………むかぁし、昔、世界には国が一つしか存在しなかった。
 そのたった一つの国は『世界帝国』、または『千年帝国』として歴史書に記されている存在であった。大陸暦という暦も、この『世界帝国』の建国と共に制定された暦であったという。
 しかし現在、『世界帝国』は歴史書の中にしか存在しない国となっていた。
 なぜなら『世界帝国』から多くの国が分離、独立していったからである。大陸暦一二〇〇年頃に最初の独立国である『王国』が大陸西部の海峡の向こうのダイエー諸島に誕生し、大陸暦一四〇〇年頃には大陸西部の小領主たちが次々と独立し、『諸国連合』となった。
 時は『世界帝国』を否定するかのように流れていき、それでも『世界帝国』は残った領土を手放すまいと領内の監視を強めていった。
 だが、その強められた監視は大陸東部の貴族たちの反感を買い、ついに大陸東部でも独立の気運が高まっていった。
 そんな中、大陸東部の独立の旗手となった男がいた。
 イリーダル・ワシレフ。『共和国』の前身である『公国』の独立運動の中心人物であった彼は『世界帝国』に対する独立戦争をしかける前、ためらう貴族たちに向かって夜空を指し示しながら言ったという。
「空を見よ。この空に輝く月と星、その下に集う我らこそが東部の住民、すなわち東部の支配者なのだ。はるか西方でまだ昼間を生きる『世界帝国』に東部を支配する権利はない!」
 この言葉に込められた熱は大陸東部に広まっていき、『世界帝国』は東部独立戦争に敗北、大陸東部は『公国』として独立したのだった。
 この時のワシレフの言葉である「月と星の下に集いし我ら」は『公国』とその後の民主化によって成立した『共和国』でも重要なフレーズとなり、『共和国』の国旗や国歌だけでなく軍の識別マークなどにも広く採用されたのであった。
 ところで、『世界帝国』からの独立を戦うイリーダル・ワシレフの傍らには一人の女性の姿があったという。彼女はワシレフの妻ではなく、彼の生涯の親友であり、彼と共に多くの戦場で勝利を挙げた戦友であった。
 勝利の魔女、マルファ・シュリギーナ。『公国』独立戦争における英雄の一人である………。

魔女と呼ばないで!?
第六章「彼女たちの戦争」

『共和国』空軍第九一四戦闘機連隊の活躍によって『帝国』空軍の高高度戦略偵察機、アオゲン・ゴッテス参号機は撃墜された。
『帝国』空軍全体でも八機しか生産されていない、宝石のように貴重な戦略偵察機の未帰還は『帝国』軍全体に衝撃を与えたはずだった。
 だが『帝国』陸軍中央軍集団司令官、オラーフ・ヘルマン元帥にとってアオゲン・ゴッテスが撃墜されたという事実は今まで積み重ねてきた準備を覆すほどの衝撃にはならなかった。
 大陸暦一九四〇年一月九日午前六時。中央軍集団はこの時間をもって攻勢作戦「ツァイト」を発動。『共和国』の防衛ラインに向けての砲兵に弾幕射撃を行わせた。間断なく続く砲弾の雨が『共和国』陸軍の前線部隊に降り注ぎ、土くれと鉄と人間だったものを吹き飛ばしていく。
 そして『帝国』空軍もツァイト作戦にあわせて多数の戦爆連合を発進させていた。
 鉛筆のような細い胴体に短い翼を持ったブリッツ・リッター戦闘機四機の護衛の下に『帝国』空軍の急降下爆撃機シュヴァルベ七機が飛ぶ。シュヴァルベは全金属製単葉の空冷エンジン機だが、両翼から太い主脚が固定されたままの旧態依然としたフォルムが特徴だった。主脚を(たとえばブリッツ・リッターや『共和国』のファルコンのように)機体の内部に収納できるようにした方が速度は出せるようになるが、しかし引き込み脚の機構はそれはそれで重量がかさむのも事実だった。急降下爆撃機であるシュヴァルベは速度はさほど優先されておらず、爆弾を多く搭載するためにあえて引き込み脚の採用を行わず、固定脚のデザインを採用していたのだった。
 そんなシュヴァルベの胴体に吊り下げられていたのは二五〇キログラムの爆弾だった。これを『共和国』の陣地に叩き込み、彼らの防衛線に穴を開け、そして最終的に食い破る作戦だった。
