一九五四年四月四日。
 日米戦争終決から一〇年の時が流れ、世界はある種の危うさを秘め続けてはいるものの、一応の平和の時を過ごしていた。
 そんなある日の大日本帝国は広島県の呉市の中心部からやや外れた場所にある本屋。
「親父、これくれ」
 三〇代半ばというところの青年というにはいささか歳をくった男が軍事系雑誌を買い求めた。
「あいよ。一〇〇〇円だ」
 本屋の店主は、本来ならば売り物の一つである雑誌から目を離さず、無愛想に言った。大型の店では考えられない、小さな店ならではの態度であった。
「ん」
 男はいささか古く、くたびれた一〇〇〇円札を渡し、その雑誌を買い求めた。
 その雑誌の表紙には『悲劇の戦艦 大和大特集』と書かれている。
「………親父さん。艦、好きなのかい?」
 男は何気なく店主の親父に尋ねる。この本屋はいたるところに海軍の軍艦の写真が飾られているから尋ねたのだ。
「ああ、好きだね。特に大和が好きだね」
 店主の親父は、やはり本から視線を逸らさず、ぶっきらぼうに言った。
「へえ。何で?」
「そりゃあアンタ………アンタの買った雑誌見ればわかるだろうが?」
 『悲劇の戦艦』。なるほど。好きになるには充分過ぎるほどの『物語』を秘めているわな。
「それはそうだったね。ありがとう」
 男はそう言うと店から出て行った。
 本屋の親父は出て行く間際の男の顔をチラリとだけ見た。
 親父は少し考えた後で、すぐに店の外に出て行き、周囲を見回して男がどこにいるか確かめようとした。しかし男はすでにどこかに行っており、探し出すことは不可能であった。
「………いや、まさかな」
 親父は頭をボリボリを掻き毟りながら店に戻って行く。
 そうだよ。そんなはずがあるわけがない。伝説の大和艦長である、あの山本 光大佐が大和特集を行っている軍事雑誌を買い求めに来るなんて………質の悪い笑劇以外の何でもない。
 親父は自分が疲れているのだと結論付け、その日の本屋はいつもより早く閉めて、さっさと布団にもぐりこむことに決めた。
 しかし結論から言うと、親父は店を閉じることはなかったのだ。
 何故なら………親父の見たことは真実だったのだから。


「いよぅ、アストリア。待たせたな」
 本屋をでた男が耳が細長く、尖った男に声をかけた。四月にも関わらず耳の尖った男の服装は全身を覆い隠すほどの厚着であった。
「ん? 用事は済んだのか?」
 アストリアと呼ばれた耳の尖った厚着の男が尋ねた。
「ああ。どうやら結城の言うように俺は英雄になっているらしいぜ」
 男はやや自嘲気味に笑う。
「よかったな、ミツル。レパルラントだけでなく、祖国でも英雄だったなんて」
「ふふ。さ、行こうか。俺の家はこっちだぜ」
 男は歩き出し、アストリアもそれに続く。
 男は歩きながら本をパラパラとめくる。
 その本には戦艦大和第二代艦長である男に対する美辞麗句で埋まっていた。
 山本 光ってのはよほどの英才なんだな。
 男こと山本 光はそう思った。まるで自分と同姓同名の別人のことを紹介しているような錯覚を覚えた。
「どうした、ミツル?」
「いや、何でもないさ。さて、少し急ぐか。久しぶりの我が家でな」
「足も速くなるわけだな」
「そういうことさ」
 本を閉じ、早足で歩き出す山本。
 ………俺は帰ってきたぜ、紅蘭。もうすぐ………もうすぐ会えるんだよな?

