大火葬戦史外伝
「大火葬宇宙開発史」


「発射準備、五秒前………四………三………二………」
 栃木県は那須高原。
 ここのダムと一体化した形で設立されているのが宇宙科学研究所である。
 今、研究所内はただならぬ緊張に包まれていた。
「エンジン始動します!!」
 ダムの付近に作られただだっ広い空間。その広い空間にそぐわないほど細長い物体、ロケットが鎮座している。
 しかし「エンジン始動」の言葉を皮切りに、この細長い物体は猛烈な噴射によって震える。
「宇門博士! エンジンは快調に動いています!!」
 白衣を着た若い科学者の声に宇門 源蔵は満足げに頷いた。
「大介さん、後で感想聞かせてくれよな!」
 宇門 源蔵の傍らにいた青年、兜 甲児が無線を通じてロケットに呼びかける。
『ああ。楽しみにしててくれ、甲児君』
 ロケットに乗っている青年が応じた。研究所のモニターに映る彼の顔は、マスクに覆われており、表情は窺えないが、声は優しかった。
「兄さん、お土産も忘れちゃ嫌よ?」
 彼の妹、マリア・グレース・フリードの天真爛漫な声が続く。
『ハハハ。わかった。マリアのみならず、全人類にお土産を持ってくるよ』
 青年は再び優しく笑う。
「エンジンに異常無し! いけます!!」
「聞いたか、大介?」
 宇門博士の言葉に青年は表情を引き締める。
『はい。では行って来ます。父さん………』
 宇門博士は静かに頷いた。
『グレンダイザー、GO!』
 その言葉を合図にロケットは天空を目指して羽ばたき始めた。ゆっくりとした上昇に見えるが、ロケット内のGは強烈という表現の一〇倍ほど強烈であった。
 そして数分後。
『こちら大介。グレンダイザーは無事に衛星軌道に達しました』
 その報告に歓喜に沸く宇宙科学研究所。
「大介さん、感想は? 始めてみる地球はどうだい?」
 甲児が興奮を抑えきれぬように尋ねる。
『そうだったな………今から見るよ……………おぉ…………………』
 宇門 大介の感嘆の息が聞こえる。
『地球とは………こんなに小さいものだったのか…………だが、正義と愛とで輝いて見えるよ……………』
 その言葉にさらなる歓喜が爆発した。
「やりましたね、博士。これで日本の宇宙開発はドイツに………いえ、ドイツをも追い抜きましたよ!!」
「いいや。宇宙開発に順番などないよ。宇宙は、皆に平等だ………」
 宇門博士はそう言って研究員の言葉をたしなめた。だが、研究員の言葉はある意味で正しかった。
 時に一九六一年四月一二日。
 この時、宇宙にドイツ以外の宇宙ロケットが始めて進出し、さらに人類史上初の有人宇宙船が宇宙へと飛び立ったのであった……………



 古来より人類の目は夜空に浮かぶ月を、星を見ていた。
 そして人類は胸に誓ったのだ。
「いつかかならずあの漆黒の海へ漕ぎ出してみせる」と。
 それはある意味で人類に課せられた誓約であった。
 もっともそれが現実味を帯びてくるのはキリストが生まれてから七万回以上も太陽が昇って降りなければならなかったが。


