軍神の御剣
第三五章「An angel’s torn wings」


 一九八三年九月一四日。
 リベル人民共和国首都リベリオン。
「あれだけ大きな口を叩いておいて、結果はこれか!!」
 リベル人民共和国首相アルバート・クリフォードが力の限りで机を叩いた。クリフォードは怒りで顔を真っ赤に染めていた。まるで赤鬼のようであった。
 しかしクリフォードの怒りの矛先であるはずのヘルムート・フォン・ギュゼッペは飄々としていた。クリフォードが怒れば怒るほどにギュゼッペは悠然としていった。
「………クリフォード閣下。確かに先の戦闘で我が『ネメシス』隊はP−80カスタムのヘヴィとディスチューブを失いました。ですがヘヴィのパイロットのサムソンは生きて帰る事ができました」
 先の戦闘――クリフォードたちに牙を向いたマモトの部隊との戦闘の末にギュゼッペが率いる『ネメシス』隊はP−80カスタム・ヘヴィとP−80カスタム・ディスチューブを失っていた。特にP−80カスタム・ディスチューブのパイロットであったエレメーイも戦死するという大損害であった。おまけに残ったP−80カスタム・キャプテンにセイバーも損傷が激しく、修理に一日費やさなければならなかった。しかしギュゼッペに言わせれば、それすら許容範囲内であった。
「確かにエレメーイは戦死しました。ですが彼は貴重な時間を稼いでくれました。収支計算的には充分プラスになるでしょう」
「………まるで資本主義者のようだな、その考えは」
 クリフォードの呟きにギュゼッペは思わず失笑しかけた。共産主義など欠片も信じていない男が言うセリフではないよ、アルバート・クリフォード………
「すでに『ネメシス』隊の切り札はリベリオンに到着し、組み立ても完了しております。後は出撃させるのみ………」
「おお! ではカルネアデスが出撃できるのか!!」
 ギュゼッペの口から「カルネアデス」という単語を聞いたクリフォードの顔にようやく怒り以外の感情が戻る。
「その通り。で、ちょうど愛機を失ったサムソンを乗せようと思います」
「なるほど………では即刻出撃させてくれ。これ以上マモトたちをのさばらせておいてはロクなことにならない」
「了解しました。では早速出撃準備にかかりましょう」
 ギュゼッペは表面上だけは恭しく一礼するとクリフォードの許を後にした。



「あ、ギュゼッペ中佐」
 ギュゼッペと同様に白衣に身を包んだ男たちが一機のPAに群がっていた。
 そのPAは並のPAより頭一つは大きかった。全長一二メートルの巨体で、その身は巨体に相応しくガッシリとしていた。しかしその大きさもさることながら、両肩に搭載されている大口径キャノン砲も印象的である。その巨大PAは紅色に塗装されていた。真紅ではなく、暗い紅色であった。まるで今まで浴びてきた返り血で塗装されているのではないかと疑いたくなるほどに禍々しい色であった。
「カルネアデスの調整は万全か?」
 ギュゼッペはその巨大PAの調整を行っていた部下たちに言った。「カルネアデス」。それこそがこの巨大PAの名であった。『ネメシス』隊はこのカルネアデスという機体のために編成された部隊であった。
「はい。サムソン少尉も準備万端です」
「実戦で出すのは初めてだ。どんな事態が起こるかもわからん。調整は寸分狂いなく完璧にしておけ」
「ハッ」
 カルネアデスの調整は部下にすべて任せ、ギュゼッペはそのカルネアデスを少し離れた所から見ることにした。
「………X−1 ガンフリーダム。西側の最強PAはアレだが、東側の最強はこのカルネアデスとなる………東西最強PA対決………さて、あのお方はどう思われるだろうな」
 ギュゼッペは誰に言うでもなく小さく笑った。その笑いはどこか自嘲めいたものを感じさせるものであった。



