軍神の御剣
第一〇章「Sweethearts’ Pavement」


 一九八三年三月三日。
「♪〜♪〜〜」
 大日本帝国陸軍装甲阻止力研究所保髏死畫壊設計局から新型PA開発のヒントを得るために傭兵PA部隊『ソード・オブ・マルス』と行動を共にする田幡 繁は、上機嫌に口笛を吹きながら日本から送られてきた荷物を物色していた。
 やや大きめのダンボールが一箱である。
「お? 随分とご機嫌だね、タバタ」
 『ソード・オブ・マルス』の一員にして元・アメリカ海兵隊所属のマーシャ・マクドガルがそんな田幡に声をかけた。
「あぁ、マーシャさん。ええ、本国の連中に送るように頼んでおいた品が届きましてね。マーシャさんも見ますか?」
「どうせアンタのことだからPAの写真集か何かでしょ?」
 別に興味は無いね、と続けようとしたマーシャであったが、ダンボールの中からかすかに見えるのはPA関連の品ではなさそうであり、興味を引かれた。
「………PA関連じゃ無さそうだね。ちょっと見せてよ」
「ええ、構いませんよ」
 マーシャは箱の中に手を突っ込む。
 その手は、いささか筋肉がつきすぎているきらいがあるが、それでも女性特有の繊細さもちゃんと内包している。そこが彼女の魅力であった。
「………何だい、こりゃ?」
 マーシャが箱の中から取り出したのは人形であった。
 その人形は彼女が見たことの無い衣装を着ている。どうもどこかの民族衣装的なものらしいのだが………
「お雛様ですよ。っていってもマーシャさんは知らないでしょうけどね」
「ジャパンの風習かい?」
「ええ。毎年三月三日にはこのお雛様を飾り、女の子の成長と幸福を願うんですよ。この部隊には女の子が多いですからね。本国に言って、取り寄せさせたんですよ」
「アンタ………割と暇だねぇ」
「お!? 何だそりゃ?」
 呆れ顔を見せたマーシャの背後から呑気な声。
 エリック・プレザンスは雛人形に興味を示したようだ。
「何だ、これがタバタのダッチワイフか?」
 そしてサラリと酷いことも言う。
「んな訳ないでしょう………」
 エリックの横から口を挟んだのはエリシエル・スノウフリアであった。
 何人にも踏みしめられたことの無い処女雪のように白い肌と、魔を払えそうなほどに綺麗な銀色の御髪。そしてそれらとは対照的な、紅い瞳。まるで外見は物語世界の妖精か何かのようであった。
 だが彼女は元傭兵が経営していた孤児院で育ったためか、その内面は妖精ではなく少々あばずれ気味であった。
「で、それは何なの、タバタさん」
「ああ、これは………」
 マーシャにした説明をもう一度する田幡。
 二人とも、やはり田幡の酔狂に呆れた様子であった。
「大体、この部隊のどこに女の子がいるんだよ」
「おや、エリック。美女を二人も目の前にして、よくそんなことが言えるね?」
「冗談だろ、マーシャ。お前、俺より年上で『女の子』を騙る………」
 ドスッ
 マーシャのボディーブローがエリックのみぞおちを叩く。
「今、何て言ったかなぁ〜、エリックゥ〜?」
 聖母のような笑みを浮かべながらもう一度訊くマーシャ。しかし笑ってるのが顔だけなのは鈍感な田幡でもわかった。
マーシャさんはともかく………私は『女の子』じゃないっていうの、エリック!?」
「おい、エリィ。今、何かおかしなことを言わなかったか?」
「そ、空耳ですよ、マーシャさん………」
「『女の子』を名乗るなら、それらしい言葉遣いや行動をだな………」
「「何ですってぇ!!」」