 一九四五年。
 日米戦争が終わって一年余、ようやく太平洋に完全な静けさが戻った頃。
 ドイツはペーネミュンデにて一人の鬼才が金集めに奔走していた。
 ウェルナー・フォン・ブラウン博士であった。
 フォン・ブラウン博士の経歴はまさに宇宙と共にあると言っても過言ではなかった。
 一九一二年。ビルジッツに生まれたこの鬼才は一九三二年。ベルリン工科大学に在籍したままドイツ陸軍ロケット研究所に入所。そのままロケットの研究にあけくれることとなったのであった。
 その二年後にはロケットで博士号を取得。
 一九三七年にはペーネミュンデ・ドイツ陸軍ロケット研究センター所長に就任するという順風満帆なロケット人生を送っていた。
 だがしかし。
 当時、ドイツの経済は完全に日本から送られる格安の資源を当てにして成り立っており、一九四一年末より勃発した日米戦争による資源供給の激減はドイツ経済に致命的な打撃を与えるに充分であった。
 そのためにフォン・ブラウン博士のロケット研究は完全に行き詰ったのであった(ヒトラーは実に賢明で、この不況に当たってロケット研究センターの予算削除を命じたのだ)。
 仕方なしにフォン・ブラウン博士は日米戦争が終わり、ドイツ経済が好転する時を悶々と待ち続けることとなるのであった。
 そして今。
 一九四五年にはドイツ経済は好転の兆しをみせていた。
 となれば今しかない!
 フォン・ブラウン博士はドイツ第三帝国総統のアドルフ・ヒトラーの前で延々二時間ほど自分の研究の偉大さとその重要性を述べたのであった。
 ヒトラーはこのフォン・ブラウンの異常なまでの熱意に正直引いていたものの、その重要性は理解しているつもりではあった。
 地球は人類にとっては狭すぎる。ならば人類は宇宙に進出し、新たに開拓して行かねばならないのだ。自分たちの新天地を。
 まるでアメリカ人のような論理であるが、ヒトラーはそれを是とした。
 そして宇宙開発技術をドイツが独占すれば、それは莫大な利益をドイツ人にもたらす。
 ヒトラーはロケット研究所の予算をそれこそバカのように増やした。それは日米戦争前の最盛期の三倍以上と言うヒトラーの正気を疑ってもおかしくないほどの額であった。
 ともあれフォン・ブラウンはその期待に答えて見せた。


 一九四七年。予定より三年ほど遅れたものの、世界初の弾道ミサイルとでもいうべきA−4ロケットを完成させたことを皮切りに、フォン・ブラウン博士の野望は一気に現実味を帯びて行くのであった。(余談であるが、フォン・ブラウン博士は日米戦争期の予算削減がよほど気に喰わなかったのか、当初博士はこのロケットを『報復兵器』などと称していたが、『何に報復するつもりだ?』というヒトラーの言葉によってA−4と名付けられたのは非常に興味深い事実である)
 そしてそれから一〇年後。
 一九五七年。
 フォン・ブラウン博士は世界初の人工衛星 「サンスーシ」を打ち上げ、世界の度胆を抜いてみせたのであった。
 後年、博士の言葉を信じるならば、この「サンスーシ」衛星は五年は早く打ち上げれるはずだったのだが、陸軍の弾道弾ロケット開発にも力を注がねばならなかったので遅れてしまったのだそうだ。
 そしてそれから一ヵ月後。
 今度は犬を乗せてロケットを宇宙に打ち上げ、さらに世界を驚愕させたのはいうまでもない事実である。さらにこの犬がヒトラー総統の愛犬だったというのはヒトラーが如何にフォン・ブラウン博士を信頼しているかを示すいい証拠だといえよう。
 この時期、ドイツの宇宙技術はまさに絶頂期を迎えていた。



 では今度は視線を日本の宇宙開発に向けてみよう。
 残念ながら、日本の宇宙開発は芳しくなかった。
 元はといえば宇宙開発技術の権威だったはずの早乙女博士がゲッター計画に魅せられ、宇宙への関心を放ってしまったことに起因するのは一つの事実であった(まぁ、代わりに優秀な核技術を手にしたのだが)。
 また、日本の経済状況もそれに拍車をかけた。
 ドイツは将来を見越して宇宙開発に力を注いだが、資源がありあまる経済大国の日本では宇宙開発は道楽として捉えられており、そのために予算があまり芳しくないのが実情なのであった。
 そのために日本の宇宙開発技術はドイツより五年は遅れてしまうことになるのであった。(尚、米ソの二大国の遅れはさらに致命的で、前者で七年。後者にいたっては一〇年以上も遅れてしまうこととなる)
 ドイツの独壇場で進む宇宙開発。そんな中。
 ある一人の青年が宇門 源蔵博士の養子となったことによって自体は急激に動き始めることとなる。
 彼の名はデューク・フリード。宇門家に養子として入ったことによって名を宇門 大介と改めることとなった青年であった。
 不思議なことに、彼は宇門博士の養子となるまでの経歴が、一切が世に出ていないという謎の多い青年であった。
 しかも彼は天才的としかいい様のないほどの才能を秘めており、彼の助言によって日本の宇宙開発技術は急激に加速を始めるのであった。(その経歴とドイツですら研究もされていない新基軸の技術を次々と考案したために彼のことを『宇宙人』だなどという者がいるが、さすがにそれは言いすぎであろう)
 だが奇特なことに、彼はその技術を軍事ではなくて民需主軸に使おうとしていたことも特記しなければなるまい。また、これによって多くの民間会社が寄付を働きかけている(これに関わった主な財団は式部財団、破乱財閥などのいわゆる『戦後財閥』が主に絡んでいることは興味深い。老舗が幅を利かせる軍需産業ではこういう新参者はやり辛かったのだろうか)。
 とにかくデューク・フリード改め宇門 大介の働きによって日本の宇宙技術は格段と進歩したのである。
 一九五九年。
 宇宙科学研究所は日本初の人工衛星「月読命」を打ち上げ、さらに月の裏側の写真を撮るという快挙を成し遂げてみせた。これによってドイツの独走状態であった宇宙開発に「待った!」をかけたのである。
 しかし大介の野望はそれで満足することはなかった。彼は頑強なまでに宇宙に人類を打ち上げることにこだわったのだった。
「まだ段階的に早すぎやしないか?」
 この声は宇宙科学研究所内でも小さくはなかったが、大介はそれをあえて押さえて自身の考えを推し進めた。
 そして一九六一年四月一二日。
 宇門 大介は自分の望みを見事に叶えてみせたのであった。
 それは人類が新たな地平に立ったことを示していた。
 さらに一九六三年には大介の妹のマリア・グレース・フリードが人類史上初の女性宇宙飛行に成功(尚、彼女は宇門家に養子入りしていない。当初、大介は彼女と死に別れたと思っており、妹のことなど周囲に話す素振りすらみせていなかったのだが………)。
 その後も日本の宇宙開発はトントン拍子で発展していくこととなるのであった。



