葬戦史R
六章「誰がために」


 一九四二年一月一六日。
 大阪は梅田にある帝国海軍軍令部「扶桑ビル」は基本的に全室禁煙だ。なぜなら全室に煙を感知する警報機とスプリンクラーが設置されているからだ。タバコをそこで吸えば火事だと機械が勘違いして作動してしまう。だからタバコを吸いたければ各階の隅に作られた喫煙室で吸うしかなかった。
 扶桑ビル六階の喫煙室は六階全域をちょうど見渡せる位置にあり、ここでタバコを吸う者は慌しく働く軍令部員を見物しながらタバコを吸うことができる。今、軍令部員の誰もが忙しかった。誰もが早足でそれぞれの作業をこなしている。唐突な日米開戦、そしてフィリピン沖での初の大規模海戦。飛び交う情報、指示をまとめて一本化するために、軍令部員の誰もが慌しく動き回っていた。
 後方勤務は気楽な課業。そう思って選んだ軍令部勤務だったんだけどなぁ………。
 軍令部勤務の海軍少佐押川 恵太は喫煙室でタバコを吸いながら己の職業選択を悔やんでいた。
 軍令部はいわゆる後方勤務であり、前線に立つことは絶対にない。だが、後方勤務は前線勤務と同等、いや、それ以上の忙しさを持っていた。日米開戦以後、軍令部が行うべき仕事は増える一方である。敵の動向の分析、調査。味方の集計、管理。軍令部勤務の者たちは砲弾ではなく数字と謀略が飛び交う戦争を経験していた。そこには戦死はないが、過労死の魔の手が存在していた。
 戦死の場合は二階級特進だが、過労死の場合はどうなるんだろう?
「おや、我らが押川 恵太クンではないか」
 六階喫煙室でタバコを吹かす押川を見つけ、嬉しそうに声をかけたのは軍令部次長の遠田 邦彦中将だった。軍令部きっての切れ者として有名な遠田だが、普段はどちらかというとイタズラ好きのひょうきんなオッサンであった。
 遠田は満面の笑みを浮かべて押川の座る長椅子のすぐ隣に腰掛けた。押川はそっと遠田との距離を離すべく腰を移動させる。だが、遠田は獲物を狙う蛇のようにズリズリとにじり寄ってきた。
「な、何ですかぁ、次長」
「いやいや、誰かは知らんが匿名のタレコミが永野総長宛にあってね。その内容が『遠田次長は次長室の警報機とスプリンクラーの電源を切って喫煙している』でなぁ。おかげで総長に大目玉だ。次長室でタバコを吸うことができなくなって、私もこうやって喫煙室通いだよ」
 永野総長とは永野 修身大将のことである。遠田は永野に「君も人の上に立つ者なんだから、規律くらいはしっかり守れ」と釘を刺されたことを思い出しながらタバコに火をつけて吹かす。
「そ、それはお気の毒で………」
「すっとぼけんな、バカモノ。そのタレコミ、お前がやったってことくらいは突き止めているんだよ」
 日米開戦の日、遠田に帝国歌劇団公演S席チケットを文字通り破られた押川は、遠田に対するささやかな報復として遠田のささやかな罪を永野総長に告発したのだった。匿名の告発がバレないように細心の注意を払ったはずだったが、しかし遠田はすべてお見通しであった。遠田の悪魔のような笑顔が押川に向けられている。押川は冷や汗が幾筋も流れるのを感じた。
「まぁ、んなこたどうでもいい。お前、確か海兵五四期だったな?」
 遠田が話題を転じる。どうやら自分に接触した理由は例のタバコの恨みではないようだ。押川は内心で胸をなでおろす。
「ええ、そうですけど?」
「そして山本と仲、良かったよな?」
「山本って山本 光先輩のことですか? ええ、今でもよく会って飲んだりしてますが………」
 そもそも押川に帝国歌劇団の素晴らしさを布教したのは山本であった。二人はいわゆる友達という間柄であった。
「フィリピンで第四艦隊が米艦隊と交戦状態に入ったそうだ。といっても空母による航空攻撃を行っただけで、本番ともいえる砲撃戦はまだ数時間後らしいがね」
「数時間後………?」
 押川は喫煙室の時計を見やる。現在、一六時四八分。フィリピンと日本では時差がほとんどない。そして数時間後に砲撃戦開始となれば………。
「どうも夜戦になりそうですね」
「ああ。大和の訓練不足が仇にならんといいが………」
 遠田は瞬く間にタバコを一本吸い終えると吸殻を灰皿に捨てた。そして長椅子から立ち上がって押川に言った。
「おい、晩飯食いに行くぞ」
「晩飯? まだ五時前ですよ?」
「さっき言っただろ。晩飯時に第四艦隊が砲撃戦に入ると。今のうちに食っておかんともたんぞ」
 さも当然であるという遠田の口調。どうやら遠田は比較的仕事量の少ない軍令部員に早めの夕食を取るように指令して回っているらしかった。押川は恐る恐る尋ねる。
「………きょ、今日も終電帰宅ですか、僕たち?」
「終電帰宅? 安心しろ、答えはNoだ」
 遠田はそう言った。だが、押川はその言葉を聞いてガックシとうなだれる。
「ほぅ、さすが我らが押川 恵太クン。今日が泊り込みであることに気付いちゃったようだな」
「はぁ、まだ一月半ばだってのに、もう三〇〇時間は働いてますよ」
「じゃあ労働組合がある民間企業にでも転職するんだな。民間だと週四〇時間労働で済むらしいからな」
 ただし、転職はこの戦争が終わってからだ。遠田はそう付け加えると押川に起立するよう促した。そして押川を連れて早めの晩飯を取りに扶桑ビルを後にしたのだった。



