昭和十六年一二月八日・・・・・・
遂に旭日の旗の国と星条旗の国は戦争状態に入った。
同日、ハワイ近辺にまで出陣していた、赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴の六隻の空母を中核とする南雲 忠一中将率いる機動部隊より飛び立った一八三機の第一次攻撃隊は現地時間一二月七日〇七時四九分全軍突撃に移行した。
第二次攻撃隊一六七機が攻撃に移ったのは現地時間一二月七日〇八時五五分・・・・・・
そしてこの開戦を継げる狂乱が終結したのは現地時間の午前十時。
わずか二時間程度の短時間での奇襲攻撃であった。
だがその戦果はすさまじいものであった。
戦艦アリゾナを始めとする四隻の戦艦が撃沈・・・・・・他の三隻の戦艦も大破か中破であり当分はドック入りし、戦力外となる。またハワイに駐留していた二五〇機近い機体が地上撃破されていた。
そう、一時的にではあるが、完全に米太平洋艦隊はその主力艦である稼動戦艦を零にされたのだ。
序盤の戦果としてこれ以上のものはあるまい・・・・・・
日本国内はこの戦勝に湧いた。
そしてその二日後の昭和十六年一二月十日・・・・・・
今度はマレー沖で凱歌が上がった。
海軍の九六式陸上攻撃機と一式陸上攻撃機が大英帝国が誇る「不沈戦艦」プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスの二隻を中核とした王室海軍極東艦隊に猛攻をかけ、壊滅に追い込んだのだ。
再び圧勝に湧く日本・・・・・・
そう、この二つの戦いの主役であったのは航空機であった。
一九〇八年、米国のライト兄弟が人類初の動力式飛行機で飛翔して半世紀も経たないうちに飛行機は一軍の主力の座にまで登りつめたのであった・・・・・・
昭和一七年二月三日、呉軍港・・・・・・
戦争中であり多くの軍艦が戦場に向けて出撃しているとはいえ、この日本最大の軍港には常に何隻かの、軍歌にも歌われるような「黒金の浮かべる城」が停泊しており、連合艦隊の余裕さが見て取れる。
そんな中に一隻の異形の軍艦があった。
その外見は、戦艦の威風堂々とした巨砲を備えているわけでもなく、駆逐艦の小型の肉食獣を思わせる精悍さを持つわけでもない。大きさ的には巡洋艦程度であろう。全長は一八六メートルである。
だがその甲板上のあちこちに機銃座がつけられている。その数はいささか過剰すぎるとも言える。よく言えばハリネズミのような外見である。そして主砲の方も、高雄型重巡のように、日本の重巡の標準的装備である二〇センチ砲よりも遥かに小さい。その口径は一〇センチである。だが砲身長が長く、かなりも高初速で砲弾を打ち出せるのである。その長さ、実に六五口径。
そう、この砲は日本海軍が世界に誇る傑作高角砲、一〇センチ六五口径砲である。通称を長一〇センチ砲という。
この軍艦はその長一〇センチ砲を連装砲塔で艦の前後に背負い式に四基ずつ、合計八門装備している。
それだけでなく、両舷には高角砲として同じものがやはり連装で片舷一二門、両舷あわせて二四門もの数を搭載している。これが如何にすごいかを表すとすれば、前連合艦隊旗艦であった長門型戦艦ですら高角砲は合計八門でしかない。しかも長一〇センチ砲よりも性能が劣る一二.七センチ砲である。どうであろうか?この軍艦が如何に対空能力に優れた艦かが分かるだろう。
まだ竣工には至っていない。まだ対空機銃が全てつけ終わっていないからだ。
だが完成の暁にはこの軍艦はこう命名されることとなる。その名は・・・・・・・
「ようこそ、『吉野』へ」
にこやかな表情で茶目っ気のある敬礼をしながら男は自らの片腕、つまり『吉野』の副長となる男を迎えた。
男の名は結城 繁治。帝国海軍大佐である。年齢は四六歳。痩せ型の長身(一七二センチ)の男であり、帝国海軍でも随一の「変人」であり、「奴の考え方は明後日の方向を向いている」と評される男である。
帝国海軍中佐網城 雄介はそれに対しても型どおりの着任の挨拶を済ませた。真面目な男である。
