軍神の御剣
第一二章「Lonly wilds」


 一九八三年三月一六日が終わり、三月一七日が始まろうとする頃。
 リベルの平原にその身を静かに横たえていた陸上戦艦 ウラルはその身を再び震わせ、動き始めた。
「思ったより修理に時間をかけてしまったな………」
 ウラル艦長のユーリ・ビクトール中佐は艦橋の艦長専用シートに腰かけたまま呟いた。
 叛乱軍(リベル解放戦線)のPA部隊の攻撃でウラルは艦底部の空気枕を切り裂かれ、行動不能に陥っていた。
 だがその修理に時間をかけたことは逆にユーリにとっても幸いであった。
 補給は万全になり、さらに随伴兵力が後方から続々と登場。ウラル周囲の兵力はPA部隊だけで一個大隊を超えるほどとなった。
「諸君。私はウラル艦長のユーリ・ビクトールである」
 艦外の部隊にも聞こえるように周波数を合わせた無線に向かい、ユーリは語りかけた。
「いよいよ我々は叛乱軍の本拠地であるルエヴィトへの進撃を再開する。叛乱軍の傭兵部隊には今まで数々の苦渋を舐めさせられたが、この陸上戦艦 ウラルの前では彼らですら蟷螂の斧でしかない。我々の勝利は今、目前まで来ている! 後はその勝利に向けて走り続けるだけである! 諸君らの奮闘を期待する。以上だ」
 艦外の部隊から歓声が上がる。
 ユーリの言葉で政府軍の指揮は沸点をも超えた。
「よし、ウラル、前進だ! 叛乱軍を蹴散らすぞ!!」
 ゆっくりとウラルが浮揚し始める。
 そして全長二〇〇メートル超、全幅三〇メートル超の巨体が動きだす。
 その威容はさながら鋼鉄のベヒモスの如しであった。
 だがユーリも。さらにいえばウラルの乗員全ても………いいや、このリベルにいる全員が、はるか彼方からこの戦いを見つめ続けている者がいることを知らなかった。



 世界のどこか。
 そのどこかのさらに地下奥深く。
 そこに人が住める居住空間があることを知る者は世界中でもわずか数人しかいない。
 だがその認知度とは反対に、その地下居住空間は広かった。
 まるで中世貴族の豪邸を思わせる空間。
 贅の限りを尽くした内装。
 地下とは思えないほどに明るい照明。
 地下にこれだけの居住空間を築かせた時点で彼の権力の大きさが理解できよう。
 その空間の一方の壁には四〇〇インチにも達する超巨大スクリーンが備わっていた。
 そしてスクリーンに映し出されていたのは陸上戦艦 ウラルであった。
 大きなスクリーンに映し出されるウラルの雄姿。
 それを見ていたのはたった一人であった。
 大きな部屋の、大きなスクリーンを見ていたのは三〇代半ばの男だけであった。
 彼の外見でもっとも目を引くのは顔であろう。といっても例えばリベル人民協和国軍のレオンハルト・ウィンストン大尉のように美の神の寵愛を一身に受けたとかそういうことではない。
 彼は顔の右半分を覆い隠す銀のマスクをつけているのだった。
 銀の仮面の男は今、まさに地球の王になったようなの気分を味わっていたといえるだろう。
 何せ地球人口が六〇億を超えたにも関わらず、今この空間でウラルの雄姿を眺めているのは自分だけなのだから。
 いや、やはりその表現はおかしい。
 何故ならば………
 その時であった。
 地下居住空間と外界とを繋ぐ扉が開く。
 そこから現れたのは金色の長い髪を持つ美しい女性。歳は二〇代後半といったところ。世間的にはまだまだ若造と呼ばれても仕方のない歳であった。
「ここにおいででしたか」
 金色の長い髪を持つ女性は目上の者に対する口調で銀の仮面に言った。
「どうした、アークィラ? 何かあったのか?」
 銀の仮面の金髪の女性――アークィラ――に対する口調により、二人の関係は明確。
 主と従の関係であった。
「いえ。それほど急ぎの用があるわけではありません。ですが我々、『アドミニスター』傘下の企業連からの仮報告が届きましたので、その件の報告に伺いました」
「ふむ………」
「軍需部門の伸びは順調です。リベルへの支援のために西側の兵器工場は昼夜問わず稼動しております」
 アークィラの言葉は明瞭。彼女はその美貌だけでこの場にいるのではないことを如実に語っている。
「これによって西側の超大国の成長率は軒並み上方修正となりそうです」
「………東はどうなのだ?」
 銀の仮面が尋ねるとアークィラは間髪入れずに応えてみせた。これも才女の証である。
「東の盟主たるソ連が芳しくありません。ここ最近の軍事費の増加が国庫を苦しめています」
 アークィラの言葉に銀の仮面は仮面で隠れていない左半分の表情を曇らせた。
「よろしい。ソ連に援助をしてやれ。今、ソ連に倒れられては困るのでな」
「………ソ連への援助はここ数年続いております。かの国もそろそろ見捨てるべきではありませんか?」
「構わぬ。我々、『アドミニスター』にとってソ連のような小国への援助は負担にもならぬ」
 銀の仮面がそう言い、自らの語った言葉に思わず微笑する。
「ふふ………そういう意味では今、この地球上に大国など存在しなくなるな」
「そうでしたね。アメリカ合衆国も、欧州諸国も、そして大日本帝国も………私たちの前では取るに足らない存在でしたね………そうでしたね、ヘッツァー様………」
 アークィラはそう呟きながら銀の仮面の男――その名は『ヘッツァー』という――の顔を見た。仮面に隠れる右半分の表情は伺えないが、左半分は笑っていた。
 その笑みはまじりっけの無い、純粋な笑みであった。
 純粋に、危険な、笑みであった。