 同じ頃。
 アメリカ合衆国ニューヨーク州のとある高層ビル。
 その天を突き刺さんばかりにそびえ立つ高層ビルの地下に『アドミニスター』の本部はあった。
「さて、マルセイユ君………君はこのことをどう説明するつもりかね?」
『アドミニスター』に君臨する一三人の幹部、通称『一三階段』の六段目、下から数えて六番目の地位にあるミスター・アムプルが一段目、つまりは『一三階段』の中ではもっとも地位の低いハンス・ヨアヒム・マルセイユを糾弾していた。
「今、リベルの戦場でヨシフ・キヤ・マモトが率いている部隊の中にガンフリーダムが見える………これは一体どういうことか!?」
 ミスター・アムプルが力の限り机を叩く。しかしマルセイユはミスター・アムプルの糾弾など聞こえていないかのように飄々としていた。
「さて………私は確かに『アフリカの星』の社長です。ですが、すべての社員の行動を熟知しているわけではありませんので」
「そんな言い訳が通じるとでも!?」
 ミスター・アムプルはマルセイユの不遜な態度に怒りを倍化させて怒鳴った。
「しかしガンフリーダムを受領していた『ソード・オブ・マルス』はこの世に存在しません。報告ではすでに同部隊は壊滅していまして………」
「貴様! どこまでも白を切る………」
 ミスター・アムプルが再び手を上げ、机に振り下ろそうとした時であった。
「………マルセイユ」
「こ、皇帝………」
 マルセイユの名を呼んだのは『一三階段』最上段の皇帝であった。『一三階段』の最上段………世界の各地で戦争を引き起こし、利益をあげている超国家規模戦争商人団体である『アドミニスター』を率いる男。
「貴様とて知らぬわけではあるまい? 遠田 邦彦、レイモンド・エイムズ・スプルーアンス………我ら『アドミニスター』にたてつこうとした者たちがどのような末路を遂げたか………」
「それは勿論承知しています。私とて戦争で利益を得ている傭兵派遣会社の社長。『アドミニスター』は私にとっても必要な組織です」
「………皇帝」
『一三階段』の一一段目であるヘッツァーが皇帝に声をかけた。顔の右半分を銀の仮面で覆い隠している男で、『アドミニスター』の中でも一番謎が多い人物として知られていた。
「私の調べでもマモトの部隊とマルセイユ社長とでは接点が見つかりませんでした。諸氏、よく聞いて欲しい。マルセイユ社長の言葉は確かに限りなく疑わしい。だが彼は無実だ」
「………ヘッツァー殿がそう言われるならば信じるしかないか」
 一同の心理を代弁して見せたのは『一三階段』の三段目のフォン・ウォーリックであった。
「………ヘッツァー様、どうもありがとうございます」
 会議が終わってから後、マルセイユは自らにかけられた嫌疑を晴らしてくれたヘッツァーに対して頭を下げた。
 そのマルセイユに対してヘッツァーはにべもなく言った。
「………マルセイユ社長。貴方がどこまでやれるか………楽しみにさせていただこう」
「!?」
 その言葉を聞いた時、マルセイユは全身を強張らせた。
 ………コイツ、知ってやがる………だが何よりもわからないのがコイツの考えていることか………
 マルセイユは今までずっと『アドミニスター』を倒すために活動してきていた。そして彼は皇帝さえどうにかすればいいとも思っていた。しかし………それは誤りであることを認めざるを得なくなっていた。



 一九八三年九月一四日午後一二時一七分
「リベリオンまで後どのくらいだ?」
 陸上戦艦コリヤーク艦橋。
 ヨシフ・キヤ・マモトは艦長席に座るマクシーム・フョードロブナに尋ねた。
「距離的には一三〇キロ程度だな。もっともクリフォードたちも防衛線を形成して、てぐすね引いて待ち構えているだろうから時間はかなりかかることになるだろう」
「ふむ………」
 フョードロブナの返答にマモトは顎を撫で回した。ヒゲをそり忘れているために無精ヒゲがマモトの掌にかすかに刺さる。
「ギュゼッペの『ネメシス』隊は前回の戦いで戦力を欠いている。恐らく次に動かすのは政府軍の正規部隊だろうな」
「リベル正規軍か………錬度は高くないが、数がなぁ………」
 そう言って眉に皺を寄せたのはマモトと共に戦うことになった『ソード・オブ・マルス』のハーベイ・ランカスターであった。
「俺がルエヴィト攻めた時に使った兵器は使えないのか?」
 マモトが指摘するのはX−1 ガンフリーダムの右肩に装備されているG−mk2のことであった。G−mk2は大出力のエネルギーを放つ戦略的ビームキャノンであり、この一撃でマモトは傘下の部隊を壊滅させられたことがあった。
「ガンフリーダムか………アーサーは嫌がるだろうな」
「アーサー? ………あぁ、あの大人しそうな奴か?」
「アーサーは極端に人を殺すことを嫌っている」
「おいおい。そんな奴が傭兵やるなよ」
 マモトは苦く笑った。
「マモト。だがアーサー君の考えこそがむしろ普通なのではないか?」
 そう言ったのはフョードロブナであった。
「かもしれない。いや、きっとそうなんだろうな………」
 マモトは視線を少しだけ下げ、ポツリと呟いた。
「戦場に………長く居すぎたのかもしれんな、俺は」
「マモト………」
「きっと目の前に死体が転がってても、何も感じないんだろう。そういう精神になっちまったよ」
「マモトさん」
 ハーベイがマモトに言った。
「俺も似たような感じです。でもね、俺は思うんです」
「?」
「俺はいい。でも、この国に生きる子供たちにはそんな思いを絶対にさせはしない………『アフリカの星』はそのためにあるんじゃないかと思います」
「子供たち………そうか、そうだよな」
 マモトは静かに目を閉じ、小さく笑った。
「ハーベイの言うとおりだな。アンナたちが大人になる頃に………争いの無い平和な世界を渡してやらないといけないんだったな」
 そう言った時、コリヤークのレーダーに敵影が現れた。
「敵? 数は!!」
 フョードロブナは間髪いれずに尋ねた。そしてコリヤークのオペレーターはそれにすぐ答えた。
「数は………たった一機のみです!!」



