葬戦史R
第四章「素晴らしき世界」


 一九四二年一月一二日日。
「小真珠湾」と呼ばれるほどに拡張されたジョンストンを出港した、六隻の戦艦を中核とする合衆国海軍の艦隊は付近を哨戒中の伊号潜水艦によって発見された。その報は直ちに大日本帝国本土へと通達され、その動向が注目されることとなった。
「戦艦六隻に空母一隻か。侮れない兵力だね」
 連合艦隊司令長官 山本 五十六大将は、合衆国艦隊をそう評した。ここは大阪は梅田にある連合艦隊の司令部である。司令部の一室に連合艦隊司令長官ともう一人が海図をはさんで向かい合っていた。広げられた海図には中部太平洋の詳細が記されている。
「艦隊の規模よりも、問題は彼らの目的地でしょう」
 連合艦隊参謀長 宇垣 纏中将が無表情に言う。彼は常に無表情であり、「黄金仮面」の異名を持つ。宇垣は「米艦隊のその後はつかめておりません」と続けた。
「トラック諸島への侵攻じゃないのかい?」
 山本が不思議そうに尋ねる。
「はぁ、そう思ってトラック近海に潜水艦を一五隻配置したのですが、敵艦隊の行方がさっぱり掴めないのが現実です」
 宇垣が無念そうな口調で言う。ただし表情は変わらないが。
「ならば、トラックではないのでしょう」
 突然の別方向からの声。山本と宇垣の視線が声の方に向かう。その声の主は軍令部次長の遠田 邦彦中将であった。
「遠田中将………。なぜ、ここに?」
 宇垣の問いに対して遠田は笑う。
「なぜって………。まぁ、私用ですよ」
 遠田は周囲を見回しながら続けた。
「それにしてもGF(連合艦隊)の司令部を陸に上げて正解でしたね。陸のほうが情報がよく集まって指揮が執りやすいでしょう?」
 同意を求める遠田の声。山本は苦く笑いながら頷いた。
「私は今でも指揮官先頭がいいと思っているがな」
 だが、宇垣は忌々しげにそう言った。
 代々GF司令部は、帝国海軍最強の戦艦におかれるという慣例があった。だが現在帝国海軍最強の戦艦の長門型(大和型はまだ訓練途中で戦力として組み込まれていない)の二隻は第三艦隊所属としてトラックに派兵された。それ故にGF司令部は一時的にではあるが、帝都大阪に移されている。
「それで遠田君。トラックでないのなら敵はどこに来るというのかね?」
 山本の声に遠田は意外そうな目で山本を見た。
 何だ、そんなこともわからないの? とでも言いたげだ。
「フィリピンですよ。フィリピンの制海権を握り、マリアナ諸島を無力化するつもりですよ、合衆国のお歴々はね」



