軍神の御剣
第二章「Why do you fight?」


 東欧の小国 リベル。
 リベル南西の ルエヴィト。
 人口わずか一三万。ある程度の人口が集まる国であれば、明らかに小さな街である。
 だがこのリベルにおいてはルエヴィト程度の規模でも国内最大級の大都市であった。
 そして今、リベルに住む民衆にとって、このルエヴィトの街こそ最後の希望。
 リベル人民共和国を支配する圧政者 アルバート・クリフォードに叛旗を翻す『リベル解放戦線』の本拠地であるのだから………


 一九八三年一月二三日。
 ルエヴィトの中心部にあるホテル。
 そのホテルの二一四号室。
 この部屋からはカタカタカタとタイプ音がしょっちゅう鳴り響くことで有名な部屋でもあった。
「……………」
 浅黒い肌を持つ四〇代半ばの男はタイプライターを打つ手をそこで止めた。
 浅黒く、彫りの深い顔立ち。彼の顔を見れば、一目である土地を思い浮かべることができよう。
 そう。アラビア半島。
 そしてその推測は正しい。
 彼の原産地は中東の某王国であった。
「えぇい、ヤメだ、ヤメ!」
 男はそう宣言するとタイプライターが打ち込んだ紙をビリビリに破く。
「………えぇい、インスピレーションが湧かん!」
 男はボリボリと頭を掻き毟りながら、部屋の隅においてあるコーヒーメーカーを取り、カップにその中身を注ごうとする。
 だが出ない。
 コーヒーは切れてしまったようだった。
 男はふぅ、と諦めの溜息をついた。
「司令」
 ドアをノックする音。そして聞き覚えのある声。
「おう、どうした? 入っていいぞ」
 その声が終わると同時に開く扉。
 そして妙齢の女性が一人、男の部屋に入ってきた。
 化粧は薄くしかしていないが彼女の美貌が輝いている。それこそダイヤモンドより美しい輝きである。そして知性を感じさせる瞳。艶やかな黒髪。どこから見ても美女であった。
 彼女の名はサーラ・シーブルー。俺の副官である。
 そして部屋に男女が二人。そうなればやることは一つ。そう、ヤるんです。
 ………だといいんだがねぇ。男は内心で溜息ついた。
「………司令?」
 女は怪訝そうな表情で男を見た。
「いや、何でもない。で、サーラ君。どうかしたのかね?」
「はい。彼らが帰還してきました」
 サーラが男に告げた。
「そうか。君の表情を見る限り、未帰還機はいないようだな?」
「はい。ソード・オブ・マルス。全機帰還しましたわ」
 サーラはそう言って微笑む。実に嬉しそうな表情であった。
 ………そりゃそうだよなぁ。嬉しそうな表情もするわなぁ。何せ恋人が無事に帰ってきたんだから。
 男――派遣部隊総司令 カシーム・アシャ――はそう内心で呟くと二一四号室を出た。
 帰ってきた可愛い部下たちを出迎えるためである。