 だが彼らの進撃を食い止めるべく、六つの機影が接近してきていた。シュヴァルベと同じく空冷エンジン独特の円筒型の機首から機尾にかけて錐のようにキュッと絞り込まれた胴体。だがシュヴァルベとは異なって主脚は機体の内部に格納され、速やかで軽やかな軌跡で飛行する機影。それは『共和国』の主力戦闘機、ファルコンの機影であった。
 接近するファルコンに対し、四機のブリッツ・リッターがエンジンの爆音を高めて速度を増していく。ブリッツ・リッターのエンジンはカール・ゴットリープ社製KG601で、このエンジンは冷却水を循環させることでエンジン燃焼の熱を冷やしていた。シュヴァルベが(ついでに言えばファルコンも)搭載している空冷エンジンが外気を利用してエンジンを冷やす都合上、直径を大きく取らざるを得ないのに対して液冷エンジンは直径を細く絞ることが可能だった。だからブリッツ・リッターはまるで鉛筆のように機首を尖らせることができた。尖った機首は空気抵抗を少なくし、高速を発揮するのに有利だった。
 一機のブリッツ・リッターが接近するファルコンに機首を向け、正対する形を取った。ブリッツ・リッターは機首に二丁の七.七ミリ機銃が、左右両翼に一門ずつの二〇ミリ機関砲が搭載されている。対するファルコンは機首に八ミリ機銃が二丁だけで、火力の差は歴然であった。故に互いに正対して撃ちあう「ヘッドオン」の形に持ち込むことはブリッツ・リッターにとって勝ちパターンの一つだといえた。
 しかしブリッツ・リッターと正対していたファルコンはヘッドオンでの撃ちあいを嫌い、機首を空に向けて上昇を開始した。ブリッツ・リッターはファルコンを逃がすかと機首を持ち上げて追いかけようとする。だが、距離はファルコンとブリッツ・リッターの距離は縮まらない。むしろファルコンの方がどんどん距離を離していく。
 高速を発揮するのに有利な液冷エンジン機のブリッツ・リッターが空冷エンジン機のファルコンに速力で負けていることをそれは意味していた。
 確かにブリッツ・リッターの最高速度は時速五四〇キロメートルなのに対してファルコンは時速五二〇キロメートルだった。しかしファルコンの重量は約二トンと、ブリッツ・リッターの二.六トンに比べて圧倒的に軽い。エンジンの出力は互いに一〇〇〇馬力であったため、自重が軽い分、ファルコンの方がエンジンパワーに余裕があるのだ。そのエンジンパワーの余裕が上昇力の差として現れ、ブリッツ・リッターはファルコンに追いつけなかったのだ。
 上昇していたファルコンは追いかけてきたブリッツ・リッターが上昇についてこれなくなったのを見てから宙返り、ブリッツ・リッターを逆に追いかける側に回ったのだった。そしてファルコンの機首がキラキラと煌めいた。それは八ミリ機銃の発砲炎であった。発射された八ミリ機銃弾がブリッツ・リッターに何発も突き刺さる。そして被弾したブリッツ・リッターの速度が目に見えて落ち始める。機首に開いた弾痕から霧状のなにかが発せられているのが見えた。どうやら八ミリ機銃弾がKG601エンジンのラジエーターを撃ち抜き、冷却水が霧状にこぼれたようだった。冷却水を失ったKG601エンジンはオーバーヒートを起こし、満足な出力を発揮できなくなり、それが原因でブリッツ・リッターは失速したのだ。
 ファルコンは直線飛行を行うのが精一杯になったブリッツ・リッターに再び追いすがり、そして再びの射撃を浴びせる。今度は八ミリ機銃弾が燃料タンクを撃ちぬいたのだろう、ブリッツ・リッターは胴体部分から炎を噴き出して高度を落としていく。………いや、これは高度を落とすなんていう軌道ではない。これは「撃墜」と呼ぶべきだった。
 墜ちていくブリッツ・リッターを一瞥だけしてファルコンを操縦するユリヤ・クロチキナ少尉はスロットルレバーを押し開いてファルコンを増速、次の獲物を求めてファルコンを飛翔させた。



 大陸暦一九四〇年一月一四日。『帝国』軍の攻勢が開始されて五日目。カピタル第八飛行場を基地とする第九一四戦闘機連隊も四七機のファルコン戦闘機をフル稼働させての出撃を繰り返していた。