 水平線の向こうに夕日が沈もうとしている。赤い夕日に照らされ、海が血に染まったように見える。
「重巡二隻、軽巡三隻に駆逐艦八隻撃沈か。航空機もやるもんだな」
 帝国海軍第四艦隊旗艦戦艦 大和艦橋。
 第四艦隊司令長官 大枝 忠一郎中将はふくよかな顎をさすりながら感想を述べる。昼間に三度行った航空攻撃は大成功であった。敵は輪形陣の外延部を叩かれ、補助艦艇の多数を喪失していた。
「まぁ、せっかく建造したんです。『つるぺた』どもにも役に立ってもらわねば困りますよ」
 大和艦長の山本 光大佐がからかう口調で言う。ちなみに「つるぺた」というのは彼が空母のことを揶揄するときの表現方法であり、彼曰く「軍艦は女性だ。女性の胸(どうも艦砲のことらしい)はデカイほうがいいに決まっている!!」とのことだ。
「ふふふ、君らしい言い方だな」
「自分には自分の考え方があるように、他人には他人の考え方がある」をモットーとする大枝は山本の言葉に笑ってみせる。山本は、この大枝の太平洋のような広大な心を心底尊敬している。山本のような異端児にのびのびと力を発揮させる大枝の度量の深さを。
「だが、現代の海戦は戦艦だけでは勝てないことも覚えておきたまえ。君の将来に必ずや役立つだろうからな」
「はい!」
 山本はまるで初年兵のように初々しい返事で敬礼。大枝は満足げにそれを見つめた。



 空母 瑞鶴艦橋。
「第三次攻撃隊が帰ってきました」
「ようし、急いで収容しろ! 日没前にすべて終わらせるぞ」
 瑞鶴艦長 貝塚 武男大佐の命令の下、瑞鶴は喧騒に包まれる。
「貝塚さん」
 凛とした、意志の強さを感じさせる声。しかしその声には優しさも込められている。何よりも特徴的なのは、その声が女性のものだと言うことだ。
「瑞鶴か」
 貝塚の振り向いた先には空母瑞鶴の艦魂である瑞鶴がいた。
 瑞鶴は数奇な運命により、空母瑞鶴に憑依する艦魂となってしまった哀れな少女である。瑞鶴は限られた人にしか見えないために、瑞鶴が見える数少ない人物の貝塚は何かと彼女を気遣っている。
「どうした、瑞鶴?」
「出陣してった数より、だいぶと………減ってますね」
 悲しそうな表情で呟く瑞鶴。
「………そう、だな」
「ほんの数時間前まで楽しそうに談笑していた人たちが、もう帰ってこないのですね………」
「まったくだな………」
 貝塚はそれだけ言うと瑞鶴から視線を逸らした。これ以上瑞鶴を見ていたら、軍人として言ってはならないことまで言ってしまいそうだったからだ。



