大火葬戦史外伝
「SNOW(前編)」


 大日本帝国帝都大阪。
 大阪はあまり雪が降らない。
 帝国陸軍中将 竜崎 英策にとって、雪があまり降らないということは幸いであった。
 とはいえ、年に一度は雪が降る。
 「・・・・・・・・・・・・」
 今年で竜崎は四九歳となる。
 思えばあの時から二〇年経つ。
 竜崎は右頬のそっと撫でる。
 右頬についていた傷はすでに過去のもの。今は傷跡すら残っていない。
 しかし、彼の脳裏からはあの時の記憶は、薄れるどころか鮮明になっていくのみであった・・・・・・・・・・・・


 一九三六年一月一五日。
 帝国陸軍大尉 竜崎 英策は当時二九歳の若手エリート将校として当時から名を馳せていた。
 そして彼には陸士(陸軍士官学校)時代からの親友がいた。
 「よう、竜崎。また女学生の絵を描いてるのか?」
 そう言って竜崎の官舎に入ってきた男。
 陸士での同期の島 瞬であった。
 竜崎と島は陸士での首席と次席。彼ら二人は文字通り「明日の帝国陸軍を担う」優秀な人材であった。
 「よう、島」
 竜崎は手にしていたペンを一旦は卓上に置き、島の方に向き直った。
 「島、貴様、少佐に昇進したそうじゃないか」
 この間に島は少佐に昇進し、大阪に駐留する陸軍第一師団の参謀を任命されている。
 そして竜崎は天皇陛下のおわします大阪城警護を主任務とする近衛師団の中隊長である。
 「おう、おかげさまでな。しかし・・・・・・」
 島は竜崎の描いている最中の絵に視線を向ける。
 「何だ何だ。また眼鏡をかけた女学生か?お前、たまには違う絵でも描けよ」
 「うるせえ」
 島は呆れたような声で言う。
 「お前も、これさえなければ俺より早く少佐になれたのになぁ・・・・・・」
 竜崎は確かに陸士を首席で卒業した。しかし彼は癖が強すぎるので陸軍の上層部の受けは悪い。だから(竜崎に比べれば)人畜無害の島の方にかえって注目が集まるのである。
 「フンッ。老い先短い年寄りなんぞに好かれるつもりはまったくないね。・・・・・・まぁ、眼鏡で美人の娘を持っている、というなら話は別だがな」
 「眼鏡ねぇ・・・・・・」
 「そういえばこの間、俺の意見に賛同する奴を見つけたぞ」
 竜崎のその言葉に島は目を見開いて驚く。
 「本当か?!そんな変人がお前以外にいるっていうのか!!」
 「ああ。海軍さんでな。この間の冬コミで意気投合したんだ。名前は山本・・・・・・光とか言ったかな?」
 ちなみに「冬コミ」というのは年に二回、帝都大阪で開かれている国内最大の同人誌即売会のことである。
 「まぁ、そんなことはどうでもいいとして・・・・・・」
 島が人懐っこい笑顔を浮かべる。
 「竜崎、たまには軍務以外で外に行かんとダメだぜ。さ、飯でも食いに行こうや」
 「あ〜?だって俺はまだ原稿が・・・・・・」
 「今度の夏までに完成させりゃいいんだろう?なら大丈夫だって!!」
 島はそう言うと強引に竜崎を引っ張って行った。


 一九三六年二月二五日。
 「山本少佐、この間に君から借りた本だがね・・・・・・」
 帝国海軍第六戦隊旗艦重巡 青葉。
 第六戦隊司令長官 伊藤 整爾少将は一冊の本を一人の青年士官に返却していた。
 「中々に面白かったよ。うん、私も最初はこういうのはあまり快くは思ってなかったのだが・・・・・・」
 「実際に読んでみたらハマるでしょう?」
 青年士官が後を引き取った。
 青年士官の名は山本 光少佐。この重巡 青葉の砲術長を務めている。
 帝国海軍の異端児を自他共に認めているこの青年士官は、伊藤にどのような本を借したのであろうか?
 ・・・・・・・・・・・・
 そう、それは諸君らの想像通りである。
 彼は伊藤に「やたら目のでかい女学生たちとの恋愛話」の本を借して読ませていたのである。尚、この種の本は現在、帝国で爆発的な人気を誇っており、帝都で年に二回行われている某イベントに行けば、これらの二次創作物はそれこそ佃煮にできるくらいに豊富に発行されている。
 「ところで長官、この娘の話、よかったでしょう?」
 「うむ、確かによかったな。主人公のことが好きだというのに、赤面症故にそれを全面に押し出せないというのは何ともいじらしい話だな。私の妻もそういう一面があってな・・・・・・」
 伊藤と山本の二人の会話はそのまま延々と続くかと思われた。しかし・・・・・・
 「長官、一つ気になることが・・・・・・」
 第六戦隊の通信参謀が一通の通信文を持ってきた。
 「うむ、何だ?」
 伊藤は咄嗟に頭を軍務モードに切り替えて対応する。
 「・・・・・・『帝都大阪駐留ノ陸軍ノ一部ニ不穏ナ動キヲ認ム。大至急大阪方面に来ラレタシ』だと?」
 伊藤の顔が見る見る間に蒼ざめていく。
 一九三二年五月一五日に帝国海軍の若手将校が政府転覆を図ろうとしてクーデターを計画していた「五・一五事件」の記憶は帝国海軍に属する者ならば鮮明に残っている。
 「まさか大阪駐留の陸軍部隊が五・一五を再現しようというのですか?!」
 「山本少佐、口を慎みたまえ!」
 伊藤の声は必要以上に大きかった。それだけ伊藤も驚いている証である。
 「我が六戦隊は直ちに大阪湾に急行する・・・・・・ただし、この情報は少佐以上の者だけに知らせることにする」
 こうして第六戦隊の四隻の重巡は一路大阪を目指すこととなる。
 「大阪駐留の陸軍部隊・・・・・・竜崎、貴様たちのことなのか?!」
 山本の心の中に言い知れぬ不安が蓄積され始める・・・・・・


