・・・・・・開戦前の日本軍では此度の戦争を短期決戦にするつもりであった。
つまりゴングと同時に全面攻勢をかけ、米軍をコテンパンにぶちのめして有利な条件での講和に持ち込もうとしたのだ。
これは即ち日本がアメリカ相手に長期戦で勝ち抜くのは不可能である、と判断したからである。
この判断は正しいと言える。
なにせGNPだけでなく、保有している資源や人口、工業化水準などのほとんどで日本はアメリカに及ばなかった。
それが満州問題から始まった支那事変によって日米関係がもつれ、挙句の果てに開戦することになってしまった。
これはかつての日露戦役(現在でいうところの「日露戦争」)をも凌ぐ、未曾有の国難であった。
だが日本は善く善戦し、ついにガダルカナル島を巡る戦いに勝ち、さらに米海軍の稼動空母を零にしてみせた。
だが米軍はそれでも屈する事は無かった。
いや、あるいはあのガダルカナル完全制圧の後にハワイ侵攻作戦でも行えば膝をついたであろう。だが日本軍は米軍以上に疲れ果てていた。
なにせ体力がアメリカに遠く及ばないのに先のラウンドでは果てしない消耗戦を繰り広げてしまったのだ。もはや体力の限界が見えており、その風体は見るに耐えないくらいに疲れ果てていた。
だがこのどちらかが「参った」というまで続けられる総力戦と言う名の戦いはまだ続いていた。
さらに総力戦はまだ終結の片鱗すら見せようとはしていなかった・・・・・・
「手持ちの空母は四隻か・・・・・・」
男は「うーむ」と思案顔。
自慢の太い眉毛が逆八の字となっている。眉間に皺がよる。その風貌は正にブルドッグそのものであった。
男の名は、ウィリアム・フレデリック・ハルゼー。合衆国海軍の中でも屈指の空母機動部隊指揮官として名高く、闘志に満ち溢れた合衆国海軍の名物中将サマである。
この男の勇猛さを示すエピソードはそれこそ夜空に煌く星の数ほどに存在する。
彼が新しく艦隊の司令となった際にとある水兵Aと水兵Bが雑談をしていたと言う。彼等は今度来たボスを、「あの爺さんの為なら地獄でも御供するぜ」と評すると、後ろから、「オイ、若いの。俺様はそんな年寄りなんかじゃないぜ」と小突かれたのだそうだ。
そしてそのボスは死神避けのまじないを知っていると言う。曰く、「キル・ジャップ!キル・ジャップ!!キル・モア・ジャップス!!!(日本人を殺せ!日本人を殺せ!!日本人をもっと殺せ!!!)」なのだそうだ。
そんな性格なのでついたあだ名は「ブル・ハルゼー(猛牛・ハルゼー)」。そのあだ名には「猪突猛進で柔軟な用兵ができない」という皮肉もこめられているのだが彼はそんな事は意にも介さずに、自ら猛牛を名乗っていた。
そんな彼も今から半年ほど前のガダルカナル撤退の際にはひどく落ち込んでいた。「ジャップに背を見せる」のが悔しかったらしい。
だが今の彼は違う。新たに竣工しだした新鋭空母エセックスとその二番艦ヨークタウン。そして開戦以来唯一生存している空母サラトガ。さらにアトランタ級軽巡の船体を流用して作られた軽空母インディペンデンスの四隻が与えられており、再びミッドウェーを狙うべく動き出した日本海軍迎撃の任を与えられているのだ。
その任務や艦隊の陣営にハルゼーは狂喜した。何故ならエセックスの性能は群を抜いて高く、世界一と賞しても過言ではないからだ。さらにインディペンデンス級も軽空母ながら搭載機数が多く、しかも毎月一隻から二隻と雑誌並みのペースで建造されているからだ。これで合衆国も安泰だ、とハルゼーならぬ身でも狂喜するであろう。
それでもハルゼーには懸念があった。
「攻撃に出るべきか、守りに入るべきか・・・・・・」
そう、これがハルゼー最大の悩みであった。
