軍神の御剣
第九章「The rose which fall sadly」


 一九八二年一二月一四日。
 東欧の小国 リベル。
 今、この国は政府側と反政府側の二つに割れ、内戦の真っ只中であった。
 内戦の最中にある国では自由が大いに制限される。
 リベルの首都 リベリオンから二〇キロほど離れた所にあるエクチュア市も例外ではなかった。
 元は商業都市として栄えていたエクチュア市であるが、今ではそこかしこにAKMを構えた兵士が見受けられ、かつて活気にあふれていたはずの街並みも暗い。
 エクチュア警備にあたっている兵士の一人であるサルバ一等兵は何をするでもなく歩いていた。
 途中の市場で買った、リンゴをかじりながら、歩く。
 肩にAKMを提げていなければエクチュアの若い娘たちと語らいたくなる。サルバは若く、若さに相応しい性欲を持っていた。
 サルバはまったく警戒心というものを持っていなかった。
 先述したが、ここはリベリオンから目と鼻の先。
 反政府軍の勢力もここではほとんど体を為さず、政府軍にとって一種の聖域と化していた。
 だから警備というのは表向きだけで、ほとんど療養の意味が強いのであった、このエクチュア配備になるということは。
 今までの常識が今後も続くという保障。
 そんなものはどこにも無い。
 人は時に知った風な口で、そんなことを言う。
 そしてサルバは体でその言葉を思い知ることとなった。
 サルバのすぐ隣に停めてあった車が急に爆発したからであった。
 サルバは痛みを感じる暇も無く爆風に巻き込まれて死亡。
 それは車の中に爆弾を仕込んだ、いわゆる『車爆弾』という奴であった。
 そしてそれこそ反政府軍のパルチザンの常套手段。
 エクチュアの平穏は破られた。



「………パルチザンといえば聞こえがいいが」
 そう言いながら政府軍大尉のレオンハルト・ウィンストンは右腕と頼むレアード・ウォリス少尉の方に振り向く。
 世界で一番純度の高い黄金のような彼の金髪が、冬のリベルの陽に煌き輝く。
 まるで巧匠が何年もかけて彫り上げた彫刻品のように整った顔立ち。レオンハルトは美の神に愛されて生まれた存在であった。
 だが彼の特徴はその美貌だけではない。
 彼は政府軍のPA部隊の中でも最精鋭を誇る『クリムゾン・レオ』の隊長を務めており、PA操縦にかけてはリベル軍随一の存在でもあった。
 美の神と戦の神の寵愛を一手に引き受けた男。
 それこそがレオンハルトに相応しい形容であろう。
「実体はただのテロリストに過ぎない」
 レオンハルトは冷たく言い放った。
 今、彼らはほんの数時間前に爆発した車の残骸の跡に来ていた。
 サルバ一等兵は即死だったと聞く。
「苦しまずに死んだことが唯一の幸いでしょうか?」
「バカな」
 部下の言葉にレオンハルトは怒りに握り締めた拳を振るわせた。
「こんなつまらない死に方をして………何になるというのだ! 詳しく調べたわけではないが、彼もおそらく肉親を、あの『嘆きの夜』に捧げているはずなのだ………こんな死に方をするために彼の肉親は………」
「も、申し訳ありません………配慮が足りませんでした………」
「我が祖国は未来のために、涙を呑んで『嘆きの夜』を起こしたのだ………反政府軍の首脳部もそれくらいは承知しているであろうに………」
 『嘆きの夜』とは現在のアルバート・クリフォードが政権をとってからしばらくしてから起こった事件のことで、対外的には『大虐殺』として報道されている。
 だが真相は違う。
 その真相を知る者は小数でしかないが、確かに違うのだ。そして『クリムゾン・レオ』は真相を知る数少ない部隊であった。
 そして真相を知るからこそレオンハルトは反政府軍が憎かった。
 彼も『嘆きの夜』に両親と妹を捧げたから………
 レオンハルトは事後処理を部下に任せ、レアードと共にエクチュアの街を歩く。
 レオンハルトは当然ながら、レアードの容姿も決して悪くは無い。ただレオンハルトに劣るだけである。
 そんな二人が歩くのだから目立つことこの上ない。
 老若問わず、女性たちの視線が二人に集まるのをレアードは自覚した。自然と伸びるレアードの背筋。
「……………」
 レオンハルトが急に歩調を止めた。眉をひそめ、露骨に嫌悪の表情をみせる。
「どうしました?」
 怪訝そうにレアードが尋ねる。
 レオンハルトはレアードにある方向を指し示す。
「なるほど………」
 レアードは合点がいった表情。
 そこには何人かの男にからまれる若い女性がいた。しかも男たちは政府軍の軍服を着ていた。
 可哀想にな。思わず男たちに同情するレアード。我らが隊長殿は彼らのような悪漢が許せないタイプなのだ。
 爆発寸前の怒りを抱えたまま、レオンハルトは男たちに向けて歩く。レアードもそれに続く。



