・・・・・・昭和一七年八月八日に米軍は南太平洋のガダルカナル島に上陸を開始。
ニューギニア方面の日本軍に対する反攻作戦の橋頭堡を築いた。
日本軍はそれを阻止すべく、陸軍の増援の派遣や、ラバウルを中心としたニューギニア方面の全海軍機を投入して米軍に立ち向かった。
だが!
陸軍の増援計画はそのどれもが兵力の逐次投入にすぎず、また海軍航空隊も米軍の圧倒的なまでの補給力の前に賽の河原のような労苦を強いられていた。
海軍航空隊はわずか数ヶ月で搭乗員が目まぐるしく入れ替わり・・・・・・無論、ただ後方に下がって休養したのではない。戦死するか二度と操縦桿を握り、大空に飛びたてなくなったかのどれかだ・・・・・・いつしかラバウルは「搭乗員の墓場」とまで言われるようになった。
そう、日本軍は消耗戦という最悪の戦いに引きずり込まれたのであった。
海軍上層部はその消耗戦に終止符を打つべく行動を開始した。
故に日本が誇る防空巡洋艦吉野はここにいる。吉野はガダルカナル島を目指して前進を続けていた・・・・・・
「それにしても暑いなぁ・・・・・・」
吉野艦長結城 繁治大佐は今日に入って十回目のボヤキを入れた。・・・・・・ちなみに今は昭和一七年十月一三日の午前九時二三分である。結城は日が昇り始めてからきっかり一五分毎にぼやき続けている。
・・・・・・体内時計が余程正確なんだな、艦長は・・・・・・と砲術長の高井 次郎少佐は妙なことに関心していた。
「艦長は北国出身なんですか?」
そう聞いたのは吉野副長の網城 雄介中佐は丁寧に聞いた。以前の彼ならば既に激怒していただろうが、ミッドウェーでの結城の戦い振りを見て以来、その操艦技術と指揮の的確さに完全に惚れこんでおり結城を敬愛するようになっていた。
「いやぁ・・・・・・大阪出身だがね」
結城が辛そうに言う。
「昔から暑いのは嫌いなんだよ。・・・・・・寒いのはもっと嫌いだがね」
「じゃあ春と秋だけが残りますな」
「いいじゃないか・・・・毎日花見や月見で酒が飲めるよ?」
・・・・・・そんなことを言う海軍軍人も珍しい。結城は本当に帝国海軍の異端児であった。
「ああ、副長。ガ島には何時つくのかね?」
「は、今夜になりそうです」
「敵機が来なくては吉野も役に立たないからなぁ・・・・・・」
高井が空を見上げながら呟いた。その声は敵機が来るのを待っているように聞こえるし、事実そうであった。網城は少し眉をひそめて言った。
「砲術長、敵機にまだ発見すらされてないのは良いことじゃないか。奇襲に成功できれば言うことナシだよ」
「確かにそうですが・・・・・・」
高井は頭をボリボリと掻きながら言う。どこか納得がいかないようだ。
ま、しかたないか・・・・・・そう網城は思う。吉野は敵航空機の攻撃から艦隊の主力をその猛烈な対空砲火で守りきるのを主任務としている。それに特化した吉野にとって敵機の来襲が無ければ戦果を挙げるのが難しいのだ。網城は艦橋の窓から艦首に四基、背負い式に備え付けられている長一〇センチ砲連装砲塔を見つめる。吉野は艦尾にも同様に連装砲塔が背負い式に四基、舷側に連想砲塔が片舷に連装砲塔が六基備え付けられており、甲板のいたるところに所狭し、とスウェーデンのボフォース社からライセンスを買い取って生産した一式四〇ミリ対空機関砲や九四式二五ミリ機銃改が並べられている。九四式二五ミリ機銃改は従来のまったくあたらないことで定評だった九四式二五ミリ機銃をマトモにあたるように改造したものだ。だがそれでも一式四〇ミリには遠く及ばないのが現実であり、将来的には帝国海軍の対空機銃はすべて一式に変更される予定だ。