超火葬戦記FINAL
「絆」


 一九五四年四月三日。
 運命の日の一日前の夕刻間際。
「ようし、行くぞ!!」
 一〇歳前後の少年たちが何人か集まって公園でサッカーをしていた。
 彼らの生まれた頃、日本は未曾有の大戦争に全身を浸しており、このような子供たちのはしゃぎ声はいささか控えめであった。
 しかし今、この公園を満たすのは遠慮なき子供たちの純粋な喜びの声。
 平和である。
「お〜い、タカシ!」
 サラリーマンなのであろう。背広を着た三〇代半ばの男が公園で遊ぶ少年たちに声をかける。そして少年たちの中から一人が彼に向って走りよって行く。
「あれ? もうそんな時間なんだ?」
 タカシの父親が帰宅してくる時間であるということは太陽が地平線の彼方に消え行く時間ということなのだが………
 少年たちはサッカーに熱中するあまり、日が消え行こうとしていることに気付けなかったのであった。
「んじゃ俺も帰る」
「あ、俺も」
「それじゃあまたな」
「うん。じゃあまた明日」
「じゃあな、三十六!」
 少年たちは蜘蛛の子を散らすかのように一斉にそれぞれの家のある場所へと駆けて行く。
 そんな中、一人の少年は茜色に染まり行く公園で少し呆けたように立っていた。
「父さん、か………」
 小さな、自分にしか聞こえないような声でポツリと呟く。
 彼に父はいない。
 勿論、この世に生を受けたのだからいることはいる。しかし彼の父親は今を持って日本に帰ってきていないのだ。
 単身赴任なんかではない。それよりももっと残酷な現実。
 彼の名前は山本 三十六。
 彼の父親の名前は山本 光。
 戦艦 大和の第二代艦長にして帝国海軍史上に残る悲劇の主役。
 彼の父親はマリアナ方面に出撃し、そして二度とは帰らなかった。
 軍は彼を戦死したとは公表せず、今を持って彼の帰りを待ち続けている。二〇世紀最高の美談の一つであろう。
 しかし、なればこそ………残された者たちの時は止まったまま。
 死んでいると断言されれば、また違う道を歩むこともできよう。しかし『生きている』と言われれば、残された者たちはそれを信じ、それにすがり、同じ道を歩み続けるしかできないのだ。
 軍の作り上げた一種の『大和伝説』は、対米戦において、日本国内の戦意高揚に一役かった。だが、残された者にとってはこれ以上無い残酷な仕打ちなのだ………
 少年 山本 三十六にはそのような事情まで思いが及ぶことは無い。しかし彼のような幼い者にもわかるのだ。
 彼の母親。山本 紅蘭がどれほど悲しんでいるかを。
 帰ってくるならもっと早く帰って来てよ………お母さんは毎日泣いてるのに……………
 三十六少年は強く唇を一度だけ噛み締めると彼の帰るべき処へと駆けて行った。



 そして運命の日。
 その日、三十六少年は家で模型を組んでいた。
 彼は大和を組むことは無い。
 大和を組むと彼の愛する母親が悲しそうな顔をするから。
 今、組んでいるのは帝国陸軍の戦車 虎王一型だ。
 竜崎少将が乗車していたものと同じものだ。
「えっと………このパーツはどこにくっつけるんだ?」
 三十六少年は説明書とにらめっこを続けていた。


 同時刻。山本家の前。
「………ようやく帰ってきたんだな」
「ああ」
 アストリアの言葉も山本の耳にマトモに入っていない。彼はいささか上の空気味になりながら自分の家を見つめ続けていた。
「ただい………」
 ただいま、と言って入ろうとして山本は縁側に一匹の年老いた猫が眠っているのを見つけた。
「次郎………次郎か?」
 不意に声をかけられた老猫はピクリと耳を動かし、そして辛そうに首を動かし、山本を見た。
「ニャア」
 その猫の鳴き声を聞いた時、山本は知らず知らずのうちに泣いていた。
「お前………俺が帰るのを待っていたのか?」
 そして猫………次郎を抱き上げ、抱きしめ、さらなる涙を流す山本。そして次郎は山本に抱きかかえられたまま、今まで何とか細々と食いつないできていた何かを消費しきり、力尽きて眠るようにうな垂れ、永遠の世界へと旅立っていった。
「ミツル………それは?」
「………次郎。偉大なる猫だよ」
 涙で声がつまりそうになりながら山本は言った。
「………そうか。義理堅いんだな」
「ああ。次郎。お前は最高の猫だった。こんな………こんなロクでもない主人のために、死ぬよりも苦痛に満ちた生涯を送るなんて……………クッ」
 ガチャッ
 その時、何かが落ちる音が聞こえた。
 山本とアストリアはすぐに音の方に振り向いた。
 そこには一人の女性が立っていた。先ほどの音は手にしていた鉢植えを落としたのであろう。彼女の足元には割れた鉢植えが中身を地に撒き散らしていた。
「ア、アンタ………」
 震える声で女が口を開いた。
「………ただいま、紅蘭」
 山本は何か気の利いたことを言おうとした。しかし頭の中で百万回はイメージトレーニングしたというのに、口を割いて出たのはありきたりなその一言でしかなかった。
「………………」
 山本の最愛の人、紅蘭は黙ったまま山本に歩いて行き…………
 パンッ
 山本の頬を一発張った。
 そして山本の胸に飛びつく。山本も彼女をしっかと抱きしめる。
「………この大バカ。遅いで」
「スマンな………ちょっと用事が立て込んでな」
 そして抱き合う二人……………アストリアは所在無げに頬をポリポリと掻いた。



