軍神の御剣
第二三章「Ribel」


 ………人類の歴史にリベルの名前が初めて確認されたのは一三〇〇年代のことであった。
 アルム・アルバイン・ルドルフなる若き英雄が、当時山賊などが跳梁跋扈する無法地帯であった東欧のリベル平野一帯を納め、リゲル王国を建国したのであった。
 だがアルム・アルバイン・ルドルフの偉業はすぐさま歴史の奔流に呑み込まれ、彼の名前をリベルの歴史書以外で発見することは容易ではなくなった。
 また、リゲル王国は小さな国家であったがために、侵略することも、侵略されることもなかった。逆説的であるが、リゲル王国はその小ささ故に平穏な国であった。繁栄することもなかったが、かといって誰かが飢えて死ぬなど滅多にも無かった。
 リゲル王国とはそんな国であった。
 そして五〇〇年ほどリゲル王国は一度も歴史の表舞台に立つことなく、時を過ごした。
 一八三八年に他国より一足遅く共和政治の風が吹き込んだが、それは歴史上に何の影響も与えなかった。
 当時の第二六代国王であったジチスワフ三世が自ら退位を表明し、リゲル王国を解体。そしてリベル共和国に立て直したのであった。それは民衆が望んだというよりも、ジチスワフ三世が、ヨーロッパの流行に乗り遅れているのは恥ずべきことではないのか、と考えたことを発端とするものであった。
 リゲル王国の臣民は、国王のきまぐれからリベル共和国のすべてを任されることとなったのであった。



「……………」
 アメリカ人ジャーナリストであるエルザ・システィーはそこでタイピングを行う手を止めた。
 そして少し考える表情を見せる。
 少し硬い文章かしら?
 しかしエルザは再びタイピングに向かった。推敲の重要性は熟知しているが、だからといってグダグダ悩むのは性に合わなかった。



 ひょんなことから誕生したリベル共和国であったが、それでもリベル国民は危なげなところを見せることなく、かといって優秀というわけでもなく、いわば可も無く不可も無くリベルの国政を執り行った。
 なお、リベル共和国は二〇世紀に入っても独自の歴史を刻んでいた。彼らには他国と手を取りあい、繁栄を分かち合うつもりは無かった。そしてその他国はリベルの存在を知らなかった。
 しかし一九二二年に誕生したソビエト連邦の存在がリベルの歴史を大きく変えることとなった。
 いや、確かにソ連の影響によって次々と共産化していった東欧諸国は少なからぬ影響をリベルに与えたかもしれない。だがそれすらも決定的要因ではないと私、エルザ・システィーは思う。
 リベルの特徴であった「他国への無関心」という政治方針の崩壊を招いたのはラジオなどに代表される電波メディアであった。電波メディアに国境は無い。他国から流れくるラジオ放送の内容が、リベル国民に世界情勢というものを考えさせ始めたのだった。
 そしてリベル国民はこのように結論付けた。
「いつまでも自分の殻に閉じこもっていてはいけない。私たちの国をもっと豊かにしよう」
 私は彼らの結論を否定することはできない。いや、むしろその結論はもっともたるものであった。
 そしてリベルはついに他国との協調路線を歩み始めることとなる。
 その時、時計は一九七八年を刻んでいた。



