大日本帝国は昭和一九年二月にガ島を失って以来、ニューギニア戦線を縮小していた。
だがそれでも最低限の戦力は残してある。
特にこのニューブリテン島ラバウルは昭和一七年にたけなわとなった第一次が島争奪戦の際に帝国海軍の航空隊が進出し、連日ガ島に空撃を加えてガ島占領に貢献した実績もある軍事基地だが、今再びニューギニア戦線最大の要所として多くの航空機を有している。
だがかつての第一次ガ島争奪戦時と比べると航空機は様変わりしていた。
戦闘機は零戦から烈風に変わり、陸攻は一式から銀河に。そして艦爆、艦攻はいまや流星一機種に絞られていた。
西沢 広義のような古参搭乗員にとっては「光陰矢のごとし」を感じずにはいられなかっただろう。
一九四五年二月二日。
「空襲警報!!」
この報にラバウルの航空隊は一斉に出撃を開始する。
烈風三〇機があっという間に空に舞う。
敵機は戦爆連合八〇機。
相手にとって不足無し、である。
ラバウルに駐留する二〇四空の若き戦闘機搭乗員の長谷上等飛行兵は二〇四空の若手のホープとして頭角を表し始めた男である。
彼はまだ三度しか実戦に出ていないにもかかわらずその撃墜スコアは二機である。これは彼の飛行時間などを考慮すれば充分すぎる戦果であった。だが彼はそれでも謙虚であり、腕利きのベテランたちの技を盗もうと必死であった。彼はまさに十年に一人の逸材であった。
長谷は闘志にみなぎる視線を敵機に送る。敵機は空母艦載機のようだ。
「遂にラバウル近海にまで・・・・・・」
長谷は愕然とした。
最前線ラバウルにまで敵空母が来たという事は即ち、敵の反攻が再開されたということであった。
「だがここはやらせん!!」
そう言うと長谷は愛機烈風を敵攻撃機に突っ込ませる。
だがそうはさせじ、と米艦上戦闘機群が阻止する。
「なんの!!」
烈風を急激に旋回させる。烈風の秘密兵器である自動空戦フラップが烈風を最小の旋回半径で旋回させる。
そして逃げ切れなくなった敵戦闘機は降下にに移る・・・・・・はずだった。
「なに?」
長谷は思わず間抜けな声をあげた。敵も旋回し、格闘戦にのってきた。日本の戦闘機は全般的に旋回性能が高く、格闘戦では紛れも無く世界一である。そのために米英の戦闘機は格闘戦にはのってこないはずなのだが・・・・・・この敵戦闘機はのってきた。
「こいつは余程の自信家か?さもなくばただの世間知らずか・・・・・・」
ともかく長谷は願ってもないチャンスを逃しはしない。格闘戦でその敵戦闘機を追い詰めようとする。
だがそこでようやく長谷はその敵戦闘機が見慣れたF6Fではないことに気付く。その辺りはやはり彼がまだ未熟である証だろうか?
その敵戦闘機はあの零戦のように細く、スマートな機体であった。頑丈そうではあるが不恰好なF6Fとは大違いだ。だがその機首部分の太さから発動機はF6Fと同等かそれ以上のものだとわかる。
「新型か?!」
だが長谷と闘志はおさまるどころかますます高まりだす。若い。あまりにも若すぎる反応・・・・・・
一回、二回、三回・・・・・・
二機の戦闘機は旋回を続ける。
そして遂に好射点を占めた機が射撃を開始した。
ダダダダダダダダ
・・・・・・その音は烈風の両翼の二〇ミリ機関砲ではない。世界でも有数の弾道特性を持つブローニングM2の軽快な発射音。
長谷の烈風は無数の一二.七ミリ機銃弾に貫かれた。哀れ、長谷は挽肉となり絶命。
そしてこの撃墜された長谷の烈風がひく黒煙は烈風の凋落の始まりを示す狼煙であった・・・・・・・・・・・・
