最初の始まりは本土近海諸島に対する哨戒、防衛線の強化を目的とした輸送作戦だった。
 深海棲艦の潜水艦隊による妨害をはねのけて強化された哨戒線に深海棲艦の機動部隊が確認され、鎮守府の艦娘たちはそれを迎え撃ち、水母水鬼を中核とする機動部隊の殲滅に成功した。
 しかし艦娘たちが本土近海で迎撃した機動部隊は本命ではなく、「シャングリラ」と呼称されるようになった深海棲艦の主力空母に対する捜索及び追撃の作戦が継続されることになった。
 そして戦線はMS諸島に達し、作戦は最終段階を迎えようとしていた………。

艦これショートショート
渚の向こうから日が昇り、夜は明けていく

 工作艦の艦娘である明石はドック入りするまでもない軽微な損傷を負った艦娘を鎮守府に停泊させたまま修理することを主任務とし、他には物資の手配を行う自称「アイテム屋さん」の切り盛り、または個人的な趣味と実益を兼ねて艤装の改修を行うこともしてきていた。
 故に彼女が外洋に出ることは今までほとんどなかった。
 そんな明石が今、第六駆逐隊の護衛を受けながらMS諸島北部にあるB環礁沖を目指して航海していた。
 南国の海といえば照りつける太陽に青く透き通った海と空、一言で表すなら「楽園」というべきもののはずだった。少なくとも明石が読んだ雑誌にはそう書いていたし、軍艦だった頃の明石が赴いた南洋はそういう海であった。ところがどうだ、深海棲艦の根拠地となったB環礁の海も空も血を連想させるほどに紅い。
「うわぁ、気持ち悪い………」
 紅い海を裂くような白い航跡を残しながら進む明石たちに波がはね、血のような海水が明石の桃色の髪を濡らす。色こそ不気味ではあるが成分的には単なる海水であることを明石は知識として知っていたが、印象としては最悪だった。
「暁ちゃんたち、いっつもこんな海を進んできてたのね」
「そうよ。でも暁はレディだから、これくらいもう慣れっこなんだから!」
 第六駆逐隊の長女、暁がそう言って胸を張る。小さな子供のような体に大きな艤装。彼女は駆逐艦の艦娘として数多の戦場を駆け抜けた歴戦の勇士であり、この光景は見慣れたものだという。小さな子供だと思っていたが、明石のその認識は浅いものなのだと自覚せざるを得なかった。
「あ!」
 不意に電が何かに気付いて声をあげた。暁、ヴェールヌイ、雷、そして明石が電の視線の方に自らの視線を向ける。そこには小さな島があり、そして灰色の軍帽を被った艦娘が両手を振って明石たちの来航を出迎えていた。軍帽を被った艦娘、それは重巡のプリンツ・オイゲン、遠くドイツから日本の鎮守府預かりとなった艦娘であった。
 プリンツ・オイゲンの仕草にあわせて島に駐留していた艦娘たちも手を振り始めた。アメリカからきた戦艦アイオワ、日本を代表する戦艦長門、機動部隊の中核を為す大鳳、瑞鶴らもプリンツ・オイゲンと共に手を振っている。そしてプリンツ・オイゲンと同じくらいか、それよりも大きな仕草で手を振る艦娘が軽巡酒匂であった。
「シャングリラ」追討の任を負った艦隊は鎮守府を発ち、旗艦である長門が補給拠点として手ごろなサイズの島を発見して周辺海域の安全を確保した。その上で長門はその島に明石を呼び、明石の護衛につけた第六駆逐隊に持たせた燃料・弾薬を使用して補給と簡単な修理を行ってから「シャングリラ」と最後の決戦を挑もうとしていたのだった。
 島について早々に艦隊の整備を開始する明石。 駆け寄ってきた長門はまず明石に頭を下げた。
「危険な場所に足労をかけてしまい、すまなかったな、明石」
「まぁ、私は工作艦ですからあちこち回って修理するのが本来の姿ですよ」
