一九八三年七月五日。
 大日本帝国の誇りともいえる霊峰富嶽の麓。
 そこに帝国陸軍装甲阻止力研究所――通称「甲子力研」があった。
 小銃から戦車、PAまで。帝国陸軍の使用するありとあらゆる兵器はここで生み出されていた。
 そしてここに中佐の肩章をつけた男が訪れていた。
 帝国陸軍中佐 佐藤 庄治。それが彼の名前であった。
「お待ちしておりました、中佐。お忙しいところ、ありがとうございます」
 大日本帝国陸軍装甲阻止力研究所保髏死畫壊設計局勤務という長ったらしい肩書きを持つ男が佐藤を出迎えた。痩身の身体に理知的な目。男は田幡 繁であった。
「いや、新型機の動作試験だ。たとえどんなスケジュールがあったとしても、絶対に来ていたさ」
 佐藤はそう言って笑った。彼は大のPA好きであり、それが高じて今では帝国陸軍のPA部門の重鎮とされていた。
「で、今度の新型はどこだい?」
 佐藤は田幡に尋ねた。甲止力研究所の周囲にはアメリカ陸軍のPA−2 ガンモールしか見えなかった。おそらくはどこかに格納されているのだろう。
「ええ、すぐにお見せしますよ」
 田幡はそう言うと手を振って合図を送った。その合図を見て取った甲止力研究所職員の操作によって、研究所の脇にある汚水処理場の床が二つに裂けた。
 そして汚水処理場の床下からせり上がってきたのはPAであった。英国陸軍のPA ランスロットよりも流麗なフォルムを持っており、その姿は美しく、佐藤は思わず感嘆の息を漏らした。
「日米共同制作のPA。今の所はX−1と称しています」
「X−1? 何故また1なんだ?」
「あれはPAであってPAでない。従来型とはまったく異なる機体です。我々はあの機体を特機と呼んでいます」
「特機………」
「ええ。とにかくその性能の一端をお見せしますよ」
 田幡が佐藤に説明している間にX−1は大地に足を降ろした。そしてまっすぐにガンモールに向かっていく。
「ふむ………従来型よりも歩行がスムーズだね?」
「はい。X−1はほぼ人間と変わらないほどスムーズに動けます」
 そしてガンモールの目の前で立ち止まるX−1。
「さて、中佐。現状のPAの中で、ガンモールが最大の力を持っているのはご存知ですね?」
「うむ。ガンモールが開発された頃はまだPAも暗中模索状態。少しでも多くの兵装が搭載できるように、と積載量を重点的に開発されていたんだったな」
「結局はそれで機動性をいささか損なっておりましたが………ですがそのおかげでガンモールのパワーは今でも一級品です。今から、X−1とガンモールで力比べをしようと思っています」
「ほう? 日米合作の新世代機と、旧世代のナンバー一の力比べか」
 佐藤はその試みに興味を引かれた様子であった。
「ええ。では早速始めましょう」
 そう言うと田幡は無線のマイクを手に取った。
「マーシャさん、よろしくお願いしますよ」
『あいよ。ちゃんとやるってばさ』
「マーシャ?」
「あぁ、私の婚約者です。元米海兵隊所属から傭兵になり、今では甲止力研のテストパイロットをやっています」
「ふむ………」
 佐藤がそれに対し何か言おうとした時、特機とPAは互いの手を掴みあった。
「勝負は単純。両の手をガッチリと握り合い、パワー全開で押し合うだけです」
「単純なだけに余計に性能差が引き立つな」
「では両機に告ぐ………テスト開始!」
 田幡の宣言によって二機の力比べが始まった。
「おお?」
 佐藤が眼を輝かせる。
 X−1はガンモールとほぼ互角の力を見せていた。PAに機動性が要求されるようになってから、ガンモールに力で敵う機体は存在しなかったのだ。それを思うと快挙と言えた。
「なかなか力持ちじゃないか、特機は」
 佐藤のその言葉を受けて、田幡は浅く一礼した。しかしその口元は、まるで自分の仕掛けたイタズラを見守る少年のように緩んでいた。
「………以上がX−1のパワー、三〇%での実験です」
 田幡はにべもなくそう言ってのけた。
「三〇%!?」
 まだこれの二倍以上のパワーが出せるのだという。佐藤は驚きの声をあげた。
「ではマーシャさん。X−1の全力を見せてやってください!」
『待ってたよ!!』
 互角の押し合いを続けていた二機。しかしガンモールに手の甲にX−1の指が食い込んだ。あまりの圧力にガンモールの手の装甲がひしゃぎ始めた。
「お、おおおおお!?」
 佐藤の呆気にとられる声をBGMに、ガンモールに手はX−1によって完全に握りつぶされた。
 それは力比べといえる状態ではなくなっていた。
『タバタ〜。出力七二%でガンモールの手が壊れちゃったんだけど………どうする?』
「七二%で………予想では八〇までは耐えれると思っていたんですがね」
 二人の交信を聞きながら佐藤は思った。
 こんな機体が本当に誕生してしまうとは………人類の進歩とは恐ろしいものだな………
 佐藤の喉はカラカラに渇いていた。