 一九四二年一月一九日現地時間一九時二四分。
「敵艦隊発見!!」
 帝国海軍自慢の見張り員による報告。大和のみならず第四艦隊全艦に緊張が走る。
「どこだ? 見えないぞ」
 しかし自分のペースを崩さない山本は双眼鏡を構えながらボヤいた。その声は伝声管を通じて見張り員に聞こえていた。見張り員が親切にも一言付け加えてくれる。
「二時方向です!」
 そう付け加えられて初めて山本は敵艦隊を視認した。といっても山本の視界には黒い点のようなものしか見えなかったが。
「………よくあんな遠くのものが見えるなぁ」
「彼らは特殊な訓練を積んでいるからな。まさにプロフェッショナルだよ」
 大枝の言葉に山本も頷かざるを得ない。プロフェッショナル、恐るべし。
「問題は………」
 大枝の声が曇る。
「訓練不足の大和で夜戦が行えるか、だよ」
「最善を尽くします、と言っておきましょう」
「頼むぞ、山本君」
 こうして日米間の初の艦隊決戦は、帝国海軍にとって御家芸とも言える夜間砲撃戦となった。だが、竣工してまだ日が浅く、訓練が致命的に足りていない大和には不安要素が多かった。



「ジャップの艦隊です!」
「内訳は?」
「えぇと、戦艦一隻に重巡四隻とその他大勢です!!」
「何?」
 見張り員の報告にキャラハンは首をかしげた。
「何故に戦艦が一隻しかおらんのだ? こっちは六隻もいるんだぞ。まさか戦艦一隻で撃退できると思っているのか、ジャップは」
 まさか本当に奴等の知能は猿並みなのか?
「別働隊がいるのかもしれませんね」
 とは参謀長の言。だが、わざわざ部隊を分ける必要があるだろうか? 我々フィリピン救援艦隊は一つの部隊しかいないというのに。
「まぁいい。別働隊だというのなら各個撃破の好機だ。教科書通りにいくか」
 キャラハンは自らの結論に満足し、頷いた。
「ようし、敵との距離が二〇〇〇〇に入り次第砲撃開始だ! ………で、後何分だ?」
「一分半です!」
 ようし、とキャラハンは舌なめずり。緊張のために喉はカラカラに渇いている。
 そして一分半後。
「プレイボールだ! 一回表で大量得点をGETするぞ!!」
 その言葉と共にフィリピン救援艦隊旗艦戦艦 オクラホマは自慢の一〇門の三六センチ砲を轟かせた。
「ヒュウ!」
 その荘厳な光景に思わず口笛を吹くキャラハン。
 もはや引き返せない。後はジャップの艦隊を蹴散らして、生きて帰るのだ。俺をこんな目に合わせた奴等を見返してやるために!!
 キャラハンは決意に燃えていた。



「敵一番艦発砲!」
「早いな………距離二〇〇〇〇での射撃とは」
「彼らには後がありません。先手を何が何でも取らねばならないのでしょう」
 大枝の疑問を砲術参謀が補佐する。ラッキーヒットでも命中すればいいのだという考えであろう。だが、砲弾を浪費し、何より発砲の際の輝きで自艦の位置を暴露する危険性は確かにある。
 米艦隊の砲撃は大きく外れ、水柱を空しく立てるだけ。その様に失笑する者すらいる。
「長官、こちらは距離一八〇〇〇ほどで『撃ち方始め』といきたいのですが、よろしいですか?」
 山本が聞いてくる。
「構わんよ、艦長。大和のことは君に一任しているからな」
「ありがとうございます」
 いささか芝居がかった仕草で山本は頭を下げる。その態度に眉をひそめる者もいるが、大枝はにこやかに笑っている。死戦を前にしながらそのような態度を取れる山本を頼もしく思っているのだ。
「艦長、砲戦距離に入りました! 目標は敵一番艦!!」
 大和砲術長よりの報告。
「ようし、では………」
 山本は大きく息を吸い込んだ。そして一気に吐き出す。
「撃てーッ!!」
 大和は世界最大の艦砲である九門の四六センチ砲を轟かせた。
 鼓膜を突き破りかねない轟音。
「濡れ雑巾」と呼ばれる衝撃波は、今までのどの戦艦のものよりも強圧であった。ビリビリビリと衝撃波が伝わってくる。だが、大枝にはそれらすら快感であった。



