葬戦史R
プロローグ「嘘みたいな急成長」


 ………蒼い。
 どこまでも蒼く、澄み切った空。
 地上で見上げる空の色よりも、一段と蒼く感じる。
 高度一一〇〇〇メートル。
 そんな超高空を帝国海軍局地戦闘機 雷電は飛翔していた。
「見えたぜ、B公………」
 先日に奪回なったばかりのトラック諸島。まだ基地施設が整わないうちに爆撃でも加えようとしたのだろう。
 だが、すでにトラックの飛行場は完全に修復されている。帝国の高い設営力があればこそだ。
 雷電乗りの天田 志郎大尉は殺意を込めた眼差しで眼下の巨人機を睨みつける。雷電と比べればガリバーと小人並の大きさの差がある。
 その巨人機の名前はB29。一時は本土上空にも姿を現した超重爆で、「超空の要塞スーパーフォートレス」の名に恥じぬ大きさと爆弾搭載量、そして鉄壁の防御力を誇る。相手にとって不足はない。
「行くぜ!」
 天田大尉の雷電が、僚機を引き連れて全速降下。
 ガガガガガガガガガ
 眼下のB29が雷電に向けて防御機銃で射撃を仕掛けてくる。
「遅い!!」
 だが雷電はB29の銃撃にも怯まず、その名の通り稲妻のような勢いでB29に襲い掛かる。雷電の速度計の針は五〇〇ノットを超える。
 ドドドドドドドド
 雷電の両翼の九九式二〇ミリ機関砲が吼える。これはアメリカ軍が使用しているブローニングM2 一二.七ミリ機銃並の安定した弾道を誇る名機関砲で、ほとんど低進することなく、まっすぐ目標に向かって吐き出される。それでいて、二〇ミリもの大口径砲弾なのだから威力は段違いだ。文句なしに世界一の航空機用機関砲であろう。
 雷電の放った二〇ミリ砲弾がB29に何発も突き刺さり、たちまち右翼をへし折られたB29が劫火に包まれて墜落していく。撃墜一だ。さしものB29も九九式二〇ミリ機関砲という破城槌を受けてはひとたまりもない。
「次ッ!!」
 天田大尉の雷電は急上昇を開始した。高度一〇〇〇〇メートル以上ということを感じさせない軽快な軌道だ。雷電に搭載されている排気タービンは絶好調だ。
「アメ公が………ここを貴様たちの墓場としてやる!」
 彼は傲慢にそう宣言した。排気タービンを搭載した迎撃機 雷電ならばその宣言を実現できるだろう。
 だが、それだけではない。一〇〇オクタンという非常に上質極まりない燃料も雷電の高性能に一役買っているのだから。
 ともあれ、このように巨人機B29は自分よりもはるかに小さな戦闘機を振り払うことはできなかった。
 その日、トラック諸島を襲った五〇機のB29のうち生還できたものはわずかに二三機。
 何と半数以上が撃墜されてしまったのだ。
 だが、これは当然の結果なのだ。アメリカ陸軍期待の新鋭重爆B29といえども護衛機なしの単独作戦では勝ち目はないのだ。帝国海軍が誇る高高度迎撃用局地戦闘機 雷電の手にかかっては。
 今や日本は欧米列強に匹敵する超大国なのだ。その工業力は非常に高い。本土の工場では雷電が数千規模で量産されている。
 だが、日本がこのような大国家になるまでには多くの人々の犠牲がああったことを忘れてはならないだろう。
 そう、あの事件を忘れてはならない。



