軍神の御剣
第一五章「KATAKU〜火宅〜」


 一九八二年二月一三日。
 ソビエト社会主義共和国連邦と中華民国の国境付近。
 その日の国境付近は激しい吹雪が吹き荒れていた。
 雪と風のために視界はほとんどない。
 こんな時に外出する者は正気を疑われるだろう。ここが国境付近でなければ。
 ここは共産主義陣営であるソ連と自由主義陣営である中華民国との国境である。
 自由主義に未来を託した亡命者。
 反対に共産主義に未来を託した亡命者。
 亡命者はこういう視界の悪い日を狙って亡命しようとする。
 国境付近の警備兵の警戒レベルは自然と上げられていた。
 中華民国側の国境監視所。
 粗末な一軒家にしか見えないのが国境監視所であった。
 だが粗末なのは外見だけである。
 中華民国が付近にしかけたレーダー及びソナーといった探知機による情報はすべてここに集められる。
 この監視所は三交代制で、二四時間体制で動いていた。
 監視所の責任者は中華民国陸軍の張少佐であった。日米戦争前の、第一次国共内戦の頃に中華民国陸軍二等兵として従軍した経験を持つ叩き上げの老兵であった。
 張は監視所のストーブに両手をかざし、暖を取っていた。年寄りにこの寒さは厳しかった。
「少佐」
 そんな張にレーダーを見ていた趙伍長が声をかけた。
 張は億劫そうにストーブから離れ、趙の許へ歩く。
「何じゃ?」
「どうも『お客さん』のようです」
 『お客さん』というのは『亡命者』を示す隠語である。
「今日は吹雪でソ連の監視兵に発見されにくいと判断したんじゃな………おかげで儂らは寒い中も頑張らねばならんわい………」
 張は年輪のようにしわが刻まれている顔をしかめる。
「ソナーから何か聞こえんのか?」
 張は愚痴ることを止め、己の為すべきことを行う。
 ソナーを聞いていたのは曹上等兵であった。元々音楽家志望の者だけに耳はよく、張にはまったくわからない小さな違いも聞き逃さない(尚、中華民国は未だ徴兵制があるのだ。だから曹上等兵は軍にいる)。
「えぇと………どうも様子が変なんスよ」
 まだシャバっ気が抜けない曹は首を捻りながら、ソナーのボリュームをいじくり回す。
「変? 変とはどういうことだ?」
「はぁ………確かに吹雪以外の音も聞こえるのですが、人間が歩く音には思えないのですよ」
「何?」
「あ、何やら機械が動いてるみたいです。機械の駆動音が聞こえました」
 曹の言葉に張と趙は顔を見合わせた。
「………まさかソ連軍の侵攻とか」
「バカな。恐らくだが………MWで亡命を図ってるんじゃろう」
 MW。
 PAと同じく人型をした機体。しかしその目的は戦争ではなく、土木建築である。全高は(おおまかではあるが)PAの半分ほどであり、PAのように背部にジェットブースターも装備していない。ただそのパワーで建設現場などで縦横無尽の活躍をしているのだ。
「なるほど。MWなら車よりも悪路に強いし………」
「この吹雪にも耐えれるじゃろう。ともかく『お客さん』の受け入れ態勢を整えんとな………待機所の第二小隊に出動を命じてくれ。一応、念を入れて第三種兵装で行くように言っておいてくれよ」
 第三種兵装とは対装甲戦闘車両を考慮に入れた装備。アサルトライフルのみならず対戦車ロケットまでも装備している兵装である。
 こうして猛吹雪の中、中華民国陸軍第七国境警備大隊隷下第二小隊は出動していった。



