軍神の御剣
第一六章「The longest day in Ruevit」


 一九八三年四月七日。
 ルエヴィトに続く街道。
「一歩たりとも退くな! 我らはここで叛乱軍を食い止める!!」
 顔の下半分が髭に埋もれた軍曹が、あらん限りの声で怒鳴り、士気を煽る。
 そして軍曹の怒号と共にソ連製自走多連装ロケット・システムであるBM−21 グラドが一二二ミリロケット弾を次々と放つ。
 BM−21は一両でロケット砲四〇門を装備する。
 軍曹の付近にいたBM−21は一四両。合計五六〇発のロケット弾が敵戦線に叩き込まれたこととなる。
 だが………
 軍曹の気合も虚しく五六〇発のロケット弾は目に見えた効果を出すことはなかった。
 今、軍曹たちに迫るのはリベル解放戦線――軍曹たちの立場から見れば「叛乱軍」――の主力である傭兵PA部隊。
 PAの動きは陸上兵器としては異例の素早さである。ロケット弾ではPAを捉えることはできなかった。
 そして一機のPAが銃口を軍曹たちの方へと向ける。西側PAの標準的兵装である四〇ミリマシンガンであるAPAGの銃口が、リベルの春の陽光を受けて鈍く光る。
「そ、総員たい………」
 軍曹は最後まで言い終えることができなかった。
 APAGの銃弾………いや、砲弾がBM−21を蹂躙する。
 BM−21はロケット砲を搭載してはいるが、ロケット砲以外はただのトラックである。四〇ミリ砲弾を受けて、耐えれるはずが無かった。一発でも命中すればそれで派手に爆発し、破壊される。
 BM−21を蹂躙したPAは大英帝国製第三世代PAであるランスロットであった。一九八〇年に完成した最新型である。
 高名な円卓の騎士の名を貰っただけあって、ランスロットのシルエットは流麗であり、「既存のPAで一番気品と風格を備えている」との評価もある。だが素晴らしいのは見た目だけではない。アメリカ製第三世代PA PA−3 ガンスリンガーが誇る緊急回避システム『ウラヌス』こそ搭載されていないものの、基本ポテンシャルはガンスリンガーに匹敵するほどである。
 そしてそのランスロットの右肩には「剣を持った逞しい腕」のマークが描かれていた。
 傭兵PA部隊『ソード・オブ・マルス』の新隊員にして元・ソ連軍最強のPA部隊『血染めのマリオネット』隊長であったネーストル・ゼーベイアはそのランスロットに乗っていた。



 同刻。
 ルエヴィト市内。
「急げ! 叛乱軍はすぐそこまで迫っているぞ!!」
 荷台に兵士を鮨詰め状態にしたトラックがルエヴィトを走り去る。
 そのトラックは一台、二台という規模ではなかった。両手の指を使っても全然足りない。阿修羅のように六本の腕が必要なほどであった。
 さらにトラックだけではない。戦車、装甲車、そしてPA。ありとあらゆる車両がルエヴィトを去ろうとしていた。
 そんなルエヴィトの中で彼らだけは継戦意欲をたぎらせていた。
 政府軍が誇る精鋭PA部隊『クリムゾン・レオ』。紅き獅子たちであった。
「隊長!」
 『クリムゾン・レオ』の隊員であるレアード・ウォリス少尉が、まるで芸術品のように整った端正な顔立ちの士官に声をかけた。
 端正な顔立ちの士官、レオンハルト・ウィンストン大尉はレアードに向い、何も言わずに頷いた。
 全てそれだけで通じた。『クリムゾン・レオ』の結束は固く、まさに「阿吽の呼吸」を地で行く部隊であった。
「総員搭乗! これより我らは撤退する味方部隊の支援に回る!!」
 レオンハルトはそう宣言すると自分の愛機に乗り込む。彼の機体は政府軍………いや、東側諸国にとって標準的PAであるP−71ではなかった。
 つい先日、『クリムゾン・レオ』は全員が機体を乗り換えたのだった。
 敵は強敵。圧倒的な錬度と最新鋭装備を誇る『アフリカの星』から派遣された傭兵部隊。
 だが………
 思わずレオンハルトは口元に笑みを浮かべていた。
 この機体を見て驚くがいいさ、戦場のハイエナどもめ。



