眞鐵の随人
第二章 海の男達の夜


 ・・・・・・昭和一六年六月のミッドウェー近海での日米双方の主力艦隊が正面からぶつかり合った海戦は日本側が正規空母二隻(加賀、蒼龍)、米軍側が正規空母一隻(ヨークタウン)の喪失と言う痛み分けに終わっていた。
 痛み分け・・・・・・
 だがそれは公平な評価とは言い難い。何故なら日米間の工業力の差はそれほどまでに開いているからだ。米国にとっては一隻の喪失はすぐに補充できよう。それが排水量二万トンをも超える大型の空母であったとしても・・・・・・だが日本はその穴を埋めるのにはかなりの期間を要さねばならない。だがその穴を埋めたと思ってもそのころには米国は余分に戦力を回復させており、日本が再び100の力を復活させて戦っても、米国は180〜200程度までの戦力を整えれるのだ。
 つまり日本にはかつての対ロシア戦争、すなわち日露戦争の際の日本海海戦のような大勝が常に求められているのだ。そうでなければ米国に勝つのは事実上不可能、いやそれでも勝てはしない。せいぜいが対等の条件での講和程度であろう・・・・・・
 だが日本は引き分けた。それはすなわち敗北に等しかった。そしてそれは双方が理解していた・・・・・・

 ハワイ、真珠湾、米太平洋艦隊司令部・・・・・・
 米国が誇る太平洋最大の要所であるこの地はつい先年の一二月に日本海軍機動部隊の跳梁を許してしまった。だが今ではそのことを感じさせる要素は数少なくなってきており、人々の記憶からは次第に薄れ始めていた。
 「とにかくおめでとう、レイ」
 そう言って男は先の海戦で米艦隊を率いたレイモンド・エイムズ・スプルーアンス少将を迎えた。スプルーアンス少将はどちらかというと海上勤務よりもデスクワークを得意としそうなタイプの軍人であり、その頭脳は明晰であり常に沈着で冷静な参謀タイプの軍人であったし、今までもそのような海軍人生を歩んできた。
 だがミッドウェーで見事な勝利を収めてきたのだ。これで人々のスプルーアンスを見る目が変わっていた。彼は一躍英雄への階段を駆け上がれたのだ。ある意味ではもっとも新しいアメリカン・ドリームの体現者である。
 「長官・・・・・・とにかく疲れましたよ」
 スプルーアンスは先ずそう言った。男は肩をすくめて見せた。
 ・・・・・・おや、英雄がそのようなことを言うのかね?・・・・・・
 そのような表情である。人懐っこい人物であるが、彼こそが現在の米太平洋艦隊司令長官のチェスター・ニミッツ大将である。彼は不思議と人を引っ張っていく力を持っていたので、真珠湾奇襲以来混乱の極みにいた太平洋艦隊の掌握を任された。それまでは栄達とは距離をおいた部署で勤務していたのだが・・・・・・
 「まぁ、これで戦況はだいぶと楽になったな。なにせ開戦以来無敵を誇っていた現代のアルマダ(スペインの無敵艦隊の事)が著しく戦力を低下させたのだから・・・・・・」
 「ですがまだまだ日本艦隊は侮れませんよ。現に我々の空母の搭載機の消耗は並ではありません。日本のパイロットは恐ろしい程に腕が立ちますよ」
 ニミッツはウーンと唸った。
 「やはりあのゼロは恐ろしいファイターかね?」
 「はい。F4Fでは勝ち目がありませんね」
 「だがアリューシャンを攻めに来た日本の別働隊の攻撃隊のゼロが近くに不時着して、ゼロを鹵獲できたらしいぞ、レイ」
 「本当ですか?!」
 思わず声が高くなるスプルーアンス。まぁ、当然であろう。零戦の恐ろしさはミッドウェーで艦隊の指揮を執った彼に染み付いているのだ。
 「ああ。これでゼロの神秘のベールが取れるわけだ。まぁ、願わくばゼロが怪しげな東洋の魔法で飛行する機体であって欲しくないね。それでは勝ち目がないからな」
 ニミッツが少しおどけてみせた。
 「ところで、長官。今後のことですが・・・・・・」
 ニミッツは表情を引き締めて言った。
 「ウム・・・・・・ニューギニア方面からの反攻作戦を取る予定だ。日本の機動部隊は珊瑚海とミッドウェーで搭載機の消耗が激しくしばらく前線には来れまい。ならば・・・・・・」
 「今がチャンス、ですか」
 スプルーアンスが後を引き取った。
 そしてその後に二人はもう少し込み合った話をしていくのだがそれは割愛させていただく。ともかくこの時から米軍は守勢に回るのを止めたのだ。米軍がその余りある国力を持って反攻作戦を試みた際に日本はどのように対応するのか?・・・・・・それはまだ未知数であった・・・・・・

