軍神の御剣
第一四章「Old and New」


 一九八三年三月二五日。
 リベル共和国南の都市オロファト。
「………天にまします我らの父よ。貴方の御子、チャールズ・ボブスレーは貴方の存在を否定する者たちと戦い、そしてその命を落としました」
 いつになく厳粛な表情のエリック・プレザンスが粛々と呟く。
 彼の前には一つの棺。
 しかしその中には何も入っていない。
 本来ならばこの棺に入るはずだったチャールズ・ボブスレーの亡骸は三八式装甲巨兵の爆発に伴って欠片すら残らなかったのだった。
 今日は陸上戦艦 ウラル撃沈の最大の功労者にして犠牲者であるチャールズ・ボブスレーの葬儀の日であった。
 ボブスレーの葬儀に参列した者は少なかった。具体的には『ソード・オブ・マルス』の面々と、彼と付き合いが深かった者――たとえば整備班のヴェセル・ライマール、エレナ・ライマール親子――だけであった。
「願わくばボブスレーの魂が、貴方の御許で、永久の安らぎに包まれますように。もう、彼は時の音でさえ刻めないのです。彼に慈悲の涙を」
 そしてエリックは胸元で十字を切った。
 参列者は皆それに倣う。
「もう二度と彼を戦場へは戻さないで下さい、アーメン」
 エリックのその言葉でチャールズ・ボブスレーへの祈りの言葉は終わりを告げた。
 そして太陽は雲の中に隠れ………やがて天から雨が降り注ぐ。
 この葬儀に参列した者は皆、この雨が主の流す涙と信じたという……………



「………頭が痛いな」
 傭兵派遣会社『アフリカの星』リベル方面陸上部隊総責任者のカシーム・アシャは書類の山を前に頭を掻いていた。
 何とか政府軍の陸上戦艦 ウラルの撃退には成功した。
 となると次はウラル対策のために一度は放棄したルエヴィトの解放である。
 だがそう簡単にはいかないのが現実であった。
 先のウラルとの決戦に『アフリカの星』所属の傭兵PA部隊は全機が出撃した。その数、六七機。
 そしてウラルを撃沈したとはいえども傭兵PA部隊の被害もまた少なくはなかった。
 未帰還機の合計は八機。
 何とか帰っては来れたものの、修理不可能として破棄されたPAは九機。
 要修理は二四機。
 つまり現在、出撃可能なPAはわずか二六機しかないのだ。先の戦いでの消耗率は何と三八.八%にも達する。
 ここまで消耗してしまえばルエヴィト奪還作戦など夢のまた夢。
 それどころか政府軍にそのまま押し切られる可能性すらある。
「本社に増援を要請してはどうですか?」
 秘書であるサーラ・シーブルーが尋ねた。
 だがアシャは首を横に振った。
「いいや、ダメだ」
「え?」
「こう言っては何だが、リベル解放戦線には先立つ物がない。俺たちは傭兵であってボランティア・アーミーじゃないからなぁ」
「あ………」
「しかしサーラ君」
「?」
「君も随分とこのリベルの戦いに肩入れするようになったんだな。そんなことすら忘れてしまったなんて」
 そう言ってアシャは笑った。
 今のアシャはまったく知らないことであるが、サーラ・シーブルーがリベルの戦争に肩入れするのには理由がある。それは彼女の最愛の人であるエルウィン・クリューガーとの約束でもあるのだから。
 閑話休題。
 しかしアシャの予想に反し、傭兵派遣会社『アフリカの星』は増援を送ることを決定した。
 アシャも心配していた資金難であるが、予想外の会社がスポンサーとなったのであった。
 全世界規模の超巨大財閥であるアムプル財閥がリベル解放戦線の支持を表明したのであった。
 おかげでリベル解放戦線は再び戦力を取り戻すこととなる………



