夜空に赤々と輝く星。火星。
太陽系第四惑星であるこの天体は、夜空に赤く輝くことから軍神の象徴として人々に伝えられていた。
ではここで諸君らに問おう。
この地球上で、もっとも火星が美しく、そして不気味に見える場所はどこであろうか?
軍神マルスに魅入られた戦場は何処であろうか?
一九八三年一月二〇日。
東欧にある小さな、小さな国。リベル人民共和国。
「今宵の火星は綺麗だな………」
リベル人民共和国空軍最大の基地施設がある北リベル飛行場。滑走路にはスクランブル態勢を整え、出撃の時を待ち続けるMig21 フィッシュベッドが並んでいた。
リベル空軍少尉であるクラウスは夜空に浮かぶ火星を見、感想を口にしながらタバコに火をつけた。
紫煙が肺に満ちていく感覚。重喫煙者にしかわからないこの快楽。
「………………」
紫煙をくゆらせながらクラウス少尉は滑走路脇に控えている『それ』に目をやった。
何度見ても荘厳なシルエットだな。
全長七メートル強の巨人が月光に照らされてそびえ立っている。
鋼鉄の巨人 パンツァー・アーミー(PA)。
一九六三年に大日本帝国に帰化した鬼才 保髏死畫壊 腐壊髏濔難屠によって生み出された陸戦兵器の完成形である。
現在、北リベル飛行場にはソ連製PA P−71が四機配備されている。
P−71は実にソ連的な、大量生産を前提にして設計された機体であり、性能は凡庸である。しかし凡庸であるが故にまったくの素人でも一週間ほど訓練すれば扱えるようになるのが強みだ。リベルのような小国には実に向いている。
今日は反政府軍の奴ら、でてこないのかな?
クラウスはそう内心で呟くと、ほとんど吸い終えたタバコを地面に投げ捨てる。そして軍靴で吸殻を踏み、火を消す。
そしてもう一本吸おうとポケットからタバコの箱を出そうとした時、破局が訪れた。
轟音。
爆発。
爆発の衝撃にクラウスは吹き飛ばされる。
「な、何だ? 何が起きたんだ!?」
吹き飛んだ衝撃で左腕を折ったらしい。鈍い痛みが左腕から波及してきている。
そして左腕をかばいながら立ち上がったクラウスの眼に映ったのは…………派手に爆発炎上しているMig21の群れであった。
「な………」
あまりの情景に呆然と絶句するクラウス。
しかし四機のP−71には呆然としている暇など無かった。
四機のP−71はある一定の方向に向けて、ソ連製対PA用の武器としてはもっともポピュラーな五七ミリマシンガン S−60Pを放った。この五七ミリマシンガンは、ソ連が開発した牽引式の五七ミリ対空機関砲 S−60をPA用に手直ししたものである。
しかし別方向からの一撃を受けて飛行場の西側に待機していたP−71が崩れ落ちる。遠距離からの、一〇〇ミリクラス以上の大口径砲での狙撃である。
「ああ………」
一撃で大破擱座したP−71に絶望の息を漏らすクラウス。
今、北リベル飛行場は絶望の中にあった………
「さ〜すが俺様。芸術的だね」
絶望の最中にある北リベル飛行場とは対照的に、心底嬉しそうな顔をしているのはエリック・プレザンス。国籍はアメリカ人である。
彼の顔立ちはよく整っており、見た感じではかなりの二枚目である。しかし根が軽く、口を開くと戯れたことしか言わないために、どちらかというと二枚目というより三枚目という印象を受ける。
彼の愛機であるドイツ製PA パンツァー・カイラーは片膝をつき、まるで人間用の装備でいう所のスナイパーライフルのようなライフルを両手で構えていた。
これはPAを人間として例えるなら本当にスナイパーライフルだといえる。ただしその標的はPAのみではない。戦車ですら撃破できる威力を秘めている。
その口径は一二〇ミリ。要するに戦車砲をPA用に転用したものだ。
エリックはこのドイツはラインメタル社製の一二〇ミリライフルで遠距離狙撃を試み、そしてP−71を一機撃破したのであった。
『エリック。PAは俺たちに任せろ。お前は飛行場の地下燃料タンクを破壊しろ。一二〇ミリならできるだろう?』
無線から男の声が聞こえる。
「りょ〜かい、了解。んじゃ、そういうことで」
極めて明るい、能天気な声でエリックは応じた。
「さぁて、ハッデにいきましょ〜かぁ?」
遠距離狙撃用の特殊スコープを覗きながら、エリックは独り呟いた。
「クソッ!? 何だというのだ、一体!!」
北リベル飛行場のシューヤー司令は額に冷や汗を滲ませながら怒鳴っていた。
突然の夜襲。