軍神の御剣
第二二章「A God Sent Child」


 同日。
 アフリカ北部のリビア共和国。
 このアフリカ北部のリビアの大地に、世界的規模を誇る傭兵派遣会社『アフリカの星』の本社は存在する。
 リビア政府は、自国の領土の一部を傭兵たちの会社に貸し与え、そして莫大な利益を手にしていた。傭兵たちの落とす金は、リビアの経済を潤すには充分だったからだ。
 そして広大なリビア砂漠のただ中に、『アフリカの星』の訓練施設はあった。



 傭兵PA小隊『ソード・オブ・マルス』を率いているハーベイ・ランカスターは、その『アフリカの星』の訓練施設に足を運んでいた。
 彼のみならず、先の『マーケット』作戦でアスタルテの地獄を潜り抜けた者たちには、例外なく一週間の休暇が与えられていたのだった。
 他の部隊の者がその休暇をどのように消費しようとしているのかをハーベイは知らなかった。ただ、自分の部隊の者に限って言えば、エリック・プレザンスとエリシエル・スノウフリアは二人でエリックの故郷であるアメリカ合衆国カリフォルニア州はサクラメントに向かう飛行機に乗り込んでいた。「いよいよ彼女を両親に紹介するのか?」と皆にはやされながらの旅立ちとなっていた。
 ネーストル・ゼーベイアは中華民国へ向かった。二度にわたる国共内戦の末に華北と東北部のみに勢力圏を残す中華民国。その地に何があるのかハーベイたちは知らないが、ネーストルの表情から推測するに、悪いものではないようだ。普段は寡黙で無表情なネーストルの表情が緩んでいたのを知るからだ。
 そしてハーベイの行き先はリビアの訓練施設であった。
 その地に思い入れが特にあるわけではない。
 英国王室陸軍を私情で辞め、傭兵となった際に、この地でそれなりの訓練を施されてはいたが、それは思い出にもならなかった。
 ハーベイがその地を選んだのは何となくであった。とにかく彼はリベルから少しの間、離れていたかった。少し時間を置いて、ミネルウァ・ウィンチェスの死と、エレナ・ライマールの気持ち、そして自分の運命に向き直るための勇気を蓄えたかった。
 ハーベイがリベルを離れたのはそういう事情からであった。



 リビア砂漠の乾いた風がハーベイの頬を撫でる。
 それだけで人が死にそうなほど強烈な日差しの下、歩兵部門の訓練生がランニングを続けている。教官と思しき人物の、「歩兵は身体が資本だぁ!!」という叫び声も聞こえた。
「いや〜、久しぶりですね、ハーベイさん」
『アフリカの星』訓練施設の事務員を勤めているニールがそう言いながらハーベイを案内していた。
「ご活躍、聞いてますよ。同期の出世頭って奴ですね、今では」
「だといいんだけどね」
 ハーベイは大した感動も覚えずに言った。
「そうだ、ハーベイさん。また補充員が必要でしょ? うちで探してったらどうですか?」
「補充員」の単語を聞いた時、ハーベイの表情が一瞬であるが、凍りついた。そう、今の『ソード・オブ・マルス』には補充員が必要である。ミネルウァ・ウィンチェスが死んでしまったから………
「………リベルの戦場は過酷だよ」
 内心の葛藤を外には出さず、ハーベイはそう言った。
「まぁまぁ、そう言わずに。今ね、ここに凄い奴がいるんですよ。一度見てやって下さいよ」
「……………」