 『ソード・オブ・マルス』の隊長を務めるハーベイ・ランカスターは呆れ気味に呟いた。
「………何やってんだ、あっちは」
 マーシャたちから少し離れた格納庫。
 そこでハーベイは紅茶を淹れていた。
 その紅茶は整備班を労う為に淹れているのだ。
「あぁ、何でもタバタの奴が雛人形を日本から取り寄せたらしい」
 チャールズ・ボブスレーがそう言った。
 今日のボブスレーはポケットウィスキーではなく、ハーベイの淹れた紅茶の入ったカップを飲んでいる。禁酒した訳ではないが、たまには趣向を変えるのも悪くないと本人は言っていた。
「雛人形?」
「女の子の祭で使うそうだ。大方、マーシャとエリィは女の子じゃないとかそういうことで揉めてるんだろ」
「何だそりゃ………」
 そう呟くとハーベイは格納庫中に響き渡るほどの大きな声で言った。
「お茶が入りました〜。休憩にして下さ〜い」
 ……………………
「あ、美味しい」
 整備班の紅一点であるエレナ・ライマールの感嘆の声。
「いたみいりまする」
 ハーベイはペコリと頭を下げる。
「さすがはイギリス人だな、ランカスター隊長」
 整備班長のヴェセル・ライマールが言った。
「ライマール班長………私のことは呼び捨てでいいですよ」
 ヴェセルは四〇代後半を超える程のベテラン整備兵である。そんな彼に丁重な呼び方をされるとかえって困ってしまう若輩者 ハーベイであった。
「そうよ、とーちゃん。『ハーベイ』の方が呼びやすいじゃない」
 エレナが無邪気にヴェセルに言った。
「エレナ………俺は一応、君よりは年上なんだけど?」
「ハーベイ。男が細かいこと気にしちゃいけねーぞ」
「そうよそうよ! さすがはボブ! いいこと言うじゃない!!」
「やれやれ………そういえばエレナ。エレナは国籍はどこになるんだ?」
「え? え〜と………どこだったっけ、とーちゃん?」
「………生まれた国っていうのならイスラエルになるな」
「イスラエル? ライマール班長はユダヤ系だったんですか?」
 ここで解説を加えておく必要があるだろう。
 この世界におけるイスラエルは、一九四八年にドイツ第三帝国総統 アドルフ・ヒトラーの提唱によって西アジア、地中海東岸に誕生したユダヤ人国家である。
 だがこの頃のヒトラーは隊長を崩しがちであり、実質的な政務は後の第二代総統となるヨーゼフ・ゲッベルスが取り仕切っていた。
 ゲッベルスは知っての通り、宣伝政治においては天才的な才を持っている。
 だが彼は宣伝家の才能は持っていても、政治家としてのそれは持っていなかった。
 元々アラブ系の勢力である所にユダヤ人という別人種を食い込ませたのである。
 そのせいでこの地域は地球上でもっとも危険な場所とまで形容されるようになっていた。
「いや、この子が生まれた時、ちょうど第三次中東戦争が始まりそうだったんでな」
「それで俺とヴェセルとコイツのカミさんは傭兵としてイスラエル軍にいたのさ」
「あぁ、そこで史上初のPA戦闘を経験したんだっけ、父っつぁんは?」
「そう。俺は日本軍から借り受けた三八式を駆ってアラブ連合軍をコテンパンにしてやった。そのおかげでPAの価値は認められたんだ。それまではミソッカスもいいところだったんだぞ」
「ま、おかげで整備は大変なんだけどな」
 PAは人の形をしている。
 それ故に関節部分の疲労は、例えば戦車の転輪部分などと比べると比較にならないほどに気を使わなければならないのだった。
「あ、そうだ!」
 唐突にエレナがパチンと手を合わせ、叫ぶ。
「ねぇねぇ、ハーベイ! 貴方って甘いもの好きかな?」
 エレナがそう言った時、ヴェセルを始めとする整備班の表情が曇ったのをハーベイは見逃さなかった。
「甘いもの? 別に嫌いじゃないけど………」
 整備班の表情の急変を不審に思ったハーベイは少し警戒しながら頷いた。ヴェセルがエレナの影で見えない所で天を仰いでいる。
 ハーベイは己の選択が失敗だったのではないかと心配になる。
「じゃ、これ食べてよ!」
 そう言ってエレナは小さな袋を取り出した。
 ハーベイの鼻孔を甘い匂いがくすぐる。
 袋の中にはクッキーが入っていた。
「みんなのために焼いたんだけど、とーちゃんも整備班のみんなも甘いもの嫌いでさ。食べてくれないのよ」
 そこでハーベイは思い至った。
 それってマズすぎて食えないってオチじゃねぇかよ………
 ハーベイは背中が汗でグッショリと濡れるのを覚えた。
「はい!」
「う、うむ………」
 エレナがハーベイにクッキーの入った袋を差し出す。
 エレナの明るい、まるで太陽のような笑顔を見ていると断りたくても断れないハーベイであった。
「美味しいわよ」
 エレナはそう言うとクッキーを取り出して一つ食べる。
 一応、試食できることはできるらしい。そう思うとハーベイは少し気が楽になるのを感じた。
 食ったら死ぬ訳じゃないんだ………だったら食べてみてもいいかも………
 ハーベイの内心はそのように判断し、彼は手を袋の中に入れた。
 見た感じ、エレナのクッキーはそんなにマズそうではなかった。むしろいい具合に焼けており、美味しそうですらある。
 もしかしたらライマール班長たちは普通に甘いものが食べれないだけなのかもしれないな。
 そんなことを思いながらハーベイはクッキーを口に含んだ。
 整備班の全員が固唾を呑んでハーベイを見守る。
「……………………」
 ハーベイはにこやかな表情を崩さないまま紅茶のカップを手にとり口に含む。
「どう?」
「うん。それなりにいけるんじゃないかな」
 おぉ!?
 ハーベイの言葉を聞いた整備班の連中は感嘆の息を漏らした。
 ハーベイはその後、五分ほどエレナと談笑した後、トイレと称して席を立った。