 明石は自らの艤装に装備されたクレーンでアイオワの艤装を吊り下げながら、迷いのない手つきで砲の整備を行いながらそう応えた。アメリカ海軍の艦娘であるアイオワが装備する一六インチ砲ももはや馴れた物、たとえ目をつぶっていても整備してみせる自信が明石にはあった。アイオワ本人は明石の近くで艤装が整備されるのを興味深そうに眺めている。
「しかしよくこんな都合のよい島を見つけられましたね?」
「ナガトがここに手ごろなIslandがあるって言ったんだけど、ホントにあってSurpriseよね」
 アイオワの言葉に頷く明石。
「長門さんもよくご存知でしたね」
「………この辺りには馴染みがあったからな」
「え?」
 長門の返答の意味が理解できなかった明石は整備の手を止めて長門の方に向き直る。だが長門は口を硬く閉じ、明石の疑問にこれ以上答えるつもりはないと態度で語っていた。それを見た明石はこれ以上の追及を諦め、再び整備を進めながら話題を変える事にした。
「………それにしても今回の編成は変わってますね。いつもなら最深部での作戦は大淀が『私自らが出る!』って張り切っちゃうのに、今回の連合艦隊編成の第二艦隊旗艦は酒匂ちゃんが務めているんですね」
「ああ、今回の作戦は私から提督に進言し、私とオイゲン、酒匂の三名を入れてもらったんだ」
「へぇ、オイゲンちゃんも………っと、アイオワさんの艤装の整備、完了しました」
 明石はそう言うと使用していた工具を髪の色と同じ桃色の工具箱にしまい、それを手に立ち上がる。
「じゃ、次は大鳳さんの整備をしますかね」
 日米二人の戦艦が明石に会釈して大鳳の方へ駆けていく明石を見送る。そして明石の背中が小さくなってから小さな声でアイオワが溜息交じりに呟いた。その声色と表情は平素の彼女からは想像できないほどに暗いものだった。
「………まさかホントにここが深海棲艦の根拠地になってるなんてね」
 長門は静かに腕を組み、目を閉じて、アイオワの言葉を聞いていた。アイオワはそんな長門を横目にしながら続けた。
「こうなっちゃったからには『アレ』はStatesの誤りだったと言わざるを得ないようね………」
「そう卑下することもあるまい」
 アイオワの言葉に長門が静かに返事する。
「でも貴方だって………」
「今の私は艦娘だ。昔のことをとやかく言うつもりはない」
 視線を落として続けようとするアイオワの言葉は長門の断言で封じられた。アイオワは長門に目を向けて問いかける
「じゃあナガトが今回のOperationにこだわるのはWhy?」
「そう、だな………暗い海で泣いている者がいる。私はそんな彼女に手を差し伸べたいし、なにより彼女に泣き止んで欲しい。此度の戦はそういう戦いだ」
 長門の言葉にアイオワはハッとした表情を向ける。長く日本海軍の司令長官が座乗する旗艦を務め上げた長門は人を奮い立たせるのが上手い。武蔵からそういう話を聞いたことがあったが、アイオワはそれを今、目の当たりにしていた。長門の言葉を受けてアイオワの心のタービンの圧力が高まっていくのを感じる。
「OK、ナガト。だったらMeもFullPowerで戦うわ」
 アイオワの眼に輝きの色が戻る。瞳の中に星を持つ戦艦の艦娘はこうなると輝く恒星のように魅力的だ。長門はコクリと頷いてアイオワの肩を叩いてその場を離れていった。



「ぴゃあ〜………」
 深海棲艦の根拠地では海も空も紅く染まる。阿賀野型軽巡の艦娘、酒匂も幾度となく深海棲艦と砲火を交えてきたのでそれは知っていた。
 だけど酒匂もここまで鮮血のように紅い海と空は見たことがない。酒匂は口を開けたまま呆けるように空と海を見つめていた。
「サカワちゃん、口、開いてるよ」
 プリンツ・オイゲンに指摘されて初めて自分が口を開けたままぼんやりしていたことに気付いた酒匂が両手で自分のあごを持ち上げるような仕草で口を閉じてみせた。
