軍神の御剣
第三三章「A false war」


 一九八三年九月一一日午前一〇時七分。
 リベル人民共和国内の人も近寄らぬ廃屋にて。
 一人の男がその廃屋に向けて歩みを進めていた。男の年齢は六四歳とすでに初老の域を超えていた。しかし男の足取りはしっかりとしており、外見も若々しく、そして覇気もあることから四〇代半ばにしか見えなかった。
「おっと………オッサン、何のようだ?」
 男はぶしつけな言葉を受けて歩みを止めた。そして声の方を見やる。
 そこには三〇代半ばになろうかという男が拳銃を構えて立っていた。拳銃はソ連軍の正式拳銃であるマカロフ拳銃であった。
 ふむ………ではこの男がそうか………
 実年齢では初老の男が自分に銃口を向けている男を興味深そうに見る。
「何だ? オッサン、あまり人をジロジロと………」
 目の前の男は露骨に不愉快そうな顔をした。なかなかどうして人を食った男である。ソ連軍に在籍していた頃からこうだったのだろうな。だとすると出自の関係も相まってソ連軍ではかなり敵が多かったであろうことは想像に難くなかった。
「失礼………自己紹介をしようかね」
 男は年長の余裕を見せ、悠々とポケットから名刺を取り出した。この男もまた人を食うことにかけては天才的であった。彼の場合、特に女性を食うのは大得意であった。ただし「バカにする」という意味ではなく「こます」という意味で。
「私はハンス・ヨアヒム・マルセイユ。傭兵派遣会社『アフリカの星』の社長をしている者です」
 マルセイユと名乗った男はペコリと頭を下げた。
「マルセイユ? 『アフリカの星』? オッサン、冗談はよせって。そんな社長がどうしてこんな所にいるんだよ」
「それはもちろん貴方と話がしたいからだ。ヨシフ・キヤ・マモト元ソ連軍大佐………」
 マルセイユに銃口を突きつけていたマモトはその銃口を下げた。ひとまずマモトはマルセイユに興味を持った様子であった。
「ヘッ………じゃあその社長さんが、俺と何について話し合いたいってんだ?」
「それはこのような所で話す無いようではありませんね。貴方の隠れ家でじっくり話し合いましょう」
「………フン。じゃあついてきな」
 マモトはそう言うとマルセイユに背を向けた。あまりにも無防備すぎるほどにあっさりをマモトはマルセイユに背を見せた。
 コイツ………若いくせに人を見る目があるな。俺が裏切るような男じゃないと見極めやがったか。
 マルセイユは感心した表情でマモトに続いた。



「悪いが今の俺たちはしがない脱走兵でね。せっかく遠くから来てくれた客に茶の一杯も出せねぇんだ」
 マモトはそう前おいて水の入ったグラスをマルセイユに突き出した。
「あの………マモトさん、一応ロシアンティーがあるにはありますが………」
 まだ一五才にもならない少女がおずおずと言った。
「こんな招かれざる客に出すロシアンティーは無い」
 しかしマモトはあっさりと言い切った。
「『招かれざる客』………ま、その通りだな。お嬢ちゃん、気にしなくていいよ」
 マルセイユは年長者の余裕で微笑んだ。そして少女に向かってウインクを飛ばした。
「あ………」
 少女は照れて頬を真っ赤に染めて俯いた。ふむ。ウブな娘さんじゃないか。マルセイユは少女に対する興味を抱いた。
「おい、アンナに色目使ってる暇があったらさっさと話をしたらどうだ?」
 マモトは不機嫌を隠そうともせずに言った。
「ふむ、あの娘はアンナというのですか。なるほど。後、三年もすれば歴史に名を残すほどの美女となるでしょうな」
「おい、人の話を聞けっての」
「やれやれ………噂で聞いていましたが、本当に短気な人だな」
 マルセイユはやれやれといわんばかりに肩をすくめた。
「チッ………いちいち腹の立つジジイだぜ」
「そっちこそ口の減らない若造ですなぁ」
「……………」
「……………」
「あ、あのッ。それでマルセイユさんは一体何について私たちと話し合うおつもりなのですか?」
 ソビエト人民義勇隊時代にはマモトの参謀長であったスチョーパが尋ねた。
「ふむ………では本題に入りましょうか」
 マルセイユはそう前置いて水を一口だけ口に含んで喉を潤した。
「マモト大佐。貴方にとある仕事を頼みたいのです」
「仕事だと?」
「そう。ある男の捕縛をお願いしたいのです」
「捕縛………で、ある男ってのは誰なんだ?」
「この戦争が終わることを拒み続けている男です」
 マルセイユは表情を変えるどころか眉の毛一本も動かさず、淡々とその名を告げた。
「アルバート・クリフォード。かの男の捕縛をお願いしたい」
「クリフォードだと!?」
 しかしマモトやスチョーパ、アンナといった面々はその名を聞いた時、驚きを隠すことができなかった。
「社長さんよぉ。俺たちは今じゃ確かに脱走兵やってるがな、それまではソビエト人民義勇隊でクリフォード陣営で戦ってたんだぜ」
 マモトはそう切り返した。そもそも脱走兵になってしまったのはギュゼッペの陰謀によってであり、マモトたちにとってはギュゼッペを恨みこそすれどクリフォードは同じ共産主義の思想を仰ぐ同志であった。
「ではこれからその理由をお話しましょう。私が何故にクリフォードの捕縛を申し出たのかを………」
 マモトたちの反応はマルセイユの想像の範疇にあった。だからマルセイユは落ち着き払ってその口を開いた………