「ヘッ。どうやら政府軍の奴ら、俺たちに敵わないとみてルエヴィトから撤退しようとしてやがるな」
 傭兵PA部隊『ホワイトナイト』のテイラーが誰に言うでもなく呟いた。
 リベル解放戦線のルエヴィト奪還作戦は今の所順調であった。いや、順調という言葉ですら生温いか。
 政府軍は大した抵抗らしい抵抗を見せる素振りすらない。
 航空隊の偵察情報によればルエヴィトから脱出しようとしているらしい。
「こんな楽な作戦で、給料がもらえるってのはありがたい話だぜ」
 今後もこういう戦況だといいよな。
 自らの落ち度を発端として、妻と離婚しているテイラーには莫大な慰謝料が請求されている。彼は慰謝料の支払い目的で傭兵を続けているのだ。
「よし、『ホワイトナイト』、前進を続けるぞ!!」
 テイラーの声と共に『ホワイトナイト』隊のPAが前進を再開する。
 テイラーの部隊は全員がPA−3 ガンスリンガーに搭乗している。ガンスリンガーは現在の西側諸国のPAの中では最新鋭にして最強クラスの機体である。だが最新鋭であるがために調達費用がどうしても高くなるのが実情。ガンスリンガーは傭兵派遣会社『アフリカの星』の中でも選ばれたパイロットでなければ乗ることができない機体であった。
 だが唐突にテイラー機の右隣に着弾の爆炎が吹き上がる。
「何ィ!?」
 咄嗟に右腕を顔の前に持ち上げて爆炎の衝撃から頭部を護る。ガンスリンガーのみならずPAは頭部にメイン管制コンピュータやカメラを持っている。PAにおいても頭部は重要な部分であった。
『テイラー隊長! 今のは一体………』
「慌てるな! ただのライフルでの長距離射撃だ! 今すぐ散会しろ! 固まっていたら狙い撃ちにされるぞ!!」
 テイラーの指示が飛ぶと同時に『ホワイトナイト』の四機のガンスリンガーがバラバラの方向に走り出した。
 だがそれこそが敵の狙いであることをテイラーは終生知ることはなかった。
 ビー。
 耳障りな警告音がテイラーの耳をつんざく。
 それは敵にロックオンされた証。
「えぇい!」
 ガンスリンガーは独自の緊急回避システムである『ウラヌス』を作動。テイラーのガンスリンガーはロックオンから逃れるべく、バーニアを噴かして右へと飛んだ。
 緊急回避システム『ウラヌス』のおかげでテイラーはロックオンという死神の死の宣告からは逃れることができた。しかしテイラーは死神の鎌から逃れれたわけではなかった。
 ガキィッ。
 金属同士がぶつかり合う音。だがその音と共にテイラーのガンスリンガーの右腕は半ばで切断されることとなっていた。
「しまった!?」
 緊急回避システム『ウラヌス』。発表当時は天下無敵の回避システムと喧伝されていた同システムであるが、実はある種の欠点を抱えていたのだった。
 目の前の危険ごとから逃れることを最優先するあまりに別の危険の方へと機体を誘導することがあるのである。たとえばハーベイ・ランカスターはその欠点を逆手に取られ、撃墜されたことが一度ある(参照:軍神の御剣 第四章「Crimson Leo」)。
 テイラーもそのことを聞いてはいたが、やはり聞くだけでは実感があまりわかなかったのも事実であった。百聞は一見に劣っていた。
 故に彼は回避方向に潜んでいた別の敵機によって右腕を斬り落とされたのだった。
「クソッ!」
 テイラーは咄嗟に残された左手に特殊チタン合金製のアサルトナイフを持たせ、斬りつけてきた相手に対峙する。
 その敵機はテイラーの見慣れたP−71ではなかった。
 P−71の無骨な野暮ったさとは無縁のスマートな機体であり、どちらかというと西側PAのような印象受けてしまう。
 だがこの機体こそが西側PAに性能的に劣勢に立たされていたソ連が、その名誉にかけて開発した高性能第三世代PA、P−80であった。
「P−80………まさかこのリベルに来ているとは………」
 まさかこの機体とリベルで出会うとは思っていなかった。テイラーにとってそれが正直な感想であった。
「えぇい!」
 右腕を失ったガンスリンガーが、左手にナイフを握り締めてP−80に襲い掛かる。
 だがP−80はガンスリンガーの斬撃を難なく回避。余裕すら見て取れる動きであった。
 そして逆にナイフをガンスリンガーの腰に突き立てる。
 特殊チタン合金のアサルトナイフはガンスリンガーの装甲を易々と貫き、内部構造まで断ち切った。
 そしてガクリと崩れ落ちるガンスリンガー。腰をやられたために脚部の動力が上手く伝わらなくなったらしかった。
 そしてP−80は腰に突き刺さっていたナイフを抜くと、逆手に持ち………背中からガンスリンガーを突き刺すべく、一気に振り下ろした。
 ナイフは背中からガンスリンガーのコクピット部分を直撃した。脱出できていなかったテイラーの絶命は確実であろう。
 そして同じ頃、『ホワイトナイト』隊のガンスリンガーは全機撃墜されていた。
 ソ連の第三世代PAであるP−80は己の力を誇るかのようにカメラアイを光らせた。