日本海軍はおそらく全空母を持って決戦を挑んでくるであろう。つまりはアカギ、ヒリュウ、ショウカク、ズイカク、ジュンヨウ、ヒヨウの六空母である。いかにエセックスが優れていても六対四では分が悪い。
しかしハルゼーにはミッドウェーという切り札があった。ミッドウェーの航空兵力のカバーを受けれる所に布陣すれば兵力差はかなり補える。だがそれでは己の信条である「見敵必殺」を裏切る事になってしまう・・・・・・
「さてどうするか・・・・・・」
幸いジャップどもがミッドウェーに到着するまであと二日ある。考える時間はそれこそたっぷりあった。
「ふ〜む・・・・・・またココに来る事になるとはねぇ」
対空巡洋艦吉野艦長である結城 繁治大佐はおっとりとした口調でそう呟いた。その手には双眼鏡が握り締められてり、先程からずっと水平線の彼方を見つめている。
「あの〜、艦長?」
恐る恐る・・・・と言う感じで副長の網城 雄介中佐は口を開いた。
「なんだ?」
「さっきから何処を見ているんですか?」
網城にそう聞かれた結城は心外だ、とばかりにこう呟いた。
「何処って・・・・・・ミッドウェーに決まってるじゃないか」
網城はあきれ果てた口調でこう切り返した。
「ミッドウェーはあっちの方角ですよ。そっちには何もありませんよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
吉野艦橋内に何とも言えない空気が流れた。結城は照れ隠しに、「見張りに気を使わなければいかんぞ」となにやらボヤキながら網城の指差す方へ視線を変えた。
艦橋内の要員は皆、笑いをこらえるのに必死だ。結城は日常ではこのようにまったく役に立たない、よく言って「給料泥棒」でしかなかった。だが戦闘となると人格が一八〇度変わる。その為に吉野では結城の事を「平時の仏、戦時の鬼」と評する者がいる・・・・・・
「お?翔鶴から何か飛び立つぞ?ありゃ何だ?」
結城が子供のようなはしゃぎ声で網城に聞く。
「あれは・・・・・・二式艦偵じゃないですか」
「そう言えば・・・・・・」
そう言ったのは吉野の砲術長の高井 次郎少佐である。
「二式艦偵も無事、艦爆として制式化されたそうですね。彗星、とか言う名で」
「へぇ・・・・・・そうなの?」
「艦長・・・・・・作戦会議で聞いてきたんじゃないんですか?」
網城が呆れている。結城は思案顔になったが・・・・・・
「今回、空母に搭載された機体に液冷機は二式艦偵が若干数あっただけじゃないのか?」
「ああ、発動機を空冷のものに変えたそうですよ。なんでも整備性の向上を狙ったそうで・・・・・・」
「ふぅ、液冷機一つマトモに整備できないとはねぇ」
高井がシニカルな笑いを浮かべる。
「まぁ、無理して液冷機にしても稼働率が低くてはダメですよ。航空戦はなんだかんだいっても数が勝敗を分けますからね」
網城がサラリと言ってのけた。元々は頑迷な大艦巨砲主義者であったはずの網城も吉野で経験を積んでいるうちにすっかり航空戦のエキスパートになってしまっている。元々網城は「恩賜の短剣組」なのだから理解する気になればその理解は早い(ま、問題は理解する気があるかだが)。結城は網城の成長振りを確認できて満足であった。
帝国海軍が今回の戦いに投入した戦力は以下の通りである。
空母:赤城、飛龍、翔鶴、瑞鶴、隼鷹、飛鷹、瑞鳳、龍驤
戦艦:大和、金剛、比叡、霧島、榛名、長門、陸奥、伊勢、日向
巡洋艦:一二隻
駆逐艦:二八隻
なるほど、これだけの戦力があればミッドウェー基地航空隊を含めた米艦隊を殲滅するのも夢ではないように思える。だが瑞鳳と龍驤は大和、長門、陸奥、伊勢、日向を中核としたミッドウェー攻略部隊の護衛として使われる事が決定している。