 一方で日本の繁栄に顔をしかめていたのはフォン・ブラウン博士率いるドイツ陸軍ロケット研究センターであった。
 あくまで軍の依頼に沿って活動しているフォン・ブラウン博士から見れば、民需研究に重点をおく宇宙科学研究の急進は忌々しいにも程があるというものであった。
 この時期の博士の言葉を借りるなら………
「俺は鎖に繋がれたまま、奴らは放し飼いのままで宇宙を目指そうとしている」
 ということである。
 そしてフォン・ブラウンは日本を見返す意味を込めて、壮大なプロジェクトを立ち上げた。
 つまりは月に行く計画。
 俗に言うアポロ作戦である(尚、これは当時、ドイツに潜入していたアメリカのスパイがつけたコードネームであり、本来の名称は『G−3』計画という何とも味気ない名前である)。
 フォン・ブラウン博士は月に行くためのロケット『シュトルヒ』を造り上げ、そして計画を実行に移した。
 これには病に侵され、余命幾ばくもないヒトラー総統の多大なる助力もあって瞬く間に計画は実行の日を迎えた。
 そして一九六五年一二月二四日。
 遂に計画は実行に移された。
 だが…………
 読者諸兄らも知っての通り、この日のペーネミュンデは地獄と化した。
 史上最悪のロケット発射事故である。
 この日、ドイツは最悪のクリスマスプレゼントをサンタから貰うこととなったのであった。
 さらに致命的となったのはフォン・ブラウンを始めとするドイツ航空宇宙関係の科学者がほぼ全員死亡したことである。
 この報を受けたドイツ陸軍上層部は呆然としてこう呟いたとされる。
「全滅じゃない………全滅じゃあないけど……………」
 こうしてドイツの宇宙産業は命脈を完全に断たれ、アメリカに吸収合併されていくこととなる(生き残った彼らは頑迷にも日本に協力することだけは嫌がっていた。かつてのライバルに手を借すのが癪だったんだろう)。



 ……………………………
 一九六九年七月二〇日。
 宇宙科学研究所のロケット「グレンダイザー」(同研究所のロケットはこの名前を伝統的に受け継ぐことにしたらしい。この時点では四代目)は人類史上初めての月面着陸に成功。人類は遂に月に立ったこととなる。
 そして日本はその降り立った地に、日の丸の旗と並べてドイツの鍵十字の旗を立て、さらにこの場所に、無念の涙を呑んで悲劇の死を遂げた天才を追悼する意味でこう名付けた。

フォン・ブラウン

 そう。これこそが我が月面最大の都市 フォン・ブラウンの名前の由来である。
 そして二一四三年の今、このフォン・ブラウンの人口は三〇〇万をも超え、さらなる発展をみせているのである。
 では次の章からはこのフォン・ブラウンの詳細についてまとめ…………



著:慊潟 まさし
「月面都市 フォン・ブラウンまでの軌跡」第一章 宇宙開発史概略より抜粋。


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