 一〇分ほど抱き合ってから山本はようやくにして家に入ることができた。
「熱いね?」
「おうよ。世界一さ」
 アストリアの冷やかしも何のその。山本は笑ってそう言ってみせた。
「ちょ、三十六! こっち来ぃや!!」
 紅蘭が何やら二階に向って怒鳴る。
「? ミソロク? おい、紅蘭………誰だそりゃ?」
「な〜に、母さん?」
 すでに頭の上に?を三つほど飛ばしていた山本であるが、降りてきた三十六を見た瞬間、その数は一ダースに増えたという。


 山本が三十六少年と遭遇してから五分後。
「何ィ〜〜〜!?」
 山本家に響く山本の絶叫。
「お、お、お、お…………」
 紅蘭から三十六少年のことを聞き、衝撃のあまりに言語障害に陥る山本。
「何だ。お前、子供がいたんじゃないか」
 アストリアが紅蘭の入れた日本茶を美味そうにすする。どうも彼は日本茶の味をお気に召したようだ。
「ちょっ、待てよ、紅蘭! え? だって………」
 チラリと三十六少年の方を見る山本。
「えぇい、この際だからもう言ってしまうが、俺はちゃんとつけるものつけてたぞ!?」
 三十六少年はその方面の知識に疎いらしく、?を飛ばしている。しかし懸命なことに彼はそのことについて尋ねようとはしなかった。うむ、賢いぞ、三十六君。
「できたもんはできたんやからしゃあないやん。穴でも開いとったんとちゃうか?」
 どこかおどけた感じでいう紅蘭。
「ゲゲェ………んじゃあ俺は三人も待たせていたのかよ……………ますます恐縮しちゃうぜ」
 無論、三人というのは次郎が含まれている。
「それはさておいて………」
 紅蘭が表情を引き締め、話題を転じる。
「アンタ、今までどこ行ってたんや? そこの人はどうもおかしいみたいやし」
「ん? ああ、そうだな。説明しないといけないな………」
 ……………………………………
 そして山本はレパルラントでのことを簡単に説明した。アストリアの目にはいささか簡単すぎる説明に思われたが。
「てなわけでこのアストリアに異空間のゲートを開けてもらって帰ってきたわけだ」
「…………………」
「な、なんだよ。その呆れたような表情は?」
「呆れた『ような』やて? 呆れとるんや」
「ああ、やっぱりダメ?」
「ダメ」
 すがるような山本の眼。しかし紅蘭はにべもなく払いのけた。
 そんな二人を見ながらアストリアは思った。この二人、本当にいいコンビだなぁ。
「ふっ。だがこんなこともあろうかと、だ。俺が何のためにアストリアを連れてきたと思っている」
「え?」
 急に話を振られて困ったような表情を浮かべるアストリア。
「バカ野郎。こんな時の為にわざわざ恋人たちのペイヴメントを捨ててまでお前を連れてきたんだぞ。何か魔法使えよ」
「え? こっちだと精霊の力が弱いからダルいんだけど?」
「…………………」
 アストリアは山本の眼に本気の殺意を見た。
「わ〜ったよ。ッタク。人使いの荒い奴だぜ」
 そして何事かを唱えるアストリア。
 紅蘭は疑わしそうな目で、三十六少年は手品でも見るように興味津々な目でそれを見守る。
「ホレ」
 ポッ
 アストリアの指先から小さな火が灯る。
「うわっ………」
 三十六少年が驚きの声をあげる。
 アストリアはそんな三十六少年の表情に少し微笑むと適当な紙(彼にはわからないだろうがティッシュ)を手に取り、その火に持って行き、紙を燃やして見せた。
「ほら。これが証拠の魔法だよ。これで信じたか?」
 山本は自慢げに胸をそらして言った。



