軍神の御剣
第二一章「A BRIDGE TOO FAR」


 一九八三年六月三〇日。
 リベル解放戦線はリベルを縦断する大河オケアノス付近の街アスタルテの占拠と前線の押し上げを目的とした乾坤一擲の大作戦を実行に移した。
 作戦の第一段階であるアスタルテ占領作戦『マーケット』は、『アフリカの星』の傭兵たちの空挺降下作戦による奇襲に成功したこともあり、大成功を収める。
 後はリベル解放戦線主力によるアスタルテ占拠維持部隊の到着を待つばかりであった。
 そう、待つだけのはずだった。



 一九八三年七月一日午後一三時二〇分。
「『マーケット』作戦は大成功を収めました」
 報告電を読み上げるのはサーラ・シーブルー。傭兵派遣会社『アフリカの星』リベル方面陸上部隊総責任者副官である。
「まずは一安心だな」
 そう言いながらマグカップにコーヒーを注ぐのはカシーム・アシャ。サーラの仕える上官である。
「ですがむしろ私はこの次の段階が心配ですわ」
 サーラの憂慮の表情を見たアシャは眉をしかめた。
「『ガーデン』作戦に不安があると?」
「ええ………理由は幾つかあります」
「ふむ………是非ともその理由を聞かせて欲しいな」
 アシャにそう尋ねられたサーラは一つ咳払うと自分の意見を披露した。
「一つは増援部隊の到着まで政府軍の主力部隊が大人しくしているかどうかが不鮮明であることです」
「それは確かに心配だな」
 しかし、とアシャは逆接の接続詞で続けた。
「しかし、政府軍の後方部隊も一つに固まっているわけじゃない。集結に時間を要するだろうし、その時間があれば増援部隊が合流しているさ」
「ではもう一つの懸念事を」
「?」
「それは増援部隊の士気にあります」



 同刻。
 アスタルテ市内。
『マーケット』作戦を成功裏に終わらせた傭兵たちはアスタルテの市内中心部に司令部を設置していた。司令部は元々政府軍が使っていたそれを接収して使うことになっていた。
 そして政府軍の首脳部が使っていた会議室に傭兵たちは集まり、話し合っていた。机に並ぶのは紅茶であった。傭兵PA小隊『ソード・オブ・マルス』のハーベイ・ランカスターとミネルウァ・ウィンチェス、そして傭兵歩兵分隊『ミスター・カモフラージュ』のモンゴメリが楽しそうにお茶を淹れていた。コーヒー党であっても問答無用に英国式紅茶が配られていた。不公平な限りだ、とコーヒー党の者は内心で呟いた。
「最新の情報によると、『ガーデン』作戦の鍵である増援部隊は後三時間ほどで到着するそうだ」
 傭兵PA小隊『スティールサンダー』の隊長を務めるヨハネスが言った。
「三時間………それなら何とかアスタルテの維持も可能ですね」
 ミネルウァがそう言った。彼女はアスタルテ市民の動向を一番恐れていた。アスタルテ市の人口は一〇万を上回る。万が一にでも反リベル解放戦線の立場を市民が取り、暴徒と化した場合、どうしようもないのが実情であった。
「そういえば増援部隊ってどこが来るんだ?」
『ミスター・カモフラージュ』のエンリケが何気なく尋ねた。彼は少し遅めの昼飯として大日本帝国が誇る携帯食であるカップラーメンの海鮮味をすすっていた。箸は使えないので、勿論フォークで食べている。
「詳しいことは知らないが、リベル解放戦線のPA部隊らしいぞ。何と言ったかな、部隊名は………」
 ヨハネスが答えるが、彼は自分の記憶に大した自信を持つことができなかった。
「リベル解放戦線の? まさか『破邪の印』じゃないだろうな」
 露骨に顔をしかめて言ったのは『ソード・オブ・マルス』のエリック・プレザンスであった。
「ああ、そいつだ、そいつ。よく知ってたな、エリック」
 ヨハネスは邪気のない顔で言った。
「………あいつらがねぇ」
「何かあったのか、エリック?」
『ミスター・カモフラージュ』の野本がエリックに尋ねた。彼は標準型カップヌードルを箸を使って食していた。正方形の肉の塊を愛しそうに口に放り込む。
「あの人たちは傭兵にあまり好感を抱いていませんでしたから」
『ソード・オブ・マルス』のエリシエル・スノウフリアがやんわりと事実の一端を披露した。
「………だが彼らも兵士だ」
 同じく『ソード・オブ・マルス』のネーストル・ゼーベイアが誰に言うでもなく呟いた。『ソード・オブ・マルス』の面々には、その呟きが事実を言い表したのではなく、彼の期待を呟いたのではないかと感じた。
「ネーストルの言うとおりだ。彼らも兵士だ。私情で動きはしないさ」
 野本がそう言って締めくくった。