「エルザ、入るわよ?」
 ドアがノックされ、そして開けられる。
 エルザの私室に入ってきたのは彼女の親友であるサーラ・シーブルーであった。
「あら? 原稿を書いてたの? 邪魔だったかしら?」
「大丈夫。別に締め切りのない原稿だから、のんびりやっても何の問題もないわ」
 エルザはそう言って笑うとサーラに座るように言い、自分はコーヒーを二つ煎れるために立ち上がった。
「なるほど………電波メディアがリベルを変えた、ね」
 サーラが書きかけの原稿に目を通し、呟いた。
「そう。一般にはリベルの共産化は東欧諸国の流れに沿ったものといわれてる。でもそれじゃあ説明できない部分も確かにあるわ」
 二つのコーヒーカップと少量のクッキーが入った皿をトレイに乗せて、エルザはソファーに腰掛けた。
 サーラも原稿を机の上に戻し、エルザに向かい合う形でソファーに座った。
「原稿にも書いたけど、電波メディアに国境は無いわ。滅多には外国人が来なかったリゲル王国、そしてリベル共和国は他国のことを知ることはなかった。いわばリベルは状況的鎖国状態にあったの」
「なるほどね。当のリベル国民が望む望まないに関わらず、誰も来ようとしないのだから情報を得る手段が無かった訳ね。昔の情報伝達手段は人の口に因るところが大きかったから」
 そういうとサーラはコーヒーを一口すすった。そして少し顔をしかめると砂糖をドバドバとコーヒーに流し込んだ。
「相変わらず極度の甘党なのね。太るわよ」
「私は太らない体質だから」
 世の大半の女性に対する宣戦布告文ととられかねないことをサラリと言ってのけるサーラであった。
「だがラジオの電波はリベルにも降り注いだ、と」
 サーラは話を元の鞘に戻した。
「ええ。そしてリベル国民は初めて自分たち以外の世界を想像することを行った」
「その結論が他国との協調ね」
「ええ。そしてその状況下に現れたのがアルバート・クリフォードよ」



 アルバート・クリフォードはリベル共和国内の野党勢力の一つであったリベル共産党の党首であった。
 しかし彼は一九七八年四月二二日にクーデターを起こし、リベル共和国の政権を奪取した。なお、その日はウラジミール・イリイッチ・レーニンの誕生日であった。クリフォードはその共産党員にとって貴重な日に共産主義クーデターを起こしたのであった。
 クリフォードは政権を奪取すると、すぐ近くにある赤い大国であるソビエト連邦との結びつきを深めた。
 そしてソビエト連邦はリベル人民共和国に生まれ変わったリベルに対し、かなりの額の援助を行なった。その規模は、今までソ連と何の関わりあいもなかった弱小国家に対するものとはとても思えなかった。
 リベルはわずか二年の間に急速に発展していった。
 だがその発展の光には影が付き従っていた。
 クリフォードは自分に反対しそうな者を根こそぎ粛清したのであった。それはかのスターリンですら鼻白むほどに徹底されていた。人口六〇万人だったリベルは、俗に「嘆きの夜」と呼ばれる一連の大粛清の結果、人口四八万にまで落ち込んだほどであった………



「しかしクリフォードは決して無能な政治家では無いわ」
 エルザはそう呟いた。
 サーラも渋々ながら、それに同意した。
「でしょうね。確かにクリフォードがソ連から引き出した援助のおかげでこの国のインフラ整備はある程度のレベルまで達したわ。でも………」
「彼が恐怖政治を敷いているのも、また事実………そこが難しいわね」
「でも私には未だにわからないわ。ソ連があそこまでこのリベルに入れ込む理由が」
「そうね………これはあくまで私の推測なんだけど」
 そう前置いてからエルザは話し始めた。
「クリフォードがクーデターを起こしてから、大粛清に至る頃、ソ連の経済成長率は緩やかだけど、確実に上昇しているの」
「それがどうかしたの? ソ連も最近は必死で経済力を高めようとしているし、それが効果をあらわしてきただけじゃないの?」
「かもしれないわね。でも『嘆きの夜』に何らかの鍵があるんじゃないかと私は踏んでいるの」
「ジャーナリストの勘かしら?」
 サーラがエルザをからかうかのように言った。エルザも笑って肩をすくめた。