「そうかぁ………そんなことがあったんか」
 その夜。山本家はささやかな宴会が開かれていた。山本は久しぶりのこちらの酒と料理に舌鼓を打つ。
「ああ。まぁ、あっちでのゴタゴタは全部納めてきた。今や平和そのものさ」
 ちなみにアストリアは日本酒を飲みすぎて完全に酔いつぶれて床に大の字になって眠りこけている。
「あ、あの………」
 三十六少年が恐る恐るといった感じで山本に話しかける。
「おう、何だ? あ〜………三十六」
「もう、何照れてんの。そんなキャラちゃうやろ?」
「お………おとう……………さんはこれからも一緒なんですか?」
 三十六少年は初めて会う山本を父と呼ぶのに照れを感じているようだ。
「おお。そりゃそうだ。これまでの埋め合わせはさせてもらうさ」
「ホ、ホント?」
 喜色満面となる三十六少年。
「おお。だから今日はもう寝な。明日も明後日も、ず〜〜っと俺は一緒にいるからよ」
 三十六少年は素直に頷くと自分の部屋に帰って行った。
「フフフ。ウブな子供よのぅ。………さて、紅蘭。三十六の弟か妹でも作るか〜」
「………実はな、光はん。一つ話しておかなアカンことがあるんよ」
「………何だよ。そんなマジな顔して」
 すでに上着のボタンを外そうとしていた山本は飯を目の前にお預けをくらった犬のような表情で言った。
「三十六のことなんやけどな………」
「?」


 一旦は寝床に向おうとした三十六少年であった。しかし彼はあることを思い出して山本の元へ戻ろうとした。
 そうだ。明日、キャッチボールをしてもらう約束しなきゃ。今まで夢だったこと。全部かなえてもらうんだ。
 三十六少年はその一言を言ってすぐに寝るつもりだった。
 しかし居間では山本と紅蘭がなにやら真面目な表情で話をしていた。
 そして三十六少年は知ることになる。彼らの話題が自分のことであることを。


「実は三十六なんやけど………光はんの言ったことは正しいんや」
「俺の言ったこと?」
 さて、何だっけ? 記憶力にあまり自信がもてない山本は必死で思い出そうとする。
「三十六な………うちらの子やないんや」
「!?」
 表情を一変させる山本。
「………じゃあ誰の子だ? まさか大神先輩との子とかいうんじゃないだろうな?」
 あのスケコマシ! 俺の女に手をつけたのかぁ!!
「何でそうなるねん! ………光はん、千葉大空襲って知ってるか?」
「千葉………? いや。結城はそんなことは言ってなかったが」
「そうか………結城はんは気を使ってくれたんやろうな。光はんがそれ知ったら……………」
 きっと自責の念に囚われて戦うことができなくなる。目の前の、うちの最愛の人はそういう人や。
「………何なんだ、紅蘭。教えてくれ! 千葉大空襲って何なんだ!?」
 山本は紅蘭の肩を掴んで問いただす。
「………一九四二年の一一月のことや。大和がいなくなってから数ヵ月後。アメリカに奪われたマリアナ諸島から爆撃機の大編隊が飛び立ったんや」
「マリ………アナ……………諸島だと…………………」
 搾り出すようにしてその単語を口にする山本。顔面は蒼白であった。
「マリアナ………から爆撃機が飛び立った……………」
 信じられなかった。それほどまでの航続力のある爆撃機が開発されていたなんて………
「それで千葉が狙われてん………死者行方不明者合わせて五万人…………うちはたまたま東京におったから千葉に急行したんやけど……………」
「………五万だと? 千葉にそれほどの師団兵力はないはずだぞ?」
 彼はわかりきったことを尋ねた。いや、彼もそれくらいはわかっている。しかし、それを否定して欲しいのだ。
「………………」
 紅蘭は黙って首を振った。
「………狙われたのは民間人や。東京で働く人を殺して相対的に工業力を落とす作戦やったんや」
「………三十六はそこで?」
 あえて感情を殺して山本は尋ねた。感情を生かしていたら、おかしくなりそうだった。
「そうなんや。死に掛けてる母親から渡されてな………『この子をよろしくお願いします』って……………」
 最後の方は涙で声にならなかった。
「………俺の………俺の力が至らなかったからか……………ッ!!」
 気配を感じて右の方を振り向く山本。そこには………
「三十六………!!」
 紅蘭の表情が凍りつく。
「ぼ、僕は………」
「三十六!」
 山本が声をかける。しかし三十六はその声を振り切るかのように走り出していった。
 そして玄関のドアが乱暴に開けられ、閉じる音がする。
「………光はん」
「ああ。探してくるさ………そしてわからせてやる」
「?」
「三十六は、俺の、大事な、そう、かけがえの無い、一人息子だってことをな………」
 紅蘭は涙で濡れた顔を縦に振った。
 それでこそうちの惚れた漢や、とでも言いたげであった。