「おい、ねーちゃん。いいから付き合えっての」
 口元からアルコールの臭いを漂わせる男が手を掴む。
 しかしルティカ・リトビャフは気丈に手を強く払う。誰でもこんな昼間からベロンベロンに酔っている男たちと付き合いと思うわけが無い。彼女の行動は妥当な行動であった。
「っのアマ!」
 だが酔っ払いに理論が通じるはずがない。アルコールは嫌なことを忘れさせれるが、エゴを肥大化させるという困った側面も持っていた。
 酔っ払いの急進派が握り拳をルティカに叩きつけようとする。
 だが酔っ払いの拳よりも先にルティカの平手打ちが頬を強打する。
「調子にのんなぁ!」
 その一撃によって一斉攻撃にでる酔っ払いたち。
 ルティカはさすがに叩きのめされることを覚悟した。
 だがそこで増援が訪れたのであった。
 ルティカにパンチが命中するよりも早く、殴りかかった酔っ払いは逆に殴り飛ばされる。
「な、何しやがる!!」
 別の酔っ払いが横槍に驚きの表情を見せる。
「お前たちこそ何をしている」
 レオンハルトは冷ややかに酔っ払いたちを睨みつける。酔っ払いたちはその視線に恐れを感じていた。
 そして酔っ払いの中で、比較的冷静を保っていた男がレオンハルトの肩章を見て腰を抜かす。
「あ、貴方は………」
 ようやく気付いたみたいだけど………遅かったなぁ。レアードはそんなことを思いながら酔っ払いの表情を見ていた。
「『クリムゾン・レオ』のウィンストン大尉………」
「何ッ!? あの精鋭部隊の………」
「もう一度、問う。お前たち、何をしている?」
 レオンハルトの氷のような視線をその身に浴びる酔っ払いたち。いや、すでに彼らからアルコールは吹き飛んでしまっている。
「あ、あの、その………」
「言い訳は憲兵隊に聞いてもらうんだな。レアード」
「わかりました。憲兵隊に突きつけておきましょう」
 レアードはそういうと男たちを憲兵隊の本部へと連れて行く。
 その場にはルティカとレオンハルトのみが残された。
 ルティカもレオンハルトのように美の神の寵愛を受けたのだろう。その顔立ちはよく整い、まるでアフロディーテの化身のようであった。その美貌の奥にはいかなる困難にも負けないであろう不屈の精神が見え隠れしている。その外見と内面のミスマッチさが彼女を美の神以上の魅力を持つ存在としていた。
「………怪我はありませんか?」
 レオンハルトは先ほどとは打って変わった、春風のように穏やかな表情と声でルティカに話しかけた。
「は、はい………」
 ルティカは頬を染めながら答えた。
「そうか………すまなかった。私の同僚が君に迷惑をかけてしまった」
 レオンハルトは律儀に頭を下げる。
 ルティカは困惑の表情を浮かべた。
「い、いえ、私は助けていただいたのです。感謝しています」
「そう言ってくれるとありがたい」
「で、では私は急ぎますので………」
 ルティカはそう言うとペコリと頭を下げ、そのまま走り去って行った。


 ………レオンハルトの元から走り去り、自分の家へと帰ったルティカは家に入るなり胸を撫で下ろした。
 危なかった。
 ルティカは内心でそう呟いた。
 何故ならば彼女は反政府ゲリラの闘士であるから。
 先の車爆弾を仕掛けたのも彼女であった。
 叩けば埃の出る身である以上、必要以上に政府軍の男と関わるのは危険であった。
 でも………
 ルティカはレオンハルトの顔を思い浮かべる。
 そうすると胸が熱く高鳴るのを感じずには居れなかった。