「ぃよう、エリック」
 ルエヴィトに帰り着いたソード・オブ・マルスの面々を、酒瓶を片手に持ち、少し酩酊した様子の無精髭の親父が出迎えた。
 彼の名前はチャールズ・ボブスレー。彼もまたソード・オブ・マルスのメンバーの一人である。先の北リベル飛行場襲撃作戦には未参加であったが、腕利きのPA乗りであり、また飲兵衛としても知られている。
「や、父っつぁん。出迎えご苦労さん」
 エリック・プレザンスがボブスレーの顔を見るなり駆け寄り、ボブスレーの酒瓶を奪おうとする。だがボブスレーは流れるような動作でエリックをはぐらかし、酒瓶を死守した。
「バーロー。俺様の酒を飲もうなんざ、百年早いんだよ、ひゃ・く・ね・ん」
「イチチ………相変わらずだぜ、父っつぁんは………」
「でぇ、どうよ? 新入りは?」
 ボブスレーは酒で赤くなっている顔で尋ねた。
「一機撃墜。んで無事に帰ってきたぜ。おまけに俺たちはフォローらしいフォローはしていない」
「ほう? そいつはスゲェな。オメェの時はよぉ。ピーピー泣いて俺たちを困らせたってのになぁ、エリック?」
「父っつぁん、昔の話は勘弁してくれよ………」
 エリックは弱った表情で頭を掻いた。
「ん? どうしたんだ、エリック。困ったような表情をしているが?」
 少し遅れてPAから降りたのはソード・オブ・マルス隊長であるエルウィン・クリューガー。クリューガーはエリックとボブスレーを見ると不思議そうに尋ねた。
「いやな、クリューガー。エリックの奴の初陣の話をしたんさ」
 ボブスレーの年齢は四〇後半。その軍歴はクリューガーよりも長い。本来ならば彼がソード・オブ・マルスの隊長を勤めるべきなのだが「隊長になると色々面倒だ。俺は下っ端でいい」と言い張って隊長になることを断固として反対し、クリューガーに譲っているのだ。
 だからといって部隊に変な波風を立てたりはしない。それはボブスレーの人格であろう。彼は常に酒を飲み、何事かをグダグダとくだをまいてはいるものの、人格そのものは善良で、誰にでも好かれる人物である。
「ふっ。懐かしい話だな」
「あ、隊長! 今、俺のことバカにしただろう!?」
「ふふふ。そんなことはないさ」
 そう言うもののクリューガーの眼と口元は笑っていた。
「おっ。主役の登場だぜ」
 ボブスレーはそう言うとPA−3 ガンスリンガーのコクピットから降りてきたハーベイ・ランカスターの首元に腕を回した。
「ぃよう、ハーベイ。聞いたぜェ〜」
「な、何を………」
「決まってるだろうが。お前の初陣の戦果だよ。一機撃墜したって? そりゃスゲェことだぜ」
「あのねぇ、父っつぁん。俺は元々はロイヤルアーミーでPAに乗ってたんだぜ? 一通りのことはできるんだぜ?」
 本当は敵にロックオンされた瞬間に固まり、何もできなかった。しかし自身の名誉のために虚勢を張るのは悪いことではあるまい。
「おーおー。そりゃスゲェな、お?」
「………疑ってるだろ、父っつぁん」
「そりゃ俺はオメェの戦いを見てねーからなぁ。信じられないのも無理はねぇ。なぁ、クリューガー?」
「ん? まぁ、父っつぁんは見てないからわかんないだろうが、ハーベイの腕はなかなかだったさ。立派にやっていけると言えるさ」
「ふぅん………クリューガーがそう言って太鼓判を押すなら本物だな」
「お? アンタたち、帰って来てたのかい?」
