軍神の御剣
第二九章「Left−behind short time」


「お久しぶりです、皆さん」
 一九八三年八月一九日早朝。
 辛くもソビエト人民義勇隊の猛攻から守りぬかれたルエヴィトのリベル解放戦線総司令部にて。
 日本人技術者である田幡 繁は『ソード・オブ・マルス』の面々を前に、そう言って頭を下げた。
「やっぱ何人か見ない顔がいるね………仕方ないことなのだろうけど………」
 そう言って寂しそうに笑ったのはマーシャ・マクドガルであった。元『ソード・オブ・マルス』の一員で、田幡の婚約者でもある。
「まぁ、ね………」
 そう言ったのはエリック・プレザンスであった。
「ところでタバタ。あのPAは………」
「ええ。私の会心作です。X−1 ガンフリーダム」
 田幡は後ろに振り返り、朝焼けに立つガンフリーダムの雄姿を見上げた。全長は八.六メートルと標準的であるが、その流麗なフォルムと右肩に搭載されたGキャノンの調和が並外れた印象を植え付ける。
「アメリカのPAメーカーであるアルタネイティブ社との共同開発機で、ここに実戦テストの名目で持って来ましたよ」
「実戦テスト………」
「そう。アタシもまた『アフリカの星』に登録しなおしたの。このガンフリーダムのパイロットとしてね。本当はそんな面倒くさい手続きはしたくなかったんだけど、甲止力研所属のままだと色々と面倒なことがあるんでね」
「………なるほど。日本はこの戦争に介入する意思は無い。しかしリベルを共産化させたくはない………その利害関係がそのような処置をとらせたのだろうな」
 ネーストルの推測は的の中心を射抜いていた。
「へぇ、なかなか鋭いね、アンタ?」
「………ネーストル。ネーストル・ゼーベイアだ」
 ネーストルが自分の名前を名乗る。その名に聞き覚えがあったのは田幡であった。
「では貴方があの『血染めのマリオネット』隊の………」
「………昔のことだ。今は『ソード・オブ・マルス』の戦友だ。よろしく頼む」
 ネーストルはそう言って握手の手を差し伸べた。田幡は元東側最強の撃墜王の手を、やや緊張した面持ちで握った。ネーストルの手は、彼の熊のような体格に相応しく大きく無骨であったが、しかしどこか暖かい優しさを秘めていた。
「で、そっちの坊やは何者だい?」
 マーシャは『ソード・オブ・マルス』のもう一人の知らない顔の少年を指差した。
「あ、はい! 僕はアーサー・ハズバンドって言います! よろしくお願いします!!」
 アーサーははきはきと答えた。本当は一九歳で、青年と呼ぶべき年頃なのだが、アーサーは常にそのような態度を示し、さらには童顔であるので年相応に見られたことがなかった。そしてマーシャは彼の年齢を一六歳くらいと踏んでいた。
「あはは。ずいぶんと可愛い子じゃないか。こっちこそよろしく頼むよ!」
 マーシャはそう言ってアーサーの背中を叩く。マーシャとしては意地悪く、アーサーが咽ることを期待して強めに叩いたのだがアーサーはびくともしなかった。
「はい! よろしくお願いします!!」
「………ところでハーベイさんは?」
 自己紹介が終わったと見た田幡が尋ねた。その場に『ソード・オブ・マルス』隊長であるハーベイの姿が無かったからである。
「………傷心の姫様の所さ」
 エリックはそう言って冗談に紛らわせようとして失敗した。やはり整備班班長であるヴェセル・ライマールの死は衝撃であった。そしてそれが娘にとっては………恐らくは想像することが不可能なくらいに大きな衝撃となっているだろう。
 ………これが戦争なのでしょうか、ナナスさん、ライセンさん。
 アーサーは内心でそう呟いた。彼はこのリベルの戦場に来て、まだ日が浅い。しかしそれでも彼は少なからず人の死を見てきた。
「………こんな戦争、いつまで続くのだろう………」
 そして誰にも聞こえないほど小さな声でアーサーは呟いた。