 クリフォードの執政の結果、リベルの国力は著しく上昇した。
 だが彼の強行的なやり口は、強力な反抗のベクトルも生み出していた。
 シルバ・トゥルマンという男を中心とする反クリフォード勢力の誕生である。その組織こそがリベル解放戦線であった。
 彼らは西側諸国からの資金援助とその援助で雇った傭兵を頼みにクリフォードに対し叛旗を翻したのであった。
 シルバ・トゥルマンは暗殺を恐れてか、一度たりとも表に姿を現したことが無かった。そのためにトゥルマンという男はどこにも存在せず、その名前はリベル解放戦線首脳部全体を指すコードネームなのではないのかという憶測も流れていた。
 だがシルバ・トゥルマンが実在しようがしまいが、これだけは言えた。
 彼の作り上げたリベル解放戦線はリベルを二分するまでの勢力に成長していたことである。
 もっとも先の『マーケット・ガーデン』作戦の失敗で、その戦力は大いに殺がれてしまっていたが。





 この世界のどこか。
 その「どこか」のさらに地下奥深く。
 顔の右半分を銀の仮面で覆った男が受話器を手に取っていた。
 この男の名はヘッツァー。彼の正体を知るものは数少ない。彼の本性を本当に知っているのは彼自身だと言っても過言では無いほどであった。
「………久しぶりだね、クリフォード君」
『は、はい………お久しぶりでございます」
 受話器の向こう側のクリフォードの声は怯えきっていた。リベル国内で一〇万以上を粛清しても眉の毛一つ動かさなかったほどの男がである。
「リベルでの戦争、楽しませてもらっているよ」
 ヘッツァーはクリフォードとは対照的ににこやかな口調で話していた。
「あの『マーケット・ガーデン』作戦はなかなかに楽しませてもらった。またああいう大戦闘を見せてもらいたいね」
『は………で、ですが………』
「おや?」
 そこでヘッツァーの口調は変わった。表面上の変化はわずかであるが、その変化はクリフォードを慄かせるに充分であった。
「何か言いたいことがあるのかね、クリフォード君?」
『じ、実は………兵力が………』
「そうだ。君の政府軍が頑張りすぎたな。あれほどリベル解放戦線を叩いてどうするのだね?」
『も、申し訳ありません………実はソ連から派遣されてきた義勇部隊が勝手に立案したのです、『マーケット・ガーデン』迎撃作戦を』
「確か………ヨシフ・キヤ・マモト大佐だったな」
『は、はい。奴が調子に乗りすぎて………』
「クリフォード君。私を失望させないで欲しいな」
『は、はい、それはもう………』
「ソ連の義勇隊といえども所詮は君の駒の一つに過ぎないはずだ。駒の管理もできないのかね、君は?」
『も、申し訳ありません………』
「まぁよかろう。我々、『アドミニスター』は君に期待しているのだ。その期待………裏切らないでもらいたいね」
『しょ、承知しております! 必ずや、必ずや『アドミニスター』の御意に………』
「私はおべんちゃらは好かんな」
 ピシャリとクリフォードの追従を断ち切るヘッツァー。
「とにかく期待している。私を楽しませる戦争を続けてくれよ、クリフォード君………ふっ」
 ヘッツァーはあらわになっている顔の左半分を歪ませた。それは笑いであった。
「ヘッツァー様?」
 ヘッツァーの電話と入れ違いに、長い金色の髪の妙齢の美女が入ってきた。
「ん? あぁ、アークィラか」
「先ほどの電話は………?」
「リベルのクリフォードの下さ」
「なるほど。先の戦いでリベル国内の戦力バランスは崩れましたからね」
「そうだ。戦争、戦争、戦争! それを終わらせるわけにはいかん。何故なら………」
「戦争こそが我々、『アドミニスター』に最大の利益をもたらす祭典だから、ですね」
 アークィラの言葉にヘッツァーは頷いた。
 だがヘッツァーは内心では別のことを考えていた。
 嗚呼、哀れ也、アークィラ!
 お前はこの『アドミニスター』に絶対の忠誠を誓っているが、『アドミニスター』も絶対の組織ではないのだよ。
 すべてはこの私、ヘッツァーのために作られたのだ!
『アドミニスター』だけではない。この世界のすべてが、私のためにあるのだよ!!


第二二章「A God Sent Child」

第二四章「T−REX・HIGH!」

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