「………ねぇ、オイゲンちゃんもあたしと一緒で長門さんに呼ばれて出撃したんだよね?」
「そうだよ。ビスマルク姉様に無理言って変わってもらったんだ」
 プリンツ・オイゲンはペロリと舌を見せてウィンクしてビスマルクに出撃を変わるように申し出た時を思い出す。
 ………ビスマルクは欧州最強の戦艦を自負する自分こそが「シャングリラ」討伐艦隊にふさわしいと主張していたし、プリンツ・オイゲンだってビスマルクが出撃した方が戦力的には優位だと考えていた。だがプリンツ・オイゲンは初めてビスマルクに対して我を通すことを選んだ。
『でも、今回だけは私が行きたいんです! Kameradがいるんです!!』
 Kamerad。戦友を意味するドイツ語である。常に自分を立ててくれていたプリンツ・オイゲンがここまで強く願うのだ、きっと強い絆を持っているのだろう。そう思ったのだろう、ビスマルクは嘆息しながらプリンツ・オイゲンの髪に手を伸ばし、そっと撫でながら言った。
『そこまで言うのなら仕方ないわね。オイゲン、貴方に出番を譲ってあげる。でも、譲るからには私くらいの活躍をして来なさいよ!』
『Jawohl! ビスマルク姉様!!』
 プリンツ・オイゲンはこほんと一つ咳払いして回想を終える。それを見た酒匂が言葉を続ける。
「オイゲンちゃん、あたしね、ここに見覚えがあるんだ」
「それは………」
「でもね、あたしの知ってる景色はこんなのじゃないの。もっと明るくて、暑くて………」
 そして熱い。それは口には出さず、酒匂は視線を紅に染まる景色に向ける。
「きっとこの景色の向こうにいる深海棲艦さんは本当につらくて、悲しいと思うんだ」
「そうだね………」
 二人は言葉なく、紅の奥底に潜む深海棲艦のことを想う。今、彼女はどのような顔をしているのだろうか。
 そんな二人に第六駆逐隊の面々がトテトテと駆け寄ってきた。
「お二人さん! 間宮さんからの差し入れよ!!」
 駆逐艦雷が二人に差し出したのは戦闘糧食と呼ばれるお握りと沢庵のセットだった。プリンツ・オイゲンを始めとする日本以外の艦娘たちもすっかりこのライスボールの味に馴れ、今では好物になったくらいだ。
「やったー! これ、食べていいの!?」
 酒匂の歓喜の声を聞いた長門が右手の親指と人差し指で小さな○を作ってみせた。つまりは食べてよし、ということらしい。
「あ、あと秋刀魚の缶詰も持ってきたのです」
 電が円筒型の缶詰を二人に手渡す。これは今回の戦いが始まる前に行われた秋の秋刀魚祭で集めた秋刀魚を蒲焼にして缶詰にしたものだった。戦闘糧食だけでなく、秋刀魚の缶詰も食べてよいのだ。戦地にいながらにして、これはちょっとしたご馳走である。
「シャングリラ」追討艦隊の面々は一時的にだが戦争を忘れ、食事の時間を取ることとなった。
「ぴゃあ、美味しい〜」
「ドイツじゃ食べたことなかったけど、サンマって美味しいよね!」
 酒匂とプリンツ・オイゲンが秋刀魚の缶詰を食べる姿を見て長門は「二人は幸せそうに食べるから食べ歩きのリポーターなどをやらせても向いているかもしれないな」と思った。
「あ、そうそう」
 酒匂はふと気付いて電を手招きする。そして電の小さな手にお握りを一つ載せたのだった。
「え? あの、私はいいのです、出撃する酒匂さんたちで全部食べて下さい!」
「えー、でも電ちゃんたちだってここに来たんだよ。出撃してることには変わらないよー」
 酒匂はそう言って電にお握りを押し付けた。それを見た長門やプリンツ・オイゲンも第六駆逐隊と明石たちにお握りを分けることにした。
「やっぱりみんなで食べると美味しいよねー、ぴゃん♪」