 同じ頃。アメリカ合衆国ニューヨーク州の超巨大財閥アムプル財閥の高層ビルディング。
 一般的にはその高層建築はアムプル財閥の総合本社ビルとして認知されており、アムプル財閥に務める者は人生の勝ち組として人々の羨望を集めている。アムプル財閥とは末端の社員になるだけでステータスとなるほどに強大な財閥であった。
 しかしその財閥には裏の顔があった。
 ビルディングの地下数十メートル………そこに巨大な空間が掘られていた。
 アムプル財閥総合本社ビル。そこは超国家団体『アドミニスター』の会議場であった。
 だだっ広い地下会議場。その会議場には巨大なスクリーンと会議場の七割を占めるほど巨大な机。それほど巨大な机にも関わらず、椅子はわずか一三個しか用意されていなかった。
 ここは『アドミニスター』の幹部のみが来ることを許されるのだ。誰が言い出したかは知らないが、その一三の椅子に座るものたちは『一三階段』と称されていた。
 そして『一三階段』の面々の視線は巨大スクリーンに集められていた。そのスクリーンにはガンフリーダムが映っていた。
 そしてガンフリーダムがG−Mk2を放とうとするその瞬間! スクリーンから映像は消えた。
「以上、大日本帝国が開発したX−1 ガンフリーダムがリベル解放戦線に加入したことにより、リベルにおける戦力比はほぼ互角になったといえるでしょう」
『一三階段』の三段目であるフォン・ウォーリックが言った。彼の表の顔はドイツ第三帝国の大貴族であり、欧州社交界の頂点に立つ者と言われていた。その彼は『一三階段』の三段目であった。『一三階段』は基本的に彼らの序列をそのまま表しており、三段目であるということは下から三番目の幹部であることを示していた。つまりフォン・ウォーリックですら『一三階段』の中ではまだまだパシリのようなものであった。
「いくらあのGキャノンの改良型を装備した機体とはいえ、たった一機が加入しただけで絶望的なまでに開いていた戦力比率が五分五分になるものなのか?」
『一三階段』の六段目であるミスター・アムプルが不思議そうに首をかしげた。彼はこのビルの所有者であり、アムプル財閥の総帥である。そんな彼ですら『一三階段』では下から六番目の地位でしかなかった。
「現にG−Mk2の一撃でソビエト人民義勇隊の戦力は六割も失いました。それだけでも充分な証拠だと言えますが?」
「ふむ………しかしそのような機体を野放しにしていてよいのか?」
「おや、ミスター・アムプルともあろうお方が大切なことを失念されていますね」
 フォン・ウォーリックの口元がが皮肉の微笑をたたえる。
「何だと?」
「リベル解放戦線もリベル政府軍も我らの手の内にある………ならばこのガンフリーダムとて我らの手の内で踊る駒でしかないのですよ」
「馬鹿者が。そう言って、駒でしかなかったソビエト人民義勇隊に好き勝手に暴れられたのを忘れたのか? あのマモトとかいう大佐のせいで戦力バランスが完全に崩れたのだぞ」
 今度は逆にミスター・アムプルが嘲笑する番であった。マモト率いるソビエト人民義勇隊が『マーケット・ガーデン』作戦時に行なった迎撃作戦は『アドミニスター』の予想の範囲をはるかに上回る活躍を見せ、そのせいでリベルの戦力バランスは崩壊したのであった。
「う………」
「その件は私に任せてもらいたい」
 出し抜けにあがる声。『一三階段』の視線が一点に集まる。
 そこには傭兵派遣会社『アフリカの星』社長であるハンス・ヨアヒム・マルセイユがいた。彼は数ヶ月前に『一三階段』の末席である序段になったばかりであった。
「ほう、アフリカの星、何か良い手があるのか?」
 興味深そうにマルセイユに尋ねたのは『一三階段』の最上段、つまりは『アドミニスター』の長である。彼は一同に皇帝と名乗っていた。本当の名前、そして表の顔は一切が不明となっている………
「何、ガンフリーダムはすでに我が社の管理化にあります。その手続きを取ることが、大日本帝国が田幡たちに出した条件でした」
「なるほど………つまりG−Mk2の使用を規制するのだな、貴様の会社で」
「その通りです、皇帝」
 マルセイユは『一三階段』の一同を見回す。皆、超一流の肩書きを持つものばかり。
 マルセイユは密かに自分の会社の情報網を用い、『一三階段』の素性を調べさせていた。その結果、彼は『一三階段』の誰もが知らぬ皇帝の正体すら知っていた。
 しかし………
 マルセイユの視線が一瞬だけ止まった。その視線の先には『一三階段』の一一段目であるヘッツァーがいた。顔の右半分を銀の仮面で覆い隠す謎の男。彼だけは『アフリカの星』の諜報網を駆使しても、影すら踏むことができなかった。
 マルセイユはヘッツァーに視線を送るのは一瞬だけに止めた。必要以上に注視して、疑問を持たれることだけは避けねばならなかった。
 まぁ、いいさ………
 マルセイユは内心で呟いた。ヘッツァーはあくまで『一三階段』の一員にすぎない。ただ『一三階段』の中でもずば抜けて自己の秘密を隠すのが巧みなだけであろう。そんな小者を気にしている暇は無かった。
 マルセイユは、自分が密かに企てている計画を、いつ実行に移すのかのタイミングを計らねばならないのであった。



