カラーン
「!?」
 金属製の何かが床に落ちる音。一同は音の方に振り返る。
「あぁ、スマン………そんな急に振り向くなよ。こっちが驚くじゃないか」
 ハーベイはそう笑いながら床に落としたスプーンを拾い、水で洗おうと席を立った。
「………やはり和んでいたのは表面上だけ、か。無理も無いが………」
「あ、私、水取ってくるね」
 そう言ってエレナも席を立った。



「……………」
 食堂からは壁が邪魔になって盲点となっている場所に来るや、ハーベイは壁に背を預けて座り込んだ。
 ハーベイは自らの手をジッと見つめる。そして手をグッと握り締めようとする。しかし………
 ハーベイの指先に力はこもらなかった。ただ虚しく震えるのみ。
「ハーベイ………」
「………エレナか」
 ハーベイに気遣わしげな視線を送るエレナ。しかしハーベイは表面上は意に介さずスッと立ち上がった。表面上からでは彼は健康そのものにしか見えなかった。
 だがハーベイの体は確実に病魔に蝕まれていた。
 後退性筋力硬化病。全身の筋肉が次第に萎縮して動かなくなるという難病。治療法はおろか発祥の原因すら不明な難病。ハーベイはこの病気にかかっていた。
 それでもハーベイが戦場で戦い続けているのは、ひとえに生きているという実感を得るためであった。彼はそのために傭兵となり、戦火をくぐる日々を送り、自らの生の実感を感じようとしていた。
「………いよいよヤバいらしい」
「そう………」
「………それでも俺は出撃する」
「わかってるわ。貴方はそういう人ですもの」
「………すまない。俺はお前に何も残せそうに無い」
「謝る必要は無いわ。私が愛したのは………どんなことにも負けずに、自分の信じた道を歩き続ける人ですから」
「エレナ………」
 ハーベイはエレナをギュッと抱きしめようとする。しかしすでに萎縮し始めている彼の体に残された力では軽く抱く程度が限界であった。
「でも………ハーベイ、でも約束して。一分、一秒でも長く生きるように努力することだけは………」
「わかっているさ。俺も………俺は欲張りでね。生きる実感を味わいながら長生きしたいのさ」
「そう、そうだったわね………」
 そしてハーベイとエレナは唇を強く重ねあう。
 強く抱きしめることはかなわずとも、二人の絆は何よりも固かった。



 同じ頃。
 リベル人民共和国首都リベリオン。
「そうか………ミロヴィッツは死んだか」
 興味もわかず、素っ気なくヘルムート・フォン・ギュゼッペはミロヴィッツ少将死亡の報を聞いた。
「愚かな男だったな。フフ」
 ギュゼッペはその一言でミロヴィッツに対する関心を完全にかき消した。
 今のギュゼッペの最大の関心事はミロヴィッツを殺した一団にあった。
「カルネアデスはAPAGの直撃でもビクともしなかった………計算上ではわかっていたが、実際に確かめて安心したよ」
 ギュゼッペは部下の技術者に言った。
「ええ。西側のガンフリーダムも性能的にはカルネアデスと五分ですが………」
「カルネアデスには『カルネアデスシステム』がある。その分こちらの方が有利というわけだ………フフ」
 ギュゼッペが笑った時、電話の音が彼を呼んだ。
「私だ」
 ギュゼッペは慇懃に答えた。
「………わかりました」
「今のは?」
「我らがクリフォード閣下だったよ。マモトたちがすぐ傍まで迫ってきているそうだ。すぐに『ネメシス』隊を出せとのお達しだ」
「了解。では準備を進めましょう」