 ハーベイたちの後方から声。
 全員が声の方に振り向くとそこには二〇代中盤の若い女性。
 髪は「適当に切りました」というのが丸出しのボサボサで、髪質も荒れ放題。やや吊り目であるが、しかし顔立ちは綺麗に整っており、美人である。だが何より男の目を引くのは彼女の胸であった。大きく張り出し、そそるものはある………とはエリックの評価である。
 彼女の名前はマーシャ・マクドガル。やはりソード・オブ・マルスの一員で、ボブスレーと同じように先の戦いでは待機を命じられていた組であった。
「ぃよう、姐さん。俺の帰りを待ってくれてたのかな?」
 エリックはマーシャにそう言うとウィンク。
「バ〜カ。アタシが見に来たのはハーベイ君だよ、ハーベイ君」
 しかし彼女の返事はつれないものであった。
「ハーベイ、どうだったんだい、初陣は?」
「ああ、おかげさまで無事に………」
「そうじゃなくて。何機墜としたんだい?」
「一機だ」
 クリューガーが横から言う。
 マーシャはそれを聞くとピュ〜と口笛を吹いた。
「アンタやるじゃないの。凄いわね」
「まぁ、運がよかったのさ」
「アハハ。謙虚ね、ハーベイ君は。あそこのボンクラだったら有頂天で自慢してるだろうね」
 と言いながらマーシャはエリックを指差す。
「な、失礼なこというな、マーシャ!」
「………確かにエリックが初撃墜をした時は一週間ほどその話を聞かされたな」
 冷静に呟くクリューガー。
「あ、た、隊長。一週間は酷いですよ。俺はせいぜい五日ほどです。自慢したのは!」
「同じようなもんじゃないか」
 呆れ気味に言うマーシャ。
「早速にぎわっているな」
 そこにアシャとサーラがやってきた。
「あ、司令………」
 アシャの姿を見るなり姿勢を正す一同。
 そして代表としてクリューガーが言った。
「PA部隊『ソード・オブ・マルス』。全機帰還いたしました!」
「うむ。ご苦労だったな。諸君らの活躍で、政府軍優勢であった制空権もこちらの方に傾くだろう。クライアントも大喜びだ」
 アシャはそう言うと締めていた表情を緩め、続けた。
「だが何より喜ぶべきは全員が生きて帰れたことだな。俺たち傭兵にとって死ぬのは終わりと同意義だ。これが解放軍の正規兵ならば『祖国に殉じた』と自己陶酔に浸れるのだろうが………」
 そう。アシャもサーラもクリューガーたちソード・オブ・マルスの面々も。みんな正規の兵士ではない。
 彼らは金で雇われ、銃を取る傭兵であるのだ。
 一九五〇年代。
 伝説的傭兵戦闘機乗りであるハンス・ヨアヒム・マルセイユによって結成された傭兵派遣会社『アフリカの星』がリビア国にて結成されてから三〇年。
 『アフリカの星』は世界中の紛争に兵を借していた。
 中東、ベトナム、満州、アフガニスタン………様々な地で『アフリカの星』は戦っていた。
 そしてこのリベルの地にも彼らは派遣されていた。
 人々は彼らを『死の商人』や『人の死を喰らうハイエナ』と呼び、蔑んだ。
 だが『アフリカの星』が派遣している軍隊は、常に『大国のエゴに食い物にされた弱者』であることは、少し調べればわかることである。
 故に『アフリカの星』は時にこう呼ばれる。
「神が我ら弱者に借し与えたもうた闇を払う希望の光」と。
 そして今、『アフリカの星』の部隊がこのリベルの地に派遣されている。
 そしてリベルは今、闇に覆われていた。



