葬戦史R
第三章「Only you」


 一九四二年一月一〇日。
 広島県呉市。
 この日の呉は雪混じりの雨が朝から降っていた。市内を歩く人々の息も白く、屋内の暖を求めて足も自然と速くなる。
「うぅ、しばれるなや〜」
 大阪出身の山本 光中佐は、なぜか東北弁で今日の天気の感想を述べた。ちなみに彼の服装は軍服ではない。私服である。彼が雨よけにと袖を通している黒いコートに白い雪の結晶がアクセントをつける。山本は足早に呉市内を進んでいた。目的地は呉市の郊外にある一軒の喫茶店だ。
「喫茶『バトル・シップ』………。ここだな」
 おそらくこの喫茶「バトル・シップ」の店主は海軍が好きなのだろう。店名以外の証拠としては、店内のいたるところに軍艦の写真や模型が並べられていた。
 山本はその写真や模型を一つ一つ眺めている。海軍軍人である山本は一目でその軍艦の名前を当ててみせた。
 ………あれは特型駆逐艦。あれは長良か。おお、高雄じゃねえか。うん、やっぱ高雄はいいねぇ。帝国が生み出した重巡の極みだよ。
 そんなことを思いながら山本はマスターに注文を済ませる。そして再び視線を軍艦写真へ。
「!?」
 山本の視線はある一点で釘付けになる。
「長門………」
 それはトラックで無念の死を遂げた戦艦長門であった。世界初の四〇センチ砲戦艦。世界のビッグ・セブン。イロハカルタに曰く「日本の誇り」.。威風堂々という表現がよく似合う、実に雄雄しき戦艦であった。山本も例外ではなく、長門という戦艦を愛していた。
 だが、トラックで沈んでしまった。山本の脳裏にトラックで無念の死を遂げる長門の姿が蘇る。
「すまん、待たせたな」
 後ろから男の声がする。しかし山本はその声に気付かない。山本はその男に肩を叩かれるまで、呆けたように長門の写真に見入っていた。トラックでの無念に歯噛みしながら。
 山本に声をかけたのは軍令部次長の遠田 邦彦中将であった。