 リベル人民共和国。
 リベル解放戦線の本拠地があるルエヴィト市。
 リベル解放戦線の総司令部ではてんやわんやの大騒ぎであった。
「カシーム君、『アフリカの星』本社からの連絡はまだ来ないのかね!?」
 リベル解放戦線総司令官のミハエル・ピョートル中将は苛立ちを抑えきれずに怒鳴った。
「そういわれましてもねぇ………気長に待つしかないんですよ、今は!」
 傭兵派遣会社『アフリカの星』リベル方面陸上部隊総責任者のカシーム・アシャはピョートルに怒鳴り返す。所詮は雇われ兵にすぎないアシャがそのような態度を取るのは問題ではあるが、そんなことに気をやっている余裕などもはや無かった。
 元々は『アフリカの星』本社にウラルに対抗できる兵器を送ってもらうために今まで時間を稼いできたのだ。
 だが未だに本社からの連絡は無し。
 要するに打つ手が無いのだ。
 だが今までの戦闘で、PAでも航空攻撃でもウラルの撃破はできないことが判明している。
 もしかしたらあのウラルに対する兵器など存在しないのではないか………
 アシャは最も恐れている事態を想像する。
 ウラルに対する術を持たぬリベル解放戦線は敗北以外に道が残されないこととなる。
 そうなればゲームオーバーである。
 クソッ!
 アシャは沸騰しかけている苛立ちを少しは冷めさせようとコーヒーを手に取る。だがコーヒーはすでに飲み干しており無くなっていた。
 まさに八方塞かよ………
 アシャは先のウラル攻撃の際に命じて撮らせておいたウラルの写真を忌々しげに睨んだ。
 その時であった。
 アシャの副官であるサーラ・シーブルーが一枚の紙切れを手渡した。
 それを読んだアシャの顔にようやく精気が戻る。
 その瞬間にリベル解放戦線の次の行動が決まった。



「ルエヴィトの放棄だって!?」
 カシーム・アシャから今後の方針を聞いた『アフリカの星』の傭兵たちは一斉に目を丸くした。
「ですがアシャ司令。ルエヴィトを失っては勝ち目はないのではないでしょうか?」
 当然の反応が返ってくる。
 アシャはその言葉に頷くと手の内を明かし始めた。
「本社から連絡があってな。あの陸上戦艦に対抗できる兵器をこっちに送ってもらえるようになったんだ」
「そいつは本当ですか?」
「あのバケモノに対抗できる兵器がこの世にあったなんてな………」
「なのにルエヴィトを放棄するのか?」
 アシャの言葉に口々に感想を述べる傭兵たち。
 アシャは一旦右手を挙げて一同の口を閉じさせる。
「だがその兵器がこっちに着くまであと三日ほどかかるんだ。三日もあればウラルは充分にルエヴィトを蹂躙できる。だから一旦ルエヴィトを放棄してでもウラルから離れる必要があるわけだ」
「なるほど………その三日の間を稼げれば俺たちの勝ちってことか」
「そういう訳だ。と、いうわけで諸君らはルエヴィトから撤収する用意を進めておいて貰いたい。その陸上戦艦用の兵器が到着次第に反撃に移れるようにして、な」
「アシャ司令!」
 リベル解放戦線の兵士が傭兵たちの許へと駆け寄る。
「どうした!?」
「政府軍の空襲が直に始まるそうです!」
「チッ! 総員、PAに搭乗! PAを高射砲代わりにするぞ!!」



