眞鐵の随人
第五章 ガ島制圧セリ


 ・・・・・・南太平洋に旭が昇る。水平線下より現れていく旭光は神々しいまでに美しい。
 そしてその旭光をモチーフにした旗を使う国があった。
 空母翔鶴の艦橋で静かにその旭光を見つめる男の祖国である。
 男、第二航空戦隊司令長官の大西 瀧次郎はその両目を堅く閉じたまま考え込んでいた。
 先の海戦、後世に言う所の「南太平洋海戦」の結果についてである。
 あの海戦は結果的には日本の勝利となり、米海軍は遂に手持ちの稼動空母を全て失っていた。
 対する日本は損傷艦こそ出たものの基本的に沈んだ空母はいない。
 素人目には日本の完勝である。かつての日本海海戦のように・・・・・・
 だが大西はプロであった。それだけに自分達の置かれた状況がわかっていた。
 あの海戦では第一次攻撃隊を戦闘機だけで構成し、制空権を奪うと言う、「戦闘機殲滅戦」、英語で言う所の「ファイター・スイープ」をしかけた。日本海軍の零戦はF4Fに勝る。
 それは先の戦いでも実証された。数で、錬度で勝っていた第一次攻撃隊は敵艦隊上空を完全に制圧した。
 後は第二次、第三次攻撃隊が無防備な敵艦隊を狙うだけであった。
 日本の勝利は約束されていた・・・・・・筈であった。
 だが攻撃隊、つまりは艦爆と艦攻の損害は恐ろしいまでに多かった。
 五割・・・・・・
 これが未帰還率であった。
 損傷で使い物にならなくなった機体を含めればその数字はさらに大きくなる。最終的には稼動機が三割を切ったのであった。
 その原因は敵の対空砲火の凄まじさにあったと言う。
 敵は戦艦を対空砲火の要にしたという。対空砲火専門の巡洋艦を用意していたとも言う。
 要は我が方の吉野型のようなもの・・・・・・
 個々の性能では吉野にはおよばないのも事実ではあった。
 だが米国の生産力はそれを補って尚、余りあるものであった。
 それ故に攻撃隊の損害は指揮官の表情を蒼ざめさせるに充分であった。
 「多聞丸の秘策を持ってしてこれか・・・・・・」
 大西は自嘲気味に呟いた。
 そう、第一次攻撃隊を戦闘機だけで構成するように大西に提案したのは親友にして航空本部長の山口 多聞であった。あのミッドウェーの後に再開した二人は酒を飲んだ。その時に山口から教えてもらったのがあの秘策だったのだ。そしてその有効性を認識した大西はその実行を第一航空艦隊司令長官南雲 忠一に進言して受け入れさせたのだ。
 秘策を用い、搭乗員達が必死に戦ったのにもかかわらず結果的には再び痛み分けに終わっていた。
 しばらくは双方の機動部隊は戦力の回復に務めなければならない。そして再び決戦を迎える。だが何時までも零戦神話が通用するわけではない。
 そう思うと大西は前途が不安に満ちてくるのを感じていた・・・・・・

 ともあれガ島近海の制海権を握った日本海軍はガ島の陸軍部隊に総攻撃を開始させた。
 だが米軍は既に撤退を決定しており、弾薬に気を使う必要が無いために全力で撃退して見せた。
 陸軍上層部はこれを「ガ島の敵部隊は絶望的なまでに強化されている」と誤認し、さらなる増援の増派を決定する。また陸軍は海軍にこれ以上の米軍の兵力増強を許さないように、とガ島付近の輸送船狩りを依頼。
 海軍は水雷戦隊や時には重巡すら用いた輸送船狩りを行った。
 米軍は仕方なしに兵員の輸送手段を無防備な輸送船から軽巡や駆逐艦に変更してその対応にあたる事にした。