 遠田は「バトル・シップ」のマスターにコーヒーを注文する。
 そしてそれとは入れ違いに山本の注文の品が運ばれてくる。
「……………」
 遠田がからかい半分、呆れが半分の眼差しを向ける。だが、山本はそれをまったく気にした様子はない。飄々とスプーンをそれに突き立てて口に運ぶ。
「ふむ、結構美味いですね、これ。今度からここに通うことにしようっと」
 山本は勝手に自分独りで話を完結させながら満足げにパフェを頬張る。山本は男のくせに甘いモノが大好きなのだった。噂では団子を肴にウィスキーを飲むとまで言われている。
「まぁ、いいけどな」
 そういうと遠田は表情を引き締める。山本も表情を改めたのだがパフェを食うことを止めようとはしない。
「さて、山本『大佐』」
「やっぱりそう来ましたか」
 遠田が山本のことを「大佐」と呼んでも山本は驚きはしなかった。
「まぁ、想像はしてましたよ。何せ最近の新聞は連日連夜でトラック沖での惨事を伝えている。そして私をそのトラックで独り奮戦した英雄として宣伝してますかねェ」
 山本の言うことは事実であった。
 大した抵抗を示せずに、太平洋上の重要拠点であるトラックを明け渡すことになった海軍。しかもトラックに駐留していた第三艦隊壊滅のオマケ付きで。
 これで海軍に非難が集まらない方がどうかしていると言えよう。
 昭和初頭に軍部の強硬派が予算獲得の為に二度のクーデター未遂事件(五・一五事件と二・二六事件のこと)が起こったことにより、軍部の情報公開はかなり進められているので、その醜態を隠すことはできなかった。
 だから海軍は必要以上に山本の存在をアピールせざるを得なかった。たとえその山本が、「海軍の頭痛の種」であったとしても。
「さすがは聡明な山本一号生徒だな」
 遠田は、かつて海軍兵学校教官時代であった時の呼び方で山本に言った。そう、遠田は山本の恩師でもあった。山本は海軍兵学校で、決して真面目な生徒ではなかったが、しかし印象には残る生徒であった。山本が起こした色々な問題の後始末をしていた日々が懐かしい。
「いやいや、教官が良かったんですよ。あの問題児をここまで立派に育てたんですからね」
 山本は満足げにパフェをたいらげ、スプーンを容器の中に放り投げた。カランと金属とガラスが心地よい音色を奏でる。
「で、私は晴れて衣笠艦長に就任ですかな?」
 山本のその言葉を待っていた、とでも言わんばかりに遠田はニヤリと笑う。ポーカーで、相手の札が自分の手札より弱いことをその眼で確認した時の、勝ち誇った眼だった。
「外れだ、山本大佐」
 山本の太い眉毛がピクリと動く。遠田は楽しげな表情のまま続けた。
「さて、山本大佐は開戦寸前に竣工した戦艦のことを知っているかな?」
「噂程度ならば。何でも長砲身四〇センチ砲を九門搭載しているとか………」
 あの戦艦長門でも四〇センチ砲が八門であった。砲身長を伸ばすことで初速を増やし、威力を増し、門数も増えた新戦艦。長門亡き今、帝国海軍にとって期待の星だといえる………。
 山本の言葉を聞いた遠田は何かを思い出した表情をみせる。
「ああ、あれな。あれ、ウソだよ」
 遠田はあっさりと言い切ってからコーヒーをズズズとすする。山本は遠田の言葉に目を丸くした。
「………ウソ?」
「よかったな、山本大佐。君は帝国海軍初の………否、世界初の四六センチ砲戦艦『大和』の艦長就任に決定したよ」
 遠田が話すのは海軍軍人ですら知らぬ、上層部しか知らない機密事項だ。山本は思わず喫茶店の店内のあちこちに目を配る。間諜、スパイがいないかどうか調べてみたのだ。だが、スパイ捜索に関しては素人の山本に、スパイの目が自分たちを見ているかどうかなどわかるはずがなかった。
「ああ、安心しろ。この喫茶店は大丈夫だから。私の知り合いの経営する店でな、海軍のお偉いさんがよく来るんだ」
 遠田は新聞を取りに立ち上がる。何気ない動作だ。彼らの会話はすべて小声だった。端から見れば何気ない会話を交わしている一般人にしか見えない。そして遠田の言葉が真実であるのなら、今話した機密情報が漏れることはないだろう。完璧主義者の遠田がそう言うのだから間違いあるまい。山本はそう思うことにした。
 手にした新聞を大きく広げる遠田。
「しかし大和ですか。帝国海軍の命名基準からいえば奈良県を表すんでしょうけど、一般の人が聞けば、『また海軍サンはどえらい名前を付けたな』と思うでしょうね。日本のことを大和っていいますし。大和魂とか」
 山本がそう言って笑い、ふと思いついた質問を遠田にぶつけてみる。
「それにしても大和の艦長はまだ決まってなかったのですか?」
 山本の問いに対し遠田は天井を指差した。山本も釣られて視線を天井に向ける。清潔な喫茶店の天井は染み一つなかった。
「死んだよ」
「………トラックで、ですか?」
「いんや。呉の近くの公道でだ。艦長就任決定の三日後の話だよ。だから、君は二代目艦長だな」
 山本は目をパチクリさせる。
「細君が車の免許の取立てだったらしくてな。その助手席に乗ってたんだとよ。そしたら………」
 遠田は砂糖入れから角砂糖を一つ取り出して、それをコーヒーカップの中へ放り込んだ。角砂糖が落ちてカップの中のコーヒーの水面が大きく揺れる。………つまりはそういうことだ。
「何とまぁ」
 山本は肩をすくめざるを得ない。工業化の進んだこの日本で、自家用車というのは決して珍しいものではない。今では国民の大半が保有しているくらいだ。そしてそれに比 例して交通事故死亡者も増えてきている。でも、よりによって帝国海軍最強の戦艦の初代艦長まで交通事故死者に含まれることになるとは………。
「とにかく頼むぞ、山本大佐」
 遠田は立ち上がる。今から呉のドックに入渠している第三艦隊を視察するのだという。
「任せて下さいよ。必ずやアメ公の艦隊を水葬にしてみせますから」
 そういうと山本は遠田に敬礼してみせた。実に色気のある敬礼だ。遠田は彼のような態度を持つものが好きであった。