「チッ、政府軍もやってくれるね!」
 大日本帝国製第三世代PAである四〇式装甲巨兵 侍のコクピットシートに深く腰かけながらマーシャ・マクドガルは舌を打った。
『まぁ、昔から言うべ。『水に落ちた石は打て』って』
『父っつぁん………犬だろ?』
『お? そうだっけか? ガハハハ』
 傭兵PA部隊『ソード・オブ・マルス』ではいつもこのように軽口を叩きながら戦場に臨む。こうやって恐怖を紛らわせるのだ。戦場に臨むということは、自分の死に近づくこと。自分の死を賭けたチキンレースである。
 だがマーシャ・マクドガルの場合は違っていた。
 彼女は戦場に向うことに対して、何の感情も持ち合わせていなかった。
 彼女は時折自覚する。
 自分の心に風が吹くのを。
 草原を優しく撫でるような風ではない。荒野を刻むかのような寒風である。
「………結局、戦場もアタシにはツマラナイものだったね」
 マーシャは無線のスイッチが切ってあることを確認してから、独り呟いた。元からわかりきっていたことであったが、いざ口に出してしまうと言い知れぬ寂寥感がマーシャの心に襲い掛かった………



「………よし。だいぶできてきたぞ」
 大日本帝国から新型PA開発のヒントを得るためにリベルに派遣されている技術者田幡 繁は、ウラルが迫り来て、さらに政府軍の空襲が始まったという状況下でも部屋で自身が設計する新型PAの図面を引いていた。というより彼は設計に夢中になるあまりに今の状況が見えていなかった。
 机からはみださんばかりの大きな図面紙には従来機とは確実に一線を画しているPAが描かれていた。
 そのシルエットは研ぎ澄まされた日本刀のようにしなやかでありながら、力強さをも感じさせる。見た目だけでその高性能さが伺えるほどであった。
「この機体なら………世界最強のPAとなれる。いや、世界最強なんて生易しいレベルじゃない。PAそのものを変えることも夢じゃないな」
 田幡は今自分が設計しているPAが大挙を為して戦場を舞う姿を思い浮かべる。彼の瞳は少年のように澄んでいた。純粋にPA設計に打ち込んでいる技術者としての瞳であった。
 そこで田幡はようやくにして外が騒がしいことに気付いた。
「何だ………?」
 彼は手近にあった窓から外を覗く。
 その時、その窓とは反対側で、田幡は何かが爆ぜる音を聞いた………ような気がした。
 実際には彼は爆発の衝撃で吹き飛ばされ、その時のショックを気を失っていたのだが。
 とにかく彼は気を失い、意識は暗黒の彼方へと消えていった………