 「まだ無事のようだな・・・・・・」
 故に合衆国海軍大佐アーレイ・バークは水雷戦隊を率いてここにいた。
 旗下の八隻の駆逐艦にはガ島守備を担当していた陸軍兵を乗せて帰らねばならない。日本軍の目を盗んで彼等を無事に連れて帰るのが今のバークの最重要任務であった。
 旗艦である駆逐艦プランケットはリバモア級駆逐艦の一隻である。最大速力三七ノットを誇り、一二.七センチ両用砲五門、一二.七ミリ対空機銃十門、魚雷発射管十門の中々に強力な駆逐艦である。またその生産性も非常に優れており、何十隻もの姉妹艦が存在している。
 だが駆逐艦と言う艦種はギリギリの線で建造されていることが多い。いや、全てがそうだと断言しても構わない。このリバモア級にしても一隻で救いうるガ島守備隊は一個中隊がいい所である。これでは全兵員が撤退するまでに何往復しなければならないか・・・・・・しかも日本軍は見逃してくれるほどのお人好しではない。万が一にも追撃されては壊走するしかない。そうなれば・・・・・・
 バークは表情を引き締めた。
 そうなればソロモンの海は合衆国の貴重な財産でもある青年達の血で赤く染まるだろう・・・・・・いままで幾多の、日米を問わず、血を吸いつづけたソロモンの海は一体何処まで貪欲なのだろう。バークはそう思いすらしていた。
 「レーダー室、異常はないか?」
 バークの問いに対しレーダー室は、「空、海、共に異常ナシ」と伝えた。先ほどからバークは一五分毎に聞いている。これだけで如何にバークが無事に事を進めようとしているか窺える。彼は中々に慎重な性格をしていた。
 そしてバークは視線をソロモンの水平線に戻した。まだその彼方から旭日の旗を仰いだ死神が現れる様子は無い・・・・・・

 ・・・・・・バーク達の水雷戦隊から一〇〇キロほど離れた所にいた男はあまりいい表情をしていなかった。
 別にバーク達のように敵に怯えているわけではない。何故なら彼は勝ち組みだからだ。
 五藤 存知少将は青葉、衣笠、古鷹、加古で構成される重巡部隊の第六戦隊を率いてガ島近海の輸送船狩りに従事していた。
 だが五藤は日本海軍にありがちな男であり、輸送船を襲うことを良くは思っていなかった。
 ・・・・・・そんなことは武人のするべきことではない・・・・・・
 要は五藤は軍人ではなく武人であった。それも古風な武人であり、戦艦同士の砲撃戦や勇猛果敢に突撃し、敵戦艦に肉迫雷撃をかける水雷戦を本懐としていた。故に今の航空主兵時代に対応しきれていなかった。
 しかも彼は電探の有効性すら認識していなかった。
 既にミッドウェーや南太平洋でその優秀性を確認していた電探を彼は嫌っていた。
 理由?
 ・・・・・・花魁の簪みたいで艦の見栄えが悪くなるから・・・・・・
 バカな!そう思った貴方は正しい。だが彼の中ではその考えこそが正しかった。それに彼は電探よりも見張り員の方に期待していた。
 理由?
 ・・・・・・これまでの慣習だから・・・・・・
 要するに五藤という男は古きよき時代を愛する男であった。時代の流れと言うのを感じることはないし感じたいとも思っていない。
 個人的にそうするならば構わなかった。だが仮にも戦隊司令官としての態度としては・・・・・・最悪であった。
 だからこそ悲劇は生じた。
 一人の男の無理解によって多くの男たちが死んでいくこととなった・・・・・・

 「レーダーに敵影!」
 既に付近は闇に包まれている。航空機と言う障害の一つは取り除かれた。だが鋼鉄のレヴァイアサンの血族の出番はこれからであった。
 そんな矢先にバーク達は敵艦と遭遇した。
 艦数四。
 艦種はわからない。駆逐艦に搭載されている程度のレーダーでは、まぁ、これが限度か。
 バークは決断を迫られていた。戦うべきか、逃げるべきか・・・・・・
 だが敵艦隊はこちらの進路を完全に塞いでいる。何としても今夜中にガダルカナルに行き、多くの将兵を救わねばならないバークにとっては戦わなければならない相手であった。
 ・・・・・・幸いな事に敵はこちらに気付いていない。先手は取れる・・・・・・
 「よし、突撃せよ!!」
 こうして海戦は開始された。

 五藤は突然の敵艦の砲撃に文字通り飛び上がった。
 その夜は月が雲に隠れておりまったくの闇夜であった。さすがに優秀極まりない見張り員もアテにできない。
 ・・・・・・今日は何事も無く終わりそうだな・・・・・・
 五藤は漠然とそう思っていたその瞬間であった。
 前方の海面が光った。それも一つや二つではない。何十にも及ぶ光が前方を覆い尽くした。
 そして何かが空を切り裂く音。
 そして着弾の衝撃。
 たちまち混乱の渦となる第六戦隊旗艦重巡洋艦青葉。
 だがその衝撃は小さいものでしかない。どうやら駆逐艦のようだ。
 先手を許したので完勝はできないかもしれないが負けはしない。
 そのはずだった。
 だが五藤はその攻撃を敵のものとは思わなかった。
 だから彼は・・・・・・
 「信号員、『我、青葉』と報告しろ!このままでは同士討ちだ!!」

