軍神の御剣
「Thou’lt come no more」


 一九八三年二月八日。
「何? 本社に帰るだってぇ?」
 傭兵派遣会社『アフリカの星』リベル方面陸上部隊総責任者であるカシーム・アシャは素っ頓狂な声をあげた。
 彫りの深い、イスラム圏の人特有の顔が驚きに満ちる。
 かつては傭兵の一人として銃を取り、最前線で戦っていたこともあるアシャ。そんな彼を驚かせるのは並大抵のことではない。
 その偉業を為した男。
 PA部隊『ソード・オブ・マルス』隊長であるエルウィン・クリューガーはいたって平然としていた。
「はい。一度、本社に戻るようにといわれておりますので」
 そういうとクリューガーは一枚の紙切れをアシャに手渡す。
 それは確かに『アフリカの星』社長であるハンス・ヨアヒム・マルセイユの直筆サインがしたためられていた。
「そうか。本社の命令ではしょうがない。………ところでクリューガー。帰る手段は?」
「はい。輸送機を本社から手配しています」
 アシャはそうか、と呟くとクリューガー帰還のための書類にサインした。
 ここにエルウィン・クリューガーは一時ではあるが、リベルの戦場を離れることが決定した。



「へぇ、それじゃあ隊長は一旦は本社に帰る訳ですか?」
 エリック・プレザンスが大人向けのグラビア誌………要するにエロ本のページをペラペラとめくりながら尋ねた。
 ここはPA搭乗員たちの待機所。
 待機所のテレビからは相も変わらずリベル解放戦線のリーダーであるシルバ・トゥルマンの演説が流されていた。リベル解放戦線の闘士ならば必聴なのだろうが、彼ら傭兵たちにとってそういうお題目は無意味なことであった。
 だからエリックはエロ本のページをめくっていたし、ボブスレーはいつものようにポケットウィスキーの瓶をラッパ飲み、マーシャは鉄アレイを持った腕を上下させていた。ハーベイはというと何をするでもなくただボンヤリとしていただけであった。
「まぁ、そういうことだ。一週間ほどは空けることになるだろうな」
「へぇ………じゃあ隊長代理を決めないとね」
 筋力トレーニングに汗を流すマーシャ・マクドガルが言った。
「んじゃあマーシャがやりな」
 そう言ったのはチャールズ・ボブスレー。今日も酒で顔を紅くしていた。しかし四六時中酒を飲んでいる割には彼は戦闘中はアルコールをまったく感じさせない。そういう意味でも恐ろしい男である。
「冗談。アタシは確かに海兵隊だったけど、下っ端でね。士官教育は受けてないのよ」
「そういえばマーシャさんはU.S.マリーンでしたね」
 『ソード・オブ・マルス』一番の若輩者であるハーベイ・ランカスターが言った。
「んじゃ俺だな? 俺はU.S.アーミーの士官学校でてるぜ」
 そう言って挙手したのはエリックであった。
「え? エリックさん、士官学校出てたんですか?」
「………何だよ、その意外そうな口ぶりは?」
「あ、いや………凄いなぁ、と思って」
 適当にお茶を濁すハーベイであった。
「却下に決まってんだろう」
 にべもなく言ってのけるマーシャ。
「何で?」
「アンタに権力持たせたら何するかわかんないからさ。おまけにアンタ、やるつもりなんかないんだろ?」
「ニハハハ。バレてたか」
 邪気の無い笑顔を浮かべるエリック。普段はこんなにふざけた男だというのに、戦場では寸分の隙も無い超一流の兵士となる。
「となると父っつぁんがやることになりますね」
「おい、ハーベイ。冗談はよせって。何で俺がそんな面倒くさいことしなくちゃなんねぇんだよ」
 ボブスレーは右手を振って辞退する。
「で、でも他に適任が………」
「い〜や。一人いる」
 ボブスレーが意地の悪い表情で言った。
「そうそう」
 エリックも楽しそうに言う。
「ハーベイ君。アンタがやんな」
 三人ともハーベイを指差す。クリューガーは想像通りだなとでも言わんばかりに頷いている。
「え? お、俺がですか!?」
 すがるような目でクリューガーを見るハーベイ。クリューガーが拒絶することを期待してのことであった。
「ふふ………観念するんだな、ハーベイ」
「そ、そんな、隊長まで………」
「『俺はまだ若輩者』。そう言いたいのだろう?」
「は、はい」
「いや、お前なら大丈夫さ。自分に自信を持ちな。何せお前はロイヤルアーミー士官学校を出ている。そうだろう、ハーベイ?」
「そうですが………それならばエリックさんだって………」
「だから言ってるだろ。俺はやるつもりはないって」
「それに俺が少しの間、留守にしている間だけだ。だから練習と思ってやってみな」
 そう言ってハーベイの肩を叩くクリューガー。
 そこまで言われてはハーベイも断る理由はなくなってしまうのであった。
「………はぁ。何か断れないような雰囲気になってますね」
「そういうことだ。観念しろって。ガハハハ」
 そう言うとポケットウィスキーをラッパ飲みするボブスレー。
「では後は頼むぞ、ハーベイ。俺は今から本社に提出するレポートがある。出発の日まで顔を出すこともできないだろうからな」
 そう言うとみんなに背を向け、ゆっくりと歩き始めるクリューガー。
 クリューガーは決して筋骨隆々というわけではなく、その肩幅も軍人としてはあまり広くは無かった。だがその時のクリューガーの背中は非常に大きく、頼もしく見えた。
 俺もいつかはああいう頼れる男になりたいものだな。
 ハーベイは去り行くクリューガーの背に思った。