 一九八三年九月一一日午後四時三三分。
 舞台は変わってリベル解放戦線の本拠地があるルエヴィト市。傭兵派遣会社『アフリカの星』リベル方面陸上部隊総責任者 カシーム・アシャの私室にて。
「おのれェ………俺たちをたばかりやがったのか!!」
 忌々しげに歯噛みしながら呟いたのは傭兵派遣会社『アフリカの星』リベル方面陸上部隊総責任者であるカシーム・アシャであった。アシャは怒りのあまり報告書を握り締めてしまう。
 その報告書作成に尽力していた副官のサーラ・シーブルーは自分の労力の賜物がアシャに握りつぶされたことに不快感を………覚えなかった。サーラはアシャの行動が妥当なものであると感じたからだ。
「その報告書にあるように、すべては狂言だったのです」
 サーラはアシャに向かって言った。
 サーラ・シーブルーの作成した報告書。それにはすべての真相が書かれていた。
 曰く、「リベル解放戦線を率いる指導者シルバ・トゥルマンとは実在しない。それはある男の偽名である。シルバ・トゥルマンの正体。それはリベル人民共和国首相 アルバート・クリフォードである。彼はリベル政府軍とリベル解放戦線という二つの勢力の主として君臨し、この国で戦争を続けていた」………かいつまんでしまえばそのようなことが書かれていたのであった。
 サーラは静かに目を閉じ、今は亡き最愛の人――エルウィン・クリューガーの魂魄に呼びかける。
 貴方のおかげよ、クリル。貴方のおかげでここまで調査できたわ………
 元はといえばすべてはエルウィン・クリューガーが解決するはずであった。彼はシルバ・トゥルマンが偽りの存在であると気付いた最初の男であった。そしてそのことを世間に公表する前にクリフォードによって謀殺された。
 クリューガーの恋人であったサーラは彼から「True was lie」という遺言を受け取っていた。それがトゥルマンの罪を指摘していたことにはすぐに気付いた。しかし表立って行動してはクリューガーの二の舞になる。そう思った彼女はすべてを内密に進めていたのであった。
「だがね、サーラ君。一つだけ俺にはわからないことがある」
 アシャはサーラに尋ねた。
「なぜクリフォードはこの国で戦争を続けようとする? 戦争が奴の利益になることなんか一つも無いんだぞ」
「その件は私が説明するわ」
 そう言ってアシャたちの前に姿を現したのはサーラの友人にして世界屈指の実力を持つジャーナリスト、エルザ・システィーであった。
「エルザさん………?」
「アシャさんには黙っていたけれど、私がこの国に来た理由はクリフォードの化けの皮を剥ぐ事だったの。今まで隠しててごめんなさいね」
「で、クリフォードは何を考えて戦争を続けたというのですか!?」
 アシャは続きを促した。その声は緊張に少し震えていた。
「その前に、一つ説明しておくべきことがあるわ」
 エルザは結論を急がず、まずはアシャに最低限の知識を教えることから始めた。
「この世界には、『アドミニスター』という組織があるわ」
「『アドミニスター』? 『管理人』?」
 アシャが思わず首を捻る。それは聞きなれない言葉であった。少なくともそのような組織を聞いたことは一度も無い。
「そう。彼らは西側のみならず、東側にも強い影響力を持つ超国家組織なの。その経済力は並じゃないわ。現に今、ソ連の予算のうちのかなりの割合が彼らからの融資でまかなわれているんだから」
「ちょ、ちょっと待て! その『アドミニスター』ってのはソ連を乗っ取っているというのか!?」
「確かに国家を一つの会社のように思えば乗っ取ってるという言い方は正鵠を射てるわね」
「………信じられん」
 アシャは憮然と呟いた。その呟きに応えたのはサーラであった。
「『アドミニスター』は莫大な利益をあげていますから」
「利益………」