 欧州戦争(作者註:第一次世界大戦のこと)も終わり、大日本帝国に訪れていた空前の戦争特需景気は終わりを告げた。好景気は、「それじゃ、また」と言い残して日本を去った。
 まだ特需景気という名の客人が滞在してくれると思っていた日本は呆然とした。
「え? ちょっと待ってよ。聞いてないよ〜」
 そんなことを言いながら途方に暮れる日本の肩を叩いた者がいる。
 不景気という名の貧乏神であった。
 日本は欧州戦争後、不景気に見舞われた。あれほど盛況で、多くの成金を生み出した造船業も寂びれ、多くの失業者がでてしまった。欧州戦争で急速に成長していたGNPも縮小の時を迎えようとしていた。
 そんな矢先、追い打ちをかける大災害が起こった。
 一九二三年九月一日。
 マグニチュード七.九。
 関東地方を襲った未曾有の大地震。
 後にいう所の「関東大震災」であった。
 昼時に発生した同地震は、昼食を作ろうとしていた人々の家屋を倒壊させて、大火災を併発。関東は炎に包まれたという。
 だが、同時に東京湾近辺で生活していた人々は、さらなる驚愕に直面することになる。
「な、なんだアレは!?」
 東京湾に船を出していた漁師が海面を指差して信じられないという声をあげる。
 何と、東京湾が隆起してきたのだ。
 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ………!
 轟音を供に、海面から突き出すように「それ」は現れた。



 ……………。
 時の大日本帝国首相 山本 権兵衛は頭を抱えていた。
 欧州戦役の終結による戦後不況に見舞われていたというのに、帝都東京での大震災である。
 東京はおろか関東一体が壊滅されてしまったのだ。
 その復興には恐ろしいまでの金がかかるだろう。だが、そんな金が一体どこにあるというのだろう。
「何でこんなことに………」
 山本は泣きたかった。泣き言を言って、すべての責任から逃避してしまいたかった。
「そ、総理!」
 不躾に首相官邸のドアが開け放たれた。何事か、と山本は虚ろな目をやる。
 その犯人は山本が秘書として雇っている男であった。どんな時でも沈着冷静で、山本もそれを評価して雇ったという秘書が、かつてないほどに慌てている。
「何事だ?」
 山本は秘書の態度からただならぬ事態だと悟っており、不安げに聞いた。あの冷静な秘書がここまで慌てふためくほどの大事が起こったのだ。山本でなくとも身構えて当然である。
「助かりました………」
「はぁ?」
 山本は秘書が何を言っているのか理解できなかった。秘書は事の過程を説明する事すら忘れ、事実だけをオウムのように繰り返した。
「とにかく、我が国は助かったのですよ!」



 翌日。
 山本は「日本を救う」という場所に降り立った。
「しかし………ホントに大丈夫なのかね?」
 山本の問いに、山本が呼んだ専門家は太鼓判を押した。
「はい、大丈夫です。もう、この海底火山は死火山となりました。そもそも………」
「ああ、専門的なことはいいぞ。儂にはわからんからな」
 山本はそう言って専門家の口を塞いだ。懸命な判断だった。なにせこの専門家は一流なのだが、一度喋り始めたら滅多なことではおさまらないタイプだからだ。
「それにしても臭うな………」
 この地に降り立って以来、山本の鼻をツンと刺すような臭いが漂い続けている。
「しかしこの臭いこそが我が国を救いますよ。そう思えばよい香りでしょう?」
 別の専門家がニヤリと笑う。
「何せ、一〇〇年、否、二〇〇年は枯れることのない超巨大油田ですからね」
「それだけではあるまい?」
「ええ、その通りです」
 専門家の眼鏡がキラリと光る。専門家は足元の石ころを一つ拾うと山本に掲げて言った。
「この新大地はそれこそ掘れば石ころのように鉱物資源が出てきますし、湧き水のように石油が噴出します」
「その代わりと言ってはなんだが関東地方の臣民の多くが亡くなったがな………」
 優しい山本は弔意を込めた口調で話す。
「ええ、私も親戚を失いましたよ。ですが総理………」
 山本の言葉を聞いた専門家の目に熱意がこもる。
「彼らの死を無下にしないためにも、この新大地を有効活用しなければなりません!」