網城は年齢は三二歳とのことであるが見た目はそれよりも若く、二〇代に見える。身長は当時としてはやや高めの一六八センチである。三二歳という年齢で中佐にまでなれたのだから無論エリート中のエリートであり、「明日の海軍を担う」男と言われている。
「私が『吉野』初代艦長となる予定の結城だ。網城少佐、よろしく頼む」
「ハッ!よろしくお願いします、艦長」
結城はふぅ、と小さく溜息をついた。網城のあまりの生真面目さに呆れているようだ。・・・・・・そういえば前に駆逐艦(名前は伏せておこう)の航海長を務めていたとき、そのあまりの生真面目ぶりに回りからかなり浮いた存在だったらしいと効いたのを結城は思い出した。
「ところで副長。この『吉野』を見た感想はどうかね?」
網城は複雑な表情を見せた。そして結城にはそれで充分であった。
「ふふふ・・・・・・その通り。この『吉野』は今までの軍艦とはまったく違う軍艦さ。君は兵学校では砲術を専攻していたそうだが、これまでの戦況でどう思った?航空機の威力について忌憚無き意見を聞かせてくれ」
「は・・・・・・確かに航空機の威力は目を見張るものがあります」
結城は立ち上がって紅茶を入れる。艦長自らが入れた紅茶を網城はいささか恐縮しながら口にした。・・・・・・不味い。紅茶を入れるタイミングを完全に外している。
「ふむ・・・・・・美味い紅茶だろ?私はこれには少し自信があってね」
結城はまったく悪びれずに言ってのけた。・・・・・・待て、これを「美味い」だと?!そんなことを許すのは紅茶党を自称する自分への冒涜・・・・・・
「そうだ、副長。君の言うとおりだ」
網城は自分がどんな表情をしているのかが分かっている。「鳩が豆鉄砲食らった」表情であろう。結城はそんなことを意にもかけずに続けた。
「君の言うとおりに航空機の威力はすさまじい。君たちの大好きな戦艦が簡単に葬れるのだからな」
網城は表情を急激に変化させた。
何故?
簡単だ。彼は戦艦こそ海軍の主兵力、と考える砲術屋である。戦艦を馬鹿にする結城の発言を許せるはずも無い。
「ですが我々の大和型はそうはいきませんよ。今まで航空機が沈めた戦艦は旧式であるか、せいぜい三六センチ砲戦艦でしかありません。大和は四六センチ砲戦艦です。その防御力は比べ物になりませんよ・・・・・・」
結城は何が嬉しいのかニコニコしながら自称「美味い」紅茶を一口飲んだ。
「ふむ・・・・・・だがいくらかの打撃は受けるだろう?」
「それは・・・・・・まぁ、そうです」
「ならそれが積み重なれば何時かは沈む。簡単な話さ。不沈艦なんて幻想だよ」
網城は言葉に詰まった。反論の余地が無い。
「だからこの『吉野』が必要なんだ」
「はぁ・・・・・・」
いささか不可思議そうに網城は生返事を返した。
「いいかい、『吉野』は長一〇センチが合計三二門にも及ぶ。さらに最終的には機銃の数も一〇〇丁近くなる予定だ。これだけの数の対空砲火を持つ軍艦が戦艦なり空母なりの護衛をする。そうすれば敵の航空攻撃なんか怖くなくなるのさ、違うかね?」
「それは・・・・・・そうです」
「そうだ、理解してくれたね?これで君と私は同志だ。よろしく頼むよ、副長」
そう言うと結城は手を差し出した。網城は少しためらった後にその手を握った。
「・・・・・・娑婆みたいですね」
「かまわんよ」
こうして『吉野』のナンバー1とナンバー2が出会うこととなった。
「・・・・・・艦長、また法螺吹いちゃって」
網城が退室してから三〇分後に現れた男は開口一番にそう言った。
「砲術長、あれも本艦の任務の一つだよ?」
結城は再びあの紅茶を勧める。砲術長と呼ばれた男は丁重に断った。
「ふむ・・・・・・何故みんなこの紅茶に理解を示さないのかなぁ?」
結城は不思議そうに呟くと残った紅茶を一気に飲んだ。
「まぁ、砲術屋には砲術屋向きの説得があるものさ」
そう言うと結城は表情を引き締めた。
「それにしても高井君・・・・・・よくこんな艦が造れたものさ」
高井と呼ばれた砲術長もしみじみと頷いた。
「まったくですよ、艦長。ですが・・・・・・」
「楽しい日々でもあった、か」