 帝国海軍で新鋭戦艦が着工されると同時に、アメリカ合衆国でも新鋭戦艦の建造が開始された。
 要目は当初は三六センチ砲搭載の高速戦艦であった。
 だが「帝国海軍の新鋭戦艦が長砲身の四〇センチ砲戦艦であるらしい」という情報がすべてを変えた。
 その「長砲身の四〇センチ砲戦艦」(事実は遠田の言うように四六センチ砲戦艦だったのだが)に対抗するために、アメリカ合衆国はその三六センチ砲搭載高速戦艦を修正した。
 その結果、合衆国海軍最新鋭戦艦のノースカロライナは四〇センチ砲搭載の中速戦艦として誕生した。
 ハワイは真珠湾。ここでノースカロライナの初代艦長が就任する。
 そしてその新鋭戦艦の艦長サマに就任したのはアンソニー・マイケル大佐であった。
 新鋭戦艦の初代艦長。それを任されるくらいなのだから、マイケル大佐は優秀な海軍軍人であることには間違いない。
 能力だけでなく、彼は外見も非凡であった。文句の付けようのないくらいの二枚目。シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」のロミオ役をやれば大ヒット間違いなしと思えるくらいの美男子だ。おまけに人望もある。新鋭戦艦の艦長に任ぜられたという点で山本 光大佐と似たような境遇ではあるが、しかし一個人としてみた場合、山本ではマイケルの足元にも及ばなかった。外見でも、性格でも、能力でも。
 だが、天は平等であった。完璧超人にしか見えないマイケルに、天は大きなツケを残していった。そのツケのせいでマイケルは山本と同じ水準にまで落ちてしまう。
 ランチで接舷し、タラップを上ってノースカロライナへの乗艦を行うマイケル大佐。何とも絵になる情景だ。マイケルのみならず周囲の者たちもその光景に引き込まれていた。
 だが、突然マイケルは彼らの視界から消えた。
 ………え!?
 周囲にいた者たちは自分の目を疑った。彼らの艦長サマは一瞬のうちに消えてしまったのだ。日本人ならば「神隠し」とでも表現するだろうが、彼らはアメリカ人だ。マジシャンの一大トリックショーでも見ているような気分であった。
 マイケルの間近にいた従卒は見ていた。
 タラップを上っていたマイケル大佐。だが、彼の上っていたタラップの一段が急に折れてしまい、彼は重力によって海面に引きずり込まれていったのを。
 つまりはそういうことだ。
 マイケル大佐は極端なまでに三枚目な生活を(周囲のものから)強要されてしまう男なのであった。