 そして二日後。
 ルエヴィト中心部のホテル二一四号室。
 カシーム・アシャは出し抜けに鳴り響いた電話に戸惑いながら受話器を取った。
「私だ………」
 そして見る間に蒼ざめていくアシャの表情。
 いや、蒼ざめるだけでなく、アシャは知らず知らずにうちに受話器を取り落としていた。



 その数十分前。
「スイマセンね、クリューガーさん。こんなチンケな機体での送迎で………」
 リベル解放戦線の飛行場に降り立ったのは『アフリカの星』輸送部門のALICE12が使うC−5 ギャラクシーような超大型機ではなく、普通の小さな小型機であった。
 小型機の機長であるトミーは申し訳無さそうに言った。
「………まだコイツが現役で空を飛んでることに驚きだな」
 クリューガーは迎えに来た機体に少し驚き気味に言った。
「あぁ、このFi156はK型です。だから生産自体はごく最近ですよ。まぁ、こんな戦場の空で見ることはないでしょうけど………」
 Fi156。シュトルヒと通称されるドイツ製の連絡/観測機であり、一九三五年に設計され、一九八三年の今になっても未だに生産が続けられている(もっとも多少のマイナーチェンジは幾度と行われているが)という超大ベストセラー機である。
 初期型は最高速度が二〇〇キロ弱しか出なかったが最終生産型と呼ばれるK型になるとエンジンをターボプロップに改造したことにより、速度が増大し、四〇〇キロ近くまで出るようになっている。
「だが生産されているといっても民間用でだろ? 一応、『アフリカの星』ってことは軍事用じゃないか、このシュトルヒは」
 今、西側の民間用航空機としてはセスナと覇権を争いあうほどにシュトルヒはメジャー機となっている。
「まぁ、確かにクリューガーさんのいうように戦場の空を飛ぶには向きませんかね」
 トミーは苦笑を交えながら言った。
「まぁ、この辺りの制空権はリベル解放戦線の方々が握ってますし………」
 トミーが右上方に視線をやる。
「護衛もいるから安心でしょう」
 護衛として傭兵飛行部隊『A88』は大日本帝国の三一式艦上戦闘機『烈風』が一機、翼に陽光を煌かせながら飛んでいる。
 現在の大日本帝国の主力戦闘機(海軍のみならず空軍でも採用されているのだ)であり、その性能はアメリカのF14 トムキャットにも決して引けを取らないともっぱらの評判の双発戦闘機である。
「………そうだといいがね」
「え? 何か言いましたか?」
 トミーがそう聞き返した時であった。
 シュトルヒの右上空を飛んでいた烈風は唐突に紅蓮の炎を吹き上げ、大空にその身を散らした。
 飛び散る烈風「だった」ものの破片がシュトルヒを叩く。
「え!?」
 何が起こったのかわからず、素っ頓狂な声をあげるトミー。彼の注意は完全に烈風に注がれていた。
「バカ野郎!」
 クリューガーはそう怒鳴るとトミーの手を取り、左に引く。
 トミーの手に握られていた操縦桿が左に倒され、シュトルヒが左にクルリとロールを決める。その動きは鮮やかそのもの。
 ロールを打つ前にシュトルヒがいた地点を貫く機銃弾。
 そしてまるで獲物を狙う水鳥のように逆落としにシュトルヒのすぐ横を飛びすぎる機影。
 その機影は、まるで鉛筆に三角定規をくっつけたような形をしていた。
「ミグ!!」
 それはソ連が誇る傑作戦闘機 ミグ21そのものであった。
「ちょっ、な、何で!? ここはリベル解放戦線の制空権ド真ん中なんだぞぉ!?」
「そんなこと言ってる暇があったら逃げろ!」
「に、逃げろったってどこに!?」
 泣きそうな表情でクリューガーに問うトミー。
「相手は超音速ジェット戦闘機なんですよ!!」
「とにかく時間を稼げ! そして支援を要請しろ!!」