これによってスクランブル態勢だったMig21は全滅。さらに飛行場防衛のために配属されているPA小隊は敵の位置も掴めないまま右往左往するばかり。
司令の立場にある者としては激情に駆られても仕方ないであろう。
「すぐに増援を要請しろ! 攻撃の規模から言って敵はたかだか一個小隊程度ではないか!! 何をうろたえることがあるか!!!」
シューヤーは矢継ぎ早に命令を下していく。
北リベル飛行場にとって今宵の夜は長引きそうであった。
北ラルバニア飛行場護衛任務を受けているP−71小隊のクリスチアン少尉の脳内は飽和寸前であった。
レーダーに敵の反応はない。
当たり前だ。敵は飛行場のすぐ近くの森に身を隠しているのだから。森の木々が邪魔でレーダーなど役に立ちはしない。
クリスチアンはP−71を飛行場の管制塔で隠しながら敵の狙撃から逃れていた。しかし護衛の対象を遮蔽物にするということは、己の無能をひけらかしている証であった。もっとも対応策はそれ以外には無いが。
「敵はスナイパーライフルを持っている………守りに入ってはダメか」
クリスチアンはそう呟くと無線に向って怒鳴った。
「全機、前方の森に突撃する!」
『し、しかし………敵には一二〇ミリクラスのスナイパーライフルが!!』
部下がクリスチアンに翻意を求める。
「バカモノ! 我々の任務は何だと思っているか!!」
しかしクリスチアン小隊は突撃をする必要はなかった。何故なら敵の方から向ってきてくれていたからだ。
『ようし、行くぞ、ハーベイ!!』
無線の向こうから隊長の声が聞こえる。
米国製PA PA−3 ガンスリンガーを駆るハーベイ・ランカスターはこの戦いが初陣であった。
彼は二三歳になったばかりの若い青年である。くすみがちの茶髪を整髪料で後ろに撫でつけている。顔立ちはなかなかにハンサムで、女性に交際を申し込めば、七割方は成功する。そんな男で………えぇい。俺のことなんかどうでもいい。ナレーターめ。もっと他に言うべきことがあるだろうが。何? 俺の描写の方が先だと? えぇい、カメラを俺のモノローグに変えろ!!
………よし、これでいい。オホン。
………しかしこの作戦は無茶苦茶だ。本当に無茶苦茶な作戦だ。これを俺は言いたいわけだ。
俺は慣れぬ戦場の空気に飽和寸前の脳でそう思った。そういうどうでもいいことを考えでもしないと俺の脳は焼き切れそうだった。このどうでもいい思考は、俺の意識と言う名のダムの決壊を防ぐために絶対必要な行為であった。これが無ければ発狂しちまう!
敵勢力圏の奥深くにある北ラルバニア飛行場に対する夜襲。
どうみても無謀だ。
しかし現にこの作戦は成功しつつある。
一体、あの人は何なんだ? あまりにも漠然とした疑問を心の中で呟くハーベイ。
ハーベイはガンスリンガーのモニターに映るもう一機のガンスリンガーに目をやる。
『どうした、ハーベイ? 何か質問か?』
もう一機のガンスリンガーからの通信。この通信にハーベイは表情を驚きにゆがめた。
クソッ。隊長はこちらの行動のすべてを把握しているのか? 冗談じゃないぞ。
「いえ。何でもありません!」
心中を悟られまいと極めて平静な声で応じるハーベイ。
『まぁ、お前はこれが初陣だからな。浮つくのも仕方あるまい。私もそうだった。しかし………』
隊長のガンスリンガーの背部から蒼い炎があがる。ハーベイも慌ててそれに倣う。
『それもいつかは克服しなければならんぞ』
そう言うと隊長のガンスリンガーは爆発的加速で森を飛び出した。
PAは人間のように二本の足を動かし、歩いたり、走ったりするのが普通だ。しかし今のような戦闘時には背部に備えられたブースターによる高機動戦闘が可能なのだ。
まるで氷上を滑るスケーターのように滑らかな動きで森を抜け、飛行場に迫る二機のガンスリンガー。その速度は時速三〇〇キロにまで達していた。
………ふむ。新米にしてはよくついて来ているな。見込みはありそうだな。
背部ブースターの推力でガンスリンガーを走らせる際に生じるGによって、その身体をシートに押し付けられる。それに快感すら味わいながら隊長こと、エルウィン・クリューガーはハーベイをそう評した。
彼、エルウィン・クリューガーは年の頃は三〇歳前半。その風貌に特殊な点は見受けれない。髪は金髪であるが、どこか地味さを感じさせるし、顔立ちもそんなに整ってはいない。どこにでもいる『ハンサムのなりそこない』であった。
しかし彼はどこにでもいる大衆では決して出せないものをもっている。