 第九一四戦闘機連隊飛行隊長のアレクセイ・ナジェイン少佐は陸軍から寄せられる上空直援の依頼、同じ空軍の爆撃機部隊からの護衛要請等に対して連隊の出撃計画を立案、実施に移していた。
 戦況としては『帝国』軍の攻勢開始前と今とで戦線は二〇キロメートルほど下がっている。『共和国』陸軍は押し込まれているわけだ。しかし悲観するほどではないはずだ。『共和国』陸軍の前衛部隊は大きな損害を出すことなく、戦力の多くを残した状態で後退している。逆に『帝国』軍は前進するために燃料、弾薬、人命を含んだ多くを消費している。もう少しのきっかけがあれば前進する『帝国』軍を孤立させて逆に包囲殲滅することも可能だ………少なくとも、陸軍の参謀はそう説明していたと聞く。
 ナジェインは次の出撃計画を頭に描きながら右手でマグカップを取った。マグカップに注がれていたブラックコーヒーはすでに冷めていたが、構わず中身をぐいと一気にあおった。
 攻勢開始から五日。時折休憩を挟んではいるが、アレクセイ・ナジェインは消耗しつつあった。その原因はもちろん自らが立案した出撃計画、その結果にあった。
 現在、第九一四戦闘機連隊は『帝国』の戦闘機を五機、爆撃機を九機撃墜していたが、その代償として五名が未帰還となっていた。
 最初に未帰還となったのはタチトナ・レヴァショヴァ少尉だった。彼女は『帝国』のシュヴァルベ急降下爆撃機を追うことに夢中になりすぎたあまり、後ろから近づくブリッツ・リッターの存在に気が付かずに撃墜された。
 次いでゾーヤ・クラノヴァ少尉。彼女はハンマー爆撃機の護衛任務で出撃中、『帝国』の対空砲がファルコンに直撃したことで爆散したという。
 アリーナ・カティーナ少尉はブリッツ・リッター三機に囲まれて無数の銃弾を浴びたものの、幸運にも逃げ出すことに成功したがカピタル第八飛行場を目の前にしながらファルコンのエンジンが停止したため墜落、死亡した。彼女の幸運は生き残るにはあとわずかだけ足らなかった。
 マリア・メヒコヴァ少尉は正確には未帰還ではないが、彼女は右脚を撃ちぬかれ、血だまりになったコクピットの中でかろうじて意識をつなぎ、カピタル第八飛行場に着陸してみせた。だが後方の病院に入院することは避けられず、さらに右脚は切断することになったという。残念だが、彼女の戦闘機パイロットとしての経歴はここまでだろう。
 アーラ・シャタリーナ少尉の最後は誰も見ていない。彼我の戦闘機が入り乱れる乱戦の末に彼女がどうなったのか、誰も見ていなかったのだ。だが出撃から二日経っても戻らないため、どこかで最期を迎えていたのだろう………。
 アレクセイ・ナジェインは未帰還になった五名の隊員のことを思い出して天井を仰ぎ見た。木製の梁が滲んで見える。彼女たちに対して、自分はよい飛行隊長であったのだろうか? 他にできることはあったのではないか? そんな後悔がナジェインをさいなむ。
「少佐」
 ナジェインの背中にかけられる言葉。ナジェインは軍服の袖で涙を拭って声の方に振り返る。声の主は第九一四戦闘機連隊連隊長のルキヤン・ポポフ大佐だった。ポポフは窓の向こうを指差して続けた。
「C部隊が戻ったぞ。迎えにいこう」
「わかりました。………みんな、無事でしょうか?」
「報告によると、機影は六らしい。つまり、全機無事のようだな」
 ポポフの言葉にナジェインは安心した表情を見せ、そしてポポフと共に司令室を出る。



 大陸暦一九四〇年一月一四日午後一四時一二分。
 カピタル第八飛行場のパイロットたちの食堂として使われている木製の小屋。昼を過ぎた今、食堂にいるのはまばらな人数だけであった。
「いやー、疲れたぁー」
 出撃を終えたユリヤ・クロチキナ少尉はその小屋のドアを開け放つなりそう言って八人がけのテーブルに突っ伏した。クロチキナが突っ伏したテーブルでパンとスープの昼食を取っていた先客、リリヤ・パブロワ少尉は言葉とは裏腹に元気そうなクロチキナを見て安心した声で応えた。
「おかえりなさい、ユリヤさん。皆さんご無事だったようで、よかったです」