 世界初の四六センチ砲搭載戦艦大和。
 その二代目艦長を任されたのはトラックで奮闘した山本 光大佐であった。
 その彼は、大和を一刻も早く戦力とするべく連日連夜の訓練を行っていた………はずであった。
 だが、彼が大和にいることは稀であった。
 彼は訓練計画は立てるものの、その実行をすべて副長や砲術長などに一任し、自分は忙しなく「ある所」に通いつめていた。
「お前、また来たのか?」
 呆れたような………いや、実際に呆れた表情で山本を見るのは空母瑞鶴艦長貝塚 武男大佐であった。貝塚は一月三日生まれであるのでつい最近誕生日を向かえ、四四歳となった。戦時特例で大佐に昇進した山本は三六歳であるから、一回り近く年上の相手である。
「いや〜、噂を聞きつけましたからね」
 しかし山本はそう言ってアハハハと笑っていた。そして「あ、これお詫びの粗品です」と呉の和菓子屋の水羊羹が四個入った袋を盛岡に渡す。どうやら彼なりに、瑞鶴に入り浸ることは悪いことだという自覚はあるようだ。
「………もしかして、お前、本気にしてるのか? あの噂を?」
 山本が差し入れた水羊羹用のお茶を入れながら貝塚が尋ねた。
 竣工したてで、未だにペンキの臭いが鼻をつく瑞鶴にはある噂が流れていた。曰く、「美人の幽霊が出る」とのことである。その幽霊は別に害を及ぼす訳ではないが、しかし竣工早々にそのような噂が立つのは好ましいとはいえなかった。貝塚はこの噂が広まるのを何とか食い止めようとしていた。
「美人の幽霊と聞いた以上は黙ってはおれませんからねェ」
 山本は子供のような好奇心を抱いていた。そんな山本に貝塚が鼻を鳴らす。何かを意識しすぎて芝居がかった口調だな、と山本は思った。
「ふん、このご時世に幽霊なんか居てたまるか」
「ありゃ、貝塚艦長は幽霊を信じてないんですか? 科学万能論者って奴ですか?」
「だいたい噂があるだけで、実際に見たことのある奴は一人もいないじゃないか。よくいうだろう、『幽霊の正体、枯れ尾花』ってな」
「浪漫のない方だなぁ」
 山本が、はぁやれやれと肩をすくめる。そして水羊羹をパクリ。そのふてぶてしい態度は見ていてムカツク。
「美人の女幽霊ですよ。きっと彼女は愛に飢えているから成仏できないのでしょうよ。ならば私の愛で………」
「お前、よくそんなバカなこと考え付くな」
「ポジティブ・シンキングって奴ですよ。ああ、貝塚艦長、水羊羹もう一ついただけますか?」
「この水羊羹はお詫びの粗品とやらじゃなかったのか? まぁ、私はお前ほど甘い物が好きってわけじゃないからいいが………」
 貝塚は視線を右の方にチラチラと流しながらそう言った。貝塚が視線を寄せる右方向に山本も視線を向けてみるが、しかしそこには何もなかった。だが、貝塚は確かにその右方向に何かを見ている様子だった。山本はあごに左手を添え、少し考えてから行動に移した。
「でやあッ!」
 山本は貝塚が視線を寄せる右方向に大の字で飛びかかった。当然、何もない空間なのだから山本のジャンプはただの奇行で終わるはずだった。しかし………。
「キャアッ!?」
 山本は何もない空間で確かな感触を感じていた。ムニュウとやわらかい感触。それは女性の………。
「!?」
 次の瞬間、山本の視界が逆転した。天と地が逆さになり、山本は天に落ちる………はずもなく、一瞬のうちに足払いを受けて逆さにひっくり返された山本は床に頭をしたたかに打ち付けたのであった。
「な、何するとですか!!」
 訳もわからず意識を失いつつある山本の聴覚が凛とした、意志の強さを感じさせる声を捉えた。それも女性の声だ。やっぱりいたんだ、美人の女幽霊………。
 そうつぶやいたところで山本の意識は途切れた。