 ノースカロライナ艦橋。
「だ、大丈夫ですか、艦長?」
 ノースカロライナ副長が心配そうに聞いてくる。
「もう慣れたよ」
 副長から受け取ったバスタオルで髪を拭きながら、マイケルはあっさりを言ってのけた。本当に慣れているのだろう。先ほどのことを気にした様子は微塵もみられなかった。
「俺はアナポリス入校以来、この手の『冗談のような』ことに事あるごとにでくわしてるんだ。新兵の時に乗り込んだ駆逐艦でも海に落っこちて、その時は危うくスクリューにミンチにされかかったな。最近じゃ街を歩いていたら空から窓が落ちてきた。傍のビルから落ちてきたんだが、俺にはカスリもしなかったな」
「よ、よくそれで無事でしたね」
「そうなんだよ。俺は幾度となくヤバい状況を強要されながら傷一つないんだ。勿論、周囲の奴らにもな」
 そう言うとマイケルは副長の肩を叩いた。
「だから安心しろ。俺が艦長やってる限りこの戦艦は沈みやしないからな」
 マイケルの言葉を聞いたノースカロライナの乗組員たちは「おおー」と感心した声をあげた。マイケルは自らの不運なのか幸運なのかよくわからない生き様を披露することで乗員の信頼を得たのだった。
「失礼します」
 そこで従卒がコーヒーを持ってきた。常夏のハワイといえども海水浴を強制されては体が冷える。熱いコーヒーでも飲まねばやってられない。
「おう、サンキュー」
 マイケルが気さくにそう応じてコーヒーを受け取ろうとする。その時、彼の鼻が急にむず痒くなる。
「ハッ、ハッ………」
 有能な副長は次の事態を予測し、未然に防ごうと動く。そう、艦長はクシャミをする! そしたら熱いコーヒーが全身にかかって大火傷だ!!
「ハックショイ!!!」
 だがマイケル艦長にとっては不幸なことに、従卒も副長のように予測して行動してしまっていた。二人の手がぶつかり合い、コーヒーカップは翻弄される。そして………。
「〇▲*/@!!!」
 表記不能な叫びをあげてマイケル艦長は全身にコーヒーを浴びてしまった。
 これでどこにも怪我を負わないのだから、彼の守護天使はどう評価すればいいのだろうか?



 一九四二年一月一一日。
 帝国陸軍航空隊はその兵力の多くを台湾に振り分けた。
 代わりに海軍航空隊にマリアナ方面を任せてある。
 フィリピン攻略戦くらいしか帝国陸軍の出番がないのは自明の理だから、海軍は割とあっさり陸軍の提案を受け入れてくれた。
 だから帝国陸軍少尉魔神まがみ 勇二は台湾にいる。
 彼の所属する部隊名は飛行第一三戦隊。しかし誰もその名で呼びはしない。この部隊には、国民にも広く知られている通称があるからだ。
 彼の部隊の通称。それは「翔虎隊」である。
 共産党と国民党との内乱に突入している中国に対し、帝国は武器給与を中心とした援助を(無論、国民党側に)送っている。その一環として派遣された義勇兵航空部隊がこの「翔虎隊」であった。
 しかし何故に彼の部隊が「翔虎」と称されるのか?
 彼らの尾翼に虎の絵が描かれているからだろうか?  うん、それもある。
 彼らの戦果を国民党が「猛虎の如し」と評したからだろうか?  うん、それもある。
 だが、最大の理由はこの翔虎隊の隊長であった。この部隊の隊長の名前が「翔虎隊」の由来であった。その名は虎頭 丞。帝国陸軍少佐である。
 だが、この部隊の者は彼のことを「虎頭少佐」とは呼ばないし、本人もそれを望まない。
 彼には別のあだ名があるのだ。
 ともあれ翔虎隊はフィリピンに空爆を仕掛ける重爆隊を護衛するために出撃準備に取り掛かっていた。