 一方………
『マーケット作戦』の発動に従い、全戦線でリベル解放戦線の前進作戦『ガーデン』は始まっていた。
 傭兵部隊のみならず、リベル解放戦線の民兵たちも銃火の中に身をさらしていた。
 リベル解放戦線の所有する戦車はT−55であった。戦後第一世代と称される名戦車である。
 しかし政府軍の戦車はその改良型であるT−62。単純な性能差ならばリベル解放戦線に勝ち目は少ない。
 だがリベル解放戦線には傭兵という切り札があった。
 傭兵部隊の装備は西側の最新鋭の物である。その性能は東側の盟主たるソ連本国の兵器よりも高いと言われていた。
 T−62の一一五ミリ滑腔砲の威力に次々と撃破されていたT−55を救ったのは傭兵部隊の戦車であった。
 その戦車の鋼の肉体は漆黒に輝いていた。
 ドイツ第三帝国の主力戦車である九号戦車レオパルド2の初期型のシャシーを用い、より強力な主砲を載せ換えた性能向上型。主砲口径は一二〇ミリと従来型と変わらないが、砲身長は六四口径長と格段に伸びている。さらにこの砲専用の装薬三〇%のマグナムチャージを使用。この組み合わせにより、何と距離六五〇〇メートルから三〇〇ミリ厚の防弾鋼板をブチ抜くことが可能である。
 攻撃力だけならば純粋に世界でも有数の戦車であった。
 その戦車、名をこう呼ぶ。
 九号戦車B型。
 レオパルド・マグナガンと。
 傭兵部隊の所持するレオパルド・マグナガンの超高初速一二〇ミリ砲弾に狙われたら最後。リベル政府軍の戦車はおもちゃのように破壊されるだけであった。それは義勇兵として参加しているソビエト人民義勇隊のT−72であっても例外にはならなかった。
 そしてPA戦においてもリベル解放戦線の雇う傭兵たちは政府軍を圧倒。
『ガーデン』作戦は順調に進んでいるように見えた。