それは気迫。
彼の全身からは戦士としての闘気が滲む。
彼は一八歳の時に戦場に出て、それから一〇年以上を戦場で過ごしていた。彼の闘気は戦場で培養されたものであった。
「さて………クライアントの依頼だ。悪く思わないで欲しい」
クリューガーは誰に言うでも無く呟くとトリガーを引いた。
ブースターを使用しての高速移動を行っている彼のガンスリンガーが、大事そうに抱えていたマシンガンを構えなおし、毎分一五〇発の速さで弾丸を放つ。
弾丸の口径は四〇ミリで、ソ連のS−60Pが五七ミリであることを考えると、ややパンチ力不足かもしれないが、PAの装甲はさほど厚くはなく、それで充分であった。
さて、口径四〇ミリで毎分一五〇発発射。これだけを聞いて、このマシンガンがボフォース社の傑作対空機関砲であると気付いた貴方はその知識を誇ってもいいだろう。褒めてくれるかどうかは別としても。
元々は一九四〇年代の、艦隊防空用として設計され、様々な国に販売されたボフォース四〇ミリ機関砲は、PAの時代を迎えたことで、任務をやや変更することとなっていた。
つまり対空機関砲として、攻撃機を迎え撃つはずであった同機関砲は、PAを狙うようになったのだ。
PA用に手直しされた四〇ミリ機関砲は、APAG(アンチ・パンツァー・アーミー・ガン)と名を変え、アメリカ、日本、西欧を始めとする西側諸国でもっともポピュラーなPA用装備とされていた。
さて、APAGの時代背景はこれくらいにして、話を戻そう。
クリューガーのガンスリンガーの放った、APAGの四〇ミリ弾は、P−71を乱打する。
P−71は着弾の衝撃に、四肢を震わす。
P−71の装甲は四〇ミリ弾の突破を防ぐことはできず、P−71の体内に四〇ミリ弾は飛び込み、体内のフレームをズタズタにする。これは人間でいうならば、アサルトライフルの弾に骨を砕かれるようなもの。無論、そうなれば鋼鉄の巨人であるPAといえども………
P−71はガクリと姿勢を崩し、地に倒れた。どうやら燃料タンクに引火はしなかったようだ。もっともコクピット部分も四〇ミリに穿ち抜かれていたから、パイロットは燃料が爆発しなくても戦死していたであろうが。
「次!」
クリューガーは士気も高く、次の目標に照準を定める。
「クソッ! 何だというんだ、一体!」
クリスチアンはP−71のコクピットで罵声をあげる。
敵PAはアメリカ製のPA−3 ガンスリンガーである。その高性能さは東側においても一種伝説的に伝わっているし、クリスチアン自身も今までの戦闘で何度か手合わせしたことはある。
だが今、彼の小隊を襲うガンスリンガーの性能は圧倒的であった。
奴はPAの性能を、限界ギリギリまで引き出している!
クリスチアンは戦慄した。
元々、P−71は数で押して初めて勝利を得る機体である。だが今、北リベル飛行場に配備されているのはクリスチアン小隊のみ。つまりは四機だけ。しかもすでに二機撃墜されている。
「ち、畜生!!」
クリスチアンの頭に血が上り、彼はS−60Pをもう一機のPAに向けて放つ。
もう一機を狙った理由は一つ。少なくともこちらの腕前は標準程度だったからだ。
「え!? ロック………」
敵のFCSにロックオンされたことに対する警告音がハーベイのガンスリンガーのコクピット内に響く。
しかしハーベイはその警告音に完全に浮ついていた。その警告音によって為すべきことを忘れてしまったと言っていいだろう。
もしもハーベイの乗機が並みの機体であるならば、ハーベイは初陣にして戦死していたであろう。
だが神は、否、ガンスリンガーはハーベイを見捨てはしなかった。
「え………!?」
ハーベイは不意の横からのGに驚きの声をあげようとする。しかしそれはするべきではなかった。
クリスチアンのロックオンに対し、何も行動を起こさないハーベイを救うためにガンスリンガーの緊急回避プログラム『ウラヌス』が作動。ハーベイのガンスリンガーは背部のブースターでのダッシュを続けながら、横に飛んだ。
ハーベイは不意のGによって舌を噛んでいた。口の中に鉄分の味が広がる。しょっぱい。
「クソッ!」
だが舌を噛んだ痛みで我を取り戻したハーベイは、自前での回避運動を続ける。
敵P−71の弾幕はハーベイを捉えることができないでいた。
「当たれ! 当たれィ!!」
クリスチアンの叫びも空しくS−60Pの弾幕は宙を切るのみ。
クソッ! これが噂に聞く緊急回避プログラム『ウラヌス』の威力か!!