「な、何ィ!? 隊長の乗った飛行機が敵戦闘機の襲撃を受けているだってぇ!! 貴様、ウソでも言っていいことと悪いことが………」
 エリックはその情報を伝えに来たリベル解放戦線の男の胸倉を掴む。
「エリックさん! 関係ない奴に八つ当たりしないで!!」
 ハーベイの一喝。エリックはバツが悪そうに胸倉を掴んでいた手を離す。
「スマン………」
「とにかく行くよ!」
 マーシャが拳を握り、立ち上がる。
「行くって………どこに?」
「決まってるだろう! 隊長を迎えにさ!!」
「SOSを発信した場所は………ここらしい」
 ボブスレーが地図を開き、一点を指差す。
「アイツなら大丈夫さ。俺はクリューガーの初陣の頃から、ずっと共に戦い、成長を見てきた………アイツは悪運の強い奴さ。アイツが、そう簡単に死ぬものか、いや、死にはしない!!」
「じゃあ隊長代理!」
「はい! ソード・オブ・マルス、出撃!! 総員、搭乗!!!」
 ハーベイは代理といえども隊長らしい凛とした声で言った。
 クリューガーは危機的状況にあったが、ソード・オブ・マルスのうちの全員が、クリューガー隊長は必ずや生還すると信じていた。最前線で戦うがために常に危険が付きまとう傭兵PA部隊ソード・オブ・マルスにおいて、もっとも死が相応しくない男。
 それがエルウィン・クリューガーなのだから。



 その頃、クリューガーは死神の鎌先から逃れえたことを確認していた。
「俺………生きてるの?」
 情けない声でトミーが死の危険から逃れれたことを噛み締める。
「あぁ、もう大丈夫だ」
 トミーは情けない男といえるかもしれない。だがクリューガーはトミーの存在を一種のクッションとして一連の危機の精神的衝撃を緩和した。
 情けないトミーがいるからこそクリューガーは強く振舞えるのかもしれなかった。
 クリューガーは近くの林に不時着した際、木の枝によってズタズタに裂かれてしまう事となったシュトルヒの外板を、ねぎらうかのように撫でる。
「さぁて………次にどうするかだな」
 シュトルヒを撫でた腕を組むクリューガー。
 確かここはクリューガーの計測が正しければ、ルエヴィトの西一八〇キロという所である。
 勢力圏的にはリベル解放戦線の勢力下であり、敵と出くわす可能性は低い。
 それは真にありがたいことであった。
「トミー。君は武器を持っているか?」
 クリューガーは常に腰にコルト社製のパイソン拳銃をさしている。クリューガーはパイソンを抜き、弾を確認しながら尋ねた。
「い、一応は………」
 トミーはグロック社のモデル17を右手に持つ。
 拳銃が各自一丁。
 普通に市街地を歩くならば充分すぎる武装である。
 だがこのリベルの地は普通の市街地などではない。ここは戦場であった。
 戦場で、拳銃しかないというのは非常に心細い。
 何故ならば拳銃の射程距離はライフル等とは比べ物にならないからである。
 PA乗りではあるが、歩兵としての知識も多く持ち合わせているクリューガーはそのことを知っていた。
 だが口にはしない。
 こんな事実を教えて何になるというのだ。
 仲間を怯えさせる情報を教える必要など無い。それはクリューガーの隊長哲学でもある。