 しかし亀裂は、見えない所にであるが、確実に生じていた。
『マーケット』作戦で確保したアスタルテ市の治安維持応援として派遣された『破邪の印』は、自分たちに課せられた任務に不満を抱いていた。
『破邪の印』はリベル解放戦線唯一の実戦的PA部隊である。搭乗員の錬度や機材の性能は傭兵たちのそれに匹敵するといわれていた(そして機材に関してはまさにその通りであった)。
 自分たちの存在は特別である。
 その思いが『破邪の印』の行き足を重くさせていた。
 その最先鋒が、本来ならば彼らの行き足を軽くしなければならない立場にある、ボフダン・ペーシャー『破邪の印』隊長であった。
 彼は特に行き足が重かった。
 もしかしたら彼はこの世のすべてを恨んでいたのかもしれない。そう思われても不思議でないほどに彼を取り巻く状況は、ことごとくが彼の意に反していた。
 まず第一に、自分の愛する国が戦乱の最中にあること。
 第二、自分自身がその戦乱に身を委ねなければならないこと。
 そして最後に、その戦乱は自分をそれほど重要としていないことであった。
 彼の属するリベル解放戦線にとっての主力は傭兵派遣会社である『アフリカの星』より借り受けた兵士たちであった。幾ら『リベル解放戦線正規兵力のエリート部隊』などと気取っても、彼ら『破邪の印』は戦局を左右しない。戦局の鍵を握るのは、リベルという国の存在すら知らなかったであろう他国の傭兵たちであった。
 ペーシャーは強く歯を噛み締めた。思い返せば思い返すほどに忸怩たる思いがこみ上げてくる。
「………俺たちリベル人でも戦えるんだ。敵ながら、『クリムゾン・レオ』はそれを証明している………」
 だのにリベル解放戦線の上層部はハイエナどもに頼ろうとする。だったら俺たちの立場はどうなるというのだ。
『ペーシャー隊長!』
 憤怒の思いがペーシャーの内心に燃え盛る。そんな彼に無線を入れた兵は、行き場のない怒りのとばっちりをこうむることとなった。
「何だ! 何があったという!!」
 必要以上に刺々しいペーシャーの言い草。報告を入れた兵はその口調に面食らった様子であったが、すぐさま気を取り直して報告を続けた。
『隊長、右三〇度に政府軍の部隊です。恐らくは撤収していると思われます』
「何………?」
 ペーシャーはモニターを右三〇度に向ける。なお、ペーシャーの愛機は大日本帝国製第三世代PAである四〇式装甲巨兵 侍であった。
 侍のモニターに確かに政府軍のPA部隊が映る。こちらに気づいた様子は………無い。
 ペーシャーは思わずモニターから目をそらす。そしてペーシャーは、悪魔の声を聞いた。
『さぁ、何を迷うことがある、ボフダン・ペーシャー。今、目の前にはお前が望んで得ることができなかった好餌がある。後はそれを平らげ、リベル人の優秀さを上層部に知らせるだけではないか』
 だが今の我々の任務は………それではない………
『任務。あんなくだらない任務のためにお前はせっかくのチャンスを不意にする? 否、否、否。お前はどうすればいいかの答えをすでに導き出している。躊躇うのは失敗した時を恐れているから!』
 俺は………俺は………
『それに『ガーデン』作戦が失敗したとしても、死ぬのはハイエナども。リベル人ではない』
 俺は………………
 ペーシャーは顔をあげた。その表情には決意の色。
「『破邪の印』の将兵に告ぐ! これより我らは目の前の政府軍の部隊に攻撃を仕掛ける! 俺たちリベル人の強さを見せ付けてやるのだ!!」
 もはやペーシャーに躊躇いは無かった。
『破邪の印』は初陣の興奮に鼻息を荒げながら、リベル解放戦線の攻勢によって後退を強いられている政府軍の部隊に突撃を開始した。



 午後六時一五分。
「おかしい………一体どうなってやがる………」
 エリックは左腕の腕時計を先ほどからチラチラとせわしなく見ていた。
 増援部隊到着の予定時間からすでに二時間が経過しようとしていた。
 だが増援部隊は到着する気配すら見せようとしなかった。
 エリックのみならずアスタルテ市内の傭兵たちは全員が増援部隊の到着を今や遅しと待ち構えていた。



 午後七時八分。
 傭兵歩兵分隊『ミスター・カモフラージュ』のコワルスキーは大河オケアノスの政府軍勢力圏側方面に斥候に出ていた。
 そして彼はついに発見してしまったのだった。
 アスタルテ市を目指して進軍を続けるT−72の群れ。そしてP−80の部隊、歩兵たち………
 奇襲攻撃からようやく立ち直った政府軍が、ソビエト人民義勇隊の協力を得、アスタルテ奪還作戦を開始したのだった。
 悪夢の夜はこうして幕を上げた。終幕の時は………神ならぬ身にはわからない………