 酒匂はそう言って、満面の笑みでお握りを頬張るのであった。その笑顔は艦隊の皆にも波及し、これから死地に赴くとは思えないほど和やかな空気が流れていく。
 そして休憩を追え、明石のメンテナンスを終えた艤装を装備し、長門を先頭にした艦隊は紅の奥を目指してB環礁の渚を目指して進んでいくのであった。
 過ぎ行く艦娘たちの背中を見送りつつ、電は胸の前で手を組み、祈る。それは艦娘になって初めて覚えた仕草だった。
 ………嗚呼、あの優しき艦娘たちがみんな無事に帰りますように。そして、彼女らが対面する深海棲艦たちにも救いがありますように。



 ………敵艦隊の襲来、空襲、潜水艦の雷撃、数多の妨害のすべてをはねのけ、「シャングリラ」追討艦隊はついにMS諸島北部のB環礁の最奥にたどり着く。
「ついに追い詰めたぞ、『シャングリラ』!」
 両腕を組み、だが鋭い視線を向けながら長門が吼える。
 しかし「シャングリラ」と呼ばれた深海棲艦は冷めた眼差しで応えた。
「コンナ…トコロマデ…キタンダネェ……」
 目の前の深海棲艦は「異形」という他なかった。蒼く光る瞳のようなものを持った黒き鋼鉄のクラゲに張り付けられている白き少女。それが「シャングリラ」と呼ばれた深海棲艦を見た長門の第一印象だった。見たまま名付けるならば深海海月姫であろうか。
「ジャア……」
 深海海月姫がゆっくりと動き始める。その動作に合わせるように、紅の色は濃さを増していく。
「アイテヲシテ……アゲヨウ……カ?」
 紅の海面が膨らみ、盛り上がり、人の大きさの柱になって、そして弾ける。その中から現れたのは戦艦棲姫や空母棲姫、駆逐古鬼といった姫級や鬼級の指揮艦クラスの深海棲艦であった。さらに戦艦棲姫や空母棲姫も軽巡や駆逐のイロハ級を生み出していく。見る間に増えた深海棲艦は大艦隊に膨れ上がろうとしていた。
「相手にとって不足なし! 全艦、この長門に………」
「続けェ!」と叫ぼうとした長門に無電越しの声が聞こえる。その声は基地航空隊の指揮を任された大淀からのものだった。
『長門さん、こちらでも敵艦隊を確認しました。今、陸攻隊を突入させます!』
 大淀からの無線が切れた瞬間、長門の耳は近づいてくる爆音を確かに捉えた。この音は忘れもしない、火星エンジンの爆音で、この音をこんな遠くまで届かせるのは陸攻隊しかいない。
 突然の陸攻隊の登場に深海棲艦も対空砲火や戦闘機を発進させて陸攻隊を迎え撃とうとする。
 だが、陸攻隊の進撃は止まらなかった。
 プロペラが海面を叩くほどの低空から投下された航空魚雷が紅い海を裂いていく。そして魚雷が炸裂し、発生した巨大な水柱が駆逐古鬼を吹き飛ばす。陸攻隊の乱入によって決戦は混沌の中から始まろうとしていた。
「全艦散開! 陸攻隊が散らした敵を各個撃破するぞ!!」
 対空砲の発射音、炸裂音、陸攻のエンジンの爆音、陸攻が爆散する音、魚雷が深海棲艦を砕く音………戦場交響曲が乱れる中で長門の号令が飛ぶ。
 大鳳が流星改が込められたカートリッジをボウガンに差し込み、放たれた流星改が空母棲姫に襲いかかる。
 北上や摩耶は必殺の魚雷を叩き込むべく戦艦棲姫に肉薄しようとする。戦艦棲姫はそれを拒否するべく主砲の砲身を不気味に蠢かせる!
 そんな中、深海海月姫は独りだった。周囲の艦隊決戦に興味を持っていないかのように、発進させた艦載機に周辺を飛び回らせるだけで、積極的に戦闘に介入する素振りをみせなかった。
 そんな深海海月姫に単身挑みかかる姿があった。巨大な砲を撫でつつ、すっくと立って深海海月姫に視線を突き刺してくる艦娘。それはアイオワであった。
「ニッポンの艦娘には悪いけど、貴方を沈めるのはニッポンにやらせたくはないわね」
 アイオワの言葉を受けて深海海月姫が初めて感情を顕わにする。