 建設途中で建設中止になった三階建てアパートが山本の家の近くにある。
 このアパートは三階建てと一軒平凡であるが、地下に駐車場を持つのが自慢の種となるはずであった。現在の大阪で、駐車場を確保するのは非常に困難であるのだった。
 しかし途中で建設資金が足りないことが判明してそのまま放置されることとなったのだった。
 そんな事情は露知らず。三十六を始めとする子供たちはそこを格好の遊び場………つまりは秘密基地としていた。
 昼間であれば陽光が差し込んで明るいのだが、今は夜。闇の帳が降りるビルの中は不気味なくらいであった。
 しかし今の三十六は不気味とかそういうことを感じることすらできないでいた。
 今、彼の感情は飽和寸前………いや、すでに飽和していた。
「……………………」
 涙が自然と零れてくる。今まで英雄山本 光と大女優李 紅蘭の一人息子だと信じていた自分が愚かしかった。
 そう、自分は最初から天涯孤独だったんだ。何て忌まわしい現実。
 いつも秘密基地にしている屋上にでる。
 そして屋上で体育座りで座り込み、夜空に浮かぶ月を見上げる。月は滲んで見えた。三十六には月までもが自分をバカにしているような気がした。
 ………………………
 どれくらい経ったのだろう。
 不意に三十六の背後から声がした。
「ここにいたのか………ふむ。なかなかいい秘密基地だな」
「な……おとう………何でアンタがここを知ってるんだよ!!」
 お父さんと言いかけた三十六であるが途中で思い出して山本のことを『アンタ』と呼んだ。
「大人を舐めちゃいけないってことさ」
 誰だってこういう秘密基地遊びはする。山本にだってそういう経験があり、秘密基地に家出したこともあるのだ。そういう『男の子』の頃の記憶があれば簡単に発見できた。
「さぁ、帰ろう。春とはいえ風邪引いちゃうぜ?」
「嫌だ」
 頑として言い切る三十六。
「おいおい硬いこと言うなよ」
 厳格な英雄として世間では報道されている山本であるが、風評とは一八〇度違っていた。そこがまた三十六を刺激した。
「放っといてくれよ! 僕は、アンタとは何の関わりも無いんだから!!」
 三十六がいくら怒鳴りつけても山本は怯まず、三十六の隣に胡坐をかいて座り込んだ。
「………じゃあ聞くが、三十六。関わりが何ボのモンだって言うんだ?」
「え?」
「血の繋がりなんざ関係ない。それとも何か? 紅蘭がお前に注いできた愛情ってのは、血の繋がりの有無程度で切れちまう、そんな生ヌルいものだったのか?」
 もしもそうだったら今夜はお仕置きだな。うむ。
「それは………」
「だろ? だったら関係ないさ。お前は俺のたった一人の息子だ。そして俺はそんなお前と紅蘭を待たせ続けた愚か者だ………すまなかった、三十六………」
「……………」
 三十六はどういう対応をしたらよいのか迷っているようだった。だから彼はこう言った。
「………でも、僕にはもう前みたいにお母さんと呼べないよ。アンタもお父さんと呼べない………」
 ま、しょうがないか。時がたてば解決されるだろう………
 山本は三十六の言葉に正直落胆したが、そう思うことにした。
「ま、とにかく帰ろう。紅蘭、心配してるんだからさ」
「……………」
 そしてアパートから降りようとする山本。三十六は何も言わずについてくる。一応の前進と見ていいだろう。
 一階の玄関まで降りて来た時であった。
 山本は視界がグラリと揺れるのを感じた。
 な、何………?
 だが揺れているのは山本の視界だけではなかった。大地そのものが揺れていた。
「地震!?」
 それもチャチな規模の地震ではない。それなりに地面が揺れている。
 咄嗟に山本は三十六を自分の傍に庇い寄せる。
 ここで建設途上で放棄されたアパートの脆弱さが浮き彫りとなった。
 山本は妙な浮遊感を味わう。
 アパートの床が抜けたのであった。
「チッ!!」
 山本は三十六を抱き、彼のクッションとなって地下駐車場に落下した。
 地震はものの三〇秒ほどで止まった。
「おい、無事か?」
 山本が三十六に声をかける。
「う、うん………大丈夫」
 三十六自身は傷一つ負った様子はなかった。
「ふぅ、なら大丈夫だな………」
「で、でもどうするの?」
 三十六が心配そうに尋ねる。玄関の辺りで落ちたために月明かりも差し込んでこない。不安になる要素はそこかしこにあった。
「どうも地下室に完全に落ちちゃったみたいだなぁ」
 頭を掻きながら山本は周囲を見渡す。
「ま、階段があるはずだ。それを探して登ればいいさ」
「でも真っ暗だよ?」
「なぁに、海軍大佐を甘く見ちゃいけない」
 そういうと山本はポケットからライターを取り出すと火をつけた。
 おぼろげな灯りであるが、階段を探すくらいには不自由しない。
「今はこれが精一杯………さぁて、階段はどこかな〜っと………」
 右を見る。左を見る。
 山本は左方に階段らしき影を発見し、三十六と共にそこに走る。
「階段発見〜………ってアレ?」
 先ほどの地震の影響か。階段も崩れており、上ることができなくなっていた。
「やれやれ………参ったなぁ」
 ふぅ、と溜息を一つ吐くと山本は頭を掻いた。
「ど、どうするの?」