 何かが自分を照りつける………
 田幡はそんなことを近くした。
 いや、照りつけるだけではない。光が、光が自分の瞳を突き刺しているのだ。
 田幡は瞼を閉じようとするが、その瞼は何者かによって無理やり開けられていたので閉じることができなかった。
 田幡は身をよじると何者かは田幡が覚醒したことを悟り、手を離してくれた。
「おお、気がついたか!」
 件の何者かは白衣を着ていた。要するに軍医という奴だ。
 その白衣は薄汚れており、衛生面に問題を抱えていそうだった。もっとも反政府軍であるリベル解放戦線にとっては軍医という存在自体が珍しいのだが。
「う………俺は………?」
 田幡は何気なく頭に手をやる。頭には包帯が巻かれていた。
「君は空襲の最中にも避難しなかったんだよ。それで空襲の爆発に巻き込まれて怪我したんだ」
「空襲?」
「………まさか知らなかったのか?」
「そういえば何か騒がしいとは思っていたが………」
「………技術屋ってのはみんなこうなのかね? まぁ、怪我は大したこと無かったんだから運が良かったな」
 そう言うと軍医は病室から出て行った。
 そして入れ替わりにマーシャが入って来た。
「ぃよっ、勇者さん」
 マーシャは気さくに田幡に声をかけた。田幡は常に明るく気さくである彼女と話すのは嫌いではなかった。多少、粗暴な所があるのがネックだと思っていたが。
「空襲だったのに無茶するねぇ、アンタも」
「いや、気付かなかっただけですよ」
「………何してたの? まさかナニかい?」
「じょ、冗談でもそんなこと言わないで下さい! PAの設計ですよ!! 一応、私はPA設計のヒントを得るためにここにいるんですから」
「設計ねぇ………」
 田幡はどちらかというと鈍感な男である。だから彼はマーシャの瞳に一瞬だけよぎった憂いの陰に気付くことはなかった。
「………ところでマーシャさん」
 自分が寝ていたベッドのすぐ傍にあった眼鏡をかける田幡。眼鏡越しに見える風景は見慣れたものとは異なっていた。
「ん?」
「ここ………どこですか? 何か窓から見える景色がルエヴィトっぽくないんですが?」
「ルエヴィト? あぁ、ルエヴィトは放棄したよ。ここはルエヴィトの南西四〇キロ地点のオロファトだよ。ここでウラル撃退の最終決戦を挑むんだとよ」
「あぁ、オロファトだったんですか………ってえぇ!?」
 急に声を荒げ、ベッドから飛び出す田幡。
「そ、そんな………」
「何、どうせすぐ奪還するから大丈夫だって」
「そんな呑気なこと言ってられませんよ! 僕の設計したPAの設計図がソ連なんかにでも漏れたら………大変なことになりますよ!!」
「んなこと言われてもねぇ………」
「戻る!」
 硬く拳を握り締めながら田幡は断固たる声で言った。
「アンタ………今頃ルエヴィトは敵の手に………」
「僕のような技術屋にとって設計図は命なんです! 自分の命を取り戻すのに躊躇うことなんかありませんよ!!」
「……………………」



「まさか反政府軍の奴らがルエヴィトをあっさり手渡すたぁなぁ」
 AK74を肩に提げた政府軍兵士が二人、肩を並べて歩いていた。
「ウラルさまさまだよ。これでこの戦争も終わりそうだな」
「いやはやまったく………」
 そこで彼の口が何者かの手で塞がれる。そして喉にナイフが突き立てられる。
 最初は驚きに眼を向いていたが、次第に力が抜け、最後は眠るように眼を閉じ、崩れ落ちた。
 たった今骸となった彼の相棒は驚きはしたものの、肩に提げていたAK74を構えようとする。だが長いライフルだけに構えるまでには時間がかかる。
 その隙に血に塗れたナイフが眉間に向って投げられ、そして突き刺さる。
 その光景に相棒は失神し、気を失ったまま絶命。痛みを感じなかっただけ幸せな最期か?
「ま、こんなもんかな………ホラ、行くよ!」
 二人の男を瞬く間に殺害したのはマーシャであった。
 マーシャに尻を叩かれた田幡は二人の亡骸をなるべく見ないようにしながら通り過ぎる。
「マリンコ(米海兵隊)で習ったナイフ術が役に立つとはね」
「あぁ、そういえばそうでしたね。何で米海兵隊を辞めたんですか?」
 田幡としては何気なく尋ねたことだったのだが、その質問にマーシャは一瞬困ったような表情を見せた。
「あ、いや………スイマセン。プライバシーですよね、そういうことって」
「そうだねぇ………」
 マーシャは少しの間だけ黙る。
 そして田幡に背を向け、田幡の部屋に向いながら語り始めた。