 この日のユリヤ・クロチキナはC部隊の一員として前線の上空直援任務に出撃して『帝国』の戦爆連合一〇機程度(本章冒頭に記載したとおり、本当はブリッツ・リッター四機、シュヴァルベ七機の計一一機が正解)と交戦して二機を撃墜し、味方陣地に爆弾を投下させることもなく、さらに出撃した六機のファルコンがすべて無事であった。それは文字通りの完全勝利という奴だった。
「ただいまー。ま、おかげさまで………って、あれ? リリヤってアタシたちより後に出撃するE部隊に入ってなかったっけ? まだ出撃してなかったの?」
 クロチキナの疑問に答えたのはリリヤ・パブロワと同じE部隊に組み込まれていたアデリナ・リーシャ少尉だった。
「E部隊は爆撃機の護衛任務で、爆撃地点も近かったのよ。だから上空直援に出たC部隊より後に出て、先に帰って来れたの」
 リーシャは大なべからスープをすくって小皿に注ぎながらクロチキナに言った。
「あ、ところでスープとパンだけど、いる?」
 昼食の時間は過ぎているため本来の昼食のメニューはすでに片付けられているが、食堂にはとうもろこしのつぶを潰して牛乳や調味料で味をつけたスープとパンが入ったカゴが置かれており、自由に食べられるようになっていた。出撃から帰ったパイロットの疲れを少しでも回復できるようにとパイロットや整備班の中で手空きの者が用意してくれたのだ。
「食べる食べるー。いやぁ、上空直援は疲れるわ。もうお腹ペコペコだよー」
 ユリヤ・クロチキナを始めとするC部隊は味方陣地の上空で待機し、『帝国』軍機が接近すれば追い払うという上空直援任務にあたっていた。燃料か弾薬がなくなるまで味方陣地の上空に留まりつづける任務はどうしても長時間の出撃となりがちであった。
「あ、そうそう。今日の出撃でアタシ、ブリッツ・リッターを撃墜したわ」
 スプーンで黄色いスープをすくい、口に運んでからクロチキナが告げた。そしてその言葉にパブロワとリーシャが驚いた顔を見せた。
「本当に? じゃあクロチキナ、一昨日のとあわせて………」
 クロチキナは一昨日の出撃でも『帝国』のブリッツ・リッター戦闘機を撃墜していた。
「そ、二機目の撃墜になるわね。パブロワに追いついたわよ!」
「ちょ、やめてください、ユリヤさん………。アオゲン・ゴッテスの分は体当たりで仕留めたから撃墜数に数えないって、みんなで決めたじゃないですか」
 クロチキナの言葉にパブロワが顔を真っ赤にして両手と首を振って否定した。リリヤ・パブロワはハイ・ファルコンを駆ってアオゲン・ゴッテス迎撃作戦に参加し、最終的に体当たりでアオゲン・ゴッテスを仕留めていた。
 しかし体当たりとは元々、自らの命と引き換えにする行為だ。第九一四戦闘機連隊飛行隊長のアレクセイ・ナジェイン少佐は隊内に体当たり戦法が蔓延することを嫌い、体当たり戦法の封印を命令し、その一環としてアオゲン・ゴッテスの分をリリヤ・パブロワの撃墜数の算定から外すことを決めていた。パブロワ自身、体当たりする時から空に投げ出された辺りまでの記憶が曖昧であった事もあり、その決定は異議なく受け入れられていた。
「だから私の撃墜数は昨日のシュヴァルベ一機だけですよ」
 それを踏まえて唇を尖らせて抗議するパブロワ。
「ははは、ゴメンゴメン。リリヤは可愛いからすぐからかいたくなっちゃうの。ゴメンね」
 クロチキナは茶化したことを謝りながらパブロワの銀色に近い髪をくしゃりと撫でた。
「そっちの出撃はどうだったの?」
 スープを飲み、パンをちぎって口に放り込みながらクロチキナが尋ねた。
「あ、はい。皆さん無事でした」
 パブロワが真っ先にあげたのは全員が無事に帰還したということだった。連日の出撃で未帰還となる者が増えてきている。昨日まで一緒に任務に当たっていた戦友が急にいなくなる。それはとてもつらく、悲しいことだった。
「唯一、被害らしいものといえばナイーダが帰還後に指から血を出したくらいかしら」
 パブロワの言葉にリーシャがクスクスと笑いながら付け加えた。
 ナイーダ、ナイーダ・ストロエヴァはぼんやりとした性格で、何もない所でもつまづいて転びそうになっているドジっ娘だった。今度は一体何をやったのか………?