 ここは自軍勢力圏内。
 クリューガーたちはそう思っていたし、それは事実であった………はずだった。
 しかし林を抜け、ルエヴィトに向けて歩き始めてからものの数分。
 そう、わずか数分でクリューガーたちは銃火にさらされる事となった。
 ババババババババ
 東側諸国において標準的アサルトライフルであるAKMが火を吹く音。
 クリューガーとトミーは不時着した林に向って走り、木々を背にして銃弾から逃れる。
「ど、どうなってるんですか、これは!?」
 精神的恐慌を起こすトミー。
 クリューガーは何も言わず、パイソンを握りなおす。その手は汗に滲んでいた。
「どうも死神の奴は何が何でも俺たちの命が欲しいらしいな」
「何で!? 俺たちはただの傭兵ですよ? 俺たちなんかを殺して何の価値があるんですか!!」
「………叫んでいる場合ではないぞ。敵に位置を悟られたいか?」
 その一言で黙り込むトミー。
 敵に位置を知られる云々よりもトミーが目の前で騒がれたらこちらの集中力が途切れてしまう。クリューガーはそっちを警戒した。
「ッ!!」
 ドンッドンッ!!
 パイソンがパイソンたる所以である.357マグナム弾が銃口から、ライフリングによって高速回転しながら飛び出す。
 だがマグナム弾は敵を捉えなかった。
 お返しといわんばかりにAKMの雨がクリューガーたちに降り注ぐ。
 やはり拳銃とアサルトライフルでは射程、威力、制圧力のすべてにおいて、その差は歴然であった。
「……………」
 唇を舐めるクリューガー。
 そこで彼は自分が狙われる理由に目星がついた。
「なるほどな………」
「え? な、何がですか?」
 『奴ら』め………やってくれる。
 だが裏を返せば『奴ら』も相当に焦っている証拠だ。
 何せ『奴ら』ときたら………
 そこに敵が一人、クリューガーの正面に飛び出す。
 ドンッ!!
 クリューガーの必殺のマグナム弾が、今度は敵を捉え、敵のこめかみにめり込み、後頭部を根こそぎ吹き飛ばす。口径.357とは決して大きな口径ではないが、マグナム弾の威力は壮絶であった。
 ………だがこれを乗り切れば、すべての不幸が取り払われることとなる。
 クリューガーはパイソンを腰にしまうと射殺した敵からAKMを奪う。
 これで武器の面では対等となった訳だが………
「ちょっ!? クリューガーさん!!」
 泡食ったトミーの声。彼はある方向を指差していた。
 そこに転がる真ん丸い物体。
 紛れも無い手榴弾であった。
「チッ!!」
 今から逃げても間に合わない。クリューガーは本能的に知っていた。
 だから彼のとった行動は素早かった。考えるよりも早いのだ。本能での行動は。
 クリューガーの軍靴が手榴弾を蹴り飛ばす。
「伏せろ!!」
 そしてトミーの首を掴み、共に地面にうつ伏せに倒れこむ。
 だが爆発は起こらなかった。
 それは罠だったのだ。
 クリューガーも歴戦の勇士であった。だが敵もさる者だった。それだけだ。
 林の木々の合間から飛び出した敵の発射するAKMの音。
 七.六二ミリ弾が肉を裂き、骨を砕く音。痛み。灼熱。
「……………!!」
 何事かを叫ぼうと口を開く。
 だがクリューガーの意識は言葉を紡ぐ前に途切れた。
 クリューガーの暗黒の中に融けていく………