 一九八三年四月二日。
 オロファト近郊に作られた仮設飛行場。
 ルエヴィトの大飛行場をも放棄したために本社からの輸送はこの仮設飛行場で受けなければならなかった。
 飛行場とは名ばかりで、整地の「せ」の字もなされていないが、それでも大型輸送機ですら着地できるほどのスペースは確保されていた。
 その仮設飛行場に輸送機が次々と滑り込む。
 C−5 ギャラクシーだけでなく大日本帝国の超巨人輸送機であるクジラD型など呉越同舟的編成でリベルの地に補給物資が運ばれる。
 そしてその中に二人の傭兵がいた。
 一人は身長が二メートルをも上回り、まるで熊のような外見をした男。
 そしてもう一人は対照的に小柄で、銀色の髪を短く切りそろえた妙齢の女性であった。
 二人とも右腕に、「剣を持った逞しい腕」が描かれた腕章をつけていた。それこそが『ソード・オブ・マルス』の新たなメンバーである証であった。
「………あれがソ連から亡命してきた『血染めのマリオネット』隊の隊長さんか」
 遠目から二人のうちの男を見ていたエリックが呟いた。
「あの………『血染めのマリオネット』って?」
 エリシエル・スノウフリアが怪訝そうな表情で尋ねた。
 それに対しエリックは呆れた表情でエリィを見た。
「お前、一応はPA乗りなんだからそれくらいは知っておけよな………」
「す、スイマセン………」
「ま、いいか。『血染めのマリオネット』っていうのはソ連軍が誇る精鋭PA部隊のことさ。
 アフガンではうちの部隊もその『血染めのマリオネット』隊にメチャクチャにやられたんだ。その腕前は人間技とは思えないそうだ」
「そ、そんな部隊の隊長さんだったんですか!? ………ってあれ? 何でそんな人がうちの会社にいるんですか?」
「そこだ。そこが謎なんだ」
 エリックが言った。
「一九八二年に彼は突如中華民国に亡命。理由はまったく不明。ソ連上層部と次期主力PAについて揉めて、権力闘争に負けたからだとか色々と噂されたけどな………しかしまさか傭兵になったとはな」
 エリックとエリィがそうこう話をしているうちに件の新入りの二人が目の前に立っていた。
「ミネルウァ・ウィンチェス」
 女の方が先に口を開いた。その声からは知性が溢れんばかりに滲み出ている。エリィや整備班のエレナ・ライマールのような少女の声ではない。サーラ・シーブルーのような大人の女の声であった。
 エリックは目の前の美女を、ベッドでアンアンと鳴かせてみたいものだな、と思った。彼女はそれほどに魅力的であった。
「………ネーストル・ゼーベイアだ」
 そして熊のような大男が続いた。身体は大きいが、その眼は優しい光を湛えている。
 エリィにはどう見ても目の前の大男が『血染めのマリオネット』隊を率いていたようには思えなかった。どう見ても総身に知恵が回りかねている男に見える。
「………ランカスターはどこにいるのかしら?」
 ミネルウァ・ウィンチェスと名乗った女性がエリックとエリィの顔を見渡してから尋ねた。
「ハーベイ隊長ならエレナちゃんの所にいると思いますけど………」
「エレナ?」
 エリィの言葉にミネルウァは表情を険しくし、エリィを睨みつける。
「おいおい、そんな怖い顔するなよ。せっかくの美人が台無しだぜ」
「………だが補充の隊員が来たというのに隊長が来ないのは問題ではないかね? 隊長ならば隊員の把握に務めるべきだ」
 エリックが適当に話を交ぜ返そうとするがネーストルはそれを許さなかった。
 エリックは頭を掻き、仕方無しに本当のことを話すことにした。
「………アンタらにはわからんだろうが、こないだ戦死したうちの隊員と、そのエレナって子は仲が良くてね。落ち込んだ彼女を慰めてるのさ」
「そう………ともかくランカスターの元に案内してもらえないかしら? 私は早く彼に着任の挨拶をしておきたいの」
「真面目な女だなぁ」
 ポツリと呟くエリック。幸いにもその声はミネルウァには聞こえていなかった。
 ………しかしこういう真面目な女にヘタな下ネタを振れば最後。こっちを殺しかねないな。エリックはそう思いながら二人をハーベイのいる格納庫へと案内することにした。