「ヘヘヘヘ………コイツが俺たちのためだけに作られた新型機カルネアデスか」
 カルネアデスのコクピットに座るのはサムソンであった。
 サムソンはカルネアデスの性能の高さに素直に喜びを感じていた。
「コイツは………P−80カスタムなんか目じゃないぜ!」
 カルネアデスは並のPAより頭一つは大きいくせに機動性は群を抜いて高かった。その最大速力はガンフリーダムやアルトアイゼン・リーゼといった西側最速機などでも敵わないほどであった。
「ヘヘヘヘ………ご機嫌だぜェ!!」
 サムソンはそう叫ぶと操縦桿の赤いボタンを押した。
 そして次の瞬間………



「何!?」
 コリヤークの巨体をも揺るがすほどの衝撃が襲い掛かる。
「キャッ!?」
 衝撃にバランスを失って転倒するアンナ。しかしマモトが咄嗟にアンナを抱き止めた。
「あ、マモトさん………」
「大丈夫か?」
「え、は、はい………」
 アンナの瞳をまっすぐ見据えて尋ねるマモト。アンナは顔に血が過剰に通って紅くなるのを抑えることができなかった。だからアンナは少し顔をそらした。
「おい、フョードロブナ! 被害は!?」
 アンナが無事であることを確認したマモトはすぐさまアンナの顔から目を離し、フョードロブナに向かって怒鳴った。
「兵員室がやられた………だが戦闘には支障無い!!」
「そうか! ハーベイ! すぐさま『ソード・オブ・マルス』を出そう! あのPAは侮れないぞ!!」
「わかってる!」
 マモトの言葉を聞き終えるよりも先にハーベイは艦橋を後にしていた。その迅速な対応はマモトにとって心地よかった。
「……………」
 アンナは自分を無視して為すべき事に集中するマモトの横顔を慕情と失意の目で見つめていた。



「スゲェ………コイツはスゲェぞ!!」
 サムソンはカルネアデスの火力の高さに思わず打ち震えた。
 カルネアデスの主武装は両肩のキャノン砲である。このキャノン砲は荷電粒子キャノンである。そう、P−80カスタム・キャプテンに試験的に使われた荷電粒子ライフルの強化型なのだ。その破壊力はコリヤークのような陸上戦艦ですら問題ではないほどである。
 しかし荷電粒子砲には膨大な電力が必要なのも事実。並のPAではとてもではないが使うことは不可能であろう。
 だがカルネアデスは並のPAではなかった。この機体もガンフリーダムと同様に小型核融合炉を動力としているのであった。小型核融合炉の生み出す膨大な電力。これこそがカルネアデスの最大の武器なのであった。
「ヘヘ………今日こそ引導渡してやるよ!」
 サムソンはカルネアデスの照準をコリヤーク艦橋に定める。
 しかしすぐさまその照準をコリヤーク艦尾にそらした。
「………来やがったな、傭兵どもめ!」
 コリヤーク艦尾のハッチから次々と飛び出してくる『ソード・オブ・マルス』のPA隊。
「ハーグぅ、悪いが奴らは俺が全滅させちまうぜぇ!!」
 サムソンはコリヤークのことなどすでに意識の外に追い出し、まっすぐに『ソード・オブ・マルス』の方へと向けた。