 訓練施設ではPA同士の模擬戦という項目がある。
 訓練用のPA同士でペイント弾を使って模擬戦闘を行なうのだ。
 ペイント弾が頭部、もしくは胸部に当たったら撃墜とみなされ、戦死と認定される。そうなったら後はその訓練機のペイント洗浄のために戦線離脱。ぜんぜん落ちないペイント弾に対して文句を垂れながら、お掃除の時間となるのだ。
 しかしこの模擬戦。相手は百戦錬磨の教官たちである。戦場経験のない訓練生たちでは滅多に生き残れることはない。要するにこの模擬戦は、「撃たれる」という感覚に慣れるための授業なのだろう。少なくともハーベイはそのように認識していた。
「へぇ………あのPA、やるじゃないですか」
 ハーベイはバトルフィールドに指定されている地域の上空を飛ぶヘリに同乗していた。そして眼下に訓練風景を見下ろす。
 そこでは一機のPAが六機の敵に囲まれながらも、巧みに攻撃を回避し、さらには逆撃を見舞っていた。
 ハーベイの隣席のゼークト教官はムスッとしていた。このドイツ人は常に不機嫌そうな表情をしていた。
 ゼークト教官にはハーベイも世話になっていた。ハーベイはこの教官から結局一本も取ることができなかった。今やればどうなるのだろう?
「しかしいくらルーキーが相手でも六機で同時にかかられて、あそこまで上手く回避できるなんて………うちの教官連中は相変わらず鬼教官ですね」
「………ランカスター君」
「はい?」
「君は勘違いをしている」
「は?」
「今、あのPAに襲い掛かっている方が教官だ。あれは生徒だよ」
「………確かにあの襲い掛かってる方。かなり統率がとれてますね」
「彼はこの訓練施設に来てから一度たりともペイント弾を受けたことがない。この儂も何度もやられたよ」
「はぁ………」
「おまけに彼がPAに乗ったのはこの施設に来て初めてだ。このままでは儂らの面子がたたん!」
 ゼークトは心底悔しそうに歯噛みした。なるほど。先ほどからの不機嫌の根底にはそのような感情があったらしい。
「と、いうわけでランカスター君! 君に頼みたい!!」
「え! 俺ですか!?」
「そうだ。実際にリベルの戦場を生き延びている君ならば、彼に勝てるやもしれん………」
「俺、ゼークト教官に勝ったことないんですけど………」
「それは昔のことだ。今では逆転しているはずだ!」
 ゼークトはハーベイの両手を握り、懇願してきた。もはやハーベイの退路は断たれていた。



 二時間後。
「やれやれ………どうしてこんなことになるのかねぇ」
 ハーベイは訓練用のPA−2 ガンモールのコクピットでボヤいた。
 訓練用といっても正規のガンモールと何ら変わりはない。米軍がPA−3 ガンスリンガーに更新を始め、大量のガンモールが余り始めたのを訓練用として買い付けたために、このような事態が起きていた。
 リベルでは常にガンスリンガーに乗っていたハーベイであるが、基本的にガンモールもガンスリンガーも操縦は同じ方法であった。
「しかし………」
 ハーベイは思う。
 この戦闘は明らかに教官連の私情が根ざしている。何せ相手は二時間前にもみっちり模擬戦闘をこなしているのだ。おそらくはかなり疲労が溜まっているだろう。疲労は判断力の低下に直結する、非常に重要なファクターである。
 だけど仕方ないか。たとえばネーストルのように、歴戦の勇士が傭兵になったのならばともかく、まったくのド素人だった相手に手も足も出ないのだ。教官たちは今まで数々の死線を潜り抜けてきた古強者ばかりだ。少々意固地になるのは仕方ないのかもしれなかった。
 ならさっさと終わらせてやろう。後の掃除も手伝ってやって………
 そう思った時、ハーベイのガンモールの鼻先をペイント弾が掠めた。
「何!?」
 とっさにガンモールを横に滑らせて回避するハーベイ。相手のFCSにロックオンされた際に鳴るはずの警告音は沈黙したままだった。
 それはすなわち………
「憶測だけでここまで正確な射撃を行なった………!?」
 ハーベイは背中が冷や汗で濡れるのを覚えた。
 そして相手に対する認識を改める。
 奴は………強敵だ! それもあの『クリムゾン・レオ』クラスの!
 ハーベイは自分の全力を持って事に当たらなければならないことを痛感した。
「野郎………こっちも本気でやってやるぞ!!」
 それがハーベイの宣戦布告であった。
 ハーベイはガンモールを全速力で走らせる。背部のバーニアの炎が砂塵も噴き上げる。
 しかし相手の射撃は正確無比であった。
 ハーベイは何とか回避するものの、その射撃の正確さには舌を巻いた。まるでこちらの未来位置を最初から知り抜いているのではないかと思えるほどであった。
「クッ………こちらはまだ位置すら掴めていないってのに………」
 しかしハーベイは次第に落ち着きを取り戻していた。相手の射撃は、こちらの未来位置を正確に突いてくるが、射撃の技量の方は大したことがないらしい。ましてや遠距離射撃であり、その弾道はどうしても甘くなっていた。
「回避は不可能じゃない………ならば!」
 ハーベイは回避に専念しながら相手の姿を探すことに努めた。そしてその努力は報われた。
 相手の姿は、はるか彼方にあった。その距離はペイント弾搭載APAGの最大射程であった。
「最大射程=射程圏内ではないさ!」
 ハーベイはそう言った。無論、無線が通じているわけではないので相手にその声が聞こえるはずはない。だがハーベイはそう言う事で自分の精神の安定を図った。
 そして続いてハーベイはガンモールを方向転換させる。その角度はほぼ直角に近く、多量の砂が撒き散らされた。