 ボブスレーの死はエレナ・ライマールという少女に深い傷を与えていた。
 彼女はPAの格納庫にずっと独りで佇んでいた。彼女が佇んでいた場所は、ボブスレーの三八式装甲巨兵が留めてあった場所であった。
「エレナ………」
 ハーベイ・ランカスターはそんなエレナを遠目で見つめていた。見つめているだけであった。
 彼女にどういう言葉をかければいいのやら………
 たったそれだけのことが今のハーベイにはわからなかった。
 彼はエレナの父親であるヴェセル・ライマールから事の真相を聞いていた、否、聞いてしまった。
 この世には知らなくていいことというのもあるものなのだな………
 ハーベイはそのことを痛感せざるをえなかった。



「で、ランカスター隊長、私に話とは?」
 ボブスレーの葬儀は終わってからすぐに、『ソード・オブ・マルス』隊長であるハーベイ・ランカスターは整備班のヴェセル・ライマール班長を自分の部屋に呼び出した。
「………父っつぁんは最期、『あの時と同じだ』と言いました」
「む………」
「ライマール班長はそのことを………ご存知なのですね?」
「……………」
 ハーベイの質問に対し、ヴェセルは最初、顔を手で覆い、答えるべきか悩んでいた。
 だが意を決したのだろう。ヴェセルは顔をあげた。
 ヴェセルの顔を見たハーベイは愕然とした。
 ヴェセルはその両目から涙を流していたのだった。
「………哀しい話だぞ………それでも聞くというのだな、ランカスター隊長?」
 ハーベイは………静かに首を縦に振った。



「昔………傭兵派遣会社『アフリカの星』にある戦車兵と女歩兵がいた。
 二人は幾つかの戦場で顔を合わすうちに互いに惹かれあい、そして結ばれた。
 その戦車兵こそがボブだった。女歩兵の名前はローラ………
 まだPAというものがうちにも流れてこなかった頃の話だ。
 そして二人の間に娘が産まれた………」
 ヴェセルはそこまで話すと言葉を途切った。
「娘?」
「ああ。可愛い子さ………それよりランカスター隊長」
「はい?」
「酒を………くれないか? 今、無性に飲みたくてな」
「あ、はい………気付かなくてすみません………」
 ハーベイは秘蔵の酒として保存していたスコッチウィスキーを取り出した。
 それをグラスに注ぐとスコッチウィスキーの芳醇な香りが二人の鼻孔を刺激した。
「………父っつぁんは酒好きでしたね」
「………ランカスター隊長。それは誤解だよ」
「え?」
 ヴェセルは懐からボブスレーが常に愛飲していたポケットウィスキーの瓶を取り出し、ハーベイに差し出した。
「飲んでみろ」
「は、はぁ………」
 勧められるままにポケットウィスキーの蓋を開け、中身を喉に流し込む。
 しかしハーベイの舌はアルコール飲料特有の舌を焼くような感覚を感じることはなかった。だからスンナリとそれは喉に流し込むことが出来た。
「これは………」
「そうだ。それは何の変哲もない、ただの水だよ」
「水………何故、父っつぁんは水なんかを………」
「そのことも含めて………」
 ヴェセルはスコッチウィスキーを喉に流す。水とは違い、アルコールが喉を焼く感覚。しかし心地よい感覚。
「今からさっきの続きをしようか………」



 時は一九六七年六月七日にまで遡る。
 ゴラン平原。
 そこは地球上でもっとも地獄に近い場所となっていた。
 あちこちでM4 シャーマン戦車の残骸が横たわっている。シャーマンよりはるかに新しく、そして優れた戦車であるソ連製のT−55ですら例外ではない。
 ゴラン平原での戦争は、もはや戦争という体すら為していなかった。それは一方的な虐殺であった。
 同地にイスラエル国防軍が展開した兵力はわずか三個旅団。対するシリア軍は倍以上の八個旅団であった。
 これだけの数の差を開けられては虐殺となるのも当然。
 そう思われる方もいるだろう。
 だが今、このゴラン平原で虐殺されている軍隊。
 それはシリア軍であった。シリア軍は八個旅団、戦車七五〇両、重砲二六五門もそろえながら、たったの三個旅団に追い散らされていたのだった。
 如何に戦力を集めようとも制空権を持たなければ陸戦には勝てない。
 このゴラン平原での戦闘はそれを如実に語っていた。今、中東の空はユダヤ人の物なのだった。
 そんな圧倒的な負け戦の中に『アフリカの星』より派遣された傭兵部隊はいた。それもシリア軍側にであった。