「あれは………?」
 エリシエル・スノウフリアは迫り来るカルネアデスの威容に思わず気圧されてしまった。
 流麗なフォルムを誇り、どちらかというと女性的なイメージを抱かせるガンフリーダムとは違い、カルネアデスは禍々しいまでに男性的であった。
 カルネアデスの両肩から突き出るキャノン砲が獲物を捜し求める蛇の頭のように不気味に蠢く。
「!?」
 無意識のうちにカルネアデスのキャノン砲の延長線上にいることを躊躇っていたエリィ。その無意識の行動が彼の命を救った。一瞬前までエリィのアルトアイゼン・リーゼがいた場所をエネルギーが横切った。アルトアイゼン・リーゼを掠めるかと思われたビームはすんでの所で回避されていた。しかし回避したにも関わらず、アルトアイゼン・リーゼの装甲が炎にあぶられたかのように焼けただれてしまっていた。
『大丈夫か、エリィ!?』
 エリィの恋人であるエリック・プレザンスの声が無線に響く。
「え、ええ………何とか直撃は避けたわ………」
『今のは………P−80カスタムのうちの一機が装備してたビームライフルの強化改良型みたいだな』
『あれも特機ってことかい………』
『ハーベイだ。全機、とにかく奴のキャノン砲の延長線上にだけは近寄るな! 近接格闘で向かうぞ!!』
 ハーベイの言葉と同時に思い思いの方向へ散開する『ソード・オブ・マルス』の戦士たち。たとえ強力な敵機であろうともたったの一機。その挙動にさえ注意していれば負けるはずは無かった。
 だが………
「何!?」
 カルネアデスに接近しようとする『ソード・オブ・マルス』に対し、カルネアデスはまっすぐに向かってきたのであった。距離をとって荷電粒子キャノンの射撃に専念すると思っていたエリィには意外な行動に思えた。
「接近戦にも自信があるということ………?」
 エリィはそう呟きながらも左腕に仕込まれている五連装二〇ミリ機関砲を放ってカルネアデスの牽制を行う。
 並のPAより頭一つ抜けて大きいカルネアデスはよい的になるかと思われたが巨体にそぐわないほど軽やかな身のこなしで二〇ミリ口径の鋼鉄の雨から逃れた。
「そう簡単にはやられてくれない、か………」
 アルトアイゼン・リーゼのコクピットスクリーン越しにカルネアデスの巨体がどんどん迫ってくる。思わず逃げ出したいほどの迫力であった。しかしエリィは一歩も怯まずに右手を大きく引き、必殺のリボルビング・バンカーを叩き込もうとする。
 だがカルネアデスの動きはエリィの想像の遥かに上をいっていた。アルトアイゼン・リーゼの右腕は虚しく空を泳ぐだけであった。
「何ですって!?」
 カルネアデスは頭部のカメラセンサーを光らせる。その輝きにはおぞましい殺意が感じられた。
 ガキィッ
 カルネアデスの右手が目にもとまらぬ速さでアルトアイゼン・リーゼに向けて突き立てられる。その右手はアルトアイゼン・リーゼのコクピットを狙っていたのだが、エリィは咄嗟にアルトアイゼン・リーゼの身をよじらせる事でコクピットへの直撃を避けた。しかしカルネアデスの右手はアルトアイゼン・リーゼの左わき腹を切り裂いていた。
「!?」
 そこでエリィはカルネアデスの手の指先が非常に鋭利に尖っていることに気付いた。つまりカルネアデスの手はマニピュレーターとしての機能も有していながら近接格闘戦もこなすことができているのであった。PAとしては破格の装甲を誇るアルトアイゼン・リーゼの装甲を易々と貫くのだからその破壊力は驚嘆に値する。
「驚嘆なんて………呑気なことは言ってる暇、無いわ!!」
 しかしエリィはそれでもカルネアデスから離れようとはしなかった。距離を開ければ一撃必殺の荷電粒子キャノンが待っているのだ。それならば格闘戦の方がまだマシであるという判断からであった。
『エリィ! 無事か!!』
 エリックのパンツァー・レーヴェがナイフを陽光に煌かせながらカルネアデスに突進する。
 カルネアデスは左手でパンツァー・レーヴェの振り下ろしたナイフを受け止めた。そしてナイフの刃をそのまま握りつぶす。ナイフの刃はカルネアデスの手を切り裂けなかった。カルネアデスの手の方が硬く、刃が立たなかったのであった。
 カルネアデスはゆっくりとパンツァー・レーヴェに向き直る。
 その姿はまさに悪魔的であった。



「クソッ! だけどガンフリーダムなら!!」
 アーサーはガンフリーダムをGガンを放ちながら急降下させる。Gガンは小型核融合炉搭載PAであるガンフリーダムの豊富な電力を使った二〇ミリ口径のレールガンである。その弾速は荷電粒子キャノンには負けるが、それでも簡単に回避できるものではなかった。
 しかし………
 カルネアデスはGガンの射撃をすいすいと避けていた。当たるどころか掠めることすらなかった。
「バカな!?」
 アーサーは信じられない思いであった。自分は人を超えた人として『申し子』計画の末に生まれた存在であった。それだけに常人を遥かに上回る反射神経や運動能力を持ち、PA乗りとしては何人たりとも右に並ぶことはできないはずであった。
「なのに………なのにあのPAのパイロットは………」
 アーサーは唖然とした口調で呟いた。
「あのPAのパイロットは僕を超えている!?」



「ヘヘヘ………これが『カルネアデスシステム』の力だぁ!!」
 サムソンはカルネアデスのコクピットで吼えていた。今のサムソンはカルネアデスのコクピットにある操縦桿に手すらかけていなかった。しかしカルネアデスは彼の手足のように動いていた。
 カルネアデスが他のPAと違うのは大きさや動力だけではない。その操縦方法も異なっているのであった。
 カルネアデスには『カルネアデスシステム』と呼ばれる特殊システムが用意されていた。それは対PA用のシステムであり、パイロットの脳波をカルネアデスが直接受け取り、まさに人機一体となって戦うというシステムであった。通常の機体ならば、パイロットが考える→体を動かして操縦桿を動かす→操縦桿の命令をPAの四肢に伝達する→PA動く、である。だがしかし、カルネアデスは、パイロットが考える→PA動くとかなり短縮されることになるのであった。サムソンが『申し子』アーサー・ハズバンドを上回ることができたのはこの『カルネアデスシステム』のおかげであった。
「オラオラ! ぶっ殺してやるぜ!!」