クリスチアンの内心は叫びたい気分で一杯であった。
こんなプログラム、反則だぞ!と。
だがハーベイが『ウラヌス』に頼ったのは初弾の回避のみ。その後は自力で回避してみせていた。
「ッ!!」
ハーベイは声にならない声をあげながら、操縦桿を動かし、フットバーを蹴る。
ハーベイのガンスリンガーはハーベイの操縦に見事に答えた。
ガンスリンガーは前のめりに飛び込む。野球のヘッドスライディングのように、である。そして地に左腕を突き、前転。回りながら、右腕に握り締めるAPAGを放ちながら。
専門的に見れば、その動きは実に滑らかであり、ガンスリンガーの姿勢制御プログラムの優秀性を物語っているのだが、素人目にも機械仕掛けの巨人が人間のような動きをしていることに驚きを隠すことはできまい。
「うおっ!?」
着弾の衝撃にP−71は揺れる。
さらに強い衝撃。
クリスチアンは咄嗟に被害状況をモニターに映す。
彼のP−71の右腕は完全にもげていた。無かったのだ。
「ヒィッ!?」
クリスチアンは思わず自分の右腕をさわる。左手の指先が伝える右腕の存在の感触に安堵の息すら漏らす。
「………ってヤバい!!」
自分がそんなことをしている場合ではないと悟ったクリスチアンはコクピットのハッチを開け、脱出する。
クリスチアンの脱出するのを待っていたかのように、クリスチアンが彼のP−71からある程度離れてから、彼のP−71は燃料タンクに引火させ、爆炎の中に消えていった。
ハーベイはモニターを拡大させた。
自分を狙っていたPAのパイロットが、脱兎の如く逃げようとしているのが映る。
「………!!」
ハーベイは思わずAPAGの銃口を彼に向ける。
そしてトリガーを引………
『ハーベイ! 脱出するぞ! エリックが地下燃料タンクを攻撃する。捲き込まれたくはあるまい!!』
最後の一機も鮮やかに撃墜したクリューガーの指令が飛ぶ。
「………は、はい!!」
クリューガーの声でようやく我に返ったハーベイ。そして己のやろうとしたことに嫌悪する。
彼は立派に戦ったのだ。殺すことは………無いよな。
ハーベイの考えは兵士としては甘いといえた。
生き残ったクリスチアンが、こちらに再び銃口を向けることもあるのだから。
しかしハーベイは兵士ではなかった。だから彼の考えは是である。
何故ならば彼らは………
「クソッ! 遅かったようです、隊長!!」
一三分後。
北リベル飛行場の危機を聞きつけて、おっとり刀で駆けつけた増援部隊。その部隊もまたP−71で構成されていたが、全機が右肩に獅子の紋章をつけていた。
その部隊の一人であるレアード・ウォリス少尉は悔しそうに言った。
彼、レアードは若かった。年齢は一九歳。まだ少年といってもいいほどの幼さを残す顔をしていた。
北リベル飛行場は地下燃料タンクをやられ、全域が炎に包まれていた。あちこちで炎が煌く。その様は美しさすら感じさせる。
「隊長、今からでも遅くありません。追撃しましょう!」
『いや、レアード。我らはここで生存者の救助にあたる。追撃を行った所で、得られるのは自分勝手な自己満足だけだ。一人でも多く生存者を助ける。それが我らの任務である』
「あ………」
レアードは自分が血気に逸りすぎたことを恥じ入った。
「了解。生存者の救助にあたります!」
救助開始から二時間後。
右肩に獅子の紋章をつけた部隊の隊長であるレオンハルト・ウィンストン大尉は、愛機であるP−71から一旦降り、未だに炎が完全に消えやらぬ北リベル飛行場を見つめていた。
炎に彼の金髪は照り返され、一種の『美』を作り上げていた。
レアードほどではないものの、レオンハルトも若かった。年齢的にはハーベイと同じくらいであった。
「隊長。負傷者はヘリに乗せ、病院へ送りました」
「………レアード」
「はっ?」
「この作戦の手際から見て、これをやったのは誰だと思う?」
レオンハルトの問いかけに対し、レアードは表情を引き締め、答えた。
「恐らく………『ソード・オブ・マルス』………」
「そう、我らの好敵手………傭兵派遣会社である『アフリカの星』より送り込まれたPA戦のエキスパートの集まり」
レオンハルトは拳を固く握り締め、炎に燃える北リベル飛行場の景色をその目に焼き付けながら言った。
「今回はしてやられたが、次は………次は奴らを倒す。いや、彼らだけではない。このリベルを食い物にするハイエナどもを………駆逐する!」