 彼らの愛機。それは帝国陸軍が誇る新鋭機 一式戦闘機 隼である。
 一〇〇〇馬力級のエンジンを搭載し、その名の如く軽快な運動性を誇る軽戦闘機だ。
 試作機では強度不足から空中分解の連続であった(ちなみのその主因は、燃料のオクタン価が高すぎて発動機が当初の予定よりもはるかに高い出力を発揮したから、という嬉しいのやら悲しいのやら、なモノであった)らしいのだが、機体強度の強化によって、もはや空中分解の心配はない。
 また、単発機とは思えない航続力も魅力である。なにせ台湾からフィリピンまで空戦して往復も可能なのだから驚きである。
「ようし、搭乗員整列!!」
 長々と翔虎隊司令の訓示。それが終わってから大きな声で号令が飛ぶ。
「ようし、かかれ!!」
 その声と共に翔虎隊の面々は愛機に向かって駆けていく。
「勇二!」
 魔神は後ろから声をかけられたことに気付く。ふりむくとそこにいたのは………。
「タイガージョー………」
 そう、タイガージョーこそがこの翔虎隊隊長の虎頭少佐のあだ名である。何故かは知らないが彼はそう呼ばれることを好んでおり、全員にそう呼ばせていた。ちなみに彼は階級差というものを嫌っており、階級が下のものにも敬語を使わせたりはしない。
「勇二、いよいよお前の初陣だな」
 魔神 勇二にはまだ実戦の経験がない。彼はつい先日に、この栄光の翔虎隊に配属されたからだ。
「ああ。だが必ず敵機を撃墜してみせる! 体当たりをしてでもだ!!」
 タイガージョーは勇二の戦意溢れる反応に満足し、頷き言った。
「その心意気やよし! だが、死に急げばいいと言うわけではないぞ。そのことを忘れるな」
 そう言い残すとタイガージョーは自分の愛機に向けて歩き出す。ゆっくりとした歩みだ。その背中に戦を前にした緊張は感じられない。余裕が感じられる、まるで父や兄のように広くたくましく、頼もしい背中であった。。
「あれが帝国陸軍最強の男、いや、漢の背中か。俺も負けてはおれんな………」
 勇二は更なる決意を持って隼に乗り込んだ。



 台湾を飛び立ってしばらくは退屈な飛行が続く。
 だが、それを「退屈」などと思っていれるのはわずかな間でしかない。
 何故ならフィリピン上空に達したその瞬間から死闘は始まるからだ。
 死闘が始まればそれまでの「退屈な」時が恋しくて仕方がなくなる。そしてその「退屈」さを再び味わいたいが為に生き延びようと必死になる。人間とはそういうものだ。
 ともあれ翔虎隊に護衛されながら陸軍の重爆隊はフィリピン上空に達していた。
「全機、無線封止解除だ。ここは敵地上空だということを忘れるな。見張りは厳重にしておけ!」
 タイガージョーの声が無線機から届く。工業化に完全に成功した大日本帝国は、よく通じる空中無線をいとも簡単に完成させている。
 勇二は正面二時の方角に小さなゴマ粒を散りばめたような黒点を見た。あれは………? 勇二は迷わず無線機に叫んだ。
「正面二時に敵機多数!」
 勇二の報告が一番早かったようだ。翔虎隊の戦闘機の注意が一斉に正面二時方向に向く。
「ようし、一小隊から三小隊は積極的に奴らを蹴散らす! 後のものは重爆をしっかり護衛しろ!!」
 勇二は三小隊だ。勇二にとって初めての戦争が、始まろうとしている。勇二は皮の手袋の中が汗ばんでいるのを自覚した。そんな勇二に威勢のいい声が聞こえる。
「ようし、私に続けぇッ!」
 タイガージョーの隼が、勇二の隼と同じ機体であるとは思えないほどの急加速で敵戦闘機部隊に突っ込んでいく。
「つまりはそれだけタイガージョーの操縦が上手いということなのか………?」
 くそっ、俺の隼よ! もっと加速しろ!! タイガージョーに追いつけ!!!