「指? 何したの、あの子?」
「飛行服の糸がほつれてたから直そうとしたら針で突いちゃったんだって」
「何やってんの、あの子………」
「あれで空中だと周囲をよく見てるんだから不思議よね」
 そう言って笑いあう三人。だが笑い声をかきけすほどの大音量でスピーカーから耳によく残るけたたましい音が鳴り響いた。それは空襲を意味する警報であった。
 警報を聞いた三人を含む食堂にいた者たちは笑顔から真剣な表情に切り替えて食堂を駆け足で出て行った。



 大陸暦一九四〇年一月一四日午後一四時四九分。
 基地防空のために待機任務に入っていたソフィア・アヴェリーナ少尉は警報が鳴るや、飛行帽を掴んで滑走路端の列線に並んでいたファルコンに向かって駆け出した。待機任務に入っていた二個小隊八名のためのファルコンには操縦席に登るための梯子がかけられたままになっており、いつでも出撃可能になっていた。
「エナーシャ、回して!」
 アヴェリーナは梯子に足をかけながら、エナーシャハンドルを持ってきた整備班のバレンシア・チェルシー二等兵に言った。チェルシーの「はい!」という元気な声を聞きながら操縦席に腰を降ろした。
「ソフィー!」
 飛行帽を被りつつ、エナーシャの回転数が高まるのを待つアヴェリーナを呼ぶ声。なお、ソフィーとはアヴェリーナのあだ名の一つであった。
「どうしました、ジラノバさん?」
 操縦席から両足で立ち上がって声がする方を見る。ソフィア・アヴェリーナを呼んだのはイウァンナ・ジラノバ少尉だった。ジラノバはアヴェリーナと同じ待機任務についていた。
「隊長からの伝言だけど、敵は戦爆連合四〇機以上で、しかもこのカピタル第八飛行場を狙っているらしいわ。待機任務に入ってる私たちだけでなく、休憩中のメンバーも随時上げていくそうだから、あまり無茶はしちゃダメですって!」
 ジラノバの声に頷きつつ、ソフィア・アヴェリーナは思案を巡らせる。
 ………前線の陸軍部隊を空襲する際、『帝国』空軍はせいぜい一〇〜二〇機、多くても三〇機を超える事はなかった。そんな『帝国』空軍が四〇機以上の大編隊を送り込んできた。
 それは何を意味するのだろう? だが、それはもったいぶって考えるまでもない話だった。
『帝国』空軍はこのカピタル第八飛行場を空爆し、『共和国』空軍の戦闘機の数を消耗させ、制空権を我が物にしようとしているのだろう。制空権が失われれば『共和国』陸軍のカピタル防衛作戦は破綻してしまい、私たちはこの戦争に負けてしまうだろう。要するに『帝国』はカピタル第八飛行場を空襲することで戦争を決めるつもりなのだろう。
 だが、そう上手くいくものですか。なぜなら、このカピタル第八飛行場には私たちがいるのですから。
 この、第九一四戦闘機連隊が。



「整備と補給が終わってる機体は全部上げろって命令だ、このファルコンも出すわよ!」
「こっちは出られるの?」
「あ、こっちのはエンジンのオイル交換中です! あっちのに乗ってください!!」
 迫りくる『帝国』空軍戦爆連合四〇機に対して全力出撃で立ち向かうことになった第九一四戦闘機連隊。この日の任務を終えたパイロットも、この日は任務がなかったパイロットも整備班の案内でファルコンに乗り込んで、そして飛び立っていく。
 人の声とエンジンの爆音が奏でる喧騒の中、ユリヤ・クロチキナ少尉も出撃するつもりで出られるファルコンを探していた。
「マスロワ中尉、空いてるファルコンはどれ!?」
 クロチキナの声を聞いた第一整備中隊のレジーナ・マスロワ中尉は少し悩んでから一機のファルコンを指差した。
「アイツなら出られるよ! アレで最後だ!!」
「ありがと!」
 マスロワ中尉に礼を言ってファルコンに向かって駆け出そうとしたクロチキナだったが、クロチキナより先に操縦席にかかった梯子に手をかけて登る者がいた。
「リーシャ!?」
 クロチキナが目をつけたファルコンにアデリナ・リーシャ少尉が先に乗り込んで、そして言った。
「クロチキナ、あなたはさっき戻ってきたばかりでしょ! まだ疲れてるんだから、ここは大人しくしときなさい!!」
「それを言うならリーシャだって今日出撃してたでしょ!?」
「あなたよりは先に戻ってたからね、あなたより元気も回復してるのよ! じゃ、お先ー」