『すべてのリベル国民よ。今こそ我々は圧政者 アルバート・クリフォードの独裁を倒さねばならぬのであり………』
 ルエヴィト市内中枢部に設けられた軍事施設。
 そこがソード・オブ・マルスを始めとするPA部隊の本拠地とされていた。
 その待機所に置かれたラジオ。日本製の旧式ラジオであった。
 旧式ラジオのスピーカは音割れが激しい。ただでさえ聞きにくい老人の声が、ますます聞きにくくなっていた。
「おい、こんなジジイの話なんか聞きたくねェんだ。チャンネル変えろよ。今日はリベル・ローズの放送は無いのか?」
「エリック。リベル・ローズは政府軍の放送だ。解放軍に雇われてる俺たちが聞いてたらクライアントに怒られちまうべ」
 チビリチビリと晩酌を楽しんでいるボブスレーがエリックを諭すように言った。
「父っつぁんは酒さえあれば後は何でもいいんだもんなぁ。俺はリベル・ローズのジャスティンちゃんの声を聞かねーと戦う気になれなくてなぁ」
「あの………リベル・ローズって?」
 ハーベイが尋ねた。彼はまだリベルに来て日が浅く、リベル・ローズという名を聞いたことは無かった。
「ああ、政府軍が流しているお抱え放送のことさ。ジャスティンちゃんっていう美人がDJやっててな。聞きごたえがあるんだぜ?」
「ハーベイ君。美人ってのはそこのアホの勝手な主観だから鵜呑みにしちゃダメよ?」
 待機所で黙々と腹筋で汗を流していたマーシャがサラリと言った。
「ヘッ。少なくともお前みたいな筋肉女よりは魅力的だぜ」
「何だって?」
 起き上がり、腕をまくるマーシャ。
「………ハーベイ。何でリベル・ローズって言われてるかわかるか?」
 今まで静かに本を読んでいたクリューガーがさりげなく話を変え、エリックとマーシャの衝突をさける。これでなかなか苦労人である。
「日米戦争中のトウキョウ・ローズが語源………ですよね?」
「そう。正解だ」
「ありゃ? そうなの?」
「お〜お〜。エリックは物知らずだな。ガハハハハ」
「そりゃ父っつぁんはそのトウキョウ・ローズとかいうのを聞いたことあるから知ってるんだろ?」
「バカ野郎! 俺はそこまで年食っちゃいねぇよ!!」
 拳骨をふりあげ、殴りかかるポーズだけとるボブスレー。
「ふっ。さて、ハーベイ。お前はまだこの地に来て日が浅い。だから確認の意味を込めて訊こうか」
 クリューガーが本にしおりを挟み、パタンと閉じる。今まで開かれていたので本のタイトルが見えなかったが、彼の読んでいた本は『リチャード三世』。希代の戯曲家であるシェイクスピアの傑作の一つであった。
「この地に紛争という名の火がついたのは何故だ?」
「それは………」
 ハーベイは己の脳内の引き出しから必要な情報を引き出す。
「一九七八年に、リベル共和国で起こった極左派のクーデターが原因ですね」
「うむ。その通りだ。ではクーデターの首謀者は?」
「アルバート・クリフォード。リベル共和国の共産党の書記長だった男です、確か」
「ほぅ、なかなか詳しいじゃねぇか。ハーベイの見識に乾杯だ」
 そう言って杯を進めるボブスレー。
「で、就任当初のクリフォードはリベルを共産主義を主軸とした、『万民が幸せな国にする』と約束したんですよね」
「………ちょっとエリック。アンタ、知ってた?」
「………いんや」
「二人とも。これはこの地に派遣される前にレクチャーされたはずだぞ?」
 クリューガーが呆れ気味に言った。
「では質問をエリックに変えようか」
「ゲッ。俺ッスか!?」
「アハハ。頑張りな」
「ではそんな高尚な御題目を唱えたクリフォード政権を打倒する勢力が現れたんだ?」
「えぇと………確か………クリフォードの野郎が反対する者を軒並み粛清し始めたんだよな、確か。なぁ、ハーベイ?」
「え? はい、そうですよ」
「そうだ。クリフォードの本質は『リトル・スターリン』と呼ばれるほどの独裁者であった。では彼は何人を粛清したんだ、エリック?」
「えぇ? そんな細かい数字までは………数千って所ですか?」
「バァカ。数万だよ」
 エリックの言葉を訂正するマーシャ。しかしボブスレーはマーシャの答えも訂正した。
「いんや。一〇万単位だ。国民総勢で数十万しかいない国でだぞ」
「そ、そんなに………」
「酷い奴らだ………」
 エリックとマーシャは嫌悪感をむき出しにする。
「だからこそトゥルマンを中心とするリベル解放軍ができたわけだ。そして俺たちはこの解放軍に協力して戦っているってわけだ」
「「なるほどねぇ………」」
「お前ら………少しはこの国の情勢って奴を知っておけ」
 そう言い終えるとクリューガーは立ち上がった。
「私はもう寝る。明日も出撃となるだろう。だから休んでおくんだな。………それから父っつぁん。酒はほどほどにしろよ」
「ヘッ。安心しろって、クリューガー。俺は酒を飲んでも酔わねぇからさ」
「………そうだったな。では諸君、お休み」
 ………………
「隊長、きっとサーラさんの所に行ったんだな」
「別に構いやしねえだろう。あいつらは恋人同士なんだからよぉ」
 エリックの言葉に対しボブスレーは言った。
「そして今頃ベッドで熱い抱擁………あ〜、羨ましいぜ、ッタク!」
「………アンタ本当に年中欲求不満だねぇ」
 マーシャが呆れながら言った。
「んじゃ、お前が俺の相手してくれるのか?」
「冗談。アンタだけはゴメンだね………」
 そういうとマーシャはハーベイの首に腕を巻き、ハーベイの顔を自分の胸元に引き寄せた。
「どうだい、ハーベイ。アンタならOKだよ?」
「え、えぇ!?」
「ハーベイは嫌だってよ、お前みたいな筋肉女」
「い、いや、あの………」
「アハハハハ。まぁ、その気になったらいつでも言いな。アタシはOKだからさ」
「………あんまり若いのをからかうなよ、マーシャ」
 そして笑いに包まれる待機所内。
 月が夜空高く昇り、そして再び沈み、代わりに陽が昇る時。
 その時はソード・オブ・マルスが再び出撃する時であった。
 軍神の御剣たちはわずかな休息を、全力で楽しんでいた。
 それが明日をも知れぬ者たちの知恵である。


第一章「Sword of Mars」

第三章「Mr.camouflage」


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