結城が後を継いだ。
『吉野』が生まれたいきさつは複雑な事情がある。
昭和一五年に海軍は一大演習を行った。
その目的は将来生起するであろう対米戦を睨んだものである。当時の日本は中国と戦争をしており、米国は中国を支援していた。さらに日本は米国の敵でもある独国との結びつきを強めていた。対米戦は必定のように思われていた。
・・・・・・だがこの演習の結果、海軍は戦慄した。
日本海軍の防空能力では航空攻撃の過半を防ぎきれなかったのだ。
航空攻撃に対抗するには二つ手段がある。
一つは操艦によって攻撃をかわすこと。これは相当数の操艦の能力が問われる。残念ながら操艦の天才はそうそういるものではない。
そして二つめは対空砲火で撃墜してしまうことである。これは実に手っ取り早い。早い話が敵機を近寄らせないのだから。
だが日本海軍の対空能力は落第点であった。
当時の連合艦隊司令長官は(今もそうなんだが)山本 五十六大将である。彼は海軍有数の航空主兵論者である。それ故にこの結果は彼にとって不服なものであった。彼は航空主兵が日本独自の思想とは思っていなかった。当然仮想敵国である米国も行うであろう事は容易に予測できた。
だから彼は新たな防空の盾となる艦を造ることを考えた。
そして一人の男を思い出した。それが結城 繁治であった。彼は以前に防空能力だけを肥大させた巡洋艦の建造計画を艦政本部に提出していた。無論、頑迷な艦政本部がそれを認めるはずも無く、結城はかえって海軍内でも浮いた存在となってしまった。
山本は結城に防空の盾を造らせることにした。
そして何とも呆れたことにGOサインが出た翌日に設計図を持ってきたのであった。彼はなんと以前に破棄された計画をごく少数の同志と水面下で進めていたのであった。結果的にはこのおかげで『吉野』建造は思ったよりも早く始めれた。資材の都合で昭和十六年の初めに建造が開始された。
こうしてこのなんとも言えない異形の軍艦『吉野』は完成したのである。
「・・・・・・まったく苦労したものさ」
結城は呟いた。
「なんせハリネズミのような軍艦を造っても乗せてる機銃が欠陥品だったからね」
そうである。日本海軍が使用していたのは二五ミリ機銃である。これは初速が遅く、命中率が悪い上に射程距離が短かった。早い話がまったく使えない機銃だったのである。
結城は山本に直談判し、二五ミリ機銃の改良と新型機銃の導入を約束させた(尚、この直談判で一体何があったのかは関係者が一切を口にしたがらないのは何故だろうか?)。
その新型機銃と言うのはスウェーデンのボフォース社からライセンスを買い取ったものである。スウェーデンのボフォース社の開発した四〇ミリ機銃。これは実に素晴らしい機銃であった。従来の二五ミリに比べて威力は比べ物にならないくらいにアップし、射程距離も倍近くなっている。さらに初速がバカみたいに速いので命中精度も文句ナシ・・・・・・おそらく現在世界に存在する対空機銃の中で最高のものであろう。
『吉野』にはこの四〇ミリ機銃が連装二〇基の計四〇門。改良型二五ミリ機銃を三連装一〇基、連装五基、単装二〇基を搭載する予定である。その為に甲板は機銃や高角砲だらけでかなり狭いものになっているが・・・・・・
「ところで何時ぐらいにマトモな戦力になれそうかな?」
結城の問いに対し高井は断言してみせる。
「は、五月中にはして見せますよ」
「大丈夫か?慣熟訓練にはもう少し時間を取った方が良くないか?」
「はい、そのことですがこの『吉野』には各艦で『浮いた存在』を集めましたので・・・・・・」
「なるほど。私や副長、そして砲術長を始めとした『浮いたベテラン』を集めるのか」
「はい、そうです。これなら早期に戦力になりますよ」
「うん、楽しみだな・・・・・・」
高井は少し意地の悪い顔をして言った。
「人殺しが楽しみとは・・・・・・軍人とは救われがたい職業ですね」
結城はその高井の言葉に対して笑って見せた。彼もその意見には同意であった。
・・・・・・昭和一七年五月八日。
遂に日米双方の空母機動部隊同士が激突した!