 腕時計の針が午後七時三〇分に動き終える。
 それと同時にアスタルテ市内に次々と戦車やPAが侵入を開始した。
「敵の兵力は?」
 アスタルテ中心部の司令部。
 ハーベイや野本、ヨハネスといった傭兵たちはアスタルテの地図を机上に広げ、状況を確認していた。
「戦車、それもT−72がざっとだが二〇両。P−80が八機ほど確認された。これは現在確認された数であり、増えることはあっても減ることはない。俺たちが撃墜しない限りは!」
 ハーベイの額に汗が滲む。陽が沈み、すでに気温は暮らしやすい値にまで降下したはずであるのに。
「本部に増援部隊に急がせるように連絡したのか?」
「ダメだ。本部でも状況がつかめていないらしい。『破邪の印』は今、どこにいるのか連絡も無いそうだ………」
 長年傭兵を続け、幾多の修羅場を乗り越えてきたはずの野本であっても焦りの色は隠せない。
「とにかく今、一番アスタルテに近い部隊に急行してもらおう」
 ヨハネスの言葉にハーベイもうなずいた。
「それは要請した」
「後退は?」
「それもした。だが可能な限りアスタルテの保持を務めて欲しいとのお達しだ」
「『可能な限り』。確かにそう言ったんだな?」
 野本が念を押す。
「ああ。アシャさん直々にそう言った」
 ハーベイはそこで初めて口元を緩めた。
「持つべきものは話のわかる上司だな」
 アシャは彼らアスタルテ駐留部隊に、可能な限りアスタルテの保持に務めるように言った。つまりそれはアスタルテ防衛が不可能と判断した時点で自由に後退しても構わないという意味も含んでいる。後退の権利がフリーハンドなのは非常にありがたい話であった。
「ただしオケアノス大橋だけは絶対に破壊しないこと、だそうだ」
 リベル解放戦線は圧制に敷く現政権からのリベルの解放を謳っている。そんな組織がリベルの生命線でもあるオケアノス大橋を破壊するのは非常に都合が悪いのであった。
「まぁ、その辺は関係ないだろう」
 ヨハネスが肩をすくめながら言った。
「もう作戦の前提は崩れてるんだ。さっさと撤収としよう………」
「た、大変だ!!」
『スティールサンダー』隊のデトロフが大童で司令部に入ってきた。
「どうした、デトロフ?」
「オケアノスのリベル解放戦線側からも政府軍の部隊が現れた!!」
「何ッ!?」
「じゃあ、包囲されたってことか!!」
 もはや彼らに余裕の文字は一欠片たりとも残されていなかった。



「おいたが過ぎたな、傭兵たちも………」
 そう呟きながら双眼鏡越しにアスタルテ市を見つめるのはヨシフ・キヤ・マモト大佐であった。ソビエト人民義勇隊を率いる若き指揮官である。
『マーケット』作戦が発動されてから、間をおかずにマモトはリベル解放戦線の意図を見抜いて見せた。彼は全戦線の部隊に後退を下命。ただし、敵襲に大慌てで逃げるように見せかけながら後退するように、と付け加えていた。
 ソビエト人民義勇隊の(外見上の)敗走は、リベル解放戦線の部隊を伸びきらせるに充分であった。後は伸びきった部隊を分離させ、各個撃破するだけであった。
 今、リベルの全土で政府軍の大反撃が開始されていた。
 その口火を切るのがアスタルテ市の完全占領であった。
 マモトは大河オケアノスのリベル解放戦線側勢力圏にあった部隊の一部をアスタルテ攻略作戦の支援にあてた。これによってアスタルテは完全に包囲されたことになっていた。
「さぁ、後は叩くだけだ! 徹底的にな!!」