「アイ・シャーマン………もらったぁ!!」
 顔を布で覆い隠したシリア兵が、裂帛の気合と共に引き金が引かれ、ドイツ第三帝国軍が世界に誇る対戦車ロケットであるパンツァー・ファウストの弾頭は炎の尾を引いて飛んだ。
 M51 アイ・シャーマン。日米戦争時のアメリカ陸軍の主力戦車であったM4を改造し、一〇五ミリ砲を搭載した現地改修型シャーマン。
 ともかくアイ・シャーマンはパンツァー・ファウストの接近に気付かなかった。
 パンツァー・ファウストの弾頭はアイ・シャーマンのエンジングリルを直撃。たちまちアイ・シャーマンは炎に包まれる。こうなっては戦車といえども戦争続行は不可能である。
 弾頭が無くなり、ただの棒と化したパンツァー・ファウストを放り捨てる。その時、突風が吹き、シリア兵の顔を覆いつくすように被っていた布が吹き上げられる。
 布の下から見え隠れするシリア兵の素顔。それは女性のものであった。アラブ系の顔ではない。スパニッシュ系の顔立ちであった。
 彼女の名前はローラ。ローラ・ボブスレー。傭兵派遣会社『アフリカの星』から派遣された傭兵である。
「これで戦車は三台潰したことになるわね………あの子におもちゃでも買ってあげれそうね」
 アイ・シャーマンを撃破した時とはまったく違う眼をするローラ。今のローラの眼は母の眼であった。
『おい、ローラ!』
 急にローラに影が差す。陰が差した方を見やるとそこには全長九メートル近くにまで達する巨人が立っていた。大日本帝国が作った新兵種 PAの第一号である三八式装甲巨兵であった。
「チャールズ!」
 兵士の眼から母の眼になっていたローラ。今度は一人の女の眼で三八式装甲巨兵を見た。
『あまり無茶すんなよ!』
「大丈夫よ、チャールズ! 貴方が護ってくれるもの!」
 ローラは甘えるように三八式装甲巨兵を見る。
 二人は中東のぎらつく太陽よりも熱い夫婦であった。