 トイレに入るまでは普段と変わらぬ表情、歩調であったハーベイだが、トイレに入るや否や全力でトイレに向って胃の中に入った異物を吐き出した。
 そして吐くだけ吐いたら口をゆすぐ。
 普通の水でゆすいでいるにも関わらず、その水までさっきのクッキーの味がする。
「お、おい………大丈夫か、ランカスター隊長」
 心配になって様子を見に来たヴェセルがやっぱり、と言いたげにハーベイに言った。
「………ライマール班長………あの娘の味覚はどうなってるんですかぁ〜」
「やっぱりダメだったか………」
「ちょっと………というかメチャクチャ甘すぎますよ。口の中が未だに甘ったるい味で一杯なんですが………」
「うむ………さっきも言ったが、エレナはイスラエルで生まれた。仕事でイスラエルに行ってた俺と妻につきそうかのような感じでな」
「はぁ………」
「実はエレナの母親はその第三次中東戦争で死んでしまってなぁ………それからはずっと俺がエレナを連れて傭兵稼業を続けたんだ」
「………てことはずっと戦場の傍にいたんですか、エレナは?」
「うむ………そういうことになる」
「うへぇ」
「そのおかげでエレナには女の子らしいことを一つも教えてやれなくてなぁ………ずっと心配だったんだ」
 娘を思いやる父親らしい表情を見せるヴェセル。
「そんな娘がランカスター隊長が来てからめっきり女らしくなってなぁ。食べたことも無いクッキーを焼くと急に言い出したんだ。俺はこんなに嬉しかったことは無いね」
「それは………確かに嬉しいでしょうね」
 そう言ってからハーベイは首をかしげた。
 ん?
 ちょっと待てよ?
 それってもしかして………
「てなわけでランカスター隊長、いやさハーベイ君!」
 ハーベイの肩をしっかと掴むヴェセル。
「娘のこと、よろしく頼むぞ!!」
 や、やっぱり………
 想像通りの展開であったが、それでもハーベイはこの展開に思わず脱力。
「ちょ、待って下さいよ………」
「では私は整備に戻るからな。エレナは今日はもう休ませるから、頼むぞ!!」
 そういうとヴェセルは格納庫に戻って行く。
「ちょ………ライマール班長! 話を聞いてくれ〜!!」
 ヴェセルを追いかけようとトイレから走り出るハーベイ。
「………あら、ハーベイ。どうしたの?」
 エレナやマーシャ、エリィとは明らかに違う女性の声。その声は大人の色気に満ちていた。
「あ、サーラさん………」
 『ソード・オブ・マルス』の前隊長であるエルウィン・クリューガーの恋人であったサーラ・シーブルーであった。
「あ、そういえばハーベイ。エレナちゃんのクッキーは食べたかしら?」
「え、えぇ、まぁ………」
「あの娘、今までそんな素振りすら見せなかったのに、急に私のところに来て『クッキーの作り方を教えてください!』っていうんだもの。私のクッキー作りのすべてを伝授させたわよ」
 にこやかに話すサーラ。
「え? あの甘さもですか………」
 そういえばこの人、かなりの甘党という噂を聞いたことがある気がする。
「え? 程よい甘さだったでしょう? 私も昔はよくクリルに作ってあげたわ………」
 遠い眼で今は亡き恋人のことを語るサーラ。
 ハーベイはかなり居心地の悪さを感じた。
「じゃ、じゃあ俺はこれで………」
「あ、それから」
 サーラはハーベイを呼び止める。
「………私、立場上貴方の『事情』を知ってるけど、だからって人の愛をすべて否定するのは間違っていると思うわ」
 サーラの言葉を聞いたハーベイは眉をひそめ、立ち止まった。
「でも………確実にエレナは残されるじゃないですか。俺は………」
「私みたいな人を作りたくない?」
「……………」
 無言で同意するハーベイ。
「そんなことは関係ないと思うわ。私はクリルを愛し、愛されたことを誇りに思っているもの。私は残りの人生を生きて行けるだけの愛をあの人から受け取ったわ。愛することの年月の長さは問題じゃない。問題なのはその質じゃないかしら?」
「……………」
「ふぅ。まぁ、結論を出すのはハーベイ、貴方よ。どういう結論を出すにせよ、後悔だけはしないでね」
 サーラはそう言い残すと司令部の方へと歩いていった。
 しかし彼女の背はやはり寂しげに映る。
 それを思うとハーベイの胸は痛んだ。
「お、いたいた! 隊長〜!!」
「あ、エリックさん………」
「どうした、暗い顔して? ま、いいや。タバタが用意したヒナマツリってのをやることにしたんだ。隊長も来てよ!」
「あ、うん。わかった………」