 一九八三年九月一六日午前九時一二分。
『レーダーに敵影! PA部隊を中心とする部隊が迫ってきています。PA部隊は出撃してください』
 コリヤーク艦尾のPA格納庫。出撃の準備を済ませていた『ソード・オブ・マルス』の面々は各々の愛機に向かって駆け出した。
「エリックさん!」
 そんな中、エリックに声をかけたのはエレナであった。
「エレナちゃんか………アルトは出れるな?」
「ええ………確かにエリックさんの言うように、アルトは修理したわ。でも………」
 エリックは先のカルネアデスとの戦い末にコクピットブロックを抜き取られたアルトアイゼン・リーゼの修復を整備班に願い出ていた。エレナたち整備班はそれをかなえるためにエリックの愛機だったパンツァー・レーヴェのコクピットブロックを移植することで解決した。アルトアイゼンは元々NATO軍共同開発機ではあるが、主に開発を担当していたのはドイツであったためにドイツ製PAであるパンツァー・レーヴェと同じコクピットを使っていた。だからこそ短時間での修理が可能となったのであった。
「エレナちゃん、無理言ってすまなかった。じゃ、行ってくる」
 エリックはそう言い残すとアルトアイゼン・リーゼのコクピットに飛び込んだ。
「エリックさん! 絶対に………絶対に生きて帰ってくださいよ! でないとエリィが悲しむんだから!!」
 そう、エリィは確かにミロヴィッツたちによって心をズタズタに引き裂かれた。しかし回復の可能性が完全に潰えた訳ではないのだ。エレナはそのことを言っていた。
「………俺には過ぎた仲間たちだ」
 エリックはコクピットで独り呟いた。
『よし、『ソード・オブ・マルス』、出るぞ!!』
 ハーベイが高らかと宣言する。
 そしてガンスリンガーFの鉄脚がリベルの大地を踏みしめる。
『ソード・オブ・マルス』最後の出撃が始まった。



「『ネメシス』隊は………いないようだな」
 ハーベイはガンスリンガーFのカメラアイを動かして敵の姿を一望する。
 その敵影は通常型のP−80ばかりで、リベル政府の正規部隊であった。数はおよそ二〇機ほど。『ソード・オブ・マルス』が五機しかないことを思えば大軍である。
 しかし長引いた内戦の結果、リベル政府軍も疲弊しているのだろう。東側最新鋭PAであるP−80を駆っているにも関わらず、その錬度は非常にお粗末なものでしかなかった。
「………こんな腕で戦場に送られるなんて………」
 ハーベイは無性に腹立たしかった。
「総員、敵は素人同然だ! 一気に蹴散らすぞ!!」
『『『『了解!!』』』』
 真正面から突進する『ソード・オブ・マルス』の勇士たち。
 ハーベイのガンスリンガーFが疾風の如く動き、ネーストルのランスロットが一部の無駄の無い完璧な軌道で攻撃し、マーシャの四〇式装甲巨兵 侍が背に背負う電子機器でP−80の火器管制を妨害し、エリックのアルトアイゼン・リーゼが大きく膨らんだ肩部に仕込まれているアヴァランチ・クレイモアでもたつくP−80の群れを一気に蹴散らす。
 そしてトドメとして放たれるアーサーのガンフリーダムのG−Mk2。その直撃をギリギリ避けるように放たれたエネルギーの奔流は政府軍部隊の士気を撃ち砕く。
『ソード・オブ・マルス』は四倍以上の敵機をわずか二分で蹴散らしたのであった。
「このままリベリオンへ突っ込むぞ!!」
『おっと………残念だけどハーベイ君、そう簡単にはいかないみたいだよ!!』
「来たか………『ネメシス』!!」



「ヘヘヘヘ………オラ、グレプにハーグ! しっかり俺を援護しろよ! ギュゼッペ技術中佐直々の命令なんだからよ!!」
 カルネアデスのコクピットに座るサムソンは『カルネアデスシステム』のスイッチを入れながら言った。
『チッ! オメーなんかカルネアデスさえなければ大したこと無い奴なのによぉ!!』
 サムソンの尊大な態度にグレプが反発する。しかしそれでもサムソンの援護を止めようとはしない。表面上ではいがみ合いながらも、ギュゼッペに施された洗脳のためにグレプはサムソンの援護を行おうとする。
「今日こそケリつけてやるぜ、この野郎がぁ!!」