「やったか?」
 AKMを構え、用心を怠らぬままにクリューガーとトミーに近づく男。
 トミーの方はAKMの一弾が喉を貫いたこともあり、血の池にその骸を浮かべていた。死亡は確実である。
 だがトミーなどはどうなっても構わない。
 男はそもそも彼がトミーと言う名前ということすら知らない。
 彼が知るのはクリューガーの名前と顔のみ。
 クリューガーという男がいかなる意味を持つのか。そこまでは知らされていなかった。ただ上に呼ばれ、この暗殺作戦への参加を言い渡された。
「………若いな」
 男はクリューガーの顔を見てそう呟いた。
 どう見ても三〇代前半の男であった。男はとりあえずクリューガーのことをリベル解放戦線の要人だと思い、そう納得させていた。
 だが男はどうみても要人ではなかった。超一流の兵士――傭兵――にしか見えなかった。
「………何故このような男の暗殺指令がでたんだ?」
 男は不思議なこともあるもんだと首を傾げる。
 だが長い時間は与えられなかった。
 彼方より何かが聞こえる。
 その音。
 男には聞き覚えがあった。
「PA!!」
 男がそう叫んだ時、林の木をなぎ倒しながら、一機のPAが顔を出した。
 西側最強と目されている米国製PA PA−3 ガンスリンガーであった。


「隊長!!」
 ガンスリンガーのモニターにクリューガーがうつ伏せに、血を流しながら倒れているのを確認したハーベイ。
 そして彼は次いで、クリューガーとトミーと名乗ったシュトルヒのパイロットのすぐ傍に見知らぬ男がいるのを確認した。
 男の持つ銃はAKMであった。
 そしてハーベイの脳内で答えが導き出された。彼はここで何が起こったのかを知ったのだった。
「貴様ぁーッ!!」
 怒りに目を血走らせながらハーベイは叫び、ガンスリンガーの操縦桿を動かす。


 唐突にあらわれたガンスリンガー。
 だが出てきたかと思うと少しの間は微動だにしなかった。否、頭部のカメラのみが画像の拡大縮小を行うために機械音を立てるのみであった。
 しかし次にガンスリンガーは男を凝視する。
 そして右腕を伸ばし………
「グァアッ!!」
 男は身動きが取れなかった。PAの迫力に気圧されていたといっていい。それに今の彼が持つのはAKMのみ。それではPAに勝てるはずが無かった。
 そしてガンスリンガーの右腕に捉えられる。
 鋼鉄の巨人は力を込め、男を握りつぶす。
 肉が鋼鉄の指先と手のひらによってひき肉にされる。
 骨はバラバラに砕かれる。
 内臓はPAの手の隙間に安住を見つけ、つぶされるのを免れた。
 だが男の生命は失われた。
 こうして男は人としての形を残すことすら許されずに死んだ。


「隊長!!」
 コクピットから飛び出すハーベイ。
 トミーはすでに事切れていたが、クリューガーの身体はまだ温かかった。生命の温かさがそこにあった。
「隊長!!」
 生きていた。
 撃たれたものの、まだ生きていた。
 俺たちは間に合った!!
 ハーベイは歓喜を滲ませて、クリューガーを抱き起こす。
「………ッ。ハーベイか………」
 クリューガーは弱々しく眼を開けた。
「はい。隊長、とりあえず応急手当をして、そして病院に………」
 だがクリューガーはその顔を振った。横に。
「何故!? 何故ですか、隊長!!」
 ハーベイはクリューガーを叱咤する。
「諦めるなんて………隊長らしくない!!」
 クリューガーはその言葉に弱々しく笑う………とすぐさまにむせた。
 そして咳と共にクリューガーの口からこぼれるは紅き血潮。
「隊長!!」
「………なぁ、俺はもう無理さ」
 クリューガーは残された力で胸の部分の衣服を裂く。
 右胸に三発の銃創。肺に傷がついているのは確実。おまけに貫通していない。
「そんな………」
 両の眼から熱いものが込み上げてくる。
 間に合わなかったのか。俺は………
「ふっ。俺が傭兵始めてから一〇年余りか………部隊を預かる前も、預かってからも、多くの死を目にした………それが俺の番になっただけさ………気にする………」
 そこで再びむせるクリューガー。
 死へと誘う痛みと死への恐怖。
 クリューガーはそんなものを微塵も感じさせない。
「………なぁ、ハーベイ」
「は、はい!」
「サーラに………サーラに一言、使い………頼まれて………くれないか?」
 クリューガーの衰弱は激しい。命の炎が急激に消えつつある。
 彼は最期の最期まで隊長であるために、自身の痛みと恐怖を精神力で抑えていた。それが彼の命の炎を急激に弱まらせているのだろう。
「はい! 何を………何を伝えるんですか!?」
「True……………was……lie」
「『真実は虚構だった』!?」
 ハーベイはクリューガーは今際にサーラへの愛を伝える言葉を言うと思っていた。
 だが彼の口からでたのはその一言。
 そしてダラリと垂れ下がるクリューガーの腕。
 急速に消え行く体温。
「隊長、隊長ーッ!!」
 ハーベイはクリューガーの亡骸を抱えたまま、呼びかけることしかできなかった。
 そしてその呼びかけが答えられることはなかった。