 関東大震災の直接の原因となったのは火山の噴火であった。
 今まで誰一人として知らなかったのだが、東京湾のすぐ真下にあった海底火山が噴火したのだった。
 それにより海面がは隆起し、東京湾は湾ではなくなった。何と三浦と館山が地続きとなってしまったのだ。東京湾だった場所は「東京新大地」と呼ばれることとなった。
 当然、この東京新大地は帝国の領土となる。
 だが、それで終わった訳ではなかった。
 何と、この新大地は資源の宝庫だったのだ。
「鉱物資源が石ころのように大量に出てきて、原油が湧き水のように噴出する」
 山本総理に専門家はそう語っていたが、これは誇張ではなく真実であった。
 これが小説ならば御都合主義もいいところなのだが、しかしこれは現実であった。「事実は小説より奇」だと新聞などのメディアは呆れ気味に報道した。
 時の山本政府は、この一大資源産出地となった東京新大地の有り余る資源を財源として、震災復興を開始した。
 あの震災のおかげでまっさらな大地となった関東地方を一大工業地帯へと生まれ変わらせたのだった。区画整理のために必要な破壊を天が変わりにやってくれたようなものだ。瞬く間に東京の工業化が進められた。
 豊富な石油資源と鉱物資源。この二本の柱が備わっているので、東京の工場は重工業を中心とすることに決められた。
 日本は諸外国から資源との物々交換で様々な技術を買いあさった。それこそ、諸外国が呆れかえるほどの貪欲さであった。設計書一枚のためにトン単位の資源を差し出すなど日常茶飯事であった。
 こうした努力の甲斐あって、一九二〇年代が終わる頃には関東は世界有数の工業地帯としての変貌を完全に遂げていた。
 当時の日本の人件費は欧米列強よりははるかに安く、それによるコストダウンと欧米列強から購入した機械を使っての機械工作、そして東京新大地で産出される大量かつ上質の資源。この三つの要素を備えた日本製品は世界を制しかねないほどの勢いで売れまくった。
 一方その頃、一九二九年にアメリカのウォール街にて、株価の大暴落が始まった。世に言う「世界恐慌」であった。
 だが、日本はそんなことお構いなしであった。
 何せ財源なら腐るほどにあるのだ。当時の日本は資源を安くで売っており、世界中の資源の三割ほどが日本産出であったほどだ。
 そして一九三〇年代。
 関東のみならず大阪を中心とする関西地方の工業化が始まった。
 それに伴い、働き手が不足し始めた。
 そこで政府は農村の機械化を推し進め、少数の労力で、最大の収穫量を得れるようにした。そして手空きになった農村の青年たちを上京させ、工場の労働者として使った。
 時の総理大臣 犬養 毅はこの政策を「帝国改造論」と称した。「改造」というのは言いえて妙だった。日本は農業国から工業国への改造に成功したのだった。
 帝国改造のおかげで日本のGNPはイギリスを追い抜き、アメリカ合衆国に匹敵するほどになったという。