「なぁに………ここで一晩明かすのも乙なもんだろう。紅蘭も探してくれてるはずだしな」
 だがそう呑気に構えているわけにもいかないようであった。
 再び大地が揺れ動く。
 先ほどの余震であった。
「チッ!」
 山本は再び三十六を庇い寄せる。
 元々手抜き工事が行われていたのだろうか? 地下駐車場の柱が半ばで折れ、山本たちの方に倒れ掛かる。
「ッグァッ!!」
 山本は両手で倒れてきた柱を支える。
「だ、大丈夫なの………!?」
「ヘッ………海軍大佐には全然大丈夫だぜ」
 山本は顔に余裕の笑みすら浮かべながら三十六に言った。
 その時、やや大きめのコンクリの欠片が落下してくる。その破片は三十六のすぐ傍に落ちた。
「やれやれ………俺がレパルラントに言ってる間に手抜き工事が随分と流行ったみたいだな………おい、三十六。も少し近くに来い。俺の支えてる柱を傘代わりにすればいい」
「う、うん………」
 山本はチラリと三十六を見る。そしてすぐさま自分の支える柱に目をやり、天井というか一階の床を見る。
「おい、三十六。お前、俺の支えてるこの柱を登って、一旦ここを出ろ」
「え?」
「なぁに、大丈夫。お前の身長なら余裕で届くさ」
「で、でも………」
「このままじゃまた余震がいつ起こるかわかったもんじゃない。お前を危険に晒すわけにはいかんでなぁ」
「……………」
 三十六は迷った表情を見せていた。
 そのまま五分が経過するが、三十六は一向に柱を登ろうとしない。
 優しい子だ。
 山本は柱を支えながらそう思った。
 コイツ、俺独り残して逃げることを躊躇してやがる。ふふふ。コイツはまるで………
 その時であった。
 山本が危惧していた最悪の事態が起こってしまった。
 余震の第二波が来たのであった。
「ヤベェ!!」
 山本はさらにもう一本の柱が折れ、こちらに倒れ掛かるのを見た。
「あ、ああああ………」
 三十六は倒れ来る柱を呆然と眺めていた。だが急に背中を蹴り突かれ、前のめりに飛ばされる。
「何するんだよ!!」
 三十六が恨めしげに山本を睨む。
 だが三十六の恨みはすぐに消えた。
 三十六の視界の中で、山本は二本の柱を必死で支えていた。だが二本の柱をたった一人で支えきれるはずが無い………
「すまん………三十六、背中、痛くないか?」
 だのに山本は開口一番に三十六を気にかけてた。
「何で!?」
 思わず大声で尋ねる三十六。
「何で僕をそんなに気にするのさ! 僕は………僕はそんなことされてもアンタをお父さんと認めたりしてないんだぞ!!」
「………別に俺はお前に父と認めさせようとしてやった訳じゃない」
 山本は苦しそうに言った。
「………いいや、お前は俺の息子さ。お前、さっき一人で逃げろって俺が言ったとき、動かなかったろう? 俺もお前と同じことしたさ………その時思ったよ。お前は紛れも無く俺の息子なんだって」
「……………」
「そ、そろそろヤバくなってきたっぽいな………三十六、紅蘭に伝えろ………『山本 光は父として息子を護って死んだ』ってな……………」
 三十六は両の眼から涙があふれていることを知覚した。
 せっかく………せっかく会えたのに………つまんない意地なんかのために僕はまた失くしちゃうのか?
 そんなの………そんなのは……………
「い、嫌だ!!」
 あらん限りの声で三十六は強く言い放った。
「やっと………やっとお父さんと会えたのに………また会えなくなるなんて嫌だ! お父さんがここで死ぬなら僕も一緒に死ぬ!!」
 三十六が山本の体に抱きつき、泣きじゃくる。
「バカ言え………息子道連れにして、父の名が語れるもんか………」
「嫌だ! もうお父さんを失いたくない!!」
「………そうか。俺を父と呼んでくれるんだな………」
 山本はシミジミと呟く。
「………んじゃ任務完了としますか」
「え?」
「お〜い、アストリア〜。もういいぞ〜」
 山本がそう言うと二本の柱がバラバラに砕け散る。
 今まで柱の影で見えていなかったが、三十六は天井に開いた穴の向こうにアストリアと紅蘭がいるのを見た。
「………え?」
「相変わらずクサい台詞が好きな男やで、まったく………」
「向こうでもずっとあんな感じだったけど、昔からそうなんだな」
「お、お母さん? え? え?」
 訳がわからずに困惑の声しか出せない三十六。
「ゴメンなぁ、三十六ぅ。うちら、余震が起こってからちょっと経ってからずっといたんやけど………光はんがもうしばらく待ってろって合図するさかい出られへんかってん。堪忍な?」
「……………」
 口をポカンと開けたまま呆ける三十六。
 そういえば紅蘭は三十六が山本について尋ねるといつも決まってこう答えていた気がする。
 曰く、『変わった人』だと。
 三十六は山本の方を見やる。
「いや、最初の柱はマジだったんだぜ? うん。お前が柱に登らなかったから仕方無しにこう一芝居打った訳だ」
 山本はふてぶてしくウィンクしてみせた。
 肩を震わせる三十六。
「ありゃ? 怒っちゃった?」
「お、お父さんのバカ!!」
 そう言って山本の胸の中にタックルをかます三十六。
 そして泣きじゃくりながら『お父さん、お父さん』と繰り返す。
「………今まで待たせて、悪かったな………息子よ」