 その日、ルエヴィトの傭兵部隊の基地は悔恨に包まれることとなった。
「………あ〜。その………どうだった、ソード・オブ・マルスの様子は?」
 カシーム・アシャは『アフリカの星』リベル方面陸上部隊整備長であるヴェセル・ライマールにソード・オブ・マルスの様子を窺わせ、そして報告させていた。
「………みんな、沈んでいました。あの様子では、出撃はしばらくは無理だと思います」
「そう、か………」
 アシャは椅子の背もたれに体重を預ける。
「まさか………まさかなぁ………クリューガー君があんな死に方するなんて………」
「………私も傭兵部隊の整備兵として、長いこと、様々な戦場を渡ってきました。ですが、こんなことは初めてです」
「私もだ………まぁ、考えても仕方ない、か………ソード・オブ・マルスには早急に立ち直ってもらわないとな」
「ミス・シーブルーの方も心配ですよ」
 ヴェセルの言葉にアシャは頭を抱えた。
 クリューガーという男はただの傭兵ではなかったのだろう。
 何せ死んだことによってここまで皆に影響を与えてたのだから………



 その頃、ハーベイはサーラの部屋の前で迷った表情をしていた。
 サーラ・シーブルー。
 エルウィン・クリューガーの恋人。
 彼女はクリューガー死亡の報を聞いてから自分の部屋から自発的に出ようとはしない。仕事で呼ばれた時だけ出て行き、仕事を完璧にこなすとすぐに部屋に閉じこもっていた。
 今、ハーベイはそんなサーラの部屋の前でノックしようかするまいかと悩んでいた。
 だがハーベイはサーラに会わなければならない。
 それがハーベイの役目なのだろう。
「あの………ハーベイです、サーラさん」
 ドアを軽くコンコンと叩きながらハーベイは言った。
「………」
 思いの外にドアはすんなりと開いた。
 顔を出したサーラ。その顔にははっきりと憔悴の色が見えた。
「俺は………隊長の最期の言葉を聞きました。そして隊長はサーラさんに伝えてくれとも言ってました」
「そう………」
 心ここにあらず、か………仕方ないことなのだろう。
「では、伝えます。『True was lie』です」
 その一言を聞いた瞬間、サーラの表情が一変した。
 彼女の顔に精気が戻ったのだ。
「………本当に、本当にあの人はそう言ったのね?」
「は、はい………途切れ途切れでしたけど、確かにそう言いました………」
「そう………そうなのね」
 サーラは繰りかえし呟きながら、涙を浮かべた。
「………ありがとう、ハーベイ。あの人のその言葉のおかげで私は、生きる目標を見つけれたわ………本当に、ありがとう」
 ハーベイにはその言葉の意味がわからなかった。
 だがそれでサーラに元気が戻ったのならばいい。そう思うことにした。
 サーラの部屋から離れながら、ハーベイは独りポツリと呟いた。
「………True was lie」
 一体、この言葉の真意は何なのだろうか。
 ハーベイの疑問はそう遠くないうちに解き明かされることとなる。
 ハーベイはその時が来ることを待つだけであった。
 だがサーラ・シーブルーの戦いは、今日、始まったのだった………


第六章「Straw for being burned」

第八章「Wolf of steel」

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