大火葬戦史外伝
「説かれた封印」


 ………私は神。神 隼人。
 かつて帝国放射線研究所………通称「早乙女研究所」にて早乙女博士のゲッター計画に賛同し、協力していた男。
 そして……………
 戦後最大………否、人類史上最大にして最悪の大惨事の数少ない生存者の一人である。
 私はここに早乙女研究所にて何が起きていたのかを語ろうかと思う。



 時は一九四二年。
 大日本帝国がマリアナでの戦いに破れ、絶対国防圏とされていたマリアナ諸島を米軍に奪われた時のことである。
 そして海軍軍令部次長(当時)の遠田 邦彦中将の一派が電撃的に海軍権力を掌握。
 軍の体勢を立て直した時であった。
 思えばその瞬間からすべての歯車は動き出していたのかもしれない。


 当時の私、神 隼人は軍の依頼を受け、核兵器開発に着手することとなった早乙女博士の元で学ぶ一学生に過ぎなかった。
 私は早乙女博士には感謝している。
 早乙女博士に会う少し前。共産主義にかぶれていた私は政府転覆のクーデターすらも企てるという札付きの闘士だったのだから。
 その私に新しい道を示してくれたのが早乙女博士であった。
 博士は私に未知のエネルギーの世界を示してくれたのだ。
 それこそが放射線。つまりは核の世界であった。


 しかし急遽開始されたゲッター計画(編者註:早乙女博士は核開発計画をこう称していた)は開戦前から地道に研究を重ねていた米国に敵うわけは無く………
 結局、我々がゲッター(編者註:原爆)を完成させたのは米国に遅れること一年余りの一九四六年のことであった。
 だが私は未だに忘れない。
 ゲッターがその輝きを放った瞬間を。
 その瞬間、我々人類は新たなる炎を手にしたのだから。
 ところでその実験は浅間山に建造された帝国放射線研究所、つまりは早乙女研究所の地下にて行われていた。
 今にすれば地下核実験は常識であるが、早乙女博士は誰に言われるでもなく地下核実験を行っている。
 ………早乙女博士は既に核の危険性を知っていたのかもしれなかった。


 しかし我々はゲッター計画の成功に行き着く暇も無く、さらなる核兵器開発計画に向っていた。
 何故ならば一九四九年にソビエト連邦が核実験を成功させたからだ。
 我が帝国はソ連に対抗する意味からもゲッターをさらに強力にしたゲッターG計画に邁進しなくてはいけなかったのだ。
 何故か?
 核の炎を打ち消すのは核の劫火しかないからだ。
 そして一九五一年。
 ゲッターの実に一〇倍の威力を持つゲッターG(編者註:水爆のこと)を我々は完成させた。
 これは世界初のことであり、我が帝国の各開発技術は遂に世界一となったのであった。
 我々は大いに面目を躍如させた。
 俗な言い方であるが、まさに「我が世の春」であった。
 そしてソ連がG、つまり水爆を完成させるまでに我々はさらなる核を作り上げようと決意した。
 …………それが悲劇の始まりであった。



 計画名「真ゲッター」。
 一九五三年に発動されたその計画は不可解な点が多かった。
 早乙女博士は同じ研究仲間である我々にもその実態を明らかにしようとはしなかった。
 我々は研究装置を博士の指示通りに動かすだけであった。
 私はある時、同僚の流 竜馬と共に博士に思い切って尋ねてみた。
「博士………この真ゲッターはいかなるものなのですか?」
 博士は………当時、博士は地下の研究室で篭りっきりになっており、目には幾重もの隈ができており、見るからに憔悴していた。だがその声は外見とは裏腹に精気に満ち溢れていた。
「リョウ君、ハヤト君………ゲッターの素晴らしさはこれからわかる」
 …………私はその博士の表情に恐ろしいものを感じた。
 恐らくは竜馬も同じ事を感じとったのだろう。
 竜馬は研究所を去るタイミングを計るようになった。
 だが当時、研究員で博士に不信を抱いて辞職を願い出る研究員は誰一人としていなかった。
 誰も彼もが研究に没頭し始めていたのだ。…………私と竜馬を除いて。



 そして真は博士以外には駆動原理すら理解されぬまま実験が開始された。
 博士曰く予定の五分の一の炸薬量にも関わらずその威力はGをはるかに上回るものであった。
 私は今でも不思議に思う。
 何故にこの時に戦慄の念を抱かなかったのかと。
 そして一ヵ月後。
 運命の全力実験の日が訪れた。



 その時、私と竜馬は研究所にいなかった。
 海軍が新たに建造することになった原子力巡洋艦 三笠の打ち合わせに大阪の軍令部に赴いていたからだ。
 そして一九五五年八月六日午前八時一五分。朝食を終えた私と竜馬は梅田の軍令部オフィスに赴こうとしたその時であった。
「リョウ、ハヤト! 実験は成功したぞ!!」
 私と竜馬は早乙女博士の声を聞いた。
 人は幻聴だと笑うかもしれないが、確かに私たちは聞いたのだ。
 早乙女博士の歓喜に打ち震える声を。
 そして梅田の軍令部にて私たちは知らされたのだ。
 浅間山の早乙女研究所にて真ゲッターが暴発し、研究所から半径五〇キロのすべてを吹き消したことを。


 私と竜馬はすぐさま浅間山に飛んだ。
 真は本当に文字通りすべてを蒸発させていた。
 そこには何も無かった。
 ただ、ボロボロに朽ち、結晶化すらしている研究所が残っているのみであった。
 しかしおぞましいのはこれだけではなかった。
 そこにはあるべきものが無いのであった。
 核兵器に付き物のアレが。
 そう、放射能である。
 付近の放射能レベルは通常よりも確かに高いもの、一.一七倍と爆発の規模からは想像もできないくらいに薄かった。
 これは偶然の生んだ奇跡だったのだろうか?
 いや、違う。
 何故ならば早乙女博士は確かに言ったからだ。
「成功だ」
 と。



 その事件以後、帝国の核開発は一五年間にわたって封印されることとなる。
 竜馬は完全に放射線研究から足を洗い、どこぞの道場で空手を教えているらしい。
 だが私は違った。
 私は早乙女博士が何を見たのかを知りたいがあまりに放射線研究にますますのめりこむのであった。
 そして野党議員の罵声を浴びながら、私は軍の要請に応じて「貧者の核爆弾」こと気化爆弾のネオゲッターを製作した。
 そして今、早乙女博士の最後の遺産といえる「アーク計画」を実行に移している。
 果たして早乙女博士は真に何を見、そして何を期待していたのだろうか………
 もはや私はそれを解明するためだけに生きているといっても過言ではないだろう………………



書庫に戻る



 
inserted by FC2 system