 変わって広島県呉市・・・・・・日本本土最大の軍港に艦隊は帰り着いた。
 だが出撃したときの堂々たる威容は失われている。加賀に蒼龍が失われたからだ。
 「よし、ごくろうだった、皆」
 防空巡洋艦吉野を完全に停泊させ終えてから帝国海軍大佐結城 繁治は言った。
 「今回は我々の敗北であった。だが仮に本艦が無かったならおそらくは四隻とも全滅していたであろう・・・・・・・私は諸君等の奮闘に感謝する。そしてこれからの奮闘を期待している。以上だ」
 それに対する答えは吉野乗組員全員の熱い想いの込められた敬礼であった。結城はこれまでにこれほどの見事な敬礼を見た記憶は無かった。
 「どうだ、副長。これからヒマかね?」
 結城は戦闘中の時のような表情ではなく、いつもののほほんとした表情で副長の網城 雄介中佐を飲みに誘った。
 「は、お付き合いします」
 網城はこんな時も堅苦しく答える。まぁ、それが彼の人生観なのだろうが・・・・・・
 「もう少し気楽にすればいいのに・・・・・・これじゃ嫁さんは見つからないだろうね」
 そう結城は心の中でそう呟いた。いや・・・・・・
 「艦長、声に出てますよ」
 そう言いながら笑うは砲術長の高井 次郎少佐である。結城が慌てて口を押さえる。だがどうみてもわざとやっているようにしか見えないし、現にそうなのだ。
 「いえ、私はもうしばらくは結婚するつもりはありませんよ」
 意外にも網城は怒らなかった。ただ不器用に笑いながらそう返しただけであった。ミッドウェー以前ならばそれこそギャーギャーと噛み付いてきたことだろうに・・・・・・・
 そう、明らかに網城は変わりつつあった。彼は意識の変革を行ったのだ。艦長である結城 茂治大佐が有能な海軍軍人であると判断した彼は、今までの結城のイメージ、「しまりのない海軍軍人に非ざる変人」を、「何事にも動じずに、常にその目は明日を見続ける海軍の至宝」に変更したのだ。二つのイメージは基本的には言っている事は変わりないのだがイメージが一八〇度変わっている。だから網城は結城の失言を許せたのだ。
 「砲術長も来い!どうせ貴様もヒマだろう?」
 結城が馴れ馴れしく高井の肩を叩く。これも以前の網城には癪に障るものであったが今の彼にはこれが「乗組員との連帯感を深める為の」必要な行為に見えていた。網城のこの意識改革を進歩と見るか堕落と見るかは人によって違うであろう。だが今の彼は満足していた。だから他人が口出しするものではなかった・・・・・・