 それから三日後。
「おう、三十六。別れの挨拶は済ませてきたか?」
 山本は三十六の頭を撫でながら尋ねた。
「うん………ちょっと寂しいけどね」
「俺がこっちじゃ死んだことになってる以上、俺の帰る先は向こうしかないからなぁ………向こうに行ったら結城に好きなだけ文句ぶっつけていいからな」
「うん、わかった!!」
 あれから三日ですっかり山本は三十六と意気投合していた。まるで今までずっと親子であったかのように。
「じゃ、アストリアはん。頼むわ」
 紅蘭が仲睦まじい父子に目を細めながら言った。
 三十六との仲を修復させてから山本はあっさりと言ったのであった。
「じゃ、明後日にでもレパルラントに行くぞ」と。
 急に言われて二人とも呆気にとられたが、死人である山本が暮らすにはこの世界は色々と面倒すぎた。レパルラントにて暮らすのが一番妥当な線かもしれない。
 そして今日が旅立ちの日であった。
「じゃ、行くぜ」
 アストリアはそう言うとレパルラントへ通じる異空間ゲートを開く。
 そして四人はゲートを潜り、安息の地へと消えた。



 これが伝説的大女優である李 紅蘭(芸名。本名山本 紅蘭)失踪の顛末であり、ここに山本 光という一人の異端児の物語に幕を降ろさせていただく。
 彼がレパルラントに戻ってからの記録は無いが、これだけはきっと断言できるはずだ。

めでたし、めでたし………


第一二章「終焉の四賢者」


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