制海権を得るために米艦隊と雌雄を決するのは赤城、飛龍、翔鶴、瑞鶴、隼鷹、飛鷹と南太平洋海戦と同じ六空母である。
下手をすれば先の第一次ミッドウェー攻略戦の二の舞になりかねない危うさを持っていた。
だが南雲 忠一に変わって、空母機動部隊である第一航空艦隊を新たに任されるようになった小沢 治三郎中将は燃えていた。
彼は今回の戦いで自論を試すつもりであった。
果たして、万骨枯れて一将功成るのだろうか?それとも万骨枯れて一将も枯れるのだろうか・・・・・・太平洋はそんなことは知った事ではない、とでも言わんばかりに穏やかに凪いでいた。
「攻撃隊発艦せよ!!」
昭和一八年六月一二日 現地時間〇六〇〇。
日本海軍第一航空艦隊旗艦赤城艦上の小沢 治三郎は吼えた。
その号令と共に次々と赤城、飛龍、翔鶴、瑞鶴、隼鷹、飛鷹の六空母の甲板を蹴って大空へと飛び立つミッドウェー島攻撃隊。
そう、この部隊の任務はミッドウェー島を攻撃し、敵基地航空隊を無力化することにある。
攻撃に参加するのは合計七〇機。
内訳は戦闘機二六、艦爆三〇、艦攻一四である。
戦闘機は開戦以来幾多の戦場で勝利し、日本海軍航空隊の名を世界的に有名にした零式艦上戦闘機の最新型である五二型である。この型は従来型に比して発動機の出力を向上させ、機体の強度を上げて一撃離脱に対応できるように改造を施してある。その分旋回性能は落ちたもののそれでも機動性は超一流である。
艦爆も開戦以来の古参兵である九九式艦上爆撃機が一二機ほど混じっているが主力は高速を謳われた二式艦上偵察機の艦爆版とも言うべき新鋭艦爆 彗星である。当初は液冷エンジン機であったが航空本部長山口 多聞中将の鶴の一声により空冷、一五〇〇馬力の金星に換装されている。そのおかげで一番の悩みであった稼働率が劇的に向上し、速度もせいぜい十数キロ程度しか落ちなかったので正に世界最強の艦爆が誕生していた。
艦攻の方は開戦以来の九七式艦上攻撃機は完全に引退しており、彗星のように新鋭艦攻である天山に変わっている。この機体は一八〇〇馬力発動機 護を搭載しており、信頼性、速度、防弾性の全てが優れている。これもまた日本海軍が世界に誇る最強の艦攻である。
これらの新時代の攻撃隊がミッドウェー目指して飛び立っていった。
第一航空艦隊自体はミッドウェー島の航空隊の攻撃範囲の外に陣取っている。それでも日本側が攻撃可能なのは日本機の航続力が長いからだ。
そう、小沢新第一航空艦隊長官は一方的に敵を叩き続けれる「アウトレンジ作戦」の発案者であり、それを今回の戦で実証するつもりであった。
ミッドウェー攻撃隊はミッドウェー付近に近づくと高度を下げるように命じた。
これは敵レーダーに捕捉されないようにするための苦肉の策である。
だがその効果は覿面であった。
ミッドウェー上空に達し、再び高度を上げて攻撃を開始した時、敵戦闘機は数えるほどしか上がっていなかった。
敵は明らかに早期発見に失敗していた。
攻撃隊指揮官の友永 丈市大尉は前回のミッドウェー作戦の際にもミッドウェー島攻撃隊の指揮官であった。
そして前回では彼の目には攻撃は不十分に映っていた。故に彼は「再攻撃の必要あり」と報告した。そして艦隊では装備の換装が始まり・・・・・・そしてそこを米軍に奇襲されて加賀と蒼龍を喪失した。
友永はその事に負い目を感じていた。今、日本が苦境にあるのは自分の未熟のせいだ、そう思っていた。
だから彼のこの攻撃にかける思いは強かった。
そして彼のその意気は攻撃隊全機に伝染していた。
制空戦を担当する二六機の零戦は猛禽の如く敵迎撃戦闘機に襲い掛かった。敵戦闘機の主力は陸軍のP40である。これは零戦の敵ではなかった。
少数ではあるが新型のP38や海兵隊のF4Uなども奮闘したが数に呑まれて駆逐されるだけであった。