 大和の放った第一斉射は残念だが六〇〇メートル程遠弾となった。だが、フィリピン救援艦隊は混乱に陥った。
「うわあああああああ!?」
 猛烈な衝撃がオクラホマを襲う。日本人ならばその衝撃を関東大震災と表現するだろう。だが、アメリカ人にとって地震はピンと来る言葉ではない。彼らはその衝撃を表現する言葉を知らなかった。
「な、何なんだ、遠弾だろう? それでこれだけの衝撃だと言うのか!?」
 キャラハンの唖然とし、上ずった声。
「提督、報告したいことが!」
 見張り員の声。その声も上ずり、冷静を失っていた。
「何だ?」
「敵二番艦はイセクラスです」
「イセ………? イセとはジャップの戦艦の、あのイセか?」
「イエッサー」
 その言葉に思わず氷固するオクラホマ艦橋。
「………ちょ、ちょっと待てよ。お前、さっきジャップの艦隊は戦艦一隻だと言ったじゃないか」
 キャラハンは減らず口を叩こうとして失敗した。見張り員の報告する事実とは、すなわち………。
「も、申し訳ありません………。敵一番艦と二番艦の大きさに差がありすぎ、見間違えてしまい………」
「待てよ………。だとするとジャップの先頭の戦艦は、三六センチ砲戦艦イセクラスを重巡と思わせるほどのデカさなのか?」
「イ、イエス」
「そんな奴の載せてる主砲って何インチだと思うよ?」
 キャラハンは周囲の参謀たちの顔を見回す。
「一八、インチですかね?」
 キャラハンの顔面は蒼白となる。もはや戦闘開始前にはあった余裕などはるか彼方だ。
「ヤバッ」
 キャラハンのその短い言葉こそがキャラハンの心情をよく表していた。



 帝国海軍は米艦隊の先頭艦(つまりはオクラホマ)を大和に、二番艦を伊勢、日向に。三番艦を霧島、榛名に狙わせる作戦をとっていた。
 対する米艦隊は全戦艦の砲門を大和に集中させる作戦をとった。大和さえ無力化すれば勝ち目はあると判断したキャラハンの命令によってである。
 だが、所詮は三六センチ砲戦艦。
 大和の四六センチ砲の前には勝てるはずもなく、大和の巨砲が吼える度に次々と弾薬庫を貫かれて轟沈していく………はずであった。
 現実は帝国海軍の淡い目論見を打ち砕いていた。



「何故だ………」
 砲術参謀の声に焦りの色が見える。
「何故に当たらん!」
 そう、大和は訓練不足が原因で砲撃がサッパリ当たらなかった。
 砲撃開始から六分。
 すでに第一三斉射を数えているが未だに命中弾はおろか夾叉弾(砲弾が敵艦を包み込むように落着すること。照準が正しいことを示しており、その調子で撃てば必ず命中弾がでるとされる)すら出していないのが現実であった。
 対する米艦隊の戦艦群は旧式であるが故に錬度は高く、すでに大和は三六センチ砲弾を四発受けている。
 これは海戦後に判明したことだが、この時、大和は測距儀に異常が発生していたのだ。その原因は三六センチ砲弾による被弾であり、異常が発生していることはある程度の熟練を積んだ乗員ならば即座にわかるはずだった。だが、訓練不足のために測距儀が故障していることに大和の乗員は誰も気付いていなかった。やはり錬度の不足は致命的であった。
「やはり竣工したてで訓練もロクに行っていない戦艦を出すのは早急すぎたか………」
 大枝が唇を噛み締める。
「……………」
 山本は悔しそうに拳を握り締めるのみ。
 そして再び大和が揺れる。敵戦艦の三六センチ弾を再び喰らったのだ。今度の被弾は夜戦艦橋のすぐ近くであった。大和の装甲が貫通を許しはしなかったが、しかし飛び散った破片の一部が夜戦艦橋にわずかながら襲いかかる。
「グッ」
 夜戦艦橋に飛び込んできた破片の一片が山本の額をかすめる。額を切られた山本は血を流してうずくまる。さらに第四艦隊参謀の面々も何名か負傷している。幸運にも無傷であった大枝が慌てて軍医を呼ぶ。



「艦長、ご無事ですか?」
 参謀の面々の中には首筋を切り、重傷を負った者がいた。そのために山本に軍医が駆けつけたのは一番最後であった。山本は額を切って血を流してはいるが、二本の足で立ち上がり腕を組んでいた。
「ちょっと血が出てるだけだ。気にする必要はない」
「ですが、場所が場所だけに検査した方が………」
 もしかしたら額だけでなくその奥にある頭蓋骨、さらには脳に負傷が及んでいるかもしれない。そうなっては一大事である。医者として軍医はそう言った。
「では止血だけしてくれ。自分の血とはいえ顔面をタラタラ流れられると気分が落ち着かん」
 軍医は山本のいう通りにした。山本は軍人として、この場にとどまって指揮を執り続けるというのだ。医者であり、軍人である軍医はその言葉に従うしかない。
 山本は頭に包帯が巻かれるのを待ってから大枝に声をかけた。
「長官」
 その目にはある決意が秘められている。大枝はその眼差しを見ただけで山本の真意を汲み取った。大枝は一言尋ねる。
「艦長、やるのかね?」
「はい。残念ですがこのままでは大和は役に立ちませんから」
 根っからの大艦巨砲主義者の山本にとってこの現実は酷であった。だから、この状況を打開するために手を尽くすのだ。それが無謀なことであったとしても………。
「わかった。やりたまえ」
 大枝は静かに頷いた。
「それにしても………」
 大枝は誰に言うでもなく呟いた。
「とんでもない初陣になったなぁ」
 その言葉に山本は静かに頷こうとしたが、あることを思いつき、ニヤリと笑って応えた。
「『初体験』は痛いのが相場でしょう。まぁ、そのうち慣れればどんな奴でも昇天させれますよ。それだけの名器ではありますからね」
「ふふふ………」
 山本の下品極まりない言葉に艦橋の一同は思わず苦笑する。その間に山本はある命令を下した。それは後世に語り草となる命令であった。
「敵艦隊との距離をもっと詰めるぞ! 直接砲口を敵艦に押し当てて撃つくらいのつもりでいろ!!」



