軍神の御剣
第二〇章「The Bridge」



 東欧の小国リベル。
 元来この国は、国土の大きさにそぐわないほどに豊かな土壌に恵まれており、秋ともなればリベルの大地は黄金色に染まっていたという。
 そしてその豊かな土壌を支えるのがリベル国土のほぼ中央部を流れる大河オケアノスであった。
 この大河と豊かな土壌。それこそが神がリベルに与えたもうた恩恵であるはずだった。
 ………軍神の饗宴――戦争が行われている今となっては、もはや想像することすら不可能に近いが。
 ともあれこの大河オケアノス付近は小国リベルにとって数少ない「街」があった。
 アスタルテ市は中世期より大河オケアノスと共に歴史を歩んできていた。
 そしてアスタルテ名物でもあり、アスタルテの戦略価値を嫌も応もなく高める存在。
 それこそがオケアノス大橋であった………



 一九八三年六月二五日。
 リベル解放戦線本拠地でもあるルエヴィト市のホテルの一室。
 リベル解放戦線総司令官のミハエル・ピョートル中将は、傭兵派遣会社『アフリカの星』リベル方面陸上部隊総責任者であるカシーム・アシャとその副官であるサーラ・シーブルーの前にリベルの地図を広げた。
「これは………」
「知っての通り、これは我が国の地図だ」
 そんなことは百も承知である。アシャは表情でそう呟くと、ピョートルに続きを促した。
「そしてこれが現在の戦線………」
 ピョートルはマジックペンで地図に線を引く。
 一時はルエヴィトを放棄するまで追い詰められていたが、傭兵部隊の活躍で戦線は前まで戻っていた。つまりはリベルを二分するかしないかの辺りで一進一退となっているのである。
「このままではいつまで経ってもこの戦争は終わりそうにない。アシャはそう思ったことがないかね?」
「………確かに」
「そこで我々は一つ、一大反攻作戦にでることとした」
「反攻作戦!?」
 確かに戦線を以前までの状態まで押し戻すことには成功した。だがそれでもリベル解放戦線の持てるチップの数は多いわけではない。少しでも作戦指導を誤れば、即戦線崩壊につながりかねないのだ。アシャはそれを知っていた。
「そうだ。政府軍の湧き出る蛇口を締め、こちらの勢力圏を一気に拡大するのだ」
 政府軍の湧き出る蛇口。
 その物言いでサーラはピョートルの意図を汲み取った。サーラは咄嗟にアシャの顔を見る。
 アシャもサーラと同じ結論に達している様子だった。
「そう、我々はアスタルテを攻め落とし、オケアノスに新たな戦線を築くのだ!!」
 ピョートルは興奮に鼻腔を膨らませ、唾を飛ばしながら熱弁を振るう。
「………わかりました。ですがアスタルテまで現在の最前線から三〇キロは離れています。作戦の骨子は考えてあるのでしょうね?」
 ピョートルの熱弁にミリグラムの感銘も受けず、アシャは淡々と実務的なことを尋ねた。
 ピョートルはアシャの態度にいささか鼻白んだ面持ちをみせたが、彼らはあくまで傭兵であり、自分たちの主義に賛同して戦ってくれているわけではないということを思い出し、辛うじて怒気の暴発を自省した。
「………うむ。作戦の骨子はすでに組み立てられている」
 代わりにピョートルはそう切り替えした。



