昭和二〇年三月一六日・・・・・・
その日、帝国海軍の全艦艇があちこちの己が母港で補給を受けていた。
ある艦は大量の機銃弾を補充し、またある艦は高角砲弾を補充した。
ある空母は主力艦戦である烈風の改良型を搭載し、別の空母は新鋭攻撃機 流星の補充を受けた。
ともあれ誰の目にも決戦が近いことは見て取れる。
先日、トラック島に来寇した米艦隊は恐るべき計略「乙作戦」にしてやられ、空母六隻、戦艦二隻を喪失していた。
そうこの時点での連合艦隊の手持ちの空母は一三隻。対する米海軍は一二隻。
ここでようやくにして戦力を一時的にだが逆転して見せたのだ。
そしてその勢いに任せて一気に敵空母を殲滅する・・・・・・その為の最後の補給であった。
その艦隊の指揮を執る男・・・・・・
特例措置によって中将に特進した「乙作戦」を計画立案した男。
その名を・・・・・・
結城 繁治と言う・・・・・・・・・・・・
その日、横須賀。
横須賀にはブルネイの原油産地から内地に帰還してきた装甲空母大鳳に加えて、新鋭の戦時量産型空母である雲龍型の六番艦の生駒、七番艦の鞍馬が停泊していた。
ここでこの三隻の空母は帝国の最終決戦兵器を受領するのだ。
その受領は搭乗員の訓練も兼ねての着艦訓練と兼用としている。
実の所、この「最終決戦兵器」が大鳳や生駒、鞍馬に着艦したことはないのだ。
だから「最終決戦兵器」開発主任の田幡 茂は気が気でなかった。落ち着かないらしく、大鳳艦橋をウロウロしている。
「田幡少佐、落ち着き給え」
そう言って田幡をなだめるのは第一航空艦隊司令長官に新たに就任した結城 繁治中将。
だが田幡は落ち着かない。いや、そもそも結城があの忌々しい「最終決戦兵器」の生産を計画しなければ彼はこんなに心配せずにすんだのだ。その意味では彼も結城の被害者である。
「来ました!!」
見張り員の叫び。
艦橋内の手空きの者は皆、その方向に振り返る。
「な、なんて着艦速度だ・・・・・・烈風改や流星なんかより一段と早いぞ!」
「いや、それよりもあの機体は・・・・・・見たことない形だぞ?!」
「プロペラがない?!・・・・・・いやそれどころか・・・・・・」
そして従来機より三、四割増の着艦速度で大鳳の装甲甲板に滑り込んできたその「最終決戦兵器」は無事に着艦フックを捉えて何とか着艦に成功した。
「おお!!」
大鳳艦橋内、いや、大鳳の全乗組員が揺れた。それはそれほどまでに「異形の禽」であった。
結城は田幡の肩を叩いて言った。
「田幡少佐、見事な着艦だな」
「ええ・・・・・・『練習艦』として伊吹を『つぶして』正解でしたね」
伊吹とは改鈴谷型重巡の船体を改良した空母のことである。だが元が重巡なだけに幅に問題があり、艦隊用の空母には向かない、とされてずっと中途な工事段階で中断されていたのだ。
だがこの異形の「最終決戦兵器」の為に練習空母が必要となったことが伊吹を救った。
そう、伊吹を練習台として「最終決戦兵器」は慣熟訓練を行ったのだ。伊吹の大きさは大鳳はおろか雲龍型よりも小さい。伊吹でなれた者なら大鳳に着艦できないはずはない。
こうして一機の事故もなく「最終決戦兵器」は全機が着艦し終えた。
「そうだ、田幡少佐」
結城が思い出したように口を開く。
「あの『異形の禽』だがね・・・・・・」
結城は煙草に火をつけながら言う。
「名前が決まったよ。いつまでも名無しではかわいそうだからね・・・・・・」
「何と言うのですか?」
「『ズイフウ』・・・・・・」
「ズイ・・・・・・フウ?」
「そうだ。瑞鶴の『瑞』に風だ。そう、あの機体は我が帝国に勝利の報をもたらす目出度い風となるのだ!瑞風を用いて我々は勝つのだ!!」
田幡はその時になって初めて己の作り上げた機体がそれほどの意味を持つものなのか、と悟り、思わず身震いが止まらなかった。田幡はその時、己の名が歴史に刻まれたことを知覚した。