 ファルコンのプロスパーエンジンに火が灯り、三枚のプロペラがゆっくりと、そして瞬く間に高速で回転を始め、生み出された推力によってファルコンが滑走を開始する。
「しょーがないわね! 私の分も頑張ってきなさいよー!!」
 クロチキナは両手を大きく振ってリーシャが乗ったファルコンを見送った。リーシャはファルコンの操縦席の中でクロチキナに向けて親指を立ててみせた。
 この時、第九一四戦闘機連隊が発進させたファルコンは全部で二八機だった。隊としての定数はファルコン四八機であったが、連日の出撃による撃墜や損傷によって出撃可能な機体はここまで減っていたのだった。



 第九一四戦闘機連隊が基地としているカピタル第八飛行場は、飛行場から見て西部分を包むように高射砲部隊が配備されていた。
 飛行場の西に高射砲部隊が配置されているのはもちろん西から侵攻してくる『帝国』軍からカピタル第八飛行場を守護するためだった。『共和国』陸軍が誇る五二−K型八五ミリ高射砲を四門装備した高射砲中隊が三個中隊であった。
『帝国』空軍の戦爆連合四七機は五二−K型八五ミリ高射砲の弾幕で四機が撃墜、二機が撃破されたにも関わらず直進を続けていた。高度二三〇〇メートルを時速三二〇キロメートルで飛行を続ける。
 そしてソフィア・アヴェリーナを始めとする先行組、八機のファルコンが接敵する。
「飛行隊長が後続を上げると仰っていました。なら私たちは無理をせず、敵の護衛機を引き剥がしていきましょう」
 アヴェリーナの声が無線を通じて共有される。アヴェリーナの提案に反対する者はいなかった。そして八機のファルコンが高度を上げ始める。それを見た『帝国』空軍の戦爆連合から小さな機影が数機離れてこちらに向かってきていた。それが戦爆連合の護衛機としてついていたブリッツ・リッター戦闘機であることは言うまでもない。数は六機。八機のファルコンが爆撃機に近づけないように空をかき乱すつもりなのだろう。
「奇数番であのブリッツ・リッターの相手をしましょう。偶数番は敵本隊に接近してください」
 無線のマイクに向かって声を発する。少しの間を空けてためらいの声が聞こえてきた。
『ソフィー、それは………』
 アヴェリーナはその声を遮るように言った。
「敵本隊に迫ればより多くの護衛機がこちらに向かってくるはずです。私たち八機で可能な限りブリッツ・リッターを引き付けて、後続の攻撃をスムーズにいくようにするのが今の最善でしょう」
 ソフィア・アヴェリーナは普段はおっとりしているし、今も口調はゆったりと落ち着いたものだった。しかし彼女は周囲を驚かせるほどの行動力を時折発揮する。今がまさにそれであった。
『………面白いじゃない。私たちで護衛のブリッツ・リッター、倍は引き付けてやるわ!』
 ソフィア・アヴェリーナの提案に乗り気の返答を返したのはナジェスタ・アナニエヴァ、通称「ナジー姉」だった。第九一四戦闘機連隊でも年長組に入る二八歳のナジー姉が賛同に回ったことで残りの六人も覚悟を決めた。
『わかったわ! ソフィーの作戦に乗るわ!!』
「ありがとうございます」
 八機のファルコンが二手に分かれ、ブリッツ・リッターに向かう隊と敵本隊に向かう隊に分かれようとしていた。アヴェリーナはふと思いついたことを口にした。
「………今日の出撃が終わりましたら、私の部屋でお茶会しましょう。私、いい茶葉を持ってるんです」
『え? なに、それは何かの暗号?』
 その声を聞いたナジェスタ・アナニエヴァは目を丸くしていたのだろう。これから死線を越えていこうとする時にする話題ではないように思えたからだ。
 しかし同じ先行組のイウァンナ・ジラノバ少尉が笑い声混じりに応えた。
『いいじゃない、都会でよく聞く女子会って奴でしょ? じゃあ私、お茶請けにパンケーキでも焼くわ』
 その声をケーキ、もとい契機に無線の声が作戦後の女子会の話題で盛り上がる。『帝国』空軍の大編隊を前にしても臆することなく談笑を交えさせる。
 もしかしたら、第九一四戦闘機連隊の強さはそこにあったのかもしれない。
 後に出版されたイウァンナ・ジラノバの日記にはこの日のことを振り返って、そう書かれていた。