 前方の敵艦が発光信号を送ってきた。
 「どうやら味方と思っているようだな」
 バークは冷笑する。
 「これが電探の威力だ!いつまでも人の限界に頼ろうとする黄色人種に科学の素晴らしさを思い知らしてやれ!!」
 ・・・・・・こうして珍妙な砲撃戦は続いていた・・・・・・

 「司令官、これは敵の砲撃ではないでしょうか?」
 参謀の言葉に五藤は耳を借さない。
 「そんなはずは無い・・・・・・米軍が我が方より優秀な見張り員を持っているはずは無い!あれは味方だ!!はやく誤射を止めさせろ!」
 五藤は頑迷にも『我、青葉』と繰り返し続けさせた。
 
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 五藤が参謀に諭されてようやく反撃を命じた時、既に雌雄は決していた。
 第六戦隊は重巡で構成されてはいたが何発もの駆逐艦の砲撃を受けて既に衣笠、古鷹が沈黙していた。二隻の重巡は艦上構造物がボロボロにされており、落城を思わせる風貌となりソロモンの海で燃え盛っていた。
 残された青葉と加古は反撃を開始し、駆逐艦グウィンを撃沈してみせたが僚艦をやられた怒りに打ち震えた七隻の駆逐艦の雷撃を受けて青葉が轟沈、加古が舵をやられて追撃不能となっていた。
 バークは夜明けと共に飛来し、その安否を気遣う飛行艇 PBYカタリナにこう告げた。
 「我、三一ノットにて航行中・・・・・・」と。
 これがガダルカナル沖海戦の終結であった。
 時代に取り残されていた五藤は旗艦青葉と運命を共にした。結果的に彼は幸運だったかもしれない。
 これを機に生き残った衣笠、古鷹、加古にはとある改装が施される事になった。もしも五藤が生きていたらそれこそ卒倒しかねないほどの内容であった・・・・・・

 こうしたバーク達のような奮戦もあった結果、ガ島から全兵力を撤退させる事に成功した。
 ガ島にいた膨大な兵力のうちおよそ七割が無事に帰りつけた。
 これを多いと見るか少ないと見るかは人による。
 だが制海権も制空権も無くしていた事を思えばそれは奇跡と呼ぶにふさわしい結果であった。
 その理由として、日本軍の状況判断の甘さを指摘する学者もいる。
 曰く、「全力を挙げて撤退阻止をすれば米軍はかなりの期間立ち直れなかった。それをせずにいもしないが島の敵兵との決戦の為に兵力の輸送を続けたのは明らかなミスだ」と。
 だが米軍がガ島から撤退するなど完全に想像の埒外であったのだ。少なくとも日本軍にとっては。その意味では日本軍は米軍を過大評価していたのかもしれない。だが吉野艦長結城 繁治大佐はこう言うだろう。
 「それは後知恵に過ぎない。そういうことが言える資格がるのは時間を戻せる神くらいであろう」と。
 そして一九四二年一二月二四日。クリスマス・イブのその日に開始された総攻撃により米軍が既に撤退している事を悟った日本軍は同日にガ島完全占領を宣言。
 こうして四ヶ月以上に渡ったガ島での消耗戦は終わりを告げた・・・・・・

 ・・・・・・それから半年後・・・・・・
 ガ島での戦いが終わってから日米両軍は機動部隊再建に全力を挙げていた。
 そして太平洋の戦いは一時的に休戦状態となっていた。
 両軍共にどちらがその休戦を破るかわからなかった。だから静かではあるが不安に満ちた半年が経過した。
 そして米軍が先にその沈黙を破った。
 米大陸本土最北端のアラスカ州付近に突き刺さった棘、とも言うべきアッツ島を中心としたアリューシャン列島に米軍は空母艦載機による空襲をしかけた。
 これによりアリューシャンは壊滅。追撃は無かったので撤退は成功したものの日本を襲った衝撃は並ではなかった。
 米海軍の機動部隊の復活・・・・・・その空襲の意味はそれなのだ。
 そして帝国海軍の挑戦状でも叩きつけるかの如くアリューシャンを壊滅せしめた。
 一方で再建なった帝国海軍第一航空艦隊もその再建・・・・・・いや事実上は新生と言える、米機動部隊に決戦を挑むべく全艦が日本最大の軍港呉を出港していった。
 彼等が決戦の場としたのは・・・・・・かつて辛酸を舐めさせられた地。
 そう、ミッドウェーであった・・・・・・


第四章 南太平洋を血に染めて・・・・

第六章 ミッドウェー再び・・・・


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