 ソ連側国境。
 一機の巨人が雪を踏みしめながら、一歩一歩確実に歩き進んでいた。
 張少佐はMWだと推測したが、それはソ連軍の第二世代PAであるP−71であった。
 PAのコクピットは基本的に狭い。
 おまけに彼は身長が二メートルを上回るほどの大柄な男。さらには彼の膝元には一人の女性。
「………ナジェージダ。寒くはないか?」
 男の野太い声に対し、女は笑って見せた。だがその笑顔に精気はうかがえない。弱々しい、儚い笑みであった。
 男――ネーストル・ゼーベイア――は歯噛みした。
 我が妻――ナジェージダの儚い笑み。儚いままで終わらせはしない!
 その時であった。
 P−71の無線からロシア語が響く。
『ゼーベイア隊長!!』
 ネーストルにとってその声は馴染み深い声であった。
 何せつい先ほどまで自分の片腕だった男の声だから。
 ネーストルの前に三機のPAが回りこんだ。背部から吹き上げるバーニアの蒼い炎が吹雪を蒼く染める。
「………同志エレメーイか。二度とは言わん。………どけ」
『同志隊長! 隊長ともあろう方が何故ですか!!』
 三機のP−71のうちの真ん中の機体に乗るのはエレメーイ中尉。ネーストル・ゼーベイア少佐の片腕としてPA部隊『血染めのマリオネット』に所属していた男。『血染めのマリオネット』とはソ連軍が誇る最強のPA部隊のことで、かのアフガンの地では傭兵派遣会社『アフリカの星』の部隊を赤子の手を捻るかのように撃退したという部隊であった。
『同志! 祖国は貴方の働きにちゃんと報いてきたではないですか! なのに亡命なさると!?』
「………祖国は………確かに祖国は私を重用して下さった。それは感謝している」
『では何故!?』
「………我が妻ナジェージダを救うためだ」
 ネーストルは岩より固い決意で言い切った。
「ナジェージダの病気を治すには自由主義陣営の優秀な医療技術が必要だ」
『では………貴方は今までの地位も、名誉もすべて捨てると!?』
「俺には………ナジェージダがすべてだ」
『………わかりました』
 突き放すかのようなエレメーイの声。
 そしてエレメーイのP−71の右腕があがる。その右手にはS−60Pが握られている。
『今の私たちの任務は………貴方の亡命を阻止することです!!』
「そうか………ならばまかり通るまで!!」
 ネーストルのP−71には対PA用のナイフがあるのみであった。それに対し追撃部隊の三機はS−60Pを装備している。おまけにPAのブースターを使った高機動も使えない。病人であるナジェージダが同乗しているためだ。
『お前たちは手を出すな! 隊長は………俺がやる!!』
「行くぞ、エレメーイ!!」
 咄嗟にネーストルはナイフをエレメーイに向けて投げる。
 エレメーイは投げつけられたナイフを避けるために身をそらす。
 そして決着は一瞬のうちについた。
 身をそらせたエレメーイのP−71の右腕を掴んだネーストルのP−71はそのまま右腕を脇に挟んで固める。典型的な関節技であった。そして一気にエレメーイのP−71の右腕を折り千切る。
『さすがは隊長………』
 エレメーイの声に屈辱の響きはなかった。むしろネーストルの門出を祝うかのような口調であった。
「………俺が教えてやれるのはここまでだ」
 ネーストルにはすべてわかっていたのだ。これはエレメーイが求めた最後の訓練なのだ。
『………了解。よし! 我々はネーストル・ゼーベイアの追撃任務に失敗した! これより敗走する!!』
「………スマン。元気でな、エレメーイ」
『いいえ。我々は祖国でナジェージダ様の回復を祈っております! そちらこそ壮健で!!』
 そう言うと三機のP−71は引き返していく。
 そしてネーストルは再びP−71を歩き始めさせた。
 中華民国の国境は近い。すでに中華民国の国境警備兵はこちらに手を振っているのが見える。
 こうしてネーストル・ゼーベイアは西側へと亡命することとなった。



 それから一年余り。
 一九八三年四月三日。
 東欧の小国リベルにもようやく春が訪れようとしていた。
 ネーストル・ゼーベイアはオロファトの郊外に設けられたリベル解放戦線の仮説基地の隅に花が咲いているのを見た。その花の種類はネーストルにはわからなかったが。ネーストルは花の傍に座り、ノンビリとリベルの春空を見上げる。
「ゼーベイアさん………どうかしましたか?」
 ネーストルの所属する傭兵PA部隊『ソード・オブ・マルス』のハーベイ・ランカスターであった。
「………今の俺はランカスター隊長の部下だ。ネーストルで構わんし、敬語を使う必要などまったく無い」
「はぁ………ではネーストル」
「……………」
 ネーストルは表情をまったく変えないまま頷いた。続きを促しているらしい。
「次の作戦の説明がある。来てくれ」
「………わかった」
 そう言うとネーストルはスッと立ち上がる。身長二メートル以上になるネーストルの傍だとハーベイが子供に見える。ハーベイの身長も決して低いわけではないのだが。
 ………にしても無口というか大人しい男だよなぁ。
 ハーベイはネーストルの人物像をそう評した。
 本当にあの東側最強部隊である『血染めのマリオネット』の隊長なのかねぇ………