 では、ここで皆様お待ちかねの、当時の軍備について語ろう。
 ………しかし残念ながら、帝国の発展は軍隊には恩恵を与えなかった。
 何故って?
 まず、海軍であるが、海軍が発展の恩恵を受けることができなかったのは震災前に決定されたワシントン軍縮会議のせいである。
 一九二二年に締結された同条約により、帝国海軍は主力艦たる戦艦の建造が制限されてしまったのだ。
 当時、帝国海軍は八八艦隊計画を推し進めていた。戦艦八隻、巡洋戦艦八隻を中核とする一大艦隊勢力の整備計画である。
 だが、この計画は震災前の日本の国力では実現不可能な代物であった。海軍内部でもそのような意見が出てきたので、海軍は泣く泣くこの条約を飲んだのだった。
 だから震災後のウソみたいな急成長を横目で見ながら、ある海軍の提督はこうつぶやいた。
「こんなことならワシントンでゴネればよかったな………」
 そんなことを言っても後の祭りだ。神ならぬ人間である彼らに未来が読めるはずがなかった。
 という訳で海軍はこの急成長の恩恵を受けれなかった。
 陸軍も余りいい目を見れなかった。
 何せ陸軍を増やす意味がないからだ。新大地のおかげで領土は多少は増えたとはいえ、師団規模で増やすほどではないからである。だから陸軍の規模自体に大きな変動はなかった。さらに労働力確保のために徴兵制を廃止する法案が一九三〇年に可決されたために、慢性的な兵力不足に悩まされることとなるのであった。豊かな国になったため、軍隊のような居心地の悪い組織に属したがるものが少なくなったのも敗因であった。陸軍は体制の変更を余儀なくされ、「泥臭い陸軍」というイメージの払拭に全力を注ぐことになる。
 だが、陸軍はこの急成長のおかげで装備を近代化させることに成功した。
 戦車の導入、短機関銃の導入、エトセトラ、エトセトラ………。陸軍の総兵数こそ減ったものの、しかし戦力的には何倍にも増強されたといっていいだろう。
 他にも急成長できた分野はある。
 人類が新たに手にした大空を舞うための翼、航空機である。航空機の発達は特に目覚しかった。
 震災後に急激に成長した日本の工業力と、膨大なまでの資源、そして資源を財源にかき集めた最先端技術を裏付けにして急成長していった。
 東京の新大地から取れる石油は極上であり、オクタン価は軽く一〇〇に達していた。
 こうして昭和一一年、帝国海軍は史上初の全金属製単葉戦闘機 九六式を開発。翌年には陸軍が九七式を開発し、日本の航空機産業は世界一に躍り上がったのだった。
 そんな日本の神がかりな急成長を疎ましく思っていた国があった。
 アメリカ合衆国である。
 かの国は世界恐慌からまだ立ち直れていなかった。
 当時の大統領、フランクリン・ディラノ・ルーズヴェルトは起死回生のニューディール政策に失敗し、窮地に立たされていた。
 そんな最中に彼は経済再生のためにある計画を立てた。
 戦争である。
 一九三〇年代後半。
 アメリカ各地で日本製品の排斥運動が勃発した。
「黄色い製品を買うな!」を合言葉としたこの運動は、世界恐慌から立ち直れていない合衆国全土に拡大。
 しかし帝国は比較的落ち着いていた。何故ならこのような運動が起きていても、現にアメリカでの日本製品の売り上げはダントツだったからだ。勝者の余裕というものだろうか。
 だが、ルーズヴェルトはこの運動をホワイトハウスから眺めながら悪魔の笑みを浮かべていた。
 そして一九四一年一一月二六日。
 アメリカ合衆国国務長官 コーデル・ハルの名で、日本への関税引き上げを宣言した通知が出された。通称を「ハル・ノート」と言う。
「アメリカ合衆国は日本製品への関税を従来の三〇倍にする」
 そう高らかに宣言された「ハル・ノート」。
 これにはさすがの帝国も激怒した。
 時の首相 幣原 喜重郎は抗議文を提出した。しかしハト派である幣原首相はそれ以上の行動を起こさなかった。
 そんな最中、ある重大事件が起こった。
 一九四一年一二月八日。
 ハワイ真珠湾の燃料タンクが何者かの手によって爆破。ハワイは一面が火の海となった。
 アメリカ合衆国は、この人災の犯人を「ハル・ノート」に激昂した日系人の仕業と断定。合衆国議会は「リメンバー・パールハーバー」を合言葉に対日宣戦布告を許可した。
 こうして一九四一年一二月二四日。クリスマス。
 突如としてアメリカは日本に対し宣戦布告。
 奇妙な世界の、奇妙な戦争が始まったのである。


第一章「待ったなしの真剣勝負」

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