 午後七時四八分。
「『破邪の印』は何をやっているのだ!」
 カシーム・アシャはミハエル・ピョートルの執務室に入りなり、間髪入れずに怒鳴りつけた。
「わ、私たちにもわからないのだ………彼らがどこで何をしているのか………」
 ピョートルはただうろたえるだけであった。それがアシャの怒りの琴線を余計に刺激した。そしてピョートルは致命的な言葉を紡いだ。
「と、とにかく今はアスタルテのことよりも全戦線で行われている政府軍の反攻作戦の方が問題で………」
「いいですか、貴方たちは私たちとの契約を破ったのですよ! それをおわかりか!!」
 アシャはピョートルの胸倉を掴み寄せる。その目は真っ赤な怒りに染まっていた。
「我が社との契約条項に、以下のような条文が書かれているのを忘れたとは言わせませんよ!!」
 アシャはピョートルの顔面に一枚の書類を突きつけた。
 その書類はある一行に赤いボールペンで線が引かれていた。
 その行にはこう書かれていた。
『万が一にでも我が社の社員を不当に扱った場合、我が社は即刻契約を打ち切る』
「うぅ………だ、だが本当に儂にもわからないのだ………」
「っ!!」
 しかしアシャの冷静な部分が彼に警鐘を鳴らしていた。
 何としてでも政府軍の反攻作戦をはね返し、そしてアスタルテ市の部隊を救出に向かうのだ。契約の履行、不履行を議論している時間は残されていなかった。
「………その話は後にでもしましょう。ともかく今は全兵力をあげての迎撃作戦を行います、よろしいな!?」
 ピョートルに否と言う権利は無かった。



 午後八時三七分。
 アスタルテ市内の傭兵たちの抗う術は一つしか残されていなかった。
 すなわち市内の中心部に固まり、少ない戦力を集中させて、少しでも時間を稼ぐ方法。
 市内に入り込んだ戦車を襲うPA−3−AT ガンスウィープ。
 断続的に銃撃を繰り返す歩兵たち。
 全員が必死であった。
 誰もがこの地獄からの生還を望んでいた。
 だが………
 P−80の放つS−60Pの五七ミリ弾がガンスウィープに襲い掛かる。ガンスリンガーシリーズに搭載されている緊急回避システム『ウラヌス』を起動させ、一度は回避に成功する。しかし敵は明らかに手錬れであった。
 その一撃はガンスウィープを僚機の射線の延長線上に追い詰めるためのものだった。
 そして僚機のS−60Pの猛射を受け、燃料を引火させて爆発するガンスウィープ。脱出などできる訳も無かった。
「マズイか………」
 ハーベイは、自分たちが政府軍の戦力に呑み込まれるのが時間の問題であることを悟っていた。先ほど撃墜されたガンスウィープは『スティールサンダー』のヨハネス隊長であったはず。彼もまたベテランと称されるほどの傭兵であったのに………
『大丈夫ですか、ランカスター隊長?』
「その声は………ウィンチェスか?」
『ええ』
 無線越しのミネルウァの声にも疲労の色が濃い。
「………なぁ、ミネルウァ」
 ハーベイは今までミネルウァのことをウィンチェスと姓で呼んでいた。しかし彼はあの日以来、初めて彼女を名前で呼んだ。
「悪かったな。こんな戦争に付き合わせて………」
『………謝る必要はないわ。私は自分の判断でこのリベルに来たんだもの。誰のせいでもない。私の判断がすべての元凶になるわ』
「………そうか」
『ええ、そうよ………』
 その時、一発の対戦車ロケット弾がミネルウァのガンスウィープめがけて飛翔を始める。
 ミネルウァは咄嗟に左腕で対戦車ロケットを受けた。彼女のガンスウィープの左腕は脆くも千切れ飛んだ。
『話をしている暇もないようね』
 ミネルウァの声はあえて淡々としていた。
「歩兵が中心部まで来ている………」
 もう長くはない………このまま死を伸ばすだけの抵抗を続けるしかないのか………
 ハーベイはそれでもただ座して死ぬつもりはなかった。
 万に一つ、いや、億に一つの確立でもいい。生き延びることができそうならばそれに賭けてみせる。
 一瞬、彼の脳裏に誰かの顔が浮かんだ。しかし彼にはその顔が誰なのかはわからなかった。