 マーシャはむしろ淡々とした口調で語り始めた。
 自分はアメリカ合衆国のハイソサエティーの家に生まれたこと。
 幼い頃から何不自由なく生きてきたこと。
 自分の才能も豊富で、大抵のことは何でもできたこと。
 そして………それ故に何事にも夢中になれず、つまらない人生を歩んでいたこと。
「それで刺激を求めて入ったのさ、マリンコに………」
「……………」
「ま、マリンコも大して面白くなかったんだけどね。それで少しでも面白くなるようにと対立してた二人の上官の愛人になってやったのさ。勿論、ナイショで」
「……………」
「それが原因でマリンコを放逐されちゃったんだけどね。アハハハ」
「……………」
「それでツテを頼りにこの『アフリカの星』に入社したのさ………と、ここだったね、タバタの部屋は」
 マーシャはドアノブに手をかけ、ゆっくりと扉を開く。
「さ、その設計図とやらを早く持ち出しな!」
 マーシャに背中を押される田幡。
 さすがに自分の部屋だっただけにどこに何があるかを熟知している。だから探している物は簡単に見つけることが出来た。
「………で、マーシャさんは傭兵に生きがいを見つけることが出来たんですか?」
 自分の設計したPAの設計図を懐に入れながら田幡は尋ねた。
「そうだねぇ………まぁ、楽しくないといえば嘘になるだろうけど………ずっとこれをやり続けるかというとNOだね」
「そうですか………」
「アタシにしてみればアンタは羨ましいよ。そんな命を平気で投げ出せる物なんてそうそう無いからね」
「マーシャさん………」
 哀しそうな眼のマーシャ。田幡はマーシャの眼をじっと見つめた。
「さ、さてこうやってても仕方ないよ。目的を果たしたんだから早くおいとましようじゃないの」
 田幡の視線を受けていると身体が熱っぽくなるのを感じたマーシャであった。
「は、はい。そうですね………」
 二人は部屋を出ようとするがそう簡単にはいかなかった。
「おい、そこで何をしている!!」
 政府軍の兵士に呼び止められる二人。
 だがマーシャの返事は銃声であった。
 リベル解放戦線で恒常的に使われているM16系アサルトライフルではない。マーシャがこの時持っていたのはイスラエル製のサブマシンガンであるミニウージーであった。
 小型であるのでこういう室内での振り回しには向いており、現に政府軍兵がAKを構えるより早く撃てた。
「見つかっちまったね! さ、行くよ!!」
 マーシャは早くも撃ちつくした弾倉を抜き、予備のそれを装填しながら言った。
「は、はい!」
 さっさと駆け出したマーシャの後を田幡はついていくだけであった。一応は護身用にとグロック17拳銃を持ってはいるが、技術者であり、その手の訓練をまったく受けていない田幡の射撃が当たるはずがないと自分でも思っているので無駄に撃とうとはしなかった。それにマーシャに任せておけば安心であるとの思いもあったからだ。



 だが二人の予想以上に事態は大きくなっていた。
 政府軍はまさかマーシャと田幡がルエヴィトに置き忘れた設計図を取りに戻ってきたなどとは夢にも思わず、二人は破壊工作のために送り込まれた特殊工作員であるという結論を出したのであった。
 そして『特殊工作員』は一人ではないと結論を飛躍させた政府軍は多数の兵士をルエヴィト各地に配置した。
 本当はたった二人しかいないというのに………
「参ったね………」
 ルエヴィト市街の裏路地。
 裏路地の壁に背を預けながらマーシャは愚痴るように呟いた。
「どうも僕たちを特殊工作員と思ってるみたいですからねぇ………」
「ッタク………一個中隊は動き回ってるんじゃないのかしらね?」
「おかげでこっちは逃げるだけで精一杯………ルエヴィトから離れるどころかどんどん中心に向かってますからねぇ」
「……………」
 少しの間俯き、何かを考えていたマーシャであったが急にその顔をあげた。
「よし、決めた!」
「へ? 何をですか?」
「アンタはすぐにこっから離れな!」
「マーシャさんは………どうするつもりなんですか?」
「……………」
 マーシャは田幡に背を向け、背中越しに言った。
「政府軍がアタシたちを特殊工作員と思ってる。だったらその期待に応えてやろうじゃないか!!」
「無茶な! サブマシンガン一丁で何ができるっていうんですか!!」
「アタシが派手に動けば連中の眼もアタシに向くさ。その隙にアンタは逃げれるよ」
 そう言い終えるとマーシャは独りルエヴィトの路地に出ようとする。
 だがマーシャの手を田幡は掴み、路地裏に引き戻した。
「そんなこと………させませんよ!」
「だけど! そうでもしないとアンタまで死んじまうんだよ!!」
「僕はこの通り技術屋で、腕も細く、マーシャさんには絶対に勝てないでしょう………でもね」
 田幡はマーシャの両肩をガシッと掴み、断然たる口調で言い切った。
「僕も漢の端くれなんですよ。漢が女性を見捨てて逃げるなんて………そんな恥ずかしい真似、僕にはできませんよ!!」
「……………」
「とにかく考えましょう。何かいい案があるはずですから………」
 その時であった。
 政府軍の部隊が田幡たちのいる路地裏に入ってきたのは。
「いたぞ! あそこだ!!」
「チッ!!」
 マーシャは咄嗟に肩を掴んでいた田幡の手を振り払うとミニウージーを連射。
 だが今度は政府軍の兵士も発砲する機会に恵まれた。
 ルエヴィトの路地裏にAK74の弾が跳ねる。
「ッ!?」
 焼けた火の針を突き刺されたような感覚が肩に走る。
 その痛みと熱さにマーシャは思わず顔をしかめた。
「マーシャさん!」
「大丈夫………弾は貫通したみたいだから………」
 しかしマーシャの服はたちまち紅く染まる。
「………タバタ」
「は、はい?」
「………アンタ、いい漢だよ………ッ!?」
 マーシャは再び顔をしかめる。どうやら彼女の怪我はかなり重いようであった。
 こうなればまごまごとしている暇などない………田幡は唇を強く噛み締めた。
 決意を固めた田幡はマーシャを撃ち、怪我を負わせながらも絶命した政府軍兵士の亡骸に駆け寄り、何かを探り始めた………