 アシャとサーラがピョートルとアスタルテ攻略作戦についての詳細を打ち合わせている頃。
「よ〜い………ドンッ!!」
 装薬だけを込め、弾丸を入れていない空砲の銃声が鳴り響く。
 その音と同時に二人は駆け出した。
 一人は女でもう一人は男。
 この二人はその脚力を競い合っていた。
 そしてわずか七秒ほど後。
「ゴ〜ルッ!!」
 男は両腕を誇らしげに掲げながら勝利を宣言した。
「………七秒四三」
 熊のような長身と体格を持つネーストル・ゼーベイアが、(彼から見て)小さな小さなストップウォッチの画面を見て呟いた。
 男――エリック・プレザンスはにこやかに言った。
「さっすが俺様、って所だな」
 そしてようやく女の方がゴール。
「………九秒二六」
「わ、我ながらこんなに遅いとは思わなかったわ………」
 女の方が肩で息しながらぼやいた。少女の面影を色濃く残している、エレナ・ライマールである。
「ま、一応は男の面子が立ったってところかな」
 エリックはそう言いながら地面に腰を下ろし、右足の靴を脱ぐ。
 そして右足そのものも脱ぐ。
「はい、ご苦労様、エリック」
 エリシエル・スノウフリア――通称エリィがエリックにアルカリ飲料を手渡し、エリックのすぐ隣に腰掛ける。。
 エリックは「サンキュ」と短く謝意を表す。
 短いやり取りであるが、二人の関係が以前までとは激変しているのは明白であった。
「これならもう出撃もできるさ」
 エリックはアルカリ飲料を一口飲むとそう言った。
「しかし本当にいいんですか、エリックさん」
 エリックやエリィらの所属する傭兵PA小隊『ソード・オブ・マルス』を率いるハーベイ・ランカスターが確認する意味を込めて尋ねた。
「今を逃したらしばらくは円満退職できませんよ」
「あぁ、俺は辞めるつもりはないよ」
 エリックは口調は柔らかく、だが決意は固く言った。
 そしてエリィの肩に手をやり、抱き寄せる。
「エリィの祖国を取り戻すまでは、俺は戦い続けるさ」
「やれやれ………エリックさんが残ってくれるのは心強いけど、バカップルは増えちゃったなぁ」
 ハーベイは肩をすくめて笑った。
「ふんっ。女連れの負傷者が役に立つものかよ」
「………?」
 唐突にハーベイたちの背後から声が聞こえた。その声は粘着性が強く、ハーベイたちの神経をよく刺激した。
「何よ、アンタ! いきなり失礼じゃないの!!」
 エレナが声の主の非礼を非難する。
「ふんっ。死肉を喰らうハイエナに礼なぞ必要あるものか」
 声の主は岩のように角ばった顔を持つ男であった。太目の眉毛が彼の内面の決意の固さも示しているようであった。
「………誰だ」
 ネーストルが尋ねた。その声はいつものように野太く、そしてぶっきらぼう。だがエレナにはネーストルの怒りが垣間見えた気がした。
「俺はペーシャー。ボフダン・ペーシャーだ」
 ペーシャーはネーストルの怒気を知ってか知らずか。傲然たる態度を崩そうともしなかった。
「俺は今度新設される『破邪の印』隊の隊長を務めることになっている」
「『破邪の印』………? リベル国民の志願兵だけで編成される部隊のことか」
 ハーベイの言葉にペーシャーが頷いた。
「そうだ。俺たちが第一陣となる。だがこの後に続々と続いていくのさ」
「なら戦友じゃないの! 何でそんな態度をとるかなぁ!!」
 エレナの言葉を聞いた瞬間、ペーシャーの顔が紅潮した。自らの見識を恥じたのではない。エレナの言葉に怒ったのだった。
「戦友! 人間とハイエナが戦友だと!!」
「………」
「お前たち外国人が、俺たちの国で戦争するんじゃねえ! 俺たちの国は、俺たちで取り戻すんだよ!!」
「テメェ! 俺たちがいなければマトモに戦線を維持することもできねぇ癖に!!」
 エリックが右足に義足をはめ直して立ち上がる。
 だがハーベイはエリックを制止した。
「ペーシャー。お前はそうやって皮肉を言うためにわざわざここに来たのか? 実に立派なことだな。『破邪の印』の大戦果は約束されたも同然だ」
 ハーベイの英国流の喧嘩の売り方にペーシャーはますます怒気をくゆらせたが、一応は怒気を抑え込んだ。
「ふんっ。俺はそこの女に用があるのさ」
 ペーシャーが指差したのはエリィであった。
「お前、リベル出身なんだって? だったらこんなハイエナどもとつるまずに俺たちと共に戦え」
「………」
 一同の視線がエリィに集まる。
 エリィは小さく息を吐き、立ち上がり、ペーシャーの許へ歩み寄った。
「………返答、しなければならないのかしら?」
「ああ。まぁ、勿論イエスだろうが………」
 ペーシャーは最後まで続けることができなかった。
 その前にエリィのスパンクがペーシャーの頬をしたたかに打ち付けていた。
「二度と私の前で、私の大切な人たちを貶さないで!」
「………こ、のアマぁ!!」
 ペーシャーはついに噴火した。拳を硬く握り締め、エリィにその拳を振り下ろそうとする。
 だがその拳は簡単に受け止められてしまった。
 ペーシャーの拳を受け止めたのはネーストルであった。ネーストルは体格に相応しい力でペーシャーを抱え上げると、そのままペーシャーを持ち上げたまま一同の前から歩き去った。
 不遜な闖入者によって場は完全に白けてしまっていた。
「なぁに、アイツ! アタシ、ああいう男って大ッ嫌い!!」
 エレナが正直に怒気を示す。逆にそのエレナの態度が白けた場にとっての最良の潤滑油となっていた。
「傭兵続けてるとああいう手合いの奴は一度は出会う」
 一同の中で一番傭兵稼業が長いエリックが言った。
「あれがリベル国民の総意とは思いたくないが………」
「わ、私は違いますよ!」
「………わかっている。エリィは最良の戦友だ」
 ネーストルがそういうと他の誰よりも説得力があった。普段寡黙な男にのみ許される特権であった。
「みんな、お茶が入り………ど、どうしたんです?」
 全員分の紅茶を淹れるためにその場に居合わせなかったミネルウァ・ウィンチェスは異様に緊張した雰囲気に気圧された表情を見せていた。