「敵戦艦接近してきます!!」
「何の真似だ? 接近すればこちらの砲撃でも仕留められる可能性があるというのに………」
「奴の砲撃がサッパリだからだよ」
 キャラハンの声はすでに沈静化されている。当初は一八インチ砲戦艦に恐れおののいてしまったが、その一八インチ砲戦艦の錬度が恐ろしく稚拙なのを確認し てからは余裕すら生まれている。どうやらあの一八インチ砲戦艦は訓練も大して行わぬままに実戦投入された様子だ。なにせ未だに砲撃を命中させれてないのが何よりの証拠だ。
「こちらもあの一八インチ砲戦艦に接近する! 近距離砲戦で一八インチを喰うぞ! 一四インチで一八インチを喰えば俺たちは歴史に名を残せるぞ!!」
 その言葉を言い終えれないうちにキャラハン艦隊に悲劇が訪れた。
 オクラホマに続く二番艦である戦艦 ネバダが日向の砲撃を受けて機関をやられ、速力をガクリと落としたのである。もはやネバダは戦闘に参加できないのは誰の目にも明らかだ。
「クッ………」
 キャラハンは歯噛みして悔しがる。あの一八インチ砲戦艦以外の、一四インチ砲戦艦たちの錬度はキャラハンたちを大きく上回っていた。キャラハンたちが一撃を加える間に日本の一四インチ砲戦艦は二発、いや、三発は叩き込んでくる。
「………残念だがネバダは置いていく。もはや我が艦隊は一隻たりとも戦力を割けない」
 キャラハンの言葉に騒然となるオクラホマ艦橋。
「だがあの一八インチを仕留めたら、必ずや救援に向かうとネバダに伝えろ!!」



「ふんっ、大砲屋め。普段威張り散らしておきながら、何だあの様は」
 軽巡と駆逐艦で構成されている第二水雷戦隊旗艦軽巡神通。その神通艦長は根っからの水雷屋であった。
「まぁ、訓練をロクにしていない大和を引っ張ってきたのは失敗だったな」
 そんな艦長をたしなめるかのように穏やかな声で話しかける男がいた。
「そ、そうですか………」
 威勢良く大和の不甲斐なさを罵倒していた艦長が急に大人しくなる。なにせこの二水戦の司令長官は水雷戦の神様のような存在だからだ。
 第二水雷戦隊長官田中 頼三少将である。
 二水戦を初めとする水雷戦隊はこの砲撃戦開始以来、ずっと米水雷戦隊との砲撃戦を続けていた。だが先の空襲で戦力を著しく減じている米水雷戦隊は帝国海軍の水雷戦隊の前に惨敗を喫した。
 だが、田中に言わせれば彼らは僅かな戦力でよくやったと言える。なにせ軽巡一隻、駆逐艦五隻しかいない部隊で、重巡四隻、軽巡二隻、駆逐艦一四隻を相手取り、駆逐艦村雨、夕立を撃沈し、重巡 熊野を魚雷で大破せしめたのだから。
 彼らは勇敢であった。精強をもってなる帝国海軍の水雷戦隊に決して劣らないくらいに。
 ともあれ水雷戦隊の防衛ラインを突破した二水戦は必殺の雷撃を敢行すべく米戦艦部隊に接近していった。
 米戦艦部隊も二水戦の意図を悟り、妨害すべく副砲での猛射を開始する。
「クッ!!」
 軽巡神通は戦艦テネシーの一二.七センチ砲を受けて砲塔が一基、完全に潰される。
「まだだ! まだ、終わらんよ!!」
「水雷戦の神様」こと田中 頼三の闘志はそのようなものでは削げやしない。
「距離六〇〇〇で撃つぞ!!」
「なッ!?」
 田中の言葉に思わず抗議の声を上げる神通艦長。我々には長射程・大威力の酸素魚雷があるにも関わらず、どうして接近する必要があるのだろうか?
 だが、田中は豪胆にも笑いながら言った。
「及び腰では当たるものも当たりはせん。現に大和も接近砲戦で命中弾を出そうとしているではないか!」
「………わかりました! 行きますよ!!」
 二水戦は狂ったように前進を続ける。
 その途中で駆逐艦 黒潮が撃沈されるという被害を被ったものの、他は概ね無事に射点までたどり着く。
「ようし、射ィ!!」
 その号令と共に二水戦、軽巡一隻、駆逐艦七隻から合計六四本の九三式酸素魚雷が放たれた。
 酸素魚雷とは帝国海軍水雷戦隊の切り札である。
 純酸素を動力とし、航跡を残さず、長射程かつ強力な破壊力を秘めている究極の魚雷である。
 そしてその六四本のうち、命中したのは八本である。
 うち四本が戦艦 ペンシルバニアを直撃。世界最強の破壊力を誇る九三式酸素魚雷はペンシルバニアのバルジを吹き飛ばし、大量の浸水を強要する。さらに機関をも水浸しにする。ともあれこの一撃でペンシルバニアは完全に停止し、ただの「浮かべる鉄の塊」となってしまった。
 さらに二本がアリゾナに、一本がカリフォルニアに、最後の一本がテネシーに突き刺さるがさすがに戦艦ともなれば魚雷の一本や二本では沈まない。しかし浸水で速力を著しく削がれてしまった。
 田中の必殺の雷撃が米艦隊の戦力を著しく奪い去ったのだ。