「カルネアデス! 奴だけは絶対に止める!!」
 アーサーの駆るガンフリーダムが二〇ミリレールガンであるGガンの銃口をカルネアデスに向ける。戦車砲を遥かに超える超高初速で放たれる二〇ミリ弾。おまけにその発射間隔はAPAG並であった。少しでも掠ろうものならば二〇ミリ弾の運動エネルギーが容赦無くカルネアデスを砕くであろう。
 しかしカルネアデスの動きは巨体に不釣合いなほどに速い。パイロットの脳波を直接受け取って機体を動かすという『カルネアデスシステム』の賜物であった。
 Gガンより放たれた超高初速二〇ミリ弾の嵐を巧みに回避するカルネアデス。その回避運動はしなやかに舞うかのようであった。
「クソッ!」
 カルネアデスの両肩に搭載されている荷電粒子キャノン砲の砲口がガンフリーダムを示す。回避が適わぬと察したアーサーは厚さ二五〇ミリに達する八三式防盾を構える。
 カルネアデスの放った二本のビームが八三式防盾に突き刺さる。厚さ二五〇ミリにも達する八三式防盾といえどもその熱量に耐えることはできなかった。八三式防盾はドロリと熔け始める。
「うわっ!?」
 アーサーは咄嗟に八三式防盾を放り捨てた。カルネアデスの荷電粒子キャノンの威力は絶大であると思っていたが、まさか八三式防盾が一撃で貫かれるとは思わなかった。
「ガンフリーダムでも勝てないのか………何て奴だ」
 人の手で、戦うためだけに生み出された『申し子』であるアーサー・ハズバンド。しかしカルネアデスの性能はアーサーを遥かに超えていたのであった。



「カルネアデス!」
 カルネアデスに吶喊するエリックのアルトアイゼン・リーゼ。エリックにとってカルネアデスはエリィを捕虜とした憎んでも憎みきれない仇敵。しかし怒りに任せたエリックの吶喊は直進的で、カルネアデスにとって回避することなど造作も無いことであった。
「クッ!?」
 必殺のリボルビング・バンカーも虚しく空を切るのみであった。カルネアデスを倒したいという気持ちは強くつのるばかりであるが、現実は気持ちに追いついてくれなかった。
「クソォッ! 俺じゃあ………俺じゃダメだってのか!!」
 エリックは己の非力に苛立ちをつのらせて叫んだ。
『エリック! 後ろ!!』
 マーシャの怒鳴り声がエリックの耳に届く。咄嗟にアルトアイゼン・リーゼを横に滑らせる。半瞬前までアルトアイゼン・リーゼがいたところにP−80カスタム・セイバーの斬撃が通り過ぎる。
「マーシャ………すまねぇ」
『少しは落ち着きな! 焦ったって状況は変わらないんだよ!!』
「………確かにな」
 エリックがそう呟いた時、P−80カスタム・セイバーが再び迫ってきていた。P−80カスタム・セイバーの剣をリボルビング・バンカーの芯で受け止めるエリック。
「パワーなら………こちらが上だ!!」
 アルトアイゼン・リーゼが力の限りを尽くしてP−80カスタム・セイバーを押し返す。
「何ッ!?」
 グレプがコクピットで信じられないという叫びをあげた時、アルトアイゼン・リーゼの膨らんだ肩がパカッと開く。そして開口された肩から覗くはアヴァランチ・クレイモアの発射口。
 次の瞬間には無数のパチンコ玉サイズの散弾がばら撒かれる。
「うォッ!?」
 グレプは本能的にP−80カスタム・セイバーの腕をコクピット部分の前に持って行き、散弾の嵐から最重要部分を守り抜こうとした。
 その結果、アヴァランチ・クレイモアの全弾を受けたにも関わらず、P−80カスタム・セイバーはコクピット部分だけは損傷を免れることに成功したのであった。その代償としてコクピット部分以外の前面部を屑鉄に変えられてしまったが。
「チッ! ここは退くしかないってか!!」
 グレプは渋々ながらP−80カスタム・セイバーを後退させようとする。脚はやられたが、後背部のブースターユニットがまだ生きているために、歩くことはできずともブースターを使った高速移動は可能であった。
 しかし………
「逃がすか!!」
 P−80カスタム・セイバーに食い下がるアルトアイゼン・リーゼ。アルトアイゼン・リーゼは左腕に仕込まれている五連装二〇ミリ機関砲を放つ。コクピットの他には後背部のブースターしか生き残っていないといえるP−80カスタム・セイバーでは二〇ミリ機銃弾の弾幕を回避することは不可能であった。
「ゴブッ、ハッ………」
 グレプは腹部に二〇ミリ機銃弾の破片を受け、そのために血をモニタースクリーンに吐いた。モニターがベットリとグレプの血糊で塗装された。
「血………血だ………」
 出血のために霞む視界。グレプは焦点の定まらぬ視界で独りごちた。
「血………俺は………血が………」
 グレプが独りごちる最中にも次々と突き刺さる二〇ミリ機銃弾。それはP−80カスタム・セイバーのコクピットブロックを次々と撃ち抜いていく。
「血は………もう見たくない………ギュゼッペ……これで………解ほ………」
 グレプが末期の言葉を言い終えるよりも先に二〇ミリ弾がグレプ自身を撃ち抜いた。二〇ミリ口径というのはPAや戦車などにとっては小口径で威力不足であるが、人体にとっては文字通り一撃必殺であった。
 ギュゼッペによって施された洗脳のために血に餓えた野獣のように生きていたグレプはここに斃れた。