 ルエヴィト市にある傭兵たちの兵舎。
 その兵舎の三階にエレナ・ライマールの部屋はあった。
 ハーベイ・ランカスターは躊躇いがちにその扉を叩いた。
 一時の間を置いて、力なく扉は開けられた。
「………ハーベイ」
 エレナの表情は、想像していたよりもずっと明るいものに見えた。少なくとも表面上にはエレナは気丈に振舞っていた。
「ん………まぁ、ちょっと心配になってな」
 ハーベイは歯切れ悪く言った。
「そう………まぁ、とりあえず入ってよ」
 エレナはそう言ってハーベイを部屋に招き入れた。
「……………」
「……………」
 どう切り出すべきだろう? ハーベイはエレナの表情にちらちらと視線を送りながら思案を巡らしていた。しかしその思案は堂々巡りになるだけであった。
「ねぇ、ハーベイ………」
 沈黙を破ったのはエレナからであった。
 ハーベイはエレナの顔を見やる。彼女の顔は悲しみの色よりも疑問の色が濃いように見えた。
「私ね………おかしいの………」
「おかしい?」
「ええ。とーちゃんが死んだのに、全然悲しくないの………」
「……………」
「ボブが死んだ時はこうじゃなかった………ボブが死んだ時は、もっと涙が出たのに………」
「エレナ………」
 エレナ・ライマール。彼女は実はヴェセル・ライマールの養子である。彼女の実の父親は………チャールズ・ボブスレーであった。
 彼女は本能的に実の父親の死に感付いたのだろうか?
「ねぇ、ハーベイ………やっぱり私、ヒドイ女だよね………」
「……………」
「とーちゃんが死んでも涙の一つも流れないなんて………ヒドすぎるよね………私、私、私………」
 エレナが自分で自分の体を抱きしめながら、体を震わせる。彼女の精神は自責の念で押しつぶされそうになっていた。
 エレナを助けてあげて。あの娘は今、誰かの支えを必要としているわ。
 ハーベイはミネルウァが天国でそう言っている様な気がした。それはハーベイの心の中での勝手な自己弁護なのかもしれない。だが目の前で重圧に潰れそうになっているエレナを見捨てることができるほどにハーベイは薄情になれなかった。彼は自分が最善と思うことを行動に移した。
「エレナ!」
 ハーベイはエレナの華奢な体を抱き寄せ、力強く抱きしめた。
「ハ、ハーベイ………」
 エレナは自分を抱き止めてくれた男の顔を見る。その頬は薄っすらと紅潮していた。
「お前は悲しんでいる。決して悲しんでないことなんか無い! 涙を流すだけが悲しむことじゃないはずだ………違うか?」
「ハーベイ………」
「エレナ………悲しみに潰されそうになったら、誰かに助けてもらえばいい。人は独りで生きていく必要は無いんだ。協力を求めるのは………決して悪いことじゃない」
「うん………そう………ありがとう、ハーベイ」
 エレナは自分の手のひらを、自分を抱きしめてくれているハーベイの手の上に添える。ハーベイの手は温かかった。
「じゃあ………私、ハーベイに助けてもらっていい?」
 エレナはそっと瞳を閉じて、ハーベイにそう告げた。彼女の胸の内で蓄えられていた想いが、今始めて言葉として具現化されたのであった。
「……………」
 ハーベイは一瞬迷った表情を見せた。しかし彼は意を決して口を開いた。
「………エレナ、後退性筋力硬化病って知ってるか?」
「後退性………?」
「ああ。全身の筋肉が萎縮する病気でな………まず足が動かなくなり、そして指、手、腕………最後には延髄も侵されて言葉も喋れなくなるのさ。ゆっくり、ゆっくりと進行しながらな」
 ハーベイは苦く笑った。
「そして今、この病気に対する治療法は無い………だいたいだが発症から七年から一〇年位でみんな死亡する………」
「ま、まさか………」
「………すまない。俺、その病人なんだ………」
「そ、そんな………」
「ここにいる人たちでこのことを知ってるのは俺と、アシャさんとサーラさんくらいかな? あの二人は責任者という立場上教えざるを得ないからな」
「……………」
 ハーベイは一度エレナから離れる。そして彼女に尋ねた。
「なぁ、エレナ、こんな俺でも………本当にいいのか?」
 再び二人の間に沈黙が訪れる。
 エレナはハーベイに歩み寄り………
 パンッ!
 ハーベイの頬をしたたかに打ちつけた。ハーベイは身じろぎもせずにそれを受け止めた。つまりはこれがエレナの答えで………かと思うとエレナはハーベイを逆に抱きしめ返した。
「………バカッ! 何が『悲しみに潰されそうになったら、誰かに助けてもらえばいい』よ、エラそうに! 本当に助けが必要だったのは、ハーベイじゃないの!!」
「エレナ………」
「そんな理由で、そんな病気が言い訳になんかならないわよ! 私は、私は本気で貴方を愛したんだもの!!」
 エレナは大きな声でそう宣言すると、ハーベイの胸に顔を埋めて泣いた。泣きじゃくった。
「エレナ………」
 エレナの涙が小康状態になった時、ハーベイはエレナの顔を上げさせた。そして彼女の唇に自分の唇を重ね合わせた。
 この時、二人の気持ちは初めて重なり合ったのであった。
 二人は二分以上キスを続けていたが、やがて唇を名残惜しそうに離した。そして二人はその続きをベッドの上で行なうことにした。どちらかが言い出したわけではない。二人ともそれを望んでいた。
 ………二人に残された時間はごく短いものでしかない。
 しかし二人にそのようなことは関係なかった。二人の愛は激しく燃え盛っていた。