高角砲が計三二門。機銃が大小あわせて一〇〇門。これが吉野の火力のすべてである。帝国海軍の巡洋艦は魚雷を装備しているのが普通だが、吉野はその魚雷すら搭載せずに対空砲火にすべてをかけた。究極の対空巡洋艦とも言えよう。その必至に主力艦たる空母や戦艦を護衛する姿からいつしか吉野のことをこう呼ぶ者がいるという。
「眞鐵の随人」
と・・・・・・眞鐵というのは要するに鋼鉄製ということ。そして随人は平安の時代に、貴族や皇族といった要人を護衛するために武装して仕えていた者たちのこと。一度主人が盗賊や物の怪に襲われようならば、その腰に下げた太刀を抜き、勇猛果敢に切りかかり主人を守りきった男達を指す言葉・・・・・・まさに吉野の本質を言い表したことばである・・・・・・
そして陽は水平線の彼方に落ちた。辺りは一面が夜の闇に包まれる。高速戦艦比叡、榛名を中核とした艦隊はまったく米軍に気付かれること無くガダルカナル島の米軍最大の航空基地、ヘンダーソンに到着していた。
尚、この飛行場の名の由来となったヘンダーソンとはかのミッドウェーで奮戦するも無念の戦死を遂げた海兵隊のドーントレス乗りの名である。そしてそのヘンダーソンを爆砕すべく比叡、榛名の二艦は主砲をゆっくりと、獲物を前にした猛獣が舌なめずりをするかのようにゆっくりと旋回させて狙いを定めていた・・・・・・
「いよいよ始まるな・・・・・・」
そう呟いたのは網城である。
「グッバイ、ヘンダーソン・・・・・・」
結城が静かにそう呟いた時、比叡と榛名が轟然と吼えた!!
暗黒の闇に包まれていたはずのヘンダーソン基地が真っ赤に燃える!
比叡と榛名の主砲弾は一発辺り六〇〇キロ以上の重量を誇る。我が主力艦爆の九九艦爆の搭載量が二五〇キロなのだ。そして比叡と榛名は一艦辺りで八門の主砲を搭載している。つまり比叡と榛名が一度斉射を撃つだけで一六発もの六〇〇キロ弾が飛び出すのだ。
戦艦とはかくも恐ろしい艦種なのだ!
そう、今や航空機に主兵力の座を奪われた戦艦ではあるがその一撃の破壊力は航空機など足元にも及ばない。まさに最強の大海獣、それが戦艦である・・・・・・
そしてヘンダーソンにいままでのモノより遥かに大きな火球が炸裂した。その炎の渦はガ島奪回への日本軍の前進基地となったラバウル空襲用として配備されたB17を一撃で粉々にした。さらにヘンダーソンの空を守るはずだったF4FやP40なども一緒に粉砕してみせる!すさまじいまでの破壊力である・・・・・・
「あれは・・・・・・」
「三式弾だな」
結城が艦橋の面々に教えてやった。
「戦艦の主砲弾をもって航空機を撃墜するために開発された対空弾だよ。周囲何百メートルにああやって砲弾の破片や火の粉を撒き散らして敵機を撃墜するのさ。だがその性質上、対地攻撃でも大戦果が挙げれる訳だ・・・・・・」
ホゥ、と艦橋の要員が感嘆の息を漏らすのが聞こえる。結城はそれを無視しながら電探室へ通じる伝声管に怒鳴った。
「敵影は無いか?」
「ありません」
次に結城は見張り員に同じ事を聞く。そして同じ答えが見張り員から返ってきた。結城はその返事に満足しながら視線を再びヘンダーソン基地へと向けた。そうしている間にもまた一弾がヘンダーソン基地に紅い、炎の花びらを広げていた・・・・・・
・・・・・・比叡艦橋から「撃ち方止め」の指令が飛んだのは零時五十分。