 呉の料亭「虹」・・・・・・
 この料亭は海軍大臣やGF(連合艦隊)長官などの高官が使うような超高級料亭ではない。あくまで結城達のような平平凡凡な(?)佐官クラスの軍人の俸給で月に一、二回は通えるか、という程度の料亭である。結城たちの視線から見れば充分に高級である。戦地から無事帰還したのだからこのような高級料亭で一杯やりたかったのだ。
 「それにしても・・・・・・」
 採れたての新鮮な鯛の刺身をその自らの箸でつまみながら高井は切り出した。
 「先の海戦は危なかったですよね。加賀と蒼龍が沈められてナンですけど、赤城と飛龍が無事なだけでも幸運でしたね・・・・・・」
 「まったくだな・・・・・・あの時はヒヤリとしたよ。電探での早期発見が無かったら全滅だったな・・・・・・」
 網城が酒をグイッと呷る。網城は相当酒には強いのだ。
 「しかし電探もまだまだだな。敵が艦攻と艦爆に分かれていると判れば零戦隊で駆逐できたのに・・・・・・」
 網城の言葉に高井は少し気を悪くしたようだ。高井は吉野の電探導入の中心的人物だからだ。
 「それは我が国の技術の無さですよ。電探の技術は列強に比して五年くらいは軽く遅れているんですよ。もう少しはやく開発を進めていれば今ごろは電探を用いて直援隊の管制をしてみせますよ!」
 高井は顔を真っ赤にして叫んだ。酒のせいだけではなさそうだ。
 「副長・・・・・・砲術長はからみ酒だからね」
 だまってチビチビと飲んでいた結城がポツリと呟いた。やはりつかみ所の無い男である。
 「そんな・・・・・・艦長・・・・・・」
 網城の情けない声を聞いて結城は微笑んでから言った。
 「だが痛み分けに終わった先の海戦は実質的に我が軍の敗戦だ。これから米軍がどのように動くかだな、問題は・・・・・・」
 その眼には笑いの粒子は欠片も見えない。酔っていた筈の高井すら真顔に戻っている。網城においては・・・・・・書く必要も無いであろう。
 「しかし、艦長。我々吉野があればあるていどの攻撃隊は防げることが判明しました。現に赤城には投弾すら許さなかった」
 高井は自らの愛娘とも言うべき(軍艦は基本的には女性扱いである)吉野の完成度の高さに満足しているようだ。
 「二番艦が直に就役します。それで空母を守りきって見せますよ。そうすれば負けることはありません」
 結城は苦笑しながら酒を呷る。
 「まぁ、今は零戦の天下だから心配は無いが、米軍もバカじゃない。直に零戦の対処法を編み出すだろうな。新型戦闘機なりなんなりで・・・・・・」
 「それまでに講和できればよいのですが・・・・・・」
 網城の表情は暗い。
 結城は場を盛り下げてしまったことに気付いて顔をしかめた。
 「ま、副長。悩んでも仕方ないさ。こういう問題は軍令部総長なりGF長官なりが考えるさ。俺たちのような中堅所が悩むことも無い。さ、副長。もっと飲め!」
 そう言って網城の杯に酒をどんどん注ぎだす。網城もまさか断るわけにはいかずにしかたなしに飲む。こうして料亭「虹」での夜はふけていった・・・・・・