ラバウル上空のあちこちで火を吹くのは烈風。
上空を制圧するは米海軍の新鋭艦戦F8F ベアキャット。さらにラバウルに致命的な打撃を与えたのはAD スカイレーダーであった。
F8FとAD。大戦中最強の艦載機ペアのデビュー戦は鮮やかなものであった。この瞬間にラバウルの戦略的価値は完全に喪失した。旭日旗に陰りが見え始めていた・・・・・・・・・・・
・・・・・・ラバウル空襲から二週間後。ハワイ真珠湾、合衆国海軍太平洋艦隊司令部。
開戦劈頭の真珠湾奇襲を許してしまったハズバンド・キンメル大将に代わり、太平洋艦隊のボスを務めているチェスター・ニミッツ大将もさすがに足掛け五年目ともなれば嫌でも慣れてしまう。今や太平洋艦隊に無くてはならない存在だと言える。
そんな太平洋艦隊の屋台骨に呼び出されたジョン・マッケーン少将は緊張の体で長官室に入室した。
「失礼します」
まるでハイスクールの生徒が校長室に呼び出されたかのような感覚でマッケーンは入ってきた。ニミッツはそんなマッケーンを微笑ましげに見た。
「そんなに緊張することはない」
ニミッツは人懐っこい笑顔でマッケーンに接した。「別にとって食いやしない」と付け加えて。
「マッケーン少将。これを見てくれ」
そう言って何枚かの航空写真を手渡す。
その航空写真はよほどの高高度での撮影なのだろう。その画質は荒く、新聞や雑誌に掲載されることはまずない、という代物であった。その為にマッケーンはその判断に迷った。いくら軍事用だとしてもその画質は酷すぎた。
「それはトラック島の航空基地だよ」
ニミッツに言われてようやくマッケーンにはその航空写真が滑走路を写したものだとわかった。だがその滑走路は閑散としていてまるでゴーストタウンのようだ。
トラック島とは日本海軍が本土以外にもつ軍港の中では最大規模のものであり、「太平洋のジブラルタル」や「日本の真珠湾」などと称されるほどの重要戦略拠点である。
それほどの要地にしてはあまりに配備されている航空機が少ない。否、少ないどころか無いと言ってもいい。
「二日ほど前に戦略偵察にでた陸軍のB29が撮影したものだ。見ての通り、日本軍はトラック放棄を決定したそうだ」
「トラックまでもですか・・・・・・」
さすがにマッケーンも驚きを隠せない。真珠湾に匹敵する拠点をタダで明け渡すとは・・・・・・
「そこで貴官の艦隊を用いてトラック侵攻作戦を行いたい」
さすがにマッケーンもニミッツが自分を何故呼んだのかがわかった。つまり私は・・・・・・
「トラック侵攻の先鋒をやれ、と」
「そうだ。どうやら敵の艦隊はまだ出撃してこないようだ。マリアナ辺りまで討ってでないと主張する者もいる」
「ですが敢えてトラックに進撃する必要があるでしょうか?ジャップが兵力を引き上げたのなら何回か空撃をかけて無力化するだけでいいのでは?」
マッケーンの問いにニミッツは苦虫を噛み潰したような表情を見せた。
「それがな、マッケーン少将・・・・・・これは大統領直々の命令なのだよ」
「え?!まさか!!」
「昨年末にドイツを潰したのは記憶に新しいだろう?だが日本との戦争は一進一退を繰り返すばかり。いや、むしろ我が軍は劣勢だと見られている。その為に日本との早期講和を、と叫ぶ連中が増えてきているらしい」
「それで日本の劣勢をアピールするためにトラックを占領して国民にその戦果を誇大にして報告し、戦争を続けるというのですか?!」
ニミッツは黙って頷いた。マッケーンは愕然とした。・・・・・・何という事だ。一部の政治家の面目の為に作戦を立案したと言うのか?!