「ぐううううう!」
 酸素魚雷が突き刺さった衝撃で激しく揺れる戦艦テネシー。艦長のロバート・ワイア大佐は被害を報告させる。被雷による浸水で速力が一六ノットまでしか出せないという。ワイアは歯噛みして悔しがる。
「クソッ、もう少しだけでも近寄りたい、あの一八インチ砲をもったモンスターに接近したいというのに………」
 ロバート・ワイアは、あの現副大統領サイモン・エドワーズの一番弟子と目されている人物であり、サイモンから直々にカラ〜テの手ほどきを受けたこともある男である。
 当然ながらサイモンのように彼も親日家であるが、しかし彼はこの戦争に対して明確に反対の意思を示していない。むしろ、「血ヘド吐くまで殴り合い、そして互いに疲弊した時にこそ真の友情は生まれる」と思っている節があるくらいである。
 しかし何より特筆すべきは彼の徹底した砲術へのこだわりであろう。
 彼の砲術理論はアナポリスの教科書とは完全に隔絶した理論で行われており、当然ながら上層部は彼の独自の砲術理論を何度も改めさせようとしているくらい であった。しかし実際問題として彼のテネシーの命中率が全艦隊でもダントツのトップであるために文句が言いたくても言えないのが本音のようであった。
 では彼ほどの優秀な人材が何故に旧式戦艦の艦長ごときに留まっているのだろうか?
 それは彼の多すぎる血の気に起因していた。
 彼はよく酒場などで暴力沙汰を起こし、それが度々問題となっているのであった。ただ、彼自身から喧嘩を吹っかける訳ではなく(ただし相手はボコボコにされるが)、またサイモンのお気に入りであるためにクビにはできないという事情があった。
 仕方なしに海軍はこの男を旧式艦の艦長としてお茶を濁しているのであった。
 もっとも彼はテネシーを(というより籠マストを)愛しており、左遷させられていること自体に文句をつけることはないのだが。
 そんなワイアは多すぎる血の気で目を血走らせながら一八インチ砲戦艦、つまりは大和を睨みつける。そしてふとワイアはあることに気がついた。
「見張り員、一つ尋ねたいことがある」
「サー・イエッサー」
「あの一八インチ、舷側に副砲の砲塔があるように見えたが、正しいのかな?」
 夜の闇の中で、砲撃のきらめきでのみ姿を現す大和の全貌を捉えるのはワイアの目では難しかった。だが、見張り員の目ならばこの闇の中でも大和の全貌を捉えることができる。
「………どうもそのようですね。自分は趣味で世界中の海軍艦艇の写真を集めているのですが………」
「回りくどい言い方はするな。で、何が言いたいんだ?」
「あ、はい。あの副砲、ジャップの重巡洋艦モガミクラスの旧砲塔にそっくりですね」
「やはりか………。ありがとう、任務に戻ってくれ」
 ワイアはそう言うと砲術長に連絡を繋ぎ、あることを提案する。