 一九八三年六月二九日。
「と、いうわけでこの作戦をお前たちに頼みたい」
 その日、『ソード・オブ・マルス』はアシャに呼び出されていた。他にも同じ傭兵PA小隊である『スティールサンダー』も呼び出されていた。
 そして彼らに言い渡されたのはアスタルテ攻略作戦であった。
「そりゃアスタルテを攻略すれば、非常にありがたいことになるのはわかります」
 ハーベイがそう前置いてから言った。
「ですがその後の俺たちはどうなるんです? まさか孤軍奮闘せよとかそういうこと言うんじゃないでしょうね?」
 つまり、アスタルテを攻略するということは確かに政府軍の補給路を断つこととなる。だがオケアノス川の前後には政府軍の部隊が確かに存在するのだ。その大部隊に挟撃された場合………想像するだけで恐ろしい。
「その件については大丈夫だ」
 アシャはそう太鼓判を押した。
「お前たちのアスタルテ攻略作戦開始と同時に俺たちも一気に攻勢に打って出る。増援も出す」
「ならいいんですが………」
「じゃあ整備班から機体を受領しておいてくれ」
「受領? どういうことです?」
「今回、お前たちが行うのは空挺作戦だ。空挺用のガンスリンガーを用意させてあるからそれで降下奇襲を行ってもらう」
「降下………ですか」
「訓練は受けてるだろ?」
「えぇ、まぁ………」
 ハーベイの煮え切らない、曖昧な返答。
 アシャは苦く笑うとハーベイたちに向って言った。
「実戦経験がないのが心配か? なぁに、大丈夫だ。空挺降下ってのは初心者の方が事故は少ないらしいぞ」
 アシャはそう言って笑わせようとしているらしかったのでハーベイは礼儀的に小さく笑った。
「尚、作戦開始は明日の〇六〇〇。日の出と共に出撃となるな。参加兵力はPAはお前たちだけだが、歩兵は二個中隊ほど参加する。尚、この作戦は『マーケット』と呼称する。何か質問は?」
 いくつか細かいことを話し合い、その日は早々に解散となり、彼らにはその日限りの休暇が言い渡された。



 一九八三年六月三〇日。
『………では降下を開始して下さい! グッド・ラック!!』
 無線から流れる声。
 グッド・ラックか………随分と気楽に言ってくれるぜ。
 ハーベイは内心でそう思いながら機器の最終チェックを怠らない。
 PA−3−AT ガンスウィープ。米国の第三世代PAであるPA−3 ガンスリンガーを空挺作戦用に改修した機体。主な改造点は空挺降下用に書き直された姿勢制御プログラム。そして材質。
 輸送機の限られた重量制限故にガンスウィープは少しでも軽く作ることが重要命題となっていた。その命題への挑戦のために装甲がアルミニウム重視となっている。おかげでただでさえ薄い装甲がますます薄くなっているが………
 とにかくハーベイはガンスウィープを、輸送機から飛び立たせた。
 開け放たれたハッチから次々と飛び出す一〇機のガンスウィープ。
 そして少し合間を置いてから小人が次々と飛び出す。これはPAから見たら小人だけであり、PAが大きすぎるのだった。彼らは人間であった。