「そう、彼ら『アドミニスター』の正体は戦争商人の集団なの。彼らは自分たちの利益のために戦争を求めたわ。自分たちの意のままに動く戦争を」
「そのニーズに応えたのが………」
「アルバート・クリフォードというわけです」
「……………」
 アシャは信じられない思いであった。
 一部の戦争商人の欲望のために、このリベルに住まう数十万の人々が踏みにじられようとしているのであった。そのようなこと………許されていい訳が無い!!
 アシャは内から噴き上がる怒りの炎の勢いが激しくなるのを感じた。
 その時、部屋の扉がノックされた。
「………誰だ」
 アシャは不機嫌を隠そうとせずに応えた。そして開かれる扉。
「さて………話はどこ辺りまで進んだかね?」
 そう言って入ってきたのは『アフリカの星』社長であるハンス・ヨアヒム・マルセイユであった。
「しゃ、社長!? どうしてここに………」
 さすがのアシャもこのような客が来るとは想像すらしていなかった。そのためにその衝撃は相当なものであった。
「ふっ。クリフォード捕縛をある御仁に頼みに来たのさ」
「ある御仁?」
「そうだ。ヨシフ・キヤ・マモト大佐に頼んだのさ」
「マモト大佐に!? 確かマモト大佐は………」
「現在では脱走兵の身分だな。しかしだからこそ自由に動ける身分というわけさ」
「社長! 何故その件を私たちに任せてくださらなかったのですか!!」
 アシャがマルセイユに向けて怒鳴った。
「アシャ君。君には君の立場がある。それに『アドミニスター』の目を欺く意味でも、君のような目立つ人物を動かすわけにはいかない」
「………確かにそうかもしれませんが………」
「で、だ。マモト大佐に部隊をかしてやるぞ。さすがに今のマモト大佐では手ごまが少なすぎるのでな。ちなみに書類上ではその部隊は壊滅したことになる。これで『アドミニスター』の目も欺けるだろうさ」
「そんな短期間に相当数の部隊が消えてはかえって怪しまれるだけではないでしょうか?」
「大部隊は必要ない。たった一個小隊でいい」
「そ、それだけでいいのですか!?」
「当たり前だ。そのために俺はガンフリーダムを引っ張ってきたんだからな」
 マルセイユはそう言って笑った。そして指をパチンと弾いた。
 そのパチンという音を合図に部屋に入る六人の人影。
「『ソード・オブ・マルス』………」
「話は全部社長から聞きましたよ」
『ソード・オブ・マルス』の隊長であるハーベイ・ランカスターがそう言った。
「『アドミニスター』ってのをどうにかしないとこの国に平和が戻らないんだろ? だったらやってやるまでさ!!」
 そう言ったのはマーシャ・マクドガルであった。彼女は左拳を右掌にたたき付けた。
「私の国は………私の手で取り戻したいんです!」
 エリシエル・スノウフリアが決意に燃える瞳で言った。
「エリィの国は俺の国でもあるんでね」
 エリック・プレザンスはそう言ってウインク。
「僕たちにしかできないならば、僕たちがやるまでですよ!」
 アーサー・ハズバンドも興奮に頬を上気させていた。
「………そういうことだ。心配はいらんさ」
 ネーストル・ゼーベイアがそう締めくくった。
「これにバックアップとして整備班を何人か連れて行かせるつもりだ。それにマモト大佐にはもう一つ切り札が備わる予定だ」
 とはマルセイユの言葉である。
「切り札? 他に切り札とは一体………」
「まぁ、もうじきわかるだろうさ」
 マルセイユはそう言って微笑んだ。その微笑みはイタズラっ子のように純真な微笑みであった。
 そして電文を持った通信兵が大童で報国に訪れる。
 その電文を読んだアシャはようやく納得がいった様子であった。
「なるほど………これは確かに切り札ですね」
「だろう? じゃあ『ソード・オブ・マルス』の諸君。諸君らにはつらい任務を与えることになるが、よろしく頼むぞ!」
 マルセイユはそう言って敬礼。
 それに六人のPA乗りは見事な敬礼で答えた。