 午後九時一二分。
 ついに傭兵たちはアスタルテ市内の司令部にまで追い詰められていた。
『ソード・オブ・マルス』の面々は全員が生存していたが、皆ガンスウィープを乗り捨てていた。二時間近く死闘を繰り広げた結果、弾薬燃料共に無くなり、もはやガンスウィープはただの巨大な鋼鉄の置物にしかならなかったからだ。
 今ではネーストル・ゼーベイアやエリシエル・スノウフリアなどもM16A1を手にして銃撃戦を繰り広げていた。
 エンリケのすぐそばで必死に弾幕を張り、抵抗していた男が額に銃弾を受けて、血と脳漿を周囲に散らす。
「こちら『ミスター・カモフラージュ』。この無線をフォローしているユニットへ! 誰か早く助けに来てくれ!!」
 コワルスキーが無線に向かって怒鳴る。だが無線に応える者は現れない………
「畜生、もうダメだ! 俺たちは見捨てられたんだ! ゴミみたいに! クソッタレ!!」
 傭兵歩兵分隊『ワルキューレの愛人』の男が錯乱状態に陥り、泣き喚く。
「黙れ! 貴様も漢なら諦めるな! もうすぐ………もう少しでアシャさんが応援を寄越してくれる! あの人は俺たちを見捨てたりはしない!!」
 野本が子供のように小さくうずくまり、泣き叫ぶ男に鉄拳を見舞い、喝を入れる。
「そうだ! 最後まで諦めるな! 命ある限りは助かるチャンスがあるんだ! 少しでも可能性を広めるんだ!!」
 ハーベイも野本に唱和する。
「………伏せろ!!」
 ネーストルの叫びが響く。だがその叫びは爆発音にかき消された。すぐそばに迫撃砲弾が炸裂したのであった。
 その迫撃砲弾の衝撃によって、野本が頭を司令部の壁に強く叩きつけてしまい、気を失う。
「ノモト!!」
 その時であった。
 対峙しているソビエト人民義勇隊の動向に異変が感じられたのは。



「急げ! 急いでアスタルテに侵入しろ! 一秒遅れるごとに誰かが死ぬと思え!!」
 二〇両ほどの戦車がアスタルテに向かって次々と進撃を開始する。
 アスタルテ市外で警戒にあたっていたソビエト人民義勇隊のT−72が新たに現れた戦車隊に向けて砲火を開く。
 だがその戦車は一二五ミリ砲弾を易々とはじき返す。
「バカな!!」
 あるT−72の戦車長は信じられない様子でそう叫んだ。
 そしてそれが彼の最期の言葉となった。
 時速七〇キロという高速で走行しながらも、その戦車隊の砲撃は正確無比そのものであった。その命中率は何と九五%にまで達した。
 しかもT−72の装甲はまったく役に立たなかった。一九台のT−72が一瞬にして鉄くずへと変えられる。
「進め、進め! アスタルテの戦友を救出するのだ!!」
 大日本帝国製四二式戦車 獅子王の砲塔上から身を乗り出し、傭兵戦車隊『メタリック・シンバ』隊のレオン・ムーアはそう叫びながらアスタルテ市内への侵入を開始した。
 四二式戦車 獅子王は大日本帝国陸軍が昨年生産を開始したばかりの最新鋭戦車。そして世界最強の戦車。
 主砲は五二口径の二〇〇ミリスーパーライフル砲。二五〇〇馬力にも達する大出力ガスタービンエンジンを搭載しており、対空兼軽車両攻撃用として三〇ミリ機関砲をも備えた究極戦車である。
 アシャはアスタルテ侵攻部隊の救援のためにこの虎の子………いや、獅子の子である獅子王隊を引っ張り出したのだった。
 この獅子王だけで構成された戦車隊『メタリック・シンバ』は敵戦線をも食い破り、アスタルテへの道を切り開いたのだった。



「チィッ! ヤポンスキーの新型戦車だと!?」
 マモトは元々機甲科出身であり、戦車のことならばソ連軍の中でも有数の見識を持っている。
 それだけに『メタリック・シンバ』隊の恐ろしさを誰よりも知っていた。
「大佐、どうしますか?」
 マモトの参謀であるスチョーパ中佐が尋ねる。
「バカ野郎! 俺を暗愚にしたいのか!?」
 マモトは怒りに顔を高潮させながらスチョーパを怒鳴りつけた。
「了解。では全部隊に後退を命じます」
「ああ。だが奴らがこっちの後退にあわせて追撃を試みる可能性も捨てられない。可能な限りの射撃を行いながら後退させろ!!」
「了解!!」