 さすがに帝国海軍の中でも有数の能力を持つ山本復活は早かった。どうも山本はこの手の衝撃にはなれている節があった。誰にそのような目にあわされているのかはわからないが………。
「で、貝塚大佐………」
 開口一番、山本がまだ痛む頭をさすりながら口を開いた。
「彼女は誰です?」
 先ほどまで姿が見えなかった女幽霊であるが、今はその姿が見えていた。どうやらその姿は自在に消したり現れたりできるようだ。だが、女幽霊は山本の問いかけに応えなかった。貝塚の背中に隠れるようにして山本をチラリチラリと視線を送っていた。見知らぬ男にいきなり飛びつかれ、あまつさえ胸をもまれたとあっては平静でいられるはずがないが、瑞鶴のその反応は貞淑すぎやしないだろうか? 山本は不貞にもそんなことを考えていた。
「彼女は瑞鶴という」
「瑞鶴〜? それはこの艦の名前じゃないか」
 山本はそんなことをつぶやきながら瑞鶴と紹介された女幽霊の顔をマジマジと見る。女幽霊はますます貝塚の背中に隠れるが、異性にじろじろと見られるのが恥ずかしいのか顔をほんのり赤くしていた。
「それはともかくだ」
 貝塚がズイと山本の視線上に顔を突き出して言った。
「お前、まぐれとはいえあんなことになったんだから、瑞鶴に謝るんだ」
 貝塚の視線は本気の熱を帯びていた。ここでふざけた対応を示せば貝塚が本気で殴りかかってくる。山本はそう確信した。
「う、わ、わかってますよ」
 貝塚の怒気に気圧されながら山本は瑞鶴の方に頭を深く下げた。
「本当に、すみませんでした! まさか本当に美人の幽霊がいるなんて思わなかったんです!!」
「……………」
 しかし瑞鶴は貝塚の背中という天岩戸から出てくる素振りをみせなかった。瑞鶴の中で、山本は痴漢認定されたのだろう。
「ほら、瑞鶴。山本大佐も反省しているようだし、許してやっちゃくれないかな?」
「………貝塚さんがそう仰るなら」
 貝塚の言葉を受けてようやく貝塚の背中から姿を見せる瑞鶴。といってもまだ警戒心を完全になくしてはいなかったが。
「いやぁ、美人幽霊と聞いてはいたが………」
 山本は「こりゃ想像以上だ」と言い、瑞鶴の容姿を褒め称える。おべんちゃらとわかっていても、人に褒められることはうれしい。それは万民共通であり、瑞鶴といえど例外ではなかった。
「気味悪がらないんですね………」
 貝塚が呆れた声で呟く。しかし内心では安心もしていた。山本には瑞鶴の存在を教えてもいいことが判明したのだから。
「まぁ、どーのこーの言ったって、彼女がここにいることに変わりはないんだ。臨機応変に考えるしかないんじゃないかな?」
 山本は能天気な口調で応えた。それは大人物であると思わせる発言だが、しかし「コイツ、本当に何も考えていないんじゃ………?」という不安の方が大きく感じれてしまうのが山本のクオリティであった。
「でも、アレがないのが残念だな。画竜点睛を欠くってのはこのことだ」
 そんな貝塚の内心を知ってか知らずか、山本はマイペースで話を進めていく
「『アレ』ってなんですか?」
 瑞鶴の方も、幽霊である自分をまったく恐れない山本に警戒心の外套を脱ぎ始めていた。
「それは、眼鏡だよ」
「眼鏡って………? 確か、あの、目の悪い方がかけてらっしゃる奴ですよね? うちは目、悪くはなかとですよ?」
 瑞鶴が不思議そうに尋ねた。山本はドイツの宣伝相ゲッベルスのように、嘘を真実であるかのような口調で続けた。
「いや、わかってないな。世の殿方は眼鏡をかけた女性が大好きなんだぞ」
「山本大佐! 瑞鶴にウソを教えるな!!」
 世間知らずの瑞鶴が山本の嘘を信じてしまうではないか。慌てて貝塚が口を挟んだ。
「山本大佐、少し黙っててくれ。話が進まない」
 貝塚が山本を黙らせる。そして咳払いを一つしてから話を本題、瑞鶴に関することに戻す。
「私も全部把握しているわけではないんですが」と前おいてから貝塚は瑞鶴について語り始めた。
「彼女は瑞鶴の艦魂なのだそうです」
「艦魂? 何です、そりゃ?」
 聞きなれない言葉だな、と山本は呟いた。
「我が国には古来より霊剣とかそういう類ものがあるだろう。それの軍艦版だよ、簡単に言えばね」
「すげえ。瑞鶴は霊空母・・・だったのか………。大戦果は約束されたも同然ですね」
 山本がそう評した。
「後はよくわからないんだよ。彼女も自分が艦魂であること以外はわかっていないらしくて………。あ、それから彼女が見えるのはお前を除けば、私だけのようだな。だから安心していたんだが………」
「別に乗組員をとって食ったりする訳じゃないんでしょう?」
 山本は瑞鶴の方を見る。
「瑞鶴は大人しい娘だよ、確かに」と貝塚。
「まぁ、私は一旦大和に帰りますよ。念願の美人幽霊、いや、艦魂も見れましたしね。それから、このことは俺たち三人だけの秘密にしたほうがよさ気ですね。エライさんにこのことを聞かれたら一大事だ。瑞鶴ちゃんが除霊されちまう」
 山本 五十六連合艦隊司令長官やら永野 修身軍令部総長やらが霊媒師を連れて瑞鶴を訪れるというトンでもない想像図が山本の脳裏をよぎる。うん、確かに内密にした方がいいよな。
「すいません、山本さん」
 瑞鶴が頭を下げる。
「ああ、謝る必要はないぜ。謝るのは俺の方だしね。でも、眼鏡をかけてくれればこの上なく嬉しいよ、俺は」
 山本大佐、これで意外としつこい性格なのである。だが、山本の申し出は貝塚の猛反対でうやむやになったのであった。