「アノトキノヨウニ……マタワタシヲ……ヤクノカ!?」
「貴方の暴挙は私が止めてみせるわ、サラ!」
 アイオワがそう言い終えると同時に三連装三基の砲塔に搭載された九門の一六インチ砲を一斉に放つ。
 軍艦であった頃、アイオワが使用していた一六インチ砲弾は重量一二〇〇キログラムを超え、二〇〇〇〇ヤード(約一八〇〇〇メートル)先の五〇〇ミリメートルの厚さの装甲を貫通できた。艦娘のアイオワは人間と同じサイズで軍艦だった頃に可能だったことはすべて可能であった。人間とほぼ変わらぬサイズで軍艦の火力、装甲、機関出力を発揮するからこそ深海棲艦は人類にとって脅威であったし、艦娘は深海棲艦に対抗できるのだ。
 閑話休題。アイオワが放った九発の砲弾が空気との摩擦熱で熱せられて赤くなりながら深海海月姫に突き刺さる。そして深海海月姫の体内で砲弾の信管が作動、炸裂した砲弾のエネルギーが深海海月姫の体内をかき乱していく。
「Yes!」
 深海海月姫に咲いた真っ赤な爆発の華を見たアイオワが右拳をぐっと握ってガッツポーズを取る。だが爆炎が収まり、アイオワの視界に再び映った深海海月姫は体をガクガクと震わせ、震えが高まるたびに傷口が見る間に癒えていったのだった。
「Oh………」
 まったくとんだ異形だ。だが砲弾が通じていないわけではない。相手が再生するというのなら、それを上回る勢いで砲弾を浴びせればいい。アイオワはそう考えるタイプだった。
 しかし主砲の装填にはまだもう少し時間がかかるのも事実。アイオワは自慢の快速で紅の海を滑るように進み、深海海月姫との距離を保とうとする。だが、深海海月姫もアイオワを見逃すつもりはなかった。深海海月姫が放っていた艦載機がアイオワを目指して向かってきたのである。雲霞の如き数で迫る艦載機を前にして、しかしアイオワは不敵な笑みを浮かべていた。
「忘れたのかしら、サラ? 私には二〇門の両用砲と、一〇〇を超す対空機銃がある。そしてそれを活かすレーダー、射撃管制装置もある!」
 次の瞬間、アイオワが爆発した。いや、そう錯覚するほど、無数の対空砲火が一斉に放たれたのだ。対空砲火の発砲炎を纏うかのように航行を続けるアイオワはさながら火の神ヴァルカンのようだ。大量、かつ的確に放たれる対空砲火に絡め取られるように深海海月姫の放った艦載機が次々と撃墜されていく。
「どうかしら!?」
 深海海月姫に勝ち誇るアイオワ。そして一六インチ砲弾の装填も完了した。狙うは先ほどの被弾箇所。アイオワの射撃用レーダーがそこを狙い撃つための最適解を求めていく………。
「………ヌルイ」
 深海海月姫は冷めた眼差しでアイオワに撃墜されていく艦載機を眺めていた。しかしそう呟いて視線をアイオワに移す。そして深海海月姫の頭上にそびえる鋼鉄のクラゲが軋んだ音を立て始める。深海海月姫が何かを行おうとしているのは明白だった。アイオワは射撃用の計算を行いつつ、深海海月姫の次の動作を警戒する………。
 ジャッ! ギャラララララララ!!
 その瞬間、深海海月姫の頭上のクラゲの蒼く輝く瞳から何かが発射された。ずっと瞳だと思っていた部分だが、どうやらそこは空洞であり、むしろ「口」と呼ぶべきものだったのだ!
 アイオワの優れた動体視力は深海海月姫の発射した何かを認識していた。藻のような何かがびっしりとこびりついているが、それは錨だった。錨を正面からぶつけられては敵わない。アイオワはとっさに身をよじって深海海月姫の吐き出した錨の直撃を回避しようとする。
「!?」
 だがその回避行動も深海海月姫の読みどおりだった。吐き出された錨は鎖で深海海月姫につながっており、まるで触手のように深海海月姫の意のままに動き、アイオワの艤装に絡まっていく!