 ルエヴィト司令部。
 ほんの数時間前まではリベル解放戦線の最重要拠点であった司令部は、すでに政府軍の手に落ちていた。
 だが政府軍もまた慌てていた。
「えぇい、特殊工作員はどうなったのだ、一体!?」
 ルエヴィト司令部を預かる大佐は苛立ちながら怒鳴った。
 『特殊工作員が多数潜入した』という情報が入るとすぐさま対処を施したのだが目に見えて効果が現れないことに苛立っているのだ。(もっとも効果が上がるはずもないのだが)
 もしかしたら工作員はすでに仕事を終えているのかもしれんぞ………
 人は一度疑心暗鬼に駆られるとそのドツボからなかなか抜けることが出来なくなる。彼もまたそうであった。
「大佐! 何やら不穏な通信が発せられています!!」
「何!? 繋げ!!」
「はい!」
『………こちらファルコン01。任務は完了した。後一五分後に最終装置は作動する。以上! 繰り返す。後一五分で最終装置が作動する。以上!!』
「しまった! 工作員の奴ら………すでに仕事を終えていたのか!?」
「………最終装置って?」
 大佐と通信兵は顔を見合す。
「まさか自爆装置とか?」
「!? だとしたら叛乱軍がルエヴィトをあっさりと明け渡したことも説明がつくぞ!!」
「え!?」
「奴らここにウラルや我が軍の主力を集め、もろとも自爆させるつもりなのだ!!」
「ゲッ!? じゃあこの下に爆薬があるっていうんですか!?」
 たちまち顔が真っ青になる二人。
「そ、総員退避! 一刻も早くルエヴィトから離れるように伝えろ!!」
「は、はい〜ッ!!」
 そうしてルエヴィトに入城していた政府軍であったがすぐさまルエヴィトから退くこととなった。
 ただいくら待っても『最終装置』とやらは起動しなかったが。
 まぁ、当然であろう。
 あの通信は政府軍を撹乱するために田幡が流したデマなのだから………