 それから三日後の一九八二年一二月一七日。
 ルティカはエクチュアの街を当てもなく歩いていた。
 街中のあちこちで政府軍の兵隊が見受けられる。
 彼女はそれらを見る度に、内心で唾を吐いていた。
 彼女は『嘆きの夜』で両親と姉を失っていた。突如現れた政府軍の兵によって彼女の両親と姉は連れて行かれ、そして帰らなかった。
 彼女が反政府運動にその身を墜とすことになったきっかけはその事件であった。
 彼女は決して許さない。自分の肉親を奪った政府軍を。
 いつか、いつか必ず正義の鉄槌が下されるわ。私はその時が来るのを早めるために戦う。
「君は………」
 そんなことを思っていながら歩いていると彼女は後方から声がした。
 何事かしらと振り返るとそこにはレオンハルトが立っていた。
 今日の彼は軍服ではなく、かざりっけの少ない私服を着ていた。彼くらいになると衣服の補助を受けずとも充分に目立ち、異性の興味を引いていた。
「あ、あの時の………」
「あ、覚えていてくれましたか」
 ルティカの言葉に微笑むレオンハルト。空は冬の暗い雲が立ち込めていたが、レオンハルトの笑顔からは陽の光が差すかのような錯覚を、ルティカは覚えた。
「………今日は、何か急ぎの用事はありますか?」
 レオンハルトはまるでハイスクールの生徒のように頬を紅く染めながら尋ねた。
「え?」
「いえ、何でもありません………」
 ルティカがレオンハルトの質問の意味を完全に理解したのはそのすぐ後であった。
「いえ、今日は特に何もありませんけど………」
「そうですか。では、もしよろしければ、食事などでもいかかでしょう? この間の件の埋め合わせ………とでも言いましょうか」
「え? よろしいのですか?」
「はい、勿論です」
 ルティカはレオンハルトに答えてからハッと気付いた。
 目の前の男は政府軍の、それも精鋭部隊『クリムゾン・レオ』の隊長であるらしい。いわば敵である男の誘いに軽々しく乗るなんて………
 だがレオンハルトは少年のように照れながら、顔をはにかませている。
 その顔を見ていたら、ルティカはレオンハルトの誘いを無下にすることができなくなっていた。



 結論から述べると、レオンハルトという男は見た目からして紳士的な雰囲気を持っているが、その中身はそれ以上であった。
 ルティカはあの日以降も度々レオンハルトと会っていた。
 レオンハルトの魂は高潔にして純情。共に同じ悪しき世を生きているとは、とてもではないが信じられないほどであった。
 どうして彼はこれほどまで純粋でいられるのだろうか?
 ルティカはそう思い、彼にそれを尋ねることにした。
「貴方は………クリフォード書記長をどう思ってらっしゃるの?」
 急にそんなことを尋ねられたレオンハルトは、最初こそ驚いた表情を見せていたが、ルティカの眼差しが真剣であることを受け、彼もまた真剣に答えた。
「世間では色々と言われているようですが、私はあのお方を信じています」
「信じる?」
「ええ。あの方は、このリベルの繁栄のために戦っています」
「このようなことを言いたくはありませんが、リベルの繁栄を思いながら、何故『嘆きの夜』を起こしたのでしょう?」
「あの事件の真相は、世間で流れているものとは違います」
「え?」
「申し訳ないが、軍機ですので、詳しくは説明できません。ですが、これだけは信じて欲しい。あの夜に犠牲となった者たちは、決して無駄死にではなかった、と………」
「……………」
「………私はあの時に妹を捧げました。当時は書記長を恨みました。ですが、事の真相を知った時、私は書記長を恨む気になれませんでした。あのお方は、あえて修羅の道を歩もうとしているのですから………」
「………レオンハルト様がそこまで仰るのでしたら、私も信じることにします」
 そう口にしながら、ルティカは自分の心の変化に驚いていた。
 彼女にとって、レオンハルトはそこまで影響を与える存在となっていたのであった。
「あ、そうだ」
 急に何か思い出したかのようにレオンハルトはポケットを探り始めた。
「今日はこれをルティカさんに渡そうと思っていたのでした………受け取っていただけないでしょうか?」
 レオンハルトはそう言うと小さな箱をルティカに手渡した。
 ルティカが怪訝な表情で、箱を開ける。
「………まぁ!」
 箱の中にはペンダントが入っていた。
 どこぞの王侯貴族が身につけるような豪奢な飾りなどは無く、本当に質素なペンダントであったが、それには確かにレオンハルトの想いが込められており、ルティカには世界中のどの宝石よりも輝いて見えた。
「あ、ありがとうございます! 私、大事にします!!」
 ルティカは心から笑った。
 彼女にとって、それは久方ぶりの笑みであった。