比叡、榛名は今までの咆哮によって赤く、灼けた砲身の仰角を解いた。
そしてそれはヘンダーソン基地を襲った狂乱の終結であった。
しかしヘンダーソン基地にとってそれは何の意味も無かった。
ヘンダーソンはその至る所が戦艦や重巡洋艦、駆逐艦と言った大小様々な艦の砲撃(吉野は参加しなかった)によって穴だらけにされており、もはや飛行場としての機能は完全に消失、いや焼失していた。
「これでしばらくは使用不能になりましたね」
網城が言う。
「だが米軍の補給能力をバカにしてはいけないな。おそらく一週間もあれば回復できるだろうよ・・・・・・」
結城の言葉に、「まさか?」と言う表情を浮かべる網城。幾らなんでもあそこまでの地獄絵図に変えられてはおいそれと回復できないと思うのだが・・・・・・
「甘いよ、副長」
結城が溜息混じりに呟いた。
「我等の相手とはそんな奴等なんだよ。はやく総攻撃に転じなければこちらがジリ貧になるだけ・・・・・・敗北は必至だよ」
網城は背筋が寒くなるのを感じていた。そしてもう一度ヘンダーソン基地を見て・・・・・・視線を逸らした。
「ヘンダーソンが壊滅?!」
変わってここはヌーメアの米軍司令部・・・・・・
そのデスクに踏ん反り返っていた男はその報告に声を荒げた。ただそれを知らせに来た哀れな通信兵は怯えきった表情を浮かべている。
男の名はウィリアム・フレデリック・ハルゼー。通称、「ブル・ハルゼー」。米海軍でも屈指の闘将であり、開戦前から空母機動部隊の運用を研究し、「将来の海戦の主力は空母だ!」と主張し続けてきた生粋の航空主兵論者である。日本で例えるならば山口や大西と言った所か。ただしこの御仁のファイティング・スピリットは尋常ではない。「航空主兵論者たるもの航空機を飛ばせないでどうする!」とでも言わんばかりに、年齢制限があるにもかかわらず、無理矢理に航空機の免許をもぎ取ったのだ。日本の山口や大西でもここまで徹底してはいない。彼は正に骨の随まで航空主兵で埋められていた。
開戦後は「キル・ジャップ、キル・ジャップ、キル・モアジャップス!(日本人を殺せ、日本人を殺せ、日本人をもっと殺せ!)」を合言葉に、一九四二年(昭和で言うなら一七年)に陸軍機をむりやり空母に搭載させて東京初空襲を実現させるなど、積極果敢な戦闘をし続けていた。だが無理がたたって悪性の皮膚病となり一時は入院までしていた。そしてその自分の代役として立てたレイモンド・エイムズ・スプルーアンスがミッドウェーで戦ったのである。
そして彼は帰ってきた。南太平洋部隊指揮官として・・・・・・
今の彼は自慢の極度に太い眉毛を逆八の字にして怒り狂っていた。
「うぬぬぬぬ・・・・・ジャップめ!戦艦での夜襲とは卑怯な奴め!正々堂々出てこれんのか!!」
ハルゼーの主張はどこかずれているようであったがさすがに南太平洋部隊指揮官に任命されるだけあってすぐさま思考回路を変更させた。
「オイ、すぐさま空母を掻き集めろ!全空母をもってジャップの反攻を止めてやる!!」
・・・・・・こうしてハルゼーの鶴の一声、もとい「ブル」の一声で南太平洋に米軍が太平洋方面に所持している全空母が集められた。
その陣容はエンタープライズ、ホーネット、サラトガ、レンジャーの計四隻である。
エンタープライズはミッドウェーで無念の最期を遂げたヨークタウンとの同型艦でありその戦力は我が方の飛龍に匹敵する。
そしてホーネットは先月、ヨークタウンの同型艦で、先にも書いた東京初空襲でその名を挙げた歴戦の空母だ。