「チッ! バケモンか、あれは!!」
 ハーベイはそう思いながらもカルネアデスの弱点を必死に探そうとする。
 カルネアデスの反応速度は並のPAを遥かに超えている。それだけに生半可な攻撃では命中どころか掠めることすらできないだろう。ハーベイはこのカルネアデスを相手に一対一では絶対に勝てないであろうと推測した。
「だが………」
 ハーベイはそう呟くとガンスリンガーFのスロットルを開いた。背部の大出力ブースターから炎を噴き上げて突進するガンスリンガーF。
 ガンスリンガーFはM510を放つ。しかし面を制圧することができるはずの対PA用ショットガンであるM510でもカルネアデスを捉えることは難しかった。カルネアデスは咄嗟に横に跳んで散弾の牙から逃れた。
 しかしカルネアデスが跳んだ方向にはマーシャの四〇式装甲巨兵 侍が待ち受けていた。侍がAPAGを放つ。四〇ミリ弾がカルネアデスの装甲を乱打する。
「やったか!?」
 PAは人の形をしているために装甲が戦車などと比べるとどうしても薄くなってしまう。そのために四〇ミリのような小口径火器で撃たれただけでも撃墜されてしまうのであった。さすがのカルネアデスであっても、数がたった一機だけでは『ソード・オブ・マルス』の巧みな連携攻撃から逃れることは不可能であった。
 しかし!
 カルネアデスの勢いは止まる事を知らなかった。
「何!?」
 四〇ミリ機銃弾ではカルネアデスの装甲を貫くことはできなかったのだった。



『サムソン、サムソン、聞こえるか?』
 APAGの直撃を受けながらもほとんどダメージを受けていなかったカルネアデス。その事実はサムソンの闘志にさらなる油を注ぐ。しかしギュゼッペの通信がサムソンの燃え盛る闘志をかき消した。
「な、何だよ………今いいトコなんだぜ」
 たとえどのような状況下にあってもギュゼッペの命令だけは最優先で聞く。それが彼ら『ネメシス』隊に施された洗脳であった。
『一旦撤退しろ。カルネアデスの装甲が本当にAPAGの弾を受け止めたのかを確かめたい』
「んだって!? もう少し待てねーのか!? そうすりゃコイツら全員ぶっ殺して………」
『サムソン』
 ギュゼッペが冷たくサムソンの名を呼んだ。その声を聞いた時、サムソンの体は恐怖に強張った。逆らってはならないモノに逆らった弱者特有の反応であった。
「わ、わかった………退く」
『よろしい』
 そして途切れる通信。すでにサムソンの思考は如何にしてこの場を後にするかにシフトされていた。もはや『ソード・オブ・マルス』と戦い続けるつもりなど欠片も無い。
 ガンガンガン
 再びカルネアデスの装甲を叩く音。今度はガンスリンガーFの放ったM510の着弾であった。しかしやはりカルネアデスの装甲には傷がつく程度で致命傷にはほど遠かった。
 だがガンスリンガーFの影からアルトアイゼン・リーゼが再び突進してきているのをサムソンは見た。
「野郎!!」
 アルトアイゼン・リーゼのリボルビング・バンカーを受けてはさすがのカルネアデスの重装甲とて一たまりも無い。サムソンはアルトアイゼン・リーゼの一撃を止める必要に迫られる。
 しかしサムソンは一歩も退かず、そのままアルトアイゼン・リーゼの方へ向かってカルネアデスを前進させる。カルネアデスの刃の如く鋭く尖った手刀を持ってアルトアイゼン・リーゼに真っ向から挑まんとする。
 ガキィ!!
 激しく金属同士がぶつかり合う音が響く。
 アルトアイゼン・リーゼのリボルビング・バンカーは………咄嗟に身をかがめて姿勢を下げたカルネアデスの上を虚しく過ぎるのみであった。
 しかしカルネアデスの手刀はアルトアイゼン・リーゼの胸部を貫いていた。
「ヘッ! また会おうじゃねぇか、傭兵!!」
 カルネアデスはアルトアイゼン・リーゼのコクピット・ブロックを引きずり出し、それを抱えて逃げ去ろうとする。
「待て!!」
 しかしカルネアデスに立ちふさがるパンツァー・レーヴェ。そのパンツァー・レーヴェを駆るのはアルトアイゼン・リーゼのパイロットであるエリィの恋人のエリックである。エリックは烈火の如き怒りを携えてカルネアデスに立ちふさがる。
「邪魔だ! どけェ!!」
「エリィを………放せェ!!」
 だが怒りに身を任せた今のエリック冷静さを欠いていた。そんなエリックがサムソンのカルネアデスに敵う筈がなかった。
 エリックのパンツァー・レーヴェの頭部にカルネアデスの左手が突き刺さる。カルネアデスのマニピュレーターに貫けぬものなどこの世に無かった。
 他の『ソード・オブ・マルス』の者たちもカルネアデスに立ちふさがろうとする。しかしカルネアデスの最大速力は『ソード・オブ・マルス』のそれを遥かに上回っていた。カルネアデスを追う事は不可能であった。