 ルエヴィト付近の林の傍。
「『ホワイトナイト』! おい、『ホワイトナイト』! テイラー、応答しろ!!」
 ハーベイ・ランカスターは何度呼びかけても返事をしない部隊が増え始めたことに不審を抱き始めていた。
『ダメか?』
 無線から聞こえるエリック・プレザンスの声にも憂慮の色が見える。いつもの明るさが顔を隠しているだけによけいに不安な心中が察せる。
「ああ。これで三個小隊目だ………一体何が起こっているのか」
『ジャミングではないでしょうか?』
 代わってエリシエル・スノウフリアの声。
『エリィ。それは推測じゃなくて希望だな。そりゃジャミングだと嬉しいが………』
『………ランカスター隊長。今、楽観は禁物だ。最悪の事態を想定した方がいい』
 ネーストルの低いバリトンが響く。だが彼のいうことはもっともであった。
「そうだな………ウィンチェス。何か兆候は無いか?」
『今の所、我が隊の付近に異常は見られません。我が隊はルエヴィト攻略部隊主力から少し離れていることが原因でしょう』
 ミネルウァ・ウィンチェスの乗機は四〇式装甲巨兵 侍である。これは以前マーシャ・マクドガルが乗っていたもので、彼女が引退した際に乗り手がいなくなったのでミネルウァが乗機としていた。
 だが今の侍は、マーシャ時代とは趣を完全に異としていた。
 今の侍は背中に無数のアンテナを背負っている。外見だけならばかの武蔵坊弁慶に見えなく無い。背中のアンテナがまるで弁慶の背負う九九九本の刀剣のようだからだ。
 背中に背負うアンテナ。それはすべて通信機器であった。レーダーから無線、ジャミング発生装置まで何でもござれ。
 ハーベイはミネルウァの侍をそのように改造することでPA戦に電子戦を持ち込むつもりであった。
『しかし敵の襲撃を受けたとしても、一言くらい何か通信に流しませんかね?』
 エリィの不思議そうな声。
『ヘッ。敵さんの錬度がそれだけ高いってことさ………って事は! ハーベイ!!』
 エリックが声を荒げる。
「ええ。多分そうです! 敵は………敵は………」
 ハーベイの声にミネルウァの通信が被った。
『!? レーダーに反応! 敵機です!!』
 ミネルウァがそう叫んだと同時に林の中からヌッと政府軍のP−80が姿を現したのだった。
 敵機の右肩を見た時、ハーベイは自分とエリックの疑念が的中していたことを悟った。
 敵P−80の右肩には獅子の紋章が描かれていた。