「バカな………傭兵たちがこんな所にまで………」
 アスタルテに配属されていたのはソ連軍から派遣されていたソビエト人民義勇隊の者たちであった。
 だがアスタルテは(従来の物差しでは)後方であり、安全圏であった。そのために彼らはこのアスタルテを一種の休憩場として使用していた。
 それ故に今のアスタルテにはロクな戦力がなかった。
 それでもハーグ・クー少尉などは駆け出し、アスタルテに配備されている数少ないPAであるP−71に乗り込む。後方であるために旧式機しかないのがハーグなどにとっては癪である。だがそれでも貴重な戦力なのは間違いない。
「ミサイルだ! 地対空ミサイルであの空挺PAを撃ち落せ!!」
 ソビエト人民義勇隊の歩兵たちがソ連の第一世代携帯用小型地対空ミサイルである9M32ストレラ−2(NATOコードはSA−7 グレイル)の撃鉄を押してシーカーを作動状態にする。発射機の赤色灯の点灯を確認してからPA−3−ATに発射機を向ける。赤色灯の点灯こそがシーカー・ヘッドは正常に作動している証である。
「傭兵ども………俺たちを舐めるなよ!!」
 第一段ロケットの噴射炎を引きながら、次々と9M32ストレラ−2が放たれる。地対空ミサイルであるが、装甲の薄いPAならば充分に撃墜できる威力を持っている。
 ハーグは九本の炎の矢が放たれたことをモニター越しに確認した。
「よし、いけるか………?」
 空挺作戦の最大のネックは降下中は無防備である事にある。そこを狙うことができたのは上出来だと思う。少なくともハーグはそう思った。
 だが………



「ミサイル!」
 九本の地対空ミサイルが降下中の自分たちに放たれた。
 それを見て取ったミネルウァは、彼女の優秀な脳髄をフル回転させた。
 そして彼女は自分の導き出した結論に従って行動を開始する。
 その行動に彼女のガンスウィープは過不足なく答えた。
 ガンスウィープの腕には合計八門の多目的ランチャーが搭載されている。口径はせいぜい三〇ミリほどしかなく、攻撃用というよりは主に攻撃補助用として使われることが多い。たとえば信号弾や照明弾が主に搭載されている。
 ミネルウァは咄嗟にその多目的ランチャーから照明弾を六発放つ。
 朝焼けの空に六つの小さな太陽が光り輝く。
 9M32ストレラ−2は一九六六年に部隊配備が始められたほど歴史のある、言ってしまえば旧い兵器であった。そのためにミネルウァの発射した六発の照明弾を目標と間違えてしまうという失態を犯してしまった。もっとも9M32ストレラ−2に非はない。このミサイルは熱源探知式であり、より熱の多く発する目標へ突入するのが使命なのだから。
 ミネルウァの機転によって空挺降下を続ける一〇機のガンスウィープは一機たりとも傷つくことなくアスタルテの大地に着地することに成功した。



「クソッ! ミサイルが………」
 ハーグは思わず失望の呻き声をあげる。
 だが自分の為すべきことを忘れることはなかった。
 すぐさま彼はP−71を前進させ、空挺降下を終えたガンスウィープを迎えうつ。
 しかし勝利を司る女神は彼を、さらにはアスタルテのソビエト人民義勇隊を見限った様子であった。
 性能で劣るP−71ではガンスウィープに歯が立たなかったのだった。
 その後に繰り広げられた戦闘は、まるで大人と子供のケンカのように一方的な展開となった。
 ハーグ・クー少尉は善戦をしたものの、一機のスコアもあげれぬままに、逆に傭兵たちのスコアと化してしまった。彼を撃墜したのはエリィであった。ソ連軍で正規の訓練を受けていたハーグの錬度よりも、リベルの戦場で実戦経験を積み重ねていたエリィのそれの方がはるかに上回っていたのだった。
 PAが全機撃墜されるとアスタルテ駐留のソビエト人民義勇隊は、今度は抵抗を止めて退却に移ろうとする。
 しかしそれは遅すぎる決断であった。
 わずか一五分ほどの残敵掃射の戦闘の末にアスタルテは全面降伏。ソビエト人民義勇隊の者たちも武器を置き、両手をあげて抵抗の意思がないことを示した。
 こうしてリベル解放戦線の実行した乾坤一擲の大作戦である『マーケット』は大成功に終わる。
 後はリベル解放戦線主力部隊が政府軍の戦線を大河オケアノスにまで押すのを待つばかり。
 しかしこれが新たな悲劇の始まりであった………


第一九章「Volunteer Soldier」

第二一章「A BRIDGE TOO FAR」

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