その戦場となったのは南太平洋、珊瑚海!
日本海軍はニューギニア南東部のポートモレスビーを攻略し、米豪の補給路を遮断し、豪州を連合国から離脱させようとしたのだ。だが米軍もそれを察知し空母機動部隊を派遣していた。こうして生起したのが珊瑚海海戦である。
後世に名高い珊瑚海海戦は日本側が正規空母翔鶴、瑞鶴、を中核とした第五航空戦隊を主力に、米国は正規空母ヨークタウン、レキシントンを中核とした第一七機動部隊を主力として戦った。
そしてその結果は・・・・・・
日本側が後方の輸送船団を護衛していた軽空母翔鳳を沈められたが、米軍の正規空母レキシントンを撃沈し、ヨークタウンを撃破して見せた。軽空母一隻の損害で正規空母二隻を撃沈破してみせたのだ。日本軍の勝利とも言えなくは無い。だが日本軍は結局ポートモレスビー攻略を断念せざるを得なくなり、さらに正規空母翔鶴が破損し、無理な夜間攻撃を強行したこともあり貴重なベテラン搭乗員を多く失う結果となった。
故にこの海戦は引き分け、もしくは戦略的には米軍の勝利。戦術的には日本軍の勝利といえるだろう。
だが何よりも海戦を戦ったのにその艦隊の司令官が相手の艦隊を一度たりとも見ないで海戦が終結したのは初めてのことであり、珊瑚海海戦はその意味でも歴史に名高い戦いであった。
そしてその戦術上の勝利をいささか誇張気味に大本営は報道した。
連日ラジオより流れる軍艦マーチをBGMとした珊瑚海での勇士達の戦い振り。
結城と網城は歯がゆい思いでラジオを聞いていた。
彼等の対空巡洋艦(と分類されるようになった)吉野はまだ慣熟訓練が充分でないのを理由に出撃できなかったのだ。
「我々がいれば翔鶴の被弾も無かったろうに・・・・・・」
網城は本当に悔しそうにしている。大砲屋といえども仲間の死は悔しいものだ。
「まったくだな、副長。まぁ、次は出撃できるさ」
結城はそう言って血気にはやる若者をなだめねばならなかった。艦長の・・・・・・いや、上にたつものの義務だ。
・・・・・・そして昭和一七年五月二七日。
「・・・・・・いよいよですね、艦長」
高井が興奮を抑えきれないかのように結城に向かって言った。
「あれは・・・・・・赤城。あれは蒼龍・・・・・・加賀に飛龍も・・・・・・」
網城が双眼鏡を覗いている。その声は遠足を控えた子供のように弾んでいた。
「これならどんな敵が出てこようとも勝てますね。四隻も空母があれば例え神にも負けやしませんよ」
高井の言葉はこの艦隊の気分をよく表していた。
・・・・・・開戦以来連戦連勝の我が軍が負けるはずが無い・・・・・・
誰もがそう信じ、誰もが疑問を抱いていなかった。
「・・・・・・」
結城は目を閉じたまま艦橋に仁王立ちし、一言も喋ろうとしない。
こうして正規空母四隻を主力とする艦隊は太平洋の波を切り裂いて堂々と突き進んでいた。
目標は・・・・・・太平洋中部の島、ミッドウェー!