 一九三六年二月二六日早朝。
 その日、帝都大阪は深々と降り積もる雪に覆われていた。
 「よう、竜崎大尉。今日は中々に冷えるな・・・・・・」
 同じ近衛師団に所属する大隊長の近藤 白虎大佐が気軽に声をかけてくる。近藤大佐はあまり階級差などを気にせず、たとえ最下層の二等兵相手でも気さくに話しかけることから兵士達からの人気は高い。
 「はい。確かに冷えますね・・・・・・」
 竜崎がそう答えたその時であった。
 ウーウーウーウー
 耳障りなサイレンの音。
 「何だ?!」
 咄嗟のことに反応し切れなかった竜崎。しかし近藤は無線機を取り出し、近衛師団司令部に問い合わせていた。
 「何事ですか?!」
 竜崎も近藤を見て初めて無線機の存在を思い出した。しかし今、自分が司令部に状況を問うよりもこのまま近藤から聞いたほうが混乱が少なく済みそうであった。
 「・・・・・・・・・・・・」
 通信を終えた近藤は、視線が上手く定まっていないように見えた。顔色も蒼ざめている。
 「な、何があったのですか?」
 近藤の様子から、ただごとではないことが起きていると竜崎は思いながら尋ねた。
 「クーデターだ・・・・・・」
 「え?!」
 「第一師団の奴らが、クーデターを起こしやがった!!」

 大阪は騒然となった。
 梅田〜淀屋橋には官庁街が林立している。
 朝の早くに登庁しようとしていた若手官僚たちは、自分達の職場に向けて、鬼のような形相で迫ってくる陸軍部隊を見て愕然とした。
 「な、何ですか一体?!」
 勇敢な男が陸軍兵士に問いただす。
 しかしまだ二〇代前半と思われる若手将校はその問いかけに答えようとはしなかった。腰に下げている軍刀を、鞘ごと一閃。
 「ガッ!!」
 鞘で頬を砕かれた男。若手将校はそんな男には一瞥もくれず、傲然と宣言した。
 「大儀の為だ!ここは我らが占拠する!!」

 大阪城。
 そこの一角に緊急にクーデター対策本部が設置された。
 「・・・・・・クーデターを起こしたのは第一師団の一部の部隊のようです。数は一個大隊程度でしょう。我々、近衛師団の数には及びません」
 「しかし奴らは電撃的に議事堂や官庁街を占拠したのだぞ。彼らを人質にされたらどうするのだ?」
 「それは・・・・・・」
 「仕方あるまい。その時は人質ごと賊を蹴散らす。そうしなければ帝国は崩壊するぞ!」
 「問題は賊軍の質ではないでしょうか?賊軍の中には最新鋭の試作戦車を装備している戦車中隊もいるようです」
 ちなみにこの試作戦車というのは後の九七式中戦車のことである。中国戦線ではあまりいい評価をもらえなかった戦車だが、当時、日本にそれ以上の戦車はない。
 「現在、梅田の警視庁で警官隊と賊軍の銃撃戦が行われているそうです」
 「警察の装備では分が悪い。今すぐ救援に向かわせたほうがいいだろう・・・・・・」
 その時、一人の近衛師団兵士が対策本部に駆け込んできた。
 「何事か?!」
 「大変です!賊軍が、NHKを占拠し、ラジオ放送を開始しています!!」
 「何だと?!」