 一九八三年九月一四日午後二時四一分。
 カルネアデス襲撃から少し経って落ち着きを取り戻したコリヤーク艦橋。
 カルネアデスという死神の鎌から逃れることができたにもかかわらずコリヤーク艦橋の雰囲気は最低レベルに暗かった。
「………今のがカルネアデスか」
 フョードロブナが苦虫を噛み潰した表情で呟いた。
「ソビエト連邦が製作した第四世代PA………我がガンフリーダムの対極にある機体………恐ろしい性能です」
 大日本帝国陸軍装甲阻止力研究所保髏死畫壊設計局勤務――つまりは日本のPA設計技師の田幡 繁が先の戦いでのカルネアデスのデータをまとめながら呟いた。
「カルネアデスのことなんざどうでもいい!」
 苛立ちを抑えようともせず、大きな声で怒鳴ったのはマモトであった。
「カルネアデスなんざどうでもいい! それよりも、カルネアデスに連れ去られたエリィをどうするか………それを話し合うべきじゃないのか!!」
 マモトは一同の顔を見渡しながら言った。
「マモト………」
「で、ですが今の俺たちはクリフォードと『アドミニスター』の野望を止めるために戦っていて………」
 そう言ってマモトを止めようとしたのは他ならぬエリックであった。しかしエリックが言い終えるよりも早くマモトはエリックの襟を掴んで締め上げた。
「………本当にそれでいいのか? お前、エリィの恋人じゃなかったのか!?」
「………俺だって本音を言えばエリィを助けたい! だが………俺も彼女も傭兵、戦いのプロだ。プロである以上、為さなければならないことの順序を間違えるわけにはいかない………」
「確かに俺たちは『アドミニスター』に一泡吹かせるために戦っている。だがな、目の前で連れ去られた仲間一人助けれないで、それができるとでも思うのか!?」
「マモトさんの言うとおりだな」
 マモトに同調したのはハーベイであった。
「そうだよ! エリィを助けれないで、リベルも助けれるわけないよ!!」
 ハーベイの言葉に続いたのはエレナ・ライマールであった。
「何、ちょっとくらいなら寄り道しても大丈夫だろうさ」
「………ここでエリィを見捨てれば一生後悔するだろう。悔い無く………戦いたいものだ」
 マーシャもネーストルもマモトに賛同した。
「み、みんな………」
「決まり、だな」
「すまない………本当にすまない………」
 エリックは深く頭を下げた。頭を下げた際に彼の目尻から光るものが零れ落ちた。
「しかしエリィさんは一体どこに連れて行かれたのでしょうか?」
 アーサーが尋ねた。
「それに関してはわかっています」
 そう言ったのはスチョーパであった。一同の視線がスチョーパに降り注ぐ。
「私たちは元とはいえ政府軍と共に戦ってましたからね。そういう情報なら任せてください」
「………俺は忘れてたがね」
 マモトがばつが悪そうに頬を掻いた。マモトを見ていた一同は思わず吹き出した。
 そしてコリヤークが進行方向を変える。
 首都リベリオンではなく、リベリオンから少し離れた方角にある捕虜収容所へ向けて。
 ………後に、アンナはこのことを回想して、こう語ったという。
 その時、誰もが信じていました。
 自分たちに不可能は無いと。
 どのような試練が私たちの前に立ち塞がろうとも、簡単に打ち砕いてみせると。
 でも現実は………私たちの想像を遥かに超えて残酷でした。



 同じ頃。
 捕虜収容所。
 この捕虜収容所を預かるのはボグミウ少佐であった。人並みの能力と良識を持った、捕虜収容所の所長としては過不足ない男。ただし多少権力に流されやすい傾向が玉に瑕だと周囲には認知されている。
「久しぶりだな、ボグミウ少佐」
 そう言って気さくにボグミウの肩を叩いたのはミロヴィッツ少将であった。
「ミ、ミロヴィッツ閣下………お久しぶりであります!!」
 ボグミウは肩肘張って敬礼。
「先ほどソビエト人民義勇隊のギュゼッペ技術中佐から届けられた捕虜がいるだろう?」
「え? あ、ああ、女PA乗りだとかいう娘ですな」
「その通りだ。あの娘を『尋問』したい。これを使うので、すぐさま用意をしてくれ」
 ミロヴィッツはそう言ってボグミウに小さな箱を手渡した。箱の中身に興味を引かれたボグミウは目配せで箱の開封の可否を尋ねた。
「ああ、開けてくれて構わんよ」
 その言葉を聞いて初めてボグミウは箱を開けた。その中には注射器数本分の薬物が入っていた。それを見た瞬間にボグミウは表情を青くした。
「ミ、ミロヴィッツ閣下………これはまさか………」
「その通り。これをあの女に投与してくれ」
 ミロヴィッツはボグミウに向かって笑った。その笑顔は邪悪で、下卑ていた。
「で、ですが捕虜にこれを使用することは条約で禁じられて………」
「構わん。あの娘はリベル解放戦線の者ではない」
「え? と、いいますと?」
「あの娘は我ら政府軍にも、リベル解放戦線にも所属しない無所属の兵士………そうなれば条約ではテロリストとして扱われ、人権は保障されない………違うかな?」
 ミロヴィッツの瞳が脅迫の色に光る。ボグミウはその眼光に射すくめられ、これ以上の反論ができなくなってしまった。
「わ、わかりました………では、準備をさせます」
「………どうだ、ボグミウ少佐。君も『尋問』に参加するかね?」
「い、いえ………自分は、自分は結構であります」
「そうか? ではこの収容所の者にも声をかけておいてくれ。君たちも激務で色々と溜まっているだろうからな。フハハハハ」
 ミロヴィッツはそう言ってボグミウの前から消えた。『尋問』を行うための部屋に向かうのだろう。
 ボグミウは手渡された薬品をジッと眺めていたが………結局はミロヴィッツの言うとおりに行動した。
 自らは歯車にすぎないのだと自分に言い聞かせて。