「Shit!!」
 深海海月姫の放った錨に縛られてアイオワの主砲砲塔は旋回ができなくなる。いや、砲塔の旋回どころではない。鎖に縛られ、今や身動きすら不自由になっている。
 深海海月姫は謡うように言葉をつむいでいく。
「ジゴクノケモノ……フクシュウシャ……オマエモ…ジゴクヘ………オチテイケ………」
 深海海月姫の言葉は呪い。呪いに導かれるように撃墜したはずの艦載機が再び浮かび上がり、アイオワに狙いを定めようとする。鎖によって動きを封じられた今のアイオワにこれらの艦載機が襲いかかれば一たまりないだろう。
「くっ………」
 アイオワが鎖を引きちぎろうとするがちぎれない。むしろ外そうとあがけばあがくほどに絡み付いてきている。
「コノホノオハ……アツイダロゥ?」
 深海海月姫がアイオワに艦載機を差し向けようとした時、高所から逆落としに突っ込んでくる無数の影があった。いや、影ではない。それは風、烈しい風であった。
 大鳳や瑞鶴から発進した烈風一二機が深海海月姫の艦載機に向かっていく。高度で上を取り、その位置エネルギーを速度に変換して突っ込む烈風一二機はたった一度通り過ぎるだけで二〇以上の敵機を撃墜してみせた。そして後続の烈風も合流し、深海棲艦の艦載機と熾烈なドッグファイトを始めていく。
「………我が国には己の肉体を鍛えることで全身それを武器とする武道がある」
 アイオワの背中から聞こえてきた声は静かに息を吸い込み、そして一気呵成に吐き出しながら振り上げていた掌を降ろし、鎖を断ち切ってみせた。
「手に何も持たないその武道は、故に『空手』という」
 アイオワを封じていた鎖を手刀で切断し、アイオワを自由にしたのは長門であった。
「すまないな、アイオワ。少し遅くなった」
「ナガト………」
「他の者はまだ雑魚の相手をしているが、アイオワ、まだやれるな?」
「当たり前よ! ここから逆転ホームラン打ってやるわ!!」
 アイオワの返答に長門はニヤリと笑うと二人の戦艦が深海海月姫に向き直って言った。
「よし、全主砲斉射! 射てーッ!!」



 ………補給に使った小島で明石と第六駆逐隊は待機を続けていた。
 長門たちが小島を出てすぐの頃は砲声が遠雷のように聞こえていたが、それも次第に遠ざかっていき、今では砲声は完全に聞こえなくなった。ただ紅い波が寄せては引いていく音だけが聞こえて静かなものだった。
「うぅ〜、作戦はまだ終わらないのかしら………? 帰ってシャワー浴びたい、あったかいココア飲みたい、新しい武器改修したい………」
 不謹慎な発言だという自覚があるため、さすがに第六駆逐隊に聞こえない程度の小さな声でぼやきながら時間がすぎるのを待っている明石だったが、突然に島を揺るがすほどの轟音が響いたのを聞き、驚きのあまり工具箱を落としてしまった。
 轟音に驚き慌てふためく明石と対照的に第六駆逐隊は砲を構えて臨戦態勢を取る。だが轟音の発生源はこの島ではなく、もっと彼方の、そう、長門たちが目指して行ったB環礁沖の最奥からであった。
「え、何? 何なの? 深海棲艦の根拠地って、こんな大きな音がいきなり響くものなの!?」
「明石さん、落ち着いて」
 ヴェールヌイが白い帽子を被りなおしながら明石に声をかける。
「こんなことは今までにはなかったから」
 いやいやいや、それで落ち着いてられるものなの!?
「大丈夫。明石さんだけは何があっても私たちで守るから」
 いや、ヴェールヌイちゃん、そんな覚悟完了した眼はやめて。みんなで一緒に帰るんじゃないの!?
 明石の困惑を他所に決戦は進んでいく………。



「バカナコトダ…。オロカナコトサ……」
 長門とアイオワの砲撃を何度も受け、深海海月姫をはりつけていた鋼鉄のクラゲが崩れ落ちていった。だが、それは深海海月姫を縛っていた高速具が外れたということだったのだろう。深海海月姫の艦載機は勢いを増し、今や烈風の援護も虚しく制空権は奪われつつあり、長門もアイオワも被弾によって砲の半数以上が使用不能に陥っているほどだった。
 白い少女が自由になった手を動かす。細く、長くて綺麗な指は長門たちを指し示し、深海海月姫は言葉を続ける。
「ナギサ…デ…。イツカ…ナギサデ……。ゼツボウシテ…キエテイケ……」
 傷つき、立っているのがやっとの長門だったが、意地と矜持で膝は屈しないでいた。そう、まるであの時のように。
 ………まだ長門が軍艦だった頃、日本は戦争に敗れ、長門はついに死に場所を得られなかった。代わりに長門に与えられたのは標的艦としての運命であった。
 クロスロード作戦。アメリカ合衆国が手にした核兵器が、海軍の軍艦に対してどのような威力を発揮するのかを確認するための核実験だった。
 長門は二度の核爆発を受け、数多の艦が沈んでいく中、長門は観測者の目があるうちは海上にとどまり続け、観測者が退いた夜の内に沈んだ。標的艦にされても自らの沈む姿を見せることをよしとしなかった矜持は艦娘になった今でも持ち続けていた。
「私は、まだ沈まんさ………!」
 長門は血を吐きながら、尚も闘志に燃える瞳で深海海月姫を睨みつける。そう、お前を救うまでは………!