「ぃよっ! 色っぺ〜ぞ、エリィ!!」
 自前で用意した酒を呷り、すっかりできあがったボブスレーが酒に赤く焼けた顔ではやしたてる。
 どこかで噂を聞きつけたのであろう。『ソード・オブ・マルス』のみならず他の部隊の者たちも集まってきていた。それは傭兵、リベル解放戦線正規兵問わずである。
 そしてその人垣に囲まれた中心部でエリィは踊っていた。
 元々踊ることは習っていたこともあり、上手い。
 下着のような踊り子衣装を身に纏って踊るエリィ。
 その踊りは情熱的であるが、どこか儚く、哀しい雰囲気を持っていた。それは彼女の内面がさせる業なのかも知れない。
「おい、あの女、いい胸してるな」
「今度誘ってみようか?」
「テメェ! うちの隊員を誘惑するたぁ、一〇〇年早いんだよ!!」
 悪酔い気味のエリックがエリィを視姦していた連中にケンカを売る。
「ガハハハハ、エリック! 俺も混ぜろっての!!」
 ボブスレーがエリックに加勢し、余計に火を大きくする。
 ………………
「おい、こりゃ何なんだ?」
「ジャパンのフェスティバルらしいぜ。シナとかいってたと思うけど」
 本当は全然違うのだが訂正する者がいないのでこれがヒナマツリを誤解されていった。
「雛祭りってのはこんなんじゃないんですがねぇ………」
 自分の国の文化が、目の前で誤解されつつある様を見ながら田幡は溜息をついた。
「本来のヒナマツリってのは地味なんだろ? アタシはやっぱりこういう派手なのがいいけどねぇ」
 行儀悪くビールを瓶ごとラッパ飲みしながらマーシャは言った。
「やれやれ………後で訂正して回るか」
「無駄だって。これがヒナマツリだろーがクリスマスだろうがこの連中は同じことやるよ、きっと。騒ぐ口実が欲しいだけなんだからね、何てったって」
「………はぁ。それもそうですね」
 田幡はもう一度深く溜息をつくとマーシャにビールを注いでもらい、一気に飲み干した。
「おっ? いい飲みっぷりだねぇ」
「私も開き直りましたよ。今日はパーッと飲み明かすことにしましょう!!」
「へへ。そう来なくっちゃね!!」


「……………」
 騒ぎの輪から少し離れた所。
 ハーベイはそこで喧騒をぼんやりと眺めていた。
「……………!?」
 急に頬から伝わる冷気。
 振り返ると缶ビールを片手に持ったエレナがそこにいた。
「何暗い顔してるのよ。騒げる時に騒いでおかないと後悔するわよ?」
「正直な話、あまりああいうバカ騒ぎは好みじゃなくてな」
 ハーベイは真面目に答えた。
 だがエレナはハーベイの表情を見て噴出した。
「な、何がおかしいんだよ?」
「だって………ハーベイにはハードボイルドは似合わないんだもん」
「見てわからないかなぁ? 俺の内面から滲み出てくるハードボイルドさが」
「アハハハハ。おっかし〜い」
「ま、いいか。おい、そのビール、くれよ」
「私が酌してあげるわよ」
「へぇ。美人に酌してもらえるとは………ありがたいね」
 ハーベイの『美人』という言葉にエレナの目尻が下がる。幼い頃から戦場の傍で育ってきた彼女にとってあまり縁のない言葉故に気恥ずかしいのだろう。
 照れ隠しにハーベイの背中をパンパン叩くエレナ。
 そんな二人は傍目からも微笑ましかった。
 そんなハーベイの脳裏にサーラの言葉が蘇る。
「結論を出すのはハーベイ、貴方よ。どういう結論を出すにせよ、後悔だけはしないでね」
 ………もう少し考えてから結論を出すことにしますよ、サーラさん。
 ハーベイは内心でそう呟いた。
 もっともハーベイの内心の呟きをサーラが知ったなら、彼女は呆れながらこう言っただろうが。
「結論はもう出てるじゃないの」


第九章「The rose which fall sadly」

第一一章「Groundship Ural」

書庫に戻る
 

inserted by FC2 system