「喰らえ!!」
 P−80のコクピットでレオンハルト・ウィンストン大尉が吼えた。
 そして同時にP−80が右手に持っていたS−60P五七ミリ対PA用機関砲も吼える。
 しかしレオンハルトの一撃は外れた。
 ガンスリンガーや侍、果てにはNATO軍が試作したアルトアイゼンと百花繚乱的混在を見せる敵小隊の錬度は本物であった。
「ほう………」
 林の中を縫うように進んできたのだ。敵レーダーに捉われることはなく、奇襲に成功し、一撃の元に敵小隊を壊滅できるかと思っていたが………
 だがレオンハルトは敵機の右肩を見て、合点のいった表情を見せた。敵機の右肩には、「剣を持った逞しい腕」が描かれていた。
「奴らか………」
 そう呟くとレオンハルトは無線の周波数をいじり始めた。



『久しぶりだな、クリューガー! 今日こそ決着を付けさせてもらうぞ!!』
 無線から聞きなれぬ声が聞こえる。
「誰だ、アンタ!」
 ハーベイは敵新型PAの機動性の高さに焦りを覚えながらも応じた。
『ん? 何故だ? そのガンスリンガーはクリューガーのもののはずではないのか?』
「確かにこれは隊長のものだったが………今では俺のものだ!」
『何!? ではクリューガーはどうしたのだ?』
「………死んだよ。今から二ヶ月ほど前にな………」
 ハーベイのその言葉からしばらく交信は途絶えてしまった。
 林から出てきた敵新型PAは四機で、ハーベイたちに襲い掛かっていたが、先ほどのからそのうちの一機の攻撃がやんでいた。



「……………」
 レオンハルトは信じられない思いであった。
 彼がエルウィン・クリューガーと出会ったのはやはり戦場であった。そして幾度となくクリューガーと砲火を交えた。
 クリューガーの腕前はレオンハルトのそれに匹敵しており、二人は熾烈であるが、どこか芸術的要素すら感じさせる戦闘を繰り広げてきていた。
 そんなクリューガーが死んだだと!?
「クッ! クリューガーがすでに死んでいたとは!!」
『悪いが感傷に浸ってる暇は与えないぜ!!』
 (レオンハルトはこの声が誰なのか知らないが)ハーベイのガンスリンガーがレオンハルトのP−80に向ってくる。
「クッ!」
 レオンハルトは咄嗟にS−60Pを構える。
 だがガンスリンガーは何とAPAGをレオンハルトのP−80に向けて投げつけたのだった。
 レオンハルトのP−80は投げつけられたAPAGを左腕で払う。だがそのために一瞬の隙が生まれた。
 そこに一気にナイフを構えたガンスリンガーが迫る!



「クソッ! 隊長を護れ!!」
 レアードの叫びが無線を通じて『クリムゾン・レオ』レオンハルト直属小隊に響く。
 だが『ソード・オブ・マルス』も黙っていなかった。
 レアードのP−80にアルトアイゼンが突撃し、右腕に仕込まれた巨大杭打ち機であるリボルビングバンカーを叩きつけようとする。
 レアードは咄嗟にP−80の身をよじらせてリボルビングバンカーの一撃を回避する。アルトアイゼンの突進力は並ではないと噂で聞き及んでいたが、その突進力はP−80やガンスリンガーなどよりもさらに一段階以上上であった。
「邪魔をするな!」
 近距離に潜られたためにS−60Pを撃つ事はできない。そう判断したレアードはS−60Pでアルトアイゼンの頭部を叩きつけようとする。これで頭部のメインカメラを損傷させることができれば上出来である。
 しかしアルトアイゼンは頭部から大きく突き出しているメインアンテナでS−60Pを切断してみせた。アルトアイゼンのメインアンテナは通信機器としてだけではなく、咄嗟の際に近接格闘用兵装としても使えるのである。これをヒートホーンという。
「なッ………!?」
 アルトアイゼンの眼が不気味に光るのをレアードは見た。そしてアルトアイゼンの膨らんだ両肩がバカッと開く。それは無数の散弾を撒き散らすスクエアクレイモア発射のプレリュードである。
 それを知るレアード。近距離でスクエアクレイモアを喰らえば、如何に新型P−80といえども蜂の巣になるのが関の山。運が悪ければ廃材になりかねない。
 そうはさせじとブースターを全開にしてアルトアイゼンに体当たりを喰らわせるレアード。アルトアイゼンの腰にしがみつくかのようなタックルとなった。そして二機はもつれ合い、転倒する。
 スクエアクレイモアの散弾は虚しく空を切るだけであった。
 そしてレアード機の鉄拳がアルトアイゼンを強打する。だがアルトアイゼンの装甲は厚く、P−80のマニピュレーターによるパンチではダメージを与えることはできず、逆にP−80のマニピュレーターの方がダメージを受けてしまっていた。
「何という装甲!」
 そこでドイツ製PAであるパンツァー・カイラーがナイフ片手に乱入する。レアードは知らないが、エリックがそのPAに乗っている。APAGを使わないのはアルトアイゼンも一緒に撃ってしまう事を恐れているのだろう。
「クソッ!」
 レアードは己の不利を悟らざるを得なかった。仕方無しにアルトアイゼンから飛び離れる。