苦境に立つ味方の救援の為に空襲の最中に離陸しようとする猛者もいた。いや、彼は猛者ではなく状況が見えていない愚者だったのかもしれない。彼は飛び立つ事もなく零戦の機銃掃射を受けて爆発、炎上。そしてその勢いで滑走路からはみ出して格納庫に激突。格納庫内の無事だった機体のことごとくを大破させていった。彼は日本軍から見て最大の功労者であった・・・・・・
そして今度は彗星隊が急降下に移る。
その高速性でP40の追撃を見事に振り切り、降下、投弾された二五〇キロ爆弾はその八割以上が何処頭に損害を与える有効弾となっていた。ミッドウェーはたちまち硝煙の煙と炎の渦に巻かれた。
そして止めを刺すのは天山の八〇〇キロ爆弾と九九艦爆の急降下である。
九九艦爆に乗る者は老練な搭乗員が多く、彗星隊が破壊しそこなった目標に向けて急降下を開始し、次々と戦果を挙げていった。
天山隊の八〇〇キロ爆弾は地中に埋められていた燃料タンクを易々と貫いて破壊せしめた。
もはやミッドウェーに航空基地としての能力は完全に失われていた。
それを悟った友永は旗艦赤城に向けてこう打電した。
「ミッドウェーハ壊滅セリ。次ナル目標ニ向ケテ準備サレタシ」
それは友永の復讐劇の閉幕の合図でもあった・・・・・・
「ミッドウェーが壊滅した?!」
その報を受けたハルゼーは声を荒げた。何の罪もない通信参謀はその怒りの暴風のむしろ被害者となっていた。
「提督、ここは一旦は撤退すべきです。空母の数は四対六ではいささか分が悪すぎます」
参謀達が口々にそう言う。ハルゼーはその言葉を聞いているうちに益々意地になっていった。
「だまれ!司令官はこの俺様だ!四対六だろうが何だろうが関係ない!!」
参謀達は蒼白になってハルゼーに翻意を求める。
「いいか、ジャップは損害を受けてもそれを補充する能力において我々に遠く及ばない。例え我々の空母四隻が全て沈められても敵の空母を一隻でも多く海底に叩きこめれれば我々の勝ちだ!だからジャップの空母を発見次第直ちに全攻撃隊を発艦させてジャップの空母を墓場送りにしてやる、いいな!!」
ハルゼーの主張は暴論に見えるが戦略の本質を突いている。
日本は基本的に損害を極力減らしながら戦わなければならないのだ。理由は先程ハルゼーが述べた通りである。
だがハルゼーにとってその主張ですら道具でしかなかった。
彼はただ純粋に戦いたかったのだ。
日本の空母機動部隊と。
彼はその機会に恵まれなかった。
第一次ミッドウェー戦の際には皮膚病の所為で親友のレイモンド・エイムズ・スプルーアンスにその指揮権を譲らねばならなかった。
南太平洋海戦では自分は後方にいたので機会がなかった。
彼ほどに日本を敵視していた指揮官はいないのに直接に対決した事はないのだ。それがハルゼーのいささか過剰すぎる闘志を燃え盛らせていた。
ハルゼーは熱かった。熱すぎるくらいであった。危険すぎるくらいに熱かった。
そして遂に発見した。
「空母六を中心にしたジャップの艦隊発見」
その報が舞い込んできた瞬間、ハルゼーをつないでいた理性の鎖は外された。
野獣と化したハルゼーの指導の下、米軍は攻撃隊を発艦させた。
一方、日本海軍の二式艦偵もハルゼー艦隊を発見していた。
「お、おい!あれを見ろ!」
大山上飛曹(昭和一七年十一月より呼称が変更された。実際には彼らは南太平洋海戦から出世はしていない)の叫びが二式艦偵の操縦席に木霊した。
手塚一飛曹は唖然とした。
「な・・・・・・なんだこれは?!」
敵空母から二〇〇機以上機体が次々と飛び立って、編隊を組んで、進撃を開始していた。その方向は彼らの母艦が存在する方向・・・・・・
つまりは第一航空艦隊の方角であった。