 一方、ここの料亭で飲んでいる面々は結城達よりも遥かに豪勢な食事を取り、そしてもっと重要な話をしていた。
 「まぁ、色々あったかもしれんがとりあえずは貴様の無事を祝おうか、多聞丸よ・・・・・・」
 そう言って男は酒を注いだ。まるで岩石を荒々しく削ったかのような剛胆な大男こそ大西 瀧次郎少将であった。早くから航空機の威力に惚れた彼は今や日本海軍有数の航空屋として連合艦隊幕僚の中でも縦横無尽の活躍を見せている。
 そして多聞丸と呼ばれてその酒を一気に呷ったのはミッドウェーで、正規空母飛龍と蒼龍から編成される第二航空戦隊を指揮していた山口 多聞少将である。山口は大西とは違い、丸々と太った体つきをしていて、その眼つきも慈愛に満ちている。現に彼は部下を大切にしており、その信頼も並々ならぬ厚さである。だが一度戦闘となれば勇猛な士官の多い帝国海軍でも有数の闘将へと変貌する。慈愛と闘志に満ちた優秀な機動部隊指揮官であった。
 「ウム、しかし貴様が二航戦の長官になるとはな・・・・・・」
 「ああ、オレもびっくりした。しかし何故多聞丸が解任されて南雲サンが解任されないんだ?機動部隊の指揮官としては貴様の方が・・・・・・」
 山口は親友の言葉に苦笑いしながら酒を注いでやった。
 「オレが希望したんだよ、大西」
 「貴様が?!」
 大西が驚いた表情を見せた。山口を航空界に転進させたのは彼、大西である。そして山口の航空戦の才能は大西をも凌駕していると大西自らが信じている。故にこの時期に山口が前線を去るのは大西としてはもっとも最悪の事態だと考えていた。
 「何故だ、山口?貴様の才能ならば残った赤城、飛龍、翔鶴、瑞鶴の四隻を誰よりも上手く活用して米軍に一泡吹かせれるのに・・・・・・」
 大西は山口に翻意を迫った。
 「いや・・・・・・私は真珠湾からミッドウェーと数々の戦を見てきた。そして零戦の強さに惚れ込んだ、と言ってもいい。あの戦闘機があれば米軍に負けやしないだろう。だがそれも米軍が新型機を出すまでの間だけだ。新型機の開発が遅れればその従来機を遥かに凌ぐ米軍の新型機を相手に旧式化した零戦で戦わざるを得ない。それでは如何に零戦でも分が悪い。オレは前線での知識を生かして第二の零戦を作りたいんだ・・・・・・」
 「なるほどな・・・・・・貴様らしい考えだな。なるほどそれならば二航戦はオレに任せろ。貴様の第二の零戦ができるまで零戦で縦横無尽に太平洋を暴れまわってやる」
 「ああ、貴様なら安心して二航戦が任せれる。頼むぞ、大西」
 大西は表情をパッと明るくして言った。
 「今日は久しぶりに再会できたんだ。久しぶりに飲み明かそうぜ、多聞丸」
 山口も笑いながら応じた。
 「おお!腰が抜けるまで飲んでやるさ」
 二人の男は互いに酒を勧めあい、そして飲み明かした。こうしてミッドウェーより帰還した海の男達の夜は更けていく・・・・・・

 ・・・・・・昭和一七年八月七日・・・・・・
 ミッドウェーでの激突以来戦力の回復に努めていた日米両軍であったが遂に米軍が動き出した!
 米軍は中部太平洋で日本海軍が飛行場を建設している途中であったガダルカナル島に大挙して上陸作戦を展開した。
 おしよせる海兵隊の精鋭・・・・・・
 日本のガダルカナル守備隊は飛行場建設のための設営隊が中心であり、しかも小銃すら不足気味であった。
 日本が勝てるはずも無く・・・・・・
 そして大本営は急遽ガダルカナル島に増援を送り込むことにする。
 だが米軍の規模を読み誤っていた大本営は小規模の兵力の逐次投入・・・・・・戦術上もっともやってはならない手をやってしまい、再三の奪還計画はすべて失敗に終わっていた。
 陸軍の窮状に海軍も黙ってはおれずに(元々、ガダルカナル島に飛行場を立てていたのは海軍で、陸軍は米軍が押し寄せるまでその島の存在すら知らなかった)、連合艦隊の全兵力を持って奪還を支援することにした。
 そして昭和一七年十月・・・・・・
 「今度は戦艦の護衛とはな・・・・・・」
 高井がぼやくように呟いた。
 「だが重要な役目ではあるぞ、砲術長」
 そして網城がたしなめる。
 「まぁ、この吉野と吉野型対空巡洋艦二番艦の九頭竜があれば何とかなるだろうさ・・・・・・」
 吉野艦長たる結城がいつものぼんやりとした口調で呟いた。
 艦隊の先頭をきるは高速戦艦金剛型の比叡、榛名!
 そして目標は・・・・・・ガダルカナル島の米軍の飛行場、ヘンダーソン飛行場を爆砕すること!!
 そしてこの作戦が南太平洋を地に染める、後世に名高い「南太平洋海戦」の序曲となった・・・・・・


一章 初陣

第三章 ガ島爆砕!!


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