「よし、全員揃ったな」
 ブリーフィングルームに全員が集まったことを見て取ったカシーム・アシャは一同の顔を見渡しながら言った。
 何人か新顔が見受けられるが、それでも皆頼もしさには満ちている。
「ではこれよりルエヴィト奪還作戦の説明を行う!」
 指揮棒を手に取るアシャ。
「作戦は単純にして明快。つまりはルエヴィトに配置されている政府軍の部隊を撃退し、ルエヴィトを取り返す。それだけだ。
 諸君らの実力を奴らに見せ付けてやれ。以上だ」
「何だ。ただ突っ込めばいいだけか」
 『ソード・オブ・マルス』一軽い男であるエリック・プレザンスが口笛混じりに呟いた。
「問題はルエヴィトにどれだけの敵兵力がいるかですね」
 エリシエル・スノウフリア――通称エリィが懸念事項を口にする。
 エリィの言葉を耳に入れたアシャがそれに答える。
「政府軍の戦力は先のウラル迎撃作戦の際にかなり消耗している。それに対してこちらは本社から補充を受けることができた。楽に勝てるだろうさ」
 それから仔細の説明が行われ、作戦会議は幕を閉じた。



 同じ頃。
 ルエヴィトにて。
「今こそ叛乱軍は反攻作戦の好機と睨んでいるはずだ」
 政府軍ルエヴィト駐留部隊の司令室。
 そこで髭面の中年男がルエヴィト駐留部隊司令であるオルファー大佐と話をしていた。
「今の戦力でルエヴィトを護ることは不可能。早期の撤退をクリフォード閣下は望んでおられる」
 リベル政府軍少将であるミロヴィッツが髭を震わせながら言った。
 ルエヴィトを預かる身であるオルファー大佐は決断しかねている様子であった。
 彼はリベル政府軍の中でも有数の常識家であり、面白みはないが、堅実な用兵に定評がある、いささかくたびれた老将であった。
「ですがミロヴィッツ少将。敵が来るとわかっているなら増援を送り、ここで叛乱軍の攻勢を挫いてはどうでしょうか?」
 さすればこの戦争も終わるはず………言外にそう含ませたオルファーの言葉。
 だがミロヴィッツはオルファーの意見を一笑に付した。
「そんな戦力がどこにあるというのかね、大佐。我々のチップは先のウラルにほとんど預けていたのだぞ?」
「ですがソ連の義勇兵が到着したとの話も聞いておりますが………」
 ミロヴィッツは内心で顔をしかめる。チッ、この老人め、その機密情報を手に入れておったか。
「残念だがソ連軍の部隊を投入するタイミングではないのだ、今は」
「………ここで勝たねばまた多くの若者の命が失われることになるというのに」
「ふん。議論はここまでだ、大佐。早速撤退の準備にかかるように………以上だ」
 鼻を鳴らし、傲然と胸をそらして部屋を出て行くミロヴィッツ。
 そして入れ替わりに部屋に入って来たのは長い黄金の髪を持つ美男子であった。
 美男子――レオンハルト・ウィンストン大尉が後ろ――ドアの方へ振り返りながら言った。
「ミロヴィッツ少将はどうしろと?」
「………撤退だそうだ」
「バカな!? ここで退けば、また叛乱軍と一進一退になるだけ………戦争が終わるなど夢のまた夢になるではないですか!!」
「仕方あるまい。上の決定だ………この決定はクリフォード閣下の許可もあるよ」
 オルファーはレオンハルトに一束の書類を投げつける。
 レオンハルトはその書類にザッと目を通す。確かにルエヴィトの放棄の指示が書かれていた。クリフォードの名の下で。おまけに彼のサインまでついていた。
「クッ………閣下ともあろう方が………この好機をわかって頂けないなんて」
 悔しげに歯噛みするレオンハルト。処女雪のように白いレオンハルトの肌に怒りの紅が差す。
「滅多なことは言うな、ウィンストン大尉。粛清の対象とされるぞ」
「………わかりました。では自分は………」
「うむ。撤退の準備を進めてくれ」
「………ですが大佐。一つお願いがあります」
「?」
「撤退の殿、私の部隊に任せていただきたい」
「………わかった。では『クリムゾン・レオ』に殿を頼もう」
 レオンハルトの決意は固かった。それを打ち崩すことはできない。そう感じたオルファーはレオンハルトの願いを受け入れるしかなかった。
「………だが死に急ぐな。リベルは………まだ君を必要としている」
 オルファーには辛うじてそう付け加えるのが精一杯であった。
 そして部屋から出て行くレオンハルト。
 オルファーは独り部屋で思案をめぐらせる。
 どう考えてもおかしいことになっている。
 ここでルエヴィトを放棄すれば戦いが長期化するだけのはずなのに………
 クリフォード閣下は戦争を終わらせるつもりがないのでは………?
 だがこの戦争、リベルに一体何の利点があるというのだ………
 そこでオルファーはあることに思い至った。
「まさか………だがこの仮定ならば辻褄があう………いや、あってしまう………」
 オルファーは自分の閃いた仮定に恐怖を感じていた。