「グレプ! グレプ、返事をしろ!!」
 ハーグが無線に向かって怒鳴る。しかしグレプからの返事は無かった。
「グレプ………」
 ハーグは『ネメシス』隊の半分がこれで戦火に消えたことを悟った。
「おのれェ………おのれ、傭兵どもォ!!」
 ハーグはまるで地獄の底からわきあがるかのようなおぞましい呪詛の叫びをあげた。
「傭兵どもォ! 貴様らは俺の、俺のすべてを奪う!!」
 国も、仲間も、俺自身も。
 何もかも、そう、何もかもが傭兵どのによって狂わされた! 俺の人生は傭兵どものせいでメチャクチャだ!!
 ギュゼッペに施された洗脳とハーグの怒りが合わさり、ハーグはそのように結論付けた。
「許さんぞ、貴様ァ!!」
 ハーグはP−80カスタム・キャプテンのコクピットで吼える。それはさながら手負いの獣のような咆哮であった。
 P−80カスタム・キャプテンが荷電粒子ライフルを乱射しながら『ソード・オブ・マルス』に突っ込む。いや、「乱射」では無い。その射撃は「連続した狙撃」であった!!
 荷電粒子ライフルの一条の光がガンスリンガーFの左肩に突き刺さり、ガンスリンガーFの左肩を爆砕する。
「傭兵どもォォォォッ!!!」
『そんなに熱い奴だとは思わなかったぜ、ハーグ!!』
 サムソンの声はからかいの色が濃かった。それはハーグの怒りの琴線を刺激した。
「サムソン! グレプが死んだんだぞ!!」
『知らねーな! グレプもエレメーイも、弱いから死んだんだよ! この戦場では………力こそがすべてなんだよ!!』
「サムソン!?」
『そうだ………俺は強いんだ………俺は、俺は、今の俺は神に等しい存在なんだ! いや、神以上の、超神なんだァッ!!』