「………ん」
 マーシャは目を覚ました。
 といってもいつ意識を失ったのか覚えがない。政府軍に撃たれたことまでは覚えていたのだが………どうやらあの後に痛みと出血のために気を失っていたらしかった。
「あ、目が覚めましたか?」
 マーシャは声の方に振り向く。そこには優しく微笑む田幡の姿があった。
「………ここは?」
「オロファトですよ」
「オロファト………? ルエヴィトから脱出できたのか………」
 マーシャは自分が死神の顎から抜け出ていたことを知り、安堵の息を吐いた。
 そしてほぼ同時に開け放たれる扉。
「マーシャ! 大丈夫か!?」
 傭兵PA部隊『ソード・オブ・マルス』の面々であった。
「急にいなくなったと思ったら………ルエヴィトにいたなんて………心配したんだぞ!」
「スイマセン、ハーベイさん………僕が彼女についてきてもらうように頼んだんです」
「タバタさん………困りますよ、こういう事をされては! 我々はウラルに対する最終作戦の準備に取り掛からねばならないのですから!!」
「はい。本当に申し訳ない………」
「何にせよ………ハーベイ君。アタシは次のウラル撃退作戦は参加できそうにないよ」
 ベッドに横たえる身をハーベイたちの方に転がすマーシャ。
「そりゃ怪我人なんですから参加なんてできるわけないですよ」
 エリシエル・スノウフリア。通称エリィが気遣わしげに言った。
「いいや、そういう意味で言ったんじゃないの、エリィ」
「え?」
「アタシ、今日限りで傭兵辞めるよ」
「おいおい………除隊申告はも少し早めにしておかないといけないはずだぜ、うちの規則では」
 エリック・プレザンスが呆れた顔で言った。
「払えばいいんでしょ、違約金。アタシは傭兵始めてから稼いだ金をほとんど残してるんだ。払えるさ………」
「今日に申請出せばお前の傷が癒える頃には受理されて、違約金を払わずに済むぜ? これだと出撃も無しだから死ぬこともないはずだし………」
「いいや、今日で辞めたい。そういう気分なんでね………」
 そう呟くマーシャの声は、以前までとは比べ物にならないほどに弱々しく………そして慈愛に満ちていた。
「………そうか。マーシャ、お前と戦ってて楽しかったぜ」
「ありがとう、エリック………」
「マーシャ。今は作戦準備中なんだ。今日はこれで失礼とさせてもらいます」
「ああ、頑張ってね、ハーベイ」
 『ソード・オブ・マルス』の面々はマーシャの病室から出て行った。もうマーシャが二度と関わることのない世界へと彼らは戻って行った………
「………いいんですか、マーシャさん?」
 ハーベイたちが出て行ったことを確認してから田幡は尋ねた。
「ああ」
「違約金の件もですよ?」
「借金するんじゃなくて、貯めてたものがゼロになるだけ。だったら大丈夫よ」
「そうですか………もし生活に困ったんでしたら僕に言って下さいよ」
「お? 何かしてくれるのかな?」
「マーシャさんくらいの腕前ならうちのテストパイロットとして大歓迎ですから」
「あ、そりゃいいね」
 田幡の言葉にマーシャはニコリと笑った。その笑みは心からの笑みであり、田幡は見ていて心が晴れるような気分になった。
「で、でさ、タバタ。一つ訊きたいんだけど………いいかな?」
「?」
「そ、そのテストパイロット………ア、アンタの機体に乗せてくれるのかな?」
 頬だけでなく顔全体………いや、身体中までも真っ赤にして尋ねるマーシャ。
 そのような態度をとられたら如何に鈍感な田幡でも真意を汲み取ることが出来た。
「あ、あの………僕なんかでいいんですか?」
「………うん。いや、アンタじゃなきゃイヤだ」
「……………」
「……………」
 二人は全身を真っ赤にしながら、言葉も無くいつまでも見詰め合っていた………



 翌日。
「そうか。もうリベルから出るのか」
 ローターを回しながら待機するCH−47C チヌークを前にハーベイが言った。
「はい。マーシャさんの治療を急ぐ必要もありますから」
 田幡はそう言いながらチヌークに乗り込んだ。
「………まさかマーシャとくっつくたぁねぇ。お前もいい趣味してるねぇ」
「エリックさん、そういうことは本人を前にしていうことじゃないですよ」
 エリックの声があまりに大きかったためにハーベイはエリックに耳打ちしなければならなかった。
「ま、あの二人なら大丈夫だろうけどな。マーシャの奴、タバタの前では憑き物が落ちたような感じだったしなぁ」
 エリックはそうも付け加えた。
「あ、そうそう。ハーベイさん!」
 一度は乗り込んだ田幡であったがすぐさま降りてきて、ハーベイに言った。
「僕の設計したPA。一号機が完成したらそちらに送りますよ!」
「そいつは楽しみ。何としても長生きしなきゃね」
「では!!」
 そしてチヌークのローターの回転が最高潮に達し………チヌークはフワリと空へ浮かび上がった。



 チヌークに急遽付けられた仮設ベッドに横たわりながら、マーシャは田幡の横顔を見ていた。
 田幡はチヌークの窓から見えるハーベイたちの小粒のような影にいつまでも手を振っていた。
 今、マーシャの心の中に風は吹いていなかった。
 たとえるならば彼女の『心の荒野』に花の芽が吹きはじめたのだ。そしてきっとその花は彼女の『心の荒野』を美しい草原に変えるのだ。
 今、マーシャ・マクドガルはようやくにして自分のあるべき場所を見つけたのであった。


第一一章「Groundship Ural」

第一三章「The name is G」

書庫に戻る
 

inserted by FC2 system