 軍艦であった頃の長門はクロスロード作戦でビキニ環礁に集められた艦の中に一隻の大型空母がいたのを覚えていた。戦争が始まる前から合衆国海軍の空母の中核として太平洋の戦場を駆け回った武勲艦、CV−3 サラトガだった。サラトガは一七年の長きに渡り、のべ一〇万機近い数の艦載機を着艦させた航空機の母だった。だが、戦争中に大量に就役したエセックス級の存在もあり、彼女は戦争終結後に不要な存在であると判断され、クロスロード作戦の標的艦となって渚にて沈んでいった。
 そしてそのサラトガが今、深海海月姫として深海棲艦となり、人類を脅かす存在に堕ちていた。彼女の絶望、無念が今回の戦いの引き金になっていた。故に長門は立ち上がる。アイオワに語った想いを貫き通すために。
「サラトガァッ!」
 長門が吼え、残った主砲も負けじと吼える。放たれた四一センチ砲弾は深海海月姫に突き刺さらず、見当外れの方向に落ちていき、巨大な水柱を立てるだけだった。これはさすがの長門も力尽きたという象徴だろうか? 否、否である。もし長門が力尽きていたのなら、これほど腹に力のこもった声で叫んだりはしないはずだ。
「跳べ、酒匂ッ!!」
 深海海月姫はそこで初めて喚声のような悲鳴のような声が近づいてきていることに気付いた。
「ぴぃぃぃぃ………」
 長門が放ち、立てた巨大な水柱。その水柱に海面を滑るように航行できる艦娘の靴を突き立てて駆け上る艦娘が一人。
「やああああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
 独特の口癖を発しながら、酒匂が水柱を利用して高く跳び上がったのだった!
「ナニ………?」
 上空から一五センチ砲弾を浴びせてくる兵器など存在しない。だが、今の酒匂は高い、高いところから深海海月姫目指して跳んできたのだ。深海海月姫は予想外の手段で迫ってくる酒匂に一瞬だけ呆気に取られた。だが深海海月姫の艦載機は跳ぶ者を撃墜しようとする。
「させません!!」
 そこに撃ち込まれたのは二〇センチ口径の三式弾だった。絶妙のタイミングで炸裂した三式弾によって深海海月姫の艦載機が散り散りになって落ちていく。
 この決定的な一撃を放ったのはプリンツ・オイゲンであった。長門が作った水柱で、プリンツ・オイゲンの援護を受けつつ、酒匂が深海海月姫に向かって跳んでいく!
「クッ………!」
 今までアイオワの一六インチ砲弾を受けても、長門の四一センチ砲弾を受けても、常に余裕を保ち続けていた深海海月姫だったが、空を跳んでくる酒匂の存在に初めて焦りを感じさせる表情を浮かべていた。奇想天外の戦いをする相手、これは早めに潰すに限る。深海海月姫自身が持つ対空砲が酒匂を狙い、そして放たれる。
「酒匂!」
 だが軽巡は対空砲の砲弾に耐えられるだけの装甲がある。数多の被弾で酒匂の艤装はボロボロになったが、酒匂本人は大きな傷を負うことなく、無事なままだった。
 深海海月姫はもはや目の前に迫った酒匂の砲と魚雷が自らに放たれる衝撃に備え、とっさに顔を両腕で覆う。だが、深海海月姫に襲いかかってきた衝撃は想像よりはるかに小さなものだった。
 水柱を利用して上空へ跳び、深海海月姫目指して進んだ酒匂は深海海月姫の対空砲を抜けた段階で艤装を切り離し、重量に引かれて落ちようとする艤装を蹴って方向を修正し………そして酒匂は深海海月姫に抱きついたのだった。
「!?」
 アイオワも、長門も、深海海月姫も、誰もが酒匂の行動を予測できていなかった。酒匂が深海海月姫を撃つのではなく、抱きつくために跳んだ!? 一体、なぜ!?
「エェイ! ハナセ!!」
 酒匂の奇行の理由がわからないまま、深海海月姫が大きく体を振って酒匂を振り落とそうとする。
「………放さない、放さないよ、絶対に放さないんだから!」
 だが、酒匂は渾身の力でしがみつき続けて叫び続けた。
「悔しかったんだよね、虚しかったんだよね、悲しかったんだよね!? だから、ここで一人で泣いているんだよね!?