 同じ兵舎の一階。そこにエリィの部屋があった。
「ハーベイの奴、エレナちゃんの部屋に行ってもう一時間半も経つのにまだ出てこないみたいだぜ」
 そう言って意味深に笑うエリック。その笑みは彼の最愛の人に向けられていた。
「あの二人、ようやく結ばれたみたいですね」
 エリィはそう言いながら思った。彼女にとってエレナは貴重な同年代で同性の友人であり、エレナの恋が成就したことは我が事のように嬉しかった。
「精神的にも、肉体的にもな」
「……………」
 基本的にエリックは誠実でいい人だとエリィは思う。しかしこういう下品な所はちょっと直して欲しいものだとも思っていた。
 エリックの言葉に呆れた表情を見せていたエリィの聴覚が靴音を拾い上げた。
「誰か来たみたいよ」
「………のようですな」
 そしてノックされるドア。エリィがそのドアを開く。
「お久しぶりです、エリィ嬢」
 ドアの向こうに立っていたのはまだ少年のあどけなさを残す若き青年であった。エリックもエリィもその顔に見覚えがあった。
「確かお前は………『クリムゾン・レオ』の!!」
 エリックがそう言うと、青年は恭しく一礼した。
「そうです。『クリムゾン・レオ』のレアード・ウォリス中尉です」
 レアードは私服を着用しており、傍目には傭兵たちと何ら見分けがつかなかった。それでここまで怪しまれずに来た………?
「バカな」
 エリックはそう呟いて自らの思案を否定した。うちの警戒態勢はそんなザルじゃない。要するにコイツが凄いんだ………
「一体………何の用ですか?」
 エリィが敵意をむき出しに尋ねた。
「レオンハルト様よりの伝言を伝えに参りました」
「何? そのためにわざわざここに来たのか?」
「はい………ではエリィ嬢」
「……………」
「『決断はできたか?』………以上です」
「決断? お前、第三親衛大隊の時に何か言われたのか?」
「……………」
 エリィは何も言えずに俯いた。
「そうか………それで最近悩んでいたのか………」
「う、うん………」
「戦場で悩み続けるのは命取りになります。そう思われたレオンハルト様は、私に貴方の答えを尋ねるように言いました」
「………私、決めました」
 エリィは俯かせていた顔を上げた。
「……………」
「如何に『嘆きの夜』にあのような事情があろうとも、やはりアルバート・クリフォードは間違っています!!」
「………エリィ」
「そうですか。我々としては残念な返事ですが、貴方の目を見て安心しました。純粋に、迷いの無い瞳です」
 レアードは意外にも驚くことは無く、むしろこうあるべきだとでも言いたげな表情であった。
「それでは私はこれで失礼します」
「おい、ちょっと待ちな」
 レアードの背中をエリックは呼び止めた。
「………ルエヴィト市の外まで俺たちが送ってやるよ」
 エリックがそう言った時、レアードは初めて驚きの表情を見せた。
「俺には何だか事態がよく呑み込めないが、お前が危険を犯してまでここに来たんだ。無事に帰してやるよ、俺がな」
「エリックさん………」
「気にするな、エリィ。お前にもお前なりの事情があるってもんさ。俺は野暮に問い詰めたりしねぇよ」
「ありがとう、エリックさん………私、エリックさんのそういう所って好きです、大好きです………」
 二人の周囲にハートが飛び交う。
 レアードは手持ち無沙汰に頬を掻いた。「お熱い方々だなぁ」と口内で呟きながら。


第二八章「GUN FREEDOM」

第三〇章「Fly to Final」

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