「!?」
 教官たちに指示されて戦うこととなったガンモールはほぼ垂直に進行方向を強引に転換させた。
 そしてその際に大量の砂埃が巻き起こる。
 その砂は彼の視野からガンモールの姿を消していた。さらには方向転換と同時にチャフをありったけばら撒いたらしい。レーダーも同時に使用不可となる。
 しかしあくまで彼は落ち着いていた。砂がガンモールの姿を隠すのは一時的なものであり、すぐさまその姿が白日の下にさらされるはずだからだ。



 しかしハーベイはすでにリベルで半年近く戦ってきている。その経験の積み重ねは伊達ではなかった。
 ハーベイは砂とチャフ撒布によって自分の姿を一時的にくらました。その隙にガンモールを跳躍させ、太陽を背にして迫ってきていた!
「甘いな………だがそれが経験の差だ! ルーキー!!」
 ハーベイはそう叫びながらトリガーを引いた。
 APAGが四〇ミリ口径のペイント弾を次々と吐き出す。



「!?」
 彼のガンモールは上空からのペイント弾の驟雨を受けた。
 しかし必死で回避を試みる。



 しかしハーベイにとっての切り札はペイント弾ではなかった。
 全弾撃ちつくし、空になったAPAGを相手のガンモールに投げ捨てるハーベイ。
 そして腰のラッチに搭載されていた対PA用のナイフを抜く。もっともそれも模造品であり、実際に切れたりすることはない。それには染料が染み込ませてあり、斬りつけられると紅々とした染料の痕が残るのだ。模擬戦でのもう一つの決まり手であった。
「!!」
 しかし相手のガンモールはその斬撃を間一髪で回避。
 だがハーベイの第二撃も間髪を入れずに行なわれる。
 相手はその第二撃を左腕を犠牲にして受け止める。これで左腕に真っ赤な傷痕が残った。左腕撃破の認定である。
 相手はとっさに右足を突き出した。ハーベイのガンモールはその突き蹴りを回避することはできなかった。
「グッ………」
 突き蹴りにバランスを失い、仰向けに倒れこむガンモール。
 相手のガンモールは残った右手にナイフを握り締め、ハーベイのガンモールの喉元に突きつけた。
 決着はついた。
 ハーベイの負けであった。
「ふぅ………負けた、負けた!」
 ハーベイは半ば自棄気味になりながらも自分を負かした男に対する興味が湧き始めていた。



 訓練施設の教官室。
「まさかランカスター君でも勝てなかったなんて………」
 ゼークト教官ががっくりと肩を落とす。
「確かに凄い奴だったよ、ニール」
 ハーベイの頭の切り替えは早かった。もう彼の脳内に模擬戦敗北の悔しさは残っていなかった。
「そうでしょ、そうでしょ」
 だから自分は薦めたのだ。ニールはそう言いたげに胸を張った。
「で、どんな奴なんだ? 顔が拝みたいが………」
「あぁ、ここに来るように言ってるよ」
 ゼークトがそう言った時、教官室のドアがノックされた。
「おう、来たか」
 ハーベイの目に入ったのは、小柄で、大人しそうな、まだ少年の面影が抜けきっていない青年であった。
「紹介しよう、ランカスター君。アーサー・ハズバンド君だ」
 ゼークトに紹介されたアーサー青年はペコリと頭を下げた。
「アーサー・ハズバンドです! よろしくお願いします!!」
「………あ、あぁ、よろしく。ところで君、幾つくらいなんだ?」
「はい、今年で一八歳になります!!」
 アーサーははきはきした声で言った。
「………ハズバント君。君もここにいる以上、いつかは前線で戦う日が来る。わかっているね?」
 ゼークトが険しい表情で、厳しく言った。この教官の言葉は必要以上に重く感じられることから訓練生の間でも話題になっていた。
「はい!」
 それに対してもはきはきと答えるアーサー。
「ではランカスター君。後は君から言いたまえ」
「………アーサー。今、俺の部隊は一人空席があってな。そこにお前の名前を埋めたいのだが………」
「え!? 僕なんかでいいんですか! ありがとうございます!!」
 アーサーの顔が紅潮する。彼は純粋に喜びに興奮していた。
「では決まりですね、ハーベイさん。本社の方に申請を出しておきますね」
 ニールがそう言うと教官室を出て行く。
 これで『ソード・オブ・マルス』は最強の戦力を手にすることとなる。
 この新隊員の加入がリベルの戦場にどのような影響を及ぼすのかはわからない。
 ただ言える事は一つだけであった。
 ハーベイたちに約束された休暇は、あと五日ほどしかなかったことである。


第二一章「A BRIDGE TOO FAR」

第二三章「Ribel」

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