 一九八三年四月七日。
 オロファトのPA格納庫の裏。
「何だ、ミネルウァ。人を呼び出して………」
 ハーベイ・ランカスターはPA乗り用のパイロットスーツに身を固め、手にフルフェイスヘルメットを持っていた。PA乗りのパイロットスーツはまるでライダースーツのようであった。
「貴方が………心配で………」
 ミネルウァ・ウィンチェスの身体は豊満で、パイロットスーツに収まったその肢体のラインの見栄えはかなりいい。
「ヘッ。殊勝なこって」
 ハーベイはイギリス人らしくシニカルに肩をすくめた。
「私は、貴方のことが心配で………」
 ミネルウァの眼に冗談の色など見られるはずもない。彼女は真剣であった。
 だがハーベイはシニカルな表情を崩さない。



「あれ? あそこにいるのってハーベイと………えぇとミネルウァさん?」
 たまたま格納庫の裏を通りかかったのはエレナ・ライマールであった。
 そこにはハーベイとミネルウァが何やら話し合っていた。何を話しているかまでは聞こえないが。
「もうすぐ出撃のはずなのに………何してるんだろう?」
 そう口にはしたものの、男女が皆に隠れて二人でいるのだ。その意味がわからないエレナではなかった。
 だがエレナはその意味をわかりたくなかった。



「ハーベイ、貴方の身体は………」
 そうまで言った時、不意にミネルウァの口に手が被された。
 ミネルウァの口を塞いだまま、ハーベイは言った。
「………ミネルウァ。俺の身体のこと、誰かに話したのか………話したのか?」
 ハーベイはミネルウァの目線まで顔を下げ、顔を近寄せる。その眼は殺気に満ちていた。返答次第では殺気が行動に移されることになるだろう。
「んーんーんー!!」
 ミネルウァは怯えた眼で首を横に振る。ハーベイの手で口が抑えられているために上手く喋ることができなかった。ハーベイの殺気に彼女は気圧されていた。
「………俺の身体のことを皆に話してみろ。………殺すぞ」
 ミネルウァは壊れた人形のように首を縦にガクガクと振る。
 それを見たハーベイは、そこで初めて殺意の矛を収めた。ミネルウァの口を抑えていた手も離した。
「………何故なの」
 ミネルウァはまだ怯えた視線でハーベイを見つめている。
「何故、貴方はそうまでして戦うの………」
「………生きる証」
「え?」
「生きる証を立てたい。残された時間を、必死に生きたという証をな………」
「………狂ってる! 狂っているわ、ハーベイ!!」
 ハーベイは、今更何を言うのか、とでも言いたげな顔で言った。
「そうさ………俺は狂ったのさ………王室陸軍のハーベイ・ランカスター中尉は死んだ。お前の上官にして優しい婚約者だった男は死んだのさ………」
 ハーベイはただ自嘲気味にそう呟いた。そして傭兵としての顔で続けた。
「………ミネルウァ。今のお前は傭兵としてこの戦場にいる。その意味、わかっているな?」
「………ええ。私も吹っ切れました。どのような形にせよ、貴方の本音を聞けたのですからね」
 ミネルウァも恐怖を捨て、傭兵として応えた。
「………じゃ、行くか。ミネルウァ………いや、ウィンチェス」
「ええ………ランカスター」
 そして二人は歩き始めた。過去と決別し、二人は傭兵として歩き始めたのだ。もはや二人の運命の線は交差しない………



 だがエレナ・ライマールには二人の事情がわからなかった。
 ただ彼女にわかったのはハーベイのシルエットがミネルウァのシルエットを隠したこと(ちょうど彼女から見ると日食のようにハーベイがミネルウァを隠したのだ)。
 そしてハーベイが顔を、ミネルウァの顔の位置にまで下げたこと。
 さらに二人で歩き始めたことだった。
 エレナにはそれは恋人同士の逢瀬にしか見えなかった。
 彼女は二人がこっちへ歩き始めてることを悟るやいなや。逃げるようにしてその場を去った。



 こうしてルエヴィト奪還作戦は始まった。


第一四章「Old and New」

第一六章「The longest day in Ruevit」

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