 一九八三年九月一四日午後六時二八分。
 捕虜収容所の周囲にコリヤークの放った巨弾が炸裂する。それはさながらヴェスヴィオ火山の爆発で滅び去ったポンペイの惨状がリベルの大地に蘇ったかのようであった。
「捕虜収容所本館には命中させるなよ! あくまで周囲だけを砲撃するんだ!!」
 フョードロブナが念を入れて付け加える。
 そしてコリヤークの放つ三六センチ砲弾はフョードロブナの言いつけを正確に護り、捕虜収容所の建物自体は損傷らしい損傷を受けることなく健在であった。
 しかし………
「お、おい! 捕虜収容所を護っていた護衛部隊はどうしたんだ!?」
 ミロヴィッツが血の気が引ききった表情でボグミウに尋ねた。
「………ダメです。あの陸上戦艦の砲撃ですべてやられました」
 ボグミウは疲れ切った表情で言った。それはどこか投げやりようにすら思えた。
「ですが増援部隊がすぐそこまで迫ってきています! それを待てば………いや、来ました!!」
 ボグミウの部下が一縷の望みを賭けて言った。
 しかしその望みもすぐさま絶たれた。
 ガンフリーダムがG−Mk2を放ったのであった。わざと直撃を避けるように放たれたG−Mk2の一撃は人命ではなく、増援部隊の士気を根こそぎ奪い去った。戦意を完全に失った増援部隊は尻尾を巻いて逃げるしかなかった。
「お、おのれ………おのれ………」
 ミロヴィッツは口の端に泡を浮かべて悔しがる。
 しかしボグミウはミロヴィッツとは対照的に落ち着き払っていた。
 彼はこの事態を招いたのはすべてミロヴィッツの責だと思っていた。悪いのはすべてミロヴィッツで、自分は悪くない。その考えがボグミウの不気味なまでの平静を支えていた。
「ボ、ボグミウ所長! 敵兵が収容所内に侵入してきました!!」



「探せ! スノウフリアさんはこの収容所のどこかにいるはずだ!!」
 収容所突入部隊を指揮するのはマモトと共にソビエト人民義勇隊を抜けたクロパトキン少尉であった。クロパトキンはAK−47を片手に収容所内の政府軍兵士を次々と射殺していく。
「ただし、だからといってリベル解放戦線の捕虜を邪険に扱うな! 彼らもついでで助けてやれ!!」
「少尉!」
 同じくクロパトキンと共にソビエト人民義勇隊を抜け出したウィッテ曹長がクロパトキンに報告。
「どうした、ウィッテ。見つかったのか!?」
「は、はい………あの、見つかるには見つかったのですが………」
 ウィッテは何か言いづらそうにしていた。
「どうした? あ、『ソード・オブ・マルス』の皆様方! スノウフリアさんが見つかったそうです! おい、ウィッテ。案内してやれ」
「あ、あの………」
 ウィッテの言葉も聞かずに『ソード・オブ・マルス』を呼び、そしてウィッテに案内させるクロパトキン。そしてエリィが救出できたことに安堵の表情を浮かべる『ソード・オブ・マルス』の面々………それらはウィッテの心に暗い影を落とした………