サラトガは元々は巡洋戦艦として起工された船体を改造して作り上げた空母であり、我が方の赤城や加賀に匹敵する。同型艦のレキシントンは珊瑚海にて沈没している。
レンジャーとは大西洋方面で主に働いていた軽空母なのだが太平洋方面の戦局危急の為に太平洋に回航されてきたのだ。だがその搭載量は正規空母に匹敵するものであり、決して油断できる兵力ではない。
そう、これだけの戦力ならば決してジャップに劣りはしない。上手くいけばミッドウェーのような勝利も夢ではない。
ハルゼーはそう信じて満を持して艦隊を送り出した。艦隊の司令は本来ならば自分でしたかったがそうもいかずに、トーマス・キンケイドに任せる事となった。そしてハルゼーは僚友の勝利をヌーメアで待つ事にした・・・・・・・
「ガダルに行ったと思ったら今度は決戦ですか・・・・・・やれやれ体が幾つあっても足りませんな」
高井の言葉を嗜めるように網城は言った。
「それだけ頼りにされているんだ。光栄ではないか」
「それにガダル砲撃作戦では何もしなかったからな。弾薬も燃料もいっぱいあるからな・・・・・・」
結城はタバコを咥えて火を点けた。艦橋で吸うタバコは一品だ。軍紀違反であるが・・・・・・
「今度の海戦には二番艦の九頭竜も参加するそうですね」
網城がやや眉をひそめながら言った。
「おお、あの艦長は頼りになるぞ」
珍しく結城が他人をベタ褒めしている。結城はそのようなことをするタイプではないのに・・・・・・
「なんせオレの兄だからな」
「え?!」
網城が驚く。高井は知っているので驚かなかった。そして高井は網城に説明してやった。
「艦長の奥さんのお兄さんが九頭竜の艦長なんだ。ようするに義兄だよ」
「へえ、艦長結婚してたんですか・・・・・・」
「悪いか」
その時の吉野艦長と副長の表情は見物であった、と高井は後に酒の席でそうのたもうた。
「今度は負けんぞ、米軍・・・・・・」
第一航空艦隊の旗艦赤城の艦橋で南雲 忠一中将は呟いた。その両目は決意の炎に燃えていた。
第一航空艦隊はかつて赤城、加賀の第一航空戦隊と蒼龍、飛龍の第二航空戦隊、翔鶴、瑞鶴の第五航空戦隊で編成されていた。
だがミッドウェーで被害を被り、新鋭艦も加わったので編成に修正が入っている。
第一航空戦隊が赤城と飛龍のミッドウェーからの生還組に再編されている。先にも書いたが米軍で言うならばサラトガとヨークタウンに匹敵する強力な戦隊だ。
第二航空戦隊は翔鶴、瑞鶴の旧第五航空戦隊が繰り上げられている。この二隻が同型であり、その能力は今の所他の追随を許さない。搭載量、速力、防御力とすべての面で世界一の最強の空母である。その二隻で編成されるので事実上は艦隊の中核とも言える。ちなみにこの戦隊の司令が大西 瀧次郎である。
第三航空戦隊は豪華客船から改造された空母隼鷹、飛鷹で編成されている。豪華客船からの改造の為に速力は二五ノットとやや鈍足の印象は免れないがその搭載量はミッドウェーで非業の死を遂げた蒼龍に匹敵する。
そう、ミッドウェーで思わぬ躓きを演じてしまった帝国海軍であるが隼鷹、飛鷹の加入によってミッドウェー以前とほぼ変わらない戦力を持っているのだ。
この艦隊で米艦隊を壊滅させてガダルカナル島周辺の制海権を奪い、ガダルカナル島を奪還する・・・・・・これこそが今回の作戦目標である。単純極まりない作戦だ。
だがそれ故に失敗も許されはしない。南雲はかつて無い程の闘志に包まれて南太平洋を驀進していた・・・・・・