 一九八三年九月一一日午後二時五七分。
 リベル国境地帯。
 巨大な………そう、とてつもなく巨大な鋼鉄の人工物がリベルの草原を走っていた。いや、正確にはその鋼鉄の人工物は走っていない。それは地面のスレスレを浮かんで進んでいた。
 全長二〇〇メートルを超え、全幅も三〇メートルをはるかに超える巨体が重力に逆らって浮かぶ様はまさに圧巻。
 その鋼鉄の人工物は、あの陸上戦艦 ウラルであった。勿論、ウラルはすでに無い。『アフリカの星』の活躍でウラルは撃沈されている。それはウラルの同型艦であった。
 ウラル級陸上戦艦三番艦 コリヤーク。
 ガンフリーダムの放ったG−Mk2の一撃で戦力を激減したソビエト人民義勇隊の新たな戦力としてソ連本国が送り込んだ兵力であった。
 コリヤークの艦長はマクシーム・フョードロブナ。ソビエト陸軍大佐であった。
 中肉中背でどちらかというと軍人らしからぬ学者然とした風貌を持つ男であるが、これでもソ連軍が将来をもっとも期待している若手将校であった。
「ここがリベルか………」
 フョードロブナは一人呟いた。
 本当にここでお前は死んだのか、マモト………
 フョードロブナはマモトの数少ない友人であった。マモトは祖父があのヨシフ・スターリンであったがために周囲の人間には無視されるか、もしくは迫害を受けるかの二つしかなかった。だがフョードロブナは「スターリンの罪はスターリンの罪。マモト自身に罪は無い」と思っていたために、彼はマモトと普通に接していた。フョードロブナがマモトの巻き添えで村八分にならなかったのは、フョードロブナが非常にできた人格者であるからであった(もっとも人格者だからマモトと友人になろうとしたんだろうが)。
 そのマモトであるが、リベル解放戦線の手にかかって戦死したと本国に報告されていた。その報国を行ったのは技術士官であるヘルムート・フォン・ギュゼッペである………
『おい、そこのバカデカい陸上戦艦! 聞こえてるか!!』
 フョードロブナが巡らせていた思考を打ち破ったのは粗雑な声であった。
「何だ?」
「艦長、どうもこのコリヤークの通信回路に何者かが侵入したようです」
「侵入だと? このコリヤークの通信回路に侵入するなど容易ではないはずだが………」
『おい、聞いてんのか!? フョードロブナ! いるんだろうが!!』
「ま、まさかその声は………」
 フョードロブナは無線のマイクを取って返事する。
「マモト!? ヨシフ・キヤ・マモトか!?」
『何だ、いるんじゃねーかよ。さっさと返事しろよな』
「お前………お前、死んだのではないのか!?」
『詳しいことは後で話す。だから俺をコリヤーク艦橋に入れてくれないか?』
「艦長、もしかしたら罠かもしれませんよ!!」
「………いや、構わん。罠にしては稚拙すぎる。罠な訳があるまい」
 そう言ってフョードロブナはマモトたちをコリヤークに迎える事となった。
 そして三〇分もした頃。
 コリヤークはソビエト人民義勇隊の指揮下………いや、ソ連軍からの独立を宣言した。
 そして数時間後に『ソード・オブ・マルス』との合流を果たす。
 すべてに決着をつけるための戦いが今、始まった。


第三二章「Nemesis」

第三四章「The victim of Love」

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