・・・・・・その場に栄光は無かった。
むしろその場は栄光から最も遠ざかった場所であった。
神奈川県横浜市日吉に移された連合艦隊司令部はそういう場所となっていた。
そして連合艦隊の栄光を泥まみれにしている張本人の表情は・・・・・・判別不能であった。
彼の名は結城 繁治。帝国海軍少将にして連合艦隊の参謀副長。
この会議の議題は単純明快ではあった。
つまりは「これからどうやって戦うか」であった。
「皆さん御承知のとおり・・・・・・」
結城はそう言うと持ってきた資料を手に取り、パラパラと内容を確認した。
その書類は先の「ガダルカナル沖航空戦」の戦闘レポートであった。無論、大本営発表のものではない。正確な数値を示したものだ。
「ガダルカナル沖航空戦」で、大本営は大戦果を宣伝したがその九割方は虚構であった。ガダルカナル島の艦爆、陸攻隊は壊滅的打撃を受けていた。それにも関わらず戦果はほとんど無かった。
惨敗であった。
それ故にこの会議の重要性は言葉で表現しきれないほどに高かった。
「我が軍はこの航空戦で大敗を喫しました。戦闘機隊はそこそこの戦果を示せましたが攻撃隊の被害が甚大すぎました」
会議に参加する面々は、無論全員がその正確な数字を知っているはずだ。だがそのレポートを見ていると自然と溜息が漏れた。
「しかし本当にこれだけの被害を受けたのかね?こんな数字は俄かには信じられんぞ・・・・・・」
宇垣参謀長がそう嘆息した。無理も無い。最新鋭機ばかりで構成された攻撃隊の八割方が失われたのだ。常識的に考えればこんな数字はありえない。
「敵の新型信管の仕業ですよ」
結城は解説を始める。
「その信管は敵機の近くを通ると勝手に信管を作動させる。これならば従来の時限信管式に比べて三倍以上の命中率を挙げれますよ。我が軍は対空火力の強化の為に並みの艦の三倍以上の対空火力を持った吉野型を建造しました。言うなればこの吉野は対空砲火の命中率の低さをその門数で補おうとしたのです。しかし米軍は信管自体を変えて、すべての護衛艦を吉野並の対空砲火を持つ『眞鐵の随人』に仕立てた訳です」
むぅ、と会議に参加した全員が息を呑んだ。何十隻にもおよぶ吉野型に護衛された空母群・・・・・・詰まるところの今の米艦隊のイメージはそれであった。第一次ミッドウェー海戦以来、幾度となく吉野型の挙げた戦果の凄まじさを聞かされてきた参謀連にはそれは悪夢でしかなかった。
「では航空攻撃はこれから迂闊にはできない、と言う事ですか?」
そう言ったのは切れ者として名高い連合艦隊航空甲参謀の樋端 久利雄大佐である。
「その通りです」
結城はあっさりと言ってのけた。
「それは・・・・・・」
さすがの樋端も返答に詰まった。
「それでは海戦に勝てない、と言う事か」
樋端の言いたかったことを山本 五十六連合艦隊司令長官が引き取った。
「海戦に勝てないと言う事は制海権が取れない。それはつまり太平洋を主戦場とする我々にとって・・・・・・」
「敗北」
この二文字が会議場の全員の脳内を駆け巡った。
だが結城自身はそれほど悩んではいないようであった。
「そんなことはありませんよ。まだ我が軍にも勝機はあります」
結城は敢えて自身たっぷりに断言してみせた。そして会議場の面々には結城がとても頼もしく映った。
「どんな方法かね?」
宇垣 纏GF参謀長が結城に問いただした。謹厳実直な宇垣は結城のふてぶてしさに正直な話、腹を立てていた。だがそれでも結城の能力は否定していなかった。
「何、簡単な話ですよ。つまりですね・・・・・・・・・・・・」