「てぇい!」
 ハーベイの裂帛の声と共にガンスリンガーがナイフでP−80を一閃。
 だがレオンハルトはその一撃をS−60Pで受ける。ナイフはS−60Pに深く食い込み、抜けなくなる。
「ならば!」
 ガンスリンガーの頭部には一二.七ミリチェーンガンが二丁搭載されている。ハーベイはそれを放つ。
 一二.七ミリチェーンがンは元々対人用として装備されている。PA用としてはイマイチパンチ力に欠ける。だが至近距離で放たれてはP−80といえども怯まざるを得ない。ハーベイは一二.七ミリチェーンガンを主にP−80の頭部めがけて放っていた。P−80の頭部が小口径弾に乱打され、次第に醜く形を歪ませていく。
 だがP−80にも腰部に同じく一二.七ミリ口径のチェーンガンが搭載されている。レオンハルトもそれを放ち反撃に転ずる。
 P−80の一二.七ミリチェーンガンは腰部にあるためにガンスリンガーの頭部を狙うことはできない。だがレオンハルトは照準を頭部ではなく、ガンスリンガーの股関節に定めていた。
 関節部分はPAの最大の弱点の一つであり、股関節はPAの最大の武器であり防具である機動力に直結するために頭部以上の重要部分といえる。
 ガンスリンガーの右股関節は一二.七ミリ弾によって撃ち抜かれ、ガンスリンガーは膝を付かざるを得なくなった。
 それを見て取ったレオンハルトはP−80を退かせ、距離を取る。レオンハルトのP−80の頭部はボコボコになっていた。
 ガンスリンガーとP−80が離れるのを待っていたかのようにAPAGの火箭がP−80に降り注ぐ。ハーベイはレーダーで、その援護射撃の主がミネルウァであることを知った。
『ハーベイ! 大丈夫!?』
 ミネルウァの気遣わしげな声。
「ウィンチェス………すまない………」
 見えていないのは百も承知であるがハーベイはミネルウァに頭を下げた。そして初めて自機の状態を知り、愕然とする。
 ハーベイのガンスリンガーの右足は完全に使い物にならなくなっていた。股関節がズタズタに撃ち抜かれたために右足は棒のように動かなくなっていた。
「う………うぁ………」
 ハーベイの口から意味の無い呻き声が漏れる。言語としての意味は為さないが、その声色には恐れの色が見える。
 ハーベイは既視感に囚われる。喉がカラカラに渇き、身体の震えが止まらない。
『ハーベイ! 何やってるんだ! おい、聞いてるのか!?』
 エリックの叱咤の声が無線から聞こえる。
『エリックさん! そんなことより敵機の追撃を! 敵は撤退に入っています!!』
 ミネルウァの指示が間髪をいれずに入る。エリックは一瞬であるがその指示に戸惑いを見せた。だがすぐに気を取り直した。
『………いや、追撃は不可能だな』
 ネーストルの淡々とした声。彼は『クリムゾン・レオ』のP−80を一機撃墜していた。この遭遇戦であがった唯一のスコアであった。
『………P−80の速力は速い。アルトアイゼンでやっと追撃可能という所だろう。エリシエル一人では不利だ』
『それもそうね………』
 元ソ連軍の精鋭PA部隊『血染めのマリオネット』隊長の言葉は重い。ミネルウァはネーストルの意見に頷いた。
『そんなことより隊長はどうしたんですか!? さっきから応答がありませんよ?』
 エリィの怪訝そうな声。しかしハーベイは未だに震えを抑えれぬまま、ガンスリンガーのコクピットで呆然としていた。呆然としているだけであった。
 彼の瞳には近い将来に必ず起こる自らの最期の姿が見えていた。