 戦場から少し離れた安全圏。
「………こ、これはどういうことだ!?」
 サムソンの変貌に驚いていたのはハーグだけではない。当のギュゼッペたち技術陣ですらサムソンの変貌には寒気を感じていた。
「サムソンは洗脳の結果、粗暴にはなったが………あんな発言をするような男ではないはず………」
「ギュゼッペ技術中佐! サムソンの身体状況に異変が起こっています!!」
 カルネアデスはパイロットの脳波で動く。それは前代未聞のシステムであったために、後学のためにとサムソンには身体状況を逐次ギュゼッペたちの元に転送できるシステムも併載されていた。そのシステムでサムソンの身体状況をチェックしていた技術少尉がギュゼッペを大慌てで呼んだ。
「どうしたというのだ!? 一体………何が起こっているのだ!?」
「サムソンの体は異常なまでのアドレナリンが分泌されています! この分泌量は………常人の数倍、いえ、下手をしたら一〇倍はでています!!」
「と、いうことは………」
「今のサムソンは極度の興奮状態にあります!!」
「カルネアデスにそのような落とし穴があったとは………クッ」
 ギュゼッペは己のうかつさに苛立って強く唇をかみ締めた。



『ランカスター隊長! 大丈夫か!?』
 ネーストルの声がガンスリンガーFのコクピットに響く。
「ああ、左肩を持っていかれたが………まだいける!!」
『………無理はするなよ』
「大丈夫だ。俺は………そう簡単に死なない」
 ハーベイがそう言った時、カルネアデスの様子に異変が生じ始めた。
「? 何だ………?」



「俺は………俺は神を超えたんだ………俺が戦場を支配するんだ………」
 カルネアデスのコクピットで独り呟き続けるサムソン。その眼は紅く血走っており、口からはよだれが流れている。しかしサムソンはそのよだれを拭おうともしない。それ以前によだれに気付いた素振りすらない。
「俺に………俺に………逆らうなァ!!」
 サムソンの絶叫と同時に放たれる荷電粒子キャノン。サムソンの眼にはビームによって貫かれて炎上するPAが見えていた。
 しかし実際にはそのビームは空を切るばかりであった。サムソンには幻覚が見え始めていた。いや、幻覚だけではなかった。
「うおああああああああアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!」
 サムソンの聴覚は確かに彼を呪う声が聞こえていた。しかし実際には無線は何も伝えていなかった。
「頭がァ! 脳がはちきれるゥゥゥゥ!!」
 サムソンはカルネアデスのコクピットで自らの頭を掻き毟る。力強く、そして爪をたてて掻き毟るためにサムソンの頭皮は己の爪で引き裂かれ、サムソンの髪は自らの流した血で紅く染まった。
「の………脳が、脳が痛ェェェェェッ!!」
 サムソンはなおも頭を掻き毟ろうとする。しかしカルネアデスは自らの頭部に爪を突きたてようとするサムソンの思考をナンセンスとして従おうとはしなかった。カルネアデスはさらなる戦闘指示をサムソンに尋ねる。
「俺は、俺は脳が掻き毟りてぇんだよォォォォ!!!」
 カルネアデスがサムソンの脳に直接要求する戦闘指示。しかしその情報量は膨大であり、サムソンの頭脳はカルネアデスの要求に応える事ができず、彼の脳みそは過剰なまでの情報量によってパンク寸前となっていた。



「動きが………乱れた!?」
 急に苦しそうに悶え始めたカルネアデス。ハーベイは何故そのようなことになり始めたのかはわからない。しかしこの機会が最大のチャンスであることはわかった。
「………今しかない!!」
 これを逃せば強敵カルネアデスの撃墜は二度と望めなくなる。そう思ったハーベイはガンスリンガーFを突進させる。残された右手に対PA用ナイフを装備させて。これをカルネアデスに突き立てれば、さすがのカルネアデスといえども一たまりも無いはずであった。
「おし! もらったァ!!」
 ハーベイが必殺の一撃を叩き込もうとするまさにその瞬間のことであった。
 後はフットバーを一度軽く蹴って機体の姿勢を整えるだけであった。そのためにハーベイはフットバーを蹴ろうとする。
 だが………
「!?」
 ハーベイは自分の脚が自分のもので無い感覚に囚われた。いや、感覚だけではない。実際にハーベイの脚は動いていなかった。まるで自らの脚が石になったかのような感覚。
「こ、こんな時に………!!」
 ついにハーベイの脚の筋肉が萎縮しきって動かなくなってしまったのであった。もはやハーベイが自らの力でフットバーを蹴ることは叶わなくなってしまった。
「うおあああああああああ!!」
 サムソンがコクピットの中で狂気の叫びをあげてカルネアデスを動かす。カルネアデスの鋭く尖った指先がガンスリンガーFのコクピットを貫く。フットバーによる指示が無かったために姿勢を整えることができなかったガンスリンガーFはカルネアデスの指先から逃れることはできなかった。むしろ自身のブースターの推力によってカルネアデスの指先はより深く突き刺さったかのようであった。
「エレナ!!」
 何も………何もお前に残してやれず………スマン!!