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結城は説明を終えて着席した。長く喋りすぎたので喉が渇いてしまった。卓上の紅茶を一杯飲む。
うん、美味い。
その紅茶は結城自らが入れた紅茶である。無論、その味付けは結城の好みとなっている。同じく紅茶にしていた樋端も結城が紅茶を飲むのを見てからその存在を思い出したのか、ようやく紅茶に手をつけた。
そして樋端は顔をしかめた。
「・・・・・・」
樋端が結城に恨めしげな視線を送る。何だ、この味は!、と目が語っている。
「君の作戦はたしかに有効だろう」
そう評したのは参謀長の宇垣である。彼はコーヒーにしていたのであの災害から逃れれていた。偶然とはいえ幸運であった。
「だがその戦法ではせいぜい敵の侵攻を遅らせる程度だ。我々の空母兵力が揃うころには米軍のそれは我々を遥かに上回るものになっているぞ。その辺はどうするのかね?」
と宇垣は結城の作戦案に修正を求めた。
「いえ、それも考えています」
コホン、と一つ咳払い。そして再び結城は自らの作戦案を語り始めた。
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「なるほどな・・・・・・では第一段階ではその『甲案』を用いて、第二段階でその『乙案』を使うわけか・・・・・・」
「はい、そのとおりです。これで敵の侵攻を一年は遅らせれるはずです」
「では・・・・・・」
と樋端が結城と宇垣とに割って入った。
「その『甲案』を今すぐ実行に移しましょう。米軍はすぐにでもガ島に殺到するはずです」
「そうだな、では今すぐに準備にかかろう」
「艦隊の方は大丈夫か?」
「ああ、錬度においては疑問の余地なしだ」
参謀連が一気に動き出した。だが結城は口を開いて、言葉を紡ぎだした。その言は恐ろしく冷たい・・・・・・
「その必要はありません」
参謀連の視線が結城に集中する。だが結城はその視線の集中砲火にめげずに続けた。
「ガ島は放棄します。あの島にこだわって貴重な兵力をすり潰す必要はありませんから」
「だがあの島は戦略上貴重な要所・・・・・・」
「『だった』ですよ。それはもはや過去形で語るべきだ」
結城はそう断言してみせた。
「もはや米豪遮断は不可能だ。ならばあの島はもはや要所ではないよ」
結城は今までたいした発言もせずに黙って会議の行く末を見守っていた山本GF長官の方にふりむいた。
「長官、ガ島よりの撤退の許可を願います」
山本は目を閉じていた。そしてその目を静かに開き、口を開いた。
「結城君・・・・・・君が軍令部を説得するのだぞ?」
結城はその言葉にミリグラムも恐れはしなかった。剛胆に頷き、一礼した。
「な、何ですって?!」
ガダルカナル島に駐留する海軍航空隊の総司令官を務める草鹿 任一中将は驚愕した。
「ほ、本気ですか?栗林さん!!」
目の前のガ島守備隊の司令官、栗林 忠道中将は静かに頷いた。そして一通の電文を差し出した。
草鹿は食い入るようにその電文を睨みつけた。そして視線が下に下がっていけばいくほど彼の顔から血の気が引いていった。
その電文は「陸軍ガ島駐留部隊は海軍撤退後も同地を死守されたし」という内容が記載されていた。
「残念ながら大本営はガ島をタダで渡したくないようです」
栗林は悲しげに笑う。その電文はガ島守備隊に対する死刑宣告文も同然であった。
「バカな・・・・・・我々が撤退すれば制海権はおろか制空権すら維持できなくなる。そうなれば如何なる手段でも補給が続かなくなる・・・・・・それでは・・・・・・」
草鹿はその続きが言えなかった。