 後続、『帝国』空軍の戦爆連合の大編隊を迎撃するためにカピタル第八飛行場から次々と緊急発進した二〇機のファルコンが接敵した時、敵の護衛機の数はわずかな数となっていた。この時、『帝国』空軍側の護衛のブリッツ・リッターは一二機が先行組の方に向かっていた。倍とまではいかなかったが、一.五倍の数のブリッツ・リッターを相手に八機のファルコンは格闘戦に持ち込み、ブリッツ・リッターを拘束し続けたのだ。
「さすがソフィーさん………」
 後続組として出撃していたリリヤ・パブロワ少尉は操縦席で一人呟いた。
 オゼロでの訓練時からソフィー、ソフィア・アヴェリーナ少尉は周囲の状況に目を配り、適切な判断を下すということに長けていた。その能力は戦場の空で見事に開花し、今は一.五倍の数のブリッツ・リッターを引き付けるまでに至っていた。
『リリィ』
 無線から聞こえてくる声。その声にあわせて一機のファルコンがリリヤ・パブロワの乗るファルコンの前に飛んできた。その声の主はアデリナ・リーシャ少尉だった。
『私たちで爆撃機に攻撃をかけるわ。後ろを任せてもいいかしら?』
「わかりました。戦闘機はこちらで受け持ちます」
『サンキュー!』
 謝意の声を残して増速するリーシャのファルコン。リーシャ機の後を三機のファルコンが続いていく。『帝国』空軍の護衛機、ブリッツ・リッターは多くが先行組の方へ向かっていったこともあり、この時点で爆撃機と並んで飛んでいたのは片手で数えられるほどだった。残った護衛機が接近するリーシャたちのファルコンの進撃を阻害しようとする。
「貴方の相手は私たち」
 スロットルレバーを目一杯まで押し開き、最高潮に高まったプロスパーエンジンの爆音の中でリリヤ・パブロワがポツリと呟く。パブロワのファルコンは相手に「あっ」という間も与えず、一機のブリッツ・リッターに後ろから覆いかぶさるように接近する。
 スロットルレバーにつけられている機銃の発射ボタンをぐっと押しこみ、エンジンの爆音に八ミリ機銃の銃声が混ざる。放たれた八ミリ機銃の何発かがブリッツ・リッターに命中し、ブリッツ・リッターの胴体部にキラキラと光るのが見えた。この光はジュラルミンの機体に機銃の弾頭が命中する際に発した火花なのだが、それは筆舌しがたいほどに、綺麗だった。
 しかしリリヤ・パブロワの優れた視力は同時にブリッツ・リッターの操縦席で恐怖と悔恨に眼を見開く『帝国』のパイロットの姿も捉えていた。自らの命と爆撃機の命、それを天秤にかけながらどちらを優先するべきか。わずか数瞬の逡巡。
「ここに来なければよかったのよ、私たちの国に………」
 ブリッツ・リッターのパイロットはその逡巡の間、わずかだけだったが直線飛行を続けていた。時間にすれば本当にわずかな間だった。しかし戦闘機乗りであるリリヤ・パブロワにとってその時間だけで充分だった。機銃発射のボタンを押し続け、放たれた八ミリ機銃弾がブリッツ・リッターの尾翼を撃ち壊した。尾翼を失い、コントロールが不可能になったブリッツ・リッターは螺旋を描きながら地表への墜落を始める。パイロットは墜落するブリッツ・リッターのGで操縦席に圧しつけられているのだろう。脱出することはなかった。
「……………」
 リリヤ・パブロワは撃墜したブリッツ・リッターについてそれ以上の詮索はしないことにした。彼女はブリッツ・リッター撃墜で下がった高度を上げるべく、ファルコンを上昇させる。
 周囲を見れば戦場全体として第九一四戦闘機連隊が優勢のようだ。『帝国』の双発爆撃機ドルヒは自衛用の旋回機銃で弾幕を張って必死に抵抗しているが、旋回機銃では俊敏なファルコンを捉えることができず、一機、また一機とファルコンの銃撃を浴びて速度と高度を失っていく。損傷したドルヒ爆撃機は機体を軽くするために爆弾を(予定よりはるかに早い段階で)投下せざるをえず、そして爆弾を投下したドルヒからは「もはや脅威ではない」とファルコンが離れていった。
 ファルコンは自重も軽く、高い加速性と小さな旋回半径を持っている。その機動性はこの戦場でも遺憾なく発揮されている。しかしこの戦場はファルコンの持つ弱点が浮き彫りになっている戦場でもあった。
 そう、ファルコンは武装が機首の八ミリ機銃二門だけと貧弱なのだ。単発戦闘機のブリッツ・リッターを相手にする場合は八ミリ機銃でも撃墜することはできるが、双発爆撃機のドルヒを相手にした場合、ファルコンの火力不足はてき面であった。今回の迎撃戦でファルコンが撃墜したドルヒはわずか二機に止まっているのがその証左であった。