「あれはP40とかいう奴だな」
 タイガージョーの体格は優れており、隼のコクピットでは少し窮屈な思いをする。そんな中でもタイガージョーは冷静に敵機を見極めていた。
「さぁ、いくぞ!!」
 タイガージョーの隼が、単機で一二機のP40の編隊に突撃する。
 P40隊はそんなタイガージョーの隼を絶好の好餌と見たようだ。一斉に襲い掛かってくる。だが………。
「愚かな」
 タイガージョーの声には敵に対する哀れみすら感じさせる。一対一二でもタイガージョーにとっては余裕があった。
 タイガージョーの隼はその名の如く………いや、隼以上の軽快な軌道を描いてP40の突っ込みをかわしきる。
「もらった!!」
 タタタタ
 そして隼の機首に収められている二門の七.七ミリ機銃が短く唸る。
 隼は七.七ミリ二門という軽武装でしかない。だが、タイガージョーにはそれで充分であった。
 タイガージョーの放った七.七ミリの弾丸は、正確にP40のエンジン部分を食い破る。そして冷却基部を破壊されたP40は戦線からの離脱を強要された。
「甘い、甘いぞ、米軍! そんな腕でこの私を倒せると思っているのかぁ!!」
 隼のコクピットでタイガージョーは吼える。まさに虎の如し。
 その怒涛の勢いは衰えることを知らない。瞬く間に三機のP40が撃墜され、残りの九機のP40はタイガージョー一機に翻弄されるばかりだ。



「さすがはタイガージョーだ」
 勇二も感嘆の息を漏らさずにはおれない。タイガージョーの空戦はもはや芸術の域にまで達している。
 そんなタイガージョーの操る隼は恐ろしい相手だと敵も悟ったのだろう。残存の九機のP40のうちの一機が勇二の隼に襲い掛かる!
 P40は必死の軌道で勇二の隼の後ろを取ろうとする。だが、隼は徹底した軽量化によって最良の旋回性能を実現させた軽戦闘機なのだ。身重なP40の鈍重な軌道では隼を捉えることなど夢のまた夢であった。
「いける!!」
 タタタタタタタタタタタタタタタタタ
 軽快な七.七ミリの発射音。
 P40に吸い込まれていくかのような曳光弾。
 蒼空に撒き散らされるジュラルミンの破片。
「くっ、まだ堕ちないのか!?」
 P40は頑丈な機体らしく七.七ミリでは滅多に堕ちようとはしない。
「何の! 一撃で堕ちないのならば、堕ちるまで撃つ!!」
 数回旋回するだけでそのP40の後ろは取れた。元々隼よりも鈍重であり、被弾によってますます鈍重になっているのだ。勇二の隼から逃げることなどできはしない。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
 七.七ミリ機銃の発射音よりも大きな勇二の怒号。
 今度はコクピット周辺にまで命中弾がおよんでいるはずだ。おそらくパイロットも負傷しているはずだ。
 だが、P40のパイロットは勇二を驚かせた。
「向かってくる?!」
 そのP40は勇二に対してまだ向かってきていた。
 勇二は思わず身震いした。そのP40のパイロットの男気に感動したのである。彼こそ真のパイロットではなかろうか!?
 思わず攻撃を躊躇う勇二。彼のような勇敢なパイロットを殺すのが急に惜しくなってきた。できれば生きて会ってみたいものだ。きっと彼とはいい友人になれるだろうから………。
「愚かなり魔神 勇二!!」
 勇二のその思考を打ち破ったのは、無線から聞こえるタイガージョーの声であった。
「な!? タイガージョー?」
 あっけに取られる勇二。
「いいか、勇二よ! 確かに彼は尊敬すべき武人だ。だがここは戦場なのだ。彼を殺さねばならん!!」
 タイガージョーの言葉はもっともだ。しかし勇二はそれよりも気になることを尋ねた。
「タイガージョー、何故俺の考えていることがわかるんだ? 俺は自分の思考を口にしてはいないはずだが………」
「そんなことは、どうでもいい!!」
 有無を言わさぬタイガージョーの声。さらに怒涛の勢いで言葉を続けるタイガージョー。
「勇二、お前は戦場に無用な情けをかけ、武人の矜持を汚すつもりなのか? お前のやろうとしていることは、そういう無礼極まりない行いなのだぞ!」
「うう………」
 一瞬戸惑いの表情を見せる勇二。
「………ッ!!」
 だが、意を決した勇二はそのP40に対し三度目の攻撃を行う。
 タタタタタタタタタタタ
 遂にP40の左翼が被弾に耐え切れずに脱落する。揚力のバランスを崩され、スパイラルダウンに陥るP40。その末路は語るまでもない。だが、勇二は確かに見た。墜落を続けるP40のコクピットで、パイロットが勇二に手を振ったことを。彼は勇二と戦えたことを誇りに思いながら死んでいったのだった。
 そして、この勇二の撃墜したP40がこの空戦での最後の撃墜機となった。
 P40隊は全機が隼に撃墜され、重爆隊に被害はでなかった。
 そして重爆隊は悠々とフィリピンのクラークフィールド飛行場に爆撃を敢行。多くの戦果を挙げた。