 私もわかるよ、私もそうだったから! みんなに置いていかれて、暗い海の底で一人ぼっちだったんだもん!!」
 軍艦だった頃の酒匂は新時代の水雷戦隊の旗艦としての役割を期待されていた軽巡だった。しかし時代は酒匂に味方せず、戦局の悪化もあり、酒匂はまともな出撃の機会すら与えられなかった。そしてクロスロード作戦に参加し、核の威力によって短い生涯を終えていた。
 酒匂の瞳から大粒の涙がこぼれ、紅い海に落ちていく。
「だけど今の私は違うの! 艦娘になって、矢矧ちゃんにも、阿賀野ちゃんや能代ちゃんにも会えたの!!
 それだけじゃないの、一杯、たくさんのみんなと一緒にいられるの! 夏はね、あそこにいる長門さんの発案でビーチバレー演習をやったんだ!!
 秋は秋刀魚祭をやったの、私もたくさん秋刀魚を採ったんだよ!!
 冬はクリスマスパーティーをやったし、節分だってやったんだ!!
 春だって、みんなとお別れすることなく、また一年迎えられたんだよ!!
 私はね、艦娘になってみんなと一緒にいられて楽しかったんだ!!」
「ナニヲ……イッテ………」
 酒匂が泣きじゃくりながら深海海月姫に訴え続ける。いつしか深海海月姫は酒匂を振りほどこうとせず、その話に耳を傾けるようになっていた。
「だから、だから、私みたいに鎮守府に来ようよ………そうやって泣いているより、みんなと一緒に笑おうよ!!」
 酒匂が剥きだしの感情でつむぐ言葉はどんな砲弾よりも、どんな魚雷よりも、あの日の核爆弾よりも熱く、激しく深海海月姫の胸を打った。深海海月姫は優しい表情で酒匂の頭を撫でた。
 ………嗚呼、私はこんな風に誰かに泣いて欲しかったのかもしれない。憐れんで欲しかったのかもしれない。………だけど、それもここまでか。
 深海海月姫の体から淡い光が発し始める。その光は次第に強く、はっきりした白い光になっていく。そして光は深海海月姫の体を溶かしていく………。
「ダメだよ、消えるなんて! 一緒に、一緒に………」
 光に包まれて消えていく深海海月姫の体を酒匂は必死になって払おうとする。しかし光は止まらず、深海海月姫も消えていく。
「ヤサシイコ……アナタノコウカイニ……サチアランコトヲ………」
 深海海月姫が酒匂の涙を拭ってやり、そして完全に消えてしまう。そして紅い海と紅い空が見る間に青の色を取り戻していく。
 ………これでこれでいいのかもしれない。私もようやく眠りに。
 だが深海海月姫を消した光は収まらず、そして光の中から命が生まれていく。
 ………この光、私もそうなの?
 光の中から一人の艦娘が姿を現す。彼女が名乗る前から酒匂にはその名前がわかっていた。
「………サラトガさん!」
 そしてサラトガに抱きついて酒匂が再び泣き始める。光の中から生まれたばかりのサラトガは体に力がうまく入らなかったが、それでも酒匂の頭を優しく撫で続けていた。
「作戦、完了だな」
 長門はそう呟いて緊張の糸が切れたのだろう、膝を屈しそうになる。だが、長門の腕を取ってばっちり立ち上がらせたのはアイオワだった。
「No、No、FlagShipは母港に帰るまでがFlagShipでしょ?」
「手厳しいな………」
 長門はそう言って苦く笑う。深海海月姫の消滅、サラトガとしての転生によってB環礁沖に巣食っていた深海棲艦はいなくなったようで、大鳳や瑞鶴、北上や摩耶といった艦隊の面々が長門たちを見つけて集まってくる。長門はみんなが集まり終わるまでの間、静かに目を閉じて手を合わせた。
(皆の墓所を騒がせてすまなかった。サラトガのことは任せてくれ。………安らかに眠れ、軍艦の私よ)



 急な轟音がしたかと思うと程なくして空と海が青色を取り戻したのを見た明石が完全にテンパっているのを暁とヴェールヌイでなだめてつつ、第六駆逐隊は長門たちの帰還を待っていた。
 そして泣きつかれた酒匂を背負ったサラトガを先頭にした艦隊が手を振っているのを見て、電は祈りが届いたことに喜色を浮かべ、みんなの許へと駆けていくのであった。


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