「まったく………」
 三八式装甲巨兵のコクピット内でチャールズ・ボブスレーは顔をにやけさせながらコクピットに貼っている写真に呟いた。
「しょうがない奴だぜ、お前の母ちゃんはよ」
 写真にはボブスレーに寄り添うローラ。そしてローラの腕の中には一人の赤ん坊が抱かれていた。三人とも幸せそうな顔をしている。
『傭兵! 右翼がピンチなんだ! スマンが援護を頼む!!』
 無線から悲鳴に近い叫びが聞こえる。ボブスレーはにやけていた顔を引き締め、三八式装甲巨兵を再び始動させる。
「行くぜ!!」
 三八式装甲巨兵は背部に背負ったバーニアから炎を吹き上げながら、陸上兵器とは思えないほどの速度で荒野を駆ける。
 シリア軍右翼にイスラエル軍が誇る主力戦車であるセンチュリオンが攻撃を加えていた。このセンチュリオン、元はといえばイギリス陸軍の戦車であるが、イスラエル軍はタル少将の指導の下、センチュリオンを砂漠戦に適応できるように改造したのだった。この第三次中東戦争では最強の戦車の一つであることは疑いようがない。
 だがさすがの(中東では)最強戦車であるセンチュリオンも三八式装甲巨兵の威容には驚きを隠せないようだった。敵が狼狽しているのが手に取るようにわかる。
 ボブスレーは慌て、うろたえ、砲身を上下させているセンチュリオンの部隊に憐れみすら感じた。
 戦場では………そうやって迷った方が負けなのだ!!
 三八式装甲巨兵は両腕に持っていた四〇ミリマシンガン(後のAPAGの原型)でセンチュリオンを狙う。だがセンチュリオンも戦車である。センチュリオンの正面装甲は四〇ミリ弾の直撃に耐えた。
 ならばとボブスレーは三八式装甲巨兵を跳びあがらせる。センチュリオンのみならず、戦車の上面装甲は紙のように薄いのだ。
 バババババババババ
 四〇ミリ弾のスコールを受けて一気に壊滅するセンチュリオン隊。そして三八式装甲巨兵は着地。だが着地の際にバランスを崩し、派手にコケてしまった。
「クソッ! コイツ、姿勢制御が難しすぎるぞ!!」
 転倒の際に頭を天井にぶつけてしまったボブスレーは頭をさすりながら毒づいた。
 三八式装甲巨兵の初期生産ロットは姿勢制御の一切をパイロットに頼っていた。それ故に操縦が非常に困難なものとなり、今まで「役に立たない兵器」と言われてきたのだった。ところが第三次中東戦争では先ほどのように総崩れ寸前の中東連合軍の中で単身奮闘していた。そのために「役には立つが操縦が難しい」程度にまで評価は上がっている。ちなみに前記の評価はイギリス軍初のPAであるドレッドノートが姿勢制御にコンピュータを導入するまで続くこととなる。
 閑話休題。
 とにかく今のシリア軍は総崩れの一歩………いや、一〇分の一歩手前まできていた。
 ボブスレーはそろそろシリア軍のお偉いさんが「アレ」を発動させると薄々感じ取っていた。
 そしてボブスレーの直感は見事に当たる。
 無線からシリア軍上層部の声が響いたのだった。
『全軍後退! 全軍後退せよ!! 尚、殿は傭兵部隊に任せる!!!』
「ヘッ………んじゃ派手にアバれてやるとすっか!」
 ボブスレーはそう呟くと三八式装甲巨兵をイスラエル軍の軍勢に突っ込ませた………



 シリア軍の基地は徒労感に包まれていた。
 イスラエル軍の倍以上の兵力を揃えながら惨敗を喫したのだ。士気は底辺すら突き抜けて下降している。
 そんな暗い雰囲気の中、『アフリカの星』所属の傭兵たちは一足遅く帰還した。
 イスラエル軍は傭兵たちの奮戦で進撃を止めざるを得ないほどの損害を受けたのだった。『アフリカの星』の面目躍如である。
「お前たち! 無事だったか!!」
 ボブスレーとその妻 ローラの許に一人の男が駆け寄る。彼の手の中には赤ん坊が抱かれ、静かに眠っていた。
 しかしボブスレーたちの許へ駆け寄る際に赤ん坊は目を覚まし、火がついたように泣き始めた。
「お、おい………頼むから泣き止んでくれよ」
「はっはっはっ。名整備員であるヴェセルも形無しだな」
 慣れない手つきで泣きじゃくる赤ん坊をあやすのはヴェセル・ライマールであった。
「ヴェセルさん、うちの娘の面倒見てくれてありがとう」
 ローラはそういうとヴェセルから赤ん坊を受け取り、ヴェセルとは正反対に慣れた手つきで赤ん坊をあやす。あれほど泣いていた赤ん坊が急に泣くのを止めたのだから母親って言うのは恐ろしいものだ。
「やれやれ………大変だったよ」
「いや〜、スマンスマン。前線に出ないお前くらいにしか娘を任せれないからなぁ」
「ローラを前線に出すなよぉ………」
「いや、その、なぁ………」
 ボブスレーは顔を真っ赤に染め、左手の人差し指で頬を掻く。
「………あいつが『俺の傍から離れたくない!』って言うもんだから」
「へいへい、ごちそうさま………」
 ゲンナリとした表情でヴェセルは言った。この夫婦は年中無休でイチャ付くばかりかそれを周囲に隠そうとしないのだ。二人とも善良な人柄で、よく好かれているが、その点だけは色々と不満を覚えてしまう。特にヴェセルのような独り身には。
「それよりPAってのはどうだ?」
「ああ。その機動性の高さのおかげで戦車では照準が定まらんみたいだ」
「そうか。と、なると保髏死畫壊博士は時代の先を見ていたことになるな」
「だが疲れるぞ、コイツの操縦は」
 ボブスレーは三八式装甲巨兵を指差す。
「姿勢制御だけでもかなり面倒で、かなりの慣れを必要としやがる。それを何とかしない限りは普及しないだろうな」
「なるほどな。実際に操縦した者ならではの意見だな」
「うむ………」
 その時、基地にけたたましいサイレンが鳴り響いた。
「これは………!?」
 シリア兵の誰かが叫んだ。
「IAF(イスラエル空軍)の空襲だ!!」
「チッ! ローラ! お前は防空壕に避難しろ! ヴェセル、頼むぞ!!」
「ああ………って、ボブ、お前はどうするんだ!?」
「俺はPAで迎撃する! 四〇ミリ機関砲を持っているんだ。対空機関砲代わりにもなるはずだ!!」