「やった………増援だ………」
『ミスター・カモフラージュ』のディアスが信じられないと言わんばかりに呟いた。
「生き残ってる奴らに伝えろ! この魔女のバァさんのナベから抜け出せるぞ!!」
 エンリケがそう怒鳴る。
「やった! やった! これで一安心だ!!」
 エリックは喜びのあまり、エリィの手を取ってヘタクソなダンスを踊る。
「生きてるのよね、私たち、生きれるのよね!!」
 エリィは目の端に涙をにじませている。
「浮かれるな! まだ完全に脱出できたわけじゃないんだぞ!!」
 ハーベイはそう言って緩みがちになる士気を保とうと必死であった。
 そしてハーベイの言葉は正しかった。
 アスタルテ市内に侵入した獅子王を食い止めるべくソビエト人民義勇隊は重砲での弾幕射撃を始めたのだった。
 その内の一弾が司令部の付近に着弾。ようやく地獄から抜け出せると浮かれていた傭兵隊を、本当の地獄に連れて行ってやるといわんばかりに炸裂したのだった。



「うぅ………生きてるのか………?」
 ハーベイは額に感じる激痛に目を覚ました。額に手をやるとヌルリとした血液が指についた。額を切ったらしかった。
 そして彼は自分のすぐ傍に誰かが倒れていることに気づいた。
 それはかつての彼の婚約者であった。
「ミネルウァ!!」
 ハーベイはミネルウァを抱き起こす。しかしミネルウァの軍服は血に塗れていた。 特に胸の辺りが真っ赤に染まっている。どうも肺の辺りまで傷ついている様子だった。
「ミネルウァ!!」
「………ふふ……ハーベイの言う通りだったわね………油断したわ………」
 弱々しく自嘲の笑みを浮かべるミネルウァ。
「バカ! 弱気になるなよ………こんな傷、すぐに治るさ………だってすぐそばに味方がいるんだぜ」
「………そう、ね………」
 言葉では頷いたものの、彼女は自分の未来を諦めた様子であった。
「………ねぇ、ハーベイ」
「な、何だ?」
「………お願い………私の……手を握り締めて………欲しいの…………」
「ああ、ああ。これで………いいか?」
 ハーベイはミネルウァの手を握る。その手のぬくもりは急速に失われつつあった。
「ああ………暖かい………」
「………諦めるなよ、ミネルウァ………もう少しがんばれ………」
「………ねぇ、ハーベイ………」
「何だ? どうした?」
「………私、貴方がいなくなってから、ずっと神様を恨んでたの………私にあんな残酷な運命を課した神様をね………」
「喋るな、ミネルウァ」
「………でも、今は神様に感謝している。………だって、こうして貴方の胸に抱かれて眠りにつけるんですもの………」
「ミネルウァ………すまん………」
「いいのよ………貴方には貴方の思いがあるわ………」
 ミネルウァはそっと目を閉じた。呼吸が荒い。もはや彼女に残された時間の金貨は残り少なかった。
「……………」
 ハーベイは一瞬迷った表情を見せた。だが意を決し、彼は自分の唇をミネルウァの唇に重ねた。
 唇と唇が触れ合った瞬間に、ミネルウァは驚いたように目を開けた。だが彼女はハーベイの唇を求めた。
 そして二つの唇が離れあう。
「………ありがとう………この瞬間、私に独占されてくれて………」
 もはやミネルウァには視覚が失われているらしい。彼女の瞳はハーベイの顔を正確に捉えていなかった。
「………ハーベイを返すわ……………レナ………」
 そう呟くとミネルウァの身体から力が抜けた。そして彼女の瞳は二度と開くことは無かった。