 さて、ここまで(大和という誤算はあったものの)優勢で展開していた帝国海軍も不運に見舞われることになった。
 戦艦伊勢と日向は脱落していた戦艦ネバダを狙っていた。
 しかしネバダは予想以上にしぶとく、ネバダの砲撃を受けた日向が艦橋に直撃弾を受けて艦長以下の首脳部が壊滅。また、伊勢も第三砲塔を倒壊させられるという損害を被っていた。どうやら手負いの敵と甘く見ていたツケを払わされたようだ。
 だが、それらすらまだ生温く思えるような被害を出てしまったのだ。
 戦艦テネシーの放った一弾が大和の副砲を貫き、中に大量に備蓄されていた一五センチ砲弾をハデに誘爆させたのである。



「しまった!!」
 四六センチ砲戦艦大和の装甲は対四六センチ砲のものとなっている。だがテネシーの見張り員が指摘したように、この戦艦の副砲は重巡最上型の主砲のお古であり、当然ながら重巡の主砲ですら破壊できる。つまり大和最大の弱点こそがこの副砲だったのである。そこにテネシーは発射間隔の短い副砲での連射を浴びせたのだった。近距離砲撃戦ということもあり、テネシーの連打のほとんどが命中。大和の左舷側にある副砲の弾薬庫に一弾が飛び込み、炸裂したのである。
 弱点を見事に突かれた大和。
 しかも大和はまたしても錬度不足を露呈した。巨大な大和の艦内はさながら迷路のごとし。応急処置にいそいだ水兵たちは、広い艦内を彷徨うこととなったのである。
「何やってんの!」
 さすがの山本もこの事態には焦らざるを得ない。
 だが、ここで大和は初めて四六センチ砲戦艦らしいことをやってのけた。
 大和の放った第二四斉射が、敵艦アリゾナを捉えたのである。その砲戦距離はわずか三〇〇〇メートル。「直接砲口を敵艦に押し当てて撃つくらいのつもり」で行うと豪語した山本の言葉が実現されたのである。
 命中弾はたった一弾であった。
 だが、その一弾はアリゾナの第二砲塔を易々と貫いた。アリゾナで一番装甲が分厚いはずの主砲砲塔であるが、四六センチ砲弾を受けてはひとたまりもなかった。そして弾薬庫内に辿り着いた四六センチ砲弾は信管を作動させ………。
 一瞬、アリゾナが膨らんだように見えた。
 そして次の瞬間にはアリゾナは劫火に包まれ、そして船体は三つに裂け、アリゾナは海底へダイブを開始した。
 典型的な爆沈である。
 そしてこのアリゾナ爆沈が日米両軍の戦意を喪失させていた。
「クッ、さすがにこの距離だと向こうの砲撃も命中するか………。撤退だ! ジャップの艦隊に一撃を加えるという作戦目標はひとまずは果たしたはずだ!!」
 キャラハンはそう決断し、残存艦艇を戦場から離脱させるように命令を下した。
 大和は副砲誘爆のために速力が六ノットが限界となっていた。近距離砲撃戦を行おうにもその速力では距離を離されるばかりだ。
「………このままでは大和が沈みかねん。我々も撤退する」
 大枝はこの海域から離れていこうとするフィリピン救援艦隊に対する追撃を諦めた。大和の被害も甚大であるが、他の三六センチ砲戦艦の被害も見逃せないものになっていたからだ。こうしてフィリピン沖での砲撃戦は収束に向かっていった。



 一九四二年一月一七日の朝日が昇る。
 大和の火災はその後の必死の消火作業の結果、最悪の事態だけは免れた。しかし大和は大破の判定を下さざるをえない被害を被っていた。
 格下、それも二階級下を相手にここまでの苦戦を強いられるというのは完全な想定外であった。
「訓練は重要だということか………」
 大枝は悔しげにそう呟いた。
 彼の悔しさは、そんな初歩の初歩を忘れていた帝国海軍に向けられていた。
 大枝はため息を一つ吐くと視線を一方に移した。その視線の先には軍医が山本につめかけていた。
「さぁ、艦長。遅くなりましたが、検査入院しましょう。それに輸血も必要なのではありませんか?」
 山本の額から流れた血は相当量にのぼり、山本は貧血寸前であった。それは彼の顔を見ただけで判断できるくらいだ。
「いや、俺は、いいよ………」
 何とも歯切れの悪い言葉だ。山本は何かを恐れており、検査とはいえ入院することを嫌がっていた。
「山本君、君は負傷しているんだから、早く軍医に診てもらわないといかんぞ。もう海戦は終わったんだから、安心して検査を受けてきなさい」
「いや、だから、その………」
「ふぅ、では鎮痛剤と輸血だけでも行っておきましょうか」
 山本が翻意しないことを悟った軍医は鞄から注射器を取り出すと鎮痛剤を注いだ。注射器を見た途端、山本の顔色が青くなる。
「山本君、まさか君は………?」
「いや、違うんですよ、長官! 注射が怖いとかそういうんじゃなくて自分の体に針を突き刺すなんて人間のすることじゃないんですよ私は文明人としてそんな野蛮なことを認めるわけにはいきませんから」
 どうやら山本は注射が怖くて検査入院を拒んでいたようだ。句読点を忘れてしまうくらいに、山本は慌ててみっともない弁明を垂れ流す。大和の艦橋で艦長の醜態を目の当たりにした男たちは苦い笑いを漏らした。