「勇二、ちょっと来るがいい」
 台湾に帰り着くや否や、タイガージョーは勇二を呼び出した。しかし初陣と初撃墜、すなわち初めて人を殺めた興奮が冷めやらない勇二は頭を振った。
「いや、今はひとりにしてくれな………」
「この馬鹿者がぁ!!」
 バキイイイイイイイイイイイィィィィィィィィィィ
 勇二の言葉が言い終わらないうちに、タイガージョーの凄まじい威力を持った熱い拳が目にも留まらぬ速さで飛んできた。拳は勇二の頬を強く打ち付ける。
「がふっ………」
「人の好意を踏みにじるとは何事か! ついて来い!!」
 タイガージョーの熱い漢の一撃でぼろクズのようになった勇二を、無理矢理車に乗せて出発するタイガージョー。
 タイガージョーは基地から一番近い浜に車を止めた。
「タイガージョー、一体何を………?」
 怪訝そうな勇二の声。まだ頬が痛むのか、いたわるようにさすっている。
「うむ。フィリピン上空に散った多くの男………。いや、漢達の魂の安らぎを祈ろうと思ってな」
 そういうとタイガージョーはフィリピンの方を向き敬礼。勇二も慌ててそれに倣う。
「タイガージョー」
「何だ、勇二よ?」
「………これが戦争なのだな」
「………そうか、貴様はこれが初陣であったな。ならば人を殺したのも初めてか」
「ああ。あのP40のパイロットは、本当に殺すには惜しい漢だった。できればまた戦いたいほどに」
「忘れてやるな」
 悲しみを振り切れない勇二に対し、タイガージョーはそう言った。
「忘れてやるな、勇二よ。そういう漢もいたのだと、貴様が死ぬまで覚えておいてやれ。さすれば彼の魂も少しは報われるはずだ。なぜなら、貴様の心の中で彼は行き続けるのだからな………」
「ありがとう、タイガージョー」
 勇二の顔から迷いや悲しみといった感情が消えていた。決意と熱血に瞳を燃やす、漢の顔つきだ。それを見たタイガージョーはフッと笑う。そしてこう言った。
「その心意気やよし!!」



 太平洋に浮かぶ島、ジョンストン。
 真珠湾の燃料施設が爆破テロにあって以来、この島の改造が行われ、今では一大補給地点と化し、さながら「小真珠湾」というところか。
 そしてそこに六隻の戦艦を中核とする艦隊が入港してきた。
「ようし、燃料補給を急げ! フィリピンで孤軍奮闘する陸軍を助けてやるんだ!!」
 六隻の戦艦を中核とする部隊がフィリピン近海の制海権を手中に入れるべく活動を開始した。
 帝国海軍はその跳梁を防げるのだろうか………?
 その顛末は、次の機会に語られる。


第二章「世界の選択」

第四章「素晴らしき世界」

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