「山本大佐、どこに行ってたのだ?」
 大和に帰り着いた山本は、見知らぬおっさんからイチャモンを付けられた。丸々と太ったおっさんで、子供に好かれそうな優しい顔をしている。学校の校長をすれば生徒に好かれる名校長として校史に名を残せるに違いない。
 山本は「なんだ、このおっさん」と思わない訳ではなかったが、そのおっさんが中将の階級称をつけていたので敬礼しながら大きな声で応えた。
「はっ、今後について瑞鶴の貝塚艦長と話をしていました!!」
 一〇〇%嘘ではないが、一〇〇%真実でもないことを口にする山本。
「そうか。噂以上に熱心な艦長のようだな」
 ………あらら? このおっさん、信じちゃったぞ? 実際は瑞鶴で瑞鶴ちゃんと出会ったんだけどなぁ。ま、真実を言うつもりはハナからないが。
「おお、そういえば自己紹介がまだであったな。私は大枝 忠一郎。今度新設される第四艦隊司令長官を務めることになる。よろしくな」
 そう言うと山本の手を握る。大枝の手はゴツゴツとした海の男の手である。そういえば大枝の体からはどんな高級石鹸を使っても取れないほどに強い潮のにおいがしていた。
「第四艦隊とは一体………?」
 山本の問いに大枝は笑って答えた。
「今度新設される艦隊だよ。旗艦は大和。他には伊勢と日向、霧島、榛名を中核とし、瑞鶴が所属する五航戦も参加する臨時編成の艦隊だ」
「でも、大和はまだ訓練途上ですよ?」
「戦況はそのような甘ったるいことを許しはしないよ」
 大枝の目が冷たく光る。なるほど、ただの人がよさそうなおっさんなどではない。彼もまた優秀な軍人なのだと山本は認識を改めた。
「フィリピン方面に向けて米艦隊が出撃したそうだ」
「!?」
 山本はその言葉に硬直する。
「もうですか? マリアナを飛ばして?」
「そうだな。だが、筋は通っている」
 大枝は試すような視線で山本を見る。
「なるほど。フィリピンの航空兵力が心許なくなってきたから、ですか?」
「そうだ」
 大枝は嬉しそうに頷いた。山本が本当に有能な軍人だと知れて嬉しいのだろう。
「フィリピンの制空権は今や我が帝国のものといっても差し支えないくらいだ。だから急いでフィリピンの制海権を確保し、フィリピンの安全を確保するつもりのようだ、アメリカは」
「何とも投機的な作戦ですね」
 その作戦は確かに投機的であった。もしもフィリピンでの洋上決戦に敗北すれば米艦隊は燃料不足から二度とジョンストンに帰ることはできないだろう。つまりこの作戦は「勝つ」ことを前提としている作戦なのである。
「勝算はあると思っているのだろう。何せ長門型二隻は出撃できんからな」
 長門型が出せない以上、帝国海軍には四〇センチ砲戦艦が一隻もないことになる。確かに米軍が勝ちを信じるに十分な条件だろう、ある一点を除けば。
「でも、我々には大和がある」
 山本の言葉に大枝はニヤリと笑った。
「そうだ。まだ奴らは大和の存在を知らない。それが付け目だろうよ」



 一九四二年一月一五日。
 帝国最大の軍港である呉に集結していた第四艦隊は、燃料弾薬の補給を終え、出港した。
「すごいですね、貝塚さん。こんな大きな船の群れが出陣するのって、うちは見たことないです」
 空母 瑞鶴艦橋。数十隻の艦隊が出港する様は何とも勇壮である。貝塚は傍らに瑞鶴を伴って第四艦隊の出撃を見守っていた。
「そうか? まぁ、確かに一番小さな駆逐艦でも『大安宅船』なんかよりもデカイからな」
 貝塚は駆逐艦を指差して言った。
「『大安宅船』? 何ですか、それは?」
 どうやら瑞鶴はその存在を知らないらしい。
「わからんか? だとしたらお前は安土桃山時代よりも前に前世を送っていたのかもしれんな」
 瑞鶴には「安土桃山」と言っても通じない。キョトンとした面持ちである。
 ………そうだな、生きて帰ってきたら日本史の本でも買ってやるか。
 艦魂であり、空母瑞鶴から一歩たりとも離れられない瑞鶴を思い、貝塚はそう考えた。
「あ、でもたくさんの船がやってきたのを覚えてるような気がします」
「ほう?」
 前世のことをほとんど覚えていない瑞鶴が、おぼろげながらも前世のことを語ったのだ。嫌でも貝塚の興味を引く。だが、瑞鶴はすぐさましょんぼりと頭を下げた。話の続きが思い浮かばなかったのだ。
「………すみません、正確には思い出せないのですが」
「まぁ、いいじゃないか。瑞鶴は今、この時を生きれば良いだろう」
 そう言うと貝塚は軍務に精励するために意識を操艦に向ける。
 瑞鶴はそんな貝塚の横顔をしばらく見つめていたのだが、何かに気付いたように視線を逸らせた。
 二羽のつがいの海鳥が空母瑞鶴の上空を飛び去ったのである。