「ハ、ハーベイ君!!」
 マーシャが自分の目の前で起こった惨事が信じられないとばかりに何度も目を擦って確認する。しかし現実は変わらなかった。
「そ、そんな………アンタまで死んで………どうするってんだい!!」



「ギュゼッペ技術中佐!」
「うむ、敵の動きが鈍った………今のうちにカルネアデスとハーグを撤退させろ!!」
 ギュゼッペは強く噛みすぎて血が滲む唇を振るわせる。
「今のサムソンに言っても無駄だろうから、こちらからの遠隔操作で後退させるんだ!!」
 おのれ………またしても、またしても私の作品は完璧ではなかったというのか! 『申し子』も彼の援助無し、自力では失敗だったが………私の力はその程度でしか無いというのか!!



 ハーベイの死は『ソード・オブ・マルス』の士気を打ち砕いた。
 これ以上の戦いには耐えられないと判断したマモトは一時撤退を指示。
 不帰の出撃であったはずだったが、彼らは一時退く事になったのであった。
「そう………ハーベイ、死んじゃったんだ」
 ハーベイの死を聞いたエレナは想像以上に落ち着き払っていた。いや、それは表面上なだけで、内面は悲しみで溺れそうになっているのだが。
「………!?」
 唐突にエレナは口元を押さえる。そして朝飲んだ野菜スープを吐き出した。
「エレナ!? お、おい! 救護班を呼べ!!」
 ………………
 一五分後。
 コリヤークの医務室のベッドにエレナは横たわっていた。
 エレナのベッドの隣では呆けた表情でエリィが眠っていた。
「イーラ軍医長、エレナさんは大丈夫なんですか?」
 アーサーがコリヤーク軍医長のイーラに尋ねた。イーラは白衣にあわせたのかと疑いたくなるほどに髪の色が真っ白であった。まだ三〇代であるにも関わらず。
「うん、大丈夫といえば大丈夫なんじゃが………」
 イーラはどのような表情をすればいいのか迷っている様子であった。
「ま、まさか何かの病気なんですか!?」
「いや………おめでたじゃよ」
「……………」
「……………」
「……………」
「………おめでたって………」
「ライマールさんのお腹には新しい命が宿っているということじゃ」
「そ、それって………」
「ハーベイの子供よ」
 エレナの声に振り向く一同。
「イーラさん。本当に、本当にハーベイとの子供が私のお腹にいるの?」
 エレナが確認のためにイーラに尋ねた。イーラは無表情で頷いた。ハーベイが死んだ後でこのような結果になるというのは………イーラにとっては悲しすぎる結果であった。
 しかし当のエレナは優しい、慈母のような優しい表情で自分のお腹を撫でていた。
「………残せたじゃない、ハーベイ」
 貴方は自分が私に「何も残すことができない」と言っていたけど。貴方は確かに残してくれたわ。私の生きる希望を………



 同じ頃。
「………諸君、さぁ、行こうか」
 傭兵派遣会社『アフリカの星』社長のハンス・ヨアヒム・マルセイユは静かに宣言した。そして彼は『アフリカの星』所有の輸送機に乗り込む。
 それに続くは数百人の歴戦の傭兵。それも全員が完全武装であった。
 輸送機はエンジンの轟音を残して滑走路を離れる。
 終局は………間近にまで迫ってきていた。


第三五章「An angel’s torn wings」

第三七章「U.N. is gained control of」

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