「いえ、草鹿さん、気にしないで下さい。今、海軍さんが大変なのは存じています。そして今、帝国にとって時間は宝石よりも貴重だ、と言う事も。我々は全兵が修羅と化して米軍の侵攻をこのガ島で食い止めてみせますよ」
栗林は草鹿を労わるように言った。
「それに我々も簡単にやられるつもりは毛頭ありませんよ。上手くいけば海軍さんの再攻勢まで持ちつづけてみせますよ」
それはただのリップ・サービスなのは目に見えている。もはや草鹿は何も言えず、ただ敬礼をするばかりであった。
こうしてガ島から海軍航空隊は去り、陸軍の守備隊二万が独り残された・・・・・・
・・・・・・その男を漢字一文字で表せばこう表記されるだろう。
「怒」
彼、吉野型対空巡洋艦二番艦九頭竜艦長の熊田 昭彦は内心の怒りを何とか自制しながらGF司令部の一室に向けて歩んでいた。
途中ですれ違うGFの部員のほとんどは彼と目を合わそうとしない。そしてそれは賢明な判断であった。今の彼は軍令部総長でも、GF長官でも殴りかかりかねない危険極まりない人物であった。
「おい、義弟!!」
扉を開けるなり熊田が怒鳴り込んできた。室内の者は皆、何事か?!、と熊田を見つめた。一人の例外を除いて。
そしてその例外は熊田を見ずに、悪びれる風もなく言った。
「何のようですか、お義兄さん?」
熊田は「フンッ」と鼻を鳴らして近寄った。途中で室内の者を無理矢理退かす。邪魔だったのだ。
「ちょっと来て貰おうか?聞きたい事があってな、参謀副長殿?!」
「わかった」
結城は感情を消してそう答えた。室内の者には「研究を続けてくれ」と言い残して。
室内の者は突然襲来した嵐が去った事を素直に喜んだ。そして自らの仕事に戻った。卓上の地図は帝国海軍最大の軍港島であるトラック群島のものであった・・・・・・
「相変わらず、度胸だけはいいな?」
熊田の声には棘がありすぎた。
「久しぶりだな、熊田。同窓会の誘いじゃなさそうだな」
「当たり前だ。それに貴様、わかっているだろうだ?!」
結城は煙草を取り出して一本咥えた。ガ島占領時に接収した米軍の「ラッキーストライク」である。
「いるか?」
熊田はその申し出をありがたく受け取った。マッチで火をつけ、二人で煙突のように紫煙を吐く。
「・・・・・・洋モクとは驚いた。さすがはGF参謀副長サマだぜ」
「ガ島からの撤退の事か?」
熊田は結城の顔を視線で貫くかのように睨みつけた。
「わかってんじゃねーか」
ふぅ、と熊田は肺の中の紫煙をすべて吐き出した。
「単刀直入に聞こうか。・・・・・・何故、陸軍を残した?」
「・・・・・・さあな。俺に聞くより陸軍に聞いてくれ。まぁ、どうせ奴等は兵隊の命なんて屁とも思っていない奴等だからな」
「ほう・・・・・・」
熊田は熊の如き巨体を結城に近づけた。
「お前のことだからやろうと思えば陸軍も説き伏せれた筈だ。現にそうやって参謀副長に栄転以来、様々な陰謀を張り巡らしたじゃねーか」
「・・・・・・・・・・・・」
結城は沈黙を守った。
「ガ島放棄自体は正しい英断だと言える。だが何故陸軍を残したのだ?奴等の運命は一つだぞ」
敢えて熊田もその運命の内容を言おうとは思わなかった。
「我々には時間が必要だ」
そう言い終えれないうちに結城は熊田に軍服の襟首を締め上げられた。
「貴様!!」
だが結城は極めて落ち着き払っている。
「そうだ、ガ島守備隊には全滅してもらう。これで貴重な時間が稼げる!!」
「まだ言うか!!」
熊田が結城に鉄拳を見舞おうとする。結城も黙ってそれを受け止めるようだ。それが益々熊田には気に食わない。