・・・・・・そしてその通りとなった。彼の名は「瑞風」を作り上げた者として不滅の輝きを放つことになる・・・・・・
・・・・・・一方で呉港にも異形のものがあった。
ただしこれは飛行機ではない。軍艦である。
艦橋やその他の艦上構造物を見ればこの艦がかつて列強を瞠目させた名重巡、衣笠だと気付く者もあろう。
だが衣笠の自慢の二〇センチ主砲はない。すべてない。撤去されたのだ。
さらに艦橋の上には所狭しとアンテナやら何やらの電子機器が搭載されているのも目に付く。
そう、かつての第一次ガ島争奪戦の末期に米駆逐艦のレーダー射撃により大破させられた衣笠は二年半後の今になってようやく戦列に復帰できたのだ。(参照第五章 ガ島制圧セリ)
だが前記のように艦容が激変している。いや、艦容だけではない。その主任務すら激変していたのだから・・・・・・
この新生衣笠の艦長に就任したのはかつての対空巡洋艦吉野砲術長の高井 次郎中佐であった。吉野戦没以降、とある兵器の開発に務めていた高井である。その兵器がこの衣笠には搭載されているのだ。
「よし、ではこれより実験を開始する!赤城に連絡!!」
高井の凛とした声でマイクに宣言する。それと共にその室内の者たちは皆、動き出した。そう、ここは艦橋ではない。ここはかつては主砲の弾薬庫だった場所だ。だが主砲は既に撤去されてない・・・・・・否、このスペースを確保したいが為に主砲は撤去されたのだった。
「・・・・・・管制盤に表示します!!」
その声と共に壁にかけられている巨大なスクリーンに幾つかの光点が映し出された。
「ようし、これより本艦の指示どおりに動いてくれ・・・・・・」
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二時間後。
「よし、演習は終了。御苦労だった。赤城に帰還してくれ」
高井はそう言うとマイクを戻した。そこでようやく安堵の息を漏らした。
「ようし、これでよしだ・・・・・・これで『』は完成だ」
高井は胸の高まりを抑えれそうになかった。
何故って?
彼の長年の夢が実現したのだ。喜ばないほうがどうかしていると言えよう。
彼は彼の夢の実現に一番協力してくれた結城のことを考えた。
・・・・・・結城中将か。一度は恐れた時期もあった。だが今ではそうは思わない。あの方は、あの方は本当はあんな外道な作戦はしたくなかったと思う。だがそうしなければならなかったのだ。何故か?戦争で負けるというのは、もっと悲惨だからだ・・・・・・
一方でまだ訓練に励んでいる艦もあった。
吉野型対空巡洋艦の二隻、九頭竜と空知、さらにもう二隻の巡洋艦は必死で訓練に励んでいた。
相手?
相手は空母翔鶴と瑞鶴に搭載されている新鋭艦攻 流星である。
これは勿論、流星隊の訓練の一環でもあるので流星隊も本気で懸かってくる。
「くそっ、射線を外されているぞ!面舵一〇度だ!!」
空知艦長の網城 雄介大佐は必死の操艦で流星隊の突撃を回避しながら攻撃を続けようとする。だが流星隊の高度は海面ギリギリ。おそらく高度は一〇を切っているだろう。それだけに対空砲火の追尾も間に合わない気味であった。
「駄目だ、駄目だ!そんなことでは空母を護れないぞ!!」
おそらく敵の攻撃隊もこちらと同様の精鋭になるはずだ。おまけに今までの戦訓を考慮して対空砲火を避ける方法も考案しているはずだ。
なればこそ!
網城達「眞鐵の随人」は一層の奮励が期待されるのだ。最終決戦間近にして猛訓練を続けるのはそのためだ。
「しかしあの新規参入の二艦もよくやってますよ」
そう言ったのは空知副長の瀬良 太郎中佐である。網城は瀬良の言葉に頷いた。だがそれで満足してはならない。彼らはさらなる高みを目指さねばならないのだ!!
・・・・・・ここで新規参入の二艦について記述しておこう。
第一次ガ島争奪戦の末期に大破した衣笠が異形の艦に改装されたのは前述の通りだ。
だがその時、衣笠と共に大破した加古と古鷹はどうなったのか?