 その時。シリア軍基地を攻撃したイスラエル空軍の編成は次の通りであった。
 フランス製戦闘機ミラージュ3が一四機。
 大日本帝国製戦闘攻撃機一二式戦闘攻撃機が二四機。
 一二式戦闘攻撃機とは大日本帝国が日米戦後に開発した戦闘攻撃機であり、大日本帝国初のジェット戦闘攻撃機でもある。最高時速は九〇〇キロを少し上回るほどであるが、優秀な射爆照準儀を装備するために今でも世界中で使われている傑作機。俗に『一二式戦爆』とも呼ばれている。
 シリア軍の空軍兵力はすでに壊滅状態にあった。
 わずかに残された対空砲火が、わずかな火箭を放ち、抵抗の姿勢を見せる。
 だがそれは所詮は蟷螂の斧でしかなかった。
 一機のPAだけを例外として。
 ボブスレーの乗り込んだ三八式装甲巨兵は背部のブースターや各部のスラスターで巧みに姿勢、そして進行方向を変えながら四〇ミリ弾を撒き散らす。
 その火箭に絡みつかれた一二式戦闘爆撃機が一機、また一機と撃墜される。
 しかしそれすらも大勢にとっては焼け石に水。
 シリア軍基地のあちこちに爆撃の閃光と轟音、そして炎があがる。



「えぇい、歯がゆいよ!」
 ローラは忌々しげに空を見やる。今の彼女は母の眼ではなく兵士としての眼であった。
「今出ても何もならん! ここで空襲が終わるのを待つしかない!!」
「わかってる! わかってるけど………」
 その時、ローラたちが入っている防空壕のすぐそばにあった対空機関砲陣地に一二式戦闘爆撃機が銃撃を見舞った。その対空機関砲陣地とはドイツのMG34を銃座に備え付けただけの簡素なものであった。その銃座でMG34を放っていたシリア軍兵士が一二式戦闘爆撃機は撃った二〇ミリ弾に四肢を砕かれ、無惨な骸に変わり果てる。
「ヴェセル! この子、頼むよ!!」
 そう言うが早いやローラは今まで抱いていた赤ん坊をヴェセルに渡し、防空壕から飛び出した。
「バカ! 止めろ!!」
「私たちはシリア軍の傭兵として契約したんだ! そうした以上はシリア軍のためになることをしなくちゃいけないのよ!!」
 ヴェセルの制止の声も聞かずにローラは銃座に付き、八ミリマウザー弾を空に向けて放つ。
『全軍に告ぐ!』
 ヴェセルの持つ無線機からシリア軍将校の声が聞こえた。
『全軍、この基地を放棄して後退しろ! 繰り返す! 一刻も早くこの基地から脱出せよ!! 尚、この命令は我がシリア兵のみならず、傭兵たちにも適用される!!!』
「ローラ! 後退命令だ! 早く………」
 その時、ヴェセルのすぐ傍に爆弾が落ちる。彼はその衝撃で吹き飛ばされ、気を失ってしまった。
 後退命令を受けながら、尚もMG34を放つ続けるローラ。
 ヴェセルが最後に見た光景はそれであった。