「戦艦の中で損害の軽い艦はどれだ? 二隻挙げてくれ」
 キャラハンの問いに参謀たちは面食らった表情を見せる。
 あの海戦以後、なんとか虎口から脱したキャラハン艦隊は砲撃戦の前に艦隊から離分させておいた空母 サラトガと合流した。
 帝国海軍は空母二隻を保有しており、その航空攻撃は(手負いのキャラハン艦隊にとって)脅威であったが幸いにして帝国海軍には発見されることなくフィリピン海を脱出していた。
「このオクラホマとテネシーですね」
「そうか………」
 参謀の言葉に頷いたキャラハン。
「では他の艦艇の乗員を本艦とテネシーとサラトガに移乗させてくれ」
 キャラハンの命令の真意を掴めずに呆然とする参謀たち。
「そして移乗し終えたら、本艦とテネシー、そしてサラトガに燃料を配分してくれ。そうすればジョンストンあたりまで何とか帰れるはずだ」
 つまりキャラハンは艦隊の燃料をオクラホマとテネシーとサラトガにのみに集中させてジョンストンまで帰り着こうというのである。
「で、ですがよろしいのですか? 他の艦艇は傷ついてはいますが、修理すれば充分に使える艦艇ですが………」
「それで太平洋で漂流するつもりなのかい? これは仕方のない措置なのだ。もはやそうしなければジョンストンまで帰ることはできないのだから。それに全責任は私が取る。君たちが責任を問われないようにする。それは約束しよう」
 こうしてキャラハン艦隊はオクラホマ、テネシー、サラトガを残し、後は軒並み太平洋上で自沈することとなった。



 一九四二年二月四日。
 ハワイ真珠湾。合衆国海軍太平洋艦隊司令部。
「フィリピン救援艦隊司令長官ダニエル・キャラハン中将、ただいま戻りました!」
 その言葉と共にキャラハンは敬礼。
「う、うむ………。今回は残念であったが、よく帰ってきてくれた」
 それだけ言うとキンメルはキャラハンを退室させた。処分に類するモノは一切なかった。上層部もあの作戦が無茶無謀極まりないものであったと理解していたのだろう。
「お咎めはなし、か」
 キャラハンはそう呟いた。とりあえず生きてこの場に戻ることができ、さらにお咎めもなし。キャラハンにとっては最高の状況だといえる。
「キャラハン中将」
 不意に聞こえたその声にキャラハンは凝固した。その声の主はあの男であった。
「ふ、副大統領」
 男の正体はサイモン・エドワーズ副大統領であった。
 なぜここに、と思うキャラハンをよそにサイモンは口を開く。
「すまなかった」
「え?」
「今回の件は大統領の独断で決められたのだ。私は知らなかったのだ………と言っても信用できんだろうが」
 そう言うとサイモンは自嘲気味に笑う。
「だが、本当にすまなかった。私は君を………」
「ああ、別にいいですよ」
 キャラハンの思いがけない言葉に思わず目を見張るサイモン。
「過ぎたことを言われてもね。それにあの作戦がなければジャパニーズの一八インチ砲戦艦のこともわからず、マリアナ辺りでもっと手痛い目にあっていたかもしれません。結果的にですが、よかったんじゃないんですか、あの作戦を行って」
 まぁ、その代償としてオクラホマとテネシーとサラトガ以外は帰ってこれませんでしたが、と付け加える。
「本当にすまなかった。お詫びといっては何なのだが、君に渡したいものがある。ちょっと来てくれんか」
 キャラハンは怪訝な表情のままサイモンの後をついていく。
 そしてキャラハンは………いや、今はまだ語るまい。
 だが、後にキャラハンはこの日のことを「人生最良の日」と語ったのは事実である。


第五章「灰になるまで」

第七章「夜の帳の中で」

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