「わかっているとは思うが、マッケーン。君は軍人だ。命令に拒否する権利は無いぞ」
ニミッツは敢えて権力で押し切る手段にでた。
マッケーンはどこかあきらめたような表情で黙って敬礼。ただしその敬礼は形式から一歩もでていない、何とも味気ないものであった。
だからマッケーンの艦隊はここにいた。
さすがに兵士の前で嫌な表情ができないマッケーンは内心であの時のことを思い返していた。
「合衆国は民主主義の国・・・・・・」
自分はそう信じていた。その為に民主主義を守護する護人となるべく海軍に入隊したのだが・・・・・・
だがマッケーンは軍人であった。彼は旗下の艦隊に索敵を重要視するように言い渡していた。彼の艦隊は全力でトラックを目指していた。
だがつい先ほどに送り出した偵察機の報告によれば日本軍は本当にトラックから撤退したそうである。一機の迎撃機どころか一発の高射砲の射撃も無い、安全極まりない哨戒任務だと偵察機のパイロットは笑っていた。
「何か見落としていないか?トラックは真珠湾に匹敵する要地のはず。そんな簡単に明け渡すのか?」
マッケーンは出撃以来、幾度と無くこの自問自答を続けていた。
だが答えは出ない。
ともあれフランクリンの艦橋内からもトラック島の外輪が見え始めていた。
「日本の真珠湾を占拠した提督」
マッケーンはこの名誉を担える幸運な男であった。
「参謀副長、遂に来たぞ」
横浜の帝国海軍連合艦隊司令部の長官室に陣取る山本 五十六連合艦隊司令長官は開口一番にそう言って連合艦隊参謀副長結城 繁治少将を迎えた。
結城は薄く笑う。見る者をヒヤリとさせる悪魔の笑みであった。
「『月に降る雨は音も無く降りしきる』か・・・・・・何かの引用かね?」
山本はやや呆れ顔だ。
「いえ・・・・・・何となく思いついた文章に過ぎませんよ」
そう言って結城はトラック島に残してきた部下の送った無電を眺めた。おそらくその部下は今ごろ現地民のような格好をして紛れている事だろう。
「それにしても・・・・・・マトモな軍人ならこんな戦法は思いつきもしないだろうな」
山本の感想に対し、結城は黙って一礼。
「だからこそ奇策なのですよ、長官。これでマッケーン艦隊は壊滅します・・・・・・後は最終段階の調整を行うのみです。長官、その許可を頂きたいのですが・・・・・・」
山本は嫌そうな顔を見せた。
「私は幾度と無くGF(連合艦隊)の伝統を破ってきた。だが今回は極めつけだな・・・・・・君はまだ四〇代だろう?」
「ですがあの作戦を実行するには必要な措置です。あの作戦はタイミングが命ですから」
「ふん・・・・・・わかっている。だが貴様を見てたら言いたくもなるわ」
だが山本はそう言うと一通の封書を結城に手渡した。
「後は頼むぞ・・・・・・第一航空艦隊司令長官、結城 繁治中将・・・・・・」
「これがトラックか・・・・・・」
だがこの諸島には日本海軍の外地最大の根拠地だと言う風には見えなかった。
兵員の一人もおらず、ただ原住民があるのみ。明らかに閑散としすぎていた。
だがマッケーン艦隊はすぐに入港できなかった。
当たり前である。湾内のいたるところに機雷が敷設されているのだ。その処理が終わるまで入港できるはずが無い。
機雷の処分はその専門艦にまかせてマッケーン艦隊は敵艦隊が迫ってきてはいないか、とトラック近海を哨戒して回った。
その結果、潜水艦二隻を撃沈する戦果を挙げた。
「哨戒開始五日で二隻か・・・・・・少なすぎはしないか?」
マッケーンの問いに対して参謀は、はぁ、と頷くだけであった。
「俺がジャップならここで潜水艦を大量に配備して補給線に圧迫を加えて貧血にでも追い込むがな」
とマッケーンの考えを示すと補給担当の士官もそれに同意した。
「提督の言うとおりです。どうもジャップは潜水艦の使い方を知らないようですね」
「うむ・・・・・・」
とマッケーンは気のない返事である。
「おかしいな・・・・・・マリアナで艦載機をすべて戦闘機にして艦隊決戦に持ちこんで時間を稼ぐような指揮官がジャップにはいる。だがそいつの考えた作戦にしては穴がありすぎる・・・・・・機雷の敷設だけで満足したと言うのか?それとも・・・・・・」
・・・・・・トラックなど簡単に取り返せるとでも言うのか?!