 エリィが見つかったという部屋は照明が消されていた。
 そして部屋に入った時、まず気にかかったのはその臭いであった。
 むせ返るような雄と雌の臭いが部屋に入った瞬間に鼻腔を刺激した。
「な、何だい、こりゃ………」
 いつも強気で何事にも動じないマーシャの声が震えていた。
「明かりは………これかな?」
 アーサーが照明のスイッチを入れる。部屋に明かりが灯り………室内には一糸まとわず、白い素肌をさらす女性が横たわっていた。
「な、何だよ………これは………」
 ハーベイが信じられない、現実を受け止めたくないと言った口調で声を絞り出した。
 部屋に横たわるエリィは衣服を着ていないだけではなかった。体中に無数の男たちから浴びせかけられた白濁した液体。彼女は強姦されていた。そしてその回数をカウントする意味があるのだろう。体のあちこちに、一本の縦線の中に四本の横線が刻み付けられていた。その回数は『ソード・オブ・マルス』の面々の両手の指を使っても足りないほどになっていた。
「エ、エリィ! エリィ、しっかりしろ!!」
 エリックがエリィの頬を叩く。
「………ん」
 エリィは生きていた。エリックは一瞬だけであるが救われたような思いになった。しかしエリィの視線は焦点が定まっていなかった。彼女の視線は虚空に漂っていた。彼女の瞳にエリックは映っていなかった。
「エ、エリィ………」
 エリックは生まれて初めて真の絶望を知った。絶望がこれほどまで深く、そして暗いものだとは知らなかった。
「おい、こっちに来い!!」
 絶望に沈むエリックを現実に戻したのはウィッテの声であった。ウィッテが髭面の男を部屋に引き入れたのであった。その男はミロヴィッツであった。
「貴様、貴様、スノウフリアさんに何をしたんだ!!」
「……………」
 ミロヴィッツは恐怖におののくばかりで何も喋ろうとしなかった。喋れば殺されるという思いがあるのだろう。
「………薬物を投与したのさ」
「!? ボ、ボグミウ………」
 何も喋ろうとしないミロヴィッツに代わってボグミウが口を開いた。
「彼女に投与したのは一種の媚薬でね………それを注射器で四本ほど投与したのさ。並の人間なら二本でもラリるほどの強力な薬をな! そこの男の指示でな! 俺は、俺は何もしていない………そこの女を輪姦したのも、輪姦すようにしたのも全部コイツなんだ! 悪いのは………悪いのは全部コイツなんだ!!」
「……………」
 呆けた表情でエリックが立ち上がった。その手には………コルト社の四五口径拳銃が握り締められていた。
「そうだ、こんな悪漢は殺されてしかるべきなんだ………ははは、はは………」
 パンッ
 一発の銃弾がボグミウの額に突き刺さる。額から突き刺さった四五口径拳銃弾は後頭部を吹き飛ばしながら貫通した。即死であった。
「………黙れ」
 それがエリックがボグミウに対してかけた唯一の言葉であった。
 そして銃口を今度はミロヴィッツに向ける。
 連続する銃声が響く。
 しかしその銃弾はことごとく急所を外したものであった。一発一発が命中するたびにミロヴィッツは苦悶の声をあげる。しかしエリックは無表情に、淡々と拳銃を放ち続けた。銃弾が途切れれば弾倉を交換してさらに撃ち続ける。急所を外していたとはいえどもミロヴィッツは一〇発目を数える頃には絶命して、着弾の衝撃でピクピクと動くだけであった。
 エリックは自分の持ってきていた銃弾をすべてミロヴィッツに叩き込むと膝を折り、床に膝を着いた。
「………何故だ」
 エリックの口から漏れたのは呪詛の声であった。その呪詛の対象は………彼が信じてきていたものであった。
「エリィは、エリィは戦争で家族同然だった孤児院を焼き払われたんだぞ………なのに、なのにまだ彼女を奪おうとするのですか! 神よ………私は牧師の息子として生まれ、今まで一度も貴方の行いに疑問を抱いたことはありませんでした………ですが今回だけは納得がいきません! エリィは………エリィは幸せになってはいけないとでも仰るのですか!! ………もし、もしそうだというのなら………俺は、俺はたとえ貴方でも許すわけにはいかない………絶対に許せない!!!」
「エリックさん………」
 エリックの嗚咽だけが部屋に轟く。誰もかけるべき言葉すら見つからず、ただ立ち尽くすのみ………いや、たった一人だけエリックにかけるべき言葉を見つけた人物がいた。
 彼女はエリックの元に歩み寄るとエリックの胸倉を掴んで無理やり立たせ、そしてエリックの頬に鉄拳を見舞った。
「マ、マーシャさん………」
 呆気に取られる一同。しかしマーシャ・マクドガルは気にせずに続けた。
「………情けないねぇ。男がウジウジウジウジウジと!」
「マーシャ、お前に何がわかる!!」
「ああ、アタシにはアンタの痛みはわからないよ。だけどねぇ、だからとって自分一人だけで悲しむことが許されるとでも思ってるのかい!? エリィを見てごらん! 可哀想に、いつまでも裸で、愛してもいない男の精液をかけられっぱなしかい!? エリィを放っておいて、自分一人で悲しみ続けるのがアンタの愛なのかい!?」
「……………」
 マーシャの言葉でエリックは目が覚めたようであった。エリックはエリィにそっと毛布を被せると彼女を抱きかかえてコリヤークまでの道のりを歩き始めた。
「………エリィ、お前の、お前の愛したリベルを………俺が、俺が必ず『アドミニスター』の手から解放してやる。絶対に、絶対に解放する………だから………」


第三四章「The victim of Love」

第三六章「The Fate of Blaze」

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