 一九八三年二月二三日。
「レオンハルト隊長」
 軍務に奨励しているレオンハルトの許にレアードが報告に訪れた。
「どうした?」
「はい。昨年末よりエクチュアを騒がしているパルチザンのアジトを突き止めたとの報告が入りました」
「そうか!」
 レオンハルトが、その神々の芸術といってよい顔に、喜色を灯す。
「で、PAを用いての電撃戦で一気にカタをつけたいと憲兵隊は申しており、部隊を借りたいとのことです」
「そうか。では憲兵隊に伝えてくれ。この私、直々にテロリストを殲滅してみせる、とな」
 精鋭部隊の隊長ともあろう者が、直々にパルチザン退治に乗り出す必要は無いのだが、とレアードは思わないわけではなかったが、レオンハルトは一度決めたら滅多には自分の意見を取り下げる人ではないことも知るために翻意を促すことは無かった。



 同じ頃。
 エクチュア郊外の一軒家。
 そこがリベル解放戦線のパルチザンたちの集会場となっていた。
「どうしたんだ、ルティカ。最近、君はこの集会にも出席せず、行動も起こさない………何かあったのか?」
 リーダー格の男がルティカに尋ねた。
 リーダー格といっても年は若く、まだ大学生であった。
「………いえ。あまり派手に動きすぎたら、かえって政府軍の反撃を受けてしまいそうだと思ったからよ」
「そうか………そう言われればそうかもしれん」
 リーダー格の男はあっさりとルティカの言葉を受け入れた。
 だが彼よりもさらに若い、血気盛んな青年は声を荒げた。
「そんな弱気でどうする! 我らが祖国を一刻も早く解放するためには、危険を恐れていてはいかん!!」
「それは………」
「そういえばルティカ。この間、君が政府軍の軍人と思しき人物と一緒に………」
 リーダー格の人物がそこまで言った時、唐突に集会場が揺れた。
 爆音と衝撃。
 窓のガラスはすべて粉々に砕け、破片が襲い掛かる。何人かは破片に身体を刻まれた。
「何だ!?」
 咄嗟に外を覗く男。
 そこには政府軍のPAが、一五〇ミリクラスの重砲を両腕でガッシリと構えていた。
「な、そんな!?」
「せ、政府軍にバレただって!?」
「と、とにかく逃げろ!!」
 浮き足立つ仲間たちをよそに、ルティカは醒めた目をしていた。
 きっとこれは罰なのね。
 レオンハルト様………私はもっと早く貴方と出会いたかったわ。
 そうすればこのようなテロリズムに身を墜とさずに済んだのに………
 そして一五〇ミリキャノンの砲口が光り………



「お〜、さすがは一五〇ミリ砲弾だぜ。ガレキの山もいいところだ」
 憲兵隊の者たちがガレキの山と借したパルチザンアジトを前にそのような感想を口にする。
「わざわざご足労でした、ウィンストン大尉。ご協力、感謝いたします!」
 憲兵隊を率いる大尉がレオンハルトに敬礼。
「いや、あのようなテロリストは滅んで然るべきだ。協力は惜しみはしない」
「この調子で叛乱軍も壊滅できたらいいのですがね………」
「まったくだ………ん?」
「どうかしましたか?」
 レオンハルトは大尉の言葉に答えず、その身を屈め、ガレキの山から何かを拾った。
「………ペンダント、ですな。安物っぽいですが、でも綺麗なペンダントですね」
「……………」
「ど、どうかしましたか、ウィンストン大尉?」
 レオンハルトの顔が急に真っ青になったことに大尉は驚いたのだった。
「………いや、何でもない」
「は、はぁ」
「………世の中には不思議なことがあるものだ」
「え?」
 レオンハルトは誰に言うでもなくそう呟くと大尉を置いて、独りPAに乗り込み、その場を後にした。


第八章「New treasure」


第一〇章「Sweethearts’ Pavement」

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