 『帝国臣民並びに帝国陸軍の戦士たちに告ぐ。私は帝国陸軍第一師団師団長 寺津である!!』
 近藤はその名に唖然とする。
 「寺津?!第一師団師団長の寺津中将だというのか?!」
 『いわゆる国共内紛と呼ばれている中国大陸での紛争が、国民党と共産党の戦いだという図式が偽りのものであることは、誰の目にも明らかである!!』
 「?!」
 『何故ならば、国民党の武器は我が国が。共産党の武器はソ連が供給しているからだ!
  我々は戦いの目的を見失っている。それは間もなく実証されるであろう』
 『我々は日々思い続けた。共産主義打倒を信じ、戦いの業火に焼かれていった中国人のことを。そして、今またあえて火中に飛び入らんとする中国人のことを!!』
 「野郎・・・・・・ソ連との全面戦争が望みだというのか!!」
 『顧みよ、何故国共内紛が勃発したのかを!
  何故、我らが国民党を応援するのかを!!
  もはや我々にためらいの吐息を洩らすものはおらぬ。
  今、若人の熱き血潮を我が血として、ここに私は改めて帝国議会に対露戦役を要求する。
  繰り返し心に聞こえてくる、祖国の名誉の為に。そして五族協和の為に。
  天皇陛下、万歳!!!』
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 放送終了後も、誰も喋ろうとはしなかった。
 何故なら痛いところを突かれたからである。
 帝国は中国での内戦で、国民党を応援している。しかしそれは武器弾薬の支給のみであるのは事実である。つまり帝国は立派に「死の商人」を行っているのである。
 「・・・・・・拙いですね」
 蒼ざめた表情のまま、辛うじて口を開く近藤。
 「今の放送に賛同する部隊が次々と現れますよ、きっと。そうなれば帝国は本当に二つに分かれてしまいます」
 「寺津め・・・・・・やってくれる」
 「ともかく、応援が駆けつけてくる前にこのクーデターを鎮圧しましょう。そうすれば何とかなります!!」
 「それしかないようだな・・・・・・」

 「師団長殿、見事な放送でした」
 「うむ。これで我が国が戦争に加われば、アカどもを一網打尽にできる。それも貴様の綿密な計画のおかげだ。例を言うぞ、島少佐」
 帝国陸軍第一師団の参謀の一人、島 瞬少佐は恭しく一礼してみせた・・・・・・

 「・・・・・・まさかあのようなことを意図していたとはな」
 伊藤の表情は蒼い。
 「蒋介石の陰謀でしょうか?」
 参謀の一人が口を開く。
 「その可能性はあるだろう。しかし寺津中将は自ら望んでやったはずだ。彼は熱烈な反共主義者だ」
 「ともあれ、あとどのくらいで大阪湾につける?」
 伊藤の問に、航海参謀が答えた。
 「はい。後、二時間ほどです」
 「急いでくれ」
 「長官、お話したいことが!」
 山本が発言を求めた。
 「青葉砲術長風情が何だ!」
 参謀の中には露骨に嫌そうな表情の者がいる。
 「よい。何だ、山本少佐」
 伊藤が発言を許可する。
 「ありがとうございます・・・・・・先の放送を聞いた乗員の中の一部に、不穏な空気が認められました。陸戦隊を動員し、警戒させてはどうでしょうか?」
 「・・・・・・・・・・・・わかった。許可する」
 そして山本の言葉どおりになった。
 青葉の乗員の一部が、寺津の思想に共感し、青葉を乗っ取ろうとしたのであった。もっとも計画など立ててもいないため、山本指揮する陸戦隊にあっさりと鎮圧されたが。
 だがあそこで山本が進言していなければ第六戦隊の到着が遅れたのも事実であった・・・・・・

 「みんな、出撃だ。我々は梅田に急行し、まずは警視庁の応援に駆けつける」
 竜崎が中隊一同を見回す。
 「了解!!」
 中隊一同は竜崎に敬礼。
 「よし、行くぞ!!」


 ダダダダダダダ
 「チッ!貴様らそれでも帝国陸軍か!!たかが警察くらい、さっさと制圧せんか!!!」
 警視庁制圧を命じられた中隊の中隊長が部下に怒鳴り散らす。
 「ハッ・・・・・・ですが警察の装備も中々に強力でして・・・・・・」
 それは事実であった。
 例えば警視庁の対特殊犯罪班の装備は、アメリカより輸入したトンプソン機関短銃である。当時、まだ帝国陸軍ですら機関短銃を装備した部隊は少なく、この中隊のように三八式歩兵銃で武装しているのが中心であった。
 それ故に警視庁制圧は予想以上に難航しているのが事実であった。

 「この機関短銃、中々に使える装備だな」
 警視庁対特殊犯罪班の相沢はそう言いながらトンプソンのトリガーを引く。
 ダダダダダダダダ
 甲高く、軽快な発射音が相沢の鼓膜を揺する。
 「ともあれ奴らをこの三階で食い止めるぞ!そうすれば鎮圧部隊が駆けつけてくれるはずだ!!」
 「相沢さん!!」
 対特殊犯罪班の同僚が歓喜の声をあげる。
 「来ました!応援の近衛師団です!!」

 帝国は混乱の最中にあった・・・・・・・・・・・・


書庫に戻る



 

inserted by FC2 system