「いや、それはない」
とマッケーンは頭を振る。その思考の様だけを見せられている参謀達は不安そうにマッケーンを見ているが気にはしない。
・・・・・・今、合衆国海軍には艦隊用空母が一八隻ある。対するジャップは一三隻だと聞く。おまけにジャップの空母の搭載機数は我々のそれに比して劣るからその数の差はさらに開く。おまけに新型機とVT信管を有する我が軍に勝てはしない。
「では何故にこのような中途半端な作戦に・・・・・・」
マッケーンはこうして思考の迷宮から抜け出せなかった。
そして米軍がトラックの機雷処理を開始して二週間。
遂にトラックに入港する日が来た。
マッケーン艦隊に配備されている空母はエセックス級が四隻、インディペンデンス級が二隻の計六隻である。
さらには対空力増加の為に戦艦アイオワ級が二隻配備されている。
それだけでも充分の陣容だ。少なくとも真珠湾を奇襲したときの日本艦隊並の陣容の厚さだ。
だが一番おそろしいのはこれだけの艦隊全てが戦争開始後に建造されたことにある。まったくアメリカの国力の凄まじさには驚かされるばかりだ。
「よし、ニミッツ長官に連絡だ。『トラック占領セリ』とな」
そう言うとマッケーンはスタッフに背を向けて、「私室にいるから」と言い残して艦橋を去った。
マッケーン艦隊ほどの大艦隊が未知の敵軍港に入港したのだ。
それだけで日が暮れてしまってもマッケーンの不手際とはできまい。
こうしてトラック入港第一日目は暮れていった。まったくをもって平和そのもの・・・・・・のはずであった。
だが・・・・・・・・・・・・
最初にその災厄に襲われたのは空母バンカー・ヒルであった。
突如、そう突如、何の前触れもなくバンカー・ヒルの右舷に巨大な水柱が海面より突き上げた。
一本や二本ではない・・・・・・七本である。
乗組員の半数が就寝しており、残りのもう半数も戦闘体制には入っていなかったので応急処置は致命的に遅れた。
こうして空母バンカー・ヒルはたいした戦果を挙げることもなくトラックにて大破着底。生存者は極めて少なく、二〇〇を切っていた。
次に襲われたのは空母バターンであった。
彼女(軍艦は女性だ)はインディペンデンス級軽空母なのに八本もの水柱が吹き上げた。エセックス級であったバンカー・ヒルが七本でノックアウトしたのだ。バターンはこの衝撃に耐えれるはずもなく・・・・・・艦体をへし折られて大破着底。
この段階になってようやくマッケーンはフランクリン艦橋内に現れた。
「な、何だ?魚雷だと!潜水艦か?!」
「いえ、提督。潜水艦ではないようです!!」
「では何だと言うのだ!!」
「わかりません・・・・・・」
「クソッ!!」
マッケーンはとりあえず全艦に戦闘態勢をとらせた。だが遅かった。
次の瞬間にはフランクリンの被弾し、マッケーンはその衝撃に投げ出された。その際に頭を強打したマッケーンは意識不明となった。そして彼は二度とは目覚めなかった。旗艦フランクリンも・・・・・・否、マッケーン艦隊の全艦が謎の雷撃を受けて大破着底するという大惨事に見舞われたのだ。
米海軍にとって最大の悪夢の一夜であった・・・・・・
マッケーン艦隊を襲った魚雷の正体。
それを放ったのはマッケーンの参謀の言う通り、潜水艦ではなかった。
その犯人はトラック島自身であった。
つまりトラック島の港湾の底に定置式の魚雷発射管を備え付けておいたのだ。言うなれば港湾の底に潜水艦の魚雷発射管が備え付けられていたのだ。それも入港したマッケーン艦隊を包み込むかのよう・・・・・・否、事実として包み込んでいた。
そして結城の指示でトラックに残留していた者が遠隔操作で密かに発射。油断しきっていたマッケーン艦隊は為す術がなかった。
これが結城の言う「乙作戦」の正体であった。
別にトラックの守備隊は降伏しておらず(勧告もなかった)、その残留した兵士が魚雷を発射するという軍事行動を起こしても何の問題もない。国際法上、何の問題もない戦法だ。・・・・・・ただ多少、セコイ感もあるが。
子供だましでもある。
だがその効果はは抜群だ。
こうして米海軍は手持ちの空母六隻を沈められ、残存空母は一二隻。数だけにおいては帝国海軍に負けてしまうことになった。
そして帝国海軍は最期の決戦を仕掛けることになる。
こうして後世に名高い「トラック最終決戦」は幕を開けた・・・・・・・・・・・・