 参加人数二〇九名。
 戦死・戦傷一四一名。
 これが『マーケット』作戦の、数字上の顛末であった。
 さらに『ガーデン』作戦においてもリベル解放戦線は戦力の六割を消耗させていた。
 言い訳のしようの無い大敗であった。
 この作戦の結果、かつてはリベルを二分するほどだったリベル解放戦線の力は大いに減じた。
 もはやリベル解放戦線には昔日の力は残されていなかった。



 一九八三年七月三日午前一時一七分。
『マーケット』作戦参加部隊はようやくルエヴィトに帰り着いていた。
 誰もが疲れきった表情をしていた。
 そんな中でひときわ精気が無かったのはハーベイであった。
 ミネルウァの死が彼から精気を奪い去っていた。
 彼はルエヴィトに帰り着くと自室に閉じこもり、そのまま出てこなかった。
 そんな彼の部屋の扉を叩いたのはエレナ・ライマールであった。
「ハーベイ………」
 エレナは哀れむようにハーベイを見つめた。ハーベイは椅子に腰掛けうなだれたまま、何も言おうとしない。
 そのまま時が永遠に流れるのではないかと思われた時。
「………なぁ、エレナ」
 ハーベイはアスタルテ脱出以後、初めて口を開いた。
「ミネルウァはこのリベルに来る必要はなかった………なのに俺がいたからアイツは来たんだ………」
「……………」
「俺は………彼女を殺したんだ………俺を好いてくれた彼女を………」
「ち、違うと思うわ、ハーベイ」
 エレナはハーベイの言葉を否定した。
「彼女は………彼女がここに来たのはハーベイに会うためなんかじゃない!」
 嘘だ。ミネルウァはハーベイに会うためにリベルに来ている。エレナはそれをミネルウァの口から直接聞いていた。
 しかし真実がどうであれ、今のハーベイには救いが必要であった。それが虚言であったとしても、必要であった。
「彼女は………自分の力がどこまで通じるかを試すために………」
 エレナは必死に言葉を紡いでいた。知らず知らずのうちにエレナの頬を涙が伝う。
 ハーベイはエレナの顔をじっと眺めていた。
 そして彼はショックに引きつっていた表情をようやく緩めた。
「ふふ………ありがとう、エレナ」
 ハーベイはエレナの頬を伝っていた涙をハンカチで拭った。
「………なぁ、エレナ」
「?」
「………いや、何でもない。もう今日は遅い。自分の部屋に帰りな」
 ハーベイはそう言ってエレナを彼女の部屋に帰した。
 そして独りになると自嘲気味に呟いた。
「………ミネルウァを殺しただけでなく、あんな素直な娘に嘘をつかせるか………つくづく最低だな、俺は………」



報告書第157245

 親愛なる同志アルバート・クリフォード閣下。
 先日の叛乱軍の大反攻作戦の際に、我が軍の部隊に攻撃をしかけたアスタルテ市への増援部隊の件で今回は報告いたします。
 あの部隊はアスタルテへの増援部隊でありながら、任務を忘れて我が軍の部隊に突撃し、そして我が軍の兵力の前に敗れ去りました。
 その錬度は決して低いものではありませんでしたが、教科書通りであり、実戦に向いているとは決していえないものでした。
 ですがそんな中にあって、その部隊の隊長だけは獅子奮迅の活躍をいたしました。彼の四〇式装甲巨兵 侍一機でこちらはP−80小隊一個半も撃破されてしまいました。
 その後、何とか撃墜した所、そのパイロットは重傷を負いながらも脱出に成功。我が方の病院に収容しました。
 そして昨日、その者が目を覚ましたのですが、どうやら記憶を失っており、もはや自分の名前も覚えていません。
 ですがどういう訳か彼は叛乱軍の、中でも特に叛乱軍の傭兵たちに激しい憎悪を抱いていることが判明しました。
 そこで我が方の医療班の協力を得て、彼を我が軍の優秀な撃墜王とするべく洗脳を開始いたしました。


 尚、彼の名前はアスタルテで戦死したソビエト人民義勇隊の勇敢な兵士の名前をもらい、ハーグ・クーと名づけることにしました。


第二〇章「The Bridge」

第二二章「A God Sent Child」

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