「………そ、それで、その父っつぁんの奥さんは?」
 そこまで一気に話し終えたヴェセルは再び言葉を紡ぐことを止めてしまった。
「………死んだよ。遺体は発見できなかったが………彼女のいた銃座は跡形も無く吹き飛んでいた」
「そんな………」
「そしてボブはそのことを知り、自分を責めていた………ローラを安全な場所にやれなかった自分の甘さを………」
 ヴェセルは両手で頭を抱える。
「本当は………本当は私が悪いのだ………私が彼女を止めれなかったから………」
「ライマール班長………」
「………そしてな、そしてボブは自分の娘を俺に預け、俺とは違う部隊で再び傭兵として戦場を駆けた。酒を飲みながら戦う『酔っ払い』として………」
「でもその酒は水だったんじゃあ………」
「いいや、アイツは最初は本当に酒を飲んで戦っていたそうだ。まるで死に急ぐかのような戦いぶりだったとも聞く………そしてあれから四年後。俺は奴と再会したんだ」
「……………」
「俺と同時に奴は娘とも再会した。それから奴は酒を飲むのは止めたんだ………水を飲み、酔った真似だけは止めなかった。多分、それが奴にとっての贖罪だったんだろう………」
「贖罪?」
「娘の前でみっともない格好でいること。それが奴の贖罪さ………」
 そこでハーベイはあることに気付いた。
「あ、あのライマール班長………」
「奴の………娘のことだな?」
「は、はい。班長は、班長が引き取ったと仰いましたよね? じゃあ………じゃあ………」
「ああ、そうだ………エレナのことだ。エレナは………本当は俺の娘じゃない………ボブとローラの間に生まれた娘だ……………」



 いつも屈託のない笑顔を見せていたエレナ・ライマール。
 彼女自身すら知らぬ暗部。
 ハーベイはそれを知った。知ってしまった。
 それ故に彼はエレナにかけるべき言葉を見失っていたのだった。
「あの………隊長?」
 険しい表情を見せていたハーベイに、恐る恐る声をかけたのはエリィだった。
「ん? ど、どうした?」
「補充の隊員が隊長に会いたいと………」
「あ、あぁ、そうだったな………わかった。会うよ」
「ではこちらに………」
 そしてエリィがネーストル・ゼーベイアとミネルウァ・ウィンチェスを連れてくる。
 ミネルウァを見た瞬間、ハーベイの眼は驚きに見開かれた。
「私の顔に何か?」
 ハーベイとは対照的に眉一つ動かさずにミネルウァは言った。
「い、いや………何でもない………あぁ、俺が『ソード・オブ・マルス』隊長のハーベイ・ランカスターだ。ヨロシク………」
「よろしくお願いします、隊長」
「……………」
 ミネルウァは恭しく、ネーストルはぶっきらぼうに頭を下げた。
「隊長、少しお時間よろしいでしょうか?」
 ミネルウァの言葉を拒否することはハーベイにはできなかった。



「………お久しぶりですね、ハーベイ」
 格納庫の裏にハーベイを連れたミネルウァ。
 ミネルウァは先ほどまでの恭しい態度を一変。冷たく、刺々しい態度へと変えた。
「ミネルウァ………何でお前が………」
 ハーベイの問いに対し、ミネルウァはハッキリと言ってのけた。
「何故? わかっているでしょう、ハーベイ?」
「あのなぁ………言っておくが、俺とお前の結婚の話なんか俺は絶対に呑めないからな! あんな親が勝手に決めた話、護ってられっか!!」


第一三章「The rule of a mercenary」

第一五章「KATAKU〜火宅〜」

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