そう、その答えが吉野型二艦に後続する二隻の巡洋艦である。
つまり、加古と古鷹は対空巡洋艦への改装を受けたのだ。
元々、吉野型は四隻建造される予定だったのだが、資材の都合等の諸般の事情と言う奴でその建造は遅々として進まず、その装備である長一〇センチ砲と一式四〇ミリ機関砲のみが在庫として積まれているのが現状であった。
そこで加古と古鷹の船体を有効利用した、という訳なのだ。
加古と古鷹は一隻で長一〇センチ砲二〇門、四〇ミリ機銃六〇門の重武装対空巡洋艦となった。これは吉野型にはやや劣るものの、充分高い対空能力と言えた。
こうして四隻の「眞鐵の随人」は訓練を出撃ギリギリまで続けていた・・・・・・
・・・・・・高度六〇〇〇。この高度はこの時代の航空機にとってもはや至高の高さではない。軍用機ならば昇れないはずのない高度だと言える。そんな高さを帝国海軍新鋭艦攻 流星が飛翔していた。
「・・・・・・これでいいんですか、博士?」
前部座席の、つまりは操縦員である男に聞かれた眼鏡の痩せぎすの男は慇懃に、
「結構だ」
とだけ言った。
その態度は操縦員にとって不快極まりないものであった。だが彼は耐えた。なにせ後席の御仁の設計した兵器ときたら・・・・・・
「ふふふ・・・・・・コイツは海戦という奴を塗り替えるよ」
操縦員は体をビクリと震わせた。後席の男の言葉は操縦員の考えていること、そのままだからだ。・・・・・・畜生、いくら賢いからって人の心まで読めるのか?
操縦員の思いはいささか濡れ衣気味であった。
「ようし、君。投下したまえ」
後席の男はやはり慇懃にそう命令した。
「アンタね・・・・・・投下はアンタがやるんだよ!聞いてないのか?!」
「ふむ・・・・・・そう言えばそうだったな。スマンな」
そう言って男は投下索を引いた。
ガコンッ
その音と共に急激に自重を軽くした流星はフワリと浮き上がる。
「さて、君。帰ろうか」
「了解」
・・・・・・最後まで慇懃な野郎だぜ
「ああ、それから・・・・・・」
「?何か?」
「事故るなよ」
操縦員は本気で後席の男を殺したくなった。・・・・・・テメエ、俺の飛行時間は一〇〇〇時間超えてるんだぞ!村田さんには負けるかもしれないが、それでも自分の腕には自信があらぁ!!
後席の男は操縦員の怒りも知らずに風防から外の景色を眺めていた。それも満足そうな表情で。
男の名は寺西 肇。結城 繁治の幼馴染にして希代のマッドサイエンティスト。彼の設計した兵器はこの「特殊爆弾」の他にもう一つある。だがその実験は既に終了している。今日はもう一つの、そう歴史を塗り替えかねない革命的兵器の実験に自ら参加したのだ。
「ふふふふふ・・・・・・」
寺西は不気味に笑った。
それは己の成し遂げたことの意味を正確に理解しているからだ。彼は思いを馳せた。自分の作り上げた新兵器で大混乱に陥り、壊滅していく米軍の姿を。
これほど愉快な光景は無かった。
「ジャップは来る!!」
開口一番、米海軍が誇る猛将ウィリアム・フレデリック・ハルゼー大将はそう宣言した。
「俺達がマッケーンの敵を取る場所。それは・・・・・・」
ハルゼーは指揮棒で一点を指し示した。
南洋にある帝国海軍にとって外地最大の軍港にして米海軍にとってマッケーン艦隊を壊滅させられた悪魔の巣。
トラック諸島であった。
「ここでジャップは最終決着を付けに来る。俺達はそのジャップ達を返り討ちにしてやればいい!出撃だ!!」
こうして米海軍最強の艦隊。空母一二隻を含む総勢一〇〇隻にもおよぶ一大艦隊はハワイ真珠湾を出港した。
それだけの軍勢であったので当然ながら哨戒任務の潜水艦に察知された。
昭和二〇年四月一日マリアナ沖諸島・・・・・・
「長官、全艦、給油を終えたそうです」
その言葉を聞いた結城は満足げに頷いた。
帝国海軍が保有する全正規空母一三隻を投入する今度の海戦。それだけは絶対に負けられない戦いであった。この海戦に完勝する。それだけが祖国を亡国から救う途・・・・・・
「よし、行くぞ」
結城は短くそう宣言し、第一航空艦隊旗艦の戦艦信濃を前進させた。
こうして日米最後の艦隊決戦、トラック沖海戦は生起した。
日米双方の指揮官は互いに己の勝利を確信しながら大海を驀進し続けた。