『隊長………』
 無線から聞こえるレアードの声は暗かった。
「撃墜されたのはプロニスワフ伍長か?」
『はい………ランスロットに撃墜されたようです』
 レオンハルトはそうか、と呟くと眼を閉じた。
『ソード・オブ・マルス』との交戦中、オルファー大佐からの通信が入ったのだった。曰く、「ルエヴィトからの撤退は完了した。貴隊の任務は終了した。撤収せよ」。
『クリムゾン・レオ』は完璧な奇襲を遂行し、傭兵たちに少なからぬ打撃を与えることに成功した。だがレオンハルトの戦い様は無様であった。
 クリューガーの死を聞いた時、しばらく呆然としていたためだった。プロニスワフ伍長はそのために戦死したようなものだった。
 レオンハルトは悔しげに硬く拳を握り締めた。
 今の彼は自責の念に捉われていた。
 そんな彼がルエヴィト放棄の理由について深く考えるにはもう少し時間が必要だった。



 一九八三年四月九日。
 アメリカ合衆国ニューヨーク州の某所。
 そこには地上六〇階建てという超高層ビルが、まるで城郭のようにそびえていた。
 そのビルの所有権を有するのは、表向きにはアメリカを代表する超巨大財閥であるアムプル財閥ということになっている。だが本当の所有者は別であった。
「ようこそ。お待ちしておりました」
 二〇代半ばといった所の、長い金髪を持った才女が四〇代半ばの男に言った。いや、男の本当の年齢は六四歳。すでに老人と言っていい年齢であった。だが彼には老いというものが感じられなかった。
 やはり人の上に立つ者とはそういうものなのだろうか?
 才女――アークィラは内心でそのようなことを考えながら男をエレベーターに案内する。
 そしてエレベーターに二人っきりで入ると彼女は鍵を取り出し、エレベーターにある鍵穴に差し込み、捻る。
 カチリという音と共にスイッチが新たに現れる。彼女はそれを押した。
 エレベーターはスイッチを押された瞬間に地下へと落ちていった。このビルは確かに地下駐車場を持つ。だがエレベーターはすでに四〇メートル以上落ちていた。
 そしてエレベーターは不意に止まる。その急速な減速にアークィラは未だに慣れない。顔をしかめてしまう。
 だが男は平然としていた。さすがは元傭兵撃墜王といった所かしら………?
 そんなアークィラの思いを知らずに男は口を開いた。
「ここがそうなのかね?」
 アークィラが答える前にエレベーターのドアが開く。
 ドアの向こうは会議室になっていた。会議室には一三の椅子があるが、座っているのは一二人だけであった。
 会議室に銀の仮面に顔の右半分を覆われた男を見つけたアークィラは頭を下げた。彼はアークィラの主人といってもいい男であり、ヘッツァーと名乗っていた。
 会議室の上座にいた男が腕を広げ、来客を歓迎するために口を開いた。
「ようこそ、『アドミニスター』へ。マルセイユ君よ」
 マルセイユと呼ばれた来客は恭しく頭を下げた。
 マルセイユの本名。それはハンス・ヨアヒム・マルセイユ。かの日米戦争やその後の第二次中国内戦の際に傭兵として戦場の空を駆け、今では傭兵派遣会社『アフリカの星』の社長を務めている男。
「我々『アドミニスター』は君の参加を歓迎するよ、マルセイユ君」
 恭しく頭を下げたまま、マルセイユは内心で呟いた。
 ようやく………ようやくここまで来る事ができた………『アフリカの星』を設立したのもすべてはこの日のため………


第一五章「KATAKU〜火宅〜」

第一七章「A true pursuit person」

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