「待ってください!!」
そう言って二人を止めたのは九頭竜副長の三島 肇であった。
「落ち着いて下さい。仮にも帝国海軍大佐と少将が何と言う体ですか?!」
三島の言葉で我に返った熊田は結城を掴む手を離した。
「・・・・・・すまんな」
「いや、俺はそうされて当たり前の事をしているから・・・・・・」
結城の表情は寂しげである。
「・・・・・・結城、まだ間に合うぞ」
「・・・・・・いくらプレミア付きとはいえ俺一人の名誉で帝国臣民一億の安全が買えるならば構わないさ。今の俺はメフィストテレスと契約してもいい。とにかくこの戦争を終わらせねばならん。敗戦以外の結末で、だ」
「そうか・・・・・・邪魔したな、結城。俺は帰る。・・・・・・だが早めに出番をくれよ」
「ああ・・・・・・・・・・・・」
熊田が視界から完全に消えてからも結城はそこから動こうとはしなかった。
いくら決意を固めたとはいえまだ結城は未練があったのかもしれない。
だが結城は頭を振って、思考を入れ替えた。
そして自分を待っているであろう者たちのもとへと戻っていった。まだ『乙案』の最終調整が残っていた。
昭和一八年一二月一〇日。
終に米軍のガ島再上陸は開始された。
既に制海権を確保していた米軍は最重要地点である飛行場を一二日には占領した。
「この調子ならガ島はクリスマス中に片付くかな?」
そう考えていた矢先に栗林兵団の反撃は開始された。
ガ島の密林から次々と打ち込まれる重砲。その弾丸は飛行場を徹底的に叩いた。
米軍が戦艦の艦砲射撃や空母艦載機の精密爆撃を加えても、濃厚な密林にはたいした効果は上げれず・・・・・・
終には痺れを切らした米陸軍が掃討戦に討ってでるも帝国陸軍の徹底したゲリラ戦術に逆に掻き回される始末・・・・・・
結局、米軍がガ島の完全占領を宣言したのは翌年の二月一三日であった。
・・・・・・帝国陸軍は栗林兵団二万の兵力のうち、八割が戦死もしくは餓死するという壮烈な最後を遂げた。
栗林 忠道大将(昭和一九年一月に昇進している。後世の歴史家曰く「死後の昇進の前払い」)は二月八日に自害した。彼の勇猛果敢な指揮ぶりは今尚、米軍の中で恐怖の伝説として語り継がれている。曰く、「もしもクリバヤシに補給が続いていたなら我が軍はガ島から追い出されていた」である。そして戦後、ベトナムで戦われた戦争ではベトコンたちが栗林兵団を参考にしてゲリラ戦を展開したほどだ。
ともあれニューギニア戦線に食い込んでいた帝国の剣先、ガ島は陥落した。
そして米軍は次なる目標に向けて動き出した。
その目標地点はマリアナ諸島・・・・・・
そしてそれを察知した帝国海軍は大型空母五隻(大鳳、赤城、翔鶴、瑞鶴、飛鷹)、戦艦一一隻(大和、武蔵、信濃、長門、陸奥、日向、伊勢、金剛、比叡、霧島、榛名)を含む大艦隊を差し向けてマリアナ防衛を目指した。
それに立ち向かうは第一次ミッドウェー海戦で勇戦した智将レイモンド・エイムズ・スプルーアンス中将であり、空母はエセックス級が五隻(エセックス、ヨークタウン(二代目)、エンタープライズ(二代目)、ホーネット(二代目)、レキシントン(二代目))、インディペンデンス級が三隻(プリンストン、ベローウッド、カウペンス)、戦艦が一〇隻(アイオワ、ニュージャージ、ミズーリ、ウィスコンシン、サウスダコタ、インディアナ、マサチューセッツ、アラバマ、ノースカロライナ、ワシントン)を中心とした大艦隊である。
もはや兵力数では米軍は帝国を上回っていた。
それに対し、結城の『甲案』は通用するのだろうか?!
昭和一九年五月一〇日、ついに決戦は生起した!!