 ないものをねだっても仕方ないとは言え、ファルコンにもブリッツ・リッターのような二〇ミリ機関砲が欲しいわね………。ファルコンの操縦席でリリヤ・パブロワがそう感じた時、無線から声が聞こえてきた。
『リーシャ、深追いしすぎよ!』
『後ろ! ブリッツが!!』
『もう少しで撃墜できるから………ああっ!?』
 アデリナ・リーシャの声に続く不愉快な金属同士がぶつかり合う音。そしてリリヤ・パブロワの視野の遠くでなにかが光るのが見えた。
『リーシャ、火! 火が出てるわ!!』
『リーシャ、脱出して!!』
 リリヤ・パブロワは無線の声を聞いて血の気が引いていくのを感じた。アデリナ・リーシャがドルヒを追うことに夢中になりすぎて護衛のブリッツ・リッターに攻撃されたのだろう。そして先ほど見えた光はリーシャのファルコンが炎上する瞬間だったのだ。
「リーシャ!?」
『リーシャ、どうしたの? 脱出して!?』
『………ダメ! 風防が、開かない! 被弾した時に壊れたの………? 火! 火が来た!?』
 無線からアデリナ・リーシャの錯乱と悲鳴がこだまする。
『熱い………熱い! 助けて! パパ、ママ………ッ!!』
 その声がリーシャの最後の言葉となった。あとには聞こえてきたのは意味のある言葉ではなく、断末魔の叫びであった。炎の航跡を残しながら一機のファルコンが墜落していく。アデリナ・リーシャ少尉はこの日、蒼い空の上で焼け死んだのだった。



 ………大陸暦一九四〇年一月一四日午後一九時一二分。
 最終的にカピタル第八飛行場は第九一四戦闘機連隊の迎撃を抜けたドルヒ爆撃機八機の爆撃を受けた。だがその時点で基地にいた者は全員防空壕に避難済で、整備中だったファルコンも掩体壕に隠していたため、直接的な被害はなかった。ただ滑走路の一部に大きな穴は開けられたが、『共和国』空軍の設営隊が駆けつけ、今夜中に穴を塞ぐと約束した。
 第九一四戦闘機連隊は『帝国』空軍の戦爆連合四七機のうちブリッツ・リッター三機、ドルヒ二機を撃墜し、ブリッツ・リッター四機、ドルヒ一一機を撃破した。出撃した二八機のファルコンで撃墜されたのは三機。アデリナ・リーシャは戦死したが、あとの二名は脱出に成功し、基地に五体満足で帰還していた。
 第九一四戦闘機連隊の迎撃は大成功だといってよかった。
 しかしアデリナ・リーシャが戦死したのは事実であったし、彼女と仲がよかった者、特に彼女に出撃を譲る形で見送っていたユリヤ・クロチキナは深い悲しみに包まれていた。
 ユリヤ・クロチキナの悲しみは深く、「アタシが出撃すればよかったんだ………アタシなら『帝国』なんかに負けるはずないんだから!」と泣きじゃくっていた。
 一方で冬の寒空の下に一人、リリヤ・パブロワは星空を眺めながらアデリナ・リーシャのことを思い出していた。その際、滑走路に開いた穴を塞ぐ設営隊の者が作業中にしていた会話が聞こえてきた。
「聞いたか、この部隊って女子戦闘機連隊なんだって? それもどえらい美人揃いで滅法強いらしいじゃねぇか」
「聞いた聞いた。今日も『帝国』の機体をしこたまやっつけたから空襲を受けてもこの程度の穴ぼこで済んだんだって話だよな」
「まるで『公国』独立戦争の勝利の魔女、マルファ・シュリギーナみてぇだよな。しかもそれが部隊規模でいるわけだ」
「ああ、魔女の戦闘機連隊ってわけか………この戦争、なんとかなるのかもしれねぇな」
「おい、お前ら! 無駄に口動かしてないで、手を動かせ、手を!!」
「へ〜い」
 リリヤ・パブロワは設営隊の話に苦く笑った。私たちが伝説の魔女のように特別な力を持つ者たちだったのなら、アデリナ・リーシャは死ぬことはなかっただろう。そんな思いが胸をよぎる。
 ………私たちは魔女なんかじゃない。私たちは特別な力なんて一切持たない、ただの女。だけどこの戦争に参加することを選んだ女。たとえそれがどれほど愚かな選択であったとしても、私たちは………
「おやすみ、リーシャ。私はまだ飛び続けるわ」
 夜空に輝く月と星の下でリリヤ・パブロワは静かに決意を口にした。


第五章「空からの解放」

第七章「外伝1:首都攻防」

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