 一九四二年一月一六日。
 合衆国海軍フィリピン救援艦隊は、ジョンストンを出港し、サモア諸島からニューギニア経由でフィリピン海溝付近に侵出していた。
 合衆国海軍フィリピン救援艦隊は六隻の戦艦を主力としているとはすでに述べている。
 その陣容は、オクラホマ、ネバダ、ペンシルバニア、アリゾナ、カリフォルニア、テネシーである。全艦が三六センチ砲戦艦であるが、合衆国海軍が最大の脅威とみなしている長門型の二隻は撃沈破されており前線には出てこれない。(新鋭戦艦の情報もあるにはあるが、まだ訓練途上で出てこれないと思っている)
 四〇センチ砲戦艦を回さなかったのは四〇センチ砲戦艦をトラック攻略に回すためなのだが、兵士たちは「サイモンの親父が陸軍なんぞの為に貴重な四〇セン チ砲戦艦をだせるか!ウチクビにするぞ、貴様!!」と海軍長官のフランク・ノックスを脅したからだと噂していた。副大統領のサイモン・エドワーズは海軍出 身の政治家なだけでなく、海軍に絶大な影響を持っており、「海軍の影のボス」と言われるほどの人物である。ちなみに陸軍嫌い。これもまた噂でしかないが、 昔ウェストポイントを受験して落とされたかららしい。
「おい、燃料は大丈夫だろうな?」
 フィリピン救援艦隊の司令長官のダニエル・キャラハン中将(今回の任務に際して昇給した)がこのセリフを口にするのはこの日だけで六度目だった。だがその言葉を「またか」としかめっ面で受け止める者は一人としていなかった。キャラハンのセリフは当然のものであると艦隊の誰もが思っていた。
 彼らの一番の懸念は、敵艦隊ではなくて自艦隊の燃料事情であった。
 途中、ニューギニア辺りまでは油槽船も一緒であったので燃料の心配は無かった。だが、フィリピン近海にまでいくのは危険である、という上層部の判断から油槽船団はニューギニアを最後に別れたきりだ。おまけにそれ以後の燃料補給は制海権を確保し、安全になってからのフィリピンで行えという。
 何という粗忽な作戦だろうか。キャラハンは歯をきしらせる。
「今のところは大丈夫です。『さまよえるオランダ人』にはならずに済んでます」
 航海参謀の言葉にキャラハンは安堵の息を漏らす。
「にしても大統領直々の命令とはいえこんな作戦をやらされるとはなぁ………」
 自然にキャラハンの両目から涙が出てくる。
 彼は元はといえば合衆国海軍きってのエリートであり、日本風に言えば「同期の誉れ」であった。だがサイモン・エドワーズに嫌われたのが災いした。
 彼の「ウチクビ!!」の声は絶対である。ちなみに「ウチクビ」とは彼が気に入らない人物を左遷するときに使う決めセリフらしい。
 だから彼はこんな危険極まりない任務につかされている。



 六隻の大海獣に寄り添うようにいる一隻の空母。
 空母 サラトガである。
 サラトガ艦長のブライアン・マルカム大佐もまたサイモンに妬まれたのでこの艦隊に参加させられた。
 彼が何故「ウチクビ」にされたのかといえば、彼の性格に起因する。
 彼は合衆国海軍でも有数のカオス理論信奉者であり、口癖は「この世は複雑怪奇、摩訶不思議」、「戦の帰趨は予測不可。それがカオスってものだ」。
 まぁ、当たっているといえば当たっているのだが、そのようなことを軍内部で(しかも大声で)言われたらさすがに始末に困る。
 だから彼のことを疎ましく思った上層部がサイモンに働きかけて「ウチクビ」にしてもらったのだ。
 だが彼自身は「それもまたカオスだ」と飄々としている。傍目にはこの世のすべてを見通せる賢者に見えないことも無い。そのせいか彼は水兵に絶大な人気を得ているのだ。
「このフィリピンに向かっているというジャパニーズの艦隊は発見できたか?」
 マルカムは丁寧な口調で水兵に尋ねた。
「いえ、まだです」
「そうか。それもまたカオスだな」
 マルカム大佐の緊張感のない、すべてを達観したかのような声。彼は「この海戦に勝つ!!」というような勝利を求める気概を微塵も持たない男である。
「だが………」
 マルカムが重々しく口を開く。
「彼らは近づいてきている」
 マルカムの言うとおりだ。
 帝国海軍第四艦隊は合衆国海軍フィリピン救援艦隊を撃退すべく南下を続けている。
 日米間、最初の艦隊決戦は近い。誰が死に、誰が生き残るのか。神か、悪魔か、人を超越した存在のみがそれを知るのだ。人間ブライアン・マルカムはそれをカオスであるとして受け入れるしかなかった。


第三章「Only you」

第五章「灰になるまで」

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